研究ブログ

カテゴリ:学会・研究会活動

第1回インターローカルサロン「町のスポーツ・文化と外国人市民--「ドイツ」は彼らとどう生きたいのか」

昨日は、21時から23時30分まで第1回インターローカルサロン「町のスポーツ・文化と外国人市民--「ドイツ」は彼らとどう生きたいのか」に参加しました。


インターローカルサロンは在独のジャーナリスト高松平藏さんが主宰する遠隔会議方式の集まりで、18世紀末に欧州各地で起きた、身分、性別、職業を超えて読書と議論を楽しんだ読書クラブの21世紀版を目指すものです。


第1回目の集まりとなった今回は、最初にドイツの中でも特に高松さんが活動の拠点とするバイエルン州エアランゲン市を取り上げ、外国人市民を民主主義という制度の成員(=市民)とするともに、民主主義を強靭にすることを目的としてどのような取り組みがなされているかが説明されました。


具体的にはスポーツや美術館・博物館・市民教育機関が社会の中でどのような役割を果たしているのか、また、社会運動やエアランゲン氏が2009年以来毎年開く統合会議を通して、都市の持つ役割や特長、そしてそれらの要素を支える人間の尊厳や平等、寛容、意見の自由を基盤とする「草の根型のデモクラシー」の意味が検討されました。


高松さんの報告の後は参加者との質疑応答と意見交換が行われ、スポーツと都市、スポーツと社会、市民と文化のかかわり方などについて様々な対話がなされました。


今後、インターローカルサロンが参加者により広く門戸を開いた集まりとして発展することが期待されるところです。


<Executive Summary>
The 1st Meeting of the Interlocal Salon "Relationships between Sports and Culture in a Town and the Foreign Citizens" (Yusuke Suzumura)


The 1st Meeting of the Interloca Salon hosted by Mr. Heizo Takamatsu was held on 7th August 2020. In this time theme of the meeting was "Relationships between Sports and Culture in a Town and the Foreign Citizens".

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高松平藏氏講演会「まちづくりにスポーツが必要な理由」

昨日は、日本時間の21時から23時30分まで、ジャーナリストの高松平藏さんによる講演「まちづくりにスポーツが必要な理由」を聴講しました。


今回はZoomによる遠隔会議方式で行われ、高松さんがドイツのバイエルン州エアランゲン市から日本の参加者に向けてお話をされました。


講演では、最初に「スポーツの機能」として「余暇」、「インクルージョン」、「社交」、「健康」、「教育」、「郷土愛」を、「スポーツを通して行われていること」として「運動」、「競争」、「気晴らし」、「関与」、「学習」を、「スポーツ活動に含まれる価値」として「相互敬意」、「平等」、「自由」、「連帯」、「寛容」が挙げられ、スポーツの持つ多様な側面が説明されました。


次に、「まちづくりとは何か?」という視点から、「まちづくり」という言葉が自治体、開発業者、個人といった違いによって対象となる範囲が伸縮すること、「まちづくり」における「まち」がコミュニティに相当することなどが指摘されました。


また、日本においては効率の良い開発のため地域を用途別に分けて開発を推進する「用途別開発」が主であったものの、開発の主体が「国家」から「コミュニティ」に移行する「まちづくり」は、自治の推進の契機となる可能性が示唆されました。


さらに、スポーツは社会資本であり、結果的に「まちづくり」の「縁の下の力」となることが、「都市社会生活に不可欠なサービス供給者」と「開かれた連帯的コミュニティ」というドイツにおけるスポーツクラブの役割や、可処分時間が増えるとスポーツに費やす時間が増えるというドイツの特徴が挙げられました。


そして、日本においては「集客のための手段」としてスポーツが利用され、ドイツでは「都市に住む人々の日々の生活」をより良くするためにスポーツが用いられるという対比から、スポーツの持つ多様な性格と、「まちづくり」におけるスポーツの果たす役割が検討されました。


