研究ブログ

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第2回レジュメ

Gérard Chazal, “Chapter 2 Philosophy and Technology in the French Tradition. The Legacy of François Dagognet,” in Sacha Loeve, Xavier Guchet, Bernadette Bensaude Vincent (eds), French philosophy of Technology : Classical Readings and Contemporary Approaches, Cham: Springer, 2018, 23–35.  

 本稿の目的は, フランス技術哲学を牽引してきた哲学者の一人であるフランソワ・ダゴニェと, 彼が「リヨン学派」と呼ぶグループが推進してきた「オブジェクト指向の哲学」の特徴を明らかにしながら, 代表的な研究成果を整理することである. シモンドンによれば, 古代ギリシア以来, プラトンやピュタゴラスの「主体の哲学」とイオニアの哲学者たちの「オブジェクト指向の哲学」が存在してきたが, ディドロからシモンドン, ダゴニェに至るまで, 多くのフランス人哲学者たちは後者を推進してきた. 彼らの考えでは, 哲学の究極目標である「人間」を理解するためには, 道具, 機械, 日用品, 芸術作品, 工業的作業など, その人間が何を生み出したかに迫る必要がある. ダゴニェによれば, そうした所産そのものが心の形成にも関与している. 厳密にいえば, 彼らは「リサーチ・スクール」を形成していないし, 何らかの理論体系を共有しているわけでもないし, フーコーが言うような「主体の哲学」と「概念の哲学」の区分にも収まりが悪い. とはいえ, 彼らは少なくともいくつかのアプローチは共有している. 以下では, そのアプローチの特徴を四点にまとめて紹介する. ジルベール・シモンドンとフランソワ・ダゴニェがこの伝統を別々に指導してきたが, ダゴニェはカンギレムの教え子であり, シモンドンはカンギレムの指導下で副論文「技術的対象の存在様態」を書いた. その意味で, ジョルジュ・カンギレムが彼らを結びつけている. 


2.1 実践と対象 

 第一に, 実践を優位に置き, 手仕事を蔑視せず, 技術的対象そのものを哲学的に考察しようとすること. あらゆる技術を歴史の中に位置づけようとすること. 彼らは「技術的対象を設計し工作する具体的実践」を強調する. ダゴニェは医者や外科医の実践 (1964), 工業製品 (1989), 現代美術の展示やあらゆる種類の対象や物質について (1992a), スクラップと廃棄物 (1997) にまで関心を向けた. ダゴニェの指導下で博士号を取得したジャン=ピエール・セリスは機械だけでなく美術とその実践に関心を持ち, ホモ・ファーベルの具体的な姿に分析を拡大した (Séris 1994). フランソワ・ダゴニェの信奉者であったジャン=クロード・ボーヌは人間の条件を分析する装置であるオートマタを研究する一方で, 技術的活動の条件であり帰結でもある物質的・想像的複合体としての「技術的環境」という概念を練り上げた (1980a, b, 1983, 1998). 航空技術史研究の専門家であるダニエル・パロッシア (2003年) は, その研究の大半を地球上に徐々に広がる様々なネットワークを含むグラフや分類の数学モデルに費やし (1993年, 1994年), コンピュータシミュレーションが利用可能になるずっと前から, 熱力学的機械モデル, 流体力学, 真空ポンプが大気現象の説明の枠組みを提供していたことを示した (1997). フランク・ヴァレンヌはコンピュータシミュレーションの包括的研究を行い, 抽象的・分析的な論理数学計算法を現象に翻訳したものであるという一般的な見方とは対照的に, その具体的な技術的人工物としての発見的価値を強調した (2007, 2009). 


