石橋 正嗣
基本情報
- 所属
- 元千葉工業大学非常勤講師 生命環境科学科
- 材料技術研究協会理事(前)
- 学位
-
工学博士(埼玉大)
- 連絡先
- ishimasa
tbz.t-com.ne.jp - J-GLOBAL ID
- 201701010644430274
- researchmap会員ID
- B000277039
- 外部リンク
URL http://www2.tbb.t-com.ne.jp/ishimasaa/shoukai.html
以上がHPですので公開して頂いてOKです。
詳細は上記URLクリックしてくだい。論文や科学エッセイなど多数発表しています。
なお略歴は次の通りなので以下もご覧ください。
光通信産業の未来とその周辺<講演した時の演題>元<株>フジクラ、千葉工業大学工学部 非常勤講師<造語を使うのは偶然だが西田幾多郎もよく使っていたことを後で知って驚いた>
石橋 正嗣(いしばし・まさし)昭和34年3月 埼玉大理学部卒業, 早川研究室で卒論「微少白金電極を用いてNa3ALF6-CaF2 融解浴に溶解 したZnOの高温ポーラロ波」、東工大大学院資源化学研究所の動きもあり、 昭和34年4月(株)フジクラの前身,藤倉電線(株)入社, 生産技術課、研究部を経て昭和48年通信事業部技術開発部通信技術開発課長、昭和58年機器電材事業部部長, 昭和60年ゴムプラスチック事業部副事業部長,. 昭和62年第二営業本部副本部長兼技師長、平成元年藤倉プラスチック<現:フジクラコンポーネント>(株)取締役技術部長兼本社工場長、平成6年礎電線(株)取締役そして顧問、平成11年千葉工業大学非常勤講師<生命環境科学科戸田、山口、尾上、橋本、寺本、矢沢、矢崎先生などに他にもお世話になり>など現在に至る。その間昭和52年ラミネートケーブルの製造法で社長特別表彰、平成15年材料技術研究協会感謝状<功労賞>などを受賞、また昭和48年~昭和53年IEC国際会議TC46国際会議日本代表4回出席、昭和61年材料技術研究協会理事兼導電性材料研究会会長兼平成13年~異業種異分野技術交流会代表幹事、平成10年小笠原科学技術振興財団評議員、現在に至る。昭和41年危険物取扱主任者(甲種)、平成9年「自己制御型PTC発熱体ケーブルに関する研究」で工学博士取得平成23年材料技術協会功績賞受賞、著書:プラスチック実用試験ハンドブック(工業調査会)共著、ペテロラタム系防食システム(日本防錆技術協会)編集委員、先端材料とその展望(材料技術研究協会)監修、 導電性材料をめぐる最近の動向(材料技術研究協会)監修、通信技術50年の歩み(フジクラ通信事業史) 通信ケーブルの歴史 1、 紙ケーブル 2、 発泡ポリエチレンケーブル、同軸ケーブル 3、 光ファイバケーブル 1)1966年 STL Kao博士の論文 2) 構造(single mode)3 製造法(VAD) 4) 実用化に伴う問題点 ● 曲げ折れ問題:UV塗料皮膜による複合化 ● OH基除去による低損失化● ホーリーファイバの出現とPOFの登場 4、 光通信革命の意味すること(帯域の爆発 ● 波長分割多重<DWDM> テラからペタの世界 ● FTTH、FTTO, 3 製造法(VAD) 4) 実用化に伴う問題点 ● 曲げ折れ問題:UV塗料皮膜による複合化 ● 光部品の需要活性化 <ドロップケーブル、光キャビネット、ONU、メカニカルスプ ライス、融着接器、専用工具、光電気変換器、コネクタ ー導波路、フェルール、変調器、その他アイデア製品>
追記:異業種異分野技術交流会を立ち上げて10年以上継続発展させたことと「先端材料材料技術とその展望」「導電性材料をめぐる最近の動向」出版したことなど認められて材料技術研究協会から平成23年功績賞を授与された。80歳にして自叙伝執筆。国際的視野に立って。
研究キーワード
1主要な論文
3MISC
3-
-
1-5
-
1-5
書籍等出版物
2講演・口頭発表等
2-
光通信産業の未来とその周辺(材料技術研究協会)
Works(作品等)
4-
その他
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その他
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その他
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その他
その他
1-
2017年6月 - 2017年6月幼年時代 私は昭和十二年一月二日現在の群馬県館林市細内町898.に七人兄弟姉妹の五男所謂末っ子として誕生した。 父親は仁三郎、母親はハナ、七人兄弟姉妹はツル、カメノ、清司、仲次郎、三郎、文雄、正嗣各々きびしい時代を生きてきた。農業、日赤看護婦長、農業、獣医師、動植物検疫所、中学校教諭、フジクラの順である。 昔は邑楽郡郷村新当郷898であったが現在は館林市に統合されている昔は豪農で一丁二反農家であり(今は姪の婿が石橋土質試験所も経営して兼業中)中学までは手伝いをしながら進学の勉強をして育った。いづれこの実家には居られないことは分かっていたのでまずは進学を心得ていた。小学校、中学校は約50名を二クラスに分けての小さな学校であった、 幸い授業は小さい学校であったためか懇切丁寧で落伍者はいなかった。成績は1,2番の優等生であった。 高校時代、大学時代(つづきは論文の欄を参照) いよいよ高校受験は館林高校に十五番で合格した。高校時代は受験勉強に集中し各種模擬試験で成績が目に見える貼り出しが廊下の上にその都度にあり一番から五番に入っていた。結果はトップクラスに居たことで優等賞を手にした時の恩師※中畠先生の推薦と旺文社の模擬テストで時々優秀者の名前が出ることが楽しみで勉強していたことを思い出している。志望大学をどこにするか、一期校は東北大、二期校は埼玉大理学部(当時は文理学部理学科)化学科と決めて頑張った。一期校は不合格、二期校埼玉大(旧制浦和高)に合格した。先輩には数々の有名人が多く誇りに思っている。大学時代は早川保昌教授の無機化学を専攻卒論は溶融塩のポーラログラフィーの指導を受けた。余禄であるが父親が気象庁予報部長そして研究所長であった肥沼寛一理学博士のご子息長女肥沼洋子(埼玉大数学科)との恋物語も忘れてはいけない、彼女宅も訪問親しくお付き合いしてもらったことも重要であった。地球化学の相談も父親を交えて行った思い出になっている。そして卒業近くなり東工大大学院舟木研究室(電気化学)又は教育大の三宅研究室(地球化学)か就職では遠い親戚の※兵藤嘉門フジクラ(当時は藤倉電線)の社長(姉の木村おばあさんの伝手)宅を訪問したことも記憶に残っている・フジクラ時代悩み悩んだが就職の道で藤倉電線に合格し生技術課通信技術開発課長、通信材料研究開発室を経て機器電材事業部部長、GP事業部副事業部長、第二営業本部副本部長兼技師長など歴任後平成元年藤倉プラスチック(藤倉コンポーネント)取締役技術部長五年間、礎電線技術部門取締役と顧問を約十年間経験した。通信関係時代にはIEC国際会議日本代表「YSF三社持ち回り」、ゴムプラスチック=GP事業部時代には自己制御型PTC発熱体ケーブル「Fヒータ」の研究にて同期の友人埼玉大松田常雄教授(叙勲者)の援助もあって工学博士を取得して千葉工業大
社会貢献活動
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