研究ブログ

研究ブログ

大学の授業でチャットGPTをどう扱うかについての覚え書き

1 はじめに

前回このブログを使ったのは3年前のちょうどこの時期のようです。コロナ禍で少し遅れてオンラインで授業が始まって、授業準備をしているときにコロナ関連の情報をまとめておこうと思って書いた記事でした。で、その後3年がたち、コロナ禍は一応区切りを迎えているわけですが、新学期の授業を始めるにあたっていろいろ考えなければならないという意味ではそのときと同じような状況が(もちろんいろんな意味で位置づけは違うのですが)再び…。

ということで、チャットGPTの話です。すでによく知られているようにこのアプリが登場したのは昨年11月、時期的には2022年度後期にすでに広まっていた可能性はあったし、実際アメリカの大学では一足早くレポートでの利用なんかが問題になったりしましたが、実質的にはこの4月から始まる2023年度が、日本の大学にとってチャットGPT元年ということになるのだと思います。

具体的な話に入る前にこの文章の書き手について少し補足しておくと、僕は大阪の大学の経済学部に所属する社会学の教員で、AIやその教育への応用は専門分野ではありません。ただ専門であるヘイトスピーチや人種差別の問題からの派生としてネット空間のガバナンスの問題やAIと差別の問題には関心をもってきたので、今回の件にもそれなりに早くから注目はしていました。

さてその上でチャットGPTですが、さしあたり大学におけるというところに話を限定すると、3月後半以降、いくつかの大学で方針が出されました(新運記事でもいろいろ報じられていますが、このあたりは東京大の吉田塁さんのページがもっとも包括的に情報をまとめているのではないかと思います)。この中では一番早く出した上智大が一番厳しく、東大は(副学長の個人名で出されたという文書の特性もあるとは思いますが)かなり柔軟な感じで、東北大は学生向けにはそれなりに厳しいことを言いつつ、教員向けの文書はかなり現実的に書かれている印象です。

とはいえ逆に言えばこうした方針を出している大学は数としては少数派で(教員向けメールや学内限定の文書などで告知している大学もあると思うので、実際に見えているよりは多いと思うのですが)、多くの大学教員は、それぞれが担当する授業の中で方針を示していくということになるわけです(とはいえ大学としての方針が出された場合も、最終的に具体的な運用方法を決めるのは教員ですから、そこはあまり違いがないとも言えます)。

いずれにしても、どういう立場をとるにせよ今後はどの大学教員もチャットGPTを前提に授業をやっていかなければいけないわけで、これからここで書きたいのは、2023年4月時点で大学の授業でチャットGPTをどう扱ったらいいのかという問題についての情報共有と試論です。当然「すでにやったこと」の共有ではなく、これまでの授業経験からおそらくこんな感じになるだろうという話なので、半年後にはいろいろ修正撤回しているかもしれないし、あるいは3年後には前提の状況自体が変わっているかもしれません。またあくまでも文系の一般的な授業が想定されているので、Python のコードを書かせるときにチャットGPTがどう役立つかとか(めっちゃ役立つ感じですが)、そういう話は考えていません。なお想定読者はおもに同業者(文系の大学教員)ですが、僕の授業とってる学生の人とかが読んでも授業の舞台裏的なものが見えるという意味で面白いかもと思います(もちろん他業種の人も)。

2 一般的な質問に対する回答のレベルの高さ

さて、大学での授業にかかわるところでのチャットGPTの特性をとりあえず一言で言うなら、「一般的な質問に対する回答のびっくりするほどのうまさと、事実関係を含む質問に対する回答のめちゃくちゃさのギャップ」ということになると思います。このあたりはこの1カ月ほどでだいぶ共有されてきた感がありますが、要は前者から入った人はそのレベルの高さに驚き、後者から入った人はそのレベルの低さに驚くというのが、基本的な反応のパターンだったわけです。

たとえばこんな質問をしてみるとどうでしょうか。「AIの進歩が社会に与える影響を、とくにマイナス面に焦点をあてて5つ挙げた上で、それぞれのマイナス面の解決のためにどのようなことが必要か考えてください」。以下はその答え。ちなみにモデルは有料のGTP-4を使っていますが、無料版のGTP-3.5でもこのへんのことはとくに変わりません。

----------

AIの進歩が社会に与えるマイナス面として、以下の5つが考えられます。

・雇用の喪失
・プライバシー侵害
・偏ったアルゴリズムによる差別
・AI技術の悪用
・人間のスキルやコミュニケーション能力の低下

それぞれの問題に対する解決策は以下の通りです。

◆雇用の喪失に対する解決策
・AIによって消える職種に対して、新たな職業訓練や再教育プログラムを提供し、雇用の機会を創出する。
・ベーシックインカムの導入や労働時間の短縮など、社会保障制度の見直しを検討する。
◆プライバシー侵害に対する解決策
・個人情報保護法やプライバシーに関する法律を強化し、遵守を徹底させる。
・AI技術開発者に対して、個人情報を適切に扱うためのエシカルガイドラインを提供する。
◆偏ったアルゴリズムによる差別に対する解決策
・AI開発者に対して、多様なデータを用いて公平性を重視したアルゴリズム設計を促す。
・AIの決定過程を透明化し、監視・評価する仕組みを構築する。
◆AI技術の悪用に対する解決策
・AI技術の輸出入や開発に関する国際規制や協定を策定する。
・セキュリティ対策の強化や悪用防止のための技術開発を推進する。
◆人間のスキルやコミュニケーション能力の低下に対する解決策
・教育カリキュラムにおいて、人間としての基本的なスキルやコミュニケーション能力の向上に焦点を当てる。
・社会全体で、人間とAIの共存に重点を置いたディスカッションを促進し、人間性を大切にする価値観を共有する。

----------

授業でディスカッションとかを取り入れている教員はすぐにわかると思うのですが、資料配って考えさせてグループで討論させて、最後クラス全体でまとめるとこんな感じになるみたいなことを、一瞬で出力しちゃうわけですね(ちなみに先ほどの「問い」は僕が普段学生向けに出している課題のフォーマットで書いています)。ディスカッションの最大の効果の一つは視野を広げるということで、一人で考えているとなかなか見えてこない全体の構図が、個人、グループ、クラスと枠を広げていくことで見えるようになっていくわけですが、こうしたプロセスの結果を難なく再現してしまう点については、チャットGPTはかなり強力なツールです。

なので、もし期末レポートで上のような文章があった場合、これまでなら一人でこんなに包括的に考えられて偉いな…という話になったかもしれないところ、今後はこれってチャットGPTにやらせたんじゃ…と考えざるをえなくなり、しかしコピペと違ってそれを確実に判定するすべはないわけです。またもし同じ質問をしたら常に同じ回答が返ってくるというならまだいいのですが、実際には同じ質問をしてもその都度回答が変わるし、質問自体に修正を加えればもちろんさらに回答が変わるので、「チャットGPTの答えはこうだからこれ以外」みたいなこともできません。

3 事実関係を含む質問に対する回答のレベルの低さ

これに対して、事実関係を含む質問に対する回答は、びっくりするくらいめちゃくちゃです。もちろんテーマによるところもあるとは思うのですが、固有名詞がからむことについてはときどき嘘が混じるとかそういうレベルではなく、ほぼ嘘しか言いません。

ということで次はこの質問。「AIの進歩が社会に与える影響を、とくにマイナス面に焦点をあてて考える上で、日本語で読める重要な本を10冊挙げてください」。以下が答えです。

----------

AIの進歩に関するマイナス面に焦点を当てた日本語の書籍として、以下の10冊が挙げられます。

『人工知能はなぜ人間を超えるのか』 - 河森正治
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 - 阿部祥二
『ディープラーニング革命』 - 中島宏之
『人工知能の未来 ジョブズ・ゲートズ・ホーキングが懸念するAIの脅威とは何か』 - 松田礼一郎
『AIリスク - 人工知能時代の経済と倫理』 - 安田洋祐
『働き方改革のウソ - 人工知能は仕事を奪わない』 - 瀬尾光一
『データ主権論 - AI時代の個人情報保護と犯罪対策』 - 藤原直哉
『暗黒知能 ~ AIの衝撃と脅威』 - ジェームズ・ブリッジュウォーター
『AI時代の法と倫理』 - 真鍋陽
『アルゴリズムの暴力 - 人工知能が生み出す不平等と差別』 - ジェームズ・ブラウン

これらの書籍は、AIの進歩がもたらす雇用の喪失、プライバシー侵害、偏ったアルゴリズムによる差別、AI技術の悪用、人間のスキルやコミュニケーション能力の低下といったマイナス面について、多角的な視点から議論を展開しています。各著者によって提唱される解決策も異なり、読者による理解を深める手助けとなるでしょう。

----------

1冊目のはたぶん松尾豊さんの『人工知能は人間を超えるか』と言いたかったんでしょうね。著者がなぜマクロスの人になったのはもちろん不明(笑)。2冊目の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』は実在するのですが、著者は新井紀子さんです。3冊目はいかにもフェイクっぽいですが実在する本で、でもやはり著者が違います。4冊目以降はすべてフェイクで、最後のジェームズ・ブラウン(なぜw)の本とかあったらぜひ読みたいですが、残念ながら実在しません。