2.2. 歴史的転回

 第二に, あらゆる技術を歴史の中に位置づけようとすること. 例えば, ボーヌのオートメーションに関する考察は18世紀と19世紀のオートマタの歴史的分析を通して展開される. より最近では, コンピュータゲームの哲学を書く前のマチュー・トリクロが, コンピュータサイエンスの出現と初期の発展史を『サイバネティックス・モーメント』 (2008) で書いている. 彼らがベルトラン・ジル (1978) やモーリス・ドーマ (1962, 1965, 1971) のような技術史家を引用し, シモンドンが知覚に関する講義でイオニアの生理学者に立ち返ったり, ダゴニェがルイ・パストゥール, クロード・ベルナール, エティエンヌ=ジュール・マレーの研究を行っているのは, 技術の人間的深みを申し分なく復元するためである. この歴史的転回は二つの想定に基づいている. 一方では, 技術は常に進行中である. シモンドンによれば, 「あらゆる技術的対象の個体性や特異性を定義することができるのは, 発生の基準からである.」 (1958) どんな技術も基本的には, 未来に影響を及ぼす「技術発生論」の問題である. 技術史は技術の存在論的, 経済的, 社会的, 政治的な意味についての洞察を提供する. それらは最新型の技術の現在に光を投げかけ, 未来の選択にとっても重要なものとなる. 他方では, 発生的アプローチがあらゆる技術を理解するために不可欠なのは, それは技術発生論が人類発生論において重要な役割を果たしているからである. 社会の政治経済史は, フランスの技術哲学に欠かせないものである. 先史家のソフィー・アルシャンボー・ド・ボーヌが指摘しているように, 人間の作業活動やその有効性, あるいは美的嗜好そのものは, 技術的実践と無関係ではあり得ない (2008). また, 社会の政治経済史はフランスの技術哲学には欠かせない. ダゴニェの『測定に関する考察』では, 市民社会で測定が中心的な役割を果たす様々なニッチを記述していることから, 測定ツールをその技術的な側面だけでなく, 商業的な利用の側面からも考察している (1993b). 『貨幣, 驚くべきお金の哲学』 (2011), 『労働の哲学』 (2013) では、同様の歴史哲学的アプローチを展開している. 技術を歴史的・時間的な現象として考えていくと, フランスの哲学者たちは発明の年代学に関心を持っている.  アルシャンボー・ド・ボーヌ (2008) は, ルロワ・グーランだけでなく, レヴィ=ストロース, シモンドン, ジャン=ピエール・セリス (1987, 1994) にも言及し、先史時代からの発明と技術革新の本質を問いかけている. あるいは、技術的収斂 (同時発明) は, 技術的実践の発明と普及の一種の決定論を示唆しているとセリスは主張する. 「同時発明のよくある事例は, それを可能にする条件が満たされると, 少なくとももっともらしい仮説としては, 発明の準必然性を認めざるを得ない.」 セリスは新石器時代の間に拡散過程のない様々な場所で, 様々な時代に起こった印象的な数の道具や技術的な発明を示唆している. また, ホイヘンスやワットなどが有名な機械に名前をつける前の産業化以前のヨーロッパでは, 似たような無名の発明が何度か起こっていたことにも言及している. 発明の年代学に加えて, フランスの哲学者は技術的対象の空間的な分布と変化に注意を払っている. 技術的発明, 戦争, 経済的要求, 社会的要求の間には複雑な結びつきがある. アルシャンボー・ド・ボーヌは, 技術史のこれらの様々な物質的, 社会的, 経済的, 政治的側面を通じて社会の技術的展開の諸相をカバーしている. 


2.3. 技術者としての人間 

 第三に, 人間は技術的な人工物と実践を通じてみずからを構築するという考え. このフランス的伝統は技術を人間存在の本質的な側面と見なす. 人間に関わるものは何でも, 技術的過程によってのみ形にしたり, 改良したり, 利用したり, 制御したりできるような物質世界のうちに存在している. これは, 美術品をはじめとする日常生活のあらゆるものに当てはまる. 科学でさえ技術と切り離せない. バシュラールは「現象工学」という概念を使って強調したように, 実験活動には, 例えば, 大型粒子加速器のような技術的機器のサポートが必要である (1949). 技術が人間の生活の基本的な次元と考えられているように, 技術の哲学は真の技術人類学である. 

 (1) 医療技術の哲学. ダゴニェは人間の条件の物質性を主張した (1964. 1990, 1992b, 1998a, b, 2003b). 病気や死に対処するために, 私たちの脆弱な身体の状態はしばしば身体への技術的な介入を必要とするため, ケアはおそらく有史以前から技術的な側面を含んでいた. この点で, 医療技術の哲学は必然的に人間の哲学であり, 病気や死との絶え間ない闘いの中で自分自身と闘っている血肉でできた個人の哲学である. ダゴニェの医療技術の哲学は手足, 内臓, 免疫系, ホルモン系, 神経系などを持つ有機的な人間についてのものである. また, ダゴニェは技術が人間性を失わせるという観念論的ヒューマニストに反対した. 工業的に生産された薬は, 一次的な効果を減少させたり, 毒性を誘発したりする他の多くの付随化合物と一緒に働く「自然の」薬で服用される同じ分子よりも純粋で安全であると主張した. 

 (2) 技術的環境. 技術に対するフランス人類学的アプローチの第二の例は, ジャン=クロード・ボーヌの技術と技術的実践に関する研究であり, 「技術的環境」という概念に焦点を当てている (1980b, 1983). ボーヌによると, デカルトのオートマタから現在の産業用ロボットまで, 機械が機械的に計測する時間の哲学を発展させることを可能にしている. ベルクソンの直観主義とバシュラールの「リズム分析」 (1932, 1950) を超えて、ボーヌの技術哲学は時間性に関する省察である. 人間は死すべき存在でもあるので, 技術的環境も命を奪い去る可能性がある. ボーヌは技術の恥ずべき側面を完全に認識している (Beaune 2002). 例えば彼はビッグデータの実装の裏に「ビッグブラザー」の影を認めた (2009, 2013). 

