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呉座勇一さんの訴訟と和解についての一私見

1.呉座さんの訴訟と和解の概要およびその意味

 

 すでに周知の事実ですが、さる2023年9月末、2021年3月に発覚した呉座勇一さんのネット上の差別的な数多の暴言をめぐる騒動と、そこから派生した訴訟について、続けざまに大きな進展というか結末が示されました。国際日本文化研究センターで内定していた准教授への昇任を撤回された呉座さんが、日文研の上位機関である人間文化研究機構に対し起こした地位確認の訴訟と、呉座さんの一件をめぐって出されたオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が、呉座さんの名誉を毀損したものであるという訴訟が、相次いで和解したのです。

 その結果は、呉座さんは助教として日文研に復帰(再度准教授承認が内定しなおしたのかどうかは分かりません)し、名誉毀損訴訟は呉座さんの側が訴えを取り下げ、オープンレターが呉座さんの名誉を傷つけるものではないとの同意をして、和解したものでした。ただし、呉座さんの件発覚後に、呉座さんを名指しはしない形で声明「歴史研究者による深刻なハラスメント行為を憂慮し、再発防止に向けて取り組みます」を発した日本歴史学協会に対する名誉毀損訴訟は和解が不調に終わり、裁判が継続中だそうです。


 個人的には、呉座さんの復職は幸いなことだと思いますが、地位確認訴訟の当初の目的は「呉座さんは准教授に昇任していたはず」という地位の確認だったはずで――例えば名誉毀損訴訟の代理人(労働訴訟は別の弁護士だそうです)である吉峯耕平弁護士はしばしば「呉座准教授」という表現でツイートしているのが確認されます――その点では「勝利」とは言い難いとも思われます。もちろん単なる金銭的解決よりはいいことではありますが。

 さらに、オープンレターをめぐる訴訟については、オープンレター側の代理人・神原元弁護士が「勝利的和解」を宣言しておられるように、呉座さん側のほぼ「敗北」と総括せざるを得ないと考えられます。訴訟の経緯自体が、呉座さんの代理人である吉峯弁護士がオープンレター呼びかけ人に対し、これは呉座さんへの名誉毀損だから謝罪して100万円払えといきなり請求し、それに対しオープンレター側がそんないわれはないと提訴したものだったといいます。それが、呉座さんの側が名誉毀損ではないことを認めて訴訟を取り下げたということは、最初の要求が言いがかりに近いことを認めたといわざるを得ません。

 こうしてみると、対日文研(人間文化研究機構)訴訟はともかく、オープンレター呼びかけ人に対する訴訟は嫌がらせでしかなく、当然のごとく無為に終わって、理不尽にも巻き込まれたオープンレター呼びかけ人が訴訟に手間と費用をとられるという骨折り損に終わりました。とりわけ巻き込まれた津田大介さんはお気の毒としか言いようがありません。しかも呉座さんの側も、かえってオープンレターが「呉座叩き」ではない、ということを明らかにさせてしまって、「オープンレターはリンチだ !キャンセルカルチャーだ!」と騒いでいた、自称・呉座擁護派のはしごを外す結果となり、藪蛇の自爆に終わったといえなくもありません。関係者すべてが損をした、まったく愚かなことでした。


 さて、この問題に関しては、私は当初から呉座さんの引き起こしたことはたしかに問題だけれども、それは彼一人の個人的な問題ではなく、「界隈」「クラスタ」と俗称されるようなネットの悪い連中との付き合いにこそ起因する、だから悪縁を断てば呉座さんはいくらでも復活できる、と主張してきました(例えば当ブログの以前の記事など)。そしてオープンレターもまた、同様の主張をしているものと理解し、賛同しました。しかるにネット上では、オープンレターが呉座攻撃であるかのような曲解が大手を振って横行し、それが「事実」のようにされてしまいました。それはおかしいと声を上げた方は当然おられ、私も微力ながらそう唱えましたが、大勢を変えるには至りませんでした。

 しかし今回の和解で、先の神原弁護士の note にあるように、

反訴原告、反訴被告ら及び補助参加人(以下「本件当事者」という。)は、別紙添付「オープンレター」が、反訴原告による利害関係人に対する誹謗中傷や、反訴原告による他の女性に対する性差別的な発言の原因について、インターネットにはびこる差別的なコミュニケーション様式の影響が強いと分析した上で、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることが大切であると広く呼びかけたものであることを確認する。

と、明確にオープンレターが呉座叩きでないことが確認され、問題は差別的言動を生み出す(主に)ネット文化であって、それに呉座さん側も合意したとのことです。長い時間と無駄な手間がかかりましたが、このことが確認されたのは、この件の数少ない有意義な帰結と思います――裁判するまでもなく自明に読み取れるはずだったのですが。

 従ってここで、オープンレターを呉座叩きのキャンセルカルチャーだ!と主張していた人々は、自分たちの主張が誤っていたと反省しなければならない筈です。しかし――当然のことながら――彼らに反省の二文字はないようで、訴訟戦術に失敗したといわざるを得ない吉峯弁護士からして、あたかも「敗北」ではなかったかのようにツイートしているのは、いささか往生際が悪いように思われます。吉峯弁護士については訴訟での手際が必ずしも良くなかったことも傍聴者が指摘しており(例えば「地裁でひっそり/開示請求」さんのツイートや、東間嶺さんのツイート参照)、反省すべき点はあろうと思うのですが。一方的に謝罪と賠償を要求して、それに対し債務不存在確認の訴訟を起こされて負けたらあまりにみっともない、とは、呉座さんのツイッター凍結解除を支援するなど、ネット上で呉座さんと付き合いのあった、いわゆる「法クラ」の一員である高橋雄一郎弁護士も指摘するところなのです。


5ちゃんねる呉座スレ 2021年4月22日付より採取


 

2.本件における歴史修正主義について

 

 以上のように、オープンレター訴訟の和解はオープンレター側の「全面的勝利」の主張に説得力を感じられますが、これに対し呉座さんは和解当初にご自身のブログでこう主張されていました。

私が和解に応じたのは、オープンレターが私を「歴史修正主義(者)」と断定するものではないとの確認が得られたことにより、本訴訟を提起した最低限の目的が達せられたと考えたためです。

 このブログ記事はその後削除されてしまいました(ただしアーカイヴされていて今でも見ることができます)。削除の原因については後程考えるとして、さて呉座さんが最初に訴訟を提起した際は、どう主張していたでしょうか。

この訴訟では、オープンレターの以下の記載が名誉毀損にあたるかどうかが問題になっています(下記2項はオープンレターからそのまま引用、敬称略)。

①    「呉座氏がツイッターの非公開アカウントで過去数年にわたって一人の女性研究者(このレターの差出人の一人である北村紗衣)に中傷を続けていたこと……が明るみに出た」

②    「呉座氏自身が、専門家として公的には歴史修正主義を批判しつつ、非公開アカウントにおいてはそれに同調するかのような振る舞いをしていたことからも、そうしたコミュニケーション様式の影響力の強さを想像することができるでしょう。」

 これを読む限りでは、呉座さんの訴訟目的はオープンレターが名誉毀損に当たるかどうかが眼目だったとしか考えられません。その中の一つのトピックが歴史修正主義者かどうかという話であって、しかもそのトピックは二番目であり、それが「最低限の(=もっとも守るべき重要な)目的」だったとは読み取れません。

 また、呉座さんのブログを「歴史修正主義」で検索しても、上掲提訴の報告のほかは、ご著書『戦国武将、虚像と実像』の宣伝記事しか出てきません。あまり重要と考えていたようにも思われないのです。

 そもそもオープンレターも、呉座さんが従軍慰安婦問題に不用意なツイートをしたり、同じく慰安婦問題について矮小化するようなツイートに「いいね」をしていたことを、「同調するかのような振る舞い」と「そのように見えてしまう」と評しているわけで、断定しているわけではありませんし、続きの文章で「そうした(引用註:ネット上の「クラスタ」「界隈」での)コミュニケーション様式の影響力の強さ」を指摘して、呉座さんの専門家としての知性がネットの悪い付き合いで曇らされたのでは、とある意味「逃げ道」を用意してくれているのです。

 だからこの和解は、「最初からオープンレターは呉座さんを歴史修正主義者であると名誉毀損していない」ことを、オープンレター側の主張に沿って改めて確認しただけであり、これがオープンレター側の主張の一部を撤回させた、というわけでもないのです。つまり一方的な思い込み(誤読)で訴訟を仕掛け、それが誤りだと諭されて撤回したという、はなはだ無意味なことだったということになります。訴訟自体が誤りだったわけで、考えるに、このような案件を持ち込まれた弁護士は、謝罪と賠償をいきなり要求するより、依頼人の誤読を正して別な手段を提言するのが専門家としての責務だったのではないか、などと思いたくもなります。


 ただ、私はここで、呉座さんの「歴史修正主義」に関する理解に一抹の不安を覚えるのです。前掲「拙著『戦国武将、虚像と実像』の紹介」のブログ記事でも、あるいはそこからリンクされている『戦国武将、虚像と実像』冒頭の試し読みを読んでも、歴史修正主義はどうして問題なのか、ということが読み取れないのです。単に、学問的な研究成果を無視しているから、という以上の問題を呉座さんが認識されているのか、私はそこに不安を感じます。

戦国武将、虚像と実像 

 歴史修正主義の問題点は、それが人権問題だからなのです。そもそも「歴史修正主義 Historical revisionism」の起こりであるヨーロッパのそれを思い起こせば、ナチによるユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」はなかった、という主張が大きな源流のひとつです。これはユダヤ人に対する差別や偏見につながりますし、そこからナチを正当化するようになると、さらに広範な人権への攻撃につながる恐れがあります。

 日本型歴史修正主義といえば、主なものは「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦は強制されておらずただの売春婦だ」「関東大震災の朝鮮人などの虐殺はなかった」といったところです。これらが中国や朝鮮に対する差別や偏見につながることは容易に分かりますし、女性差別にも及ぶものであるといえます。歴史修正主義が問題なのは、まず何よりも他民族やマイノリティ、弱い立場の人びとへの人権侵害になるからなのです。

 この点を、呉座さんは理解されているのかが、不安に思うところです。呉座さんのツイートや「いいね」には、女性差別をはじめさまざまな差別があったことは遺憾ながら事実です(具体的な事例は当ブログの以前の記事を参照)。このような差別に対する鈍感な意識こそが、個別のトピックへの対応以上に、歴史修正主義的なものと親和性が高いのです。

 これについて、呉座さんの以前の共著『教養としての歴史問題』の書評で、木畑洋一さんが以下のような指摘をされています。書評本文では呉座さんたちの本をたいへん好意的に評した木畑さんですが、呉座さんの起こした騒動を知って、以下のように追記をされています。

この書評の初校を終えた段階で、本書執筆者の一人呉座勇一氏がツイッターアカウントで他者を傷つける発言を繰り返し、それを本人も認めて謝罪したとの報道に接した。氏が所属する国際日本文化研究センターも謝罪文を出している。問題となっている発言は、他者(この場合は女性研究者)に対する強い差別意識を示すものであるが、そのような差別意識は本書が批判の対象としている歴史修正主義の核心に存在する要素である。評者として呉座氏のこうした発言は絶対に看過しえないことを、付記しておきたい。研究者の倫理にもとるこうした言動が、すぐれた本に影を落としてしまったことが、残念でならない。(強調は引用者による)

 これは大変重要な指摘と思います。歴史修正主義は差別意識と密接な関係があり、だから人権問題を引き起こし、時には戦争の正当化にすらなってしまいます(例えば旧ソ連の「カチンの森虐殺事件」を否定するという歴史修正主義を、プーチン政権は表明しています)。

教養としての歴史問題 

 呉座さんはネットの悪縁にはまったあまり、歴史修正主義に接近しやすいメンタリティを持ってしまったのではないか、そこが私の気になるところです。そもそも呉座さんのベストセラー『応仁の乱』について、呉座さんの事件で無茶苦茶なオープンレター攻撃を展開した(ネットの論壇と称するサイト「アゴラ」で20本!も読むに堪えない攻撃記事――その滅茶苦茶の厄は私も被りました――を書いた)與那覇潤氏が、綿野恵太さんとの対談(既に削除されていますが、アーカイヴがあります)でこう述べています。

『ニューズウィーク』日本版の昨年(引用註:2018年)一〇月三〇日号が「ケント・ギルバート現象」を特集したんです。一番売れたケント氏の本は、五〇万部を超えた『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社)だそうですが、重なる時期にほぼ同規模のベストセラーとなった『未来の年表』(河合雅司著)と読者層を比較している。結果は明白で、河合本の読者は当時の話題書を万遍なく買っているのに対し、ケント本の購買者が他に買うのは百田尚樹氏らの保守派の歴史本に偏っている。ところが、そうしたケントさんのファンに買われた書籍のリストの3位が『応仁の乱』で、2位が磯田道史さんの『日本史の内幕』という「実証史学にしてベストセラー」の二大巨頭なんです。「歴史修正主義者にも買ってもらえる」から売れているのに、データも見ず「ついに実証的な歴史観の時代が!」と言っている人は、いちばん実証性がない(苦笑)

 歴史修正主義者に受け入れられやすい何かを、呉座さんの著書が持っていた可能性は、全く否定できるわけでもないのかもしれません。もっとも、こう皮肉を飛ばしていた與那覇氏が、どういう心境の変化で呉座さんを無茶苦茶に擁護する気になったのか……いや歴史学を攻撃できる機会と思ったから攻撃しまくっていたのでしょうが、「実証的な歴史学」を攻撃すればするほど、呉座さんも被弾するのではないかという気はします。まあこの話は逸れるのでこの辺で。


 

3.オープンレター「誤読」の原因

 

