日記

研究ブログ

ゴムひもの押売り

「あっし大学なんてところで教師なんてつまらん商売やっとります」という言い方をしますよね。このように、商売ということばには、商いという意味に加えて、職業とか仕事とか稼業という意味もあります(余計なことをいうと「この商売女めが」というさらに別の意味もあります)。このことがよく分かるのが、30の商売を紹介してみせる別役実の『当世 商売往来』です。「総会屋」「セールスマン」「カメラマン」「喫茶店」「銭湯」から「ダフ屋」「やくざ」「示談屋」「宗教家」「君主」までいろいろな商売を紹介しています。「地見師」とか「こえかい」みたいに、一体これは何だろうという商売についても知ることができます。

当世 商売往来 (朝日文庫)
別役 実
朝日新聞社(1999/05)
値段:¥ 588


この本は、からかいとおちょくりとひやかしというオブラートに包んだ味わい深い文章で、読者に新しいものの見方を示してくれています。例えば「セールスマン」では、「ゴムひもの押売り」という訪問販売の「古典」について話をしています。勝手口に訪ねてきた男が、家にいる主婦に、前科者であることをほのめかしながら、ゴムひもを売りつける、というアレです。ぼくですら『ドラえもん』のマンガでしか見たことがないので、おそらくいまの学生は何のことかよく分からないでしょう。

それはさておき、この押し売りは強迫ではないと、別役氏は言います。裏口に現れた不審者に、主婦は犯罪者の匂いを感じ取ります。そうした人物との遭遇は、非日常的な冒険であり、主婦は、こうしたスリルを消費しているのだというわけです。このスリルは、あくまでもこの不振人物が物売りであるという安心感で担保されており、際限のない恐怖でないところがポイントのようです。したがって「『前科者』であり、『人殺し』であり、『脱獄囚』であることは、客の内懐に入りこむための手だてであると同時に、この種のおつきあいに冒険性を加味するためのサービスでもある」ということになります。

こうした「商取引」では、売られるものがゴムひもかどうかは、どうでも良いことだと、別役氏は言います。ここでやりとりをされているのは、いわば擬似的な商取引を通じてのみ成り立つ異物としての人間関係における濃密なコミュニケーションであるわけです。取引される商品の実態が薄くなればなるほど、こうしたコミュニケーションは濃密になるわけであり、「必要なもの」から「あっても無駄にならないもの」、さらには「あってものなくてもいいもの」、はたまた「なくてもいいもの」へと商品の質が変容していくと言います。

これはレビットがいう「マーケティング近視眼」の話にも通じます。ドリルじゃなくて4分の1インチの孔が欲しいんだよ客は、というやつですね。もっと言えば「経験マーケティング」の話であると言えます。ゴムひもが有する伸縮自在のひもという機能・性能じゃなくて、危険の香りという「経験価値」を、押売り氏は提供しているわけです。もともと1987年に世に出た一見、古色蒼然としたこの本は、実は、マーケティングの最先端を行っていたのである!と言えそうです。

マーケティングの観点から一番の傑作は「つなぎや」という商売の紹介です。一読されることをお勧めします。と、別役氏と皆様をづなく商売をしてみましたが、残念ながら、この本、絶版のようです。
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「スーっと出てパーっと消える」

戦後日本に、スーパーマーケットという小売業態が出現した時、「スーっと出てパーっと消える」と揶揄されていたそうです。当時、消費者は、青果・精肉・鮮魚といった生鮮3品は、それぞれ八百屋、肉屋、魚屋で買っていました。店の主人や店員と話をしながら、買うものを決めて、お金を払って、という買い物スタイルが一般的だった当時、自分でものを選んで買い物かごに入れていくセルフサービス方式が奇妙に見えたのでしょうね。

そういったことを教えてくれるのが、小宮隆太郎という経済学者が1961年に著した『アメリカン・ライフ』です。マサチューセッツ州ケンブリッジでの3年間の生活を雑誌『自由』に連載したものをまとめた新書です。