 (3) 技術における数学の実在的機能. (3) ダゴニェのもう一人の教え子であったダニエル・パロッシアは, 技術の根底にある数学的な構造を主張した. 『数学と実在』 (1991) では、パロッシアはあらゆる技術活動の数学的基盤を人間化の過程に関わる自然の秩序との決別として検討した. 道路建設技術、橋梁、トンネル、ダム、原子力発電所、航空宇宙 (1997,2003) などを調査する中で、パロッシアは、最も具体的な側面だけでなく、それらが展開する数学的な形態を探求している. 『情報の宇宙論』(1994年)と『ネットワークの哲学』(1993年)において、パロッシアは、アデールからインターネットに至るまでの技術的実践のグローバルな研究を目指しており, 少なくとも現代においては, この「技術発生論」の過程からは何物も逃れることはできない. 

 彼らは最近の技術的発展にも目を配っている. ダゴニェは『エクリチュールとイコノグラフィ』 (1973) や『未来への記憶——情報化の方法論に向けて』 (1979), ボーヌは『技術的環境の哲学』 (1998), パロッシアは『情報の宇宙論』や『ネットワークの哲学』 (1993, 1994) の中で技術の「脱物質化」過程を強調している. このような技術の深遠な変容は, トリクロ (2008, 2011) やヴァレンヌ (2007, 2009) の著作や、ステファヌ・ヴィアル (2013) のようなコンピュータ・イメージングに関する数多くの著作に見られるように、フランスの若い世代の哲学者たちにとって中心的なものとなっている. 

 フランスの技術哲学の伝統を概観するには、技術の人類学的哲学を発展させたセリス(1987, 1994) とティンランド (1977) の存在が不可欠である. 技術的人工物は, 言語や芸術と同様に人類を定義するものであり, 完全に文化の一部である. 一方では, ティンランドは, 技術開発が人間と動物の間で誘発する違いを考察している. 他方では, セリス (1987) においては, 私たちの歴史がどれほど機械の発展と進歩的理論化でもあるかを見ることができる. セリスの著作は,様々な「技術的」言説 (「技術」に関する言説とそれを数学的に形式化したもの) の生成における数学と実践の相互作用を強調している. 


2.4. テクノロジーから芸術, 社会的リスクへ 

 第四に, 技術と芸術の間の結びつき. フランス的伝統の特徴は, 道具や機械に対する功利主義的アプローチや, ものづくりの経済的枠組みを無視していることである. フランスの哲学者たちは技術的応用よりも歴史的・人類学的次元における技術性の発生に焦点を当てる傾向があるため, 技術性の領域に美術を含めることが多い. ダゴニェは, 医療技術の研究から, 彼が熱烈な擁護者となった近現代美術へと移行したとき, この親密なつながりを体現している. 彼は, ありふれたもののライフサイクルと, 廃棄物が美術品に変換されることに注目した最初の学者の一人である (Dagognet 1997). ボーヌとパロッシア (1996) の著作は文学を絶えず参照している. パロッシアは『哲学と現代音楽』 (2006) を書いた. このフランス技術哲学の伝統を追求する次世代の哲学者の中で, トリクロやヴィアルのように、現在デジタルの世界で出会っている芸術と技術の奇妙なハイブリッド (ビデオゲーム, デジタル・インターフェース, バーチャル・アバター...) に特に敏感に反応する者がいる. 

 それと同時に, 彼らはテクニック, テクノロジー, スキルが経済的, 政治的, 社会的文脈の中で開発され, 反対に決定されることを見落としてはいない. 社会経済的次元は, クレルモン・フェランとル・クルーゾで開発された産業に精通していたボーヌの仕事の中に常に存在しており, 利益重視の技術には危険が伴うという最も鋭い認識を示していた. 『技術的環境の哲学』では, 彼は物質の変換過程の監督者としてのみならず, 生産の社会的組織化の媒介者としても, エンジニアの役割を描いた. 技術の社会的危険性については, オットワ (2004) の仕事でも重要視されている. さらに, 「社会主義者」であることを何度か主張していたダゴニェも技術のこの側面に興味を持たなかったわけではない. 『所有の哲学——持つこと』 (1992c), 『新しい道徳』 (1998b), 『貨幣——驚くべきお金の哲学』 (2011), 『労働の哲学』 (2013) であり, 最後の本は教え子4人と一緒に書かれた. パロッシアについては, この分野での広範な分析は彼の著書『危機の形態』 (2008) に見ることができる.

