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【評伝】ホワイティ・ハーゾグ氏--1970年代と1980年代の大リーグを象徴する偉大な指導者

現地時間の4月15日(月)、大リーグのセントルイス・カーディナルスなどで監督を務めたホワイティ・ハーゾグ氏が死去しました。享年92歳でした。


イリノイ州ニューアセンズ出身のハーゾグ氏はニューアセンズ高校で左投げ左打ちの選手として一塁手、投手、外野手を務め、バスケットボールでもガードを担当するなど優れた運動能力を示し、イリノイ大学やセントルイス大学が興味を示す逸材でした。


1949年に高校を卒業すると大学には進学せず、ニューヨーク・ヤンキースと契約したハーゾグ氏は、傘下のD級スーナー・ステート・リーグのマッカリスター・ロッキーズでプロ選手としての第一歩を記しました。


ヤンキースのマイナー球団を着実に上の級へと進む中で、ハーゾグ氏の明るい金髪がヤンキースに所属していたボブ・クザヴァの髪の色に似ているということで、「ホワイト・ラット」と呼ばれたクザヴァにあやかり「ホワイティ」という綽名を与えられたのでした。


当時は朝鮮戦争が続いていたため、1952年のシーズンを終えると陸軍に徴兵され工兵として軍役に服したハーゾグ氏は1955年に球界に復帰し、翌年ワシントン・セネタースで待望の大リーグ昇格を果たします。


その後、カンザスシティ・アスレティックス、ボルティモア・オリオールズ、デトロイト・タイガースと球団を遺棄したハーゾグ氏は、1963年に現役を引退します。


634試合に出場し、通算安打414、通算本塁打25、通算打点172、通算打率.257という成績で8年に及ぶ大リーグでの生活を終えたハーゾグ氏は、1965年にアスレティックスのコーチとなったことで、指導者の道を進むようになります。


翌年にはニューヨーク・メッツに移籍して監督のウェス・ウエストラムの下で三塁コーチを務め、1967年からは選手育成部長に就任するとともに、フロリダ教育リーグのメッツの監督も務め、初めて球団を指揮する経験をします。


その後6年にわたりフロリダ教育リーグを担当したハーゾグ氏の下からは、ジョン・ミルナー、ウェイン・ギャレット、アモス・オーティス、ノーラン・ライアン、ケン・シングルトンなど大リーグで活躍した選手たちが育ちました。


当時メッツの会長であったドナルド・グラントと対立していたハーゾグ氏は1972年に球団を去り、11月2日にテッド・ウィリアムズの後任としてテキサス・レンジャースの監督となります。このとき、ハーゾグ氏は40歳でした。


しかし、138試合で47勝91敗、勝率.341と成績が不振であったためハーゾグ氏はシーズン途中で解任されてしまいます。その後継者となったのは、後にハーゾグ氏とアメリカン・リーグの覇権を巡って激しく競い合うことになるビリー・マーティンでした。


翌年にカリフォルニア・エンゼルスの三塁コーチを務めたハーゾグ氏は、1975年にカンザスシティ・ロイヤルズ監督のジャック・マッキーオンが解任されたことを受けてシーズン途中でロイヤルズの監督となります。


ことのき、ロイヤルズにはジョージ・ブレット、ジョン・メイベリー、ポール・スプリットオフ、ハル・マクレー、フランク・ホワイト、フレディ・パテック、クッキー・ロハス、ダグ・バード、アモス・オーティス、デニス・レナード、ハーモン・キルブリューらがおり、ハーゾグ氏を迎えたチームは最終的にオークランド・アスレティックスに7ゲーム差を付けてアメリカン・リーグ西地区の2位となりました。


途中で球団を継いだハーゾグ氏は翌年も監督を務めると1976年から1978年まで3年連続で地区優勝を達成し、ロイヤルズを強豪球団とします。


ハーゾグ氏は優れた守備、本塁打ではなくライナー性の当たりを重視する打撃、機動力の活用、堅実な投手陣を前提として試合を進め、打ち勝つ野球ではなく確実に対戦相手よりも1点でも多く取ることを目指しました。


