研究ブログ

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オープンサイエンスを読み解く:「つくばコミュニケ」と関連報道から

2016年5月15日から17日にかけて、つくば市でG7 茨城・つくば科学技術大臣会合が開催され、その成果として「つくばコミュニケ」が採択された。これは、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、英国、米国の科学技術担当大臣と、欧州委員会の研究・科学・イノベーション担当委員による共同声明である。その全文が、以下のウェブサイトで公開されている。

G7茨城・つくば科学技術大臣会合 2016年5月15日~17日
関連会合文書 | 文書・資料 | 伊勢志摩サミット

このつくばコミュニケでは、インクルーシブ・イノベーションとオープンサイエンスが分野横断的課題、グローバルヘルス、次世代の科学技術イノベーション人材育成・女性活躍推進、海洋の未来、クリーンエネルギーが個別課題と位置づけられ、これらの課題に取り組むための科学技術イノベーションに関する議論があった。

このつくばコミュニケの内容、そしてそれに関するメディア報道から、オープンサイエンスを読み解くというのが本記事の趣旨である。

最初に、つくばコミュニケをメディアがどう報じたのかから読み解いていこう。Google Newsを「オープンサイエンス」で検索し、つくばコミュニケに言及する記事を拾って、オープンサイエンスに関する記述を抽出してみたのが以下である。なお、以下の記事以外にもつくばコミュニケに言及した記事はあるが、オープンサイエンスという単語を含まない記事は除外した。

毎日新聞:G7科技相会合 声明履行へ、日本意欲 海洋観測網強化
オープンサイエンスについては「公的な研究成果を企業や市民が活用できれば、さらなる成果が期待できる」と指摘。会合では、個人情報保護や経済競争などに配慮しつつ、推進策を検討する作業部会の設置に合意した。

東京新聞:G7科技相会合が閉幕 「防災の協力推進」追加
共同声明には、人類にかかわる二つの原則を反映させた。年齢やジェンダー、言語、地域を問わず、全ての人に科学技術で繁栄をもたらす「インクルーシブ(包摂的な)イノベーション」と、科学データを学術関係者だけでなく、民間企業や一般市民とも共有する「オープンサイエンス」だ。
 記者会見では、「科学は社会全ての人にとって役立たなければならない」(英国)、「科学技術の世界規模の課題には協力しなければならない。より良い科学を市民に広げることが必要」(EU)などの意見が出た。

中日新聞:高齢化は技術革新で対処 G7科技相会合、声明採択し閉幕
研究成果やデータを研究者以外にも公開し、市民科学の裾野を広げるための「オープンサイエンス」の推進も決めた。

茨城新聞:G7茨城・つくば科技相会合 地球規模の課題解決へ
このほか、海洋の生物多様性を維持するための国際的な観測態勢の強化や、研究成果やデータを研究者以外にも公開する「オープンサイエンス」の推進などに取り組んでいく。

SankeiBiz: 高齢化への研究を推進 G7科学技術相会合が共同声明
公的資金による研究成果を企業や市民が入手できる「オープンサイエンス」を推進することも盛り込んだ。

日本経済新聞:感染症研究で連携加速 G7科技相会合で共同声明
各国は実験データをやりとりする「オープンサイエンス」と呼ぶ手法で連携し、研究を加速する。国際ルールづくりに向け、作業部会の設置も決めた。

記事のタイトルにオープンサイエンスを入れたものは、残念ながら見つからなかった。その代わりにタイトルで取り上げられたキーワードは、高齢化2、海洋1、防災1、感染症1であり、やはり日本として高齢化が最大の関心事ということになろう。それらの具体的な課題と比較すればオープンサイエンスは明確なイメージが描きにくいことは否めず、各社とも記事の最後の方で言及するにとどまった。

次に記事本文におけるオープンサイエンスの取り上げ方を見てみよう。

まず研究成果のオープン化について。毎日新聞は「活用」、東京新聞は「共有」、中日新聞と茨城新聞は「公開」、SankeiBizは「入手」、日本経済新聞は「連携」という言葉で表現しており、各社の表現が異なる点は興味深い。この表現の違いは記者・編集者の視点の違いによるものであろう。「活用」と「入手」は市民側からの視点、「公開」は研究側からの視点、そして「共有」は両方を俯瞰した視点である。なお日本経済新聞の「連携」は研究側に閉じた視点であり、他とは異なり市民という視点は入っていない。

次に市民科学について。明示的に言及したのは中日新聞だけで、その他はあまり触れていないのは、そこがあまり印象的に思えなかったためだろうか。また作業部会の設置に触れたのは毎日新聞と日本経済新聞、個人情報保護や経済競争に触れたのは毎日新聞と、ここでも力点の置き方に違いがある。最後に日本経済新聞だけがオープンサイエンスを「手法」と呼んでいるが、実際のところオープンサイエンスという特定の手法があるわけではないので、ここはもう少し説明が必要な箇所かもしれない。

このように、つくばコミュニケとその記者会見は、オープンサイエンスに関してかなり幅のある印象を与えたようである。ただし研究成果の公開・共有・活用にはすべての記事が触れていることを踏まえると、オープンサイエンスは研究成果のオープン化に関するものであるというのが、各社共通の理解になったと言えそうである。