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第7回レジュメ(平井)

第5章 機械たちの台頭——メカノロジー, サイバネティックス, テクノロジーの発見的価値によってコントのレガシーに挑戦する (Rise of the Machines: Challenging Comte’s Legacy with Mechanology, Cybernetics, and the Heuristic Values of Technology)

ロナン・ル・ルー (Ronan Le Roux)

  本稿は, オーギュスト・コントのレガシーに対する, 近代テクノロジーを科学の単なる応用と見なす実証主義と結びついた古典的描像に対する, 機械たちの台頭を論じる. この描像は, 科学と技術の社会的・哲学的研究によって退けられてきた. 結果として, 科学と技術の交配, 共生, 交錯によって特徴づけられる表象が推進されてきた. だが, これらの研究では, いかなる実証的知識の観念も, いかなる認識論的関心も, しばしば軽視されてきた. そうした研究 (社会構築主義)による実証主義の転覆は, 科学の支配的地位の脱構築に立脚してきた (非理論的態度 ; 非人間). テクノロジーの特殊性の分析を可能にすることによってテクノロジーに中身を与える諸概念を構築するというよりも. 別の研究 (相互依存研究) は, 科学とテクノロジーが相互に依存する様々な仕方についての概観と分析を与えている. STSだけが反実証主義を独占しているわけではない. 相互依存研究は可能な相互依存のすべての様態を説明していない. そこで本章では, 三人のフランス人哲学者, ピエール・デュカセ, ジョルジュ・カンギレム, ジルベール・シモンドンを取り上げ, 科学と技術の関係について、どのようにして、またどの程度、非コント的洞察を追求したのかを論じる. STSの盛衰の影にあって, 彼らは科学と技術の間の関係の独自な側面に注目し, 科学の合理的ヴィジョンの中でテクノロジーの特性を認めた. 第一に, 科学技術史研究所を背景とした, 彼らの非コント的洞察を概観する. 第二に, 彼らの洞察に対する象徴的参照軸としてのサイバネティックスに対するそれぞれの関心に焦点を当てる. 最後に, なぜ明確なリサーチ・アジェンダに発展しなかったのかという問いを検討する. 


5.1 科学技術史研究所における非コント的洞察 

  ソルボンヌの科学技術史研究所は, コント風の科学史を最も制度的に体現したものだったが, テクノロジーに強烈な関心が向けられる時代に生まれた. 「技術」が人類に恩寵をもたらすという観念に疑義が呈された時代にあって, 社会科学 (エスピナス, モース, フェーブル, フリードマン,...) でも哲学 (ベルクソン, シモーヌ・ヴェイユ, ピエール=マクシム・シュール) でも主要なトピックとなった. いずれの場合にも, 技術と機械は合理性の帰結というよりも, 合理性に挑戦するものとなった. ISHTの創始者であるアベル・レーも, そうした動きと無関係ではなかった. モースとフェーヴルの友人だったレーは, 『フランス百科事典』第1巻「心的道具立」の中で, 合理性の歴史的出現を, 原初的なものからより論理的で洗練された「心的道具立て」に移行する分化として描いた. 実証主義的スタンスを持ちながらも, この概念はベルクソンから着想を得ている (ホモ・サピエンスはホモ・ファーベルに依存している). レーを引き継いだガストン・バシュラールは二つの考えの間で揺れていた. 一つの考えでは, 現象工学 (唯一の真に合理的な人工物) とその他 (いかなる特殊な合理性も持たず, 美的情動と隣接する) に分けられるか, 別の考えでは, すべての技術的人工物は, 理論からテクノロジーへと伝播する, 同じ公理的合理性に従属している. 前者において, 現象工学は, リージョナル・エピステモロジーと両立する規範的概念であり, 物理学と化学よりも弱い理論的フレームワークの学問分野は無視された. 後者において, テクノロジーの存在論はただ一つのモデル (科学理論から技術的人工物への公理的矯正の伝播) に従う. どちらにせよ, バシュラールはコントのヒエラルキーに忠実だった. 