講演とその後の質疑応答からは、スポーツの趣味や娯楽としての一面とともに社会的な位置付けが明らかにされるとともに、一つの現象の背後にある文化的、歴史的な側面を理解することが事柄そのものの理解に有益であることが示され、スポーツのあり方と可能性を考える上からも興味深い視座が得られたと言えるでしょう。


<Executive Summary>
Mr. Heizo Takamatsu's Online Lecture "The Reason Why Sports Are Required for Community Planning" (Yusuke Suzumura)


Mr. Heizo Takamatsu, a Germany-based journalist, held an online lecture entitled with "The Reason Why Sports Are Required for Community Planning" on 19th June 2020. In the lecture Mr . Takamatsu pointed out and discussed outline and meaning of sports for community planning.

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【聴講報告】シンポジウム「現代フランス哲学から見る〈共生と責任〉の問題」

本日、14時から17時56分まで、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)によるオンラインシンポジウム「現代フランス哲学から見る〈共生と責任〉の問題」を聴講しました。


今回は、現代フランス哲学を専門とする研究者4人が「〈私たちは、いかにして他者と共に生きるのか〉という共生の問題や、〈私たちは、他者に対していかなる責任を有しているのか〉という責任の問題」[1]についてそれぞれの専門分野から報告を行いました。


報告者及び論題は以下の通りでした(敬称略)。


(1)石井雅巳(慶應義塾大学)/「レヴィナスにおける倫理と正義:向き合うこと、ともに生きること」
(2)山野弘樹(東京大学)/「リクールにおける「共生」と「責任」の問い--同じ時代を生きるということ」
(3)福井有人(東京大学)/「霊性と共生--ミシェル・ド・セルトーと不在者の問い」
(4)清水雄大(獨協大学)/「共生と責任--フーコーから考える」


哲学を専門としない一般市民に広く門戸を開き、可能な限り専門用語を用いることなく平易な言葉で最先端の研究の内容を報告することは、学術研究の成果の社会への還元という点で、UTCPにとっても意義深いものであると言えるでしょう。


それとともに、発表用の資料の体裁や質疑応答の形式なども、初学者や専門的な訓練を受けていない参加者がより容易に参加できるように工夫が施されていることは、興味深いものでした。


次回は今夏にジャック・デリダを取り上げる企画が開催される予定とのことで、今から興味深く待望されるところです。


[1]【公開哲学セミナー】 シンポジウム「現代フランス哲学から見る〈共生と責任〉の問題」. 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター, 公開日未詳, https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2020/05/post_210/ (2020年5月30日閲覧).


<Executive Summary>
Online Symposium "Problems of <Cohabitation and Responsibility> Seen from Modern French Philosophy (Yusuke Suzumura)


The University of Tokyo Center for Philosophy held an online symposium "Problems of <Cohabitation and Responsibility> Seen from Modern French Philosophy" was held on 30th May 2020. In this time four researchers made presentation respectively.

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「参加者にとっても不参加者にとっても公正で開かれた懇親会」の実現のために

学術、研究の分野に身を置く者にとって学会や研究会は自らの研究成果を他の研究者に問い、あるいは他の研究者の生家に接することなどを通して、研究をより洗練させるために不可欠な場となります。


また、学会や研究会などにしばしば附随するのが懇親会です。


参加者が相互の親睦と交流を促進するために懇親会は一つの有益な場と言えるでしょうし、密接な交流によって研究の促進が促されることもあるでしょう。


しかし、学会や研究会の参加者の全てが懇親会に参加するのではないことは、われわれが経験的に知るところです。


この時、仕事や家庭の都合で欠席する人もいれば、懇親会に参加することが他の研究者などとの親睦と交流の促進のために有用でないために出席しない人もいることでしょう。


ただし、懇親会の参加者が「欠席者は何故欠席するか」という点を顧慮することは珍しかも知れませんし、さらに一歩踏み込んで、「懇親会が有益でないと思われるなら、その理由は何か」を考える人は皆無に近いかも知れません。