そのようなハーゾグ氏の試合運びは「ホワイティ・ボール」と呼ばれ、本拠地ロイヤルズ・スタジアムが球足が速く走者に有利な人工芝の球場であったことを巧みに利用したことで大きな成果を収めました。


一方で1979年に地区4連覇を逃すと、ロイヤルズを所有していたユーイング・カウフマンとの対立が表面化して解任され、セントルイス・カーディナルスの監督に迎えられます。


やはりロイヤルズ・スタジアムと同様にグラウンドに人工芝を張り、走者に有利な球場であったブッシュ・スタジアムを本拠地としたカーディナルスでも「ホワイティ・ボール」を実践したハーゾグ氏は1982年に念願のワールド・シリーズを制覇し、1985年と1987年にもナショナル・リーグを制覇します。


そして、1990年のシーズン途中で成績の低迷を理由に解任されると、1992年にエンゼルスのゼネラル・マネージャーに就任し、1994年1月に辞任するまで、選手、コーチ、監督、ゼネラル・マネージャーとして球界で45年間を過ごしたのでした。


本塁打と機動力を重視した攻撃的な野球を実践したビリー・マーティンの「ビリー・ボール」とともに1970年代から1980年代の球界を牽引したハーゾグ氏は、優れた監督であるだけでなく、球史に残る選手たちを育てた指導者でもありました。


1949年のヤンキースが指名したもう一人の選手がミッキー・マントルであったことを含め、大リーグの歴史に大きな足跡を残したのがハーゾグ氏であり、野球殿堂での顕彰をもってしてもその功績を語りつくすことはできない存在なのです。


<Executive Summary>
Critical Biography: Whitey Herzog, a Great Manager of the Baseball of the 1970th and the 1980s (Yusuke Suzumura)


Mr Whitey Herzog, a Home of Famer and fromer mangaer of the St. Louis Cardinals and other teams, had passed away at the age of 92 on 15th April 2024. On this occasion, we examine his efforts and achievements.

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ヘンリー・マンシーニの生誕100年を祝す

昨日はヘンリー・マンシーニが1924年4月16日に生まれてから100年目の記念日でした。


映画だけでなくテレビドラマからアニメ番組まで多数の音楽を手掛けたマンシーニは文字通り付随音楽の巨匠と呼ぶにふさわしい存在でした。


その中には映画『ティファニーで朝食を』(原題:Breakfast at Tiffany's、1961年)や『ピンクの豹』(原題:The Pink Panther)の連作(1963年から1993年)などの映画史に残る傑作やテレビドラマ『刑事コロンボ』(原題:Columbo、1968年から2003年)の主題曲のように今も人々に親しまれる作品などを世に送り出しました。


また、担当作品の多さは『スペースバンパイア』(原題:Lifeforce、1985年)のような、興行的には振るわなかった作品でも主題曲をはじめ主要な音楽をものするといったことからも窺われます。


その中で私が特に気に入っているのは、マイケル・ケインが「シャーロック・ホームズを演じたレジナルド・キンケイド」を演じ、アベン・キングズレーが「世界最初の犯罪学博士」であるジョン・ワトソンを務めた『迷探偵シャーロック・ホームズ/最後の冒険』(原題:Without a Clue、1988年)です。


「マンボ」と「マンバ」を取り違え、「マンボとマンバ、何か違いがあるのか」とワトソンに尋ねると「全然別物だ。マンボはカリブ海の愉快な踊り、マンバは恐ろしい毒蛇だ」と呆れられたり、ワトソンの描いた台本通りに事件の詳細を新聞記者たちに解説した際に著名な記者に「見る」(see)と「観察する」(watch)の違いを得意そうに説明し、「諸君は見るだけて、私は観察している」と豪語してワトソンにたしなめられる様子は作品の喜劇的な側面を象徴的に描き出します。


