カウンセリング研究ブログ

研究ブログ

開業カウンセリングルームの過去・現在・未来~公認心理師の時代へ


はじめに


自分の共同研究者が大学を離れて札幌でカウンセリングを生業とすることになり、開業カウンセリングルームについて書いてみたくなりました。令和元年です。自粛ムードのない平成からの移り変わりの年であり、われわれにとっては公認心理師の登録が始まった記念すべき年でもあります。

法律に掲げられている公認心理師の活動領域は、医療、福祉、教育、司法、産業であります。しかし、開業カウンセリングルームのことを忘れてはいけません。私設心理相談室には伝統があります。古くから精神分析家がプライベート・プラクティスを行っていて、よくハリウッド映画の中にも分析家に扮するイケメン俳優が登場していました。マンハッタンの一等地のビルの一室に開業する精神分析医が、事件に巻き込まれていくストーリーの映画がわりとよくあったような気がします。まあ、この記事のテーマは海外ではなく日本国内のことになるのですが、日本でも、いまとなっては相談室を開設している人はかなりの数に上るはずです。正確に数字を把握できないことが、何とも残念です。

今回は「開業カウンセリングルームの過去・現在・未来~公認心理師の時代へ」と題して、国家資格の公認心理師以降の開業カウンセリングルームの動向を占うような記事になるかと思います。今後、全国の私設心理相談室はどうなっていくのか、ちょっと真剣に考えてみたいと思います。すでに述べましたが、共同研究者のことがあり、私にとってはいまとてもホットなテーマになっているのです。また、私自身、自宅に私設心理相談室を開設しています。大学に着任する以前、まだ病院に勤務していた駆け出しの頃から、いつか開業したいという夢があり、それをちょっとだけ実現したかたちです。開設から10年間運営しています。では、かなり長い記事ですから目次を示しておきます。

*はじめに

*公認心理師前史

*労働としてのカウンセリング

*ネット広告としてのホームページ

*カウンセラーの資格

*精神科・心療内科との関係

*変化するビジネスモデル

*おわりに

この記事を執筆した動機は、私設心理相談室を開業する公認心理師が今後ますます増えていくことを願ってのことです。個人事業主としては厳しい現実の中での経営を余儀なくされるわけですが、私なりにエールを送りたいと思います。

公認心理師前史


開業カウンセラーたちの現状はどうなっているのか、以前はどうであったのか、未来について言及する前に少し述べておきます。

昔から庶民の悩みや苦しみに耳を傾けてきたのは、僧侶たちでした。お寺さんと檀家さんの関係の中でどうすることもできないことが口にされ、信仰の中で扱われていたわけです。もちろん、身近にいる人たちのあいだで相互的な扶助も交わされていたわけで、相談事は庶民にとって特別なことではなかったのです。

しかし、社会は変化していきました。個人がプライバシーを大切にして生きることのできる時代がやってきたわけです。メリットもありますがデメリットもありました。自分の悩み苦しみを周囲に口にして相談することが、容易ではなくなってしまったのです。相談事はその道の専門家へ、という流れが加速していきました。

1970年前後のことであったと思います。その頃、日本臨床心理学会の中で、心理士の国家資格化について真剣に話し合われていました。安保闘争の時代です。しかし、学会は紛糾し、賛成派と反対派が分裂して、結局のところ国家資格化の流れは頓挫してしまったのです。またしても長い冬の時代が続きました。

その後、日本心理臨床学会を中心として、民間の資格ですが、臨床心理士という名の専門資格が創設され、認定が開始されました。1980年代の後半のことであったと記憶しています。他にもさまざまな民間資格はあり、その後も増えていったのですが、臨床心理士は公立学校のスクールカウンセラーになるための要件とされたこともあり、民間資格としてはとても権威のある資格になっていったのです。その養成は、全国の大学院の指定校で行われることになりました。受験するためには修士修了レベルの学歴が求められ、取得するにはなかなか難関の資格になったように思います。

臨床心理士の資格を取得した人たちが、少しずつカウンセリングルームを開業して、独立するようになっていきました。そして、1990年代の半ばに、インターネット革命が起こります。ウィンドウズが販売されたのもこの頃でした。パソコンが大衆化し、手紙や電話からメールへと通信手段が転換し、インターネットが庶民のものとなっていったのです。いまとは違って、グーグルではなく、ヤフーの検索エンジンが大活躍した時代でもありました。それ以来、企業だけでなく、個人のユーザーにも、ウェブサイトないしホームページがどんどん普及していったわけです。インターネットへのアクセスは、いまやパソコンよりもスマホの方が上回っており、カウンセリング・ユーザーの検索行動にも大きな変化が起こっています。

ここまでを要約すると、公認心理師前史として注目されるのは、臨床心理士というかたちでカウンセラーとしての専門性を高めようとする試みがあったこと、それから広告媒体が電話帳からホームページやSNSを活用したインターネットへと移行すると同時にパソコンやスマホが普及したこと、この二点が特に注目されることであったと思います。

いま現在、開業カウンセラーたちはカウンセリングルームを紹介するウェブサイトを作り、またSNSなどを通じて積極的に発信することによって宣伝活動を行っています。ではここで、広告メディアとして電話帳しかなかった頃の逸話をひとつだけ紹介しておきましよう。

認知行動療法や構成主義心理療法で著名なマイケル・J・マホーニーのお話です。私の記憶違いでなければ、たしか彼です。それにしても,これからお話しすることがどこに書いてあったことなのか思い出せないものですから、自分が嘆かわしいです。ブリーフセラピーか構成主義系の編集本(日本語訳はありません)の序論に書かれていたのは確かなのですが、うーん、思い出したら追記することにします。

マホーニーは学部学生の頃、自分の専攻を選択しなければならなくなって、大変悩んだそうです。何となく心理学にしようか……どうしようか、選択できずに開業カウンセラーに相談することを決意しました。当時は、カウンセリングルームを調べるとなると電話帳しかない時代です。電話帳を開いたマホーニーは、たくさんある名前から誰を選択すればよいのか皆目見当がつかず、けっきょくのところ「エイッ」と勢いで、一つのカウンセリングルームを選んだのだそうです。

