共同研究・競争的資金等の研究課題

2005年 - 2007年

1880年代の民間レベルにおける日伊芸術交流史の再検討-写真家アドルフォ・ファルサーリとブルボン家エンリコ・バルディ伯爵の随臣アレッサンドロ・ツィレーリ伯爵の日本での活動

日本学術振興会  科学研究費助成事業  基盤研究(B)

課題番号
17320025
体系的課題番号
JP17320025
担当区分
研究分担者
配分額
(総額)
6,960,000円
(直接経費)
6,600,000円
(間接経費)
360,000円

明治初めの日本写真史研究において、イタリア人アドルフォ・ファルサーリの写真家としての活動に関しては謎の点が多く残されていた。1990年代のイタリア人研究者エレナ・ダル・プラによる新出のファルサーリ書簡を中心とした研究を踏まえて、1888年に横浜から彼が家族に贈った写真アルバム(ヴィチェンツァ市立美術館所蔵)や、1890年の帰国時に持参し、妹や、とくに娘キクに遺贈された写真アルバムや写真ガラス原板などの遺品(ヴィチェンツア市立ベルトリアーナ図書館と同市所在のドロテア女子修道院の所蔵)を精査・写真撮影し、ファルサーリの遺言(1895年作成)や公文書などよりそれらがファルサーリの制作品あるいは所有品であることを確認した。同時に、日本で発行された欧米語新聞の記事などからファルサーリの横浜での雑貨商、測量家、地図製作者、出版者、写真家・画家という多彩な活動(1876年9月8日横浜港到着から1890年4月12日イタリアに向け横浜港を出港)を跡付け、横浜写真の代表的写真家としての彼の活動の全容をほぼ明らかにした。
これに対し、ファルサーリが帰郷する寸前の1889年にブルボン家エンリコ・ディ・バルディ伯爵の世界周航旅行の随行者として日本に滞在したアレッサンドロ・ヅィレーリ・ダル・ヴェルメ伯爵が旅行の問につけていた挿絵・写真入り日記15冊(未刊行)に関しては、一行がファルサーリから写真を購入しているため、日本滞在記事をヴェネツィア東洋美術館現館長フィオレッラ・スパダヴェッキアが解読転写し、その邦訳を試みた。その記事は、1880年代に日本を訪れた外国人旅行者たちが横浜写真を買い漁っていた様子を知るうる貴重な証言であることが判明した。

リンク情報
KAKEN
https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-17320025
ID情報
  • 課題番号 : 17320025
  • 体系的課題番号 : JP17320025