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2011/07/10

「までい」の村、飯舘を襲った放射性セシウム汚染

Tweet ThisSend to Facebook | by kitamoto
今日は中山間地域フォーラムが開催する以下のシンポジウムに参加しました。

中山間地域フォーラム 総会・設立5周年記念シンポジウム 「『早期帰村』実現の課題-福島県飯舘村」

ここ数年私が共同研究を続けている東京大学の溝口勝教授に加え、福島県飯舘村の菅野村長も講演するとのことでしたので、現地の状況を知るいい機会だと思ったのです。そして本日の私の大きな収穫は、今さらなのですが、飯舘村がどんなところかを知ったこと、なのかもしれません。

飯舘村の名前は、福島第一原発事故関連のニュースで繰り返し聞いていました。また私自身も福島第一原発周辺の風向きマップ福島第一原発事故後の放射性物質の拡散と気象データの関係、さらには福島第一原発事故タイムラインなどを分析するなかで、飯舘村がどこにあってどのぐらいの放射線量を記録しているかについては理解していました。しかし、肝心の「どんな村なのか」については、まるっきりわかっていなかったのです。

まず感銘を受けたのは「までい」の村というコンセプトです。飯舘村では当初これを「スローライフ」と呼んでいたそうです。スローライフという言葉も確かに一時期流行りましたので、都会の人にはある程度なじみのある言葉かもしれませんが、そんな外国語からの借り物の概念では村民の方々が実感するには至りませんでした。ところがそれを方言の「までい」という言葉に置き換えてみたら、誰もが「ああ、それならわかる」と言い出し、そこから「までい」というコンセプトが人々の間に浸透していったというのです。村が目指す方向が一語で表せ、しかもそれが味わい深い方言の言葉だった、という点がまず素晴らしいと思いました。

そうした経緯をまとめたのがまでいの力という本です。「までい」の意味などもこの本には紹介されています。実はこの本、当初は2011年3月に発行する予定でしたが、東日本大震災を受けて急きょ村長のまえがきページを差し替え、2011年4月11日に発行したというすごいタイミングの本なのです。最初のページにはこう書いてあります。

ここには2011年3月11日午後2時46分以前の美しい飯舘村の姿があります

3月11日まで、飯舘村は「までいの村」のコンセプトのもとに様々な試みを続けてきました。パネルディスカッションでは、民宿を経営する佐野ハツノさん(上記の本にも登場する人)のお話も大変面白かったのですが、佐野さんが活躍するきっかけとなったのがふるさと創生事業の資金を使ったヨーロッパ研修旅行だったというのは驚きました。無駄な使い道が散々指摘された同事業ですが、飯舘村では人材にきちんと投資したおかげで、資金が有効に生きていたのです。彼女のその後の努力と活躍、そして「までい」の力への思い、それも原発事故によってめちゃくちゃになってしまいました。

飯舘村の菅野村長は、2年後に帰村するという「早期帰村」プランを訴えます。今の避難生活のままでは犠牲が大きすぎるので、なんとか早く帰りたい、そのためには村民をもっと信頼して任せてほしい、と言うのです。この2年というのは、ずいぶん大胆な提案だなと最初は思いました。放射性セシウムの半減期は30年。しかも放射能汚染地図でも明らかなように飯舘村は高濃度汚染地域であり、普通に考えたら相当長期間にわたって戻れない可能性も否定できないのです。しかし村民にとっては村に再び戻ることが最優先の課題であって、それをどう実現するかを考えたいと。

いろいろ議論を聞いているうちに、なるほど、もしかするとこれこそが本当のチャレンジなのかもしれない、と思い始めました。チェルノブイリと福島は何が違うのでしょうか。チェルノブイリは情報も開示しなかったし対策も取らなかったので、多くの犠牲者が出て数十年も住めない土地になった。しかし福島は開示された情報をもとにみんなが全力で除染を進めたので、数年で住める土地に戻った。もしそんなサクセスストーリーができれば、これこそが世界に誇れる素晴らしい成果なのではないでしょうか。

3月11日以後、脱原発に関する議論が激しさを増しています(昨日の記事)。しかし、放言めいた言い方にはなりますが、3月11日以後における脱原発は、もはや以前ほどチャレンジングな課題ではなくなったという面があると思います。3月11日以前は、確かにそれは非常に困難な課題でした。しかし多くの国民がそれを口にする今となっては、流れの中で実現する可能性も出てきた課題とも言えます(少なくとも不可能というほど困難ではないということ、ただしそもそも脱原発は現実的なのかという問題は別の記事で検討します)。つまり、何が果たして真にチャレンジングな課題なのか、冷静に考える必要があります。

むしろ本当にチャレンジングな課題は、福島第一原発事故を収束させ、かつその周辺から避難した人たちが元通りの生活を取り戻せるように復興することにあるような気がしています。その解決策はまだ見えてませんし、多くの研究と大胆な解決策が必要で、それは脱原発よりもはるかに困難な課題になるでしょう。日本の現首相も歴史に名を残したいなら、チェルノブイリ事故対策よりもはるかに優れた福島事故対策で見事に住民を帰還させることで名を残すべきではないでしょうか。いずれにしろ脱原発のエポックメイキングな人物は、世界的に見ればドイツのメルケル首相になるでしょうから。。。

シンポジウムのパネルディスカッションでは、飯舘村全体の除染の方法として、放射性セシウムを含む粘土を洗い流す方法が提案されていました。この方法では、上流から下流(南相馬市方面)に影響が及んでいきますので、そう簡単に使える方法ではないとのコメントもありました。しかし自然に任せて、今後数十年間にわたって微量の放射性セシウムが流れ続ける未来を選ぶのか、それとも多少人為的で強引な方法かもしれませんが、最初の数年間を我慢すれば後は放射性セシウムをあまり心配しなくてもよい未来を選ぶのか、まさにそのような重い選択が問われているのでしょうし、そこにこそ福島第一原発事故の解決に向けた強い意志が必要になってきます。チェルノブイリと同様に「自然な半減期に任せる」というのでは、あまりにも受け身で無力です。むしろ原子力災害に対して徹底的な除染で立ち向かう人々の協力からこそ、日本が世界を感銘させるストーリーが生まれるのではないでしょうか。

というようなことを考えさせられたという点で、福島第一原発事故および飯舘村に関する見方が変わったシンポジウムでした。「までい」の村、飯舘が、一日も早く元の生活を取り戻せるよう、研究者も分野を越えて協力していく必要がありますね。
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