 話をオープンレターをめぐることがらに戻します。

 何度も繰り返しますが、私も賛同したオープンレターの趣旨とは、「呉座さんのやったことは確かに悪い。しかし彼一人が悪いわけじゃなく、ネットで一緒になって差別や冷笑で遊んでいた連中も同じくらい(それ以上)悪いし、そういった連中が形成したネットの空間が問題だ。そういうものには距離を取ろう」ということです。これを最初の部分だけ切り取って、やれ呉座さんの名前が何回出てきたから呉座叩きの文章だ、などと出来の悪いAIみたいな分析をしていたのが、オープンレター叩きの連中でした。彼らこそ、呉座さんを悪の空間、まあネット用語でいう「界隈」「クラスタ」に引きずり込んで道を誤らせた連中に他ならないのですが。もっとも呉座さんを中心とした「中世史クラスタ」は騒動で解体したようで、それは結果的に呉座さんにとっても良かったことのようにも思われます。

 しかしながら、先に取り上げた、和解の告知直後の9月27日に呉座さんがブログに一時公開したもののすぐに削除した記事を読む限りでは、呉座さんはオープンレターの趣旨を諒解する和解をしたにもかかわらず、オープンレターは「キャンセルカルチャー」だと相変わらず主張しています。オープンレターが呉座攻撃ではない、ということで和解をしたにもかかわらずです。これはまず何より、和解条件の第1条に反するのではないかと思われ、さてこそすぐに記事は削除されてしまいました。また、オープンレター側からこの記事への抗議もなされています。

 呉座さんは削除された記事で、「私を排除しようという学術界の大きな流れに抗して、私が歴史学者として再起するためには、法的措置以外に道はありませんでした」と書いていますが、まずそもそもオープンレターが呉座排除を目的としたものではないことで和解をしていますし、まして学術界にそんな流れなどあったかというと疑問です。

 呉座さん自身、今年5月に出版された『列島の中世地下文書 諏訪・四国山地・肥後』という本に論文を寄稿されています。この本は17人もの研究者からなる論文集で、このような場を得ていること自体、呉座さんが排除されていないことを証しています。さらにいえば、この論文集に名を連ねている佐藤雄基さん(東大日本史研究室でも呉座さんと近い世代です)、湯浅治久さんは、オープンレターの署名者でもあります。オープンレターが呉座排除ではないことを、よく表しているといえます。しかしこの本への呉座さんの寄稿について、オープンレターについて喋々していたネット上の連中は、誰も気が付いていませんでした。そもそも彼らは中世史のみならず学問に何の関心もなく、「地下文書」を「ちかぶんしょ」と近代の反体制ビラみたいに読んでしまうような徒輩なのでしょう。

列島の中世地下文書 諏訪・四国山地・肥後

 なのですが、先の削除されたブログ記事からすると、呉座さんはオープンレター叩きの連中――このような、ネットで呉座さんとつるんだ連中や、さらにそういった連中に和して女叩きをするような連中こそ、オープンレターが批判した対象なのですが――の方をいまだ自分の「味方」だと思っており、オープンレターが自分への攻撃だという誤解を、和解にもかかわらずいまだ解いていないようなのは気がかりです。何度も繰り返しますが、呉座さんのネットで起こしたトラブルの主たる要因は、こういった連中と作っていた「界隈」「クラスタ」にあったのです。その悪縁を断てば、呉座さんが再度問題を起こす懸念はなく、再起に何の支障もありません。しかし、和解にまで至ってもなおこの「界隈」「クラスタ」の論調に和するようでしたら――復帰した日文研助教の地位が再度危うくなるような事態が起こる可能性を排除できなくなってしまいます。私はそれを懸念してやみません。


  さて、その問題の「界隈」「クラスタ」の中には、歴史に限らない研究者や、弁護士もいます。これははなはだ不可思議かつ憂うべきことといえます。というのも、この「界隈」「クラスタ」はオープンレターを呉座排斥だと誤読し、ネットで数を恃んでそう騒ぎ立てることでそれが「事実」であるかのように世を惑わしたのです。そして呉座さんもいまだに惑わされている恐れがあります。しかしこれは裁判所お墨付きの誤読であったわけです。いったい、こんな誤読をするようで、研究者や弁護士が務まるのでしょうか。

 この点、なぜオープンレターの誤読がまかり通ったのかについては、他にも問題にしている方がおられます。例えば法華狼さんは和解後にブログ記事「オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が排斥を目的としたものだという読解の根拠がよくわからない」 で疑問を呈されていますし、また早くは小川たまかさんが3回にわたってこの事件を論じられているヤフー記事でも取り上げられています。小川さんの記事は有料なのですが(和解を受けて一部分が無料公開されています)、私がお金を払って読んだところでは、この問題に関する大変優れた考察と感じました。とりわけ、第2回の記事で「法クラ」を論じたところは、専門家がネットでいかにして権威主義的で冷笑的な集団に堕していくかを考える良い手がかりとなっています。そこでリンクされている「女子校のプールの水になりたい」事件について説明した記事は、呉座さんも深く関係を持った挙句裁判を依頼して敗北的和解になってしまった「法クラ」の問題点をよく理解させてくれます。そして小川さんは、このオープンレター誤読の問題も取り上げて、第3回の記事でこう指摘されています。

 オープンレターの文面の何がそんなにミソジニーの皆様を発奮させたのか。端的に言って女が頭良さげに真っ向から正義を言い立てたからだろうと思いますが、細かく見ると、たとえば次のような箇所。

 「呉座氏は謝罪し処分を受けることになりましたが、彼と『遊び』彼を『煽っていた』人びとはその責任を問われることなく同様の活動を続け、そこから利益を得ているケースもあります。このような仕組みが残る限り、また同じことが別の誰かによって繰り返されるでしょう」

  呉座さんの件はすでに処分が終わったものと捉え、彼と一緒に「遊び」を行っていた人の言動に対して注目を向けさせるための文章だと私は理解します。

  だからこそ、呉座さんと一緒に「遊んで」いた人たちは怖いでしょうね。今度、「制裁」されるのは自分たちかもしれない。そんなことはあってはいけない。いくらでも生意気な女を叩いて遊んでいたいのに。俺たちにはその権利があるはずなのに。その前にオープンレターを潰さなきゃ。そう思うんでは。

 このご指摘は私もかなり頷けるところがあります。ネットで呉座さんと遊んでいた(遊んでいたような連中と同調していた)連中にしてみれば、自分たちに標的が向かったので、自己中心的な怒りを炸裂させた面はありそうです。

 ただ、小川さんの説を採ると、オープンレター攻撃側は、オープンレターを一度は正確に読んだうえで、「敢えて」誤読をしてそれを宣伝した、ということになります。これはいささか疑問で、もし「界隈」「クラスタ」の一員でもあった吉峯弁護士が正確に読んだ上でわざと誤読していたのであれば、裁判になった時点で、裁判所が注文通り誤読してはくれないであろうことに思い至るはずです。であれば、あのような敗北的和解に追い込まれることなく、もうちょっとうまい訴訟を展開するか――そもそも訴訟しなかったかもしれません。やはり、素で読み違えていたとしか思えないところが残るのです。

 そこで私の考えを述べれば、オープンレターに1300人もの人が署名したことの衝撃が、やはり大きかったのだろうと思うのです。ここで大事なのは、オープンレター署名者を思い返すと、その多くの人は必ずしもネット、とりわけツイッター上で積極的に活動していた人ではない、ということです。「界隈」「クラスタ」の連中は、ネット(ツイッター)上でこそ、我が物顔で振る舞っていました。でもそれは、この世界のごく限られた一部に過ぎないのです。1300人もの人がオープンレターに署名したことは、その「ネット以外の世界」の大きさを可視化しました。「界隈」「クラスタ」の虚名が実は脆いものであることを認識させられざるを得なかったのです。

 そこで「界隈」「クラスタ」連中は、オープンレターに猛烈な反感を抱き、まともに読解もできないまま、とにかく叩く口実を探したのではないでしょうか。オープンレターに主導権を取られてはならない、ネット上の自分たちの楽園こそが世界なのである、あの1300人を何としても貶せ! こうしてヒステリックなオープンレター叩きが、ネット上では猖獗を極めることになったのではないか、私はそのように考えています。


 このことの傍証として挙げたいのが、いまだに――呉座さんが和解した後にもなって――オープンレター叩きに精を出している研究者がどのような人かということです。その例が天羽優子さんです。呉座さんの訴訟和解を経て天羽さんは、オープンレターの署名者一覧を自分のサイトに張り出し、「社会運動させて力を持たせたら危険な人リスト、うっかり人事のテニュアトラックとかに関わらせてはいけない人リストとして活用してほしい」と呼びかけ人のみならず署名者まで誹謗しています。

 誤読もここに極まれりですが、該記事末尾の記述によると天羽さんは、「水商売ウォッチング」として「○○水」と称して健康をうたったニセ科学商品を批判していたため、自分も攻撃を受けて職を失う恐れがあったのでオープンレターを批判した、としています。ここには、ニセ科学で商売をしているという学問の世界のアウトサイダーからの反発と、まがりなりにも同じ学問の世界にある人を誹謗中傷したことを混同するという、問題設定の誤りが見られます。

 で、この問題ある天羽氏の記事というか「晒し上げ」を、好意的に紹介しているのが、やはりニセ科学批判で名を挙げたものの、最近は「財務省陰謀論」で自民党を迂遠に擁護するようなツイートばかり目立つ、菊池誠さんです。菊池さんは天羽さんのサイトを引用して「キャンセルカルチャーはやはりまずいと僕は考えます。安易にキャンセルに走ったオープンレターには大きな問題があったのではないでしょうか」と述べます。すでに何度も繰り返したように、オープンレターは呉座キャンセルを求めたものではないのですが、和解が示されてなお、いまだその誤読は解けていません。

 どうしてニセ科学批判でネットでは知名度のある研究者二名が、揃いも揃ってオープンレターを誤読した挙句、呼びかけ人や署名者を誹謗・批難しているのでしょうか。私の考えですが、やはり「ネットで知名度ある」にその原因が潜んでいそうです。お二人とも、失礼ながら、長年ネットをされていたために、ネットを世界の中心のように思われてしまったのではないかと思うのです。その点では、呉座さんの過ちと似ているのではないかと思われます。

 もう一つ、呉座さんと似ている問題点を考えれば、「ニセ科学批判」自体の問題点も考えられそうです。広い意味では歴史修正主義も人文社会系科学の「ニセ科学」といえますが、さいぜんに歴史修正主義について述べたのと同様、ニセ科学の問題点もそれが人権問題になるからではないでしょうか。その例を私たちはコロナ禍の中で、神真都Qやマスパセ(飛行機でマスク着用を拒否して緊急着陸させた人物。その後飲食店でも事件を起こした)などで目の当たりにしてきました。

 しかし、かつてネットで流行ったニセ科学批判に、そのような視点は乏しかったのではないかと思うのです。天羽さんや菊池さんは「トンデモ」という言葉を定着させた「と学会」会員だったそうですが、「と学会」的な「トンデモを笑い飛ばす」スタンスは、ニセ科学が人権問題になりかねないことについて、あまりに鈍感であったのではないかと今にして思います。「と学会」主要メンバーであった唐沢俊一さんの悲惨な現況も、スタンスの誤りが「と学会」的なものをより社会に貢献する(ひいては自己形成にも資する)可能性を摘んでしまった傍証と思います。そういった人権への配慮の弱さが、呉座さんが陥った冷笑と差別の構造につながっており、いまなおオープンレターを誤読して罵倒する要因となっているのではないでしょうか。しかし、人権を尊ばないことは、自己にもはね返ってくるのです。


 

4.規範=目的合理性と実証=整合合理性

 

 結局のところ、問題はどうしてネット上に冷笑と差別をこととする空間が生まれてしまうのか、それに相応の読解力なども持っているはずの弁護士や研究者などであっても泥んでしまうのか、ということになりそうです。

 この問題については私が2022年に『情況』誌に寄稿した「『妄想の共同体』としてのネット空間」でも論じましたが、そこでは大塚英志さんの『大政翼賛会のメディアミックス』をひいて、戦時の精神動員に源流を辿れる技術を使って人々に「書かせる」ことで稼いでいるプラットフォーム企業の存在を指摘しました。それはそれで一定の意味はあると今でも私は思っていますが、ただネットに入れ込むのは分かるとして、そこでどうして冷笑と差別(特に女叩き)に走ってしまうのかは、その記事では十分に論じることができませんでした。ここでもう一度考えてみたいと思います。

大政翼賛会のメディアミックス 

 呉座さんの問題発言や問題となった「いいね」を雑に括ってしまえば、「女叩きの冷笑系ネトウヨ」といわれて仕方ないものであったろうと思います。そこで私が想起したのは、中世を中心に幅広い歴史の研究をされている東島誠さんが、ご著書『「幕府」とは何か 武家政権の正当性』を出版するに先立って、騒動前の2020年にネットで発表されていた文章です。これは後編ですが、ぜひ前編から読んでいただきたい、たいへん力のある文章です。その一部を引用します。

 大政奉還百五十周年、明治維新百五十周年の記念行事の一方で、いまふたたび中世史ブームだという。それも、よりによって室町幕府が熱い。呉座勇一『応仁の乱』を機として、いわゆる室町本が飛ぶように売れているとのことだが、ただ、なぜこれだけのブームを呼んでいるのかについて、説得力のある説明を目にすることは、いまだない。呉座自ら譬えるように、応仁の乱と第一次世界大戦に類似点がもし本当にあるのだとしても、大戦の引き金となるサラエヴォ事件から百年に一つ余る年に安保関連法を通過させてしまったこの国の〈空気感〉と、その翌年刊行された同書の売れ行きの間に、因果関係があるとは思えない。