とまあ一事が万事こういう調子で、人の経歴とか映画のあらすじとかも含めて固有名詞が入った瞬間にこのAIは本当にアホになるのですが、にもかかわらず一見賢そうな雰囲気は変わらないので(苦笑)、たんなる間違いを越えてわりとサイコ感が強いというか、最初ここから入るとたぶんこのAIが言うことは何も信じられなくなると思います。ちなみに日本語文献だからそうなんじゃないかと思う人もいると思うのですが、さっきの質問を「英語で読める論文」とかにしても基本は同じです。また少し前に Microsoft が 検索エンジン Bing にチャットGPTを搭載したことが話題になりましたが、そちらは検索結果と一緒に回答が表示されるので少しマシになるものの、回答に窮するとフェイクを連発するという基本的な傾向は変わりません。今後はある程度改善されていくのかもと思わなくもないですが、とはいえおそらくこのへんは生成系AIの特性なので、実際にはチャットGPTをインターフェイスにして文献検索用のAIを別途動かすという形になるまでは(おそらくそんなに時間をおかずにそうなるでしょうが)、状況は変わらないだろうと思います。

なお関連して、チャットGPTは実は要約もあまり得意ではありません。何となく上のようなフェイク連発は前提とするデータベースの問題なのかなと思ってしまうところもあるわけですが、実際にはこれは「ある言葉の後にもっとも来そうな言葉をつなげる」という生成系AIの特性によるところが大きく、要約のようにはっきり前提となる文章を与えた場合でも、出力されるのは「その文書をもとにしたそれっぽい短い文章」でしかないです。なので、とくに固有名詞が入り組んだ新聞記事とかを要約させると平気で嘘を書きますし、ある程度一般的な文章でも「まあものすごく間違っているわけではないが…」というレベルにとどまります。

4 チャットGPTの登場をふまえた具体的な授業の工夫

さて、以上で状況はだいたい共有できたと思うのですが、ではどうしたらいいのか。とりあえず(1)チャットGPTを使わせない方向性、(2)チャットGPTを積極的に使わせる方向性、(3)悪用はダメだがよい使い方は推奨するという方向性、の3つに分けて考えてみます。

(1)チャットGPTを使わせない方向性

僕は長期的には(2)と(3)のあいだくらいの方向性で考えていますが、さしあたりの対応としては、この(1)のやり方も使っていくことになると思います。チャットGPTの排除のためだけに不毛な課題を出すのは論外ですが、同時に、たとえチャットGPTができることでも一通りのことは自分でやっておく必要があるという意味で、(2)(3)の方向性を中心に据えたとしても(1)がまったく不要になることはないでしょう。

じゃあ具体的にはどういうやり方があるのかということですが、もっとも単純なのは、課題の前提となる資料を与えることです。先ほどの「AIの社会的影響」であれば、一般的にこれを課題やレポートで書かせた場合には、確かにチャットAIの回答はそれなりのものになるでしょう。しかし「資料を読んで、それをふまえて…」という課題であれば、資料にあるものであればその旨書かなければいけないし(書かずにあたかも自分が考えたことのように書くのは「剽窃」です)、それができなければ課題の条件を満たしていないことになります。またこちらがより重要なのですが、こうした前提は先行研究をふまえて自分が何を新たに付け加えられるのかという、アカデミックな作法の基本を学ぶプロセスでもあります。チャットGPTの包括的に論点を網羅する能力は確かにすごいけれども、それをそのまま引き写しても「大学の」レポートにはならないわけです。

関連して、とくに期末レポートのように長い文章を書かせる場合、文献を参照した場合はその都度細かく出典を挙げさせる、というのもありうる工夫だと思います。最近は多くの大学で初年次ゼミ的な場でレポートの書き方を教えており、そこで文献挙示や出典明記のやり方も示すわけですが、これを採点の際にどこまで厳密に見るかという点では、けっこう判断が分かれていたのではないかと思います。しかしチャットGPTの登場によって、「それっぽいこと」を出典を示さずに書き、「それっぽい文献リスト」を後ろに付ける、ということは一瞬でできるわけです(まあ後者は一瞬でバレますが)。そのときに、むしろきちんと出典に気を配って書かれたものをきちんと評価する、ということがそうした悪用を防ぐ効果を持つとしたら、これを利用しない手はないでしょう。

なお課題に「必ず具体的な事例を挙げて」などの言葉を入れて、チャットGPT的な一般論では答えられないようにするというのもの一つの工夫だと思います。もちろんチャットGPTから無理に事実関係を聞き出す形で使う学生はいるかもしれませんが、仮にそうしたとしても、それは先ほど挙げた文献リストのようにある程度前提知識があればすぐにわかるようなフェイクになるので。とはいえもちろんグレーな事例が出てきて判断に迷うというのはあると思うので、一つ上に書いた出典明記と組み合わせて使うとより確実性が高まる感じでしょうか。

(2)チャットGPTを積極的に使わせる方向性

この方向性はまだ十分に考えられていないというか、実際には今後授業をやりながら考えていく部分だと思っていますが、とりあえず今の段階で考えていることはこんな感じです。

まず一つは、チャットGPTに先ほどの「AIの社会的影響」のような抽象的な質問をし、その結果を明記させた上で、その先を考えさせるという方向性です。要は先行研究に対してやるべきことをチャットGPTの結果をふまえてやるということなのですが、これまで学生のレポートを見ていてもこの「乗り越え」の部分は習得がなかなか難しく、頑張って本や論文を読んでも(というか頑張って本や論文を読んだからこそ)その紹介より先に行けないということが多いのですね。その点チャットGPTの出力は一瞬ですから、その先を考えることに集中するという意味では、悪くないやり方なのではないかと思います。

また似たような方法として、チャットGPTに事実関係を含む質問をし、その結果を明記させたうえで自分で調べて正しい資料を作成させる、ということも可能だとは思います。が、先ほど見たように現時点でのチャットGPTのいい加減さはわりと限度を超えているので、こういう形で使うことにすら向かないという感じです。今後他のアプリと連携したりしてもう少しまともに使えるようになったら、ありうるやり方になるかもしれませんが。

最後に、教員は商売柄わりと「問い」を考えることが多く、実際僕も先ほどの「AIの社会的影響」みたいな問いはそれこそテーマを与えられると自動的に出力される感じなのですが(苦笑)、学生自身に「問い」を考えさせるということは、これはこれでなかなか難しいんですよね。自分の授業だと、普段はこちらで問いを示してそれに答えてもらう形の課題を出し、最後のレポートの準備のときにそれをふまえて学生自身が問いを立てる練習をさせるのですが、普段からもっと「問い」を考える練習もさせたほうがいいんじゃないかなあとよく思ったりしていました。

そのとき、学生が問いを考え、その答えをチャットGPTに生成させてくださいというような課題があれば、これはけっこう役立つんじゃないかと思うんですね。学生がうまく問いを立てられない場合の多くは問いがあいまいだったり抽象的すぎたりするのですが、そういう問いだとチャットGPTはうまく答えてくれないわけです。逆に言えば、チャットGPTが的確に答えてくれるような問いというのは、学生自身がレポートの問いとして立てた場合も、よい問いに近づいている可能性が高い。もちろんチャットGPTは自然言語で動くとは言えあくまでもAIで、そこに最適化する形でプロトコルを考えると結果として社会科学の問いからは離れていきますが、一つの利用法としてはこういうこともあるのではないかと思っています。

(3)悪用はダメだがよい使い方は推奨するという方向性

最後に折衷的な方向性で、実際には上の2つと別の話というよりは両方を混ぜたような話になると思いますが、おそらくしばらくはこれが一番現実的ということになる気がします。

ここまでの話からも大よそわかると思うのですが、大学の授業におけるチャットGPTの問題というのは、大きく分けて(a)学生がチャットGPTの優れた面を利用してやるべきことをやらずに済ませてしまう、(b)学生がチャットGPTのダメな面を利用してダメなレポートを書いてしまう、という2つがあります。チャットGPT禁止論というのは基本的にこの両方をふまえて出てきていると思うのですが、しかしすでに触れたように、現実問題として学生がチャットGPTを使ったかどうかは確実な形ではわかりません。

ただ上記2つのうち、(b)のダメな面については、チャットGPTを使ったかどうかとは無関係にダメだという判断が可能です。具体的には、レポートの採点基準として事前に「事実関係に明らかなフェイクと思われるものが複数見られる場合には大幅に減点する」などとしておき、それがチャットGPTによるものであろうが学生自身がチャットGPTのようなでっち上げをしたのであろうが関係なく、そうした答案を低く評価するわけです。もちろんそれは禁止論で言われるようなコピペやカンニングと同等の扱いにはならないわけですが、チャットGPTに全面的に書かせたような悪質なものは、上のような採点基準でかなりの程度対応可能だと思います。

では(a)のほうはどうかということですが、これも実際には「出典のない一般論を複数の段落にわたってダラダラ書くようなものは減点の対象とする」といった採点基準をあらかじめ示しておけば、ある程度まで同様の結果が期待できます。もちろんこれまでも当然減点の対象だったであろうフェイクとは異なり、一般論の羅列というのはこれまで基本的には「よくも悪くもない」という扱いだったと思います。その意味では一定の方針転換にはなるかもしれませんが、とはいえ出典のない一般論をダラダラ書くというのはこれまでも「褒められたこと」ではないはずで、その意味では事前に基準さえ示せば十分に合理的な話だと思われます。

