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中谷功治『ビザンツン帝国―千年の興亡と皇帝たち』(中公新書、2020年)再版での修正箇所について
2020年6月25日刊行の拙著 『ビザンツ帝国―千年の興亡と皇帝たち』について、ありがたいことに7月10日に第二版(再版)が発行されました。本来ならばあってはならないことではありますが、私の不注意が原因で初版では非常に多くの誤りが見つかり、再版に際して修正することになりました。日本ビザンツ学会会員のみなさんをはじめ、誤りを指摘してくださった方々に深く御礼を申し上げます。
誤りは誤字・脱字のレベルから、著者の軽率さによる事実誤認、そして調査不足による大きな誤りまで多岐にわたります。これらについて、対応の方法はさまざまあろうかと存じます。けれども、事実を何よりも重んじる歴史叙述という本書の性質を重視して、可能なかぎりではありますが、修正をおこなう判断をいたしまた。残念ながら、これらは最低限での訂正にとどまります。多くの方にとって不十分と思われる点も多々あろうかと存じます。ただただ責任を痛感しております。
以下に、字句および事実関係の誤りについての修正箇所をお知らせいたします。拙著をご購入くださった皆様に深くお詫びするとともに、修正の機会が与えられたこと感謝いたします。なお、第2版では間に合わず、今後に予定される第3版での修正箇所などについてもあわせてお知らせいたします。
(第2版での修正箇所)
・2ページ ビザンツ皇帝在位表① 「マリキアヌス」→「マルキアヌス」
・23ページ キャプション 「右から4人目が」→「右から6人目が」
・24ページ8行目 「『秘史』三〇巻」→「『秘史』三〇章」
・34ページ7行目 「マウリキオス」→「マウリキウス」
・35ページ2行目 「下士官将校」→「下士官」
・59ページ3行目 「アンテミオス」→「アルテミオス」
・63ページ キャプション 「現アヤソフィアナ博物館」→「現アヤソフィア博物館」
・90ページ1行目 「〜絶縁する一方、」→「〜絶縁し、さらに」
・93ページ5行目 「ニケオフォロス」→「ニケフォロス」
・95ページ3行目 「父親のヘラクレイオス」→「祖父のヘラクレイオスが」
・110ページ 地図 「ドュラキオン」→「デュラキオン」
・163ページ キャプション 「B・M・メッツー」→「B・M・メッツガー」
・164ページ7行目 「ギリシア語小文字の誕生ついては」→「ギリシア語小文字の誕生については」
・170ページ2-3行目
「ニケフォロスの息子たちにも栄達が待っていた。バルダスはカイサル、レオンはクロパラテスという皇族の爵位を獲得する」
↓
「ニケフォロスの一族にも栄達が待っていた。父親のバルダスはカイサル、弟のレオンはクロパラテスという皇族の爵位を獲得する」
・170ページ13行目 「ニケフォロス帝の子ども」→「ニケフォロス帝の身内の者」
・185ページ12行目 「史料に登場するは」→「史料に登場するのは」
・186ページ14行目 「一三世紀に編纂された」→「一二世紀に編纂された」
・189ページ12行目 「神聖ローマ皇帝」→「イタリア王」
・195ページ11行目 「ミカエル・オルファノトロフォス」→「ミカエル・パフラゴン(パフラゴニア人)」
・195ページ13行目 「ミカエル四世オルファノトロフォス」→「ミカエル四世パフラゴン」
・198ページ13行目 「(モノフュラクス)」→「(ノモフュラクス)」
・201ページ3行目 「甥にあたる人物であった」→「血縁者であった」
・203ページ10行目 「イサキオス家のコムネノス」→「コムネノス家のイサキオス」
・221ページ13行目 「『イリアス』『オデュッセイア』にあやかり」→「『イリアス』にあやかり」
・228ページ8行目 「ロマノス三世」→「ロマノス四世」
・235ページ10行目 「ブロワ伯エティエンヌ」→「ゴドフロワ・ド・ブイヨンの弟ボードワン」
・242ページ4行 「甥ヨハネス・コムネノス」→「義理の兄弟ヨハネス・ドゥカス(皇后エイレネの兄)」
・246ページ4行目 「精神的支柱をともなっていた」→「精神的支柱があった」
・257ページ14行目 「その子息が」→「その一族から」
・257ページ 最終行 「ミカエル八世である」→「ミカエル八世が出た」
・271ページ10-12行目
「父親のモンフェラート侯グリエルモ七世はテサロニキの支配者であったから、彼はこの都市を妻の持参金として受け取った」→「父親のモンフェラート侯グリエルモ七世の先祖はかつてテサロニキの支配者であったから、その縁もあり今回の結婚となったのかもしれない」
・275ページ3行目 「ドラガシュ・デジャノヴィッチ」→「ドラガシュ・デヤノヴィッチ」
・279ページ キャプション「ベリッツォ・ゴッツォリ」→「ベノッツォ・ゴッツォリ」
・280ページ4行目 「コジモ・イル・ベッキオ」→「コジモ・イル・ヴェッキオ」
・285ページ5行目 「一五四三年」→「一四五三年」
・289ページ最終行 「前二著は一九七〇年代後半の刊行であり」→「前二著のうち前者は一九六八年、後者は一九七七年の刊行であり」
・297ページ「主要参考文献」おわりに 「渡辺金一『ビザンツ社会経済史研究』岩波書店,1976年」→「渡辺金一『ビザンツ社会経済史研究』岩波書店,1968年」
・304ページ「主要参考文献」序章 『ローマ帝国の崩壊』→『ローマ帝国の崩壊:文明が終わるということ』
(第3版での修正箇所)
・248ページ 5行目 「マヌエル二世」→「マヌエル一世」
・271ページ14行目 「(アンナと改名)」→「(マリアと改名)」
・273ページ 12-13行目 「マルツァ川」→「マリツァ川」
・274ページ最終行 「一三九一年」→「一三九〇年」
・282ページ8行目 「筋金入りの反合同論者として」→「反合同論者として」
・282ページ13行目 「(一三六〇頃~一四五一)」→「(一三六〇頃~一四五二)」
・286ページ8-9行目 「ハンガリー王を敗死に追いやるなど」→「ハンガリー王の軍を一蹴するなど」
(今後修正すべき誤り)
・101ページ 15行目 「(大帝、在位七四二~八一四)」→「(大帝、在位七六八~八一四)」
・183ページ 5-6行目 「クヌート王はその後イングランドに侵攻し」
→「クヌート王はイングランドに侵攻し」
・220ページ ビザンツ皇帝在位表⑥
「アンドロニコス1世コムネノス 1183-1185 簒奪・叔父」
→「アンドロニコス1世コムネノス 1183-1185 簒奪・一族」
以上、あまりに多くの数の誤りについて修正報告することになりましたこと、あらためて衷心よりお詫び申し上げます。