かくいう私自身も、他の用事との兼ね合いなどにより、学会や研究会の後の懇親会にはしばしば欠席しており、他の欠席者も同様の理由であろうと推察していたものです。


しかしながら、例えば懇親会に出席することが人間的な尊厳を脅かされる場となる可能性があるという点について、私はこれまで十分な注意を払ってきませんでした。


もとより、人間の経験と想像力には限界があります。


それでも、ありうべき事態を想像できなかったこと、あるいはそうした事実があることを知らずにいた自らの無知を深く恥じています。


それだけに、参加しない者が不利益を被ることなく、あるいは参加することで不当な扱いを受けることのない、よりよい懇親会を実現できるよう努力したいと考えるところです。


<Executive Summary>
We Have to Do Our Best to Realise a Fair and Open Post-Conference Party (Yusuke Suzumura)


A post-conference party is a typical event for the research conference or meeting. Therefore we have to do our best to realise a fair and open post-conference party.

 

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【参加報告】法政大学江戸東京研究センター2019年度報告会

昨日は、10時から12時20分まで法政大学市ヶ谷キャンパス市ヶ谷田町校舎5階マルチメディアホールにおいて、法政大学江戸東京研究センター2019年度報告会が開催されました。


この報告会は法政大学江戸東京研究センター(EToS)の2019年度の活動の総括と2020年度の活動を展望するもので、2019年度の研究ブランディング事業の報告、各研究プロジェクトの報告、意見交換などが行われました。


また、席上、EToSの2019年の活動報告書も配布され、2020年度に向けた取り組みの概要などが確認されました。


<Executive Summary>
The Annual Session of 2019/2020 of the Hosei University Research Center for Edo-Tokyo Studies (Yusuke Suzumura)


The Hosei University Research Center for Edo-Tokyo Studies held the Annual Session of 2019/2020 at Hosei University on 29th February 2020.

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【開催3週間前】法政大学江戸東京研究センターシンポジウム「パブリックアートと東京」

来る3月1日(日)、法政大学江戸東京研究センターの研究プロジェクト「テクノロジーとアート」によるシンポジウム「パブリックアートと東京」が開催されます。


今回は、都市文化の中心であり、背景をもなすパブリックアートについて、実務家、美術家、研究者がそれぞれの視点から東京とパブリックアートの関係を検討します。


概要は以下の通りとなっていますので、興味、関心のある方はぜひご参加ください。


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法政大学江戸東京研究センター
研究プロジェクト「テクノロジーとアート」主催シンポジウム「パブリックアートと東京」


[開催日時]
2020年3月1日(日)、13時から17時30分


[会場]
法政大学市ケ谷キャンパス富士見ゲート2階G201教室


[プログラム]
(1)基調講演
北川フラム(アートディレクター、株式会社アートフロントギャラリー代表取締役会長、福武財団常任理事)
「社会的共通資本としてのアート」


(2)講演
高田洋一(彫刻家、美術家)
「パブリックアートの制作現場から―見えない風を可視化する」


藤井匡(東京造形大学准教授、美術評論家)
「パブリックアートのつくる公共性」


荒川裕子(法政大学キャリアデザイン学部教授)
「パブリックアートの受容のありかたをめぐって」


[入場料]
入場無料、事前申込不要


[主催]
法政大学江戸東京研究センター「テクノロジーとアート」研究プロジェクト


[詳細情報]
法政大学江戸東京研究センター
https://edotokyo.hosei.ac.jp/news/event/event-20200203180358
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<Executive Summary>
EToS' Symposium: Public Art and Tokyo (Yusuke Suzumura)


The Hosei University Research Center for Edo-Tokyo Studies will hold a symposium "Public Art and Tokyo" at Hosei University on 1st March 2020.

