Researchlog by Noriko Arai

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2009/09/09

出版における著者と読者の関係の変容

Tweet ThisSend to Facebook | by norico
この夏から秋にかけて3冊の本を出版する関係で、昨年・今年の出版情勢に直接触れる機会がありました。村上春樹の「1Q84」や勝間和代さん(知り合いなので呼び捨てしづらい・・)の本など大ヒットもありますが、総じて出版の状況は厳しいものがあります。

ただ、これは「景気が悪いので本が売れない」あるいは「最近の人は活字を読まないから本が売れない」ということとはやや異質なことが進行している気がしています。

現在の出版の置かれている状況にいちばん近いのが「自民党の歴史的惨敗」。
悲惨さの度合を比べているのではありません。本の書き手(与党)と受け手(選挙民)のずれが容認できないまでに広がってしまったのではないかと思うのです。
もうひとつこの状況に似ているのが「さっぱり売れない日本のソフトウェア」。
同様に、ソフトウェアのつくり手とユーザのずれが容認できないまでに広がってしまった感じです。
そして最後に似ているのが「熟年離婚」。定年後の夫と、内心「いい加減にしろよ!」と思っている妻との隙間が容認できないまでに広がってしまった感じです。

つまり、本が売れないのは、景気が悪いことが原因なのではなく、最後のきっかけだったのではないかと思うのです。
専門書あるいは教養書の業界では、かつてそこそこ売れた本でも、今読み返すと「これが売れたなんて良い時代だったんだなぁ」と思うものが決して少なくありません。だって、書き手がびっくりするほどお殿様あるいは家父長的。読者のニーズとは無関係に「俺が大事だと言ったら、それは大事なんだよ」「俺はこういう風に書きたいんだよ」という書きっぷりなのです。
それでも、かつての読者は(まるで家父長制の下にいる妻のように)「自分がわからないのは、自分が悪いんだ」と思ってくれました。
が、今はそうはいきません。
誰かが「こんなのわかんないよ」とAmazonのレビューで書くことによって、読者は覚醒し、連帯してしまうからです。「悪いのは私ではなくて、著者だったのだ」と。

もちろんFaculty Developmentの問題点と同じことがAmazonのレビューにも当てはまることは承知しています。が、著者と読者の古い力関係がとうの昔に崩れていることを、著者は少なくとも意識すべきです。今後、学術出版社は、著者が書いたものを「ありがたく頂いてマイナー校正だけして出版する」主体から、「読者に届かせるにはどうすればよいか」を考え、商品開発する主体へと変容しなければならないんでしょうね。



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コメント
kuno2009/09/18 18:49:39
全くもってその通り。これは、講演者と聴衆、授業者と受講者、様々な所にあてはまりますね。どこに連れて行ってくれるのか分からぬままに着いて行くことはもう歓迎されません。皆にマップを示しながら案内してくれる、そんな存在が求められているのでしょう。所で、勝間さんお知り合い?香山さんと勝間さんのバトル(?)はどうなっているんでしょう。
norico2009/09/19 19:49:13
著者や教員は、読者や学生の想像の範囲外へお連れする、という使命もあるので、そこが難しいところですけれどもね。
「数学にときめく」の本は「編集 ムギ畑」になってましたでしょ?あの「ムギ畑」というのが、勝間さんが若かりし頃から主催しているワーキングマザー向けの会員サイトなのです。というわけで、たぶん、彼女の最初の出版物は「数学にときめく」だったはず、なんですよ~。