研究ブログ

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インフォメーション イベント告知:加藤周一と21世紀の社会主義? 戦後日本思想と現代

日時 2021年12月4日(土)18時30分~20時30分

タイトル 加藤周一と21世紀の社会主義? 戦後日本思想と現代

講演者 片岡大右(批評家)

開催方法 オンライン(Zoom)

申し込み方法 Googleフォーム

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd9qvHo7fBA4RwVU0_aszMkYz53XqvfFMMi3as7MTtfIL4JQw/viewform?vc=0&c=0&w=1&flr=0

主催 加藤周一おしゃべりの会/羊の談話室(仮称)

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【再録】二〇一九年秋の回想的断章——非対称性をどうするか

 『図書』2020年4月号掲載のエッセイを、編集部の許可を得て以下に再録する。

 2019年秋のいくつかの文化的(また政治的)出来事の印象を、筆者自身が記念シンポジウムに関わった加藤周一生誕100年という背景のもとにつづることで、前世紀後半の日本を代表する知識人と言ってよいこの評論家の思考の現在性を見定めようとする試み。シンポジウムの論集『加藤周一を21世紀に引き継ぐために』(水声社、2020年9月)の樋口陽一論考の結論部に直ちに引用され、「加藤周一の方法から多くのものを受け取る一人ひとり」に向けられた、「危険」を伴う探究への誘いとして――つまり粛然とするほどの的確さで――読み解かれる幸運を得た(「加藤周一は「洋学紳士」か、それとも「日本人論」者か?」40頁)。念のために付け加えるなら、加藤の「醒めたアプローチ」の意義を強調する本稿の主張に、それが避けがたく内包する危うさを認めつつ賛同するに際し、この憲法学の大家はおそらく――近年の別の場所での発言を引くなら――「およそ危うさを含まないような思想とか、学説一般というのは意味がない、という前提」(『憲法を学問する』有斐閣、2019年、62頁)に立っているのだと思われる。

 なお、この加藤周一論集の公開オンライン合評会が2021年5月29日(土)に開催される(主催:立命館大学 加藤周一現代思想研究センター、協力:日仏会館)。


二〇一九年秋の回想的断章
——非対称性をどうするか

 片岡大右

 

九月二三日(月) 加藤周一生誕百年を記念する東京・日仏会館のシンポジウムで日曜に報告を済ませ、京都・立命館大学の関連企画「東アジアにおける加藤周一」を聞いた。印象深かったのは、韓国(出自)の二人の登壇者がいずれも「雑種文化」論を評価しつつ、「日帝残滓」清算の純化路線への違和感を表明したことだ。林慶澤(イム・キョンテク)・全北大学校教授は開口一番、「今日は韓国人としてではなく文化人類学者として語る」と宣言し、文化的純粋志向の危うさを率直に指摘した。李成市(リ・ソンシ)・早稲田大学教授は加藤の説を踏まえ、日本において西洋的なものの清算が不可能なのと同じく、韓国において日本的なものの清算は不可能だと断じた。けれども、韓国の文化環境に対するこうした論争的次元は、必ずしも聴衆の意識を捉えなかったように見える。李氏の講演後、会場からは、文学の話を聞きに来たのに朝鮮半島のひとの「政治的」な話を聞かされた、「植民地、植民地って、頭痛くなる」との不平の声が上がった。一九七〇年代初頭に立命館の経済学部を卒業したというこの発言者は、痛ましいことに語られた事柄をまったく理解せず、ただ講演者の出自と苛立たしい一語に憤激することしかできなかったのだ。

 しかも、老いたる卒業生が実に適切なやり方でマイクを取り上げられたのち、続いて会場から発せられたいわば逆方向からの問いかけもまた、無理解を前提とする点ではほとんど選ぶところがなかった。日本が植民地化を非合法だと認めないのがよくないのではないか、支配によい面があったなどと言ってばかりで……。歴史家は、穏やかながらきっぱりとした口調で、合法・非合法を論じるのは自分の関心事ではなく、事柄の光と影を見る必要があると応じた。

 もちろん、韓国ナショナリズムの一面性を衝くこうしたアプローチは、支配した側の責任を曖昧化する誘因ともなりうる。李教授らが岩波書店と相談しつつ日韓の研究者を集めて今世紀初頭に組織した「批判と連帯のための東アジア歴史フォーラム」は、両国のナショナリズム双方を批判し、「国史(ナショナル・ヒストリー)」の枠組みそれ自体の乗り越えを目指すものだったけれど、時を経て韓国側参加者から生まれ学界を超えた巨大なインパクトを持つに至ったのが、朴裕河(パク・ユハ)『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版、二〇一四年)であり、李栄薫(イ・ヨンフン)編『反日種族主義』(文藝春秋、二〇一九年)であるという事実は、多くを考えさせる。