なんと、彼が偶然に選んだのはミルトン・エリクソンだったのです。

彼は、その頃ミルトン・エリクソンの名前など知りませんでした。あのエリクソンであることを知ったのは、ずーっと後になってからのことだったようです。運命だったのかもしれません。マホーニーは結局のところ、あのバンデューラーのもとで心理学を専攻する決意をしたのです。

少しわき道にそれたかもしれません。次は、開業心理士たちがこれまで行ってきたお仕事、いま現在行っているお仕事について考えてみましょう。

労働としてのカウンセリング


開業カウンセラーたちは、実にさまざまなお仕事を行ってきましたし、いま現在もその領域を拡大しつつあります。思いつくまま列挙してみましょう。まず基本は、①来談するクライエントに対するカウンセリングです。次は、②潜在的なクライエントを対象とした講演やセミナーの開催です。次は、③同業者であるセラピストたちを対象としたスーパーヴィジョンの提供です。次は、④同業者を対象としたセミナーや講演会の開催です。次は、⑤企業や団体を対象としたセミナー・ストレスチェック・カウンセリングサービスといった、産業領域のいわゆるEAPです。その他にも、開業カウンセラーは、スクールカウンセラーや医療心理師といった、⑥教育・医療・福祉・司法・その他の領域におけるカウンセリング・コンサルティング・サービスを提供しています。まだまだあるのでしょうが、一応ここまでとしておきます。

開業カウンセラーの多くに認められるのは、スクールカウンセリングとの兼務でしょうか。相談室だけでは経済的に難しいところがあるので、収入の不足分を補うことを目的としている方が少なくないと思います。もちろん、労働に対する対価として収入を得るわけですから、責任をもって、しっかりとした専門性の高いお仕事をしているカウンセラーがほとんどであると思います。そう信じています。

何ともロマンのないお話になります。私たちは資本主義経済の世界を生きています。食べていくために労働し、労働の対価を手にするのです。無料で行われるカウンセリングは奉仕なのでのぞきますが、開業心理士にとってカウンセリングは労働であると規定されるはずです。食べていくためのカウンセリング、そうです、まさに生活がかかっているのです。利潤を得ること、もうけを生み出すこと、つまり収支がプラスにならなければ、廃業に追い込まれるという厳しい現実が待っています。オットー・ランクやカール・ロジャーズから始まりましたが、クライエント(来談者)という呼び方はペイシェント(患者)という呼び方への反省から生まれた経緯があります。しかし、このクライエントですが、露骨に言えば、商業主義マル出しの呼び方に聞こえなくもありません。ロジャーズは、最終的にはクライエントではなく、パーソンという呼び方をするようになりました。

カウンセリングという労働に対してクライエントが支払う金額は、単純な経済原則によって決定されます。そうです。需要と供給です。クライエント側の需要とカウンセラーの頭数が合致する一点で、おおよその料金の相場が決まってくるわけです。その他にもさまざまな条件がありますが、ここでは述べません。相場を下回る安い料金でサービスを提供する心理士のところへはたくさんの利用者が集まるはずですが、一定の利潤を得るには薄利多売型の多忙な労働を行わねばならないでしょう。一方で、有名な心理士のところへはネームバリューのおかげで多くのクライエントが集まるでしょうから、相場を上回る比較的高額な料金設定でも大丈夫なはずです。

クライエント側には経済的な事情があります。経済的に困窮している方は高額なカウンセリングを受けることができません。裕福な方はあまり料金を気にすることなくサービスを受けるはずです。では、一般的な世帯について考えてみます。厚生労働省が2018年に発表した世帯年収の平均は545万円でした。中央値は427万円で、平均世帯年収以下の割合は61.5%でした。このデータから判断すると、一定期間カウンセリング・サービスを継続して利用可能な恵まれた世帯は、限られていると考えざるを得ません。利用者としては、出来るかぎり安価なカウンセリングルームを探して申し込むはずです。アメリカの開業カウンセラーたちの年収はマネージドケアが背景にありかなりの額に上りますが、ユーザーの視点から言えば、日本の開業心理士の平均年収はあまり期待される額には届かないであろうことが推測されます。

このような経済的な事情があり、開業したくても踏み出せないでいる臨床家は潜在的にかなり存在しているはずです。私としては私設心理相談室の増加を願っているのですが、残念ながら、これから先も爆発的に増えるようなことはないでしょう。

ネット広告としてのホームページ


2018年に医療関連のネット広告の規制が強化されました。詳しくは、厚生労働省の「医療広告ガイドライン」および「医療広告ガイドラインに関するQ&A」を御覧ください。開業カウンセリングルームは医療機関ではないのでこの規制がダイレクトに及ぶことはないのですが、公認心理師の有資格者は、このガイドラインを参考にして今後自分のホームページやネット広告を自主規制していく必要があるのかもしれません。

一番注意が必要なのは、「比較優良広告」の禁止でしょう。他の医療機関よりも優れていることを示して特定の医療機関へ患者を誘導するような誘引性を示す広告は禁止されることになったのです。いくつか列挙してみましょう。たとえば、治療の内容や効果に関して患者の体験談を掲載することはNGです。「2週間で90%の患者で効果がみられます」のような、治療効果に関する表現はNGです。医療従事者の略歴に○○の研修を受けた旨の記載はNGです。特定の医師のキャリアとして、その医師が行った手術件数の記載はNGです。

このように、医療機関へのネット規制はとても厳しいものになりました。ホームページに記載できるのは、本当に限られた情報になってしまいました。このガイドラインに違反する医療機関があれば、厚労省に通報するように勧められています。

