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2014/01/19

調教されたレタス

Tweet ThisSend to Facebook | by matsutake
村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』には、紀ノ国屋のレタスの話が出てきます。紀ノ国屋のレタスは長持ちする、閉店後にこっそり集められて「調教」しているのではないか、といったことが書いてあったと思います。

紀ノ国屋のレタスは、戦後の流通史や食文化の変化という点から見ても、興味深いです。平松由美(1989)『青山紀ノ国屋物語―食の戦後史を創った人』(駸々堂出版)に、その詳しい経緯が説明されています。



レタスが日本で普及するきっかけは、戦後、アメリカの進駐軍が、肉を生野菜とともに食べるという習慣を持ち込んできたことだったそうです。しかし、すぐに普及したわけではありません。というのも、当時の日本では、野菜の栽培で使われていたのは下肥(人糞)であったため、病原菌に充ち満ちた田畑で収穫された野菜は生で食べることができなかったからです。アメリカ人が満足する生野菜を生産するところから始めなくてはならなかったのです。

日本のスーパーマーケットのパイオニアである紀ノ国屋は、戦前は高級果物商でした。イチゴなど果物は、当然、生で食べることができます。ですから、紀ノ国屋を創った増井徳男氏には、寄生虫卵や菌が付いていない「洗浄野菜」を栽培できるであろう農家について土地勘があったそうです。彼は、最低2年は下肥を使っていない畑において、まとまった戸数の農家が清浄野菜団地を構成できるという厳しい要件を設けました。この要件をもって増井氏は農家を説得したそうですが、当然、引き受けてくれる農家を見つけるのには骨を折ったそうです。しかしこうした厳しい品質管理がゆえに、安全な洗浄野菜が提供されるようになり、その後、下肥が化学肥料に取って代わる中で、野菜の生食が日本において定着するようになったそうです。

調教済みのレタスは、昭和20年代の増井氏の努力の賜物だということが、『青山紀ノ国屋物語』を読めば分かります。「レタスの章」の他にも、「リンゴの章」「カートとゴンドラ」「ワインの章」など、面白い話がたくさんあります。帯文の推薦者が齋藤茂太というのも味わい深いですね。二人は小学校の同級生だったそうです。こんな良い本が入手できないのは、残念な限りです。

冒頭には、こう書かれています。

一歩中に入るとたちまち野菜の緑がキラキラ光り、赤ピーマンやさやいんげんが清らかな艶を放ち、棚からこぼれ落ちそうに並ぶ果物はいかにもおいしそうで、見る者を陶然とさせる。

うちの大学がある国立にも紀ノ国屋がありますので、この気持ち、よく分かります。いまはJR東日本に買収されていますが、「不思議な胸の高まりを感じる」店作りをがんばってもらいたいですね。

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