 もちろん、アカデミズムの内部事情から、いくつかの伏線を語ることは比較的容易である。一つには、この十数年の間に、大学や文書館等の所蔵史料データベースの公開が進み、史料へのアクセスが容易になったことで、それまで手薄であった室町時代の研究が一気に進んだこと。いま一つには、戦後の民主化をテーマとした「戦後歴史学」の流れが完全に終焉し、歴史学、とりわけ前近代史の若手研究者が、無思想のまま緩やかに右傾化(ネトウヨ化)していること、等々。とはいえ、こうした伏線の上に新時代の寵児たる呉座が登場したのか、と言えば、これもどこか物足りない説明だ。(引用註:強調は引用者による)

もちろん、東島さんの壮大な歴史学の見取図からすれば、「物足りない説明」の一端でしかないのですが、「若手研究者が無思想のまま緩やかに右傾化(ネトウヨ化)している」という指摘は、有体に言って騒動前の呉座さん周囲の「界隈」「クラスタ」を想起させるに十分でした。

 東島さんは引用箇所に続いて、呉座さんの『応仁の乱』が「他分野に応用の利くような〈ものの見方〉を一切提示していない」のに売れたことを、「これはこの業界にとってかなりヤバい、危機的状況なのではあるまいか」と指摘されています。ものの見方、価値観や思想といったことを示さない、これまた東島さんの言葉を拝借すれば「規範の自覚なき素朴実証主義者」ということが、問題の根幹にあったのかもしれないと思うのです。

 もちろん東島さんは、呉座さんが単純な実証主義者とは論じておらず、「少なくとも呉座のその後の著作からは、中世史ブームの危険性に気づいているらしいことも、じゅうぶん垣間見える」とした上で、呉座さん本人ではなく、その「追随者」を問題としています。とはいえ、その後の呉座さんが陥った「界隈」の問題点を考えれば、いみじくも東島さんが前掲引用に続けて書かれた「呉座の評価として、あまりに好意的過ぎようか」という反語が、文字通りの意味になってしまったといわざるを得ないのではないか、とも思うのです。


  東島さんの議論を踏まえて私なりにまとめてみると――東島さんの理論の根底にはヴェーバーがあり、私はヴェーバーは遥か20年あまり前に訳本を斜め読みしただけで大して理解しているわけではないのですが――学問は事実をもとにすべきといっても、人は規範から抜け出すことはできない。戦後の日本の歴史学での規範はいわゆる戦後民主主義だった。学問における規範とは、ざっくりいえば何のために学問をするのかという目的であり、その目的に向かって学問をどう練り上げていくかが肝要である。といって、目的のために研究対象を捻じ曲げてはもちろんいけないのであって、実証もまた車の両輪である。実証とは、目前にある諸史料をいかに矛盾なく組み立てて世界像を示すか、その整合合理性である。しかし1990年代以降の戦後民主主義の衰退により、若い世代の研究者は自分が捉われている規範に無自覚になり、目前の整合合理性だけを見る「規範の自覚なき素朴実証主義者」の傾向を示している。そのようにまとめられると思います。

 そこで私が思うには、呉座さんの作品をいくつか読むと、もちろんどれも面白いのですが、時折やや性急なマルクス主義批判が見られるような印象がありました。いまやそんな教条的なマルクス主義史観なるものはなく、仮にその影響を受けているにしても、分析ツールの一つとして使っているのであり、実証性を尊重していることには変わらないように、私には思われました。ましてや――呉座さんと私は大学院でだいたい同期でしたので――私たちが受けて来た教育は、マルクス主義の強い影響を受けているということも感じられない世代でした。そこに私は多少の違和感を覚えたのです。

 ことによると、呉座さん(東島さんの口吻からすると、若い――といっても40代を含みますが――世代の前近代史研究者全般にもあてはまるようですが)は、実証性を重視するあまり、本来はそれと対立するものではない、どちらも大事な規範性の方を、過度に排斥するようになってしまったのではないか、そんな懸念を私は持ちました。そして思うに、それは呉座さんがネットで絡めとられてしまった、冷笑的ネトウヨ界隈と親和性があったのではないか、そのように疑っています。そういえば、前掲文章から呉座さんの騒動を経て2023年1月に出版された東島さんの『「幕府」とは何か』には、数か所に(あまり本論と関係なく)論文の趣旨をとんでもなく読み違える「ネット論客」らを批難する文章が差し挟まれているのですが、これはもしかしてこの事件の影響なのかもと、つい気を回してしまいます。

 なお、余談に渡りますが、東島さんの本で批判されている研究者の一人が、呉座さんと中世史の「界隈」「クラスタ」を形成していた亀田俊和さんです。東島さんの批判は、突き詰めれば亀田さんが中世史の巨人である佐藤進一の学説を理解できておらず、薄弱な根拠でその学説を否定しているということなのですが、そこで想起せざるを得ないのが、そもそも呉座さんをめぐる騒動の発端は、亀田さんの網野善彦を「レフティ」とバカにしたツイートだった、ということです。こういった、今までの研究水準を作ってきた先達への冷笑的な視線もまた、規範の過度な排斥につながっているのではないでしょうか。

「幕府」とは何か 武家政権の正当性

 話を戻して、冷笑的な世界観とは、どうせ世の中変わらない、だから強いものに媚びて弱い者を叩くのが合理的なライフハックだ、と思い込むようなものといえるでしょう。あるべき規範を打ち立ててそれに少しでも近づこうとするのではなく、目の前の現実に流される自分を正当化し、規範を唱える人を冷笑することで自分の方が立派であるかのように思い込む、そういう連中はネットで嫌というほど目にします。ちょっと男女平等なんかをネットで唱えようものなら、たちまちこの手の「論客」が噛みついてくるでしょう。社会問題を唱える人間を黙らせれば、その問題もなくなるとでも思っているのでしょうか。

 呉座さんもツイッターで女叩きにはまっていたのは残念ながら事実でした。なぜそんなに女叩きに人がはまるのか、それは男女平等が進んでいる摩擦といえばそうなのでしょうが、それだけで説明できるとも思えません。ある友人がこう言っていたのを思い出します。「かつてマルクスは『宗教は大衆の阿片である』といったが、アンフェ(アンチフェミニズム)はインテリの覚醒剤だ。なにせ『メタアンフェタミン』だから」

 駄洒落はともかく、まさにこの、目の前の現実に流される自分を正当化する、という行動が、整合的合理性の悪しき面なのではないでしょうか。冷笑的世界観にはまってしまうことと、規範を毛嫌いして実証万能に陥ってしまうことは、同じことではないでしょうか。ここにもしかすると、呉座さんが冷笑系ネトウヨどもと狎れあってしまった、「ココロのスキマ」があったのかもしれないと思うのです。


 もちろん、旧弊な学説を批判することは必要です。その心意気なくして、新進の者の前途はありません。しかしそれに急なあまり、この場合は規範的なものを攻撃するあまり、規範自体を排斥してしまっては、本末転倒です。東島さんが説かれるように、規範的な目的合理性と実証的な整合合理性は車の両輪であって、排他的なものではない筈なのです。もしかすると、そういった本末転倒に呉座さんもなりかけてしまったのではないか、そんな懸念を感じたのです。規範となる思想を排除したときに陥ってしまう、いちばん危険かもしれないイデオロギーが、「自分はイデオロギーから自由である」というイデオロギーなのではないでしょうか。

 イデオロギーから自由であることはできないのです。規範的な目的合理性を見失って、目の前の辻褄合わせ=整合合理性にのみ精力を傾けることは、結局現存秩序への盲従にしかなりません。このようなイデオロギーならざるイデオロギーこそ、チェコのハヴェルが『力なき者たちの力』で説いた悪しきイデオロギーの典型ではないかと、私には思われるのです。例えばフェミニズムを冷笑するツイートなどに対し、「○○さんの悪口はやめてください!」と、パターン化したやり取りをして喜ぶようなのは、少々大げさですが、ハヴェルのいう「真実の生」からもっとも遠く隔たった言葉遣いではないでしょうか。

5ちゃんねる呉座スレ 2021年4月8日付より採取

力なき者たちの力 

 人を人たらしめるものは、やはり冷笑ではなく情熱なのでしょう。敢えて俗っぽく言えばネタではなくガチであること。そういった情熱を本来持っていたはずの人が、ネットの「覚醒剤」に手を出して、身を損なってしまったのが畢竟呉座さんの一件であったと思います。

 何度も覚醒剤に手を出してはシャバとムショを行き来している田代まさしさんがかつて語っていた言葉で、「シャブをやってムショに入ってシャバに出てくると、真っ先にやってくるのがシャブの売人だ」というのがあったと記憶しています。薬物で捕まって周りから人が離れた隙に、なお「カモ」にしようと売人がやってくるのです。呉座さんも一度、ネットの覚醒剤に手を出して社会的信用を失いましたが、和解によってようやく復帰が本格化すると思ったら、「法クラ」のようなネットの冷笑という覚醒剤の売人の如き連中との縁がいまだ切れていないようです。ツイッターこそ呉座さんはやめましたが、和解によって復帰が進んだと思ったら、さっそくブログに和解条件と相反するようなことを書いて、削除に追い込まれています。なんとしてもネットの覚醒剤と縁を断ち、学問への情熱を取り戻して、冷笑を捨ててよき規範を見つけ出してほしい、私はそう痛切に願いますが、それができなければ――薬物使用ほど再犯の多い犯罪もまたない、ということを思い起こさずにはいられません。

 結局、私が何度も書いてきたことに戻るのですが、まるでシャブの売人のような悪い連中と縁を切って、ネットとの距離を置けば、呉座さんの復帰は何の問題もないのです。呉座さんは私の言うことをもはや聞く気にはなれないかもしれませんが、佐藤雄基さんの行動の行間は読み取ってほしいと思います。

 どうか、ネットの冷笑と差別の空間にはまる人が一人でも少なくなってほしい、できればそのような空間をネットの中心ではなく、せめて周縁的なものにしたい。私はそう願っています。これは呉座さん一人の問題では決してありません。相応の読解力がなければその職に就けない筈の研究者や弁護士といった専門家が、ネットの冷笑に泥んで、人を傷つけて憚らないような言動をし、敢えて反論や批判をすれば仲間内で誤読をでっちあげてさらに傷つける(「女子校のプールの水になりたい」事件のように)。そういった陥穽がそこらじゅうに口を開けているのが今のネット空間なのです。

 なお、周縁的な場で管を巻くことまで規制すべきではないと私は思いますが、そこで問題になるのが、本当に内輪でやり取りしているのであればご勝手に、ということを、なぜ人はネットで全世界に発信してしまうのか、ということです(呉座さんはツイッターに鍵をかけていましたが、フォロワー3000人ではほとんど意味をなしませんでした)。これはこれで大きな論点ですが、論じるのは別の機会として、今は呉座さんの復帰が本物であることを、切に祈るばかりです。

 

※本稿作成には親切な友人数名の助言をいただきましたが、文責はもちろん嶋にあります。

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與那覇潤氏の「警鐘」への感想とお詫び

 本記事は「與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(1)」「同(2)」の続篇です(なお両記事を以下「(1)」「(2)」と略します)。

 私が「(1)」を発表したのは11月8日でしたが、早くも10日には與那覇潤氏がその記事に対する反論として「嶋理人さんへの警鐘:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える③」(以下「與那覇4」と略します)なる記事を発表し、さらに私がさまざまな所用で先の記事の続きを書かずにいる間の15日には「専門家を名乗る学者が起こす「専門禍」:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える④」(以下「與那覇5」と略します)を発表していました。さらにようやく私が23日に「(2)」を公開したところ、それに対して27日に與那覇氏が「オープンレターがリンチになった日:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑧」(以下「與那覇6」と略します)を矢継早に発表されています。

 

 私はこの間、「與那覇4~6」については発表から数日後には存在を知って読んではいましたが、所用も重なっていましたし、直接の反論は控えてきました。その間書いていた「(2)」の論旨に影響するものではありませんでしたし、何よりまず「與那覇4」を読んで愕然とし、心底もの悲しさに打たれざるを得なかったからです。

 それは、與那覇氏との「議論」は現状においてほぼ不可能であるという痛切な思いでした。天才である與那覇氏にしてみれば、鈍才の私など対等に議論する存在ではなく、一顧だにせずに切り捨てて構わない存在として扱われているようにしか見えないのです。もとより與那覇氏の才能について何ら異存はありませんし、私が無能で怠惰な人間であることも承知はしています。しかし建前としてすら対等な人間としてすら扱おうとしない與那覇氏の姿勢には、さすがに憮然たらざるを得ません。

 ですのでこの文章は、與那覇氏への反論などといったものではありません。私が何を書いても、どんなに証拠を並べ、論理を筋道立てて説明しても、與那覇氏の耳には届かないようです。ですので本文はただ私が與那覇氏の記事を読んで愕然とした気持ちを説明するもので、感想と題した所以です。

 ですが、天才といえども間違えることがないわけではなく、鈍才であっても時にはそれなりの意味あることを考えることもあるのだと信じて、若干の思いを述べる次第です。

 

 まず「與那覇4」を一読して、私が愕然となった理由から述べます。「與那覇4」が直接の対象としている私の「(1)」は、與那覇氏の3月の論稿がまったく事態を矮小化して論じたもので、加害者である呉座さんを無理やりに被害者に仕立て上げ、呉座さんの問題発言で傷つけられた方がたへの二次加害をする、重大な問題のある文章だということを論じたものでした。その際に私は、ウェブ魚拓サービスや5ちゃんねるの過去ログを可能な限り漁って、呉座さんの差別的・ハラスメント的発言の様相を実証的に示そうと努めました。

 これに対し、「與那覇4」は、私のそのような実証について、何も触れていません。内容に全く触れずに、一方的に「これは中傷だ!」と騒ぎ立てているのです。

 しかもその際に、極めて恣意的な言葉の切り取りを與那覇氏はしています。私は「〇〇という論拠から、與那覇氏の書いていることは間違いだ」というように、根拠を示して與那覇氏に対し批判的な評価をしています。その「間違いだ」のような、批判した文言だけを切り取って並べ、「これは中傷だ!」と主張しているのです。論拠に全く触れずに言葉だけ切り取るというのは、あまりに不誠実な姿勢ではないでしょうか。