一方、名探偵ホームズがワトソンによって作り出された虚像であり、真に倒すべきはワトソンであることを知っているモリアーティー教授との対決では、「華麗な剣の使い手」として昼間の舞台でも夜の公演でも数多くの敵役を倒したホームズが"once more unto the breach"とシェークスピアの『ヘンリー五世』の台詞とともに劇場の奈落に飛び込む様子などはどこか滑稽に思われながら、事件が解決した後に状況の説明を求める記者団に概況を伝えた後に「私の友人なしには事件を解決することは出来なかった」と初めてワトソンへの謝意を伝えるところに二人のきずなの強さが示されるなど、"Without a Clue"は「ホームズもの」として様々な見せ場を持つ優れた作品です。


この様な作品を音楽面で支えたのがマンシーニで、特に主題曲のクラリネットの軽やかな吹奏と弦楽器の滑らかな旋律とはその音楽の魅力を凝縮したものでした。


惜しくもマンシーニは1994年に逝去し、今は新たな旋律を耳にすることは出来ません。


それでも、これまでの数多くの音楽はこれからも様々な作品を一層彩り豊かなものすることでしょう。


<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions of Dr Henry Mancini's 100th Anniversary (Yusuke Suzumura)


The 16th April, 2024 was Dr Henry Mancini's 100th Anniversary. On this occasion, I remember miscellaneous impressions of Dr Mancini.

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衆院3補選の告示に際しわれわれは候補者にを望むか

本日、4月28日(日)に投開票される衆議院の3選挙区における補欠選挙が告示されました。


今回は、以下の通り東京都第15区に9人、島根県第1区に2人、長崎県第3区に2人が立候補しています(以下、敬称略、届け出順)。


【東京都第15区】
福永活也(諸派、新)
乙武洋匡(無所属、新)
吉川里奈(参、新)
秋元司(無所属、元)
金沢結衣(維、新)
根本良輔(諸派、新)
酒井菜摘(立、新)
飯山陽(諸派、新)
須藤元気(無所属、新)


【島根県第1区】
錦織功政(自、新)
亀井亜紀子(立、元)


【長崎県第3区】
山田勝彦(立、元)
井上翔一朗(維、新)


東京都第15区は柿沢未途氏が江東区長選を巡る公職選挙法違反の罪に問われ、長崎県第3区は谷川弥一氏が政治資金パーティー収入を巡る政治資金規正法違反で立件されてそれぞれ辞職したことに伴う補選のため、両氏が所属していた自民党は独自の候補の擁立を見送りました。


そのため、特に東京15区では有力な候補者が不在となり、各党各派がそれぞれ独自の候補を擁立しつつも有利に選挙戦を進めうるだけの支持基盤を持つ者が見当たらないのが実情です。


もちろん、1946年の第22回衆議院議員総選挙における東京都第2区のように定数12人に対して133人が立候補したため票が分散し、12人目の当選者が法定得票数に達せず再選挙になったような事態が再び生じる可能性は高くないかも知れません。


しかし、乱立ともいうべき多数の候補者が立候補する場合、他の公職選挙と同様に多くの票を獲得できることが見込めない候補者の中には、しばしば自らの知名度を向上させるための宣伝の場として選挙を捉えていることが少なくないものです。


そして、そのような候補者の掲げる公約や主張は多くの場合有権者の注意を惹くことを目的とするために過激で実現が難しいものとなりがちです。


それだけに、良識ある東京15区の有権者はそのよき判断力を善用することが期待されますし、今回の3つの補選で唯一与野党が対立する候補者を擁した島根1区も、野党第1党と第2党の争いとなる長崎3区も、充実した論戦によって有権者がよりよい選択を行えるよう、候補者が誠意ある選挙戦を行うことが不可欠となります。


<Executive Summary>
What Is the Required Element for the Candidates of Three By-Elections? (Yusuke Suzumura)


Three By-Elections of the House of Representatives of Tokyo (the 15th District), Shimane (the 1st District), and Nagasaki (the 3rd District) were notified on 16th April 2024. On this occasion, we examine the required element for all candidates of each district.

