研究ブログ

研究ブログ >> Article details

2009/06/22

CiNiiの中の人日記 - 5

Tweet ThisSend to Facebook | by i2k
黒船Googleがやってきて、NIIは一部にせよ何にせよ、開国の方針を決めました。
それから2006年3月にかけて、急ピッチでいろんな作業が始まりました。

ひとつは書誌詳細ページ(のちの書誌パーマリンク)のデザインです。
これは現状の見た目があまりにもデータベース然としていて
(属性と値の組がひたすら羅列されている)、専門家はいいけど
一般ユーザはまったく分からないので何とかすべきだ、とうるさく主張していたら
自分の仕事になりました。このときちょっとだけ予算をもらったのですが、
いま思うと見た目のためにお金を使うという、お堅い学術情報システムとしては
珍しい例だったかもしれません。(すでにあったらすいません)

もうひとつは、開国に際してものすごく重要なことだったと思うのですが、
「CiNiiとは何ぞや」ということを職員と教員が顔をつきあわせて議論したことでした。
CiNiiの前身であるTOOL-IRやNACSIS-IRを担当されていた職員の方々、
先生方にとっては自明のことだったかもしれませんが、遅れてやってきた
自分のような人間からすると「CiNiiはすでにそこにあるもの」でしかないので
現状を無批判に受け入れるとか、何かを変えるにしても恣意的になりがちです。

この議論では、いまのCiNiiがどういうものかということをとりあえず脇に置いて、
どんなサービスであるべきかを理想論で考えることを目的としていました。
KJ法を試してみたり、昔の資料を引っ張り出して当時の原理原則を確認したり、
研究者的には普段やらないようなことばかりでいい刺激になりました。
何より重要だったのは、いまの担当者が話し合って考えることでCiNiiを
自分たちの問題として捉えるようになったことと、職員と教員が対等な
立場で協力しながら議論を進めたことです。

前にも書いたように、NIIではある種の分業体制ができているのですが、
この議論はそれを明らかに打ち破った形で行われました。
ぼくとしても、ここではじめて職員の方々の論理とか、何が大事だと
考えているのかということを知りました。最初は見知らぬ世界で
ただ面白いなあと思っていただけですが、のちのちCiNiiの再設計フェーズに
入っていったときには、お互いを理解しておいて本当によかったと
心から思いました。その話はまた後日にでも。

さて、この議論を通じて、CiNiiのあるべき姿は5つぐらいのパターンに
絞られました。例えば「日本人の論文を網羅する」とか「日本語の論文を
網羅する」あるいは「日本人が論文を探すための支援をする」という
感じです。そのどれもが似て非なる形というか、論文を集めるにしても
どこに力点を置くかが微妙に変わるであろうというモデル達です。
実のところ、2009年現在でもこのうちのどれを選択するかは
決まっていません。が、今後も議論を繰り返しながら、また外の世界の
状況を考えながら最終的に収斂されていくのだと思います。

デザイン作業の方は年度末で一段落し、2006年4月を迎えたのですが、
突然というか何というか人事異動で職員側のCiNii担当者が変わりました。
少なくともぼくにとっては青天の霹靂で、こういうところにも
職員と教員の違いがあるのだなあということを初めて知ったのが印象深いです。

03:02 | Impressed! | Voted(3) | Comment(0)

カウンタ

19613