  レーやバシュラールと違い, ピエール・デュカセはコントの技術哲学を転覆した. アンリ・ベールの「総合国際研究所」の協力者だったデュカセは, 『機械学に関する考察』 (1932) を著したジャック・ラフィットの機械学から影響を受けた. 機械の世界それ自体を研究すべきである, 機械はいかにして, なぜそのようであるのかを問う機械学は, 一つの社会科学として, 人間の発明とその社会的条件に注目する. 1945年, デュカセはフランス語で書かれた初めての一般技術史を出版した. また, 彼は時間測定に関する関心を科学史に普及させた. ジョルジュ・カンギレムは, 医学と生物学の歴史と哲学に専念する前には技術の哲学者だった. 技術的創造とは, 人間が自らの環境を組織化することによって自らの環境の決定論に抗うための方法である. デカルトから, 「技術のイニシアティヴは生命の要求にある」というモットーを引き出した. 1961年の「機械と有機体」で, カンギレムは二つの新規性を主張した. (1) 技術的人工物が有機体を説明するためのアナロジーによって科学者たちに着想を与える. 機械の「発見的価値」. (2) 科学的現象に対する技術的現象の独自性. 現象工学のように, 高い理論負荷性を帯びた技術でさえ, 道具の全体的なあり方と特性を説明しない. 技術的系統発生. ジルベール・シモンドンは, コントの三状態の法則を批判して, 技術的思考と宗教的思考は理論的思考の中で絶えず結合している, と主張した. 科学とは技術的思考と宗教的思考の間の「両立性の体系」である. 科学では, 技術的人工物の存在と組織を完全には説明できない. その発展は, 構造と機能の間の内定両立性の問題が段階的に克服されるようにして行われる. 産業時代でさえ, 内的結果の科学的知識が, 人工物の内的組織に関する成熟した技術的認識と, 構造と機能の間の関係に関する経験的認識と並行する. 技術的対象は, 単に科学の応用ではないばかりでなく, 科学にとってオリジナルな認識の経験的源泉, コントの学説によって絶対的に排除された偶発性となりうる. 最後に, 技術的人工物は理論的なモデルと概念に着想を与える. キケロのメタファー (農業, 帆船, 戦争), 認知的習慣としての質料形相論 (レンガ製造) の長期にわたる影響を, シモンドンは存在論的障害として批判した. デカルトの精神指導の規則に着想を与えたモデルとして, 技術を, そしてサイバネティックスを位置付けた. 


5.2 戦後フランスにおけるサイバネティックスの帰納的価値 

  戦後における主たる知的事件の一つは, ノーバート・ウィーナーのサイバネティックス論が出版されたことだった. ソルボンヌのすぐ隣の出版社で初めて出版されると, すぐさま学者たちの注目を集めた. このトピックは, フランスにおける様々な哲学的議論の中でファッショナブルな主題となった. 我らが三人の哲学者たちも, サイバネティックスは熱狂的に迎えた. 非コント的洞察に呼応するものとして. フランスのサイバネティックス研究にも積極的に関わりも持った. サイバネティックスは, コントの体系における二つの要点を一つにまとめた. (1) ディシプリンごとと, 理論人と実践人の間の分業, (2) 科学からテクノロジーへと流れる知識の一方向性. ウィーナーの本は, 実証主義の父にとって悪魔の詩となった.  第一に, サイバネティックスは機械の発見的利用を促す. 生物学的, 社会的, 認知的プロセスのモデルとして, 経験的研究を要請する予見不可能な人工的振舞の源泉として. (実験ロボット工学を生み出した, サイバネティックス研究者が作った機械のように). 第二に, サイバネティックスはエンジニア, 数学者, 生物学者, 社会科学者, 物理学者の学際的で, 領域横断的なコラボレーションに立脚し, 形式化された概念と方法の循環をもたらす. サイバネティックスが出現したのは, 科学者とエンジニアと一般大衆の心にある, 戦後の科学と技術における最も印象的な努力の一つとしてだった. 機械から科学理論と可能な学際的コラボレーションへと知識の流れを逆転させるだけでなく, 実証主義哲学者のモノポリーではない反専門化をもたらした. 知識の分類と総合にとってのサイバネティックスの帰結に, フランスの知識人たちは気づかずにはいられなかった. アンリ・ベールの総合研究所は, サイバネティックスを暖かく迎え入れた. 歴史家で哲学者のシュザンヌ・コルノールはサイバネティックスについて何本かの論文を書いた. 1958年, 第21回総合週間で, 数学者ブノワ・マンデルブロは, サイバネティックスについての発表をフィーチャーした. 百科全書主義を体現した人物, 化学エンジニアで数学者のフランソワ・ル・リヨネは, サイバネティックスの論文を書き, ベルギーで最初の国際サイバネティックス学会を主宰した. 彼はユネスコで科学の教育と普及のために働いていたからである. 別の論集で, 彼はウィーナーと何人かの論文をまとめた. 例えば, フランソワ・リュッソである. 情報概念は, 科学の体系に関する古典的理解を劇的に変える可能性のある, 再配分とクラスタリングへと向かう, と強調した. 念頭にあったのはもちろんコントである. リュッソは我らが三人の哲学者についで重要な人物である. 彼は機械の概念をサイバネティックスとの関係で何度も論じた. サイバネティックスと機械学を結び付けようとするのはフランスに特徴的である. 