 だからといって、このフォーラムが打ち立てた地平からの後退が許されるものではあるまい。この共同討議の試みは、自国のナショナリズムに批判的な日本の知識人が韓国進歩派のそれを是認するという旧来の連帯を退け、「政治的善意」に発するものであれ、両国ナショナリズムの「敵対的な共犯関係」を強化するだけのそうした関係はもはや、「帝国と植民地という歴史的経験の非対称性で正当化できるもの」ではないと見定めたのだった(林志弦(イム・ジヒョン)「東アジア歴史フォーラム」、宮嶋博史・李成市ほか編『植民地近代の視座』岩波書店、二〇〇四年)。

 支配と被支配の非対称性を見据えつつも、あらゆる国のナショナリズム現象に共通する一般的性格を強調するというのは、加藤周一が早くから採用した姿勢でもある。「雑種文化」の主題を一九五〇年代半ばに定式化したのち、彼は五八年秋のアジア・アフリカ作家会議参加の経験を踏まえて「民族主義と国家主義」を書いた(『中央公論』一九五九年四月号=『戦後日本の思想水脈』第三巻、宇野重規編、岩波書店、二〇一六年)。戦前日本の「国家主義」(大いに非難される)とA・A諸国の「民族主義」(当時まったく積極的な意義で捉えられた)が同じ西洋語の二通りの訳であることを指摘する加藤は、善用の可能性を展望しつつも、ナショナリズムが「不合理な集団的感情」の組織化以外のものではないという事実を冷静に見つめる。A・A諸国の躍動に触れた直後のものであるだけにいっそう印象的なこの醒めたアプローチは、今日なお立ち返るに値するはずだ。

 

九月二八日(土) キム・ジェンドリ・グムスク『草』の英訳を読んだ(Drawn & Quarterly, 2019.日本語版は二〇二〇年二月、ころから刊)。そこでは、ひとりの元「慰安婦」への取材に際して作者が直面した困難が率直に証言されている。何度会っても日本悪玉論と安倍政権糾弾の同じ言葉を繰り返すばかりの彼女を前にして、漫画家はつぶやく——「私は途方に暮れてしまった」、「私が本当に聞きたかったことは何だろう」。こうして様々なエピソードを聞き出して成立したこの作品では、「女性の観点から社会階級の主題に取り組む」(あとがき)という立場から、貧しい農村の子どもが養子に出され遊郭に売られそこからさらわれて慰安婦になるまでの過程が、たしかな連続性のもとに描き出されていく。階級重視のこうした見方は、植民地支配という現実を多少とも相対化せずにはいない。そのうえで、だからといって雲散霧消してしまうはずもないその現実を、どのように受け止め直すべきなのか。

 

一〇月四日(金) 「表現の不自由展・その後」の限定的な再公開を控えた「あいちトリエンナーレ」名古屋会場を訪れた翌日、豊田会場を一通り見て回った。「不自由展」の諸主題との関係では、何より小田原のどか《彫刻の問題》に注目しなければならない。彫刻が社会内部にもたらす緊張と分断を主題化したこの作品を構成する三点の写真のうち一点は、ソウルの《平和の少女像》の顔を、そこに添えられた芸術家の手とともに写し出すものなのだ。ただしこの一点を展示する小さな空間は、「不自由展」中止を受けて自主的に閉鎖されていた。

 同じ芸術祭の枠組みのなかで、像それ自体とその像が引き起こす問題に焦点を当てたメタ彫刻的作品が展示されるというのは、なかなかない事例だろう。彫刻の社会的身分規定の歴史的再検討に取り組むこの芸術家兼研究者のアプローチは、《少女像》を現代美術の文脈のなかで取り扱うためのほとんど唯一のやり方のようにさえ思われる。けれどもこの像は同時に、作品それ自体としても出品されてしまった。事態の特異な性格は、例えば、《彫刻の問題》の残り二点が写し出すレーニン像や浦上天主堂の被爆聖像が、「純粋に作品として〔…〕鑑賞」(津田大介、文春オンライン、二〇一九年一一月七日)されるべく、小田原作品と並行して美術館に展示されることを想像してみればわかるだろう。「不自由展」とその中止が様々に分岐した反応を引き起こしている理由の一端は、たぶんこの特異性に関わっている。