さて、これらの報道が参照する「つくばコミュニケ」であるが、そもそもこの文書には何が書かれているのだろうか。5月19日時点で公開されている原文(英語)および日本語訳版(仮訳:暫定版)を参照しながら、元のテキストを読み解いてみたい。後述するように、原文と日本語訳には内容に違いがあるため、本来なら正式な日本語訳を待ってから内容を理解すべきかもしれないが、原文と日本語訳の不一致自体からコミュニケの編集過程に関する情報がにじみ出ている可能性もあるため、ひとまず仮訳を参照した比較を行う。

まずオープンサイエンスについて、序文(Introduction)に以下の言及がある。

Furthermore, we acknowledged that Open Science can change the way research and development (R&D) is undertaken, with emerging findings leading to far greater global collaboration and encouraging a much broader range of participants and stakeholders. We also recognized the importance of Open Science as a driver for greater inclusion in R&D, for example with the emergence of citizen science.


さらに我々は、オープンサイエンスは研究開発(R&D)のあり方を変えることができ、その結果として国際連携の強化や参加者・ステークホルダーの拡大につながる可能性があることを認めた。 また我々は、市民科学の台頭に代表されるような R&D における包摂性を推進する上でも、オープンサイエンスが重要な役割を果たすことを認識した。

オープンサイエンスの定義は様々であるが、序文ではコミュニケの重要コンセプトである「インクルージョン」と関連付け、誰でも分け隔てなく共に参加するサイエンスという観点からオープンサイエンスのイメージが描き出されている。その一例が市民科学であり、たとえば最近の記事幻だった(?)マヤ遺跡発見:宇宙考古学と市民科学と人文情報学の視点もこれに関連する話題である。インクルージョンという目的を達成するための手段としてのオープン性に焦点を合わせているとも言えるだろう。これもオープンサイエンスの一側面である。

続いて本文では、オープンサイエンスに関する主題と副題が提示される。

6: Open Science‐Entering into a New Era for Science
Putting into Practice New Framework of Research and Knowledge Discovery, Sharing, and Utilization through Openness

6: オープンサイエンス-サイエンスの新たな時代の幕開け
オープン化をベースとした、研究と知識の発見・共有・活用に関する新しいフレームワークの導入

本文では、サイエンスに関係者を巻き込んでいくというインクルージョンのコンセプトは弱まり、むしろサイエンスを外に開くことで社会の利活用を進めていく方向に力点が移っている。

Open science enables broad and straightforward access to and use of the results of publicly funded research (e.g. scholarly publications and resultant data sets) not only for academics, but also the private sector and the general public more broadly.

オープンサイエンスは、学術関係者だけでなく、民間企業や一般市民が、幅広い分野の公的資金による研究成果(論文や関連するデータセット等)に直接アクセスできるようにするものである。

最初のポイントは、論文へのオープンアクセスやオープンデータである。オープンデータといえば、2013年のロンドンサミットでオープンデータが取り上げられたことがよく話題に上るが、オープンデータ憲章(概要)にも説明があるように、当時の主な対象は「政府データ」であった。今回はこれが「公的資金による研究成果」に変わった点が、一つの大きな違いである。

Fundamental to the progress of open science is the continued investment by governments and others, such as the Group on Earth Observations’ Global Earth Observation System of Systems (GEOSS), in suitable infrastructures and services for data collection, analysis, preservation and dissemination. These systems and services offer a new approach to research, creating the possibilities for new scientific developments and increasing the returns from government investment in research. We endorsed this approach and decided to promote open science, taking in to account the particular characteristics of individual research fields.

オープンサイエンスの推進には、例えば地球観測に関する政府間会合が構築した全球地球観測システム(GEOSS)のように、政府機関やその他機関が、データ収集、解析、保存、公表のための適切なインフラとサービスに継続的に投資を行うことが必須である。このようなシステムは科学研究に新たなアプローチを提供し、新しい科学の発展の可能性をもたらすとともに、政府が投資した研究からの見返りを大きくするという側面を持っている。

ここではGEOSSという固有名詞の明記が目を引く。地球観測データは、グローバルなデータ共有による社会課題解決というイメージに最も適合するからだろうか。ちなみに私も参加するDIASプロジェクトは、GEOSSに対する日本からの参加主体となっているプロジェクトであり、ここでもオープンサイエンスへの取り組みは大きな課題となっている。

There has been an abundance of open science practices in many countries and organizations and in many different fields of science in recent years. We recognized a growing need to share common international principles for open science and to put these principles into practice through open access to scholarly publications and open data.