さて、開業公認心理師が自分のホームページに記載できることも、上記のガイドラインを踏襲するとなると、かなり限定されたものになるはずです。カウンセリング・サービスを利用したお客様の声を紹介するページがいまも多くみられますが、これは誘引性に抵触するでしょう。プロフィールページに、これまでに受けた研修の履歴を掲載することも再考すべきと思います。これまでに何人のクライエントに何回のセッションを行ったのかについても、個人のキャリアとしては書かない方がよいのかもしれません。セラピーの効果についても言及は控えた方がよいでしょうし、カウンセリングを「治療」と表現することは医療行為を行っているという誤解を与えるでしょうからやめるべきです。その他にもいろいろと注意すべき点はあるのですが、どうぞ前述のガイドラインを熟読してご自分で考えてみてください。(法的に規制されるのはあくまで医療機関です。開業カウンセリングルームに今現在この規制による縛りはありません。それぞれのモラルや倫理観にしたがって、どうぞご自分のホームページについて再考くださいませ)

ホームページを含めたネット広告に関する法的な注意点は以上です。次は、法的な問題ではなく検索エンジンのグーグルに関わる注意点について触れておきます。

すでに述べましたが、NTTのタウンページなどの電話帳が有力な広告媒体であった時代は終わりました。いまはネット広告が中心的な役割を担っており、ツイッターやフェイスブックなどのSNSはもちろん、ネット広告としてのホームページが重要になっています。多くのユーザーはカウンセリングルームの所在について調べるとき、スマホやパソコンでネット検索します。開業心理士としては、自分のホームページが検索順位のできるだけ上位に表示されるように、ということは多くのユーザーの目に触れるように、サイトのSEO(検索エンジン最適化)を行う必要があります。

検索エンジンのシェアは、いま現在グーグルの(ほぼ)独占状態が続いています。ヤフー検索も実はグーグルのエンジンを使っています。ホームページを作るときには、必ずグーグルの「検索エンジン最適化スターター ガイド」や「ウェブマスター向けガイドライン」を熟読して、ガイドラインに違反しないように注意しましょう。検索順位を上げるための不正な行為はスパムと呼ばれています。グーグルはネット上を巡回監視していますので、不正を発見した際にはアルゴリズムによる自動の調整だけでなく、手動で直接対策してペナルティを与えてきます。そうすると、ホームページの検索順位が一気に下落したり、最悪の場合はインデックスが削除されて検索画面から抹消される事態にもなりかねません。結果としてカウンセリングルームへの申し込みは途絶え、廃業を余儀なくされるという悪夢を招くことになるかもしれません。

いまも、これから先も、ネット広告としてのホームページは財産です。法的に問題のないように、そしてグーグル的に問題のないように、いろいろなことに注意しながらホームページを育てていきましよう。

カウンセラーの資格


この記事は臨床心理士-公認心理師のラインで書かれているので、かなり偏りがあることを認めます。国家資格の公認心理師の登録が始まった時点で、実際は臨床心理士だけでなく、産業カウンセラー、学校心理士、発達臨床心理士、その他の民間資格が乱立している状態にあります。

いま現在各地で開業しているカウンセラーは、公認心理師や臨床心理士の有資格者だけではありません。民間のカウンセラー養成機関が私的に発行している資格や、産業カウンセラー資格などを掲げて、相談業務にあたっている人たちは少なくないのです。その他にも、アロマセラピー、催眠、タロットや水晶などによる占いカウンセリング、霊的世界を専門とするスピリチュアル・カウンセリングなど、この世界の裾野はとても広いのです。相談者の方々にはとても広いニーズがあって、それに適した場所を探すことになるわけです。

ここからは、ユーザーが求めるカウンセリングの内容を、いわゆる心理的支援にあたるものに限定してお話します。つまり、占い系やアロマ・リラクゼーション系のカウンセリングは除いた議論になります。

私自身、一介の大学教員ではありますが、カウンセリングは生きた人間が行うわけであるから、カウンセラーのパーソナリティや受けてきたトレーニングこそが大切なのであって、資格など二の次であるというスタンスでやってきました。いまも基本的にこの考えは変わっていません。ただ、民間資格が乱立する中、心理的支援に関わる唯一の国家資格が設立されたわけですから、これからは公認心理師の有資格者であることが開業カウンセラーの必要条件になってくるものと確信しています。

私の狭い交流関係の中のことを言えば、臨床心理士ではなくとも、非常に技量のある、優れたカウンセラーがいることは事実です。反対に、臨床心理士ではあっても、○△□な人はいるわけです。かなり前に、あるカウンセラーの養成講座に関わっていたことがあるのですが、そこで出会った臨床心理士ではないカウンセラーたちの中には、安心できる臨床を行っている方々が何人もいたものです。それにもかかわらず、公認心理師の有資格者であることを開業カウンセラーの必須条件であると考えるのは、背景にある時代の流れからなのです。

今の段階で、日本国民の全体に公認心理師の名称と役割が浸透しているとは到底思えません。それは、これから先の大きな課題になります。しかし、心理カウンセリングに関して、一定水準の専門知識と技量の有ることを利用者に対して保証するべく創設されたこの国家資格を、心理的支援を生業とするのであれば取得するのが義務であろうと今は考えています。そのようなわけで、これからはこんなスタンスで行こうと思います。「心理的支援を求めるときには公認心理師のところへ行きましょう。でも、公認心理師ではなくても優れたカウンセラーがいることは否定しません。それは事実です」それにしても、これまで重要視されてきた臨床心理士の資格はどうなるのであろうか。時の流れとともに、消え去っていくのであろうか。

最後に、公認心理師は医師のような業務独占資格ではありません。あくまで名称独占の資格です。有資格者でなければ公認心理師を名乗れないということです。ということは、これまでのように、公認心理師ではなくても心理カウンセリングを行い、それに対する対価を得ることができるということです。開業カウンセラーの世界は、これから公認心理師とそうではない人たちの世界に二分されていくことでしょう。そして、厳しい経済的な競争の中で、生き残りをかけた「経営戦略」を実践し続けねばなりません。どちらに軍配が上がるのか予想できませんが、その答えを出すのはあくまでカウンセリング・サービスを求めるユーザーであることを忘れてはならないと思います。(文章のこの部分には、われながら違和感を持っています。というのは、クリスチャンが集まるある会合でノンクリスチャンと呼ばれた時の違和感が、いまも忘れられないからです。公認心理師に対する非-公認心理師を区別することは、私と同じような違和感・疎外感を誰かに体験させてしまうはずなのです。もちろん、そんなつもりで書いているのではないのですが)


