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2016/03/01

観測精神のアーカイブ~「100年天気図データベース」と気象観測の歴史

Tweet ThisSend to Facebook | by kitamoto
1883年3月1日、「天気図」はこの日から毎日発行されるようになりました。今日2016年3月1日は、それから133周年となる記念日です。そこで以下では、日本の天気図の133年間の歴史をたどることができるウェブサイト「100年天気図データベース」を紹介します。

まずは日本最初の天気図を眺めてみましょう。ウェブサイトの日付検索に1883年3月1日と入力すると、1883年3月1日の天気図が表示されます。



なんと日本全体で、等圧線は2本しか描かれてませんね。。しかし2本とはいえ、これらは重要な情報を伝えています。西は気圧が低く東は気圧が高いという情報です。天気はおおむね西から東に変わるので、西の低気圧が東に進んでくることを考えれば、明日は天気が悪くなりそうだと予想することができます。今から比べれば初歩的なレベルの天気予報とはいえ、自分の周囲の空だけを眺めて予想する観天望気という昔からの天気予報と比べれば、グローバルな気象観測データに基づく科学的な天気予報に一歩近づいたと言えるでしょう。

では、実際はどうなったのでしょうか。上記の天気図のページから、翌日の1883年3月2日の天気図に移動してみましょう。



この日も等圧線はまばらですが、南の気圧が低く北の気圧が高いという気圧配置から、実際には低気圧は太平洋側を進んだという情報を読み取ることができます。太平洋側は南風ではなく北風が吹く天気となり、冷たい雨や雪の一日になったのかもしれません。1883年の天気図はデータ量としては確かに少ないのですが、地図上に等圧線を引いて全体像を把握することにより、初歩的なレベルの天気予報ができるようになりました。これは科学的な天気予報に向けた大きな一歩と言えるでしょう。

しかし天気図の製作は、実は気象観測技術の進歩だけでは実現できません。というのも、天気図とは各地の気象観測データを短時間で集約して解析したものですから、通信技術も発達しなければ天気図は完成しないのです。昔からある狼煙(のろし)による通信では情報量が少なすぎるし、馬による通信では遅すぎて遠方の観測データを当日中に集めることはできません。つまり、遠方からのデータを迅速に集約できる電信技術がなければ、天気図を完成させることはできないのです。日本全国に電信が広まったのは1870年代から1880年代にかけて。まさに当時の最先端の通信技術を活用し、データ統合と可視化という課題に挑戦したのが天気図の製作という事業だったのです。

そして天気図の製作を通じて、日本の気象学と気象観測、天気予報は進歩していきました。133年間に描かれた天気図(日本・アジア域地上天気図)の総数はなんと10万枚を越え、気象学の歴史を記録した科学的な歴史資料としても貴重な存在であると言えます。

ここで、天気図に関連する歴史を簡単に振り返ってみましょう。等圧線が2本しかない時代にはまばらだった気象観測データも、各地に電信が普及して観測点も増加してきました。そして日本はアジアに進出して観測範囲もさらに広がり、軍事情報としての気象情報の重要性も高まりました。第二次世界大戦に敗戦する頃には日本の気象観測網は大きな打撃を受けていましたが、戦後の復興とともに気象観測にも新たな時代が訪れます。天気図データベースには1958年から高層天気図が加わります。そして気象庁は1959年には当時最新鋭のコンピュータを導入、1965年には富士山レーダー、1974年にはアメダス、1977年には気象衛星ひまわりなど、新しい機器が続々と気象観測を開始し、天気図はより精緻なものになっていきます。しかし同時に、気象観測データを統合し可視化するという役割は天気図から数値予報モデルへと徐々に移行していき、いまや天気図は中心的な役割を果たすものではなくなりました。専門家が点と点をつないて等圧線を描いていた時代から、スーパーコンピュータによるシミュレーション結果を人間のためにわかりやすく描き直すという時代へ。133年間の天気図の推移とその役割の変化をたどることは、日本の気象学が発展してきた歴史をたどることにもなるのです。

しかしこの天気図データベースの価値は、こうした成果の歴史にとどまらないと私は考えています。天気図とは、一見すると実用のために製作された無味乾燥な図面のように思えるかもしれません。ところがこれをじっくり眺めていると、かつて天気図を描いた気象人たちの強い思いが伝わってくるような気がするのです。強い思いとは何でしょうか。それが「観測精神」です。