我々は、このアプローチを支持し、研究分野によって事情や状況が異なることを念頭に置きつつ、オープンサイエンスを推進することに決意した。 オープンサイエンスは、ここ数年、さまざまな国や組織、さまざまな科学の分野で実施されてきた。我々は、オープンサイエンスに関する世界共通の原則が必要になっていること、およびオープンサイエンスは学術論文へのオープンアクセスとオープンデータを含む必要があることを認識した。

この部分はなかなか興味深い。英語と日本語の内容に違いがあり、日本語の冒頭にある歯切れの悪い感じの文章が英語版には存在しない。この違いは仮訳だからなのか、最終段階で削られたからなのか、そのあたりの事情はよくわからない。分野による慣習の違いはオープンサイエンスの議論では必ず問題となるところで、日本に固有の問題ではないはずなのだが、英語版がそうした細かい話をばっさり削った形になっているのは、コミュニケの目的は世界共通の原則をシンプルに打ち出すことにある、との意図があるのかもしれない。

Furthermore, we recognized the importance of stronger foundations for the support of open science, such as incentives for researchers and institutions, support systems and human resources.

さらに、研究者や研究機関にインセンティブを付与するなど、オープンサイエンスを支える基盤を強化することが、オープンなシステムやそれに係る人材を支えることを認識した。

オープンサイエンスを推進するには、なんといっても人材が必要である。そして人材を育てるにはキャリアパスが必要である。そしてキャリアパスを回すためには、インセンティブが必要である。インセンティブの部分がなければ、いくら崇高な目標があってもオープンサイエンスは進まない。しかしインセンティブをどう設計するかは、サイエンスという文化にも深く根ざす問題でもあり、解決には多くの関係者による努力が必要であると思う。

We recognize the need to promote access, taking into consideration privacy, security, and legitimate proprietary rights, and different legal and ethical regimes, as well as global economic competitiveness and other legitimate interests.

我々は、プライバシー、情報セキュリティ、正当な所有権、国や地域によって異なる法倫理、国際的な経済競争力、その他の正当な利益を考慮に入れつつ、オープンアクセスを促進する必要性を認識する。

いくらオープンサイエンスが重要とはいえ、なんでもかんでもオープンにする(できる)わけではない。なぜオープンにできないのか、よく取り上げられる理由を最後にまとめて列挙している。

i. Establish a working group on open science with the aims of sharing open science policies, exploring supportive incentive structures, and identifying good practices for promoting increasing access to the results of publicly funded research, including scientific data and publications, coordinating as appropriate with the Organisation for Economic Cooperation and Development (OECD) and Research Data Alliance (RDA), and other relevant groups

i. オープンサイエンスに関する作業部会を設置して、OECD といった国際機関との連携を視野に入れたオープンサイエンスのポリシーの共有、インセンティブの仕組みの検討、公的資金による研究成果の利用促進のためのグッドプラクティスの特定を行うこと。

仮訳からはなぜかResearch Data Alliance (RDA)が漏れているが、この固有名詞は確かに入れておいた方が良さそうだ。OECDとRDAはオープンサイエンスを主導する2つの大きな国際組織であるが、OECDは主にビジネスの立場から、RDAは学術および資金提供の立場からオープンサイエンスを進めている。

ii. Promote international coordination and collaboration to develop the appropriate technology, infrastructure, including digital networks, and human resources for the effective utilization of open science for the benefit of all.

ii. オープンサイエンスが有効に活用され、すべての人がメリットを享受できるようにする ために、国際的な協調や連携を推進して、デジタルネットワークの整備、人材の確保など、 適切な技術やインフラを整備すること。

作業部会の設置と並んで、技術とインフラと人材を育てるためには国際的な協調と連携が必要であるが、日本はそこにメインプレイヤーとして存在感を出せていないのが現状である。世界に向けて存在感を出せるよう、今後は日本の動きも加速していかねばならない。

以上、つくばコミュニケとメディアの反応、そして私の感想をまとめてみた。なお、オープンサイエンスそのものに関する読み解きは記事の範囲を超えるため、ひとまず以下の資料などを参考にしてほしい。
来週には伊勢志摩サミットにて、オープンサイエンス憲章のような文書が発表される可能性もあるので、それを待ってあらためてオープンサイエンスについて考えてみたい。
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幻だった(?)マヤ遺跡発見:宇宙考古学と市民科学と人文情報学の視点

ある少年がマヤの遺跡を発見した!というニュースが世界を駆け巡ったが、残念ながら幻に終わったようだ。この一件の何が問題だったのか、私の研究分野の視点から考えて見たい。

15歳少年のマヤ遺跡「発見」は間違いと専門家 現代の星図と地図を見比べても古代の遺跡は発見できない

このニュースが大きな反響を巻き起こした要因はいくつかあろうが、最大の要因はやはり「星座仮説」ではないだろうか。星座という言葉を聞くだけでロマンチックな気分になるし、子供でも考え付きそうな素朴な仮説であるのも受け入れやすい点だ。これに加えて、少年の仮説どおりに遺跡が見つかったという仮説検証型のストーリーも、鮮やかさを際立たせるためには格好の材料である。これらの要因を揃えた完璧なストーリーが、人々の心を見事に捉えたのであろう。