精神科・心療内科との関係


開業すると、やはり医療機関との連携が必要になる場合があります。医療機関からクライエントのカウンセリングを依頼されることもあれば、こちらから精神科や心療内科のクリニックを紹介することもあるわけです。連携と協調関係なくして私設心理相談室は運営していけないでしょう。

その一方で、このような現実もあります。昔と比較して、精神科受診の敷居がとても低くなったように思います。精神科は合わせて心療内科も標榜できるので、メンタルヘルス・ユーザーにするとかなり受診しやすくなっているはずです。ここから言えるのは、精神科・心療内科を受診する患者さんたちの層と、心理士のカウンセリングルームを来談するクライエントの層が、かなりの程度重なりあっているということです。精神科クリニックは心理士を雇用してカウンセリングを提供しているところが少なくありませんし、最近ではクリニックの傘下で心理相談室を経営しているところもあります。さらに、これは少数派ですが、精神科の薬を飲みたくない患者さんたちのために、薬物療法を極力行わないクリニックや薬をまったく処方しないクリニックも出現しているようです。

これは、精神科・心療内科といった医療機関側から、心理相談室にも来談可能な患者さんないし相談者の層を取り込んでいこうとする動きのように思われます。別言すれば、心理士のカウンセリング・サービスがあるのとないのとでは、外来患者数に多少なりとも影響が及ぶような時代になりつつあるということなのかもしれません。

この街には精神科・心療内科クリニックが多すぎやしまいかと囁かれるときがあります。おそらく、どの都道府県でも都市部にお住まいの方は、こんなささやきを耳にしたことが一度ではないはずです。クリニックも過当競争の時代に入ったのかもしれません。このような時代に生きているクライエントの方々は、どのクリニックを受診しようか迷うかもしれません。そして、クリニックを受診しようか、それとも開業カウンセラーのところへ行こうかと一度は迷うはずです。

メンタルヘルス関連のサービスを利用するユーザーの層は、このように重なり合っています。それだけに、私たちカウンセラーは、厳しい競争の世界を生き抜いていかねばならないのです。医療機関で行われるカウンセリングの料金は、私見ですが、開業カウンセラーのそれよりも低く設定されているところがほとんどのようです。そのせいか、予約してから受診まで数カ月も待たなければならないクリニックが、なんと多いことでしょう。

変化するビジネスモデル


すでに変化の兆しは表れていると思うのですが、これからは、カウンセリングルームが収益を生み出す仕組み、つまり事業戦略や収益構造としてのビジネスモデルが大きく変化していくはずです。これまでの典型的なモデルは、プライベート・プラクティス型でした。まさに私設の心理相談室が、そこにやってくる相談者にカウンセリング・サービスを提供することによって利益を得るような、あるいはカウンセラーが一人で相談室を切り盛りするような、従来的なやり方が特徴です。

これからのカウンセリングルームは、サービスの多角化と事業の規模の拡大がますます進んでいくことが予測されます。そのような現実によって生み出されるのは、相談室間の格差の拡大です。伝統的なビジネスモデルを踏襲して言わば細々と運営しているカウンセラーたちが大半を占める中、比較的規模の大きな会社組織のサービス提供体が増大していくことによって両者の間に経済的な格差が生じ、それがますます拡大していくはずです。

格差によって隔てられるであろう両者にはどんな違いが認められるのでしょうか?まず大きな要因と考えられるのは、個々のカウンセラーの生き方の問題なのかもしれません。何とか食べていけたらそれでよいという人は、そもそも経営の拡大など眼中にないはずです。その一方で拡大することをもくろんでいる心理士たちには、自分をそうさせる何か強い動機や目的があるはずです。失敗を覚悟して事業を拡大するわけですから、相当な決意があるに違いありません。

これは経済的格差にもつながっていることと思いますが、それよりもカウンセリングルームの経営の安定に関わる重要な問題があります。それは、宣伝の方法とそのスキルを手にしているか否かという、能力的または知識的な格差のことです。

すでに述べましたが、広告としてもっぱら電話帳に依存していた時代は終わりました。いまはネットを媒介とした広告がほぼすべてです。そのために、自分のホームページをしっかりと作る、ネット広告を配信する、ツイッターやフェイスブックなどのSNSに積極的に発信していく、などの努力を惜しまずに注ぎ込む必要があります。こうしたネットリテラシーに明るい心理士たちは、ネット上に露出の機会が増え、結果として多くのクライエントを自分のカウンセリングルームのホームページに誘導することができるでしょう。

ここです。つきつめると、現代では、このネットリテラシーを極める者と、不得手な者のあいだに様々な格差が生み出されていくように思われるのです。ここがうまくいかなないと、事業を拡大したくてもできないでしょうし、細々とした個人事業所の経営さえままならない事態にもなりかねないのです。これからカウンセリングルームを運営していくためには、実務はもちろんのこと、ネットリテラシーにも明るい臨床家を目指す必要があるのです。

おわりに


第1回公認心理師試験の前段階として、経過措置で受験する現任者たちの認定作業がありましたが、そのとき開業カウンセラーたちはすんなり受験資格を認められなかったという情報がネット上を駆け巡りました。結果として受験日の間際に認定された方々が少なくなかったようなのですが、日本臨床心理士会が実態調査を行ったとかいう情報も流れたと思います。医療を含めた五大領域とは違って、冷遇されているのかしらとも思いましたが、認定する側にしてみれば慎重にならざるを得ない何かがあったのかもしれないと推測しています。今年度の開業領域の認定作業はどうなったのか、とても興味があります。分かり次第追記したいと思います。