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大谷翔平選手の「日本選手最多タイの通算175本塁打」の持つ意味は何か

現地時間の4月12日(金)、大リーグのロサンゼルス・ドジャースに在籍する大谷翔平選手が今季4号本塁打を放ち、大リーグでの通算本塁打数を175本として、松井秀喜さんが持つ日本選手の最多記録に並びました。


大谷翔平選手は、2021年7月4日に松井秀喜さんが2004年に記録した日本選手の年間最多本塁打31本に並びました。


その際に本欄が指摘したように、2005年から2020年までの16シーズンにわたり、松井選手自身を含め、野手として大リーグに所属した日本選手が年間最多本塁打記録を更新できなかったことは、一面において打撃術には優れていても長打力に劣るという大リーグにおける日本野手に対する通説的な考えが妥当であることを示唆します。


また、他面においては、2004年の松井選手が、日本屈指の長距離打者として大リーグに挑戦し、実力を遺憾なく発揮できたことを推察させるものでした[1]。


今回の通算本塁打記録も同様で、これまでにもその時々の日本のプロ野球界を代表する長距離打者が大リーグに挑戦したものの、長期にわたって活躍することが難しかったという点を含めて日本での実績を反映させることができないまま今日に至っていました。


そのような中で大谷選手がこれまで並ぶことも難しかった松井秀喜さんの記録に到達したことは、もちろん豊かな才能と、その資質をさらに向上させる不断の努力の成果です。


それとともに、いわゆるフライボール革命や様々な機器や手法の発達により、実力を備えた選手がより効率的に本塁打を放ちうる環境が整っているという日米の球界の現状の見逃せません。


従って、今後大谷選手が日本選手最多の通算本塁打記録を達成し、場合によっては今季中に秋信守選手が持つアジア選手の通算本塁打記録218本を更新したとしても、松井選手の功績も秋選手の偉業も色あせることはありません。


その意味で、新たな記録を樹立して歴史を塗り替えることは、それまでの歴史を過去のものとするのではなく、むしろ呼び起こす営みでもあり、新たな視座を通して先人の軌跡が改めてわれわれに示されるのです。


[1]鈴村裕輔, 2021年の大谷翔平選手は年間50本塁打を達成するか. 2021年7月6日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/a0cc62f26c53f2a0e59257f6dca28c66?frame_id=435622 (2024年4月15日閲覧).


<Executive Summary>
Mr Shohei Ohtani's 175th Career Home Run in Major League Baseball Shines a Light on the Past (Yusuke Suzumura)


Mr Shohei Ohtani of the Los Angeles Dodgers hit 175th career home run in Major League Baseball on 12th April 2024. On this occasion, we examine the meaning of Mr Ohtani's achievement to history of the MLB.

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目黒区長選挙の告示

今日、4月21日(日)に投開票される目黒区長選挙が告示され、現職と新人の合わせて5人が立候補しました。


立候補したのは、届け出順に以下の5人です。


伊藤悠
青木英二
河野陽子
瀧下隆行
西崎翔
(以上、敬称略)


今回の選挙は、6選を目指す青木英二候補を目黒区議から東京都議に転身した伊藤悠候補と西崎翔候補、そして目黒区議の任期が3期目となった河野陽子候補が追い、区政かんっ系では初めて名前の登場する瀧下隆行候補が続く構図となります。


2020年の前回の区長選から本格的に争点の一つとなった多選批判を受け、青木候補は区長の職は今回をもって最後とし、自らの集大成の選挙と位置付けています。


こうした形で立候補することは決して珍しいことではないものの、求心力の低下は避けられません。しかも、前回の区長選挙では2016年の選挙までは優位に選挙戦を進めていたものの3人が争った2020年の選挙では落選した2人の候補者の得票を合計よりも得票数が少ないという1回目の選挙以来の苦戦を強いられたこともあり、有力な候補者が相次いで立候補することとなりました。