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【参加報告】法政大学国際日本学研究所研究会「「心とはいかなるものか?」-古代日本人の形而上学的思想-」

昨日、17時5分から19時5分まで法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナード・タワー26階A会議室において、法政大学国際日本学研究所の第8回「新しい国際日本学を目指して」が開催されました。


今回はツベタナ・クリステワ先生(国際基督教大学)をお招きし、「「心とはいかなるものか?」-古代日本人の形而上学的思想-」と題して行われました。司会は小口雅史先生(法政大学)でした。


ツベタナ・クリステワ先生はブルガリア出身で、ソフィア大学東洋語・東洋文化センター日本学科教授などを経て、現在は国際基督教大学教授を務めています。ブルガリアでは『枕草子』や太宰治の『斜陽』の翻訳を行い、日本語でも『心づくしの日本語-和歌でよむ古代の思想』(筑摩書房、2011年)などの著作を上梓するなど、クリステワ先生は王朝文学を基軸として文学を通した日本人の心性の研究などに精力的に取り組まれています。


今回の報告の概要は以下の通りでした。


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日本では、『竹取物語』は「子どもが読む物語」と考えられている。確かに、「美しきことかぎりなし」とされたかぐや姫をめぐる物語はおとぎ話のようである。しかし、「三寸ばかり」の子に対して翁が敬語を使っているのは何故であろうか。もし、単にかわいらしいだけなら、敬語を使わないのではないか。むしろ、『竹取物語』は日本人が初めてまとめた「生と死の理論書」と言えるだろう。


古代人にとって美意識は認知様式のひとつであり、決して趣味ではなかったのではないと考えられる。例えば、20世紀末にバイオフォトン研究に関わる日本人研究者が、竹が発光することを証明した研究を発表している。そして、『竹取物語』が書かれた10世紀頃の人々は、現に光り輝く竹を目にしており、未知の事象を見たために、「美しきこと限りなし」と表現した可能性がある。


また、生死論としての『竹取物語』を考える際に重要なのは、かぐや姫は「心」を持っておらず、月に戻る場面において月の住人と地球の住人との対比を通してかぐや姫の「心」の問題が焦点化されるということである。すなわち、月の住民は若く、美しく、年を取らない、「不老不死の理想の姿」であるのに対し、地球の住民は年老い、醜く、やがて死ぬ存在として描かれる。


そして、永遠の命の持ち主であるかぐや姫は、月に戻る場面で羽衣と不死の薬をもたらした月の住民に対して「地球に残りたい」「月の住人には心が分からない」と述べる。


かぐや姫の指摘を通して明らかになるのは、地球の住人にあって月の住人にないのは「心」であり、「永遠の命」よりも「心」を重視しようとすることで、かぐや姫は「心」により重要な価値を与えようとしたということである。また、月からの使者がかぐや姫にもたらした羽衣は、「記憶を消す」という機能を持っていた。


『竹取物語』が描くのは、「人が死ぬのは記憶と心を持つ」ということであり、かぐや姫が「永遠の美」として描かれるのは、かぐや姫が有限の命を持った人ではないからである。換言すれば、「かぐや姫の不在」とは「失われたことによって存在を意識する」ということであり、日本文化は「失われた存在」としての「永遠の美」を求めると言えるである。


ところで、日本の伝統的な文化を構成する三要素は「心」、「自然」、「美」である。ミハイル・ロトマンは文化の主導的タイプを「文法志向」の文化と「テクスト志向」の文化に区分する。そして、「文法志向」の文化で最も活発な分野は「学問」であり、「テクスト志向」の文化では「詩歌」が最も活発である。


日本における代表的な詩歌である和歌は、音節言語としての日本語そのものであるとともに、文学の一つの分野であるばかりではなく、教養を持っている人々にとってのメディアであった。