これらの要因がなぜ効果を発揮したのか、それは発見のストーリーとして考えうる別バージョンのストーリーと比較してみればわかる。例えば、ある天才少年がなんだか難しい数学理論を使って遺跡の場所を予測したというストーリーはどうだろうか。確かにすごいとは思うが、肝心の理論が理解できないと共感できず、ふーんということで終わってしまいそうだ。それとも、あるGoogle Earth好きの少年が、寝る間も惜しんで衛星画像をしらみつぶしに調査して遺跡を発見したというストーリーはどうだろうか。これだと仮説検証型ではなく網羅調査型のストーリーになってしまい、オタク少年が頑張ったという話にしかならないだろう。

つまり、少年による発見+星座仮説+仮説検証型という鮮やかな要素が揃ったストーリーが、そのようなストーリーを欲する人々の欲望にピッタリ当てはまり、世界的に燃え上がったというのが今回の一件ではないだろうか。分かりやす過ぎるストーリーには気をつけるべきというのは、STAP問題の教訓などから学んだことでもあるが、今回の鮮やか過ぎるストーリーにもどこか作為的な部分はなかっただろうか。広報戦略の失敗という意味では、STAP問題と似た面があるのかもしれない。



さて、これまでに検討した余分な修飾物を取り除いたストーリーを対象として、私の研究分野である宇宙考古学と市民科学と人文情報学の視点から検討してみよう。

最初に宇宙考古学の視点から。実は、衛星画像から遺跡を発見するという方法論自体は、以前から多くの研究者に利用されている正当な方法と言ってよい。宇宙から地表を観測する技術は、センサの位置が地表から離れているという意味でリモートセンシングと呼ばれるが、そうしたリモートセンシング技術を用いた遺跡探索を「宇宙考古学」と呼ぶ人もいるほど、よく知られた研究分野でもある。

遺跡を地上から探そうが、宇宙から探そうが、観測方法に根本的な違いがあるわけではなく、どのセンサをどの視点からどの解像度で使うかという点が違うに過ぎないとも言える。とはいえ、両者では得意なことが異なる。宇宙から探す場合のメリットは、ジャングルでも砂漠でもどこでも観測できるという点、そして広い範囲を一度に観測できるという点にある。特に後者の広域性は、巨大な構造物や細長い道や壁のように、広域的に見たほうが全体像が見えやすい構造物には有効である。またセンサの種類として、可視ではなくレーダーを使えば土の中に埋もれた遺跡も発見できることがあるが、これも宇宙に限った話ではなく地上でも同様である。

実は我々も、ディジタル・シルクロード・プロジェクトにおいて、シルクロードの遺跡を衛星画像から発見するというプロジェクトを10年近く続けている。このプロジェクトが扱っている問題は、行方不明遺跡の再発見という問題である。100年ほど前にシルクロードを探検した各国の探検隊が発見した遺跡の一部が現在は行方不明になっているが、それを衛星画像による遺跡探索で再発見しようというのがプロジェクトの目的である。昔はわかっていた遺跡がなぜ行方不明になってしまうのかといえば、それは100年前の探検隊の記録が不正確だからということになるが、細かく書いていくと長くなるので、詳しい内容については以下の論文などを参考にしていただきたい。



このプロジェクトを進める過程で、実は我々も遺跡を誤認しそうになったことがある。それはGoogle Earthでシルクロードの砂漠を調べている時だった。そこにはいかにも遺跡のように見える構造物が写っており、我々もてっきりそれが遺跡だと考えたのである。ところがよくよく見てみると、構造物の特徴がどうも昔の遺跡の特徴とは合わないことがわかってきた。そして慎重に検討を重ねた結果、その人工物は近年になって放棄されたものであると判断した。このように、たとえ人里離れた砂漠の中に四角い人工物があっても、それが遺跡とは限らないのである。そして最終判断のためには「グラウンド・トゥルース(ground truth)」、つまり現地調査による確認がどうしても必要である。現地調査の重要性は多くの識者が指摘していることであるが、まさにその通りなのである。

考古学も歴史学もエビデンスを基礎とする学問である。単に四角い構造物を見つけたというだけでは、遺跡と判断するエビデンスとしては不十分である。例えば構造物の配置が既知の構造物に類似していれば、エビデンスがより強化されることになる。その他にも、周囲環境は妥当か、他の記録と照合できるかなど、多くのエビデンスを積み重ねることで仮説の信頼度を高めていく。しかし現地に行かずに調査するアームチェア考古学だけでは、判断を下すには限界があるのも確かである。そこからさらに精度を高めるには、その近辺を現地調査したことがある経験者の「空気感」がどうしても必要になってくる。やはり現場の情報量は圧倒的に多く、現場に行って初めてわかることは多いのである。そして、さらに判断を確定的にするには、現地調査による確認は不可欠となる。それなしでは、誤った結論を出してしまう危険は避けがたいのである。

次に市民科学(オープンサイエンス)の視点から。一般に広く公開されているデータを使って市民が新しい発見を行うというのは、市民科学として近年注目を集めている方法である。その視点から見た場合、確かに得られた結論は正しくなかったかもしれないが、少年は市民科学者として意欲的な良い仕事をしたと言える。市民科学の一つの目的は、市民が学問に触れ、あわよくば学問的発見につながる機会を提供することで、学問への理解を深めるという点にある。少年が追究した仮説検証という学問的方法は、大いに奨励すべきものであって否定すべきものではない。むしろ問題が生じたのはその先である。市民科学において市民から提出された仮説を、専門家が精査するというプロセスに穴があったのである。専門家は市民による科学をどのようにファシリテートすべきなのか、そこを議論していかねばならない。