結果として、特別区の区長公選制が復活した1975年以降で最多となる5人が立候補した今回の選挙はかつてない熾烈な選挙戦になることが予想されます。


それとともに、青木英二候補の集票力が落ち、区議を経験した新顔のいずれもが区内において知名度が高い今回の選挙では、票が分散し、有効投票数の4分の1を獲得する候補者が現れず、法定得票数を下回ることで再選挙になる可能性もありえます。


そうなれば区政の遅滞は免れることができません。


それだけに、選挙戦において各候補者が真摯な論戦を行うことでわれらがまち目黒区の将来をよりよいものにするとともに、1987年を最後に投票率が40%を下回り続け、2004年以降の平均が約29.06%に留まる状況からも、有権者が積極的に投票所に向かうことが期待されます。


<Executive Summary>
The Notice of the Ward Mayor Election of Meguro (Yusuke Suzumura)


The Notice of the Ward Mayor Election of Meguro was conducted on 14th April 2024 and five candidates enter the campaign. On this occasion, we examnine the meaning of this election.

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團伊玖磨の芸術の奥行と幅の広さを示した『クラシックの迷宮』の特集「團伊玖磨の軌跡」

今夜のNHK FMの『クラシックの迷宮』は、今年4月7日に團伊玖磨が生誕100年を迎えたことを記念し、特集「團伊玖磨の軌跡~生誕100年に寄せて~」が放送されました。


童謡『ぞうさん』や合唱曲『筑後川』、あるいは歌劇『夕鶴』で広く知られるとともに、随筆『パイプのけむり』でも知名な團伊玖磨ではあるものの、その他の作品が演奏会で取り上げられる機会はまれで、録音の数にも限りがあり、放送で紹介されることも決して多くありません。


しかし、世界の音楽界の最新の動向をよく把握し、その時々の楽壇の潮流を反映した作品を作り出したことは、例えばストラヴィンスキーやショスタコーヴィチの音楽の影響を濃厚に受けた交響曲第1番を耳にするだけでも明らかです。


さらに、1960年にニューヨークに長期滞在した際に米国の楽壇の音楽作りに触発され、「灰色の音楽を目指した」交響曲第3番などは、自信家であった團伊玖磨が「成功しなかった」と評価したものの、作品そのものの水準の高さは自らの芸術の確立に向けて不断に挑戦する創造力に富む姿を明瞭に描き出します。


これに加えて、團伊玖磨が世相にも敏感であったことは、番組の中で紹介された映画音楽『世界大戦争』(1961年)からも明らかです。


すなわち、私も著書『政治家 石橋湛山』(中央公論新社、2023年)で本作を取り上げ、「『第三次世界大戦はいつ起きても不思議ではない』という社会全体が抱いてい漠然とした不安」が『世界大戦争』の中に羽五されていることを指摘したように[1]、当時の世界は1962年のキューバ危機によって文字通り第三次世界大戦の開戦直前まで迫っていたものでした。


こうした時代の雰囲気が『世界大戦争』から取り上げられた「第三次世界大戦」「世界最後の日」「エンディング」の中に活き活きと映し出されており、特に『お正月』の巧みな引用は、物語の悲劇的な結末を一層際立たせるものです。


それだけに、今回の放送は著名ながら作品が紹介される割合の少ない團伊玖磨の芸術の奥行と幅の広さを示すとともに、その識見の高さをも聴取者に強く印象付けたと言えるでしょう。


[1]鈴村裕輔, 政治家 石橋湛山. 中央公論新社, 2023年, 254頁.


<Executive Summary>
The Featured Programme of the "Labyrinth of Classical Music" Emphasises the Important Meaning of Dan Ikuma and His Art (Yusuke Suzumura)


The NHK FM's programme "Labyrinth of Classical Music" featured Dan Ikuma to celebrate his 100th anniversary on 13th April 2024. On this occasion, this programme demostrates that the art of Dan Ikuma's importance and meaningfulness.