一方折衷案においては、問題なのはあくまでもチャットGPTの「悪用」であって、正しい使い方をすることはむしろよいことだということをきちんと伝えることも大事です。その場合には、よい使い方をした場合にはむしろ評価の対象にもなりうるという前提で、使った場合はきちんと報告させる、ということが重要になってくると思います。

具体的には、チャットGPTを出典の一つとして扱う、というのが一番わかりやすいでしょう。チャットGPTは使ってよいが、使った場合はその出典としてそこで用いたプロンプトおよび出力結果を注で示す。もちろん積み重なればかなりの字数になりますから、字数指定をする場合はあらかじめ注は字数外だと明示しておく必要がありますが、逆に言えばそれさえ明示しておけば、チャットGPTからの引き写しで字数を稼ぐこともできません。注に書かせればその先を自分で考えたかどうかも確認できますし、何より学生自身がそこに意識的になるはずです。また教員としても「なるほどこういうふうに使ったのか」と感心するケースも出てくるだろうし、これは少なくとも教員も含めてみんながチャットGPT「初心者」である今後しばらくのあいだは、有益な点が多いと思います。

とはいえもちろん、本当は使ったのに出典に書かないという学生はいると思います。ただその場合には、フェイクや一般論の連発であれば先ほどの基準に従って粛々と低い点数をつければいいだけなので、そこまで大きな問題にはならないでしょう。むしろ逆にチャットGPTに事実関係を聞くといった間違った使い方をした上でそれに気づかず出典に書いてしまう学生もいそうですが、その場合はフェイクの根拠がはっきりするだけです。あとありうるのはダラダラ基準に引っかからない程度に一般論を借用するというような話ですが、その程度であれば(多少楽をしたことにはなるにせよ)大勢には影響はないと思われます。

5 おわりに

ということで長くなりましたが、最初に書いたように今回の話はまだやっていない教育経験について推測してまとめるということなので、今後はやりながら適宜修正していくということになると思います。その意味でも、この1カ月だけでも相当めまぐるしく動いた生成系AIの動きについては、引き続き追っていきたいです。もちろん授業に関連してというのもあるのですが、冒頭に書いたAIと差別、あるいはネット空間のガバナンスという観点からも、この件は相当のインパクトを持つ話になると思うので。

実際、これまでの「AIと社会」系の議論の中心はあくまでもプライバシーやプロファイリングの問題で、そこではAIは基本的に管理者側のツールでした。が、今回の生成系AIは初めてわかりやすくユーザー側のツールとして登場している点で、社会的な広がりがまったく違います。すでに言われているように、おそらくそれほど遠くない将来にチャットGPT(的なもの)がすべてのPCおよびスマホに搭載され、現在のGUIやタッチパネルに代わる新たなインターフェイスとして、生活と仕事のほぼすべてにかかわるようになるのだろうと思います。そしてそのこと自体は生活も仕事も便利にする方向にも機能しますし、実際このブログ自体はその方向に(大学の授業限定にせよ)ある程度乗る方向で書かれてもいるわけですが、とはいえそうやってこの生成系AIの社会的影響力が強まれば、その必然的な結果としてその副作用も大きくなるわけです。

その意味で、実際の自分自身の授業での利用がどういう形になるにせよ、授業でもチャットGPTの道具的な部分だけに触れて終わるということはないだろうと思います。実際すでにイタリアを先頭にEUは今回の動きにかなり警戒心をもって臨んていますし、本家のアメリカも(表面的なポーズという面も強いにせよ)野放しにはできないというスタンスを表明しています。日本はオープンAIのCEOであるサム・アルトマンの来日でわりとはしゃいだ感じになっていましたが、大きな方向性としてはそこから外れることはないでしょう。ただし重要なことは、「ほら世界はこんな感じなんだからチャットGPTなんて乗るほうがバカなんだよ」みたいな話ではなく、むしろ影響力が大きいからこそ規制という話も出てきているし、そして規制という話もこうした方向性をゼロにするという話ではないということです。こうした大きな流れをふまえつつ、同時に目の前の課題として新しいツールをどう使うかを考える。その意味では、今回のことで求められていることは、学生にとっても教員にとっても、大きな意味では同じということになるんだろうなと思っています。

 

いつもより少し遅く新年度を始めるにあたって、あるいはコロナ時代に大学で授業するということ

1 はじめに

今年度大学で担当する授業が、今日から始まります。前期に担当している授業は、すべてオンラインでの開講です。まだ途中からオフラインに切り替えることに含みを持たせている大学もありますが、少なくとも講義科目については、前期中はオンラインでの実施ということになるでしょう。僕は相対的にはこういう場合に必要な機器の操作に慣れているほうだと思いますが、とはいえ大学の授業を全面的にネットでやるというのはもちろん初めてなので、不安がまったくないと言えば嘘になります。

とはいえ、今この状況で大学教員が考えるべきことは、そうした手法的な問題だけではありません。大げさに言えばコロナ時代に大学で授業することの意味、これもやはり、避けて通れない問題です。実際には授業の質が保障できない以上今年度は授業自体をなくしたほうがいいのではといった声もあるわけですが、情報が氾濫する中でデータに基づいて物事を見ること、過去に同じような問題に対処したときの経験を知識として得ること、冷静でいられない中でもそれでも論理的に考えること、すぐに答えが出なくても辛抱強く思考し続けること、こういったことはいずれも、こういうときだからこそ(いやもちろん普段もですが)大学が伝えなければならないことです。直接誰かの命を守ったり、生活必需品を届けたりすることとは違うけれど、今ここに書いたような力は、こういう時代を乗り切るのにきわめて重要な意味をもつ、僕はわりと素でそう思っています。

と言っても、僕が前期に担当する授業の内容はさまざまで(社会学入門、調査法、調査実習、社会思想、ナショナリズム論、表現の自由論などなど)、実際に授業中に今のコロナの問題について全面的に扱うわけではありません(必要に応じて何度も触れることにはなると思うけど)。この間自分で情報をきちんと追ってきた人はいいけれど、そうでなくなんとなく過ごしてきた学生がいた場合、そもそも前提が共有できていないということになってしまう。そこでここでは、この間の自分の情報整理を兼ねて、参考になりそうなウェブサイトや記事を、あらかじめまとめておこうと思います。なので基本的には自分の授業を受ける学生を念頭に置いて書くことになりますが、そうでない人が勝手に読むことを妨げるものではありません(笑)。

 

2 感染の実態

まずは感染の実態の把握から。たぶんここに挙げたサイトをどれも見たことないという人はほぼいないでしょう。僕も調査法の授業なんかでは毎年なるべく多くの統計資料を見てもらうようにしてますが、正直世の中でこれほど多くの人が毎日「グラフ」とにらめっこしているという状況は、後にも先にもなかなかないのではないかと思います。こうしたデータのまとめで今回仕事が早かったのはヤフーですが(URLからするとおそらく2月7日開設)、一番参照されるのは東洋経済オンラインでしょうか。最近は日経も頑張っています。

Yahoo! Japan 新型コロナウイルス感染症まとめ
https://hazard.yahoo.co.jp/article/20200207

東洋経済ONLINE 新型コロナウイルス国内感染の状況
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

日本経済新聞 チャートで見る日本の感染状況 新型コロナウイルス
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-chart/

海外のサイトでは、早かったのは医学で有名なジョンズ・ホプキンズ大学(ただしかなり重い…)。便利なのは Worldmeter かな。WHO のは初期見づらかった記憶だけどだいぶ見やすくなりました。

Johns Hopkins University Coronavirus Research Center
https://coronavirus.jhu.edu/map.html

Worldmeter COVID-19 CORONAVIRUS PANDEMIC
https://www.worldometers.info/coronavirus/

World Health Organization Coronavirus (COVID-19)
https://covid19.who.int/

ちなみにとくに海外のサイトについては、後で触れるような国ごとの対応策と関連させて毎日チェックしていると、このウィルスが大よそのところどういう動きをするものなのかについて何となく感覚がわかってきます。ただ同時に注意しないといけないのは、そもそもこうしたデータは各国で同じように取られているものではないということ。たとえば日本のPCR検査数が少ないのは散々言われていますが、検査数はもちろん、カウントの基準や発表までの期間など、集約の仕方は国によってかなりまちまちです。なので上のデータはいろいろ参考にはなるけれども、あくまでも参考なのだということを念頭に置くことも重要です。

そういう意味で参考になるのはこの記事でしょうか。なお基本は選挙の分析で有名なアメリカの統計分析家ネイト・シルバーの議論の紹介なのですが、前文、途中の注、および後半は記事執筆者本人のもので、スマホなんかでざっと見ているとどこでそれが切り替わるのかちょっとわかりにくいのが難点です。

なぜコロナウイルスの感染者数のデータは意味がないのか
https://qiita.com/KanNishida/items/247f1d6278ecdbf6f661?fbclid=IwAR2Yqy3PJHl4rNPH-mW_7rx9w44zrnOy6CE1oykPSJHOcxO-Fq3E32iBdIw

またこうした単純なデータではなく、より専門的な議論もさまざまな形で発信されています。その中で最新かつもっとも包括的なのはやはりこれでしょう。4月18日に開かれた日本感染症学会「COVID-19シンポジウム」の記録です。
https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/covid-19-symposium