最後に人文情報学デジタル・ヒューマニティーズの視点から。今回の研究に関わった専門家は画像を提供したリモートセンシング研究者などが中心で、研究は少年が中心になっておこなったとの話も出ている。いずれにしろ、そこに考古学者はあまり関与していないようである。そのことに対する批判はすでに多いが、こうなったのは必ずしも意図した通りではないのかもしれない。というのも、たとえ考古学者に協力を求めたとしても、素朴な星座仮説では相手にしてもらえない可能性が高いからである。

ではそのような場合、どのように研究を進めればよいのだろうか。専門家の協力が得られなければあきらめるべき、というのでは独創的な発見をつぶしてしまう危険がある。また「専門分野外の人が適当なことを言うな」というありがちな否定だけでは、専門分野の閉鎖性とタコツボ化というまた別の問題を深刻化させることになる。私が好きな傑作本「独創はひらめかない―「素人発想、玄人実行」の法則」にもあるように、先入観にとらわれない素人的な発想がブレークスルーに結びつく例は多々ある。ただし素人の発想だけではだめで、玄人による実行が伴わなければならないというのがこの本の重要な主張である。マヤ遺跡プロジェクトの問題もここにあったのではないか。星座仮説という「素人」の発想までは良かったとしても、マヤ遺跡の「玄人」による検証がなされないまま、ストーリーが広がってしまったのである。

とはいえ、衛星画像という情報系の知識と遺跡という人文系の知識を組み合わせる人文情報学的な研究分野においては、研究の検証には複数の専門性が要求されることになるため、そのすべてを把握した玄人は存在しないこともある。かといって、一部の専門性だけで判断すると誤った結論を導き出す危険性がある。このように複数の専門性が関わる研究テーマにおいて、誤った結論から免れる唯一の方法は、複数の専門分野の研究者が密接に議論すべきということになろう。そう言うのは簡単だが、実行するのは簡単ではない。ある分野の価値観から外れる独自の仮説であればあるほど、協力を得ることは難しいからである。玄人の協力を得ることと素人の仮説を立てることは、両方が成立しづらいという意味では鶏と卵の関係に似ており、それに対する万能な解決策はないかもしれない。まあコラボできるようにみんな頑張りましょうという月並みな結論しか思いつかない。

以上をまとめると、衛星画像を使って遺跡を探索するという宇宙考古学の視点では、人工物を発見するところまではよかったが、データの意味を解釈する段階において、専門知識の不足によるありがちな間違いが生じた可能性がある。とはいえ、より重大な問題は、市民が提出した仮説を専門家が検証するという市民科学的な視点、および複数の専門性を越えて検証するという人文情報学的な視点にあったと言えるだろう。ただ付け加えるならば、このような問題構造そのものは珍しいものではなく、自分自身も同じようなミスを犯していないかヒヤヒヤする面は多々ある。分野を越境してよく知らない場所に踏み込むことにはリスクがつきまとう。何かミスを犯してしまったら、それを受け入れて改善するという謙虚さが重要なのかもしれない。

最後に、星座というロマンティックな仮説を提示した少年にとっては、いきなり厳しすぎる「オープン査読」の洗礼を受けてしまったことが気の毒であるが、これにめげずに今後も研究を進めて欲しいと願っている。市民科学者から専門科学者への成長を、みんなが応援してくれることだろう。
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観測精神のアーカイブ~「100年天気図データベース」と気象観測の歴史

1883年3月1日、「天気図」はこの日から毎日発行されるようになりました。今日2016年3月1日は、それから133周年となる記念日です。そこで以下では、日本の天気図の133年間の歴史をたどることができるウェブサイト「100年天気図データベース」を紹介します。

まずは日本最初の天気図を眺めてみましょう。ウェブサイトの日付検索に1883年3月1日と入力すると、1883年3月1日の天気図が表示されます。



なんと日本全体で、等圧線は2本しか描かれてませんね。。しかし2本とはいえ、これらは重要な情報を伝えています。西は気圧が低く東は気圧が高いという情報です。天気はおおむね西から東に変わるので、西の低気圧が東に進んでくることを考えれば、明日は天気が悪くなりそうだと予想することができます。今から比べれば初歩的なレベルの天気予報とはいえ、自分の周囲の空だけを眺めて予想する観天望気という昔からの天気予報と比べれば、グローバルな気象観測データに基づく科学的な天気予報に一歩近づいたと言えるでしょう。

では、実際はどうなったのでしょうか。上記の天気図のページから、翌日の1883年3月2日の天気図に移動してみましょう。



この日も等圧線はまばらですが、南の気圧が低く北の気圧が高いという気圧配置から、実際には低気圧は太平洋側を進んだという情報を読み取ることができます。太平洋側は南風ではなく北風が吹く天気となり、冷たい雨や雪の一日になったのかもしれません。1883年の天気図はデータ量としては確かに少ないのですが、地図上に等圧線を引いて全体像を把握することにより、初歩的なレベルの天気予報ができるようになりました。これは科学的な天気予報に向けた大きな一歩と言えるでしょう。