確かに、文化は教養を持つ人たちが発展させるかもしれないものの、人々が属する社会集団の全ての構成員の気持ち、思いをどれだけ反映し、表現しているかも重要である。そして、和歌は、庶民の思いを反映させているだけでなく、現在使われている日本語の源となっている。


それでは、何故、和歌はメディアとして人々に定着したのだろうか。和歌を可能にしたのは古代中国の哲学の影響が大きいと言える。古代中国は日本にとって文化の手本であり、中国の古典の解釈を通して日本の人々は自らの文化を発展させた。


そして、『古今和歌集』の仮名序は、「全ての物事を支えるのは言葉である」という哲学理論を述べたものである。そして、古代日本にはソクラテスやプラトン、孔子、老子などの哲学者はいなかったとはいえ、優れた歌人がいたのであり、和歌は哲学的な議論の場でもあった。例えば、和歌の主要な修辞である掛詞は、単なる同音異義語ではなく、思想的に用いられていた。また、和歌の内容を一般的な表現に置き換えると、古代日本の理論的な枠組みが分かる考えられるのであり、その意味で、古代において文学は単なる言語表現ではなく、理論的、体系的なものであったといえよう。


カール・ユングは、「東洋人は同時性によって物事を考え、西洋人は因果性によって思考する」と指摘する。「偶然の一致」を重要な修辞法とする和歌は、ユングが指摘した同時性による思考を象徴していると考えられる。


古代の日本においては、ハレの場では仮名を使うことが出来なかった。そのため、日本の伝統的な文化を構成する三要素のうち、和歌においては「美」以外の「自然」と「心」が中心的に詠まれることになる。そして、和歌では「同じ心を持つこと」は不可能であるとされる。


さらに、和歌の知識に基づいて書かれた『徒然草』において、兼好法師は「心は空であるから、色々なものを入れることが出来る」と指摘し、『院六首歌合』の中では、「善悪の区別や判断をするのは心である」、「心の形は何であろうか」といった哲学的な歌が詠まれ、一休や沢庵などの禅僧は「自然」と「心」の繋がりを受け入れるホリゾンタル思考に基づく歌を詠んでいる。このようなあり方から、日本の人々が和歌を通して「心」の概念化を図っていたと考えられる。


そして、最後に、現代人にとっての和歌の意味を考えたい。現代のわれわれは因果性に基づいて思考している。しかし、同時性に基づく思考が失われたのではない。理論物理学者のハイゼンベルクが理論物理学と東洋哲学との間の関連性を指摘したように、むしろ先端的な学問の中にも、和歌に代表される同時性に基づく思考が息づいていると言えるかも知れないのである。
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報告後の質疑応答においても、「現代人になりたければ現代文学を読み、未来人になりたければ古典文学を読むとよい」、「思想が文学を発展させるのではなく、文学こそは思想を発展させるメディアである」、「もじり文学は日本語だから可能」、「江戸時代においては和歌の解釈が中国の儒学の再解釈に応用された」など、クリステワ先生からは示唆に富む指摘がなされました。


古代文学の理解から出発し、思想や哲学、さらに物理学や言語論などの諸科学の知見を総合して日本の姿を描き出そうとした今回の報告は、「新しい国際日本学」の構築の面でも意義深いものであったと考えられました。


<Executive Summary>
HIJAS' Open Research Meeting Series (8) : ""What Is a Spirit?": Ancient Japanese People and Their Metaphysical Thought" (Yusuke Suzumura)


Hosei University Research Center for International Japanese Studies (HIJAS) held HIJAS' Open Research Meeting Series (8) on 28th January 2020. In this time Professor Dr. Tzvetana Kristeva of the International Christian University made her speech entitled with "What Is a Spirit?": Ancient Japanese People and Their Metaphysical Thought".