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公式晩餐会での岸田文雄首相の演説の持つ大きな意味

現地時間の4月11日(木)、米国を国賓待遇で訪問中の岸田文雄首相は連邦上下両院合同会議で演説し、「米国は独りではありません。日本は米国と共にあります。」と日米の連携と結束の強さを示しました[1]。


1981年5月の日米首脳会談の際に当時の鈴木善幸首相が日米同盟に軍事的意味合いは含まないと発言し、反発した伊東正義外相が辞任するとともに日米関係が悪化したことを思えば、隔世の感を禁じ得ないものです。


一方、上下両院合同会議における演説と同様に隔世の感を禁じ得ないのが、現地時間の4月10日(水)に行われたジョー・バイデン大統領が主催した公式晩餐会での岸田首相の演説でした。


すなわち、岸田首相は演説の締めくくりとして、"Boldly go where no one has gone before."と発言しました。


これは、テレビドラマ"STAR TREK"(TOS)の冒頭でのカーク艦長が物語のあらましを紹介する"Boldly go where no man has gone before."という表現を踏まえつつ、テレビ版第2作"STAR TREK: The Next Generation"(TNG)の第1シーズン第6話の題名"Where No One Has Gone Before"(1987年)を参照した一文です。


それでは、従来"no man"とされていた表現がなぜ"no one"となったのでしょうか。


TNGの"Where No One Has Gone Before"の中では具体的な説明話されていないものの、4年後に製作されたTNGの映画版第6作"Star Trek VI: The Undiscovered Country"(ST6)に、表現の変更の手掛かりが示唆されています。


すなわち、衛星プラクシスが不慮の事故によって爆発したことで窮地に追い込まれたクリンゴン帝国が長年対立してきた地球連邦と和平交渉を行おうとした際、和平派の宰相ゴルコンが帝国の首脳とともにカーク艦長の指揮する宇宙艦エンタープライズ号に到着します。


一行を歓待するべく行われた祝宴は、双方の感情的な隔たりからよそよそしいものとなり、ゴルコンの息女アゼトバーが「地球連邦は地球人中心の集まり」と批判すると、エンタープライズ号の船医であるマッコイ博士が「違う」と言下に否定するなど、険悪さを増してゆきます。


その後、ゴルコンの暗殺とカーク艦長とマッコイ博士の逮捕、そしてエンタープライズ号の乗員による真相の究明などを経て両勢力は念願の和平協定の調印に成功します。


そして、物語の最後に右から2番目の星を目標に定めて新たな航行を行うエンタープライズ号を背景としつつ、カーク艦長が発言したのが"Boldly go where no man... no one has gone before."という一文でした。


ここから、当初は従来通り"no man"としようとしたものの、アゼトバーの「地球人中心の地球連邦」という批判を思い出し、より広い概念として"no one"を用いることで人類に限らず誰もが到達したことのない地を目指すという普遍性を強調したのでした。


岸田首相の公式晩餐会における演説も、性的少数者などへの差別を解消することを目指すバイデン政権を念頭に置き、TOSの"no man"ではなく、ST6で描かれた「地球人中心」を避けるための"no one"の使用に参照し、「男性中心」と受け取られない表現に改めたことが推察されます。


"STAR TREK"の連作は"STAR WARS"と並び米国内で幅広い世代から高い支持を得ています。


従って、岸田首相の表現を耳にすれば米国人の多くは出典を理解することでしょう。


それとともに、より熱心な"STAR TREK"の愛好家であれば"man"が"one"となっている含意にも容易に気づくことが出来ます。


その意味で、今回の岸田首相の公式晩餐会での演説は米国の社会的、文化的な背景をも知悉するよい原稿の書き手がいることを示すとともに、「外交の岸田」という自負が決して偽りではないことをも明らかにするものなのです。


[1]米国連邦議会上下両院合同会議における岸田内閣総理大臣演説. 首相官邸, 2024年4月11日, https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2024/0411enzetsu.html (2024年4月12日閲覧).