 

3 感染への対応

次に、感染に対する社会の対応です。たとえば日本では今月7日に緊急事態宣言が出ましたが(最初は7都府県対象で16日に全国に拡大、5月6日までを予定)、出る前はいつ出るのか、出た後は延長するのかどうか、そういうことによっていろんなことが変わってくるので、こちらはこちらで重要です。というか、直接自分や身近な人が罹患したりする場合を除いて、むしろコロナ自体よりこちらのほうが直接的な影響は強いとすら言えるでしょう。

ただ問題なのは、今の日本ではコロナ自体よりむしろ政府のコロナ対応のほうが不確定性が高いということです。出来事の順番としては「コロナ→コロナ対応」だし、また日本は幸い明示的な感染拡大が他の国より遅かったので、それ以前に各国の「コロナ→コロナ対応」のパターンもある程度確立しています。なのでコロナ自体の状況を把握し、かつ各国のコロナ対応のパターンを頭に入れておけば、本来だいたいの展開は読めるはずなのですが…残念ながらそうはなっていない(苦笑)。

とはいえ政府の対応というのはマスク二枚とか給付金10万円とか目立つ話ばかりではなく、当然ながら多岐に及びます。こういうのを日々のニュースだけで拾っていくのは大変なので、全体像を知りたいときは厚生労働省のウェブサイトを見てみてください。羅列的すぎて初めて見るとまったく頭に入らないと思うのですが(苦笑)、見せ方はともかく政府の対応はとりあえずここに集まってくるので、そういうものだと思って見る分には有益なページです。

厚生労働省 新型コロナウイルス感染症について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

あと内閣官房にも特集サイトがあって、接触率にかかわる重要なデータが掲載されているのですが、これもどうにも見にくい…。少なくとも東京都が出している地下鉄のデータみたいに、時系列で見れるようにしてほしいなと思うのですが。

内閣官房 新型コロナウィルス感染症対策
https://corona.go.jp/

ちなみにこうした行動分析は世界的にも Google などが行っていますが、いずれも位置情報を基にしているので、そこで直接測っているのはあくまでも「移動」あって「接触」でないということには注意が必要です(だから意味がないということではなく、後者を知るために前者で代用している、ということを忘れないようにすることが大事)。

Google COVID-19 Community Mobility Reports
https://www.google.com/covid19/mobility/

また対応についての情報を集める上では、地方自治体も動きも重要です。居住地や大学の所在地、バイト先、実家の所在地については、県や区市町村のウェブサイトをチェックすると意外に重要な情報がみつかることもあります(とりあえずここでは自分が住んでいる東京都と新宿区を一例として載せておきます)。

東京都 新型コロナウイルス感染症対策サイト
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

新宿区 新型コロナウイルス感染症対策ページ
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/cln202002.html

なお諸外国のコロナ対応については、普段はニュースで入ってくる情報(できれば英語も)で十分ですが、まとめて把握したいというときは、日本語で読める海外通信社のコロナウィルス特集が参考になります。あとやや意外なところで、JETRO のウェブサイトがかなり頑張ってて参考になります。

ロイター 特集 新型コロナウイルス
https://jp.reuters.com/news/world/coronavirus

AFP 特集:新型コロナウイルス感染症「COVID-19」
https://www.afpbb.com/subcategory/theme-corona

JETRO(日本貿易振興機構) 特集 新型コロナウイルス感染拡大の影響
https://www.jetro.go.jp/world/covid-19/

またもう少し個々人の実践寄りの対応ということでいうと、この間もっとも積極的に情報を発信しているのは、厚生労働省のクラスター対策班にかかわっている研究者です。たとえば以下の2つのTwitterアカウントはなり活発に情報を発信しています。

新型コロナクラスター対策専門家
https://twitter.com/ClusterJapan

新型コロナウイルス感染症に関する専門家有志の会
https://twitter.com/senmonka21

また一つにまとまった記事としてはこのあたりでしょうか。最初はとあるお医者さんが書いたフェイスブックの一記事だったのですが、NHKがネットで取り上げて広まりました。

NHK News Up 医師が記したコロナ予防法“敵は塗りたてのペンキ”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200415/k10012388541000.html

もちろんこういう記事の扱いはなかなか難しいところがあって、とくに神経質な人だと、逆にいろいろ考えすぎてしまってよくないということもあります。しかし個人的には、Stay Home のような単純なセージだけではやはりよくないと思っていて、というのはよく言われるように実際には仕事で Stay Home できない人がたくさんいるというのもあるのですが、たとえ自宅で仕事や勉強ができる人でも、まったく外に出ないということは現実的に難しいですよね。そのとき、「具体的に何に気をつければいいか」がわかっていないと、外に出た瞬間にリスクが跳ね上がるということになってしまいます。なので、上の記事とかで言っていることを頭に入れた上で、できる範囲で対策を立てていく、というのがもっともよいのではないかと思います。

 

4 さまざまな社会的影響

さて、今回のような大規模な感染症の拡大は、コロナそのもの問題だけにとどまらず、さまざまな派生的な問題を引き起こします。わりと早い段階にこのことをわかりやすく示してくれたのが、日本赤十字社の「新型コロナウイルスの3つの顔」です。そこでは「3つの感染症」として「病気」「不安」「差別」の3つが挙げられていて、問題が狭義の「病気」だけではないことは明確に示されています。これが発表された当時(3月下旬)はだ医療従事者への差別などもそこまで顕在化していなかったと思うのですが、そのあたりを含めてあらためて(そして今後も繰り返し)読まれるべきものだと思います。

日本赤十字社 新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~
http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/news/200326_006124.html

なおとくに3つめの「差別」については僕自身の専門の一つでもあるので今後授業でも積極的に取り上げていくことになると思うのですが、さしあたりここでは上の赤十字のものよりさらに早い段階でされた下の声明を挙げておきたいと思います。

移住連 新型コロナウイルス流行にともなう緊急アピール
―差別・排外主義に懸念を表明し、移民、民族的マイノリティ、社会的に脆弱な立場の
人びとにたいする人権保障と医療・経済的保護を求めます―
https://migrants.jp/news/voice/20200318.html

とはいえ社会的影響という意味では、先ほども書いたようにコロナそのものよりコロナ対策による影響のほうが大きいかもしれません。しかもそれが業種によって全然違うというのは、たとえば自分やまわりのバイト先の状況とかを見ているだけでもかなりわかることだと思います。たとえばこれはニューヨーク・タイムズの記事の紹介なのでアメリカの話ですが、起こっていることはどこの国でもだいたい同じです。

コロナの産業別インパクト(4月11日)
https://note.com/yoshilog/n/n4823d6ab8a0e

日本での給付金10万円という話もこうしたことを受けて出てきたわけですが、実際には先ほど触れた厚生労働省の一覧にもあるように、既存の細かい支援制度を使うこともできます。ただこうした制度はあまりにも複雑で、普段それを知らない人がちょっと見ただけではまったくわからない。そういう中で話題になったのが下のようなカードなのですが、こういうのを先に頭に入れておくと、情報の見え方がかなり変わってくるはずです。

弁護士永野海 新型コロナ対策支援カード
http://naganokai.com/c-card/

なお先に見たように今回とくに大きな打撃を受けているのは航空、旅行、飲食、エンタメなどですが、とくにエンタメは初期から自粛要請を受けて業界全体として厳しい状況に追い込まれていて、そのため支援プロジェクトもいくつか立ち上がっています。普段音楽や映画を大事にしている人は(そして普段そこまでそうではない人も余裕があれば)、ここは支えるべきときかな、と思います。

ミニシアター・エイド基金
https://motion-gallery.net/projects/minitheateraid

MUSIC UNITES AGAINST COVID-19
https://savelivehouse.com/

最後に、今回大学の授業の多くがオンライン化しているわけですが、これもこうした社会的影響の一つです。大学はそれでも相対的にオンラインに移行できる環境にあり(逆に言えば小中高は一部を除いてそういう見通しも立っていません)、いきなり授業がぜんぶなくなったりするわけではないのですが、とはいえこの1カ月は各大学とも相当混乱してました。この間の大学の対応などに苛立った人も多いとは思いますし、今後もしばらく落ち着かないとは思うのですが、今はそれでも大学としてやるべきことをやれる範囲でやるしかありません。

そんな中で、今期僕が出講する大学の中でも突出してこの状況への対応が早かったのが、東京外国語大学でした(ちなみにここは今日この後開講です)。もちろん同じ大学であっても条件は全然違うので同じ基準で比較することはできないのですが、下のページの見せ方なんかは、他の大学でも参考になるんじゃないかと思います。メニューの見やすさもさることながら、そこに授業料免除や経済的支援の項目がオンライン授業サポートと同じ大きさで表示されているあたりに、今の状況をきちんと全体としてとらえた上で多様な学生に配慮していることがうかがえます。

東京外国語大学 2020年度春学期 オンライン授業の諸情報
http://www.tufs.ac.jp/student/index.html#h

 