 あまつさえ與那覇氏は、「そうしたやり方(引用注:中傷のことらしい)を拡散させたくないため、あえて嶋氏の当該記事自体にはリンクを張りませんでした」と、私を攻撃する記事において私の文章へのリンクをしていないのです。これは読者から、私の文章と與那覇氏の文章を比較して考える機会を奪う、はなはだ誠実さを欠く行為といわざるを得ません。第一、與那覇氏からして

 炎上と論争の違いはどこにあるかというと、「読者には、相手方の主張内容も踏まえた上で、それでも自分の側が正しいと判定してもらいたい」という姿勢で行われる討議が論争だ。そこには、読者の良識やリテラシーへの信頼がある。

 逆に「こちらが勝つためなら、読者に相手側の主張を教える必要はない。否、むしろ読ませてはいけない」といった態度で行われるなら、いかにご立派な学位や著作歴を持つ有識者が関与していようと、それは炎上にすぎない。

ご自身で書いているというのに、この態度はあまりにご都合主義ではないでしょうか。もし與那覇氏が上掲引用の考えを改めていないのでしたら、「嶋の書いたことはケシカラン中傷に決まっているから、議論の必要はない、炎上させて懲らしめてやれ」とでも考えているとしか思えません。しかし先にも述べたように、私が具体的・実証的に指摘した内容について、與那覇氏は「與那覇4」で一言も触れていないのです。

 

 あるいは私を炎上させる論拠としてなのか、與那覇氏は私の過去ツイートを探し出して張り付けています。

  なるほど、これは確かに配慮が足りませんでした。私は、與那覇氏はご自身の精神の病を公言して活動しているし、「平成の鬱をこえて」と自分で書かれていることもあり、與那覇氏の近年の言論のおかしさへの違和感から、余計なことを書いてしまいました。たとえ本人が公言していることでも、他人がそれをどうこう言うのは良くない場合もありますし、まして素人が精神病の診断めいたことを勝手にいうのは重大な問題があります。この点についてはお詫びして、ご要望であればツイートも削除します。

 ただ、このツイートは本件とは直接関係ありません。それをわざわざ張り出して(私の文章にはリンクすら張らないのに)いるのは、要するに「この論者は信用できない人格である、だからその指摘は無視していいのだ」と主張したいのだろうと思います。それは本題から話をそらした印象操作のように思わざるを得ません。私の「人権感覚」が問題というのであれば、その私の感覚が、私の「(1)」の実証を如何に歪めているかを論じる必要があるでしょう。それ抜きに、「こいつは俺の病気を揶揄した! だから全否定できるのだ!」というのは、揶揄のようなことを書いたのは重ね重ねお詫びしますが、さすがに暴論ではないでしょうか。

 そして挙句の果てに與那覇氏は「警告」を発して、その中で

私への中傷を今後とも続けるなら、しかるべき時期に、「実証的」だと自称されているあなたの記事がいかに不公正な手段を用いているか、このアゴラの連載にて批判させていただきます。それはおそらくあなた個人の信頼を超えて、あなたに「実証」というものの意義自体を錯覚させた学問や教育カリキュラム全体についての、社会的な信用を失墜させるでしょう。

 などと、私の受けた教育や、その教育システムに関わる人びと――つまり私の広い意味での同業者の方がた――まで「失墜」させるぞ、と大上段に構えています。これは脅しではないでしょうか。同業者まで人質にとって、削除しないと潰すぞ、という姿勢からは、とうていまともに議論しようとする意図は感じられません。

 もっとも余談ですが、私の学歴は東京大学大学院人文社会系研究科日本文化研究専攻日本史学専修、俗に言えば「本郷の日本史」ですが、ここは與那覇氏が無理くりに擁護している呉座さんと全く同じ研究室です。私が受けた学問や教育カリキュラムが失墜すれば、呉座さんも巻き添えを食いそうな気がしますが、近代と中世は別だというのでしょうか。あるいは與那覇氏の眼鏡にかなった呉座さんは例外、とでもいうのでしょうか。

 

 私は「與那覇4」を読んで愕然とし、與那覇氏がここまで無茶苦茶というか独善的な考え方をする人になってしまっていたのか、と悲しい思いをせざるを得ませんでした。内容を無視し、言葉を切り取り、参照の便宜を図らず、論者の人格の問題を強調し、脅しをかける。議論の際にすべきではないことばかりです。

 「(1)」でもちょっと引用した與那覇氏の「コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう」にあるように、歴史を語っていいのは「歴史感覚」を持つ一握りの與那覇氏を含む天才だけ、あとの連中は「與那覇2」で私を代表として挙げたような「歴史にも学問にもなにひとつふさわしい素養を持たない」連中なので、発言をまともに取り上げる必要はない、ということなのでしょうか。私は自分の鈍才を承知してはいますが、だからといって最初からまともに相手にされず、一方的に削除を迫られ、あまつさえ同業者にまで累が及ぶぞと脅されて、ヘイコラするほど自尊心がないわけでもありません。ですので私は記事を削除せず、また返事もしませんでした。

 それにしても與那覇氏は、ああやって脅せば言うことを聞くと本当に思っていたのでしょうか? もし本当に思っていたとするならば、あまりに人を馬鹿にしています。むしろ挑発してもっと炎上させようというのでしょうか?

 

 與那覇氏は私が記事を削除せず、返事もしないことにしびれを切らしたのか、「與那覇5」を発表します。その内容もまた先と同様の感を改めて抱かせるものでした。

 まず與那覇氏は、私の「(1)」の記事を「実証的に」論証したという架神恭介氏のブログを論拠に挙げます。自分の手を汚すまでもない、ということなのでしょうか。しかしその架神氏のブログたるや、架神氏が社会学者の橋迫瑞穂さんへ読ませようとツイッターで宣伝した挙句、その内容の粗雑さを橋迫さんに厳しく指摘されている有様です。もっとも架神氏はそれを受けて、ブログの内容を加筆修正しているので、その点は誠実とは思いますが、それもあってたいへん読みづらく論旨の把握しがたいものになってしまっているのは否めません。しかもその内容は、自分で呉座さんのツイートのデータにあたったものではなく、私の記事の孫引きにとどまっています。これで私の記事が実証的でなく、架神氏のブログが実証的であるとする與那覇氏の言には戸惑わざるを得ません。

 とはいえ、私も「(1)」の校正の不行き届きに気がついたので、架神氏にはその点のご指摘は感謝します。最初は「主婦」ではない他の言葉の検索結果をリンクするつもりだったのが、途中で変更したために、呉座さんのRTしかない「主婦」の検索結果を、呉座さんのツイートそのものがあると受け取られかねない表現で紹介したようになっています。この点は誤解を招くものとしてお詫びします。

 この点は陳謝しますが、全体の論旨にさしたる影響はないとも考えます。RTは一つや二つでは、賛同したのか単にメモ的なものか判断しづらいですが、多数の結果をまとめてみれば、そこにおのずと文脈や傾向が伺われ、RTした人の考えが読み取れるでしょう。たくさん集めることが大事なのです。そして、多数の「主婦」をめぐる呉座さんのRTの全体を見れば、呉座さんが主婦に偏見を抱いていて、與那覇氏が「與那覇5」で鬼の首を取ったように掲げるRTは例外的なものと判断できます。例外的な事例を取り上げて一般的傾向を否定するのは、シンドラーを取り上げてホロコーストを否定するような、歴史修正主義的手法に接近しかねない、問題のあるものです。

 そして、與那覇氏の具体的反論は、手法として問題のあるこれだけで、あとは Researchmap を張って専門家として自分の方が偉いぞと、マウンティングしています。そんなことは私も最初から分かっております。ただそれが、個別具体的な論の正しさを直接的に意味するわけではありません。そして「専門禍」という言葉まで作っておきながら、専門家としての権威によって自分の「正しさ」を示そうとするのは、いささかご都合主義のように思われます。

 

 「與那覇6」については、もはやこれ以上冗言を費やすのも空しくなるばかりです。私が「(2)」で指摘した、現在進行中であり與那覇氏も加担している二次加害の問題は全く無視されています。ただただ、私の論ずることはまともに向き合うに値しない、その無能さを同業者ともども糾弾して炎上させてやればいい、そうとしか思われていないのでしょうか。

 與那覇氏は他にも本問題に関する記事を書き、現時点ではアゴラで8回にまで及んでいます。そのどれもが、與那覇氏が本問題に関して北村さんらへ二次加害をしており、日歴協声明やオープンレターの必要性を生じさせるのに自身も影響があったと考えらえれることに対して、全く向き合っていません。さらに言えば、與那覇氏は書かれていることを読み取ろうとしない一方で、書かれてもいないこと――オープンレターが呉座さんの処分を日文研に要求している、など――を勝手に読み取り、妄想を暴走させるばかりなのです。

 このように與那覇氏は、私(その他の方も)の指摘と向き合おうとせず、脅したり権威ぶったりと、人格攻撃のようなことばかりしているとしか私には思われませんでした。それも畢竟、「歴史感覚」を持つ自分は、「歴史にも学問にもなにひとつふさわしい素養を持たない」連中にまともに対応してやる必要はない、バカは黙ってろということなのでしょうか。私が鈍才なことは繰り返し述べているように認めていますし、本記事でお詫びしたように書いたものにも欠陥はいくつもあります。しかしだからといって、鈍才は常に天才のご高説を拝聴していればいいのだという考え方は、與那覇氏が「與那覇2」で掲げたような「誰もが参加できる自由な言論空間を作ってい」くという目的に資するものとは思えません――「誰も」が「歴史感覚」を持つ選ばれし者のみを指すのでなければ。

 

 何度も繰り返しますが、そもそもの問題は、呉座さんがツイッターの鍵アカウントで、女性研究者はじめ多方面への差別や中傷、罵詈雑言を恣にしており、しかも「界隈」とでもいうべき取り巻きの研究者や「ネット論客」などが一緒になって暴言で遊んでいたことなのです。そして呉座さんは事態が発覚して謝罪し処分を受けることになりました。処分の度合いが適切か、その手続きに遺漏なきかは議論の余地があるにしても、呉座さんはやったことの責任を取ることになりました(報道によれば、呉座さんは日文研への訴訟でも、「処分することが不当」で争うのではなく、「処分が重すぎる」と争うそうなので、処分に相当することを自分がしてしまったこと自体は認めていると思われます)。呉座さんは被害者ではなく加害者であり、決して「どっちもどっち」ではありません。

 しかし、「界隈」で遊んでいた連中は処分もされず、どころか反省すらせず、逆に中傷へ反発した被害者に対し、二次加害に及んでいる有様です。そこへ便乗して、二次加害を加速させ、呉座さんが謝って済むかもしれなかった問題を深刻にした一人こそ、與那覇潤氏なのです。呉座さん一人の問題ではないから、ことがここまで大きく深刻になったのです。にもかかわらず、深刻にした連中や、それに便乗した連中は、事態が深刻になったのは中傷被害者が反撃したからだと責任を転嫁しているのです。盗人猛々しいとはこのことでしょう。

 彼らは一見呉座さんを擁護しているように見えますが、実のところは呉座さんがどうなろうとどうでもいいのではないでしょうか。呉座さんを肴にわいわい騒ぎ、「偉そうな」「正義ぶった」研究者どもをバカにして遊ぶことが目的になっていないでしょうか。呉座さんの処分がどうなろうが、訴訟に勝とうが負けようが、騒いで誰かの悪口を言うネタにさえなればいいのではないでしょうか。なるほど、さんざんツイッターで人をネタにして遊んでいた呉座さんが、今度はネタにされるということだけ見れば因果応報かもしれません。ですがその応報は本来、呉座さんと一緒に遊んでいた「界隈」も等しく背負うべきもののはずです。その連中が反省するどころか、新しい「呉座裁判」「オープンレターいじり」というネタに飛びついて盛り上がっているのは、醜悪と呼ぶほかありません。

 與那覇氏にしたところで、氏が逆恨みしているようにしか見えない歴史学界の悪口を言うネタにさえなれば、呉座さんの今後など大して気にかけていないのではないでしょうか。與那覇氏のアゴラの連載を読んでいれば、だんだん話が呉座さんの身の上を離れ、私を含む周辺人物への攻撃や、北村さんなどへの二次加害に熱が入っているのはすぐ分かります。與那覇氏は、呉座さんの加害を矮小化して問題をすり替えることが、呉座さんの救済になると思っているのでしょうが、それはそもそもの呉座さんの被害者の口をふさぐ、二次加害に他ならぬことは、何度でも繰り返し強調しておきます。

 

 私も少し疲れました。不条理な被害に遭われた方に少しでも寄り添い、そのような差別やハラスメントを繰り返さないと同時に、大きな失敗をしてしまった呉座さんが復帰できる道はないのか、私なりに考えて発信してきたつもりでした。しかし被害に遭われた方の救済や呉座さんの復帰などどうでもよく、本件を利用して二次加害で一時の快を貪り、内輪褒めの空間を誇示して、自己の虚栄心を満足させるような人々が少なくないことに、私は辟易しました。不条理な加害を不条理と思わず、加害者が被害者を自称し、証拠を並べても無視する、そんな顛倒がまかり通っているのです。その問題ある言説を批判してもまともに取り合われず、かえって余計な炎上を広げてしまいかねません。

 私は、呉座さんの一件に関する與那覇氏の問題については、ひとまず筆を擱くことにします。何を書いても與那覇氏がまともに取り合わず、議論とは到底言えない脅しをしてくるようでは、新たな反駁を書いても與那覇氏が炎上を起こす燃料にしかならないでしょう。私の擱筆を以て「與那覇先生が嶋を論破した!」などと盛り上がる「界隈」もいることでしょうが、「論破」などということにこだわること自体、もはやこれがまっとうな議論ではなく、きだみのるが『気違い部落周游紀行』で描くところの「言い負かし」となっていることを証していると思います。