<Executive Summary>
"No One" or "No Man", What Is the Difference? (Yusuke Suzumura)


Japanese Prime Minister Fumio Kishida visits the USA and made a speech at the Official Dinner hosted by US President Joe Biden on 10th April 2024. At that time Prime Minister Kishida said the phrase "Boldly go where no one has gone before." to emphasise the ties and relationships between Japan and the USA. On this occasion, we examine the meaning of his speech.

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東京都立青山高等学校第79回入学式における祝辞

去る4月9日(火)、東京都立青山高等学校の第79回入学式が行われました。


式の概要については本欄でご紹介した通りであり[1]、私も青山高校の同窓会である一般財団法人外苑会を代表して祝辞を述べる機会を頂戴しました。


そこで、今回は祝辞の内容を以下にご案内いたします。


なお、当日は若干字句を補ったことをご了承ください。


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東京都立青山高等学校第79回入学式祝辞


ただいまご紹介にあずかりました、東京都立青山高等学校の同窓会である一般財団法人外苑会理事の鈴村裕輔でございます。


新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。このよき日に晴れて入学式を迎えられた新入生の皆様はもとより、ご家族、ご親族の皆様、そして青山高校の教職員の皆様におかれましても、心からお祝い申し上げます。


青山高校の同窓会は最初の卒業生を輩出した1945年に結成され、2019年10月1日にはより一層継続的で透明性の高い活動を行うためそれまでの任意団体から一般財団法人に移行しました。そして、2020年4月22日に名称を東京都立青山高等学校同窓会から外苑会に変更し、現在に至っています。


青山高校の公式ウェブサイトに「政治、経済、文化、芸術、スポーツ、芸能の各分野の第一線で活躍する3万余の有為の卒業生を輩出してきました。」とあるように、青山高校の卒業生は社会を牽引する存在として活躍しています。


外苑会は、そのような卒業生の交流を促進するとともに、在校生の皆さんがよりよい学びを実現できるよう給付型奨学金を2017年度に創設したほか、新入生の皆さんに英語教材を寄贈するといった取り組みを行っています。


さて、今皆さん体育館の壇上に目を向けると、向かって右側に校章を染め抜いた校旗が掲げられていることがご覧いただけると思います。


皆さんも制服につけている青山高校の校章は笹の葉、雪の結晶、そしてペンを組み合わせたものです。雪の結晶は雪の明かりを求めて勉学を続けた「蛍雪の功」の故事に由来し、雪の積もる学び舎を意味し、ペンは勤勉さを象徴し、笹の葉は雪の重さにも折れることなくしなやかに雪を跳ね返す強靭さと常に青々として生命力に満ちている様子を示します。


このような青山高校の校章は、勤勉さ、強靭さ、しなやかさを表現しており、青山高校が求める生徒像を象徴的に意味しています。


1940年に青山高校の前身である東京府立第十五中学校が設置された際、校章は「笹の葉に雪の結晶」でした。一方、1942年に設置され、1946年に十五中に統合された東京都立多摩中学校は、「三種の神器」をあしらった校章を用いていました。


そして、多摩中学校を吸収した十五中は東京都立青山中学校となり、十五中の笹の葉を基調としつつ、多摩中学校が用いていた三種の神器のうち鏡と勾玉を採用した、新たな校章が作られました。


さらに、1948年4月1日に学校制度の改革によって東京都立新制青山高等学校になるとともに、校章も現在の笹の葉、雪の結晶、ペンを図案化したものになります。この校章は学校名が東京都立青山高等学校となった1950年以降も変わることはなく用いられ、今日まで続いています。


校章は今皆さんが手にしている入学式の式次第だけでなく体育館の緞帳の上部に設置されている水引幕にも縫い取られるなど、これから皆さんも折に触れて目にする場面の多いものではあるものの、その由来や意味について考える機会は決して多くはないかもしれません。