5 おわりに

さて、書く前はこの間 Evernote にクリップした記事やサイトをいくつか紹介しておこう、くらいのつもりだったのですが、書いてみたら思いのほか長い記事になってしまいました(苦笑)。わざわざ言うまでもないことなので冒頭には書きませんでしたが、この記事はリンク先の記事やウェブサイトの内容すべてに責任をもつものではなないですし、逆にここで扱わなかった記事やウェブサイトを軽視するものでもありません。あくまでも一教員がコロナ時代に大学で授業を始めるためのひとつの覚書ということで、それでももし参考になるところがあればぜひ参考にしてください。

その上で最後に、あえて「今後」について。と言っても正直確信を持って言えることはほとんどないのですが、最近たまたま自分の感覚にわりと近いなという記事が出たので、最後にそれを貼っておきます。書き手は社会活動家の慎泰俊さん。直接お会いしたことはないのですが、僕が信頼する数少ない書き手の一人です。読み方によってはちょっと悲観的になってしまうかもだけど、これくらいのところまで考えて、その上で前を向いて歩いてく生き方が、僕は好きです。

COVID-19と世界のこれから(draft as of 2020-04-16)
https://note.com/taejun/n/n89c97045d123

東大情報学環大澤昇平氏の差別発言について

1 はじめに

東京大学大学院情報学環特任准教授の大澤昇平氏(@Ohsaworks)が、11月20日にtwitter上で行った差別発言について書きます。この件については、11月24日に情報学環長名ですでに以下のような文書が出されています。

しかし残念ながら、上記の文書からは誰がどのような言動を行い、それがなぜ問題なのかということがわかりません。筆者(明戸)は現在同じ大学、同じ部局の特任助教であり(ただしプロジェクト雇用なので部局そのものの運営等には関わっていません)、また差別やヘイトスピーチにかかわる研究者でもあります。こうしたことをふまえて、ここでは明戸個人の立場から、今回の経緯および論点を整理し、自身の立場を明らかにしておこうと思います。

2 国籍差別について

今回の一連の発言の中でもっとも問題が明確なのは、11月20日午前11:12の以下のツイートです。「弊社 Daisy では中国人は採用しません」。なおこのツイートには11月24日18時時点で、318件のリツイートがなされ、511件のいいねがついています。

続いて同日午後1:21には、他のアカウントからの批判を受けて以下のようにツイート。「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」。

同日午後2:02には、さらに別のアカウントからの批判を受けて「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします。」とツイート。これは460件リツイートされ、385件のいいねが付いています。

ここで使われている「中国人」というのはおそらく中国国籍者を指すものだと思いますが、twitter上などでもすでに多くの人から指摘を受けているように、「中国人」というカテゴリー全体について「パフォーマンスが低い」と断定し、それを理由として「採用しない」「面接に呼ばない」と判断することは、きわめて露骨な国籍差別です。

ただし付け加えれば、現在の日本においてこうした国籍差別を違法とする法整備が進んでいないことは事実です。日本では2016年にヘイトスピーチ解消法が施行されましたが、本来その前提となるはずの人種差別禁止法、すなわち入店差別(「外国人お断り」)、不動産などの契約上の差別(その多くは「外国人であることを理由に部屋を貸さない」)、学校の入学での差別、そして今回のような職場での採用や昇進にかかわる差別など、いわゆる「(人種などに基づく)差別的取り扱い」を包括的に禁止する法律は、いまだありません。

とはいえ現時点で法律がないことは、そうした差別をしてもよいということを意味しません。実際法務省ではこうした外国人差別についての調査を行い、その結果を2017年に公表しています。この調査によると「外国人であることを理由に就職を断られた」人の割合は約25%となり、もし大澤氏が経営する企業で実際に国籍差別が行われているとしたら、その被害はこれに該当することになります。
http://www.moj.go.jp/content/001226182.pdf

また厚生労働省は「公正な採用選考を目指して」という文書を毎年発行していますが、その基本的な考え方の一つに「応募者の適正・能力のみを基準として行うこと」が掲げられています。ちなみにP18に記載されている国籍についての問題事例は「語学の講師の募集の際に国籍を限定する」で、これに比べると今回の件は差別としてあまりにも露骨なので正直あまり参考にならないのですが、能力を国籍などのカテゴリーで代替させて判断することが上の基本的な考え方に反するものだということは、ここからも明らかであろうと思います。
https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/dl/saiyo-01.pdf

3 差別煽動(ヘイトスピーチ)について

とはいえ今回の件の核心は、国籍差別それ自体よりも、そうした差別を煽るような発言を、東大教員という責任ある立場で行ったということのほうにあります。大澤氏は今回の発言について「これは私企業の話で、東大とは無関係」といったツイートを繰り返しており、また情報学環長名の文書でも「学環・学府の活動とは一切関係がありません」とされています。しかしむしろ問題なのは、「無関係」なはずの東大教員の肩書きを前面に出したアカウントで、こうした発言を行ったことです。

こうした発言は、ヘイトスピーチという観点から考えることができます。ヘイトスピーチという言葉はこの間広く知られるようになった一方、その分誤解もされていて、ある人を貶めるようなことを言えば何でもヘイトスピーチだと思われているようなところもあるのですが、実際にこの言葉が意味するのは、特定の属性を理由として行われる脅迫や侮辱、あるいは煽動です。

このうちとくに煽動というのが重要で、これはある属性をもった人々に対する暴力的言動や差別的取り扱いを、煽ったり正当化したりするような発言を指します。そうした意味で今回の一連の発言の問題はたんに一私企業の差別的実態についての言明にとどまるものではなく、そうした発言を通して「中国人を採用しないのは当然」という風潮を作り出したり、そこに加担したりすることのほうにあるわけです。

ただし日本のヘイトスピーチ解消法では、煽動について「地域社会から排除することを煽動する」という非常に狭い形で規定しており、そこで念頭に置かれているのは、在特会などの過激な排外主義団体が主張する「○○人は出て行け」というような発言です。またヘイトスピーチ解消法はそもそも罰則のない理念法なので、それに違反したからといってただちに法的な判断を受けるわけでもありません。

したがってむしろここで重要なのは、情報学環長名の文書にもあるように、今回の発言が東京大学憲章(「国籍、信条、性別、障害、門地等の事由による不当な差別と抑圧を排除する」)に照らしてどのように判断されるかでしょう。ある私企業で実際に国籍差別が行われているとすればそれはもちろん問題ですが、そうした国籍差別を肯定するような発言が東大教員の肩書きで拡散されること、これは非常に大きな社会的害悪です。

また東京大学、とりわけ情報学環は留学生を多く受け入れている部局であり、国籍の異なる学生に対する配慮は非常に重要な課題です。そうした中で、今回のような発言を堂々と行うような教員が学内に存在するということは、彼ら/彼女らに大きな不安を呼び起こすものです。こうした点からも「国籍はもとより、あらゆる形態の差別や不寛容を許さず、すべての人に開かれた組織であることを保障」するという今回の情報学環長名の文書の内容は、きわめて切迫した必要性をもつものだと思います。

4 統計的差別について

最後にやや補足的な論点になりますが、今回の発言では発言主がAIの研究者で、当該発言についても「データに基づいた差別であれば問題ない」という趣旨のことをたびたび示唆していた点に、少し触れておくべきかと思います。

こうした問題はいわゆる「統計的差別」と呼ばれるもので、日本でよく言及されるのは女性に対する統計的差別です。たとえば「女性は男性よりも早期に離職しやすい」というデータがあったとして、そうしたデータに基づいて男性を女性よりも優先的に採用したり、あるいは採用後の昇進の機会を男性優先にしたりすることは、統計的差別ということになります。

「統計的」差別と言っても「差別」は「差別」であり、「統計的」であるかどうかとそれが許容されるかどうかは本来は何の関係もありません。実際、先ほど言及した「応募者の適正・能力のみを基準として行うこと」という厚生労働省のガイドラインから見ても、上のような採用や昇進の判断は、明らかに不当なものです。

その一方で、統計的差別についてはたとえば「偏見ではなく事実に基づいているのならやってもいいのではないか」といった反応が出てきがちで、実際大澤氏もそうした趣旨のツイートをしています。しかし差別かどうかを判断するにあたって重要なのは個人ではなくカテゴリーで判断するということであり、そこでの判断材料が事実であるかどうかは関係がありません。統計は差別的な実態を含めて事実を事実として示すだけなので、現実に差別が存在する場合、統計のみに基づいた判断はそのまま差別の肯定につながります。

また「そのほうが雇用者にとって合理的ならやむをえないんじゃないか」といった反応もよくあるものですが、これまで行われてきた差別のうち「合理的」なものとして説明できない、いわば純粋な悪意によるものはほぼありません。過去の事例を見ても、ほとんどの差別は力を持った側の「合理性」として説明されるようなものであり、もし合理的な理由があれば差別してもよいということになるなら、「差別禁止」はほとんど意味をもたない概念になります。

なおこうした論点は差別論においては比較的なじみのあるものですが、一般に広く共有されているかと言えば、必ずしもそうではありません。そうした中でAIの研究者が自身の研究に基づいた専門的知見であるかのような形で統計的差別の肯定を行うことは、一見した信ぴょう性が高い分、そうでない立場からの発言に比べてより悪質なものとなります。この点については、一つ前の一般的な差別の肯定という点に付け加える形で、ここで指摘しておくべきことかと思います。