公認心理師資格のワーキンググループの討論の段階で、開業領域が蚊帳の外に置かれているなという印象を持っていたのですが、やはり蓋を開けてみると教育・医療・福祉・司法・産業の五大領域についての規定しか取り上げられていませんでした。とても残念なことです。私設心理相談室というジャンルは臨床心理学という学問の黎明期からあったわけですから、公認心理師法とその関連法案のどこかに一言でよいから取り入れてほしかったと、本当にそう思います。

ぼやきになりました。

言い忘れたことがあります。開業すると事業届を税務署に提出して、毎年税務申告する必要があります。あまりにも当たり前のことなので失念していました。いろいろとお得な面があるので、ぜひ青色申告にしてみましょう。地域の商工会議所に入会すると、いろいろなサービスを受けることができますので、それもお忘れなく。

長時間おつきあいくださり、大変ありがとうございました。若手の臨床家の皆さんは、10年ぐらい経験を積んだら、ぜひ開業のことをお考えください。大学院終了直後の開業は色々な意味で無謀ですから、それはおやめください。ではまた書きます。
0

日本心理臨床学会第38回大会が終わりました

今年の日本心理臨床学会はパシフィコ横浜で開催されました。雨が降ったりしてお天気はあまり芳しくなかったのですが、北海道人としては過ごしやすい気温で大助かりでした。涼しいと感じるくらいの、心地良い日もありました。

さて、今年はシンポはなしです。いつもやっていた「治療的アセスメントについて考える」はまた次年度以降ということになります。

昨年に引き続き、研究発表を一題、単独で行ってきました。今年はPTSDを対象とした単一事例研究でした。来談の30年くらい前、幼少期に被った単回生のトラウマがその人の人生に甚大な影響を及ぼし、三カ月程度の時間制限のブリーフセラピーで劇的に改善した一例を報告しました。

いつものようにデイリーデータを分割時系列分析によって解析したもので、今回は特に身体性といいますか、内受容感覚の変化に注目しました。というのは、トラウマ/PTSDのセラピーが、最近になって身体感覚にアプローチするものが増えてきたような印象があったからです。私の行ったブリーフセラピーでは、クライエントの身体性にターゲットを絞って働きかけたわけではないのですが、PTSDの大きな症状、つまり特異的な外傷性記憶の侵入的想起(フラッシュバック)、回避行動、意識の過覚醒状態や狭窄などの回復に並行して、内受容感覚のさまざまな領域が肯定的に変化していったことが理解されました。効果量も大きかったです。

それにしても、フロアからの質問に答えられなかったことが一つあります。

対象としたクライエントは、インテークと、特に一回目セッションの直後に大きな変化を見せました。数量的に、大きなブレイクポイントがいくつもの変数に生起したのです。どうしてセラピーの最初期に急激に変化したのか、セッションの中で何か特別なことがなかったのか、そのような質問があったのですが、私は正直に「わかりません」と答えるしかありませんでした。いろいろな変化が見て取れるのは後半のセッションなのですが、一回目とインテークでは特に何も起こった感じがしていません。クライエントの許可をとってすべてのセッションを録画していますから、それを見返してチェックしたことももちろんあるのですが、何も特別なことは見て取れないのです。

分からないことを素直に分からないと言えること、本当に勇気が必要です。分かったような理屈を考え出してまことしやかに返答したとしても、私にとっては何の意味もありません。

いつだったかブリーフの黒澤先生がどこかでおっしゃっていました。ブリーフは本当に短期間で終了するので、クライエントに変化が起こったとしても、どうしてなのか分からないという趣旨のことです。私も今回同じことを口にしました。本当に分からないのです。

変化は突然にやってきます。長期的なセラピーであったとしても、変化そのものは突然に起こるものです。まあ、だから変化というのですけれど。少しずつ変化して、ある時点で質的な転換が起こる、これはマルクス主義経済学でいう量の質への転換です。この転換がどうして起こるのか、こたえようがありません。せいぜい、どのようにして起こったのかについては、しどろもどろに答えられるのかもしれません。

年を取ると口が達者になってくるものです。しかし、研究に関しては、データから分からないものについては沈黙を守るようにしたいと思います。とても勇気がいるのです。「うーーーーん、分からない」と口にすることは。
0

カウンセリングと医学モデルの関係

明日から新学期です。また忙しい毎日が始まります。自分の研究領域の関係で、といいますか、一介の教員として、公認心理師養成の教育に尽力することになります。

カウンセリングといわゆる医学モデルのことを書きたいと思います。もっと言えば、公認心理師と医学モデルの関係についてということになるでしょうか。こちらにある「カウンセリングと医学モデル」の一文に触発され、思いつくまま書こうと思います。

カウンセリングの領域にやっと作られた国家資格が公認心理師でした。今年、2019年は第一回の試験の合格者・登録者が生まれた年です。この公認心理師は、法的に、クライエントに心理的支援に関わる主治医がいる場合には、その指示を受けなければなりません。この医師による指示にはかなりの強制力があるようで、その指示に従わなかった場合には、行政罰といいますか、公認心理師の登録を最悪取り消されると法的に規定されています。

患者さんの抱えている症状・精神疾患を、診断による見立てにもとづいて治療するという考え方が医学モデルです。医師の指示に従うということは、必然的に医学モデルの枠組の中で、公認心理師はクライエントに関わらねばならないという理解になるでしょう。医師が「主」で、公認心理師が「従」でという権力的関係についてはここで触れるつもりはありません。私が一番危惧しているのは、医学モデルの縛りを受けると、それ以外の非医学モデルによるアプローチを行いにくくなるということなのです。

これはあくまで私見ですが、認知行動療法や精神分析療法であれば、医学モデルのベースに乗りやすいでしょう。しかし、ロジャーズ的なヒューマニスティックなタイプのアプローチは非医学モデルによるからこそ存在意義があるように感じています。人間と人間の関係、人間としてのプレゼンスによってクライエントは癒されると考えるのは、この医学モデルの枠には収まらない考え方なのです。非医学モデルによる多様なアプローチが排除されてしまうのではないか、これが私の危惧になります。