 私が筆を擱いたからといって、與那覇氏が鉾を収めることはないでしょうが、與那覇氏がこれからアゴラで書きそうなことは予想できなくもありません。史料を読むしか能のない、「歴史感覚」を持たない連中の言うことは全部ゴミである。史料を読ませるばかりの日本史教育自体が人間の思考を狭めて世間知らずの「歴史感覚」のない人間を「専門家」に仕立て上げている。そんな連中は追放して、既存の歴史学界など潰せばよい。それに代わって、天才である自分のような「歴史感覚」を持つ者の、史料を超越した偉大な言説を聞け(なお詳しくは拙著云々)。たいていの人文的研究対象はテクニカルな史料解読でアプローチできる、それ以外の手段はない、という19世紀末の風潮に待ったをかけたのがニーチェだと聞きます。それはそれで立場としては成り立つのかもしれませんが、與那覇さんもその方向に行かれるのでしょうか。とはいえそれは私には、ニーチェ研究者だった西尾幹二氏が、秦郁彦先生を相手に実証史学を否定しながら、それに代わるものを示せずにいた一件を思い起こさせるのですが。

 

 日歴協やオープンレターの、本当の問題点を挙げるのならば、それは二次加害に苦しむ人びとへの精神的な支援にこそなれ、実態としては二次加害を抑える役割を十分に果たせなかったということのように、私には思われます。もとよりそれは、宣言一つでどうにかなる短期的な問題ではなく、粘り強く原理原則を守り続けることによってしか実現しないのでしょう。もっともそれは大して難しいことではなく、「差別発言をしない」「ハラスメントしない」という当たり前のことに気を付けるというだけなのですが、それに逆上して文句つける人の多さには、先が思いやられます。それだけ、まさに呉座さんがはまってしまったように、ネットで人を傷つけることは「楽しい」のでしょうが、それを峻拒することが理性の役割です。

 先の見えない長い道ですが、鈍才はそもそも先が見えないために、その道を馬鹿の一念で貫くことができるかもしれないと思うことにします。

 

※追記:本記事は数日前に脱稿しておりましたが、その後修正や公開の作業をしている間に、本日與那覇氏が「歴史学者はいかに過去を捏造するのか:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑩ 」なる記事を発表したことを聞きました。しかしもはや、これ以上與那覇氏の言説を相手にしても、炎上の燃料にしかならないことを痛感しておりますので、特に本記事に加筆せず公開して、しばらく筆を擱くことにします。

※さらに追記(2024.1.28.):與那覇氏は上掲「⑩」以降も、私(を含めたオープンレター関係者)を罵倒する記事を書いていたようですが、もはや氏とのコミュニケーションが不可能であると感じた私はそれら記事を読んでいませんでした。しかし2年経ってから、ふとしたきっかけでそれらの記事を改めて読みました。それについての感想を、こちらのツイートから長いスレッドで書いています。今更ですが、併読いただければ幸いです。

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與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(2)

 本記事は「與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(1)」の続篇です。

 前記事から間が空いてしまいましたが、いろいろな仕事や出張などもあり、まとまった時間が取れませんでした。お待ちくださった方がたには申し訳ありません。

 さて、呉座勇一さんのツイッター上でのさまざまな差別や誹謗中傷の問題に対し、與那覇潤氏が記した一連の記事には、はなはだ問題があり看過できない、というのが私の立場です。それは事実の誤認ないし歪曲によって被害者を加害者と入れ替え、見当違いな非難を明後日の方向にぶつけているようにしか思えません。與那覇氏が3月に発表した記事「呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う 「実証史学ブーム」滅亡の意味」(以後これを「與那覇1」と略します)からして、呉座さんがツイッター上でやってしまったことを直視せず、実証が欠けていると歴史学界を非難しておきながら、ちっとも実証的でないことは前稿で明らかにしたとおりです。

 しかしそれにとどまらず、事態が呉座さんの処分とそれへの訴訟と展開したのに呼応して、今月に入り與那覇氏は「「言い逃げ」的なネット文化を脱するために:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える①②」(以後これを「與那覇2」「與那覇3」と略します)という文章をアゴラに発表されました。これもたいへん問題の多い文章であり、呉座さんのやったことで被害を受けた方がたの傷口をこじ開け、呉座さんの復活まで難しくしているものと私は考えます。

 

 それでは「與那覇2」を読んでいきましょう。

呉座氏の訴訟提起により、同氏に行われた処分が明らかになって以降、世論はおおむね(呉座氏の主張に従えば)「解雇権を濫用した」日文研に批判的なように見える。しかし半年前の最初の炎上時にはまったく情勢は逆で、少しでも呉座氏を「擁護」するかに見えた識者には非難が殺到し、「差別者」「ミソジニスト(女性憎悪者)」「学者失格」などと罵声を浴びる状況が出現していた。

なにより私自身が、上記した3月28日の原稿(引用注:「與那覇1」)をめぐってそうした目に遭ったので、今日の空気の一転ぶりにはむしろ驚いている。

 さて、「世論」「空気」とはどこを指しているのでしょうか。呉座さんの件は大河ドラマ考証降板の際に新聞記事になりましたが、新聞はこの時点では特にそれ以上追及していません。ネットメディアでは週刊新潮に呉座さんのネット中毒ぶりを報じた記事が出たり、大河降板に際してはそれなりに記事が出ましたが、メディアスクラムが起こったとまではいえないでしょう。

 では、やはりネット上の反応を見るのがヴィヴィッドで、この場合の「世論」「空気」に当てはまるでしょうか。するとそこで起こっていたことは、なるほど呉座さんを非難する声も多くありましたが、いっぽうで「どっちもどっち」「呉座は問題だが〇〇もひどい」のような加害者と被害者の関係を無視するものや、さらには「〇〇の方が悪い」と加害者と被害者を逆転させているものも多数見受けられます。ここで呉座さんを無理に擁護する側が槍玉に挙げるのはもっぱら、もっとも執拗な誹謗中傷を受けていた英文学者の北村紗衣さんです。前稿で明らかにしたように、呉座さんのやってしまったことを「北村さんへの加害」とするのはそもそも事態の矮小化に他ならないという重大な問題があるのですが、それどころか「北村の発言の方が悪質だ!過去にこんなこと言ってやがった!」と関係のない話を持ち出す連中もかなり見られます(しかも往々その話が曲解したものであったりするのですが)。そのようなネット上の言動は、呉座さんが起こしてしまった差別や誹謗中傷の被害者に、さらに追い打ちをかける「二次加害」と呼んで差し支えないでしょう。

 この二次加害がどれくらいあったのか、ことの発端から與那覇氏が「與那覇1」をアップするまでの、今年3月17日~26日のツイッターを「呉座 さえぼう(北村さんのあだ名)で検索してみました。すると約740のツイートが確認されます。私をブロックしているアカウントのツイートはこれに含まれませんが、だいたいの傾向を知るには十分な数と考えます。

 この約740ツイートについて、なるべく慎重に(内輪に見積もって)内容を分類してみると、

 

  • 呉座さんおよびその支持者を批判しているもの:140余り
  • 「どっちもどっち」的なもの:30余り
  • 北村さんおよびその支持者を批判しているもの:130余り

 

 ぐらいになりそうです。ニュアンスの採り方で多少の変動はあり得るでしょうし、北村さんを支持する人はあだ名の「さえぼう」より本名を使う公算がおそらく高いことを考えれば、もうちょっと針は北村さん側に傾くでしょうが、しかし一方的な展開という訳では決してありません。被害者であるはずの北村さんに二次加害をする連中もかなりおり、そのような言説がネットに拮抗するほど溢れていたのです。

 ただ、前掲740ツイートを調べた印象では、呉座さんを批判する側の人は比較的多くの人がひとことふたことツイートする感じなのに対し、北村さんを批判する側は相対的少数の話者が執拗に多数の攻撃的ツイートをするように見受けられます。

 

 私が本件にこだわってこのような発言をするのには、関係者が身近な人物で、所属する業界も同じであり、他人ごとではないという懸念がまずありますが、もう一つ念頭にあったのは、この二次加害の問題です。北村さんはかなりアグレッシブなツイッターの使い手ですが、意見に賛否はあるにせよ、それはまっとうな言論活動の範疇にあったと考えられます。それが長期にわたり、実在する北村紗衣という人物がアンチフェミニストたちの玩具のアイコンにされてしまったというのは、当人にとってはなはだ不快で嫌なことです。そこで批判して謝罪させるのは当然でしょう。しかしさせたらさせたで、「どっちもどっちだ!」「お前だって悪い!」「いやむしろお前らの方が悪い!」と誹謗中傷が加速してしまう。こんな不条理で酷いことはありません。その不条理の苦しみについては、北村さん自身がインタビューで語っています

 そしてこのような状況下では、まず被害者の側に寄り添い、その名誉回復と再発防止を考えることが優先されるでしょう。その上で、加害者の更生について考えるのは結構ですが、順番を誤ってはなりません。

 

 しかるに「與那覇2」では、このような二次加害の存在をまるで無視し、一方的に呉座さんを非難する声ばかりが上がっていたように事実を捻じ曲げ、あまつさえ自分まで被害を受けたと與那覇氏は被害者ぶっています。

 それは違います。前稿で示したように、そもそも事態の認識を誤っている與那覇氏は、被害者と加害者を逆にしており、呉座さんのツイートの全体像を把握せず(おそらくは歴史学界を非難するのを目的として)、「與那覇1」を発表したのです。與那覇氏もまた二次加害の一翼を担ったといわざるを得ません。しかもツイッター上の匿名のアカウントならば無視することもできましょうが、それなりに名のある研究者(廃業したのかそうでないのかよくわかりませんが)がネットとはいえ商業メディア上に相応の分量で発表したとなると、これは二次加害の中でも特に重大なものといえるでしょう。

 

 ただここで、與那覇氏が自分を被害者だと思い込み、従って呉座さんを擁護する(無理くりな擁護はかえって呉座さんのためにならないと私は考えるのですが)陣営は一方的に攻撃されている、と認識してしまった無理からぬ事情もあるとは思います。それは「與那覇1」のコメント欄です。これが驚くほど批判一色で、與那覇氏の所説に賛同するものは、私が読んだコメント約100(コメントへの返信コメントは未チェック)のうち、五、六にとどまっていました。まだしも「呉座さんのやったことは悪いが、書評委員辞めなくても」のような呉座さん復活を望む声の方が多そうなくらいです。

 なお「與那覇1」についてツイッターで検索すると、3月中の反応だけで150件余りありますが、これまた分類してみると、

 

  • 「與那覇1」に批判的なもの:60余り
  • 「與那覇1」に好意的なもの:30余り

 

 と、こちらでも不評と言っていいでしょう。そして不評の理由は、なんといっても「事実関係がおかしい」からなのです。鍵アカウントで一方的に陰口を仲間と叩いていた呉座さんと、つゆ知らぬところで玩具にされていた北村さんとの間に、論争など成立するはずはありません。しかもこの時点で呉座さんは最初の謝罪をし、誹謗中傷したことを認めています。当人すら認めている誹謗中傷を「論争」と言い募る與那覇氏に、多くの読者が不信を抱いたのは当然というべきでしょう。與那覇氏は「與那覇2」で、

 「ホモソーシャルに(=男性の歴史学者どうしで)呉座をかばっている」と、この声明(引用注:後述の日歴協声明)の前後に散々罵られた私が証人だが、当時は呉座氏への非難が過熱するあまり、「日本の歴史学界の全体に、差別を当然視する風土や慣行があるのだ」といった論調が横溢していた。

  と書いていますが、なるほどホモソーシャル批判は確かにあったものの、より大きな氏への批判は事実関係誤認によるものなのです。

 しかし、これは私の推測ですが、事実関係の誤りによる「與那覇1」への不評を、與那覇氏は呉座擁護ゆえに叩かれたと取り違えてしまったのでしょう。自分への批判を「実証的に」読み解けば、それが「論争」が成立していないという事実認識の誤りに起因するところが大きいと分かるはずなのですが、與那覇氏は自分の認識を改めるよりも、呉座批判に敵愾心を燃やし、それが次なる問題論考「與那覇2」へとつながるという、悪循環があったのではないかと考えられます。

 

 そして、歴史学界の体質の問題を問う声が溢れていたといいますが、どこに溢れていたのでしょうか。本件発覚から一か月間のツイッターを「呉座 歴史学界」で検索してみても、大した件数は引っ掛かりません。いちばん多いのが五野井郁夫さんの、呉座さんの共著『教養としての歴史問題』に絡めての本件への感想です。この本は大変面白い本だと私も思うのですが、本書の中では歴史修正主義に批判的に見える呉座さんが、ツイッター上では逆にしか見えない行動をしていたことも前稿の通りです。

 それはそれとして、この検索結果では歴史学界の体質を問う声は少数しか見いだせず、むしろ呉座さんを「反ポリコレ」と擁護する声さえ見つかります。

 

 いやそれはネットだけの話だ、学界の中で大きな動きがあったのではないか、と当然読者の皆さんは思われるでしょう。そこで学界の動きに目を転じれば、確かに「與那覇1」発表後まもない4月2日、日本歴史学協会から「歴史研究者による深刻なハラスメント行為を憂慮し、再発防止に向けて取り組みます」という声明が発表されました。これは呉座さんを名指しこそしていませんが、ハラスメントを許容する体質を学界からなくすように呼びかけています。

 これに対し與那覇氏は「與那覇2」で、

4月2日に発表された日本歴史学協会の声明では、あきらかに呉座氏を指すものとわかる文脈で、以下のように記されていた。この協会は、多数ある歴史学系の諸学会(加盟学会数でいうと80強)の「連合組織」のような性格の機関なので、実態はともかく形式的には、これが日本の歴史学界全体を代表する同氏への評価ということになる。

