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2019/10/22

【参加報告】トークイベント「“共に生きる”は“与える”からはじまる」

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

昨日、19時5分から20時30分まで、東京堂ホールにおいて岩野卓司氏と栗原康氏によるトークイベント「“共に生きる”は“与える”からはじまる」が行われました。


これは、青土社の50周年記念行事の第1回目として行われるもので、岩野卓司氏の新著『贈与論 資本主義を突き抜けるための哲学』の刊行を記念し、政治学者の栗原康氏と対談しました。


岩野氏による会の趣旨の説明と栗原氏の自己紹介に続き、バタイユとアナーキズムの共通点から始まった対談では、主に以下のようなやり取りがなされました。


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栗原氏:アナーキストが重要視した考えの一つが「相互扶助」。日本では幸徳秋水が「相互扶助」の思想を導入。幸徳らは孟子の仁の思想が「相互扶助」に繋がると指摘(Cf. 惻隠の情の事例)。人が「「我知らず」で動く」ことの狂気性。
岩野氏:「思わず人を助ける」ということは本能的な行動の一種。グレーバーも資本主義の根本の一つして指摘。しかし、グレーバーは「狂気」には行かず、「土台としてのコミュニズム」となる。「狂気」の考えはバタイユに近い。バタイユは物事を壊す方向に進む。マルセル・モースはポトラッチを強調するが、バタイユは人間の根本に「狂気」を認める。
栗原氏:バタイユの面白さは「自分の身を滅ぼしても突き進む」こと。もう一方で、「自分を滅ぼすからこそ何でも出来る」という面も。アナーキストは「主人と奴隷の二項対立」で世の中を説明し、「立ち上がって現状を打ち壊す」ことを強調する。身を亡ぼすかも知れないものの「我知らず」で行動する。しかし、行動が成功したら「主人」と「奴隷」の立場を入れ替えるだけ。あるいは、テロで現状を壊すことも相手を「奴隷」とみることに他ならない。
岩野氏:バタイユは「アセファル共同体」を提唱。「アセファル」は「頭のない」こと。「頭」(トップ)がいない共同体を考えることを求め、「欲望を開放すること」を重視。しかも、宗教的な「供犠」を重視し、「供犠」が展開すると最終的には自らも犠牲となり、共同体の崩壊に繋がるため、戦後のバタイユは共同性に注意を払う。また、デリダは「二項対立の脱構築」を考え、「現前」によって二項対立を避けようとする。
栗原氏:バタイユの「頭のない共同体」はアナーキストに通じる側面がある。革命以前のロシアではネチャーエフなどは「頭があってはいけない」が先に立ち、「内ゲバ」を行い、結社が崩壊する。デリダの「二項対立の脱構築」は、大杉栄の敵討ちを目指したギロチン社の古田大次郎の事例などとも繋がる。
岩野氏:モーリス・ブランショはカミュを論じる際に「正義の人々」を取り上げ、レヴィナスの「他者の顔」の概念を援用し、「何かを命じる者」によって爆弾を投げさせなかった、と議論を深める。
栗原氏:バタイユと言えば汚物の観念。
岩野氏:バタイユは父の介護体験から、「エロティシズム」と「汚物」が大きな影響を受ける。「父への憎悪」の観念と相まって、「排泄物」を「排除の観念」として考える。バタイユは「贈与」は「人に与える」とともに「人に捨てる」ことであり、「排泄物」と同じであり、「人に与えるものは自分にとって無関係」という考えに至る。
栗原氏:「贈与とは排泄物である」という考えは興味深い。
岩野氏:アナーキストで排泄物を投げた者はいるか?
栗原氏:アナーキストやサンディカリズムでは排泄物を相手に投げたし、鎌倉時代などの合戦でも排泄物を敵軍に投げつけた。
岩野氏:かつては『トイレット博士』などもあったので、「うんこ狩り」はなかった。現在は「清潔志向」が強い。フランス語にもpropre(固有物、財産)の発想がある。
栗原氏:台風19号の際の「ホームレス排除」も「財産」と「清潔志向」とが結びついている。船本洲治は「日雇いが汚物扱いされるのは上等。汚物と言われるなら、その状況そのものを武器にすべき」と主張した。「汚物」の「無用さ」を武器にすることが「真に革命的」という船本の指摘はバタイユの階級闘争の議論と繋がる。
岩野氏:フロイト的な無意識の考えではダイヤモンドと排泄物が等価値になることを前提とし、バタイユは規制の枠組みを語ろうとする。
栗原氏:グレーバーの物足りなさは「うんこ感」が足りないこどとでもある。グレーバーの人柄は大変良いし、「土台としてのコミュニズム」は日常的でよい。だが、バタイユ的な「汚物」、「狂気」に行けばより面白い。
岩野氏:グレーバーは「基盤的コミュニズム」を説明して終わり。グレーバーは効率や利益を求めるだけで、資本主義にとっては役に立ちうる理論。「資本主義からどう変えるか」がグレーバーの書物からは見えてこない。デリダは人の行動の本質的な部分で「イレギュラー」が起きると考える。人間の欲望を見ると、必ず「狂った面」があり、「狂った面」が資本家への攻撃になり得る。バタイユはマーシャル・プランの例においても、資本主義を変える「何か」を見出す。栗原氏はランダウアーや一遍上人のような宗教的な側面を研究している点が面白い。
栗原氏:「贈与は贈与ではない」という考えを一遍は打ち壊そうとする。一遍は阿弥陀念仏から出発して念仏を忘れて踊る境地に至る「ずれ」と「狂気」があった。
岩野氏:レヴィ=ストロースは『火あぶりにされたサンタクロース』において、ハロウィーンやクリスマスなどの「冬祭り」を死者の祟りとあの世への帰還を説明する。渋谷のハロウィーンでの「ゾンビダンス」は「死者に対する敬愛」を無意識のうちに実践しているのではないか、とも思われる。戦後のフランスでは社会から宗教性が薄れたため、クリスマスは「贈り物の日」へと急傾斜した。

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フランスの現代思想だけでなく現在の日常と照らし合わせつつ執筆された岩野氏の『贈与論』の議論を通して、アナーキズムと宗教との関係から「うんこ」に至るまで闊達な議論がなされた今回は、「贈与」の持つ可能性の一端を示す、意義深いものとなりました。


<Executive Summary>
Talk Event "Live Together" Begins from "To Give" by Professor Dr. Takuji Iwano and Mr. Yasushi Kurihara (Yusuke Suzumura)


A talk event "Live Together" Begins from "To Give" by Professor Dr. Takuji Iwano and Mr. Yasushi Kurihara was held at Tokyodo Hall on 21st October 2019. In this event, they examined possibility of gift based on Professor Dr. Iwano's latest book The Theory of the Gift.


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