5 おわりに

以上のように今回の大澤氏の発言は、自身の経営する企業が明らかな国籍差別を行っていることを、東大教員の立場で明言することで差別を正当化し、さらにAI研究者としての肩書きでそうした発言にもっともらしさを与えようとするものです。ここではこうした観点から今回情報学環長名で出された文書をの重要なものとして受け止め、それに基づいた対応が今後実効性をもった形で実施されることを強く望みます。その上で、同じ大学の同じ部局の特任教員であり、今回の問題に強く関わる研究を行っている研究者として、今後の対応にあたって必要な貢献を惜しまないことを、ここに記します。

2.11東大ワークショップ明戸配布資料

一昨日行われた公開ワークショップ「3.11後の日本と「ナショナルなもの」の氾濫−−選別され、序列化される生と身体」に、話題提供者として参加しました。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/cbfe/030/2016-02_ws.html

その際に配布したレジュメを、参考資料として公開します。
明戸20160211東大ワークショップ.pdf

当日冒頭で話したように、これは上記リンク先の趣旨文に対する僕なりの応答として作成したものです。時間の制約のためごく概略的な議論になってしまってはいますが、基本的な見通しを示すものということでご了解ください。なお草稿段階のため、論文などへの引用・参照はご遠慮ください。

反レイシズム運動インタビュー調査・中間報告書公開のお知らせ

 明戸がこの間取りまとめとして関わってきた「現代日本の反レイシズム運動に関する共同研究」インタビュー調査(明戸隆浩・曺慶鎬・清原悠・富永京子/調査期間2013年9月~2014年12月)について、「中間報告書」をまとめました。以下からPDF版をダウンロードできます。

現代日本における反レイシズム運動中間報告書.pdf

 以下、報告書をまとめるにいたった経緯について、少し補足をしておきます。

 今回中間報告書を作成したもっとも大きな目的は、この間の調査の成果をインターネット上で公開し、多くの関係者がアクセスしやすい形で提示した上で、それについてご意見・ご指摘をいただくことです。こうした調査成果の公刊は一般的には論文ないし書籍という形で行われますが、紙媒体だとどうしてもアクセスが限られ、また発行まで時間がかかるという難点があります。さらに、いただいたご意見をふまえた改訂などにも、どうしても時間と手間がかかります。今回の調査テーマである反レイシズム運動は現在進行形のものであり、またインターネット上で日々なされる議論がその重要な一部を構成している運動でもあるので、今回のような形での公開を挟むことは、今後調査グループの各メンバーが論文などを公刊する上でも重要なプロセスだと考えています。

 もう一つの大きな目的は、とくにこの間直接運動に関わってこなかった人々に対して、現代の反レイシズム運動の経緯について基礎的な情報提供を行うことです。明戸が今回の調査を考え始めたのは2013年2月のことですが、その際直感したのはこの運動がこの半世紀の日本の社会運動や思想に対して大きなインパクトをもつだろうということであり、またそれがどういうものになるかについて分析するためにも、まずはこの運動の記録を残さなければならない、ということでした。その先の「分析」にはまだ行きついていないという意味で「中間」段階の報告書ではありますが、この間の反レイシズム運動がどのような形で行われてきたのか、それをあらためて確認するための資料として、少しでも貢献できればと思っています。

 以上のような目的が必要だと考えたのは、とくに昨年末以降、この間の調査の進め方について自分自身反省する機会が多かったためです。

 まず前者(公開の場での意見交換)についてですが、あらためてこうしたことが必要だと考えたのは、運動にかかわる人々から見て今回の調査の方向性が見えにくい部分があるということでした。具体的にそうしたことが鮮明化したのは、昨年末にTwitter上で運動にかかわる人々と一部の研究者のあいだでやりとりがあり、そのやりとりの一部が調査グループのメンバーである明戸および富永にも向けられた際です。その際にはきちんとした対応ができず、またそのことが一つの原因となって今回の運動における主要人物の一人である野間易通さんから調査に協力できない旨告げられることになり(https://twitter.com/kdxn/status/605251466681417728)、これについては調査者としてあらためて面目次第もありません。今回の報告書の準備を始めたのは昨年末のやりとりがあった少し後(今年2月ごろ)なので、それからかなり時間がかかってしまった形ですが、遅ればせながらこの間の対応不足を今回の報告書によって少しでも補うことができればと思っています。

 また後者(基礎的な情報提供)についてですが、これはこの間調査グループのメンバーが行ってきた学会報告などが、必ずしもそうした目的を十分に果たしてこなかった(むしろ逆効果にもなりえた)ということに対する反省からです。具体的には、これはすでにTwitter上でアナウンスを出した通りですが(https://twitter.com/takakedo/status/604765423737798656)、調査グループのメンバーである曺の研究会報告(報告書では第2章に該当)が、「この間の反レイシズム運動は朝鮮学校の問題に無関心である」という趣旨のものだととられて、それが学会のニューズレターに掲載されるということがありました。報告書の第2章を読んでいただければわかるとおりこれはまったくの誤解によるものですが、そもそもこの間調査と並行して学会や研究会での報告を行ってきたのは先に挙げたような意味での基礎的な情報提供の一環という意味合いが強く、そうであるがゆえにこの件は本当に悔いが残るものでした。第2章含め内容的にはすべてこの間の学会報告等をふまえたものですが、報告書作成にあたって文章化することで、本来の趣旨がより明確に伝わる形になったと考えています。

 なお今回の報告書はあくまでも「中間」報告書であり、今回の調査について最終的な成果を示すものではありません。報告書内にも記したとおりグループとしての作業は今回の報告書をもって終了となりますが、今後は今回の公開を通して得られたご意見やご指摘をふまえつつ、メンバー各人の責任で調査・分析を続けていきたいと思っています。今後とも引き続きよろしくお願いいたします。

明戸 隆浩(t-akedo@nifty.com)

今、日本に人種差別禁止法が必要な5つの理由

 去年の11月なので少し前になりますが、「市民活動のひろば」125号(2014年11月号)に「今、日本に人種差別禁止法が必要な5つの理由」という文章を寄稿しました。
http://hiroba2002.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/125201411-e5a0.html

 この文章自体は昨年9月の東京都の国立市(およびその後の名古屋市と奈良県)の意見書採択を受けて、それに続く地方議会がもっと出てくることを期待しつつ書いたものなのですが、その後現在までに185の地方議会で同様の意見書が採択されています。
http://matome.naver.jp/odai/2143414042052486601

 そうした中で明日(8/4)、人種差別撤廃施策推進法案が、参議院法務委員会で審議入りします。よく誤解されがちですが、これは狭い意味での「ヘイトスピーチ規制」ではなく、その前提となる「人種差別禁止法」で、罰則のない理念法です。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150803ddm001010180000c.html
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/189/pdf/t071890071890.pdf(法案原文はこちら)

 なぜ今、日本にこうした人種差別禁止法が必要なのか。地方議会の状況はこの1年で大きく変わりましたが、その理由については基本的に変わっていません。以下、「市民活動のひろば」125号より転載します(最初の3段落と最後の1段落は地方議会のことなので、飛ばしてもらってかまいません)。

【以下転載】
---------------------
今、日本に人種差別禁止法が必要な5つの理由
――ヘイトスピーチの問題に対抗するために地方自治体ができること

 2014年9月、東京都の国立市議会が、人種差別禁止法の制定を求める意見書を採択した。この意見書は前月(8月)の国連人種差別撤廃委員会の勧告を受けたもので、国に対して「ヘイトスピーチを含む人種および社会的マイノリティへの差別を禁止するための法整備」を強く求めるものだ。議長を除く全議員20人のうち19人が賛成するという、圧倒的多数での議決だった。その後10月には名古屋市と奈良県も同じ趣旨の意見書を採択するなど、同様の動きは少しずつ広がりつつある。

 こうしたことをふまえて「ヘイトスピーチの問題に対抗するために地方自治体ができること」を考えた場合、象徴的にはそれは「国立市を孤立させないこと」になるのではないかと思う。実際すでに名古屋市と奈良県がそれに続いたわけだが、これだけではまだ「たまたま出てきただけ」として処理されてしまいかねない。こうしたものは「数」が重要な意味を持つから、さらにそれに続く動きが出てくる必要がある。そしてそうした過程において、住民がもつ力というのは非常に大きい。知り合いに一人でも市町村議員がいれば、そこから一気に話が動く。地方自治体は一つ一つは小さいけれども、その分、一人が動くことで大きく変わりうる。そしてそれが積み重なって、最終的には国を動かすことになるのだ。