    「今般、日本中世史を専攻する男性研究者による、ソーシャルメディア(SNS)を通じた、女性をはじめ、あらゆる社会的弱者に対する、長年の性差別・ハラスメント行為が広く知られることとなりました。」(強調は引用者[引用注:この引用者とは與那覇氏のこと]

「あらゆる社会的弱者」を差別しハラスメントするというのは、大変なことである。女性のみならず高齢者も子供もLGBTも弱者だし、男女問わずサービス残業を強いられる正規雇用者も、景気に応じて切り捨てられる非正規雇用者も、病気や障害を持つ人も弱者だ。日本歴史学協会の加盟団体には、外国史を専門とする学会も含まれるので、当然ながら地球上のすべての少数民族に対しても、呉座氏が差別をしていたとの趣旨になるであろう。

 と論難し、この声明に賛同した歴史学者の例として私のツイートを張り付けています。たくさんあったという賛同のツイートの中でなぜ、全く知らぬ仲ではない私を取り上げたのか――それは天才である與那覇氏から見て、私がとりわけ見どころのないバカに思えたからだろうな、と悄然とせざるを得ませんでしたが、いちおう「歴史学者」として認定していただけたことは喜ぶべきなのかもしれません。

 まあ私の個人的な思いはさておき、この論難は小学生のいちゃもんのような酷いものです。強調の「あらゆる」を文字通りの「すべての弱者」と捉えるのは、揚げ足取りに堕してはいませんでしょうか。もっとも前稿で示したように、呉座さんの差別と誹謗中傷のツイートは、女性や研究者のみならず、地方出身者、沖縄の基地問題、BLM、「慰安婦」問題、EUの男女平等活動、部落問題にまで及んでいましたので、「あらゆる」といってもそれほど的外れではないかもしれません。ここで「呉座さんは北センチネル島民の悪口は言ってないぞ!」という反論に何の意味があるのでしょうか。

 

 この声明発表後、私は複数の同業者の方がたと本件について意見を交換する機会がありましたが、声明については賛否両論でした。私は二次加害が現在進行形で続いている以上、学界としてどこかが何らかの形で声を上げる必要があり、巧遅より拙速を貴ぶべき局面であるとの考えからこの声明を支持しました。

 しかしもちろん、そもそも日歴協がなぜ乗り出してくるのか、どの学会でもなく日歴協である必然性はあるのか、といった疑問は考えられます。さらには呉座さんを名指しするのを控えたのがかえって焦点をぼやけさせ、何が批判されるべきことで、それに対しどうすべきかが曖昧という問題もあります。日歴協は前年にハラスメント防止宣言を出しており、声明はそれを繰り返しただけの感は否めません。

 またこの声明は、比較的短時日で素早く出されており、日歴協加盟諸学会に幅広く本件が周知され、体質を問う声が盛り上がったから出されたというよりは、事態を問題視した関係者が先手を打って出したというのが実態ではないでしょうか。だから「全員の総意ではない」という批判も出てくるわけですが、反面として歴史学界に差別的体質があるという声が決して「横溢」してはいなかった傍証ともいえます。

 

 日歴協声明の問題点を踏まえると、その2日後の4月4日に出されたオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」はよく考えられているものと感じました。まず何より、このオープンレターは呉座さんを糾弾するものではありません。ここを読み間違えないでください。確かに呉座さんの名前を出していますが、呉座さんの起した問題については手短に触れ、こう続いているのです。

  私たちは、呉座氏のおこなってきた数々の中傷と差別的発言について当然ながら大変悪質なものであると考えますが、同時に、この問題の原因は呉座氏個人の資質に帰せられるべきものではないとも考えています。(強調は引用者による)

  一般的にいって、このような文章では、後段にこそメインの主張があるのです。「呉座氏個人」の問題ではない。そこにはネットの、いわば「界隈」とでもいうべき空間があり、そこに取り込まれたことで差別や誹謗中傷に対する感覚が麻痺してしまったのではないか。オープンレターはそう論じており、むしろ呉座さんの個人的責任を軽減するとすらいえる文脈なのです。

 オープンレターはこう続きます。

 要するに、ネット上のコミュニケーション様式と、アカデミアや言論、メディア業界の双方にある男性中心主義文化が結びつき、それによって差別的言動への抵抗感が麻痺させられる仕組みがあったことが、今回の一件をうんだと私たちは考えています。呉座氏は謝罪し処分を受けることになりましたが、彼と「遊び」彼を「煽っていた」人びとはその責任を問われることなく同様の活動を続け、そこから利益を得ているケースもあります。このような仕組みが残る限り、また同じことが別の誰かによって繰り返されるでしょう。(強調は引用者による)

 オープンレターはこう論じています。オープンレターは謝罪し処分を受けることになった呉座さんについてはひとまず措き、呉座さんを取り巻いていた同等の責任を負うべき者たちについて厳しく批判しています。彼らは処分を受けることなく、反省もしないのです。その呉座さんが浸ってしまったネットの「界隈」は、呉座さんが謝罪しても消え失せるわけではなく、むしろその一部が二次加害者となっていることは間違いないでしょう。

 そして、ツイッターで一緒に誹謗中傷に耽っていなくても、事後的に二次加害する者もまた、あとから「界隈」に加わった者として、オープンレターによる批判の対象から除外するべきではないでしょう。端的に言えば、與那覇氏も「界隈」への新規参入者として「炎上」に燃料を投下し、そこから自著の宣伝などの利益を得ているというべきではないでしょうか。

 その與那覇氏は「與那覇3」で、オープンレターをこう論難します。

 この公開書簡「女性差別的な文化を脱するために」は、冒頭から名指しで呉座勇一氏を批判する文章だが、同氏が「あらゆる社会的弱者」を差別したなどと記した日本歴史学協会の声明文に比べれば、かなり丁寧に書かれてはいる。しかし、呉座氏が「公的には歴史修正主義を批判しつつ、非公開アカウントにおいてはそれに同調するかのような振る舞いをしていた」(強調は引用者[引用注:この引用者とは與那覇氏のこと])なる、名誉毀損を構成しかねない――「かのような」で人を非難できるなら、あらゆる事実無根の中傷が正当化されるだろう――記述を含むほか、致命的な問題を抱えていることは当初から明白に思われた。

ひとつは、このオープンレターが単なる公開書簡に留まらず、事実上の「署名運動」の機能を果たしていたことだ。4月のあいだを通じて賛同者を募り、結果的に1316人に及ぶ長大な支援者のリストが、レターの末尾に現在も掲載されている。

肩書を見るかぎり、おそらく最も多いのは大学教員ないし研究者で、次ぐのが出版などメディア関係者である。レターの文面に「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうる」との一節がある以上、文中で名指しされる呉座勇一氏と「もし同じ場所で仕事をするなら、これだけの数の同業者を潜在的に敵に回しかねませんよ」と喧伝する、示威行動だと解釈されてもやむを得まい。

 まず「かのような」については、先の「あらゆる」同様の揚げ足取りでしょう。呉座さんは『教養としての歴史問題』などでは歴史修正主義を批判しながら、現在「慰安婦」問題をめぐって歴史修正主義であると批判されているラムザイヤーの論文を好意的にとりあげたツイートに「いいね」をしていたというスクリーンショットが確認されています。これは矛盾としか言いようがありません。その矛盾を表現するのに、公式には歴史修正主義を否定しながらツイッターでは肯定していた「ようにしか見えない」と述べただけのことです。

 後段についても、先に論じたように、「界隈」の文化こそが問題だということを踏まえれば、難癖といわざるを得ません。呉座さんがはまっていた「界隈」は、呉座さんがいなくなっても新規メンバーを加えて盛業中です。そのような「界隈」の文化と距離を置く、ということをオープンレターは声明しているのであって、呉座さんが仮に反省して「界隈」と手を切っていれば、呉座さんと距離を置く必要はなくなります。私はそのような方向に進むことを願ってやみません。

 オープンレターの良い点はこの、各人ができる形で「距離を置く」という対策を打ち出すことで、何かある行動を強制したりするような問題が起きないようにしていることです。各人自身の判断によって置く距離を決めればよいわけで、その距離にした説明責任はあるとしても、行動を画一化して「村八分」にするようなものではありません。

 オープンレターの賛同者を列挙する形を與那覇氏は非難していますが、これも二次加害が進行中であった(今も進行している)ことを考えれば、被害者の側に寄り添う姿勢を打ち出すことはやはり必要であったと考えます。

 與那覇氏は「與那覇3」で、先の箇所に引き続いてこう述べています。

もうひとつは、この時点で呉座氏と係争中であり(現在は、呉座氏の謝罪文公表により決着)、なにより同氏による中傷の告発者として広く知られていた北村紗衣氏が――署名者ですらなく――レター自体の呼びかけ人(=文責を担う最初の20名弱の1人)に名を連ねていたことである。

係争中の両者のうち片方のみを呼びかけ人に加えて、支援者を関連業界から募り、その長大なリストをネット上に誇示する行為は、控えめにいって「私的な報復」であり、より端的にいえば私刑(リンチ)だろう。時と場合によって「許されるリンチもある」とする発想は、ある種のマッチョなカルチャーにしばしば見られるものではあるが、「女性差別的な文化を脱する」ことを目指す有識者が唱えるのは普通ではない。

 これもまた、二次加害が進行しており、それへの対応策が必要であったという前提が欠けています。「ネットリンチ」はすでに、呉座さんの被害を受けた人がさらなる加害を受けるという形で起こっていた問題なのです。そして忘れてはならないのは、このオープンレター公表の一週間前に「與那覇1」を発表した與那覇氏もまた、「リンチ」に加わっていた一員といわざるを得ないということです。このような二次加害に対し、被害者へ「係争中なんだからおとなしくしてろ」というのは、さらなる加害に他なりません。そこで立ち上がることを、「ある種のマッチョなカルチャー」で女性差別批判にふさわしくないと決めつけるのは、不当でしょう。

 「與那覇3」で氏は、「ネットリンチ」を懸念して伝手をたどってオープンレター呼びかけ人に警告したが無視された、と書いています。あたりまえでしょう。二次加害者が、被害者の対抗措置に「それは加害だからやめろ」と文句をつけているのです。説教強盗的居直りといってもいいのではないでしょうか。そこで被害者が声を上げることを妨害するのは、泣き寝入りを強いることにしかならないのではないでしょうか。

 そして今も収まっていない二次加害(ためしにツイッターを「呉座 さえぼう」で検索してみてください)言説の横行に鑑みれば、オープンレターの投げかける問題は今もなお継続しているといえるのです。

 もちろんオープンレターにも考えれば問題は見えてきます。一つは、問題の文化は女性差別的なものにとどまらず、社会のさまざまな異議申したてへの冷笑でもあった、ということです。これは「界隈」的なものにとどまらない、今の社会全般にかかわる問題ですが、話が大きくなるので、ここではこれ以上は深入りしません。

 

 さらに與那覇氏は「與那覇2」で、

こうした「とにかく“いま” この瞬間の世間の空気に照らして、ウケがよく自分の得になることを言い、後で矛盾が生じようが気にしない」という発想を、仮に「言い逃げ」と呼んでみよう。

 と、「言い逃げ」なる概念を拵え、「與那覇3」では

日本歴史学協会が、ネットでの問題の判明からわずか半月で呉座勇一氏を「あらゆる社会的弱者」を差別する存在として非難する声明を出し、呉座氏による中傷の被害者(だと主張し当時係争中の学者)を含む20名弱がオープンレターを公表して、1316名の関係者が署名したのである。これが、日文研における呉座氏の(同氏の主張では、正統な手続きを踏まえない)処遇に「影響しなかった」ということはあり得ない。

問題は、日本歴史学協会の声明は誰が起草したのかすら、いまだ判然とせず、オープンレターの呼びかけ人や署名者たちからも、呉座氏の事実上の「解職」という処分をどう考えるのか、見解の表明が乏しいという事実だ。

そうした現状が続くかぎり、声明とオープンレターの関係者(署名しただけの者も含む)はともに、「あのときはそういう空気だった。その後どうなるかなんて知らない」という態度で、係争中の個人への非難を一方的に行った、単なる言い逃げ屋と見なされざるを得ないだろう。

 と、声明とオープンレターへの賛同者を非難しています。これは当を得ているでしょうか。ただの結果論ではないでしょうか。4月の段階では日文研は当座のお詫びを出しただけで、その後の処遇がどうなるかは外部からうかがい知ることはできません。処分は日文研およびその上部組織の人間文化研究機構が決めることです。それに、声明にしてもオープンレターにしても、そういった問題を繰り返さないため、二次加害を抑えるための対応として行われたもので、呉座さん本人をどうこうしようという意図ではありません。

 実際、この件に関して日文研は呉座さんを解雇すべきだ、といった声は、呉座さんを批判する側からもほとんど見られません。ことの発端から一か月間のツイッターを、「呉座 日文研 解雇」「呉座 日文研 クビ」で検索した結果を示しますが、「民間ならクビだよね」という感想を述べている人はそれなりにいても、「日文研は解雇すべきだ」と踏み込んでいるのは一、二件です。呉座さんを無理くりに擁護する陣営は、前者の検索結果の筆頭に出てくる池田信夫氏のツイートの如く、「『フェミ』が呉座を解雇しろと騒いだ」と主張する例が見られますが、妄想の「敵」を撃っているだけです。

 日文研なり機構なりが声明やオープンレターを呉座さんの懲戒の口実に使ったとしたら、それはいわば目的に外れた行為です。この場合、批判されるべきは日文研なり機構なりであって、声明やオープンレターではありません。懲戒方針に定見を持たず、外部の動きに右往左往した組織の問題です。

 

 與那覇氏は「與那覇2」「與那覇3」の両方で、「いまさえよければ」と「世間の空気」に流されて、多くの研究者らが声明やオープンレターに賛同したと主張します。そんな「空気」がなかった蓋然性が高いことをここまで論じてきました。與那覇氏が無視している問題は現在進行形の二次加害で、それには当の與那覇氏も加わっていたのです。自分も一角を担った行為で声明やオープンレターの必要性を生じさせておきながら、それを非難するのはいささか、たちの悪いことです。