  デュカセは, フランスのサイバネティックス研究者たちの中で重要な役割を果たした. IHSTで, 彼は「サイバネティックス研究会」 (CECyb) のセミナーを歓迎した. 四十人のメンバーの中には, 数学者, エンジニア, 生物学者, 物理学者, 哲学者, 歴史家がいた (デュカセ, デュバルル, リュッソ, コルノール, ル・リヨネ, マンデルブロ, ダヴィッド, ウィーナー, ラフィット). サイバネティックスはデュカセのプロジェクトに再び活気をもたらしつつあったが, 彼は時代遅れとなることに尻込みした. デュカセはサイバネティックス研究会に出版の機会も与えた. タレス第7巻はサイバネティックス研究会が企画し, 機械への非コント的アプローチを強調した. アシュビーは彼の実験的プロトタイプが持つ発見的地位を強調した. リュッソは「機械の一般現象学」のなかにサイバネティックスを位置付けることを提案した. ルイ・クーフィニャルは理論的プロジェクトを素描し, 「アメリカ」サイバネティックスと肩を張ろうとした. デュカセの雑誌『技術の構造と進化』はフランスにおけるサイバネティックスの「非専門的」擁護者となった. デュカセはクーフィニャルの理論的プロジェクトに, コントが放棄した「具体科学」の最良のバージョンを認めた. クーフィニャルは『技術の構造と進化』にいくつも論文を書いている. シモンドンもまたサイバネティックスに携わったが, デュカセほどではなかった. 彼はデュカセのネットワークの外にいた.  彼は神経生理学の刷新を率いて, サイバネティックス研究会のメンバーにもなるアルフレッド・フェッサールの指導下で精神生理学の免状を獲得した. 精神生理学もまた, サイバネティックスのホットスポットの一つだった. シモンドンは1952年に博士課程の研究に着手したが, サイバネティックスが注目を集め始めたのはその頃だった. サイバネティックスが生まれつつある彼の哲学体系で重要な役割を果たし, おそらくテクノロジーについて深く省察するように促しもした. 彼の体系の主要面は, サイバネティックのアイディアとの批判的対話から派生している. 初期に書かれた二つの手稿は, シオンドン哲学におけるサイバネティックスのパラダイム的価値を確証しており, その百科全書的含意を把握していたことを示している. 当初はサイバネティックスをデカルト, コントになぞらえていたが, その考えは後に修正された. シモンドンはもはやサイバネティックスをコント的反省性とは同一視しない. 数学と実証主義認識論のように, サイバネティックスは他の同じような科学ではない. 対象によってではなく, 横断的方法によって定義される. しかし, 数学や認識論と違って, 目的論と客観性を切り離さない. この「普遍的サイバネティックス」は普遍的テクノロジーであり, コントにとってはナンセンスな「純粋テクノロジー」でもある. 初期の手稿はシモンドンはサイバネティックスの文献をよく理解していたことを示している. 博士号をとってから高等師範学校に戻り, フーコー, アルチュセールなどの同窓とサイバネティックスのグループを作ろうとしたが無駄に終わった. 1962年, 彼はこっそりロワイヨモンの第四回国際学会に参加していた. 登壇者はウィーナー, マンデルブロ, クーフィニャルだった. カンギレムもサイバネティックスに深い関心を持っていたが, 一度も研究会に参加しようとはしなかった. 彼が得たサイバネティックスに関する情報が二次文献に依拠していた. デュカセやシモンドンとの違いは, 彼はサイバネティックスを実証主義批判には使わなかったことだ.  彼のテクノロジーに対する深い関心と, 実証主義に対する論拠は, サイバネティックスからあまり影響を受けなかった. カンギレムは, 生命科学のエピステモロジーとの関係で, サイバネティックスに言及している. 彼が関心を持っていたのは, 概念モデルとしての, 数学の方法論的価値としての, 機械の発見的価値だった. 生物学におけるモデルとアナロジーに関する有名な論文は, サイバネティックスを大いに参照している.  彼のアーカイブは, サイバネティックスのトピック性を確証している.  反対に, 彼の「機械と有機体」という大いなる総合は, サイバネティックスにはまったく言及していない. 

  1971年と1976年, カナダ人グループがパリで機械学についての学会を企画した.  報告書によれば, ラフィットが指導的人物であり, シモンドンが大スターであり, カンギレムは座長であった. サイバネティックス研究会の何人かが出席していた.  総合研究所が学会を後援し, アンリ・ベールの後を引き継いだシュザンヌ・ドゥロルムが司会した. これらの学会は, 機械理論の連続性と蓄積的性質, それらと他の科学分野との関係について疑義を投げかけた. 報告書はごく秘密裏に普及した. 非コント的洞察を内蔵したシンボルとして受け取られているとしても, 広範な普及には遠く及ばなかった.  


