末田 耕一
スエダ コウイチ (Kouichi Sueda)
更新日: 2022/09/19
基本情報
- 所属
- 精神科病院 日良居(ひらい)病院 精神科医 副院長
- J-GLOBAL ID
- 201301076324241989
- researchmap会員ID
- B000228556
- 外部リンク
精神科臨床一筋の精神科医。山口県岩国市出身。広島学院中学高校卒。平成2年に国立山口大学を卒業。岡山大学病院・広島大学病院で研修後、町立西城病院(現広島県庄原市)、国立呉病院、児玉病院(広島市安佐北区可部)、下永病院・松永駅前クリニック(広島県福山市)、日良居(ひらい)病院(山口県周防大島町:周防大橋により半島化)で精神科臨床にたずさわる。精神科病院・総合病院精神科・精神科クリニックでの30年近い臨床経験で、日本の精神科臨床の表も裏も知り尽くす。
平成14年(2002年)ごろより精神科臨床の激変を直感した。遺伝脳病(仮説)内因性精神病(うつ病・躁うつ病・統合失調症・非定型精神病)の新規発病の消滅と心因性(無意識の)精神障害のPTSD・神経症(フロイト型PTSD)の爆発的発病であることを理解する。
平成16~19年(2004~2007年)に広島市可部(かべ)の児玉病院で多数の「フラッシュバックを認めない複雑性広島原爆PTSD」患者を発見し、診断・治療を行う。「広島原爆PTSD」患者は「晩発性複雑性広島原爆PTSD(被爆後60年以上無症候で高齢期に発病)」と「遅発性複雑性広島原爆PTSD(被爆後10年ぐらい経って発病し人生の大部分を難治性統合失調症として精神科病院で過ごす)」の2種類が存在する。
アメリカが「トラウマ(フラッシュバック)を消すPTSD治療」に失敗した新規向精神薬(SSRI・SDA)単剤・少量を用いた独自の薬物療法「中核トラウマ薬物強化受容療法」「化学的フラッシュバック誘発療法」「ラポール・新規向精神薬療法」を広島原爆PTSD治療を通して確立した。
平成16年(2004年)より広島県医師会雑誌「広島医学」に「成人発病遅発性複雑性(フラッシュバックのない)児童虐待トラウマPTSD」症例報告掲載を手始めにPTSD論文7編を発表。論文掲載を妨害されたために、平成19年(2007年)より学会発表を開始する。
2007~2017年(平成19~29年)までに「広島医学」論文を含めて「日本最多のPTSD33症例発表」を行う。
2017年113回日本精神神経学会学術総会:名古屋では発表申し込みをした3演題が全て「理由なき不採択(憲法21条違反の検閲)」で妨害される。
2017年11月、世界で唯一の「複雑性PTSDの薬物治療本」である「うつという医学の言葉は存在しない~ヒロシマで見つけた無意識の病PTSDの薬物療法」(文芸社:1512円)を出版する。
「PTSD(とくに複雑性PTSD)の研究史の中にご自身の臨床経験を位置づけ、深い苦悩を背負い続けてこられた患者の立場に立って、実証的に論理的に書かれている著者の医師・精神医学者としての人間性・生きる姿勢に、深い共感と敬意の念を覚えずにはいられません。」
「日本帝国陸軍と精神障害兵士」「ハンセン病児問題史研究」著者
清水寛 埼玉大学名誉教授の帯書
232ページ「中井久夫先生からの手紙」
「各種文献を熟読され、ことに最近では世界的に忘れられている、(ハリー・スタック)サリバンやリフトンの著作を読みこなされて、PTSDを中心とする外傷性障害の診断と治療に深い思索をなさっているように感じました」
2006年(平成18)年の「PTSDをうつ病と誤診し薬物治療と称してアクチべーション・シンドロームで自殺を促進する基本法」制定以来の日本社会全体の歴史的な「PTSD否認」(福島原発事故・東日本大震災を経験してなお続く)の風潮から、私の精神医学の革命的な研究は全面的に「否認」され、否認した17000人の日本人精神科医と日本精神医療はとめどもない荒廃と崩壊を続けている。
世界の精神科医でただ一人、「長崎・広島原爆~東海村JCO臨界事故~福島原発事故放射能恐怖~北朝鮮核恐怖トラウマPTSD」という「現実」を直視し、日本人と世界の生き残りをかけた真の精神医学研究を続けている。
精神保健指定医
日本精神神経学会専門医
日本精神神経学会指導医 日本精神神経学会は2019年に退会予定
「うつという医学の言葉は存在しない~ヒロシマで見つけた無意識の病PTSDの薬物療法」は国営学術情報システム「リサーチマップ」 公開の「広島医学」論文とリンクしてます http://researchmap.jp/muratazouroku/
2018年 国連(WHO)の新診断基準(ICD-11)に「複雑性PTSD」が登場。「PTSD=全てが複雑性PTSD」に取り組んできたのは17000人の日本人精神科医で私ただ一人です。
平成14年(2002年)ごろより精神科臨床の激変を直感した。遺伝脳病(仮説)内因性精神病(うつ病・躁うつ病・統合失調症・非定型精神病)の新規発病の消滅と心因性(無意識の)精神障害のPTSD・神経症(フロイト型PTSD)の爆発的発病であることを理解する。