しかし天気図の製作は、実は気象観測技術の進歩だけでは実現できません。というのも、天気図とは各地の気象観測データを短時間で集約して解析したものですから、通信技術も発達しなければ天気図は完成しないのです。昔からある狼煙(のろし)による通信では情報量が少なすぎるし、馬による通信では遅すぎて遠方の観測データを当日中に集めることはできません。つまり、遠方からのデータを迅速に集約できる電信技術がなければ、天気図を完成させることはできないのです。日本全国に電信が広まったのは1870年代から1880年代にかけて。まさに当時の最先端の通信技術を活用し、データ統合と可視化という課題に挑戦したのが天気図の製作という事業だったのです。

そして天気図の製作を通じて、日本の気象学と気象観測、天気予報は進歩していきました。133年間に描かれた天気図(日本・アジア域地上天気図)の総数はなんと10万枚を越え、気象学の歴史を記録した科学的な歴史資料としても貴重な存在であると言えます。

ここで、天気図に関連する歴史を簡単に振り返ってみましょう。等圧線が2本しかない時代にはまばらだった気象観測データも、各地に電信が普及して観測点も増加してきました。そして日本はアジアに進出して観測範囲もさらに広がり、軍事情報としての気象情報の重要性も高まりました。第二次世界大戦に敗戦する頃には日本の気象観測網は大きな打撃を受けていましたが、戦後の復興とともに気象観測にも新たな時代が訪れます。天気図データベースには1958年から高層天気図が加わります。そして気象庁は1959年には当時最新鋭のコンピュータを導入、1965年には富士山レーダー、1974年にはアメダス、1977年には気象衛星ひまわりなど、新しい機器が続々と気象観測を開始し、天気図はより精緻なものになっていきます。しかし同時に、気象観測データを統合し可視化するという役割は天気図から数値予報モデルへと徐々に移行していき、いまや天気図は中心的な役割を果たすものではなくなりました。専門家が点と点をつないて等圧線を描いていた時代から、スーパーコンピュータによるシミュレーション結果を人間のためにわかりやすく描き直すという時代へ。133年間の天気図の推移とその役割の変化をたどることは、日本の気象学が発展してきた歴史をたどることにもなるのです。

しかしこの天気図データベースの価値は、こうした成果の歴史にとどまらないと私は考えています。天気図とは、一見すると実用のために製作された無味乾燥な図面のように思えるかもしれません。ところがこれをじっくり眺めていると、かつて天気図を描いた気象人たちの強い思いが伝わってくるような気がするのです。強い思いとは何でしょうか。それが「観測精神」です。

この言葉は、日本の気象学の開拓者の一人であり中央気象台長(現在の気象庁長官に相当)としても活躍した岡田武松が作った言葉とされています(追記)。これはどんな意味なのか、柳田邦男著「空白の天気図」から抜粋してみましょう(100年天気図データベースとは?)。
観測精神とは、あくまで科学者の精神である。自然現象は二度と繰り返されない。観測とは自然現象を正確に記録することである。同じことが二度と起こらない自然現象を欠測してはいけない。それではデータの価値が激減するからである。まして記録をごまかしたり、好い加減な記録をとったりすることは、科学者として失格である。
当時の気象観測に従事した人々は、みなこの岡田の教えを指針として、台風による暴風が吹き荒れるような困難な日であっても、欠測とならないよう気象観測を続けてきました。このような膨大な努力を100年以上も続けてきた成果の結晶が、この天気図データベースなのです。つまり天気図データベースは、気象観測という科学データのアーカイブであるだけでなく、気象人の「観測精神のアーカイブ」でもあり、そこに私はかけがえのない価値を感じるのです。

観測精神は日本の歴史が大きく動いた日にも発揮されました。過去の著名な天気図では歴史的な日の天気図をいくつか紹介していますが、特に重要度が高い第二次世界大戦に関連する日を取り上げてみましょう。まず開戦の日である1941年12月8日の天気図には「極秘」スタンプが押されています。この日から天気図は軍事機密になったからです。



一方、終戦の日である1945年8月15日にも天気図は製作されました。しかしよく見てみると、日本国内の観測点が異常に少ないことに気づきます。終戦の玉音放送を聞いた直後の気象人たちは、観測精神にしたがっていつも通りの気象観測を行い、それを伝えることができたのでしょうか。天気図の空白には、人間社会に起こった大きな変化の痕跡も残されているのです。



時代を越えて受け継がれてきた観測精神は、数々の伝説も生み出してきました。先に取り上げた「空白の天気図」は、広島への原爆投下直後から枕崎台風の襲来までの気象観測と人々の生き様を中心としたストーリーです。また新田次郎著「芙蓉の人」は、明治28年に富士山頂に気象観測所を設け、命がけで気象観測を続けた野中夫妻の感動的な物語を伝えています。富士山頂については、同じく新田次郎による「富士山頂」も私が好きな本です。伊勢湾台風という未曽有の災害を二度と起こさないために、富士山頂に気象レーダーを設置して「台風の砦」にしようという壮大なアイデア。それは高度経済成長期の日本を象徴する一大プロジェクトとなり、その後もNHK「プロジェクトX」の第1回放送で取り上げられるなど、気象観測という分野を越える伝説となりました。