 有体に言ってしまえば、「いまさえよければ」であれば、余計なことに首を突っ込まずに黙っていればいいのです。それが処世術として賢明なのは論を俟ちません。それでも多くの人が発言したり、オープンレターに署名したりしたのは、呉座さんが「界隈」の文化に浸ったために起こしてしまった差別や誹謗中傷が大きな問題であり、学界の将来にも関わることだからです。

 オープンレターに賛同された方には、自身ハラスメントの被害経験をお持ちの方もいると聞いています(私は周囲に恵まれていたのか鈍感なのかハラスメントする価値もないと思われたのか、幸いそのような経験はありません)。そのような方がたにはとりわけ、北村さんはじめ呉座さんたちに不当な攻撃をされた人たちのことは他人事でなく、同じことを繰り返させたくないという強い思いがあっての行動だったと思います。與那覇氏の無理筋な呉座擁護・学界非難は、北村さんのみならず、そのような方がたへの二次加害でもあるのです。

 

 話をまとめましょう。「與那覇1」「與那覇2」「與那覇3」は、呉座さんの起した問題を捻じ曲げて、本件のみならず多くのハラスメント被害者に二次加害を加えるものです。被害者である人たちを無視し、さらには加害者こそ被害者だと言い出し、結果論で行動した人びとに責任をなすりつける。これらは典型的な陰謀論のパターンだと、それこそ呉座勇一さんが快著『陰謀の日本中世史』で書いている(22ページ、31-32ページ)ことなのは皮肉です。

 私の考えでは、與那覇氏は呉座さんの問題が発覚した際に、歴史学界への怨恨、フェミニズムへの偏見、呉座氏への思い入れなどの先入観からこの問題の事実認識を誤り、加害者と被害者を顛倒させて、二次加害的な「與那覇1」を発表してしまったと見ています。その事実認識の誤りは明白でしたので、多くの人びとから批判されたのですが、與那覇氏はそこでますます陰謀論に陥ってしまったのでしょう。與那覇氏は自分も攻撃を受けた被害者だと、学界に対する敵愾心を募らせ、呉座さんへの厳しい処分の発表と訴訟という事態の進展にそれを爆発させたのが「與那覇2」「與那覇3」なのだと思います。そこで與那覇氏は自分を被害者の立場に置き、加害者として呉座さんの問題やそれに重なる二次加害を憂えた人びとを非難している、そんな倒錯した文章といわざるを得ません。

 與那覇氏は著書『知性は死なない 平成の鬱をこえて』の51ページで、「私には『私が被害者だから』という理由によって、私の主張に同意を求めたいという気持ちが、いまもないのです」と語っています。これは直接には以前の勤務校でのひどい経験の「被害者」としてうつ病になったとは取られたくない、という主張ですが、同じ発想が今回の件では見られないのは残念なことです。まして同書で氏は、拉致問題を材料に「被害者性」の利用ということを厳しく論じられている(30-33ページ)のですから。いや、被害者性の利用の価値を見出して実践しているのでしょうか? 自分こそ「力のある被害者」と思われているのでしょうか?

 

 「與那覇3」の末尾を與那覇氏は、オープンレターの末尾をもじってしたり顔で結んでいます。しかし、誰もが参加できる自由な言論空間を作るのには、誰もが異議申し立てを抑圧されないことが必要です。それを倒錯した陰謀論で押しつぶそうとする與那覇氏の言説には、私は強く異を唱えます。そして願わくは、陰謀論のありようを歴史研究の実践で喝破した呉座さんが、悪縁を断ってその能力をまっとうな方法で生かすようにと思うばかりです。

 

 なお前稿公開後に、それに対して與那覇氏が反論を発表されたことは私も認識していますが、本稿がすでに十分長いので、それへの言及は機会があれば行うことにしたいと考えております。

 

追記:言及しました⇒「與那覇潤氏の「警鐘」への感想とお詫び」

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與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(1)

 さる3月に、日本中世史の研究者として名高い呉座勇一さんが、ツイッターの鍵アカウントでさまざまな差別や誹謗中傷を行っていたことが明るみに出、問題となりました。この件では、単に呉座さん個人がひどい発言をしていたという問題ではなく、研究者を含む多数のアカウントが、いっしょに差別やハラスメントを、いわば「遊び」で行っていたことが重大視され、日本歴史学協会が声明を出し、また研究者有志がオープンレターを出すという事態になりました。差別や誹謗中傷がまかり通る学界では、とても今後の発展は望めませんし、実際に攻撃の被害を受けた人を救うためにも、必要なことであったと私は考えます。またこれらの声明やオープンレターに賛同された方がたの中には、過去にハラスメントの被害を受けられたという方もおられるようで、そういった方がたの危機感は一層深いものだったと思います。

 しかし遺憾ながら、少なからぬ「ネット論客」や、それに同調する研究者の中には、「これはどっちもどっちだ」と、一方的に誹謗中傷された側にも責任があるかのような言説を述べたり、声明やオープンレターを「個人攻撃だ」と逆切れする例も多々見受けられ、憂慮に堪えません。「これぐらいで文句を言うな、スルーしろ」では、ネットによる加害行為がまかり通るばかりです。個人攻撃を先にしたのは、残念ながら呉座さんの側です。その被害者に寄り添うことがまず先で、呉座さんの再起の道はその後に考えるのが順序というものでしょう。

 そしてそのような呉座さんへの無理やりな「擁護」は、問題行為を認めて謝罪した呉座さんの再起をかえって妨げかねません。呉座さんが反省して行いを改めるならまた一緒にやりましょう、とできても、下手な擁護を真に受けて開き直られては、「彼と付き合うとネットで何を言われるのか分からない」という警戒を持たれてしまいます。

 私の考えでは、呉座さんの過ちはネット(とりわけSNS)に耽溺しすぎ(SNS中毒だったという週刊誌報道もあります)、おまけにそこでろくでもない「ネット論客(フェミニズムはじめ人文学や社会科学に敵意と侮蔑心を抱いているような連中)」と付き合い、彼らの価値観にのまれてしまったためにこうなったと見ています。ですので呉座さんの再起の道はわりと明確で、ネットと距離を置くことで容易に達成できると考えています(それがとても難しいのかもしれないのですが……)。

 呉座さんの件は先月に至って国際日本文化研究センターおよび人間文化研究機構による処分が下され、停職1か月という重い処分となり、内定していた准教授への昇格も取り消されたと聞きます。呉座さんがこの処分を不服として訴訟に訴えたことは周知ですが、呉座さんの争点は処分が重すぎる、また手続きに問題があるということのようで、処分されること自体に異を唱えているわけではないようです。私にはこの処分は大変重いように思われ、もしそれが日文研の組織防衛のための「トカゲのしっぽ切り」的なものであったならば、訴訟で争うことも必要なことなのかもしれないと考えますが、現在訴訟中の件についての差し出口は控えます。

 私は、呉座さんのやったことは悪いことで、それは反省してもらわなければならないし、また同じ業界の者として再発防止――というか、自分も同じ罠に落ちてしまわないためのどうするかを考える必要があると考えます。そして反省した呉座さんが、再発防止策を採ってくれるのならば、その再起を歓迎したいと思っています。私はあまり良い呉座さんの読者ではありませんが、呉座さんの優れた筆力にはたいへん敬服しており、呉座さんの今後の活躍は望ましいことだと考えています。

 

 さて、このような、呉座さんへの擁護と見せかけた後ろ弾を撃つ連中はネット上にあまたいるのですが、その中に與那覇潤氏を数えなければならないのは、はなはだ残念なことです。氏がかつて鋭い論客として名を馳せたことは周知ですが、近年の氏の言説はきわめて乱暴で無茶なものが目立ち、困惑せざるを得ません。にもかかわらず氏の過去の名声により、今でも影響力を持ってしまっているのは、率直に言って困ったことです。

 與那覇氏は3月に本件について「呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う 「実証史学ブーム」滅亡の意味」というネット記事を「論座」に寄稿し、また今月に入って「「言い逃げ」的なネット文化を脱するために:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える①②」というネット記事を「アゴラ」に寄稿しています(以後前者を「與那覇1」、後者を「與那覇2」と略します)。これらは端的に言えば、呉座さんの問題発言を矮小化し、そのようなネット上の差別やハラスメントに反対した言説を歪曲し、自分だけが正しいかのように思いあがった、酷いものです。これは呉座さんにとっても良くないことですし、ハラスメントを受けた経験からオープンレターに賛同した(=差別やハラスメントに反対した)人びとに対する二次加害であり、歴史学そのものへの冒涜とすら思えます。

 とりわけ「與那覇2」の①では、與那覇氏は日歴協声明に賛同した研究者の例として私のツイートを貼りだし、「日本の歴史学者の大多数は、歴史にも学問にもなにひとつふさわしい素養を持たない、単なる「言い逃げ屋」にすぎなかった」と豪語しています。私は自分の浅学菲才をよくわきまえており、天翔ける天才である與那覇氏に比せば地べたを這いずり回る歴史屋に過ぎないと自認しておりますが、さすがに歴史にも学問にも何一つ素養を持たない例として満天下に晒されるのは、堪えがたいことです。

 今のところ管見では、與那覇氏のこれらの記事にまとまった批判をした歴史(など人文学や社会科学の)研究者はいないようです。相手にする意味もない、時間と労力の無駄、といえばその通りかもしれません。しかしこの言説が独り歩きし、本件に関する一般の認識が歪んでしまうことは、学問のためにも呉座さんのためにもその被害者の方がたのためにも、良くないことですので、以下に與那覇氏の論考の問題点について述べておきたいと思います。地べたを這いずる鈍才にも、それなりにできることはあるのです。

 ただし私が懸念するのは、この記事が呉座さんの傷に塩を塗り、またハラスメント被害者の方がたに心痛をもたらすことにならないかということです。ですが、事実の確認なくして真摯な反省も意味のある対策もありません。ですので敢えて本記事を執筆しました。

 なお断っておきますと、私は東大人文社会系の大学院で、修士課程の時に呉座さんと同期でした。また與那覇氏は東大の総合文化研究科地域文化研究の出身だと思いますが、この専攻と人文社会系の日本史の近代のゼミとは交流があり、私も與那覇氏と同じゼミに出ていたことがあります。ただしどちらとも顔見知り程度で、個人的に深い交流を持っていたわけではありません。そのような立場の者の論だということをご承知おきください。

 もうひとつ、「與那覇2」①で私のツイートを貼りだした與那覇氏が、そのツイートのハンドルネームの正体を知っていたかどうかは分かりません。ただ、少し注意すれば、該ツイートからつながっているツイートで出席したゼミが分かり、専門分野から私を特定するのはしごく簡単なことにすぎませんし、そもそも大学院の近しい人はハンドルネーム自体を知っている人も少なくありません。おそらくは氏は分かってやっているのであり、「あいつはバカだから晒しものにしてもいいだろう」と思われているとすれば、それはいくらかの事実を含んでいるにしても、索漠たることではあります。

 

 ではまず、「與那覇1」の問題点について論じていきましょう。この記事は残念ながら現在有料なので多くの方にご参照いただけないのですが、なるべく必要な箇所は引用して論を進めたいと思います。引用が多くなるのはご承知おきください。

 「與那覇1」の要旨は、呉座さんのやったことは確かに悪いが、それへの批判には「冤罪」が含まれており、意図的に歪曲した中傷が行われている。呉座さんは北村紗衣という「一人の女性研究者への中傷」はしたけれど、「女性全般の侮辱」や「民族差別」はしていない。そこを捻じ曲げる「実証史学」の研究者は、お話にならない。といったものです。

 結論を先に書きます。実証的に史料を、つまりこの場合は呉座さんのツイッターの発言を見れば、残念ながら呉座さんは北村さんひとりを中傷しただけではなく、多くの女性の研究者や活動家を誹謗し、女性全般への中傷もあり、さらには民族差別発言もあったのです。実証に基づかず、事実を捻じ曲げているのは與那覇氏です。

 

 まず與那覇氏は、呉座さんが北村さんを中傷したことは認めたうえで、こう論じます。

 いま呉座氏を批判する側は、同氏のことを「反フェミニズム」だとしばしば断定している。しかし問題視される一連のツイートを見るかぎりでは、少なくとも呉座氏が「男女平等という理念」それ自体を否定したものは見当たらない。

  むしろ目立つのは、「男女平等な社会を目指すとうたいながら、実際にはその実現にほとんど益さなかったり、逆効果としか思えない振る舞いをする 〝困った〟 フェミニスト」への批判である。北村氏に対する一連の揶揄も、彼女をそうした(呉座氏の視点で見るところの)「自ら標榜する目的を裏切っているフェミニスト」と見なしてのものであった。北村氏の専攻や、同氏が女性である事実を攻撃したわけではない。

 さて、これはどうでしょうか。呉座さんが一時ツイッターの鍵を開けた際、過去ログ検索サービスの「ツイセーブ」を活用して、興味を持った人々によって呉座さんの過去ログが漁られました。呉座さんのアカウント削除に伴って「ツイセーブ」のデータも削除された……と思われたのですが、実はその前にウェブ魚拓サービスを利用して、「ツイセーブ」の検索データが保存されていたのです。これを利用して、呉座さんが例えば、「主婦」についてどう発言していたかが分かります。

 リンク先をご覧になって、いかがでしょうか。「主婦は甘えてやがる」という偏見を呉座さんが持っているといわざるを得ないでしょう。

 また「伊藤詩織」で検索したデータもあります。これには呉座さん自身のツイートは含まれていないようですが、RTにネットで「女叩き」をして喜んでいるようなアカウントがいくつも並んでいるのには、げんなりせざるを得ません。女性差別的なSNS上の雰囲気に、呉座さんがどっぷりつかっていたのは否定できなさそうです。