パーティーや(デートじゃなくて)デイト、階級、人種差別などさまざまなトピックを経済学者の眼から個人的な体験や実感に基づいて論じています。いちばん最初の章は、「商業革命」です。スーパー、ディスカウント・ハウス、通信販売(シアーズ)、ショッピングセンター、デパートなど、いろいろな業態を取り上げています。どこに暮らしても買い物をしないわけにはいきません。その意味で、海外で暮らした時に、まず頻繁に経験するのは、パーティやデートじゃなくて、買い物になるわけです。小宮氏がまず論じたのが、アメリカの小売業であることは、至極当然のことかもしれません。

「商業革命」で最初に取り上げられたのがスーパー・マーケットです。この本によれば、スーパーの合理性は2つああります。

ひとつは、扱っている品目が多いので、大量の買い物が短時間で済むことです。実際、小宮氏は1週間に一度スーパーによって、ワイフ(時代を感じますね)から渡された買い物リストを片手に、1週間分の買い物を1時間で終わらせていたそうです。一方、日本ではこんな感じだったそうです。

日本では八百屋、魚屋、肉屋が別々になっていて、一軒ごとにいちいち買い物を包んでもらったり、お金を渡したり、おつりをもらったり、おつりをくずしてくるから待ってくれといわれたり、また野菜や魚の場合などいちいち目方を計って、それでは多すぎるとか少しぐらいまけなさいとか、前の人の済むのを待っているとか、まったく忍耐心のいることです。

たしかに一度、スーパーのいわゆる「ワンストップショッピング」に慣れてしまうと、いちいち専門店を回るのは、大変な手間です。

もうひとつのスーパーの合理性は、薄利多売がゆえに値段が安いとのことです。「要するに」と小宮氏はスーパーについて、次のようにまとめています。「たくさんの商品を並べてお客を集め、わずかな人手でたくさんの売り上げをこなし、商品の回転率を高くするという商法」。そうであるがゆえに、大きなスーパーほど新鮮なものが売られており、長らく棚ざらしされたものを買わされる心配がなかったということでした。

小宮氏は、アメリカに比べて日本の商業が遅れていると感じていたようです。ただし日本では「アメリカのデパートのオモチャ売り場で売っている子供のママゴト用の冷蔵級」の小さな冷蔵庫しか、当時は普及していませんでした。週に1度、クルマでお店に来て、大量に買い物をして、大型冷蔵庫に保存するというライフスタイルは、日本では無理だから、アメリカ式の大規模なスーパーは普及しないと見ていました。ただスーパーが日本では全く無理だということではなく、ボストンのような大都市に立地し、徒歩での来店を前提とする小規模スーパーが、日本で普及するだろうという見立てをしています。「パーっと消える」わけではないことを「スーっと出て」きた頃に予想していたのです。50年経った今、考えてみると、この見通しの多くは当たっていると言えるでしょう。

題名の通り、この本はアメリカでの生活についてまとめたものです。しかし長い時間を経ることで、アメリカのみならず、日本の当時の商業のありようが、まざまざと浮かび上がります。時の経過が、この本の新しい価値を提供しているように思います。

面白いのは、消費者にとってのスーパーの欠点が、「大体の暗算はしてみるものの」買い物の合計額が清算するまで分からないことだ、と言っていることです。そうか、確かにそうですね。スーパーというセルフサービス業態は、買い物の合計額が分かりにくい小売業であると言えそうです。カゴに入れたら、合計額がすぐ分かる仕組みがあれば、良いかもしれません。でもそうすると買い上げ点数が減るかもしれませんね。

それにしても、「スーっと出てパーっと消える」のどうしようもない言い方が、何とも素敵でクールで堪りません。「マーケティングはモーケティング」と並ぶ名言だと思います。
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ポストイットとバンドエイドとゼロックス

多くの人は、付箋のことをポストイットと呼び、絆創膏のことをバンドエイドと呼びます。昔は、コピーをとることを、「ゼロックスする」と言っていたそうです。ポストイットはスリーエム、バンドエイドはジョンソン・エンド・ジョンソン、ゼロックスはゼロックスの登録商標ですが、こうした製品の一般名称になってしまったわけです。一般名称になってしまうと、「ポストイット」を買おうとする時に、それがスリーエムの製品かどうか、気にならなくなります。たとえコクヨの付箋であったとしても、「ポストイット」を買ってしまうわけです。これはスリーエムにとって由々しき事態であると言えますが、ことばの拡がりは時として1社の力ではどうにもならないことがあります。