平成16~19年(2004~2007年)に広島市可部(かべ)の児玉病院で多数の「フラッシュバックを認めない複雑性広島原爆PTSD」患者を発見し、診断・治療を行う。「広島原爆PTSD」患者は「晩発性複雑性広島原爆PTSD(被爆後60年以上無症候で高齢期に発病)」と「遅発性複雑性広島原爆PTSD(被爆後10年ぐらい経って発病し人生の大部分を難治性統合失調症として精神科病院で過ごす)」の2種類が存在する。
アメリカが「トラウマ(フラッシュバック)を消すPTSD治療」に失敗した新規向精神薬(SSRI・SDA)単剤・少量を用いた独自の薬物療法「中核トラウマ薬物強化受容療法」「化学的フラッシュバック誘発療法」「ラポール・新規向精神薬療法」を広島原爆PTSD治療を通して確立した。
平成16年(2004年)より広島県医師会雑誌「広島医学」に「成人発病遅発性複雑性(フラッシュバックのない)児童虐待トラウマPTSD」症例報告掲載を手始めにPTSD論文7編を発表。論文掲載を妨害されたために、平成19年(2007年)より学会発表を開始する。
2007~2017年(平成19~29年)までに「広島医学」論文を含めて「日本最多のPTSD33症例発表」を行う。
2017年113回日本精神神経学会学術総会:名古屋では発表申し込みをした3演題が全て「理由なき不採択(憲法21条違反の検閲)」で妨害される。
2017年11月、世界で唯一の「複雑性PTSDの薬物治療本」である「うつという医学の言葉は存在しない~ヒロシマで見つけた無意識の病PTSDの薬物療法」(文芸社:1512円)を出版する。
「PTSD(とくに複雑性PTSD)の研究史の中にご自身の臨床経験を位置づけ、深い苦悩を背負い続けてこられた患者の立場に立って、実証的に論理的に書かれている著者の医師・精神医学者としての人間性・生きる姿勢に、深い共感と敬意の念を覚えずにはいられません。」
「日本帝国陸軍と精神障害兵士」「ハンセン病児問題史研究」著者
清水寛 埼玉大学名誉教授の帯書
232ページ「中井久夫先生からの手紙」
「各種文献を熟読され、ことに最近では世界的に忘れられている、(ハリー・スタック)サリバンやリフトンの著作を読みこなされて、PTSDを中心とする外傷性障害の診断と治療に深い思索をなさっているように感じました」
2006年(平成18)年の「PTSDをうつ病と誤診し薬物治療と称してアクチべーション・シンドロームで自殺を促進する基本法」制定以来の日本社会全体の歴史的な「PTSD否認」(福島原発事故・東日本大震災を経験してなお続く)の風潮から、私の精神医学の革命的な研究は全面的に「否認」され、否認した17000人の日本人精神科医と日本精神医療はとめどもない荒廃と崩壊を続けている。
世界の精神科医でただ一人、「長崎・広島原爆~東海村JCO臨界事故~福島原発事故放射能恐怖~北朝鮮核恐怖トラウマPTSD」という「現実」を直視し、日本人と世界の生き残りをかけた真の精神医学研究を続けている。
精神保健指定医
日本精神神経学会専門医
日本精神神経学会指導医 日本精神神経学会は2019年に退会予定
「うつという医学の言葉は存在しない~ヒロシマで見つけた無意識の病PTSDの薬物療法」は国営学術情報システム「リサーチマップ」 公開の「広島医学」論文とリンクしてます http://researchmap.jp/muratazouroku/
2018年 国連(WHO)の新診断基準(ICD-11)に「複雑性PTSD」が登場。「PTSD=全てが複雑性PTSD」に取り組んできたのは17000人の日本人精神科医で私ただ一人です。
研究キーワード
14経歴
11-
- 2016年4月
論文
7-
広島医学→「デーブ・グロスマンを参照」 60(3) 193-203 2007年3月
-
広島医学→「晩発性原爆ブラブラ病」 59(11) 814-830 2006年11月
-
広島医学→「結局みんな複雑性PTSD」 59(7) 578-589 2006年7月
-
広島医学 → 「GADとSADに見えるPTSD」 59(2) 159-169 2006年2月
-
広島医学→「膵臓癌術後PTSD」 58(3) 243-254 2005年3月
-
広島医学→「84~88歳治療で完治、103歳で死亡」 57(9) 740-749 2004年9月
-
広島医学→「リスカは人格障害ではない」 57(5) 479-485 2004年5月
MISC
34-
精神神経学雑誌 119(6) 441 2017年6月25日
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 112th S319 2016年
-
オバマ大統領ヒロシマ訪問から1週間で発表 日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 112th S535 2016年
-
精神神経学雑誌 117(5) 380 2015年5月25日