5.3 結論

  科学と技術の関係に関する我らが三人の哲学者たちの洞察は驚くほど収斂している.  なぜそうした洞察は, 明瞭なリサーチ・アジェンダとはならず, バラバラで萌芽的, ほとんど目に見えないままだったのか. なぜ, 今日のように, こうした洞察は歴史的認識論に何のインパクトももたらさなかったのか. デュカセはIHSTを離れる時に歴史的認識論を放棄した. シモンドンは歴史的認識論とほとんど関わりを持たなかった. カンギレムのケースは最も謎に満ちている. 少なくとも1970年代までテクノロジーに深く関心を示し, 反実証主義をはっきりと表明していたカンギレムが関心を寄せたのは, いかにして機械が特殊な, おそらくは選択的な法則に従っているかであり, 「技術的系統発生」という表現を作った. しかし, デカルト (暗にバシュラール) に反して, 「機械と有機体」で生物学から着想を得た機械理論として「オルガノロジー」を要請した後, カンギレムは足踏みしてしまい, いくつかの機械は合理的計算の産物で, 別のものは「不合理な起源」を持つと結論づけた. 機械の発生パターンを分析するというオルガノロジー・プロジェクトが含意する特殊な合理性は放棄され, 不合理性へとシフトした. この不合理性へのスウィッチを理解するためヒントが二つある.  (1) 技術的人工物は総合である以上, 分析の対象ではない. (2) そして, 呪術と結びついていた道具という, カンギレムが注意深く読んでいた, フランス人類学派の影響がある. 1965年にアップデートされた「機械と有機体」は, サイバネティックスもシモンドンの発生的技術論も論じていない. 技術論者としてのカンギレムがロマンティックなカンギレムの息の根を止めてしまった. 後者にとって技術的創造は科学よりも芸術に属しているのだ. 最後に, 三人の哲学者たちは, バシュラールの非コント的洞察によって含意されていた現象工学と小面衝突することを避けたように思われる. 実証主義が深く根付いている制度的空間の中で, どのようにして彼らの収斂に向かう洞察は, 発散した軌跡を生き延びることができたのだろうか. 異端的洞察の発展は, 技術哲学の制度的弱点の煽りを受けた. 我らが哲学者たちを結んでいた絆は弱かった. デュカセとシモンドンは, 哲学的制度の周縁に位置し, 中心にいたカンギレムは, 主に医学の哲学者として見なされた. 分野を代表したり統一したりする人物は他にいなかった. 洞察が広く議論されうる共通空間はなく, 統合されていなかった. そのような弱点ゆえに, 世代間の伝達はいっそう不確実となり, 分野そのものが個人に強く依存するようになった. つまり, 関心のトピックがずっとバラバラで, 個人による業績の偶然性に依存するようになったのだ.  こうした制度的弱点は, かろうじて異端的洞察へとバトンを渡すことができ (J.-C. ボーヌがその一人である), ポスト構造主義と肩を張ることができた. 機械とサイバネティックスは, 生まれつつあったポストモダンの哲学的風景の中に居場所を見いださいた. ただし, 認識論的合理性を犠牲にして. 機械はフランス哲学の言説空間の大部分を征服し, オーギュスト・コントよりもはるかにファッショナブルになった. しかし, 彼らによる発展の論理は, 社会構築主義とポストモダンの隠喩使いたち (ドゥルーズ, ガタリの「機械門」への言及) によって禁止されてしまった. 



  こうした脱落に対して, 私が示したかったのは, 機械たちの不服従と合理主義的フレームの両方を結合する重要な洞察があったということである. これらは科学の技術的次元に対して敏感な合理主義へとアップデートするための着想を与えている. 課題の一つは, 機械学のさらなる構築と, その科学的機器の研究への応用 (非バシュラール的現象工学) である. もう一つの課題は, ボーヌが歴史的にバトンを繋いだ, アナロジーのためのモデルとしての機械の発見的価値に関する系統的研究である.  科学の文化的研究と対立する, フランス・エピステモロジーの合理主義的観点から, アナロジー的推論の科学的価値とパフォーマンスを考察すべきである. 非コント的洞察は, 科学哲学と技術哲学の交雑に貢献するように思われるのだ. 

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第5回技術哲学勉強会 (10/25)

Sacha Loeve, Xavier Guchet, Bernadette Bensaude Vincent (ed.), French Philosophy of Technology: Classical Readings and Contemporary Approaches, Cham : Springer, 2018.

1. Is There a French Philosophy of Technology? General Introduction (終了)
Part I Negotiating a Cultural Heritage
2. Philosophy and Technology in the French Tradition. The Legacy of François Dagognet. (終了)
3. On the Current Uses of Simondon’s Philosophy of Technology (終了)
4. Christianity and the Philosophy of Technology in France (途中)
5. Rise of the Machines: Challenging Comte’s Legacy with Mechanology, Cybernetics, and the Heuristic Values of Technology (次回)
6. We Have Never Been Wild: Towards an Ecology of the Technical Milieu 
7. The Role of the Philosophy of Technology in French-Language Studies of Video Game 
Part II Coining and Reconfiguring Technoscience
8. Technoscience: From the Origin of the Word to Its Current Use
9. Cybernetics Is an Antihumanism. Technoscience and the Rebellion Against the Human Condition
10. Lyotard on the (In)Humanity of Technoscience
11. Toward a Philosophy of Technoscience
Part III Revisiting Anthropological Categories.
12. Technology and Nature
13. Leroi-Gourhan: Technical Trends and Human Cognition
14. The Anthropocene: Where Are We Going
15. Toward an Object-Oriented Philosophy of Technology
16. Cyborgs, Between Organology and Phenomenology: Two Perspectives on Artifacts and Life
17. Of Times and Things. Technology and Durability
18. Transcendental Imagination in a Thousand Point
Part IV Innovating in Ethics, Design and Aesthetics.
19. Ethics of Technology in France
20. Wisdom in the Technosphere
21. Design Made in France: Perspectives on “Industrial Aesthetics” (1951-1984)
22. Design and Aesthetics in Nanotechnology
23. Ontophany Theory: Historical Phenomenology of Technology and the Digital Age