辞書の仕事 (岩波新書)
増井 元
岩波書店(2013/10/19)
値段:¥ 798


『広辞苑』や『岩波国語辞典』の編集に長年携わってきたという増井元さんの『辞書の仕事』という本を読んでいると、「辞書の中の商標名」というエッセイがありました。これによりますと、エスカレーター、ドライアイス、万歩計、魔法瓶、回転ずし、ジッパーも商標登録されているんですね。不勉強でした。こうした商品名を『広辞苑』第6版は200近く載せているそうです。

マーケティング競争におけることばの問題が、こんなところにも現れており、とても興味深いです。商品名を商標登録をするのは、そもそも競合他社が、それを使うのを防ぐことにあります。しかしポストイットのように一般名称化してしまうと、他社が「一般名なんだから、1社が独占的にその名前を使うのはおかしい」と言うことができます。その際に根拠として提出されるのが「辞書に一般名称として掲載されている」という事実なのだそうです。そのため掲載に対する抗議などが企業から寄せられることがあるそうです。それでもある製品ブランドの名前が一般名称としてわれわれのボキャブラリーとして定着しているのならば、辞書編集者は、時にはそのことばを成り立ちも含めて、解説するそうです。辞書は、ことばの「かがみ」であるわけですね。実際、裁判を通じて、うどんすき、西京味噌、巨峰といった商標登録した名前は、裁判所の判断を経て、現在では一般名称として認められているそうです。

「広辞苑」も商標登録されていますが、この名称を他の製品カテゴリーにおいて用いることは妨げられません。実際、「広辞苑」という酒が売られていたそうです。このエッセイが締めは、「それが気持ちよく酔える名前かどうかは、別の問題と言うしかありません」といった感じです。きわめて穏当な形でありながらも、自分が誇りを持ってきた仕事への侵犯に対する不満表明のように読めます。ことばの解説者の立場と、ことばの当事者の立場のずれが、図らずも立ち現れているように思いました。このように、ベテラン元編集者による『辞書の仕事』は、辞書をめぐる様々な話題を穏やかな語り口で易しく紹介してくれています。
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調教されたレタス

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』には、紀ノ国屋のレタスの話が出てきます。紀ノ国屋のレタスは長持ちする、閉店後にこっそり集められて「調教」しているのではないか、といったことが書いてあったと思います。

紀ノ国屋のレタスは、戦後の流通史や食文化の変化という点から見ても、興味深いです。平松由美(1989)『青山紀ノ国屋物語―食の戦後史を創った人』(駸々堂出版)に、その詳しい経緯が説明されています。



レタスが日本で普及するきっかけは、戦後、アメリカの進駐軍が、肉を生野菜とともに食べるという習慣を持ち込んできたことだったそうです。しかし、すぐに普及したわけではありません。というのも、当時の日本では、野菜の栽培で使われていたのは下肥(人糞)であったため、病原菌に充ち満ちた田畑で収穫された野菜は生で食べることができなかったからです。アメリカ人が満足する生野菜を生産するところから始めなくてはならなかったのです。

日本のスーパーマーケットのパイオニアである紀ノ国屋は、戦前は高級果物商でした。イチゴなど果物は、当然、生で食べることができます。ですから、紀ノ国屋を創った増井徳男氏には、寄生虫卵や菌が付いていない「洗浄野菜」を栽培できるであろう農家について土地勘があったそうです。彼は、最低2年は下肥を使っていない畑において、まとまった戸数の農家が清浄野菜団地を構成できるという厳しい要件を設けました。この要件をもって増井氏は農家を説得したそうですが、当然、引き受けてくれる農家を見つけるのには骨を折ったそうです。しかしこうした厳しい品質管理がゆえに、安全な洗浄野菜が提供されるようになり、その後、下肥が化学肥料に取って代わる中で、野菜の生食が日本において定着するようになったそうです。

調教済みのレタスは、昭和20年代の増井氏の努力の賜物だということが、『青山紀ノ国屋物語』を読めば分かります。「レタスの章」の他にも、「リンゴの章」「カートとゴンドラ」「ワインの章」など、面白い話がたくさんあります。帯文の推薦者が齋藤茂太というのも味わい深いですね。二人は小学校の同級生だったそうです。こんな良い本が入手できないのは、残念な限りです。