しかし時代は変わりました。現代は気象観測の自動化が進み、宇宙空間の気象衛星からも刻々とデータが送られてくる時代です。今でも飛行機による台風観測のように危険性の高い気象観測は残ってはいますが、決死の覚悟で観測を続けてきた古典的な観測精神の時代と比べれば状況は様変わりしています。とはいえ、だから「観測精神」という言葉も価値を失ったのかといえば、そんなことはないように思います。「データの欠測は価値を激減させる」「きちんと観察せよ」といったメッセージは、現代的に解釈すればビッグデータ時代にも通じる指針となります。観測精神とは、データをきちんと分析して社会に役立てることへの使命感や価値観を表現する言葉であり、それは今も基本的に変わりないと考えるからです。

それは、固い言葉で言えば職業倫理、もう少し日常的な言葉で言えばプロ意識や生き方のようなものかもしれません。でも、それを「精神」と言い替えてみると、なんだか背筋が伸びてシャキッとしてこないでしょうか。「精神」とは、当時使われるようになっていた「時代精神」などに影響を受けたネーミングでしょうが、倫理などの言葉よりも主体的な姿勢を感じさせるいい言葉だと私は思っています。

私にも、こうしたデータベースを構築する際に心がけている「データベース精神」のようなものがあります。皆さんの仕事を支える「精神」もきっとあることでしょう。もし今はまだないとしても、何が本当に大事なことなのか、これを機会に一度考えてみてはいかがでしょうか。

【謝辞】本データベースの構築にあたっては、科学研究費補助金・研究成果公開促進費(データベース):平成25年度(258062)による助成を受けました。天気図の画像は、気象庁が気象業務支援センター経由で提供している画像を利用しています。一部の作業については、NPO法人 気象キャスターネットワークの協力を得ました。

【追記(2016年4月23日)】 本文では「観測精神」という言葉を使いましたが、もともとの言葉は「測候精神」です。この2つの言葉の関係について、古川武彦著「気象庁物語」(中公新書)に参考になる記述がありました。古川氏によると、岡田武松の「測候精神」とは、観測における心得に加えて日常生活における気象人のあるべき姿にまで踏み込んだ一種の精神訓だそうで、岡田の測候精神のうちの観測面については「観測精神」と呼ぶべきであろうと述べています。つまり、測候精神は観測精神よりも幅広い範囲を指す言葉であり、そのうち観測に関する心得については、本文のように「観測精神」と呼んでも差し支えないと考えられます。
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最後の更新?『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブと著作権問題

このたび『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブの更新を行いました。2013年2月以来、約3年ぶりの更新となります。



今回の更新で、デジタルアーカイブの規模は7万ページを越えました。ページ数という規模だけを見るなら、これは取り立てて大きなデジタルアーカイブとは言えません。むしろ規模ではなく学術的な価値を優先させ、価値の高い本だけを選書して丁寧に撮影した「厳選型」である点に最大の特徴があります。最初のバージョンを公開したのは2004年でしたが、それ以来約12年の間にページ数も約12倍に増えました。以下のページにこれまでの経緯をまとめていますので、どうぞご覧下さい。さて、このタイミングで新しい本を公開した理由には、実は著作権問題がからんでいます。実は新年とは、著作権保護期間が満了する時期でもあるのです。例えば青空文庫でも、毎年1月1日に、その日からパブリック・ドメインとなって青空文庫に加わった著者のリストを公表します。それと同様に、今回公開した書籍の著者の中には、2016年1月1日をもって著作権保護期間を満了した著者の方がいます。そうした書籍をできるだけ早くお届けしようと処理を進めた結果、新年早々が公開のタイミングとなったわけです。

とはいえ、このようなデジタル化を来年以降も続けられるかといえば、雲行きがかなり怪しい状況となってきました。それは、著作権保護期間の延長が、いよいよ現実味を帯びてきたことが理由です。昨年の2015年には、TPPが大筋合意し、著作権保護期間を70年に延長する流れができました。我々のデジタルアーカイブは、この延長の影響をモロに受けるのです。

このデジタルアーカイブが対象とする著者は、ちょうど著作権保護期間が満了するかしないかの境目となる時代を生きていました。そこで我々は学術的に重要な書籍を選び、著者の著作権保護期間が満了するのを待って逐次的にデジタル化を進めてきました。それがほぼ終了したいま、これからデジタル化する書籍は、これから著作権保護期間が満了する著者の書籍が対象となります。

ところが著作権保護期間が70年に延びると、今後20年の間は新たに著作権保護期間が満了する著者が出現しません。これは、私の研究者人生の間には、新規追加はもうできないことを意味します。つまり今回の更新が、「最後の更新」となる可能性も十分にあるわけです。今後20年間凍結状態が続くデジタルアーカイブは、20年後にどうなっているのでしょうか。私にも全く予想ができません。