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第4回フランス技術哲学勉強会 (2020年9月20日)

Sacha Loeve, Xavier Guchet, Bernadette Bensaude Vincent (ed.), French Philosophy of Technology: Classical Readings and Contemporary Approaches, Cham : Springer, 2018.

1. Is There a French Philosophy of Technology? General Introduction (終了)
Part I Negotiating a Cultural Heritage
2. Philosophy and Technology in the French Tradition. The Legacy of François Dagognet. (終了)
3. On the Current Uses of Simondon’s Philosophy of Technology (終了)
4. Christianity and the Philosophy of Technology in France (次回)
5. Rise of the Machines: Challenging Comte’s Legacy with Mechanology, Cybernetics, and the Heuristic Values of Technology 
6. We Have Never Been Wild: Towards an Ecology of the Technical Milieu 
7. The Role of the Philosophy of Technology in French-Language Studies of Video Game 
Part II Coining and Reconfiguring Technoscience
8. Technoscience: From the Origin of the Word to Its Current Use
9. Cybernetics Is an Antihumanism. Technoscience and the Rebellion Against the Human Condition
10. Lyotard on the (In)Humanity of Technoscience
11. Toward a Philosophy of Technoscience
Part III Revisiting Anthropological Categories.
12. Technology and Nature
13. Leroi-Gourhan: Technical Trends and Human Cognition
14. The Anthropocene: Where Are We Going
15. Toward an Object-Oriented Philosophy of Technology
16. Cyborgs, Between Organology and Phenomenology: Two Perspectives on Artifacts and Life
17. Of Times and Things. Technology and Durability
18. Transcendental Imagination in a Thousand Point
Part IV Innovating in Ethics, Design and Aesthetics.
19. Ethics of Technology in France
20. Wisdom in the Technosphere
21. Design Made in France: Perspectives on “Industrial Aesthetics” (1951-1984)
22. Design and Aesthetics in Nanotechnology
23. Ontophany Theory: Historical Phenomenology of Technology and the Digital Age

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第1回フランス技術哲学勉強会 (2020年6月7日)

2020年6月7日 (日曜日) 15:00–17:00 @東京大学駒場キャンパス14号3階院生室


Sacha Loeve, Xavier Guchet, Bernadette Bensaude Vincent (ed.), French Philosophy of Technology: Classical Readings and Contemporary Approaches, Cham : Springer, 2018.

1. Is There a French Philosophy of Technology? General Introduction (今回)
Part I Negotiating a Cultural Heritage
2. Philosophy and Technology in the French Tradition. The Legacy of François Dagognet.
3. On the Current Uses of Simondon’s Philosophy of Technology
4. Christianity and the Philosophy of Technology in France
5. Rise of the Machines: Challenging Comte’s Legacy with Mechanology, Cybernetics, and the Heuristic Values of Technology
6. We Have Never Been Wild: Towards an Ecology of the Technical Milieu
7. The Role of the Philosophy of Technology in French-Language Studies of Video Game
Part II Coining and Reconfiguring Technoscience
8. Technoscience: From the Origin of the Word to Its Current Use
9. Cybernetics Is an Antihumanism. Technoscience and the Rebellion Against the Human Condition
10. Lyotard on the (In)Humanity of Technoscience
11. Toward a Philosophy of Technoscience
Part III Revisiting Anthropological Categories.
12. Technology and Nature
13. Leroi-Gourhan: Technical Trends and Human Cognition
14. The Anthropocene: Where Are We Going
15. Toward an Object-Oriented Philosophy of Technology
16. Cyborgs, Between Organology and Phenomenology: Two Perspectives on Artifacts and Life
17. Of Times and Things. Technology and Durability
18. Transcendental Imagination in a Thousand Point
Part IV Innovating in Ethics, Design and Aesthetics.
19. Ethics of Technology in France
20. Wisdom in the Technosphere
21. Design Made in France: Perspectives on “Industrial Aesthetics” (1951-1984)
22. Design and Aesthetics in Nanotechnology
23. Ontophany Theory: Historical Phenomenology of Technology and the Digital Age

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