冒頭には、こう書かれています。

一歩中に入るとたちまち野菜の緑がキラキラ光り、赤ピーマンやさやいんげんが清らかな艶を放ち、棚からこぼれ落ちそうに並ぶ果物はいかにもおいしそうで、見る者を陶然とさせる。

うちの大学がある国立にも紀ノ国屋がありますので、この気持ち、よく分かります。いまはJR東日本に買収されていますが、「不思議な胸の高まりを感じる」店作りをがんばってもらいたいですね。
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激おこぷんぷん丸

今日の4年ゼミはドーナツゼミでした。卒業論文がほぼ完成したので、単にドーナツを食べて、来週のゼミで行う卒論発表会の打ち合わせをしました。3年ゼミでは、卒論の頭出しの発表を13名全員が行いました。これを卒論を書き終えたばかりの4年生が大変クリティカルなコメントをするという非常に面白い時間でした。準備不足の発表に激おこぷんぷん丸な4年生が有り難く微笑ましかったです。

ところで「激おこぷんぷん丸」の「激」という強調表現はいつから使われたのでしょうか。小林信彦の『現代<死語>ノートII』によれば、カメラマンの篠山紀信の造語<激写>がきっかけだそうです。1979年のことばです。小林信彦は「<激写>は消えたが、<激安>は残っている。その当時は<激愛><激出(パチンコ)>なども使われたといわれる」と書いています。21世紀になって、「激」は予想のつかない大活躍をしています。それにしても岩波新書は、ことばに関する本が激多いですね。

現代“死語”ノート〈2〉1977‐1999 (岩波新書)
小林 信彦
岩波書店(2000/01/20)
値段:¥ 735

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岩波写真文庫

今日は祝日ですが、大学院の授業でした。昨年の調査出張の補講です。この時期の大学は建物の中も本当に寒いので、すっかり凍えてしまいました。

昨日は、皇居で4周走った後に、神田まで歩いて三幸園といういかにも昭和な感じの中華料理屋で早めのランチを食べて、古書街をぶらぶらするという何ともリア充な午前でした。本当に久しぶりの休日で、久しぶりに走りました。

神田では、岩波ブックセンターに久しぶりに入りました。ウェブサイトによると「岩波ブックセンターは、名前の通り岩波書店発行の書籍を中心にして、同傾向の硬派の書籍をそろえた『専門書の専門店』」だそうです。妙に力が入ってて「硬派」が4回も出てくるのが可笑しい。とくに「硬派出版社」という言い方が面白い。「軟派出版社」とは、一体どこなのでしょうか。

ただ、こんなこだわりがあるだけに、他の本屋にはない品揃えであり、お店にいるのがとても楽しかったです。また来たいと思わせる本屋ならではの魅力があります。びっくりしたのは岩波写真文庫があること。復刻版だそうです。復刻されていたとは知りませんでした。これは1950年代に出版された写真中心の文庫です。60ページぐらいの薄い冊子で、たくさんの写真が載っていて、当時の日本が世の中をどのように見ていたのか、ということを知る上で興味深いです。Wikipediaによると286冊も8年あまりで出版されたそうです。

ぼくは以前、古本市みたいなところで「アメリカ」という冊子を買いました。冒頭にこのように書かれています。

いまや、日本人の生活、感情、好奇心のうえにアメリカ合衆国ほど大きな影をなげているものはないからである。アメリカは多くのほかの國家と同じようにしばしばみる人の感につよく影響されたらしい主観的なみかたで批評された経験をその歴史のあいだにもっている。

1950年に出版されたこの冊子を見る限りでも、アメリカという存在が様々な意味で大きかったことが分かります。南博監修、名取洋之助写真とは豪華です。

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江戸時代のプロダクト・プレイスメント

今日も研究室に来ています。週末の大学は静かで快適です。

中央線の中央特快に乗っていたら、人身事故ということで、西荻窪で電車が止まってしまいました。まず降りることのない駅ですが、しょうがありません。コーヒーでも飲んで待つことにしました。駅前をうろつくと本屋がありました。今野書店です。工夫が凝らされた楽しい本屋で買ったのが、田中章夫『日本語雑記帳』です。

