論文

2017年3月

1867年度ブルノスラヴ系ギムナジウム入学者の社会構成

豊田工業高等専門学校研究紀要
  • 京極俊明

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記述言語
日本語
掲載種別
DOI
10.20692/toyotakosenkiyo.14
出版者・発行元
独立行政法人 国立高等専門学校機構豊田工業高等専門学校

1850年代にオーストリアではギムナジウムの近代化改革が遂行された.だが多民族国家であるがゆえに,民族平等の要求と対峙せねばならなかった.1860年代後半まで,モラヴィアでは原則として,ギムナジウムの授業言語はドイツ語であった.モラヴィアのチェコ国民党は,母語でエリート教育を受ける機会を求めて,領邦議会で活発な運動を展開した.その結果1866年,皇帝によりスラヴ系ギムナジウム2校の建設が命じられた.モラヴィアの州都ブルノは工業都市であったが,1867年度,最初にブルノのスラヴ系ギムナジウムに入学した学生の大半は,地方都市と農村の出身者であった.また父の職業構成を調査した結果,農民,手工業者,商人,小学校教員が大半を占め,いわゆる経済市民層,教養市民層の比率はせいぜい15%程度であることが明らかになった.中間層から中間下層のチェコ系住民において,エリート教育への関心が高かったのである

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DOI
https://doi.org/10.20692/toyotakosenkiyo.14
CiNii Articles
http://ci.nii.ac.jp/naid/130005439820
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  • DOI : 10.20692/toyotakosenkiyo.14
  • CiNii Articles ID : 130005439820

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