公認心理師の養成教育に携わる人間として、学生たちには、医学モデルに則った内容を教授しなければなりません。教えるべき内容が規定されているからです。しかし、それと同時に、非医学モデルによる多様なアプローチについても教えていかなければ、心理臨床の現場がやせ細っていくのではないかと心配します。医学モデルのメリットとデメリット、医学モデルの背面には多様な非医学モデルの世界が広がっていることを、しっかりと示していくつもりです。
0

ナラティヴと心理アセスメント-協働的/治療的につなぐポイント

久しぶりに著書を出版しました。題して「ナラティヴと心理アセスメント-協働的/治療的につなぐポイント」です。

ナラティヴと心理アセスメント: 協働的/治療的につなぐポイント
田澤 安弘, 橋本 忠行, 大矢 寿美子, 近田 佳江, 野田 昌道, 森岡 正芳, 吉田 統子

編集は私と相棒の橋本忠行先生です。橋本先生はいま現在香川大学医学部の教授で、心理臨床家の養成に尽力されています。大矢先生は金沢工業大学、野田先生は北海道医療大学で教鞭をとっています。近田先生と吉田先生はバリバリの臨床家です。そして、森岡先生は日本を代表するナラティヴ研究の第一人者です。

1990年代のことであると思います。世界的に物語的転回(ナラティヴ・ターン)が世界的に巻き起こりました。心理療法の世界ではマイケル・ホワイトのナラティヴセラピーがよく知られていることと思います。本書は、こうした心理療法の世界だけでなく、心理アセスメントの世界にも物語的転回は起こっていたのだと主張するものです。

キーワードはダイアローグとモノローグでしょうか。心理アセスメントの結果をクライエントと語り合うダイアローグがポストモダンの方法論だとすれば、モダンの情報収集モデルでは、クライエントに対して一方的に告げるモノローグが主流であったわけです。

これまでの心理アセスメントの達人は、とにかくテスト結果を見事に解釈する力量が問われていたと思います。しかし、それでは従来的な価値観に埋没したままです。ポストモダンのアセスメントは、アセスメントのプロセスそのものがセラピーであること、協働的な文脈の中でクライエントとともにアセスメントの結果を話し合うことが重要になってきます。

遠い昔のことですが、かつてフランスの哲学者メルロ・ポンティが『ヒューマニズムとテロル』という一文を書きました。本書は、ヒューマニズムに基づいた心理アセスメントを指向するものの、従来的な情報収集のアセスメントを行っている臨床家たちに対しては、ある種のテロルとして受け取られる可能性があると思っています。というのは、自分が慣れ親しんだやり方に対して、ある意味物言いをつけるわけですから、脅威を感じない臨床家はいないと思われるのです。

本書は黙殺されるであろうか、それとも多くの賛同者を得るであろうか。おそらく、10年経過した時点で、一定の答えが出ていることと思う。その頃私は引退の時期である。どうなっているか、その日を楽しみに待ちたい。
0

MMPI日本版にまつわる憂慮

MMPIに関して、とても憂慮すべき情報があります。日本のMMPIはいま三京房版と村上版が代表的なバージョンなのですが、どうもきな臭いことになっているらしいのです。

今年2018年の日心に村上先生が発表したものが以下です。MMPI日本版の不幸な歴史(1)、(2)という二つの発表です。

https://www.micenavi.jp/jpa2018/search/detail_program/id:435

https://www.micenavi.jp/jpa2018/search/detail_program/id:436

これによると、三京房版のほうが村上版の方を著作権侵害で訴えたようなのです。知りませんでした。昨年2017年のことであったそうです。

まだ結審していないようなので、細かいことは言うつもりはありません。しかし、村上先生としては不本意でしょう。

世界的には、MMPIはすでに改訂版が使用されています。30年はたつでしょうか。したがって、MMPIの旧版は存在しないはずなのです。しかし、日本ではこの旧版が使われ続けている不可解。存在しないはずの旧版を巡って著作権が争われる不可解。

係争中のようなのでこれ以上は控えます。しかし、私は声を大にして言いたいです。新版の著作権・翻訳権を入手した個人?団体?があると聞いてから久しいです。早く改訂新版の日本版MMPIを標準化して出版してください。それが翻訳権を手にしたものの社会的責任ではないでしょうか。WAISの標準化はスムーズに展開しているというのに、何か事情でもあるのでしょうか。心理学的な損失をこれ以上広げないでいただきたいと、切にお願いする次第であります。

旧版と新版の権利関係をクリアにすること、新版の標準化を最優先すること、法的にすっきりした検査にすること、・・・・・・・・憂慮が早く雲散霧消しますように。

0

多元的ブリーフセラピーの効果研究

本当に久しぶりの更新になります。学科長になったこともあり、なかなか時間が取れません。まあ、ぼやきはともかくとして、新しい成果を書き込みたいと思います。

すでにあったデータをまとめたものですが、私なりに工夫して作った短期療法の方法、多元的ブリーフセラピーの効果研究がかたちになりました。かなり前に出来上がっていたのですが、こうしてアップする暇もなくて、やっと初公開です。

効果量の算出と臨床的有意性の検定を行いました。効果量とか、臨床的有意性の考え方は、まだまだ日本の臨床心理学の世界では馴染みがないのですが、世界的なスタンダードに従った効果研究です。もちろん、いろいろな限界を含んでいるのですが。

結果は驚きです。我ながら驚きました。効果量が大であったり、臨床的有意性がクリアされたりで、出木杉の結果なのです。おそらく、数多くのバイアスを含んでいることは確実でしょう。しかし、脂の乗り切っていた頃の私の治療成績を反映しているとも言えるわけでして、きわめて私的な効果研究と考えていただけると幸いであります。

論文執筆にあたって必須の、効果量と臨床的有意性については、また機会を改めて書かせていただこうと考えています。では、効果研究の要約部分のみ記載することにします。この論文は、おそらく来年度に発表できるでしょう。

