ソーシャルメディアは、「ソーシャル」なものなので、そもそもが「ソーシャルメディア マーケッティング」とか言う奇異はものは無いはずだと考えている。「マーケッティング」の感覚が入った時点で、一般のメディアのうちの新興のものになったということだと思っている。
有る特定のメディアの創成期に、マーケッティングする側とされる側が、そのメディアのアーリーアダプターとして同じ開拓者精神のもとに協力するという形は、twetterでもmixiでも、その前のinfoseekでも初期にはあった。だが、そういう書籍がでるころにはその形は終焉を迎えている。
一方で、それらのメディアを、医療を含む科学技術の一般への浸透に使おうとすると本当に有効な媒体であると考えている。ところが、そういう目的の人が、ソーシャルメディアを未だに使いこなしていないように見えて成らない。
情報伝達の広がりを、どうやったらませるのか、周辺への浸透性の向上はどうすれば良いのかは検討の対象になると思う。教育・啓蒙的な情報あるいは災害時の情報伝達の媒体として精査し使いこなす技術の探査が必要だと思う。( 「災害時のソーシャルメディアを考える」と言う会合を定期的に開催中である)
また、検討の対象としてだけではなく、実際に自らが媒体として、もっと使ってゆくべきだとおもう。一般に、ソーシャルメディアも実は背後には民間会社が運営している関係で、所詮は収益マシンに過ぎないので、どれもある時期を過ぎるとソーシャル性を失いソーシャルメディアとしては使えなくなってゆく。使えるうちに、ドンドン使うべきだとおもうのだが。不思議な位に、研究者が保守的で斜め後ろから見ているにとどまる人が多い。
現状、所謂「カフェ」は、一部のファンと主催者だけのものになっているので、いまこそソーシャルメディアを使った「市民講座」「公開講座」を催行するべき時期なのではないか。常にある研究者の内向き思考で「カフェ」が企画立案されているので、一部の「常連」さんと、新規の「カフェファン」だけのものに成ってしまうと思っている。
英語圏での文化や「カフェ」の歴史をかたるより、日本語で意味が分かる名称を与え、それを新しいソーシャルメディアという枠組みで実施するというような形が良いと思っている。「サイエンスコミュニケーション」という語を使う人の言葉(情報)が、もっとも市民に浸透しないという現状を見直してみるべき。本来手法である「サイエンスコミュニケーション」が、目的化してきたことで、現在があるというまとめ方が出来るとおもっている。昨年の「科研費」の「仕切り」でも、科学者の言い分は、私にも、理解できる内容のものとして届かなかった。これでいいのか?
話をもどすが、ソーシャルメディアを、どうやってショーシャルに使うかというのがポイントだと思う。そこでは、共生・共助・共育という理念が大事だと思う。教師-生徒型の枠組みを持ち込んでもなお「カフェ」と呼んでいるのが大間違いと気がつく良い機会を与えてくれる媒体でもあるとおもう。
ここで、蛇に足を付け足しておきたい。それは、東大が全体としての広報を担当する研究員(コミュニケーター)を募集しているが、ある意味で、研究者・大学がどんなコミュニケーションの手本を見せてくれるか楽しみである。