この言葉は、日本の気象学の開拓者の一人であり中央気象台長(現在の気象庁長官に相当)としても活躍した岡田武松が作った言葉とされています(追記)。これはどんな意味なのか、柳田邦男著「空白の天気図」から抜粋してみましょう(100年天気図データベースとは?)。
観測精神とは、あくまで科学者の精神である。自然現象は二度と繰り返されない。観測とは自然現象を正確に記録することである。同じことが二度と起こらない自然現象を欠測してはいけない。それではデータの価値が激減するからである。まして記録をごまかしたり、好い加減な記録をとったりすることは、科学者として失格である。
当時の気象観測に従事した人々は、みなこの岡田の教えを指針として、台風による暴風が吹き荒れるような困難な日であっても、欠測とならないよう気象観測を続けてきました。このような膨大な努力を100年以上も続けてきた成果の結晶が、この天気図データベースなのです。つまり天気図データベースは、気象観測という科学データのアーカイブであるだけでなく、気象人の「観測精神のアーカイブ」でもあり、そこに私はかけがえのない価値を感じるのです。

観測精神は日本の歴史が大きく動いた日にも発揮されました。過去の著名な天気図では歴史的な日の天気図をいくつか紹介していますが、特に重要度が高い第二次世界大戦に関連する日を取り上げてみましょう。まず開戦の日である1941年12月8日の天気図には「極秘」スタンプが押されています。この日から天気図は軍事機密になったからです。



一方、終戦の日である1945年8月15日にも天気図は製作されました。しかしよく見てみると、日本国内の観測点が異常に少ないことに気づきます。終戦の玉音放送を聞いた直後の気象人たちは、観測精神にしたがっていつも通りの気象観測を行い、それを伝えることができたのでしょうか。天気図の空白には、人間社会に起こった大きな変化の痕跡も残されているのです。



時代を越えて受け継がれてきた観測精神は、数々の伝説も生み出してきました。先に取り上げた「空白の天気図」は、広島への原爆投下直後から枕崎台風の襲来までの気象観測と人々の生き様を中心としたストーリーです。また新田次郎著「芙蓉の人」は、明治28年に富士山頂に気象観測所を設け、命がけで気象観測を続けた野中夫妻の感動的な物語を伝えています。富士山頂については、同じく新田次郎による「富士山頂」も私が好きな本です。伊勢湾台風という未曽有の災害を二度と起こさないために、富士山頂に気象レーダーを設置して「台風の砦」にしようという壮大なアイデア。それは高度経済成長期の日本を象徴する一大プロジェクトとなり、その後もNHK「プロジェクトX」の第1回放送で取り上げられるなど、気象観測という分野を越える伝説となりました。

しかし時代は変わりました。現代は気象観測の自動化が進み、宇宙空間の気象衛星からも刻々とデータが送られてくる時代です。今でも飛行機による台風観測のように危険性の高い気象観測は残ってはいますが、決死の覚悟で観測を続けてきた古典的な観測精神の時代と比べれば状況は様変わりしています。とはいえ、だから「観測精神」という言葉も価値を失ったのかといえば、そんなことはないように思います。「データの欠測は価値を激減させる」「きちんと観察せよ」といったメッセージは、現代的に解釈すればビッグデータ時代にも通じる指針となります。観測精神とは、データをきちんと分析して社会に役立てることへの使命感や価値観を表現する言葉であり、それは今も基本的に変わりないと考えるからです。

それは、固い言葉で言えば職業倫理、もう少し日常的な言葉で言えばプロ意識や生き方のようなものかもしれません。でも、それを「精神」と言い替えてみると、なんだか背筋が伸びてシャキッとしてこないでしょうか。「精神」とは、当時使われるようになっていた「時代精神」などに影響を受けたネーミングでしょうが、倫理などの言葉よりも主体的な姿勢を感じさせるいい言葉だと私は思っています。

私にも、こうしたデータベースを構築する際に心がけている「データベース精神」のようなものがあります。皆さんの仕事を支える「精神」もきっとあることでしょう。もし今はまだないとしても、何が本当に大事なことなのか、これを機会に一度考えてみてはいかがでしょうか。

【謝辞】本データベースの構築にあたっては、科学研究費補助金・研究成果公開促進費(データベース):平成25年度(258062)による助成を受けました。天気図の画像は、気象庁が気象業務支援センター経由で提供している画像を利用しています。一部の作業については、NPO法人 気象キャスターネットワークの協力を得ました。

【追記(2016年4月23日)】 本文では「観測精神」という言葉を使いましたが、もともとの言葉は「測候精神」です。この2つの言葉の関係について、古川武彦著「気象庁物語」(中公新書)に参考になる記述がありました。古川氏によると、岡田武松の「測候精神」とは、観測における心得に加えて日常生活における気象人のあるべき姿にまで踏み込んだ一種の精神訓だそうで、岡田の測候精神のうちの観測面については「観測精神」と呼ぶべきであろうと述べています。つまり、測候精神は観測精神よりも幅広い範囲を指す言葉であり、そのうち観測に関する心得については、本文のように「観測精神」と呼んでも差し支えないと考えられます。
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