論文

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2020年

行為の現場としての「歴史的現在」――リクール『時間と物語』の体系的解釈を目指して【日本フランス語フランス文学会学会奨励賞候補論文選出】

『日本フランス語フランス文学会関東支部論集』、日本フランス語フランス文学会関東支部
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  • 山野弘樹

29
開始ページ
69
終了ページ
81
記述言語
日本語
掲載種別
研究論文(学術雑誌)
出版者・発行元
日本フランス語フランス文学会関東支部

I はじめに
フランスの哲学者ポール・リクールの主著『時間と物語』(1983-85年)は、「時間と物語の相関性」についてのテーゼが有名である。とりわけよく引用されるのは次の文章である。

時間は物語的様式で分節される限りにおいて人間的時間となり、物語は時間的実存の条件となるときにその全体的な意味作用を獲得する。(TR I, 85)

しかし、〈「時間」と「物語」が相互媒介の関係にある〉という理解だけでは、実際のところ、『時間と物語』という著作全体の射程を包括できているとは言い難い。なぜなら『時間と物語』には、物語の受容を通した「自己」の変容や、公共の空間における「他者」への責任といった議論が内包されているからである。そのため、『時間と物語』に含意されたテーゼを体系的に解釈するためには、〈自己の負債〉や〈他者への責任〉という問題が論じられる『時間と物語』の最終章(第四部第二篇第七章「歴史意識の解釈学に向かって」)の議論を綿密に検討する必要があるだろう。
だが、そうであるにもかかわらず、これまでのリクール研究においては、『時間と物語』における「歴史意識」論の重要性が閑却されてしまってきた。例えば、オリヴィエ・モンジャン、ヨハン・ミシェル、スティーヴン・クラーク、カール・シムズなどの著名なリクール研究者たちは、『ポール・リクール』と題された自らの著作において『時間と物語』を論じているにもかかわらず、リクールの歴史意識論に関してほとんど言及をしていない。『時間と物語』の概説本を著したW. C. ダウリングは、歴史意識論に全く言及することなく、『時間と物語』第四部第二篇第五章までの解説で自らの仕事を終えてしまっている。管見の限り、歴史意識論を真正面から論じている論考はリチャード・カーニーの論文「伝統とユートピアの間」くらいであるが、その論考においても、リクールの歴史意識論の構想を十分に展開できているとは言えない。
確かに、「歴史意識の解釈学に向かって」の章(以下、「歴史意識」の章と略記)が、それまでに展開された『時間と物語』における各議論とどのように関係するのかという点を、リクール自身が明確に示しているわけではない。さらに、『時間と物語』全体の頁数と比べると、「歴史意識」の章に割かれている分量も決して多いとは言えない。だが、リクール自身が「歴史意識」の章を、『時間と物語』の最終章として論じたという事実を考慮に入れるならば、それまでの『時間と物語』の議論と密接に関連付けながら「歴史意識」の章を解釈するという作業は、十分に可能であるはずである。
そこで本稿においては、『時間と物語』第一部第三章における「三重のミメーシス」と呼ばれる議論を、『時間と物語』第四部第二篇第七章における「歴史意識」の章に関連づけることによって、『時間と物語』における「歴史意識」の章の内実、およびその理論的位置づけを明らかにすることを試みる。本稿の構成は以下の通りである。まず、「歴史意識」概念をめぐるリクールの議論を再構成しつつ、そこにおいていかなる「時間」の在り様が念頭に置かれているのかを確認する(第二節)。次に、こうした歴史意識論において示される「物語」の要請という議論が、『時間と物語』における「三重のミメーシス論」と密接な関係性を有している点を明らかにする(第三節)。続けて、歴史意識論と三重のミメーシス論の間の関係性が、決して外在的な関係性ではなく、両者の内的な議論構成によってお互いに関連付けられているという点を、「負債」概念の観点から明示する(第四節)。最後に、『時間と物語』前後の著作の議論も参照しつつ、「歴史的現在」において遂行されるべき世界市民的行為の内実に関して検討を行っていく(第五節)。

リンク情報
共同研究・競争的資金等の研究課題
ポール・リクールにおける歴史的存在論の思想

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