研究ブログ

カテゴリ:教育

国立国会図書館「近代日本人の肖像」を使ってみる

教材用として動画を作成しました。
NDLのウェブサイトの利用規約や転載許可の規定が最近かなり整備されたので、こういうことがしやすくなりました。関係の皆様のご尽力に敬意と感謝の気持ちを示しつつ…漸次増やしていこうと思います。

 

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ハイフレックス型授業での匿名コメントアプリ導入の試み(授業実践例)

怒涛の2021年度が終わった。

今年度はどうにかなるかと思われたオンライン授業だったが、一部対面での実施はできたものの、完全オンラインというわけではない、対面とオンラインを組み合わせたハイフレックス型の授業が行われた。

 

次年度以降は別形態になるかもしれないが、振り返りとして書いておく。

 

関連エントリ

https://negadaikon.hatenablog.com/entry/2020/07/31/000506

https://negadaikon.hatenablog.com/entry/2020/08/03/003532

 

勤務先では、密を避けるために、学籍番号末尾の奇数グループと偶数グループを分けて、それぞれ隔週で登校日を指定して、ある週は奇数の人がオンライン、偶数の人が対面。翌週は逆。という形でハイフレックス型の授業をしていた。

学籍番号で登校日を決めるのは、学生の希望に合わせてオンラインか対面かを選択させているとおそらくぐちゃぐちゃになる、ということからだったと思うし、それはそれでやむを得ないことだったのかなと思っている。

 

ただこの方式、とにかくやるのが大変である。オンラインか対面か完全にどちらかだけでよいのなら、学生の反応もそちらに集中できるものの、やっている教員側は、意識が教室内と画面の向こう側両方に分散せざるを得ず、画面をずっと見ていて教室の学生と目を合わせられなかったり、画面からは目が泳いでいるような状態でずっと喋ってしまっていることが(たぶん)多々あったと思う。それで学生の集中力を欠く要因を作ったかもしれない。

 

また、私はあまり授業に取り入れていないのでそこまで影響はなかったが、グループワーク系の授業は運営コストが尋常でなかったと思う。対面同士、オンライン同士でグループ分けをするのがよいのか、対面の組に何人かオンライン参加の人を混ぜる方がよいのか、それは機械で割り振れなかったらどうするのか、考えるだけでちょっと憂鬱だ。

 

そういうなかで、半ば苦しまぎれに導入したものの、そこそこ評判が良かったのが、匿名のコメントを投影・共有しているスクリーンに反映させられるコメントアプリの存在だった。

 

私はコメントスクリーンというのを利用した。

https://commentscreen.com/

 

選んだ理由は、全学のFDで他学部の先生が紹介していて、「これなら自分もできそう」と思ったから。ほかのアプリとの比較検証はしていない。ただ周囲の人はパパパコメントとかを使っている例もあるとは聞いている。

 

パパパコメントは、管理画面でコメントの一覧の取得はできないように見えるし、リアクションのアイコンもないのだと思うので(未確認)。それらを使うなら、高くてもコメントスクリーンの方が良いのかなとも思うが、これはそれぞれの授業指針に合わせてのものだろう。

 コメント管理画面

後期から導入し、学生には「対面とオンライン参加の人がそれぞれいるので、双方が一体感を感じられるように、授業の感想や質問など、その場で匿名で送れるアプリを入れます」と説明した。

コメントスクリーンでは、毎回、個別のルームなるものを作成する。

そうすると独自のURLが生成されるので、そのURLをコピーしてQRコード化し、配布するプリントに貼り付け、対面授業で参加する学生にはスマートフォンから参加させる。同時にオンラインのミーティング参加者にはチャット欄にURLを貼り付けてログインさせる。

 

なお無料版50名のやつだとすぐ上限に達してしまうので、学校版の料金体系を利用して100名までログインできるようにしていた。

 

学生のコメントが右から左にスクロールする

 

ログインした学生が授業中、スマートフォンなどからコメントを入力すると、その文字列はアプリを起動しているホストの端末の画面の右から左へスクロールしていく。画面の右から左であって、開いているアプリの右から左ではないので、PowerPointなどの画面を教室やオンラインで共有する場合には、かならずアプリを共有するのではなく画面などを共有する必要があった。

 

コメント以外にも、ハートマーク❤やいいね、泣き顔😢などのアイコンも送信できるため、授業内で時々発問をし、挙手させる感覚で、「前々回の授業で触れた〇〇、覚えてる人はハートを、忘れたのでもう一回説明が必要な人は涙を連打してー」などと指示していた。

 

ただ、このアプリ、授業ごとでの学生のリアクションに巨大な差があった。

ニコニコ動画などを見て育った人たちは仕様を一瞬で理解してくれるから教員が説明する必要はない。

授業について思ったコメントが、右から左に流れるのである。最初はかなり面白がって(珍しがって?)色々リアクションをくれていた学生たちも、数回やると飽きて来るのか、コメントが減ってくる。

 

こういうコメントの仕組みを入れると授業が荒れるのではという懸念もありそうだ。

このアプリを教えてくれた先生は、「授業が荒れたりしたことは一回もないですね」と言い切っていたが、たぶんそれは教員の心構えか、事前の約束事が徹底していたからである。

私がこのコメントシステムを導入した初回では、冒頭、使い方の概略を説明し終えるまでの間、しりとりを繰り返す2人組(?)がいた(まあ、2人かどうかわからず、あるいは1人の自作自演だったかもしれず、もっと多かったのかもしれないが、とにかく私がツッコむまでやっていた)。逆にそこでキツく言えば、委縮してコメントが盛り下がってしまうし、ゆるやかに「授業に関係することだったら何発言してもいいぞ」くらいに断っておいて、不規則発言をも取り込んで話を展開する話術が教員に備わっているかどうかが大事なのかもしれない。雑多なコメントは私語よりマシと思えるかどうかが肝であるようにも感じる。

