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2017/07/14

第16回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会・講演会

Tweet ThisSend to Facebook | by nishiisho

第16回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会・講演会(来聴自由・無料)


日時:2017年7月29日(土) 14:00 ~ 18:00
場所:大阪大学豊中キャンパス待兼山会館 1階特別室(※2階会議室ではありません)


研究発表:

14:10~15:30
「ホメロスにおける崇高―ロンギノス『崇高について』より―」
戸高和弘(大阪大学)

 

講演:

15:45~18:00
「『オリュンポスの神々の歴史』を批判的に読む」
西村賀子(和歌山県立医科大学)


懇親会
時間:18:30 ~
場所:イシバシテラス 大阪府池田市石橋1-3-15
(阪急石橋駅西口(商店街側)出てすぐ)
 
※懇親会に参加予定の方は、事前に西井奨に連絡を頂けると助かります。当日参加も可能です。懇親会参加費は2500円程度となります。


要旨:


ホメロスにおける崇高――ロンギノス『崇高について』より
戸高和弘

 ロンギノスの著作ΠΕΡΙ ΨΟΥΣ(ペリ・ヒュプスース)は『崇高について』ないし『崇高論』と訳されるが、抽象的な崇高概念を論じた著作ではなく、どのようにすれば文芸における崇高を実現できるのかを論じた著作である。そのため、崇高の「源泉」が検討され、どのようにして崇高が形成されるのかは詳述されているが、崇高そのものが何であるのかについては、必ずしも明確に定義されていない。また、崇高の具体例となる章句は数多く上げられ、そのおよぼす効果についても考察されているが、その効果の根拠は「自然本性」との一致とされているだけである。
 本発表は、『崇高について』において引用されているホメロスの章句、およびロンギノスのホメロスについての評言を検討することで、崇高とは何かについてあらためて検討するものである。この検討を通して、ロンギノスの崇高論がプラトンの「詩人追放論」への応答となっていることを確認し、さらに『崇高について』が書かれたと推定されている紀元後一世紀のローマ社会において、この著作がどのような目的で書かれたのかについての仮説を提示する。著者ロンギノスがいかなる人物か不明であるかぎり、あくまでも仮説に留まらざるをえないが、目的を検討することは『崇高について』という著作を理解する一助となるはずである。

 

『オリュンポスの神々の歴史』を批判的に読む
西村 賀子

 本講演は二つのことを目指している。一つは、最近刊行した訳書のグラツィオージ『オリュンポスの神々の歴史』(白水社 2017年)を簡潔に紹介することである。二つ目の目的は、本書を批判的に読むことによって議論のきっかけを作ることである。
 本書の基本姿勢は「旅」と「サバイバル」という二つの点に集約される。まず、暗黒時代からポリス社会へとギリシアが移行する時期に盛んであった「旅」、これが全体を貫く中心的概念になっている。本書は古代からルネサンスさらに現代までのオリュンポスの神々の「時間的」に持続する旅を語るとともに、ギリシアから新世界までの神々の「空間的」に拡大する旅も描いている。第二の基本姿勢であるサバイバルとは、オリュンポスの神々は一度も死なずに現代まで生き延びてきたという主張のことである。ただしその意味内容は変容していて、神々は古代には崇拝・儀礼の対象であったが、ルネサンス以降は人間の想像力および創造力を象徴する存在として生きているという。
 本書は全6部構成で、それぞれ3章からなる各部はアルカイック期のギリシア、古典期アテナイ、ヘレニズム期エジプト、ローマ帝国、キリスト教とイスラム教、ルネサンスを扱っている。啓発的で刺激的な本ではあるが、批判的な読みをとおして議論すべき点も多々ある。たとえば、古典期アテナイでは政治参加する民衆が自己決定権を行使することによって人間の力に自信をいだき、神々への懐疑が大衆化したと説かれているが、本当にそうなのだろうか。扱う資料が偏っているせいでそう見えるだけではないのだろうか。
 本書後半は、神々が後世どのように受容されたかを扱う。受容研究は英米ではすでに市民権を得ているが、わが国ではまだあまり研究が進んでいない分野だ。受容研究の一端を垣間見るという点でわが国の古典研究に刺激を与えるという点にも、本書の意義がある。


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