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2017/07/13

般教直帰と専門住込の不毛な対立

Tweet ThisSend to Facebook | by Prof.Dr. SUMIOKA
 教員スタイルということで言うと、昔から般教と専門は相性が悪い。極端なことを言えば、般教は非常勤も同然、講義直前に教室に直行、終わったら教室から直帰。一方、専門は、講義も無いのに研究室に来て、研究発表直前は、泊まり込み上等。深夜遅くまで、学生たちと酒盛りで騒いでいやがる大学や研究室もある。自分は、般教も専門も両方に所属していたことがあるので、どちらのときも双方の陰口を聞かされるのには辟易させられた。説明したって自分で体験しないことには、感覚的にわからないだろうから、黙ってヘラヘラ笑って聞き流すしかない。

 般教の場合、語学でも三、四十名、概論となると数百名を一回で。それも、多種多様な学科の学生を相手にしないといけない。また、1年間で絶対に終わらせないといけない範囲が決まっている。個別学生の特定研究に必要に応じて助言する応機説法の専門課程と違って、般教は、1年間、各回講義の運営進行管理が仕事の中心になる。

 教科書があったところで、それを年間で、また、各回で、どう割り振るか、どういう例を挙げれば、分野の違う学生たちにも共通に理解できるか、関連する息抜きの雑談としても、どんな話題がふさわしいか、とにかく講義準備の仕事の方に重点が置かれる。まして、概論で数百人を相手にするとなると、いまどき板書では話にならない。パワーポイントで、世間の講演と同じくらいの質のものを、講義中にすべてスムーズに使えるように教材として組み上げておく必要がある。終わった後も同じ。ミニレポートの採点だろうと、ちょっと居残ったくらいで片付く量ではない。まして、試験の採点となると、1科目だけでも1週間がかり。こうなると、持ち帰りが当然。帰ってからも、連日、深夜まで家で仕事ということになる。

 とはいえ、それぞれの担当科目が、自分のところで完結しているので、同じ般教の同僚と調整する必要がない。そもそも、たとえば哲学と倫理学、社会学などだと、むしろ学生はたいていいずれかひとつを選択するだけなので、内容的な重複があっても、まったく問題無い。また、講義そのものが午前中中心で、曜日もばらけている。大教室なら階が違うし、語学や体育など、それぞれ別のところでやっている。共同の控室があっても、教材の印刷でもしないかぎり、寄らなければならない理由が無いし、寄ったところで作業が忙しく、同僚教員とまったり世間話を語っているほどヒマではない。

 一方、専門。以前より定員管理が厳しくなり、研究室も少子化。その数人を相手に、研究指導はもちろん、就職からなにから親身の指導。なのに、ゆとり以来、平気でアポを勝手にすっぽかす学生がいたり、そうでなくても、企業説明会だのなんだので、予定を個別にすりあわせる必要があり、でも、卒論概要だの、推薦書だの、内外に提出する書類はあれこれ締め切りがあり、その学生だけのために別の時間を設定しないといけなかったりする。

 講義に関しても、実習など、分担や共同のものがある。そうでなくても、講義内容の重複が無いように、他の教員がなにをどこまで教えているか、相互に確認しておく必要がある。まして、発表会などとなれば、ゼミの学生を含め、手分けして取り組まないといけない。さらに、近年はオープンキャンパスでの学科としてのデモンストレーションと学生集めの負担が、かなり大きい。ようするに、学科というチームで、教育に当たる。当然、チームとしての調整が仕事の鍵となる。

 この学科という単位とは別に、学生たち含む研究室単位のゼミという活動もある。研究は個別に進めるにしても、その進め方に関しては、まとめて教えないといけない。また、学生相互に刺激し合って積極的に研究に取り組むようにしないといけない。おまけに、必要とあれば、ゼミ合宿だの、発表遠征だのもある。とはいえ、これがまた狭い人間関係なので、かならずしも学生たちが和気藹々とは限らないし、昨今、恋愛沙汰まで絡むと、かなり面倒。

 つまり、専門課程の場合、実際のところ、専門とは名ばかりで、じつは専門的な講義内容なんかより、個人指導、学科会議、ゼミ活動のようなパーソナルな人間関係の調整の方が仕事の中心。このために、大学に居残っている時間は、やたら長くなる。その割に、だらだら茶だのコーヒーだの飲みながら、やんわりと同僚たちや学生たちの様子を聞くように、集中度、緊張感は低い、というよりほどんど無い。これは、聞く気があるんだかないんだかわからない、途中で出たり入ったり、おまけに居眠りしたり雑談したりする緩みきった数百人を前に、90分で絶対にここまで終わらせて、最低限、全員にこれだけは理解させないといけない、というような般教大教室の講義の仕事とはまったく違う。

 正直なところ、人の仕事のやり方を双方から陰でウジウジあげつらうくらいなら、自分で両方やってみたらいいと思う。たしかに般教にも教養演習はあるが、しょせん1、2回生で、進路まで面倒みたりしないし、少人数というだけで、結局のところ、ただの座学講義と大差無い。また、専門課程の教員が大教室講義をやるにしても、講演会かなにかとえらそうに勘違いしていて、複数教員持ち回りで自分の得意なトピックを1回だけ、それも出席も取らないし、採点もしない。概論として、他大学や諸外国に恥ずかしくないように、その科目を端から端まで漏れ無く語る、って、1回だけとは全然違うのよ。

 なんにしても、隣の芝生は青い。おまけに、専門も、般教も、大学環境の急変で、いろいろ汲々たるところがあり、だれかに当たり散らしたくなるのはわかる。だが、そういうのは、人間が小さく見える。学生にも、そういうところはすぐ感づかれる。他人のことはともかく、まず自分のすべきことに、どうとうと誇りを持って誠心誠意取り組む。それだけにしようよ。
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