日本語雑記帳 (岩波新書)
田中 章夫
岩波書店(2012/02/22)
値段:¥ 840


1922年生まれの著者が、日本語にまつわる面白い話を縦横無尽に語っています。「曲学阿世の徒」から「HENTAI」、「@(アット・マーク)」に至るまで、その守備範囲と好奇心と博覧強記ぶりに感心しました。アット・マークは、ノルウェーでは、「ブタの尻尾」と呼ぶそうです。トリビアルな知識を通じて、ことばの本質を考えさせる語り口が素晴らしいです。

最初の方に、大正時代の三越の有名なコピー「今日は帝劇、明日は三越」が紹介されていました。話は、三越の前身である越後屋が江戸時代に始めたマーケティングに移ります。ドラッカーが「マーケティングは日本で生まれた」と言う時に出てくる話です。ここまでは知っていたことなのですが、さらに話題は、芝居に飛んでいきます。江戸歌舞伎の代表作(だそうです)『助六由縁江戸桜』には、「朝顔煎餅」「福山のうどん」「山川白酒」といった商品の広告が折り込まれていたそうです。これ、プロダクト・プレイスメントの一種ですね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマーティ・マクフライがカルバン・クラインのアンダーパンツをはいていたのと同じですね。勉強になりました。
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来年のテキストブック(古典講読)

年が明けると次年度の授業のシラバスを準備しなくてはなりません。ですので、テキストブックの話が続きます。今年度からMBAの「古典講読」という必修の授業を担当しています。社会科学の古典を読んでもらうという授業です。今年はヴェブレンを読みました。

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)
ソースティン ヴェブレン
筑摩書房(1998/03)
値段:¥ 1,365





「顕示的消費」(conspicuous consumption)で有名な古典です。ただし金持ちをひけらかすとか、妻や執事を着飾らせたりといった話だけをしているわけではありません。最後は大学教育の話にまで議論が展開しています。皮肉屋で世の中をはすに見ているけれども、そうであるがゆえに見えないものを読者に見せてくれるヴェブレンの面目躍如たる古典です。

さて来年はどうしましょうか。ヴェブレンを読み直すのも楽しいのですが、2つの趣の異なる本を読むのも良いかなと考えています。ひとつはチャルディーニの『影響力の武器』という本です。社会心理学者がマーケティングや広告のからくりを真面目に面白く解き明かしてくれています。社会心理学の考え方がよく理解できる良い本です。

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか
ロバート・B・チャルディーニ
誠信書房(2007/09/14)
値段:¥ 2,940






もうひとつは、コリンズの『脱常識の社会学』です。社会学者って、こんな風に世の中を見ているんだ、というのがよく分かる味わい深い本です。

脱常識の社会学 第二版――社会の読み方入門 (岩波現代文庫)
ランドル・コリンズ
岩波書店(2013/03/16)
値段:¥ 1,302


この2つを読んで、社会心理学と社会学の多種多様な理論や概念を通じて、世の中なりビジネスについて深い洞察を持てるようになると良いと考えています。2つの違うレンズを身につけることで、人間や社会についての見通しがよくなればいいなと考えています。
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来年のテキストブック(学部ゼミ)

今日は大学院のゼミでした。学部生の卒論よりも格段に専門性が高くなり、学生ごとに取り組むテーマが違うので、一品生産のクラフトマンシップが大学院生にも教員にも要求されます。

この本はその専門性の礎となる基本テキストのひとつです。長年、学部ゼミで使っています。

Consumer Behavior: Buying, Having, and Being
Michael R. Solomon
Pearson Education(2012/03/01)
値段:¥ 10,767


最近、こんなテキストを見つけました。良さそうなので、インスペクションコピーを取り寄せているところです。もしかしたらこのテキストを来年度の学部ゼミで使うかもしれません。

Why of the Buy: Consumer Behavior and Fashion Marketing
Patricia Mink Rath, Stefani Bay, Penny Gill, Richard Petrizzi
Fairchild Books(2014/09/11)
値段:¥ 11,386

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