 

一〇月一八日(金) 最後の巡回先となる長崎県美術館での回顧展「Lifetime」初日、クリスチャン・ボルタンスキーはアーティスト・トークのなかで、長崎の被爆経験を日本兵が中国で行った「恐ろしいこと」と併置して、犠牲者と加害者の取り替え可能性を示唆した(より詳細は、「人生の時間とその後」以文社ウェブサイト、二〇一九年一〇月二九日を参照)。これは単に第三者による軽口なのではない。この深い——あるいは徹底して軽い——相対化の眼差しを、彼は一貫して自らのユダヤ性にも注いできた。

 芸術家は最近、それもイェルサレムのイスラエル博物館で「Lifetime」展が開かれているまさにその時に、「イスラエルのような国を造ったのはおそらく間違いだった」と発言したばかりだ(水声社刊のカタログ所収の杉本博司との対談)。純化への幻想を排し、他者との共生の事実を受け入れること。彼がパリのユダヤ芸術歴史博物館の依頼で制作したモニュメントのために、非ユダヤ人——反ユダヤ主義者だったかもしれない——を含む全住人の名前を無差別に用いたのはこうした信念によっている。もちろんこのあまりに一般的な人間学は、状況次第では問題含みのものとなりうる。実際それは、兄の社会学者リュックとの日々の論争の糧となっているのだという。それでも、誰でもどんなことでもなしうるという本質的な取り替え可能性が、人間的共生の根本条件であるには変わりない。だから加藤周一もまた、「「ヒロシマ」と「南京虐殺」とは絡む」と書いた(『夕陽妄語』一九八八年八月二三日)。

 

一〇月一九日(土) 広島・尾道の離島、アートベース百島の「百代の過客」展では、「不自由展」のために新たな注目を集めた大浦信行《遠近を抱えて》全一四点が展示されるとともに、かつて彼の裁判闘争を支えた「大浦作品を鑑賞する市民の会」の機関誌、『越中の声』のコピーが閲覧に供されていた。ある座談会(一九九二年五月・六月合併号)を引こう——「あの作品は反天皇制の作品だとおもう?/そうは見えない。/でもあの人は、本当はチョットはそうなんじゃないか…。(笑い)」。芸術家の思いとは独立に、「市民の会」があくまでも自分たちの闘いを闘っていたことがわかる。「自画像」として企てられたこの連作にあっては、いわば人間的次元に降りてきた元「神」との想像的な内的交感が表現されているのだから、そこにはむしろ、象徴天皇制の一定の社会的定着の証言を認めるべきかもしれないのだ。けれども同時に、それが一九八〇年代から今日に至るまで憤激を煽り立てている事実は、こうした表現の前提をなす一種の水平性の感覚——この「象徴」を自分たちのなかのひとり、せいぜいその第一人者にすぎないと感じるところに成立する——が決して、熱心な天皇制支持者たちによって共有されていないことを示唆している。

 また、天皇タブーの打破と同時に性表現の自由を掲げて始まった『越中の声』が(最初の二号の表紙は、性器部分にモザイクを施した春画とキューピーだ)、第一号掲載の北原恵論考——大浦作品における顔を欠いた女性ヌードのコラージュを告発する——を契機として、フェミニズム的批判との対話の舞台となったのも興味深い。当時は「エロス」の反権力性を対置することしかできなかった人びとが時を経てこの新しい観点を統合しえたところに、「表現の不自由展」が成立したというわけだ。そしてそのことはまた、「表現の自由」を掲げるこの企画の実行委員会がその一方で保持しているように見える——性表現の問題を含めようとする津田大介芸術監督の提案を退けたというのだから——、表現規制の世界的動向に親和的な一面を説明する。

 二〇一八年、「#MeToo」の時代に迎えたエゴン・シーレの没後百年は、一定の緊張のなかで祝われた。未成年者誘惑容疑での逮捕歴を持つ画家を、例えば「彼は一人で、人間の条件としての身体、個物としての肉体、あるいは存在論的な肉体の意味を、見つめていた」(加藤周一『絵のなかの女たち』)のように評価することは、かつての自明性を失っている。関係の非対称性に還元されることのない何かの存在を、この非対称性がたしかに内包する暴力的次元を正当化することなく、どのように証していけばよいのか。

 (かたおかだいすけ・批評家)


出典:『図書』岩波書店、2020年4月号(856号)、14-17頁

※ルビは半角丸括弧に入れた。

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