しかし、校章に込められた思いは今に至るまで変わるものではありません。


これからの高校生活の中で、皆さんは様々な事柄に取り組み、挫折を経験したり失敗したりすることもあるでしょう。


もちろん、何を行ってもすべて成功するなら、これほど素晴らしいことはないかもしれません。


それでも、挫折や失敗は決して恐れるべきものでも、避けるべきものでもありません。むしろ、難しい事柄に挑むからこそ起きるのが挫折や失敗であるだけでなく、皆さんの成長の源でもあります。


もし何かに躓いたり立ちすくんだりすることがあったら、ぜひ青山高校の校章を思い出してください。そこにはあらゆる困難さに負けず、しなやかさをもって物事に取り組むことを応援する、笹の葉、雪の結晶、ペンがあります。そして、皆さんの日々の生活を支える友人や教職員の皆さん、そしてご家族がいます。


皆さんが青山高校でご自身の未来を大きく切り開き、実り多き日々を過ごされることを祈念し、私からのご挨拶といたします。


本日はまことにおめでとうございます。


令和6年4月9日
一般財団法人外苑会
理事 鈴村裕輔
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[1]鈴村裕輔, 東京都立青山高等学校第79回入学式, 2024年4月9日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/95575a5304bcce1ff0d0bdc38b8e1370?frame_id=435622 (2024年4月9日閲覧).


<Executive Summary>
Congratulatory Speech for the 79th Entrance Ceremony of the Tokyo Metropolitan Aoyama High School (Yusuke Suzumura)


The 79th Entrance Ceremony of the Tokyo Aoyama High School was held on 9th April 2024 and I addressed the congratulatroy speech on behalf of the Gaienkai, the alumuni association of the high school. On this occasion I show my message to the readers of this weblog.

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名城大学2024年度前期の開始

去る4月8日(月)に私の所属する名城大学の2024年度前期の講義が始まり、私の担当する科目も今日から第1週目を迎えました。


今学期はオムニバス講義での1回のお話を含め7科目を担当します。


新学期最初の講義は何年経っても最も緊張を要するものだけに、毎回受講される皆さんの朗らかな様子は大変にありがたいものです。


4か月という限られた期間ながら、各科目を受講される皆さんがよりよい学びを通して各分野の知見を深められるよう、精進いたします。


<Executive Summary>
The Starting of the Spring Semester 2024 of Meijo University (Yusuke Suzumura)


The Spring Semester 2024 of Meijo University started on 8th April and the first class of my courses were held today. In this semester I have seven courses.

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東京都立青山高等学校第79回入学式

本日、10時から11時5分まで東京都立青山高等学校体育館において第79回入学式が行われました。


今回は282名の皆さんが入学を許可され、青山高校での新たな一歩を踏み出されました。


校長式辞では、青山高校の魅力が紹介されるとともに、青山高校で日々の学習、行事、部活動などに励むことで、新入生の皆さんが持てる能力を一層発展させることへの期待とともに、優れた教職員の皆さんが高校生活を力強く支える旨が表明されました。


また、新入生代表者による「誓いの言葉」では、青山高校の一員として学習、行事、部活動のいずれにも全力で取り組み、友人たちと切磋琢磨することでよりよい高校生活を送る決意が表明されました。


なお、今回は青山高校の同窓会である一般財団法人外苑会の祝辞を私が担当する機会に恵まれ、新入生の皆さんにお祝いの言葉を述べました。


新入生の皆さんが、青山高校でよ充実した日々を過ごされることを、心より願っております。


<Executive Summary>
Tokyo Metropolitan Aoyama High School the 79th Entrance Ceremony (Yusuke Suzumura)


Tokyo Metropolitan Aoyama High School conducted the 79th Entrance Ceremony on 9th April 2024. In this time 282 students were permitted to enter the school.

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