 また、5ちゃんねるの呉座勇一スレッドに貼られていた呉座さんのツイートのあまたのスクリーンショットには、このようなものがあります。

 5ちゃんねる呉座スレ4月8日より採取

 5ちゃんねる呉座スレ4月8日より採取

 

5ちゃんねる呉座スレ4月14日より採取

 

5ちゃんねる呉座スレ3月21日より採取

 「女は楽してるのに文句ばっかり言ってやがる」「けっきょくは男が養ってやっているのだ」という偏見が呉座さんにあったことは、残念ながら否定できないのではないかと考えられます。

 そして與那覇氏は、呉座さんの北村さんへの誹謗中傷が、まるでまっとうなフェミニスト批判であるかのように論じます。これは事実に即していません。呉座さんが北村さんのニックネーム「さえぼう(先生)」でどんなツイートをしていたかは、魚拓などに残されています。

 現在見ることができるのは、2019年ごろの魚拓2020年ごろのアーカイブ今年3月時点での魚拓などがあります。どうでしょうか。これらがフェミニズムに対するまっとうな批判と呼べるでしょうか。ただの誹謗中傷ではないでしょうか。

 傾向として、RTの多さが目に付きます。「さえぼう」叩きは呉座さんが一人で粘着しているというより、「アンチフェミ界隈」のようなものがあり、その中での有力コンテンツとして遊ばれていて、呉座さんがそれに乗っかっているということです。私はこのような悪縁を遮断することこそ、呉座さん復活の最大の条件だと考えています。

 「アンチフェミ界隈」では、「さえぼう」は実態としての北村さんから離れ、いわばキャラクター化されて消費されているのがとりわけ醜陋といえるでしょう。実在の人がSNSの向こうにあることを理解せず、勝手な虚像を作り上げているのです。

 

 口幅ったいことですが、私はこれに関連して、呉座さんを諫めたことがありました。それをスクリーンショットで保存してくれていた方がいるので、どなたかは存じませんが、ありがたく使わせていただきます。

5ちゃんねる呉座スレ4月12日より採取

 

5ちゃんねる呉座スレ4月10日より採取

 墨東公安委員会というのは私が学部生の頃から使っているハンドルネームで、「山鳥さん」とは私の名前である「嶋」を分解した隠語です。

 私はいくらなんでも、呉座さんの北村さん理解が一方的な思い込みに過ぎると感じました。それを指摘すると同時に、呉座さんのツイッターでよくRTしたりやり取りしている連中に、「フェミ叩き」で悪名高い連中がまま見られることに懸念を抱き、このような指摘をしたのですが、残念ながら呉座さんには真面目に受け取ってもらえなかったようです。

 またこのツイートからは、呉座さんの北村さんへの偏見が、フェミニズムだのなんだのというだけでなく、地方出身者へのコンプレックスのようなものもあると感じられます。呉座さんも私も(ついでにいえば與那覇氏も)東京の中高一貫校を中学受験して東大に行ったというよくあるパターンですが、別にそれが悪いことでも何でもないのに、「苦労した地方出身者に比べ甘ちゃんだと思われる」というような勝手な被害者意識を持っていなかったか、それも懸念されるところです。

 なお呉座さんの地方に対する発言には、以下のようなものもあったことを指摘しておきます。

5ちゃんねる呉座スレ4月13日より採取

 沖縄独立が非現実的だと指摘するにしても、もうちょっと穏当な表現はなかったのかと思わされます。

 以上のように、呉座さんの北村さん叩きは、決してまっとうな批評と呼べるものではありませんでした。それは「フェミ」を叩くというネットの俗情に結託し、時には地方出身者への偏見も混ざっていた、はなはだろくでもないものだったのです。

 

 さて、先の箇所に続いて與那覇氏は、こう論じます。

 一連のツイートからは専門である日本中世史の分野でも、(呉座氏の視点では)かなり偏ったスタンスでのジェンダー研究が台頭してきたことに、批判意識を抱いていたようだ。

  どうなのでしょうか。これに関しては研究者である東専房さんという方とのやり取りがいくつかスクリーンショットで残っています。

5ちゃんねる呉座スレ4月12日より採取

 

5ちゃんねる呉座スレ11月4日より採取

 率直に言って、呉座さんの東専房さんへの発言には、アカハラ的なものもありますし、学問的な議論というよりは人格攻撃に近く、意義のある議論を生みそうにありません。それは当時の時点でも、「豊饒な可能性のある一分野が過剰に叩かれる」と懸念されるようなものだったのです。研究における批判意識と呼べるのかは、疑問なしとしません。なお東専房さんのツイートは、ツイログから見ることができます

 與那覇氏の論でひとつだけ賛同できるのは、もし中世史へのジェンダー視点の導入のやり方の問題があるというのなら、呉座さんにはいくらでもまっとうに書ける媒体はあったはずで、なぜそうしなかったのかというのがあります。それは確かにそうですが、残念ながら呉座さんジェンダーやフェミニズムへの攻撃は、「界隈」の遊びであって、学問ではなかったのです。

 

 続いて與那覇氏は、呉座さんの発言が「切り取り」されて恣意的に解釈されていると、以下のように論じます。

 たとえば呉座氏が医大入試での不正採点問題に際して述べた、「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」という発言を抜き出し、同氏が「女性の自己実現自体を否定した」かのような非難がなされている。率直にいって、露悪的な表現としても度が過ぎているのは事実だと思うが、あきらかに恣意的な切り取りだ。

  呉座氏のもともとの発言は、「数千万円ないと入学できない医大入試を女性差別の象徴にするのは馬鹿馬鹿しくて話にならない。お嬢様の自己実現なんて知らんがな」である(太字強調は引用者)。女性全体の地位向上を目指すべきフェミニズムが、運動のシンボルに選ぶべき事例をまちがえてはいないか、と述べているのであって、医大による男女差別自体を肯定しているわけではない。

  「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」という呉座さんの暴言はネットに広まってしまいました。與那覇氏はそれを指して「切り取り」だと言っていますが、果たしてどうでしょうか。これをフェミニズム運動の批判と読み取ることこそ無理強いではないでしょうか。「お金持ちのお嬢様⇔一般人」のような対比がこの場合に意味があるのでしょうか。同じスタートラインに立っていることになっている、男女の医学部受験者が、性別によって恣意的に点差をつけられていたのです。お前は恵まれてるんだから男女差別を受け入れろ、と書き換えると、そのおかしさが分かるでしょう。このことを呉座さんはわざと捻じ曲げており、與那覇氏はそれを無理くりに擁護しているといわざるを得ません。

 さらに言えば、呉座さんはそもそも女医というもの偏見を持った発言をしています。呉座さんのツイートのスクリーンショットには、はっきり女医をバカにしたものがあるのです。

 

5ちゃんねる呉座スレ4月8日より採取

 

5ちゃんねる呉座スレ4月10日より採取

 さすがに後者はたしなめられていますが、呉座さんは改めなかったようです。

 他にも類似のツイートの魚拓が残っています。女医についてこのような発言をしていた呉座さんであれば、医大入試の男女差別について肯定していた、と考えざるを得ません。

 

 そして「與那覇1」の後半には、

  具体的には、公開された呉座氏の過去の発言を「誤読」ないし「意図的に歪曲」して、同氏が一人の女性研究者を中傷したのみならず、全面的な「性差別主義者」「レイシスト」であったかのような風説が流布されている。こうしたことは、呉座氏が北村氏に対して行っていた揶揄と同様かそれ以上に、許されてはならない。

 とありますが、残念ながら呉座さんの言説は、ここまで縷々見てきたように、そう取られても仕方のないものだったのです。「レイシスト」についてもいくつか補足しておきましょう。「ツイセーブ」の魚拓の「韓国」「BLM」を示しておきます。

 あるいは、このようなスクリーンショットもあります。

 

 5ちゃんねる呉座スレ4月13日より採取

  いわゆる「慰安婦」問題に関して、軍の「動員レベル」での関与に固執するこのツイートは、この問題を矮小化してしまう歴史修正主義的なもの、とされても仕方ないのではないでしょうか。専門外で詳しくなかったにしても、あまりにも軽率であり、女性差別的な思い込みが学問的な知識を凌駕してしまっているのは悲しいことです。

 

 このように、呉座さんはさまざまな――女性(全般も、特定個人も)の他にも地方や他国・多民族など(引用はしませんが部落差別やヨーロッパへの偏見もあります)の幅広い差別的言辞に興じていました。この点については真摯な反省を求めます。私の考えでは、これはネット空間の闇に堕ちてしまったことによるもので、ネットの悪縁を断って冷静になれば、これらの言辞が唾棄すべきものであることは、呉座さんには容易に理解できるはずのことと信じています。

 以上のように、呉座さんのツイッターをネット上に残されたデータから復刻してみると、呉座さんの問題発言が広い範囲にわたることは容易にわかるにもかかわらず、與那覇氏はこのように書いています。

  不思議なのは私よりもはるかに呉座氏と親交が深く、彼の今後に期するところもあるはずのそうした識者たちが、それこそ実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難まで呉座氏に浴びせられるのをただ傍観し、我関せずを装っていることである。いったい彼らにとって、実証とは、あるいは学問とは、なんのためにあるのだろうか。(引用注:太字は原文ママ)

  これに対し、実証的に読み解いた結果が本論です。呉座さんの差別意識は残念ながら広い範囲にわたっており、時間的にも長く続いていました。北村さんへの誹謗中傷はほんの氷山の一角にすぎません。実証を云々する與那覇氏は、ちゃんと呉座さんのツイートの全体像に迫ろうとしたのでしょうか。個々の片言だけみれば差別意識があると断定できなくても、多数重なるとそういった意識の存在があるといわざるを得ないでしょう。片言を取り上げて無理やりな擁護をしているのは與那覇氏です。

 與那覇氏は呉座さんのツイートをまとめた togetter が消えていることを以てこう論じます。

  附言すれば、呉座氏への社会的な非難をここまで拡大させたのは、ツイートを一覧にして掲示する「まとめサイト」の存在だったが、当該のページは数日にして非公開に設定され、早くも問題の全体像を再把握し、非難の妥当性を検証する機会は閉ざされている。平素、「史料の保存」に基づき後世の評価を期すことの重要性を叫ぶ歴史学者諸氏は、同業者が(加害者でもあったとはいえ)被害者となる事件がこうした形で収束しても、何も感じるところはないのだろうか。

 まず、呉座さんは本件に関して何よりも加害者です。そこを無理に被害者に仕立て上げるのは、かえって呉座さんの更生のためになりません。そして私が、5ちゃんねるの呉座スレを5から20まで16スレッドを調べただけで、本論に引用・リンクしただけのデータは見つかりました(把握できた総数はスクリーンショット約200、魚拓約30に上ります)。さらに、與那覇氏が消えたとする togetter のデータも相当部分がアーカイヴされていて今でも見ることができます(こちらこちら)。氏はデータ発掘の努力をされたのでしょうか。そしてそれらのデータを見れば、呉座さんへの批判は避けがたいものであったといわざるを得ません。

 しかしそれによって、呉座さんが研究者生命を断たれるべきとは、私は思いません。これらの史料を見れば、呉座さんがどこの誰とも知れぬSNSの連中に過度に入れ込んだために問題が起こったことは見えてきます。であれば対策も分かるというものですし、それを見ていた私たち(研究者であってもなくても)にとっても他山の石として有用なものであるはずです。決して他人ごとではないのです。

 実証的でないと歴史研究者を腐した與那覇氏はこう論を結びますが、ここまでが全然実証的でないのですから、結論も無茶なものになります。

 呉座氏というシンボルを損なった「実証史学ブーム」なるものは、今回の騒動を最後に雲散霧消し、歴史学それ自体の意義を顧みる人も、やがて誰もいなくなるだろう。私個人としては、それはそれでもうかまわないとも思う。

 なるほど呉座さんの『応仁の乱』はヒットしましたが、「実証史学ブーム」などと呼ばれるものがあったのでしょうか? 中世史の新書がいくつも出たりしてそれなりに売れたようですが、それを「実証史学ブーム」と呼ぶことは妥当なのでしょうか。近現代史専攻からすると、日本では今日も歴史修正主義が横行しており、「実証史学」がブームとは到底信じがたいことです。

 このように與那覇氏の論は、実証が全くなっておらず、断片的情報の無理やりな解釈から、呉座さんを擁護して歴史学者一般をけなす(そして自分だけが偉いのだと威張る)、まったく碌でもない文章です。しかし残念ながら、近年の與那覇氏の文章全般がそのようなものなのです。

 たとえば「コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう」などは、勝手な思い込みで歴史学に無茶苦茶な攻撃をしています。歴史感覚を持つのは選ばれた自分のような人間だけで、他は全部クズ、まあそっちの方が生きやすいよねと冷笑し、抜け目なく自著の宣伝を盛り込む。歴史学に過大な責務を負わせ、それを果たしていないと歴史学者を攻撃し、自分だけはそれができていると誇る、典型的な「トンデモ」と化してはいないでしょうか。歴史家廃業と自分で言いながら、「與那覇1」では歴史学者という肩書を使っているのも、ご都合主義と私には思われます。

 残念ながら私の目には、與那覇氏はもう帰還不能点を越えているように思われます。そこで私が祈ることは、まだ戻ってくる意志のある呉座さんが、悪縁を断って正道へ戻ることです。そのためには頓珍漢な擁護はまったくためにならず、やってしまったことを真摯に再確認して反省してもらうしかないと考えています。本論は呉座さんのやったことをあげつらっているといえばそれまでですが、やったことを認めてこそ復活も実態が伴うものと考えてのこととご理解ください。

 

 「與那覇1」批判だけで相当な紙幅を費やしたので、「與那覇2」の批判は別稿とします。

 

※追記:別稿を掲載しました⇒「與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(2)」

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