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【参加報告】『アステイオン』第91号刊行記念講演会「100年後の学問と大学」

昨日は、19時から20時40分まで東京大学駒場キャンパスコミュニケージョン・プラザ北館館2階多目的教室4において、『アステイオン』第91号刊行記念講演会「100年後の学問と大学」が開催されました。


この講演会は論壇誌『アステイオン』第91号の刊行を記念し、特集「可能性としての未来--100年後の日本」を発展させる形で行われたもので、『アステイオン』の編集委員である池内恵先生(東京大学)と待鳥聡史先生(京都大学)が司会者による質問に答える形で進められました。


池内先生と待鳥先生に出された質問は「言語の壁が取り除かれたときの日本語の位置付け」、「AIやビッグデータと政治の関係」、「「30年後の大学と学問」と「100年後の大学と学問」」、「『アステイオン』第91号の66編の論考の中のおすすめ」、「『アステイオン』に寄稿したり新書、一般書を刊行することの意義」、「『アステイオン』第91号への寄稿の依頼を受けて辛かったか」という6項目でした。


一連の質問に対する回答の中で特に興味深いのは以下の点でした。

  1. 「近代」とは「はじめ」と「おわり」があり、「体系を知ること」としての「ガリ勉の世紀」であったが、100年後は知の体系性があいまいになり、自動翻訳により容易に言語の壁が越えられ、やがて自分は特定の言語で書いても、相手が何語で読んだか分からなくなる日が来る。
  2. 日本語と外国語の「思考様式の差」を知ることは重要。
  3. 政治現象には「ちょっと不合理な要素」が残り、この「ちょっと」が重要である。
  4. 政治について考えることは「間違い」を考えること。
  5. 古来、政治学者の予想は外れる。
  6. この100年間は国民国家を単位とし、「研究と教育の一体化」というフンボルト理念を基礎としてきたが、「国際競争力を高めることが日本の国力を高める」という考えは国民国家を基礎とする従来の大学と学問のあり方を解体するものであり、しかも推進する者がこのことに気付いていない。
  7. 100年後、「大学教授」は肩書だけとなり、アリストテレスのように権力者の家庭教師となるというようになるかも知れない。
  8. 日本語で業績を残すことは無価値ではないし、学術の成果を一般社会に示すことは必要である。


『アステイオン』第91号の特集は大変興味深いものでした。そして、特集を受けて行われた今回の講演会は、対象について鋭敏な感性で繊細に接し、柔軟に思考するという『アステイオン』の特長を象徴するかのように、自由闊達であり、刺激に満ちたものでした。


<Executive Summary>
Special Lecture: Learning and University in 100 Years (Yusuke Suzumura)


The Special Lecture for publishing of Asteion vol. 91 entitled with "Learning and University in 100 Years" was held at the Komaba Campus of the University of Tokyo on 24th January 2020. In this time Professor Dr. Satoshi Ikeuchi of the University of Tokyo and Professor Dr. Satoshi Machidori of Kyoto University were speakers for the lecture.

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【参加報告】第7回石橋湛山研究学会

昨日は、13時から17時30分まで早稲田大学早稲田キャンパス14号館401教室において、第7回石橋湛山研究学会が開催されました。


まず、会員総会が行われ、現在の世話人会が任期満了となったことに伴う新世話人会の人事が報告されました。


次に、第1部の研究報告では、増田弘先生(立正大学)、望月詩史先生(同志社大学)、そして私の3名が報告を行いました。


増田先生は「植松考昭の言論と思想――石橋湛山の小日本主義の源流」と題し、東洋経済新報社の第3代編集主幹でありながらこれまで研究が進んでいなかった植松考昭を取り上げ、従来は三浦銕太郎が最初に唱え、石橋湛山が大成したとされる「小日本主義」の原型がすでに植松によって提起されていたことを明らかにしました。


また、望月先生の発表「石橋湛山の「維新」観」では、石橋湛山の明治維新に対する態度を『東洋時論』や『東洋経済新報』に掲載された論説や著作などを通して検討することで、石橋にとって五箇条の誓文が自らの思索や言論活動にとって重要な基礎となっていることが実証的に示されました。