要約


 本論は、筆頭著者の私設心理相談室に来談したクライエントについてセラピーの成績を分析した、きわめて個人的な効果研究である。

 第一研究における分析の対象は、ある期間に私設心理相談室に来談した53人である。彼女らを、時間制限短期療法である多元的ブリーフセラピーに導入した。インテークから初回セッションまでが○○±○○日、初回セッションから最終セッションまでが○○±○○日、最終セッションからフォローアップまでが○○±○○日、平均セッション回数が○±○回、であった。対象者には、インテーク、最終セッション、フォローアップの際に、STAIPOMSを計3回実施した。分析の結果、フォローアップの時点で、STAIの特性不安(d=1.47)POMSの緊張-不安(d=1.31)、抑うつ-落込み(d=1.74)、怒り-敵意(d=0.93)、活気(d=0.88)、疲労(d=0.78)、混乱(d=1.20)について、中から大の効果量(d=0.781.74)が認められた。

 第二研究における分析対象は、上記の心理尺度についてインテーク時に逸脱値を示した高得点者である。フォローアップの時点で、STAI特性不安(N=45, d=1.79, 改善率68.89%, 臨床的有意性[アリ])POMS緊張-不安(N=35, d=1.23, 改善率71.43%, 臨床的有意性[アリ])抑うつ-落込み(N=43, d=2.49, 改善率74.42%, 臨床的有意性[アリ])怒り-敵意(N=26, d=1.81, 改善率80.77%, 臨床的有意性[アリ])活気(N=34, d=1.29,改善率64.71%, 臨床的有意性[ナシ])疲労(N=30, d=1.52, 改善率60.00%, 臨床的有意性[ナシ])混乱(N=41, d=1.69, 改善率70.73%, 臨床的有意性[アリ])について、効果量の算出と臨床的有意性の検定を行った。その結果、すべての変数が大の効果量を示し(d=1.232.49)、活気と疲労以外の5変数に臨床的に有意な低減効果が認められた。

 以上の結果から、多元的ブリーフセラピーは、不安、抑うつ、怒りなど、クライエントの気分の落ち込みや感情の高ぶりに対して、私設心理相談室という構造的枠組みのなかできわめて高い静穏効果を発揮することが理解された。

0

効果研究における時系列データのスパン

カウンセリングにおいて効果研究を行う場合、通常であれば、プリテストとポストテストという形で二回、あるいはフォローアップも入れると三回データを測定します。個別事例で臨床的に有意な変化があったと言えるためには、たとえばCSやRCIを計算して、基準値(2標準偏差)以上の変化が認められることが必要です。

それとは別に、何らかの心理テストを毎日行って、デイリーデータを効果判定のために使う場合もあります。その際には、基本的にはベースライン期、介入期、フォローアップ期にセグメントを分割して、いわゆる分割時系列分析を行ってレベルやスロープの変化を検定するわけです。

さて、上に述べた二つの方法を使って効果研究をしている私ですが、研究を進めるにつれて頭を悩ませるようになりました。こんなことが起こってきたのです。

たとえば抑うつ気分に対するセラピーの効果を調べているとしましょうか。単一事例研究です。BDIをインテーク、最終セッション、フォローアップに行います。RCIを計算すると、臨床的に有意な抑うつの変化が認められます。デイリー・データはPOMSの下位尺度Depressionでとるとします。しかし、時系列分析をやって検定すると、レベルの変化がないのです。(反対もまたしかり)

デイリー・データの検定結果と、節目で行うテスト結果の矛盾。

同じ抑うつでも測っているドメインが微妙に違っている、これも理由の一つかもしれません。デイリー、ウィークリー、マンスリーの違いにも起因しているのでしょう。

自分が出したい結果を事前に熟考してそれに適合した特性を持つ尺度を選択したり作成したりすること、さらには出版バイアスも絡んでくるでしょう。

私はかつてエビデンスとは無縁の人間だったのですが、いまはその世界に分け入っています。すると、いろいろなことが見えてくるのです。エビデンスの世界も、まさに作られている、構築されているのだと。

意味不明になってきました。もとい。

特に感情領域に関するカウンセリングの効果研究をしていると、デイリー・テータとマンスリー・データという、スパンの違いによる結果の齟齬がますます明瞭になってきました。都合の良い方のみ取り上げて、出版バイアスもろだしの成果を発表するのは、フェアじゃないなと思います。感情に限って言えば、効果研究はマンスリーの方がいいような気がしています。今の段階では。それが、臨床的に感じるセラピストとしての感覚ともかなり一致しています。

でも、デイリー・データの凄味も肌で感じており、まだ答えは出ません。
0

ブリーフの森俊夫先生が逝ってしまった

日本のブリーフセラピーの重鎮といってよいと思いますが、森俊夫先生が逝去されたそうです。森先生とは一度だけお会いして言葉を交わしただけなのですが、とても、とても残念です。

2013年のことでした。ある学会のシンポに森先生をお招きしたことがあります。その時のお話を少し書きたいと思います。

シンポでの発言は、まあよいでしょう。私の思い出となっているのは、夜の懇親会で交わした言葉と、学会会場の喫煙室で交わした言葉です。私も森先生もスモーカーでした。二人で一服しながら何気なくかわした言葉が忘れられません。

森先生は、私にこう言いました。「ブリーフはいいよー。たまらなくて」 先生の、あの笑顔で。

それに対して、私はこんなことを答えたと記憶しています。長期の継続カウンセリングをやってきた自分は、たまってしまったクライエントとかかわるだけで新規の方々を新たに受け入れることが困難となり、それで今はもっぱら短期療法を行っていると。

「ああ、そうなの」

こう応答して、森先生はこの話題をこれ以上続けず、他の話題に移っていったような気がします。

北海道に戻って、数日がたったある日、突然あることがひらめきました。こうです。「たまっている」という言葉には、別の意味があったに違いないと。

森先生がエリクソニアンであることを忘れていたわけではないのですが、「たまる」にはクライエントがたまっていくという意味のほかに、「あんた、たまってんじゃないの」的な意味があったような気がしたのです。