 とはいえ、実際に人びとが具体的なアクションを起こすためには、「国立市に続け」というだけでは十分ではないだろう。仮に国立市と同様に人種差別禁止法の制定を求める意見書の提出を目指すとして、なぜ、人種差別禁止法なのか。ここではこうした具体的な状況を想定しながら、今、日本に人種差別禁止法が必要な理由を、5つ示してみたい。
 1つめの理由は、手続きにかかわるものだ。人種差別禁止法の制定というのは、国連人種差別撤廃条約への加入に伴う必要な手続きの一つである。国立市の声明で言及されている人種差別撤廃委員会の勧告はこの人種差別撤廃条約に基づいて行われるが、日本はこの条約に1995年に加入している。そしてこの人種差別撤廃条約の加盟国は、基本的にはそれに対応して人種差別禁止法を制定しなければならない。しかし日本では、先に見た国立市議会の意見書が今この時点でその制定を求めていることからもわかるように、いまだそうした法律が制定されていない。こうした日本の現状は、それだけで十分「今、日本に人種差別禁止法が必要な理由」になる。
 2つめの理由は、差別行為の禁止のために必要、というものだ。人種差別禁止法がない日本では、人を雇うときに人種や民族で差別したり、人種や民族を理由にアパートを貸さなかったり、店の前に「○○人お断り」などと大書したりすること(いわゆる「差別行為」)が放置されやすい。アメリカではおもに黒人に対してこうした差別行為が横行していた時期があるが、そうした状況を克服するために1964年に制定されたのが、有名な公民権法だ。またイギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国でも同様の法律が制定されており、後述するヘイトスピーチ規制については意見が分かれる一方で、こと人種差別禁止法の導入ということについては、欧米諸国のあいだで立場の違いはほとんどない。
 3つめは、ヘイトクライムへの対応のため。現在日本では、人種差別禁止法がないために人種差別に基づいた犯罪(「○○人だから殺した」「○○人だから暴行した」というケースで、一般に「ヘイトクライム」と呼ばれる)に十分に対応できていない。アメリカなどでは、こうしたヘイトクライムに対する罪を重くする(専門用語で「加重する」という)ためのヘイトクライム法が整備されている。日本にはこのヘイトクライム法もないのだが、少なくとも人種差別禁止法があれば、ヘイトクライムに対する加重を「後押し」することができる。こうした加重は、「通常の犯罪よりも差別に基づいた犯罪はより罪が重い」というメッセージを送る上でも、非常に有効である。
 4つめの理由は、国立市議会の意見書にもあったヘイトスピーチへの対応。人種差別禁止法は、「特定の個人や団体に対して」人種や民族に基づいた侮辱や脅迫が行われた場合に、それを適正に処罰する根拠となる。たとえばツイッターやフェイスブックで、○○人であることを明示している個人に向けて「○○人は日本から出て行け。さもないとどんなことをされても文句は言えないぞ」などという書きこみがなされたとする。これは形式的には刑法上の脅迫にあたるが、残念ながら実際にはこういう事件を警察やプロバイダーに持ち込んでも積極的に動いてくれないことがほとんどだ。その点もし人種差別禁止法があれば、それは警察を動かしたりプロバイダーに情報の開示を求めたりするときの根拠になりうる。
 最後に5つめの理由だが、これもヘイトスピーチにかかわる。人種差別禁止法は、集団に対する差別扇動(差別を煽って社会全体に広めようとすること)が行われた場合に、その効果を弱める。先ほど示した「特定の個人や団体に対して」人種や民族に基づいた侮辱や脅迫が行われた場合であれば、それでも一応、現行法(今ある法律)が適用されうる。これに対して、特定の個人や団体を明示せず、ただ「○○人は日本から出て行け」などと街中で大声で叫んだとしても、それを規制する法律は日本にはない(なお先に少し触れたようにアメリカは日本と同様ヘイトスピーチ規制には消極的だが、イギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国ではこうした行為も違法となることが多い)。しかしこのときもし人種差別禁止法があれば、それは差別扇動に対する法的な「カウンター」としての役割を果たす。「やつらを追い出せ!」という差別扇動に対するもっとも明確かつ有効な対抗策の一つは、「差別をするな!」ということを国が明確に法律で定めることである。
 以上、日本に人種差別禁止法が必要な5つの理由を見てきた。ここでは国立市の先例に倣って国に対して人種差別禁止法の制定を求めることを念頭に置いて考えたが、自治体レベルで人種差別禁止条例を制定したり、あるいは自治体として反人種差別宣言のようなものを出したりする場合も、基本的な発想は同じである。いずれにせよ、もし半年後に国立市の事例が「その後に続く多くの事例の端緒」となっているなら、日本の人種差別をめぐる状況は、きっと大きく変わっているはずだ。この問題について地方自治体ができることは、実は思われている以上に大きい。


ヘイトスピーチ規制文献リスト[国外編](前回の続き)

■単著

Abel, Richard L., 1998, Speaking Respect, Respecting Speech, University of Chicago Press.

Baez, Benjamin, 2002, Affirmative Action, Hate Speech, and Tenure: Narratives about Race, Law, and the Academy, Routledge Falmer.

Bleich, Erik, 2011, The Freedom to be Racist?: How the United States and Europe Struggle to Preserve Freedom and Combat Racism, Oxford University Press.

Butler, Judith P, 1997, Excitable Speech: A Politics of the Performative, Routledge.(=2004,竹村和子『触発する言葉――言語・権力・行為体』岩波書店.)

Delgado, Richard, 1996, The Coming Race War?: and Other Apocalyptic Tales of America after Affirmative Action and Welfare, New York University Press.

Delgado, Richard and Jean Stefancic, 1997, Must We Defend Nazis?: Hate Speech, Pornography, and the New First Amendment, NewYork University Press.

Delgado, Richard, and Jean Stefancic, 2004, Understanding Words that Wound, Westview Press.

Delgado, Richard and Jean Stefancic, 2012, Critical Race Theory: An Introduction, 2nd ed, New York University Press.

Dworkin, R,M, 1996, Freedom’s Law: The Moral Reading of the American Constitution, Oxford University Press.(=1999,石山文彦訳『自由の法――米国憲法の道徳的解釈』木鐸社.

Gelber, Katharine, 2002, Speaking Back: The Free Speech Versus Hate Speech Debate, John Benjamins Publishing.

Gelber, Katharine, 2011, Speech Matters: Getting Free Speech Right, University of Queensland Press.

Levin, Abigail, 2010, The Cost of Free Speech: Pornography, Hate Speech, and their Challenge to Liberalism, Palgrave Macmillan.

MacKinnon, Catharine A, 2005, Women’s Lives, Men's Laws, Belknap Press of Harvard University Press.(=2011,森田成也・中里見博・武田万里子訳『女の生、男の法』上下,岩波書店.)

Marcus, Laurence R, 1996, Fighting Words: The Politics of Hateful Speech, Praeger.

Sandel, Michael J, 1996, Democracy’s Discontent:America in Search of a Public Philosophy, The Belknap Press of Harvard University Press. (=2010,金原恭子・小林正弥監訳『民主政の不満――公共哲学を求めるアメリカ』上,勁草書房.)

Sunstein, Cass R, 1993, Democracy and the Problem of Free Speech, The Free Press.

Sunstein, Cass R, 2007, Republic.com 2.0, Princeton University Press.(=2003,石川幸憲訳『インターネットは民主主義の敵か』毎日新聞社.)

Waldron, Jeremy,2012, The Harm in Hate Speech,Harvard University Press.

Walker, Samuel, 1994, Hate Speech: The History of an American Controversy, University of Nebraska Press.

Weinstein, James, 1999, Hate Speech, Pornography,and the Radical Attack on Free Speech Doctrine, Westview Press.


■共著

Freedman, Monroe H. and Eric M. Freedman eds., 1995, Group Defamation and Freedom of Speech: The Relationship between Language and Violence, Greenwood Press.

Gates, Henry Louis et al., 1994, Speaking of Race, Speaking of Sex: Hate Speech, Civil Rights, and Civil Liberties, New York University Press.

Gelber, Katharine and Adrienne Stone eds., 2007, Hate Speech and Freedom of Speech in Australia, Federation Press.

Hare, Ivan, and James Weinstein eds., 2009, Extreme Speech and Democracy, Oxford University Press.

Herz, Michael, and Peter Molnar eds., 2012, The Content and Context of Hate Speech: Rethinking Regulation and Responses, Cambridge University Press.

Heumann, Milton, Thomas W. Church and David Redlawsk eds., 1997, Hate Speech on Campus: Cases,Case studies, and Commentary, Northeastern University Press.

Lederer, Laura and Richard Delgado eds., 1995, The Price We Pay: The Case Against Racist Speech,Hate Propaganda, and Pornography, Hill and Wang.

Maitra, Ishani and Mary Kathryn McGowan eds., 2012, Speech and Harm: Controversies over Free Speech,Oxford University Press.

Matsuda, Mari J. et al., 1993, Words that Wound: Critical Race Theory, Assaultive Speech, and the First Amendment, Westview Press.

Whillock, Rita Kirk and David Slayden eds., 1995, Hate speech, Sage Publications.

Wing, Adrien Katherine and Jean Stefancic eds., 2007, The Law Unbound!: A Richard Delgado Reader,Paradigm.

 

■論文(2000年以降のみ)

Bleich, Erik, 2011, “The Rise of Hate Speech and Hate Crime Laws in Liberal Democracies,” Journal of Ethnic and Migration Studies 37(6): 917–934.

Boromisza-Habashi, D, 2012, “The Cultural Foundations of Denials of Hate Speech in Hungarian Broadcast Talk,” Discourse & Communication 6(1): 3–20.

Gelber, Katharine, 2000, “Hate Crimes: Public Policy Implications of the Inclusion of Gender,” Australian Journal of Political Science 35(2): 275–289.

Gelber, Katharine, 2010, “Freedom of Political Speech, Hate Speech and the Argument from Democracy: The Transformative Contribution of Capabilities Theory,” Contemporary Political Theory 9(3): 304–324.

Gelber, Katharine, 2012, “Political Culture, Flag Use and Freedom of Speech,” Political Studies 60(1): 163–179.