私は「齋藤隆夫の政党政治擁護論――石橋湛山の所説との対比を中心に」と題して報告し、齋藤が1936(昭和11)年に行った「粛軍演説」と1940(昭和15)年の「反軍演説」に対する石橋湛山の議論を検討することで、戦前から戦中にかけては具体的な交渉のなかった両者が議論の上では実質的な協同関係にあったことを示しました。


第2部のシンポジウム「石橋湛山と経済」は、パネリストに吉川洋先生(立正大学学長)と早川英男先生(富士通総研エグゼクティブ・フェロー)をお招きし、原真人先生(朝日新聞編集委員)の司会により行われました。


最初に吉川先生が経済学者の視点から見た石橋湛山の事績について報告され、次に早川先生が「エコノミストとしての石橋湛山--同時代人・ケインズと比較しつつ--」と題し、ジョン・メイナード・ケインズを対照させつつ石橋湛山の活動の特徴を検討されました。


その後、パネルディスカッションが行われ、経済評論家としての石橋湛山の議論の特色や現在の日本の経済状況に対する石橋の対応策の可能性などについて意見が交換されました。


なお、今回の世話人の改選で私は引き続き世話人役を拝命いたしました。

個人名を冠し、研究者だけでなく広く市民にも開かれた特色ある学会である石橋湛山研究学会が今後も一層発展するよう、微力ながら会の運営に寄与できればと考えております。

そして、学会の発足以来会の発展を主導され、今回で任期満了に伴い退任された増田弘会長、山縣裕一郎副会長、中島政希世話人のこれまでのご貢献に感謝する次第です。

<Executive Summary>
The 7th Conference of the Ishibashi Tanzan Society (Yusuke Suzumura)


The Ishibashi Tanzan Society established in 2013 held the 7th Conference at Waseda University on 15th December 2019. In this time there were three presentations and public symposium.

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【本日開催】第7回石橋湛山研究学会

本日、13時より早稲田大学早稲田キャンパスにおいて、石橋湛山研究学会による第7回石橋湛山研究学会が開催されます。


今回も、例年通り2部構成となっており、第1部で研究報告、第2部でシンポジウム「石橋湛山と経済」が行われます。


私も「齋藤隆夫の政党政治擁護論――石橋湛山の所説との対比を中心に」と題し、「粛軍演説」や「反軍演説」で知られる齋藤隆夫の政党擁護論と石橋湛山の議論の関係の検討を報告します。

詳細は以下の通りとなっておりますので、皆様のご参加をお待ちしております。


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第7回石橋湛山研究学会


[開催日時]
2019年12月14日(土)、13時から17時30分


[会場]
早稲田大学早稲田キャンパス14号館401教室


[プログラム]
(1)総会(13時から13時15分)
挨拶/増田弘・石橋湛山研究学会会長


(2)第1部研究報告(13時15分から15時30分、進行役:上田美和)
増田弘(立正大学)/植松考昭の言論と思想――石橋湛山の小日本主義の源流
望月詩史(同志社大学)/石橋湛山の維新論
鈴村裕輔(名城大学)/齋藤隆夫の政党政治擁護論――石橋湛山の所説との対比を中心に


(3)第2部シンポジウム(16時から17時30分)
パネリスト
吉川洋(立正大学学長)
早川英男(富士通総研エグゼクティブ・フェロー)


司会:原真人(朝日新聞編集委員)


[参加費]
無料(どなたでもご参加いただけます)


[参加申し込み先]
石橋湛山研究学会事務局
電話・ファクシミリ:03-3270-8070
電子メールアドレス:tanzan@crocus.ocn.ne.jp
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<Executive Summary>
Third Announcement: The 7th Conference of the Ishibashi Tanzan Society (Yusuke Suzumura)


The Ishibashi Tanzan Society established in 2013 will hold the 7th Conference at Waseda University on 15th December 2019. In this time there will be three presentations and public symposium.

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