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 111th S.555 2015年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 111th S.363 2015年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 111th S.765 2015年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 110th S.367 2014年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 110th S.412 2014年
-
精神神経学雑誌 115(6) 682 2013年6月25日
-
精神神経学雑誌 115(6) 679-680 2013年6月25日
-
山口県医学会誌→「これ以後の抄録登録は検閲」 (47) 179 2013年3月
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 109th S.663 2013年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 109th S.648 2013年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 109th S.376 2013年
-
精神神経学雑誌 114(4) 464 2012年4月25日
-
精神神経学雑誌 114(4) 464 2012年4月25日
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 108th S.269 2012年
-
日本精神神経学会総会プログラム・抄録集 108th S.280 2012年
-
精神神経学雑誌 113(5) 520 2011年5月25日
書籍等出版物
2-
文芸社 2017年10月 (ISBN: 4286187942)
-
講談社 2012年9月 (ISBN: 4062843617)
講演・口頭発表等
21-
123回周南医学会:柳井市、病休により演題取り下げ 2017年11月
-
58回中国四国精神神経学会:徳島、病休により演題取り下げ 2017年11月
-
第6回日本精神科医学会学術大会:広島 2017年10月
-
第6回日本精神科医学会学術大会:広島 2017年10月
-
113回日本精神神経学会学術総会:名古屋、理由なく発表不採択「憲法21条違反の検閲」 2017年
-
113回日本精神神経学会学術総会:名古屋、理由なく発表不採択「憲法21条違反の検閲」 2017年
-
113回日本精神神経学会学術総会:名古屋、理由なく発表不採択「憲法21条違反の検閲」 2017年
-
第5回日本精神科医学会学術大会:仙台 2016年11月16日
-
第5回日本精神科医学会学術大会:仙台 2016年11月16日
-
122回周南医学会:柳井市 2016年10月23日
-
121回周南医学会:周防大島町 2015年10月25日
-
第4回日本精神科医学会学術大会:沖縄 2015年10月8日
-
第4回日本精神科医学会学術大会:沖縄 2015年10月8日
-
第3回日本精神科医学会学術大会 名古屋 三回発表してこれが完成形 2014年10月
-
第3回日本精神科医学会学術大会 名古屋 2014年10月
-
第1回日本精神科医学会学術大会 2012年10月
-
第1回日本精神科医学会学術大会 2012年10月
-
117回周南医学会 2012年の 「山口県医学会誌」が題名だけで抄録を掲載せず「JーGLOBAL」に収録されませんでした 2011年11月
-
120回周南医学会 2014年10月
-
54 回中国四国精神神経学会 2013年12月5日 抄録はプログラムに掲載されたがけがで演題取り下げしたら2014年の「精神神経学雑誌」には掲載されず→2015年111 回総会:大阪で発表
所属学協会
1その他
1-
2018年2月 - 2018年2月「うつという医学の言葉は存在しない~ヒロシマで見つけた無意識の病PTSDの薬物療法」 文芸社 ◎100人を超す精神保健指定医資格の不正取得者とその幇助者 ◎上(厚労省)からの規制でようやく歯止めがかかった多剤併用大量処方と依存性薬剤の乱処方 ◎蔓延する有害無益な電気ショック「治療」 ◎ニュージーランド青年の拘束死に象徴される不適切な拘束と隔離 全ての源は、日本で発見された 「(広島原爆)PTSDの有効な薬物療法」臨床研究への否認だった! 帯書後面 「真実」の隠蔽が日本精神医学をとことんまで腐らせている。東大卒のカリスマ精神科医ゆうきゆうや鹿児島のメンクリ精神科医の山口龍郎が患者に与えた性被害。 隠蔽1 野口英世の最大の業績である「進行性麻痺(脳梅毒)の病因発見」が明記された一般書を見たことがない。 隠蔽2 学会で全国回るついでに大村益次郎先生の史跡巡りしていて気がついた。司馬遼太郎の「花神」も共犯者。 暗殺されることになった大阪への軍事施設集中配備のための視察の目的は、木戸孝允と計画した釜山出兵のためだった。司馬遼太郎も参考にした証拠文献を広島の古書店で入手。