一方、ただ20年間待つだけというのも能がないとは言えます。万が一70年に延長となれば、もはや保護期間の満了を待つという戦は無効になるわけですから、代替案としての「きちんと許諾を得て公開する」方法を、いよいよ本気で考えるべき時代が到来するとも言えます。これはなかなかしんどい道です。誰と交渉してどんな許諾を得なければならないのか、数十年もたてば不明なことがほとんど。とはいえ、その困難な道を切り開いていかねばならないのも確かです。

ごく限られた作品の著作権を守るために、他の多数の作品が巻き添えを食らうという構図は、全体として見れば文化の振興になっているのでしょうか?大いに疑問が残る点は多々ありますが、それはそれとして、現実的な解を見出していくことも同時に重要さを増してきます。今後はそうした方向でもチャレンジしてみたいと考えています。

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イラン・バム地震10周年とアーカイブプロジェクトの成果

イラン・バムで死者4万人とも言われる大地震が発生したのが2003年12月26日(Wikipedia:バム)。そして今日ちょうど10周年を迎えました。私たちは、地震発生直後からアーカイブ活動イラン・バムの城塞を開始し、あれから10年が経過してアーカイブはようやく部分的な完成を迎えつつあるところです。

その成果の一つとして、バム遺跡を3次元CGモデルで復元したウォークスルービデオを、YouTubeのDigital Silk Roadのチャンネルにいくつかアップロードしました。地震で崩壊する前の雄大な遺跡の姿を想像しながらお楽しみください。これ以外のビデオも3次元CG復元のウォークスルー映像で提供しています。



From Barrack to entrance ramp of Governor's House | Citadel of Bam, Iran  - YouTube

Governor's House and Watch Tower | Citadel of Bam, Iran  - YouTube

From fifth Defensive Wall to Chahar Fasl (Four Season) | Citadel of Bam, Iran  - YouTube

アーカイブ制作は基本的に地道な作業が必要です。地震で崩壊する前の建物を復元するためには、建物の大まかな寸法だけでなく、窓やファサードの細かい装飾などもいい加減には扱えず、どうしても検討と作業に時間がかかります。こういった3次元モデルの構築は、遺跡が現存するならレーザー計測を用いるのが定番なのですが、遺跡が災害で失われた後となってはそうもいかないのです。また、アーカイブは(特に情報学の?)研究としての新規性を訴えづらい面があり、研究プロジェクトの予算獲得にも難しさがあります。とはいえ、こうした問題を周囲の助けもあって乗り越えつつ、3次元モデルの構築を粘り強く進めてきた結果、バム遺跡の主要部分についてはこの秋にようやく3次元モデルを完成させることができました。

これまでのプロジェクトの経過については、今から3年前の時点の情報を2010年12月26日の記事イラン・バム地震7周年で紹介しました。またイラン・バムの城塞:ニュースでは、地震の5日後(2003年の大晦日!)にウェブサイトを立ち上げて以来のいくつかの出来事を記録しています。ちなみに文献としてはPost-Disaster Reconstruction of Cultural Heritage: Citadel of Bam, Iranなどがあります。

10年前、バム地震のニュースを聞いた直後のことを今でも覚えています。かつてバムで働いていたイラン人の大学院生と最初に話したとき、私はその場でアーカイブ構築を提案しました。そこには過去の記憶がありました。まず、1995年の阪神淡路大震災(阪神・淡路大震災から18年を機に、震災年表について考える)の記憶です。地震で何が起こっているかは、誰かが発信し記録していかねばならないことを痛感していました。そしてさらにその奥には1993年の北海道南西沖地震(北海道南西沖地震から18年を迎えた奥尻島)の記憶がありました。町が丸ごと失われた後の喪失感を埋めるためにも、何らかのアーカイブが必要ではないかと考えました。

それから延々とアーカイブ構築を進めてきた中間報告として、3年前の12月26日に書いたのが地震7周年の記事でした。そしてそれから数か月後に、あの東日本大震災(東日本大震災から1年半後~時の流れと記憶の忘却)が発生。その後アーカイブを取り巻く環境は変わったのでしょうか?確かに東日本大震災後には多くのアーカイブプロジェクトが立ち上がりました。記憶を後世に伝えていかねばならない、多くの人がそう主張しました。その後それらのプロジェクトがうまく進んだのかと言えば、なかなか簡単ではないなというのが正直な感想です。

アーカイブの最終的な成功とは何でしょうか。バム遺跡復元プロジェクトの場合、それは遺跡の物理的な復元でした。つまり物理的な復元にも使える精度の3次元モデルを構築することを(遠い)目標にしたのです。とはいえ、バム遺跡はあまりに巨大すぎ、コストの面から物理的な復元は難しいのが実情です。さらに、イラン南東部に位置するバムはアフガニスタンにも近いため、現在は治安の面でも極度に悪化しており、物理的な復元どころではない状況となっています。こんな状況で今後の目標をどこに見出していけばよいか。これは重要な課題であり、イランの人たちともこれから議論していきたいと考えています。
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