うーむ、確かにたまっている。いろいろなことが。だからいまも、もがいているんだな。

ジワーッと効いて、ある日突然気が付く、そんな浸透力のある言葉を発するのが、もしかしたら森先生なのかもしれないと思った私です。

クレッチマーの性格論を取り入れた見立てもナイスでした。森先生によると、私は循環と粘着のミックスなのだそうです。これ、ドンぴしゃです。セラピーで言えば、ロジャーズ的な流儀も、パールズ的な流儀も、いずれも捨てがたいのです。粘着に関しては、自分の穴をずっと掘り続けてきた点でも納得できるのです。俺流といいますか。循環に関しては、喫煙室での接近戦といいますか、生身の私を肌で感じ取っていただいたご感想なのだと思います。(自分としては、クレッチマーの分類にはない「非定型」というのが一番しっくりきます)

今年度のブリーフサイコセラピー学会は、私の勤務校で開催されます。森先生と再会できることを楽しみにしていたのですが、それはもうかないません。たった一度しかお会いしたことがないのに、なんだかずっと心の中に住みこんでメッセージを発し続ける方といいますか、一度お会いしたら忘れられない方なのです。森先生のお弟子さんたちは、きっと深い悲しみと喪失感の中にいることと思いますが、私もなんだかさみしい感じがしています。一度しか会っていないのに。

森俊夫先生のご冥福をお祈りいたします。
0

感情的洞察力と感情成分の関連

明けましておめでとうございます。更新が滞っていますが、できる限り今年も書いていくつもりであります。

さて、カウンセリングを生業とする私ですが、時系列分析を学ぶにつれて分かってきたこと、驚いたことなどを呟きたいと思います。

ある心理尺度を使って、クライエントの協力の下、日次の時系列データを収集しています。その尺度には、抑うつ、不安、など、通常の感情成分が複数と、マインドフルネスに類似する感情的洞察力が盛り込まれています。

こんなことが分かってきました。

われわれ心理士は、特に洞察指向のカウンセラーであれば、クライエントの感情的洞察力が高まった日には感情成分が穏やかになる、つまり数値としては低くなると考えるはずです。感情的洞察力と感情成分のあいだには負の相関といいますか、いや、負の回帰があると考えるわけです。しかし、感情的洞察力と感情成分のあいだには、それだけにとどまらない、いくつかの連動のパターンがあるようです。

いまわかってきたのは、日次の時系列データを基本として考えると、①感情的洞察が高まると感情成分が穏やかになるという負の回帰のパターン、②感情的洞察力と感情成分の変動が無関係のように推移し、互いにかい離している、連動していないかのようなパターン、そして、③感情的洞察が高まると感情成分の数値も高まってしまう正の回帰のパターンです。

これらのパターンにどのような意味があるのか、今考えています。少しずつその意味が見えてきたので、来年あたり成果を発表するつもりでいます。感情を感知することがすなわち動揺に直結しているのが③です。感知することが心の平静につながっているのが①です。②はまさに解離といえるでしょう。感情が彷徨っているのです。おそらく、①と②と③のあいだをスイッチするようなブレイクポイントが、セラピーのプロセスの中で起こっているはずです。

時系列分析から、クライエントをこれまでとは違った視点から理解して援助する方法が見えてくるような気がしています。まだまだ勉強しなければ。

ではまた書きます。
0

時系列分析による事例研究

最近、時系列分析のことを勉強しています。いつだったか、治療的アセスメントのスティーヴン・フィン先生に教えてもらったのです。治療効果といいますか、エビデンス的に書くなら、やはり時系列分析について学ぶ必要があると思います。

シングル・ケース・スタディ、単一事例研究といえば、応用行動分析のスキナーの伝統があると思います。スキナー派の行動分析では、これまで、統計的な解析はあまり行われてこなかったのですね。意外ですけど。最近は、いろいろと言われていますけど、統計解析のフィルターをくぐっていなければ、やはり効果のことをうんぬんとはできないのでしょうね。

時系列分析と言えば、ハミルトンの教科書が標準です。やっと、私はやっとここにたどり着きました。でも、数学的な世界なので、チンプンカンプンなのは否定できません。振り返れば、若いころ経済学、特にマルクス・エンゲルスの経済学にはまっていたのですが、対極にある計量経済学はパスしていました。1980年代のことです。しかし、1980年代の業績で2003年にノーベル経済学賞を受賞したのが、あのグレンジャーなのですね。

最近、グレンジャーを読んでいます。共和分とか、因果性とか、インバルス応答分析の領域です。奥深いですね。雁相関ならわかりますけど、見せかけの回帰について深く考察し、その後の時系列分析の標準を作ったのが彼なのですね。

ARIMAモデルによる分割時系列分析は、臨床心理学を指向するものにとって必須と思いました。でも、なにせサンプルサイズの問題がついて回るのですね。ひとつのセグメントにつき40~50は必須のようですから、なんといいますか、ベースラインのそれが不足してしまうのです。感情のボラティリティについて解析したくても、GARCHモデルにのせるには、それだけのサイズが必要です。

統計学を専門とする先生にお願いしたいところです。サンプル数がかなり少なくても、時系列分析が可能な手法を開発してください。最近だといろいろあるのですが、まだ不十分のようです。MCMCやブートストラップ法の展開に期待です。

臨床心理学、応用行動分析、カウンセリングを専門とする人たちは、これからは時系列分析を習得する必要があります。Time series analysis です。エビデンスといいますか、実証的に考えるのであれば、この分野の発展は不可欠なので、私のような事例研究至上主義の人間は目くじら立てずに時を待つのがよいでしょう。

河合ハヤオ的な事例研究か、時系列分析による事例研究か、別れ道ですかね。この先どうなっていくのか、推移を見守っていきたいと思います。頑張れユング派!!、そしてスキナー派!!
0