Ghanea, Nazila, 2010, “Minorities and Hatred:Protections and Implications,” International Journal on Minority and Group Rights 17(3): 423–446.

Josey, Christopher S, 2010, “Hate Speech and Identity:An Analysis of Neo Racism and the Indexing of Identity,” Discourse & Society 21(1): 27–39.

Khalil, Annie, 2004, “Combating Racism and Xenophobiain Cyberspace: Legal Issues Affecting Hate Speech and the Means to Promote International Cooperation,” UNESCO ed., Struggle Against Discrimination, Studies on Human Rights Series, 193-237.(=2005-6,中原美香訳「サイバースペースにおける人種主義および排外主義と闘う――ヘイトスピーチに影響する法的問題および国際協力を促進する方法」上,『部落解放研究』167: 3055./下,『部落解放研究』168: 5765.[PDF])



(twitterに書いた補足を若干修正の上転載)

前回は国内編だったのでわりと片っ端から載せてく感じだったのですが、今回は外国語編、というか英語編ということで、そもそもの数も多いしまた全部載せたところでどうせ追い切れないしということで、これでもかなり絞っています。

とくに論文については、僕の拠点は90年代アメリカなのでその分の文献についてももちろんリストはあるわけですが、ただたぶん載っけても情報量が多くなりすぎて煩雑になるだけだろうなということで、2000年以降のものだけにしています。主要なものはリーダー本とかにだいたい収録されているし。

あと書籍については、基本的にはぐぐるとAmazon なかみ検索かGoogle Books かどっちか(あるいは両方)に引っかかるはずです。いや、よほど著者が有名とかでない限りそういう情報がないとそもそもリストに載せるべきかどうかすら判断できないので。

翻訳があるものは翻訳情報を載せていますが、翻訳があるのはヘイトスピーチの本というよりは、ヘイトスピーチに言及した有名人(サンデルとかドゥウォーキンとかマッキノンとかバトラーとか)の本です。ただその分実はそれなら本棚にあるという人もけっこういると思うので、関心のある方はせひ。

修正箇所や追加情報がありましたら、というのは前回と同じで。ちなみに前回分のリストも、昨日の藤井(2007)を加えた上で若干体裁直しておきました。

ヘイトスピーチ規制文献リスト[国内編]

■単著

市川正人,2003,『表現の自由の法理』日本評論社.

伊藤高史,2006,『「表現の自由」の社会学――差別的表現と管理社会をめぐる分析』,八千代出版.

菊池久一,2001,『憎悪表現とは何か――「差別表現」の根本問題を考える』勁草書房.

前田朗,2010,『ヘイト・クライム――憎悪犯罪が日本を壊す』三一書房労働組合.

櫻庭総,2012,『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服――人種差別表現及び「アウシュヴィッツの嘘」の刑事規制』福村出版.

内野正幸,1990,『差別的表現』有斐閣.

内野正幸,2010,『表現・教育・宗教と人権』弘文堂.

山崎公士,2012,『国内人権機関の意義と役割――人権をまもるシステム構築に向けて』三省堂.

 

■共著

藤野寛・齊藤純一編,2005,『表現の「リミット」』ナカニシヤ出版.

関東弁護士会連合会,2012,『外国人の人権――外国人の直面する困難の解決をめざして』明石書店.

国内人権システム国際比較プロジェクト・山崎公士,2001,『国内人権機関の国際比較』現代人文社.

湯浅俊彦・武田春子,1997,『多文化社会と表現の自由――すすむガイドライン作り』明石書店.

 

■論文

新恵里,2000,「アメリカ合衆国におけるヘイトクライム法とその問題点」『地域研究論集』3(1):7593

新恵里,2001,「アメリカ合衆国におけるヘイトクライム厳罰法がもたらしたもの――ヘイトクライムをめぐる人種の運動力学」『犯罪社会学研究』26: 141162.[PDF

新恵里,2001,「アメリカ合衆国におけるヘイトクライムの被害者学的考察」『被害者学研究』11:2947

榎透,2006,「米国におけるヘイト・スピーチ規制の背景」『専修法学論集』96: 69111.[PDF

藤井樹也,2005,「ヘイト・スピーチの規制と表現の自由――アメリカ連邦最高裁のRAV.判決とBlack判決」『国際公共政策研究』9(2) : 115.[PDF

藤井樹也,2007,「IT化時代における表現の自由と差別規制――オーストラリアにおけるサイバー・レイスィズム問題を素材に」『筑波ロー・ジャーナル』1: 95108

桧垣伸次,2010,「ヘイト・スピーチ規制と批判的人種理論」『同志社法學』61(7): 231287.[PDF

桧垣伸次,2011,「批判的人種理論の現在」『同志社法学』63(2): 929982

梶原健佑,2007,「ヘイト・スピーチと「表現」の境界」『九大法学』94: 49115.[PDF

木下智史,1996,「「批判的人種理論」に関する覚書」『神戸学院法学』26(1): 199230

小谷順子,1999,「合衆国憲法修正一条の表現の自由とヘイトスピーチ」『日本法政学会法政論叢』,36(1):160169.[PDF

小谷順子,1999,「合衆国憲法修正1条と大学における表現の自由――RAV判決以降のヘイトスピーチの規制の問題に関する一考察」『法学政治学論究』40:263289

小谷順子,2004,「米国における表現の自由とヘイトスピーチ規制――VirginiavBlack,123SCt15362003)判決を踏まえた検討」『法政論叢』40(2): 149167.[PDF

小谷順子,2005,「カナダにおける表現の自由の保障と憎悪表現の禁止」『法政論叢』42(1):145160.[PDF

前嶋和宏,2000,「ヘイトクライム規制法とその問題点」『アメリカ・カナダ研究』18: 7796.[PDF

松田浩,1999,「大学・差別・自由言論,合衆国のスピーチ・コード論争における「大学」分析」『一橋研究』24(1): 5378.[PDF

師岡康子,2012a,「イギリスにおける人種主義的ヘイト・スピーチ規制法」『神奈川大学法学研究所研究年報』30: 1943

師岡康子,2012b,「試論ヘイト・スピーチ規制法のマイノリティに対する濫用の危険性と人種差別撤廃条約」『龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報』2: 5475

元山健,1988,「現代イギリスにおける公共秩序法制の研究――1986年公共秩序法を中心に」『早稲田法学』64(1): 57136.[PDF

長峯信彦,1997,「人種差別的ヘイトスピーチ――表現の自由のディレンマ(1)」『早稲田法学』72(2) : 177241.[PDF

奈須祐治,2004a,「ヘイト・スピーチの害悪と規制の可能性(一)――アメリカの諸学説の検討」『関西大学法学論集』53(6): 53103.[PDF

奈須祐治,2004b,「ヘイト・スピーチの害悪と規制の可能性(二・完)――アメリカの諸学説の検討」『関西大学法学論集』54(2): 313366.[PDF

奈須祐治,2005,「イギリスにおける憎悪煽動の規制」『名古屋短期大学研究紀要』43: 111130.[PDF

奈須祐治,2009,「ヘイト・スピーチ規制法の違憲審査の構造――「害悪アプローチ」から」『関西大学法学論集』59(3): 391415

大沢秀介,1996,「批判的人種理論に関する一考察」『法學研究』69(12): 6793

志田陽子,2002,「アメリカ合衆国におけるヘイト・スピーチ規制立法をめぐる議論――「文化戦争」と公権力の責任」『武蔵野美術大学研究紀要』33: 113122

植木淳,1998,「人種平等と批判的人種理論」『六甲台論集 法学政治学篇』44(3): 1959

綿貫由実子,2005,「ヘイトクライムの現状に対する研究」『中央大学大学院研究年報』35: 423434

山崎公士,2004,「日本における差別禁止法の制定――国際人権法の視点から」『法政理論』36(3):113153.[PDF

山崎公士,2005,「差別撤廃における国内人権機関の役割」『部落解放研究』167: 213.[PDF

安西文雄,2001,「ヘイト・スピーチ規制と表現の自由」『立教法学』59: 144.[PDF

 


twitterに書いた補足を若干修正の上転載)

 

書籍と論文は分けてみました。論文については、[PDF]と書いてあるものはぐぐるとPDFが引っかかるはずです(引っかからない場合はたぶんCiNiiのオープンアクセスか機関リポジトリから探せます)。まあほんとはリンクを埋め込むのが親切なんでしょうがそれはちょっと面倒^^;

 

形式は社会学評論方式に準じています(一応)。事情を知らない人はとくに何も思わず、事情を知っている人はなんて面倒なことをと思うかもしれませんが、Mendeleyで出力して一括変換すればそんなに面倒ではないです。(こうしとくとこのままレジュメや論文に使えるし^^

 

また、あくまでも作業途中のものなので、ここに載せたものを作成者がすべて読んでいたり所有していたりするわけではありません。継続的に僕のtwitterを見ていただいている方はおわかりのように、僕自身明確な目的をもってこのテーマを追い始めたのは最近のことなので。

 

なお、もしリストに変なところがあるとか、あるいはこの文献がないのはおかしいだろうとかそういうのがあればご連絡ください。とくに書籍のほうは検索しただけでは引っかからないものが多いので、僕もこのあと増やしていくつもりですが。

 


20130320]藤井(2007)を追加。体裁を若干修正