 

私は講義系に絞って導入していたのだが、専門科目になるほど発言が減り、1年生の必修のライティングの授業だと比較的活発にコメントが出てきていた。ノリのよい学生がいるかどうかなのか、授業内容の難易度に由来するのか、いまいち原因がわからない。集中力を途切れさせないために要所要所で身近な話題から発問したりするのが大事なのかもしれない。

授業内容を確認する〇×問題みたいなのを終了間際に持ってきたときは、ちょっと盛り上がった。活用の余地はあるかもしれない。

 

 

その他、留学生などは素早い反応より、じっくり日本語を考えて質問したいということもあるだろうから、授業内容についての質問は出席確認のための小課題提出と同時に別途受け付けることにしていた。あんまりやりすぎると日本人だけ盛り上がって留学生が疎外感を感じてしまう。そういうのも避けなければならない。

 

コメントスクリーンのアプリは、演習でも入れようかどうしようか迷ったのだが、演習くらい顔と名前が一致する(させるべき)少人数の授業で、議論の練習をする場で、匿名コメントが活発化するのはどうなんだと思って見送った。しかし、ちょっとした緊張感を高める意味では、入れても良かったのかもしれない。

 

匿名でコメントするというのは、下らない質問をするなと叱られそうだという心理的な障壁を超えるのにはちょうどよく、また下らないと思っているのは本人だけで、授業をやっている側からすると「よくぞ聞いてくれた」みたいなことがあるのは常のことなのだが、発言者とコメントが紐づかないということは、発言したことを授業参加の指数として評価時に加点要素に加えていくことができないということでもある。当然、出席もこれでは取れない。別に成績良くならなくても良いから疑問はすぐにその場で聞く!という意欲的な人でないとだんだん発言しなくなってくるという面はあるのかもしれない(経験上、そのくらいの積極性をもって授業を聞いている人のほうが内容を後々までよく理解しており、成績は概して良好なのだが)

 

しかし学期終了後の授業アンケート結果を眺めていると、コメントが減ってくるから、わざわざ使わなくて良いのかというと、そうでもないらしい。今後も継続してほしいとか、オンライン組と対面組が共に学んでいることが間接的に伝わってきてよかった、とか、授業にいろんな人がコメントできる仕組みがあったのは良かったとか、使うかどうかはともかく、発言機会が許容されている感じが授業に与えている一定の安心感?はあるらしい。むろん、継続を希望する声が目立ったとはいえ、全員がコメントシステムに賛成かというとそうでもなくて「気が散るからあのシステムはやめてほしい」という声がゼロではなかった点も心にとめておきたい。

 

そうすると、結局は問題は学生のモチベーションと発言をいかにして引き出すかという教員側のファシリテーションの技能レベルみたいなことになってくるのかもしれない。これは私自身にはもっともっと修業が必要だと思った。インタラクティブだなんだといっても、深い理解を促すための工夫ということなら、結局教員の力量の問題に行きつくのだろう。

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大学生のためのEメールの書き方

※資料紹介に上げようと思ったのですが、動画の埋め込みの仕方がわからなかったので、こちらに投稿します。

 

これは城西国際大学国際文化学科1年生向け「基礎演習a」でお伝えした授業内容動画です。
SNSやショートメール、LINEに慣れてくるとかえって煩雑に感じられると思うのですが、
社会では依然として一番使われるツールですので、基本的な部分は学生のうちに理解しておくのがよいです。

 

 

 

授業でも紹介していますが、メールの書き方は慶應義塾大学の松岡先生のサイトが参考になるので、
迷ったらまずそちらを見ていただくのが良いです。

http://user.keio.ac.jp/~matsuoka/mailsample.htm

 

※本資料の無断転載を禁じます。
※動画中のアドレスへの迷惑メールの送付は固くお断りします。

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オンライン授業で困った話(ゼミ編)

 これも個人ブログに書いた話なのですが、こちらにも転記します。

https://negadaikon.hatenablog.com/entry/2020/08/03/003532

 

 ブログ講義の一方で、あんまりうまくいかなかった気がするゼミの記録です。同時双方向型でテレビ会議を使って実施しました。

 どの辺を改善していくべきか、まとめてみたいと思います。

 

進め方の概要

 ゼミでは文献要約の発表を、担当者を決めて順番に行ってもらいました。基本は各回の1人発表→質疑応答→まとめ という流れです。

 ゼミの連絡はSlackを使用していました。

 資料(レジュメ)の共有はSlackで事前に送付してもらい、また画面共有は教員の手元で行なうか、発表者に操作してもらったんですが、そもそもWordの縦長のドキュメント自体が見づらいようでした。PowerPointスライドならいいのかもしれませんが、日本史の研究発表でPowerPointを使ったことがないので、私もどう作ればよいかうまく指導できませんでした。

 

 また、同時双方向の授業で、強制的にカメラをオンにしろということに私の中でどうしても心理的な抵抗感がありました。顔出したくないっていう学生もいましたし(画面の向こうでおやつ食べたりさぼってると困るんですが)。

 最低限のルールで、「発言者だけは顔表示をオンにするように」としたのですが、どんな顔でみんなが聞いているか見えないなかで、議論を活発化させることは、残念ながらできませんでした(家のネット環境が悪すぎて、コンビニのイートイン席で飛んでいるWi-fiをつかまえに行った話も本当にあったと聞いています。)

 うまくやっている方がどういう形で学生との信頼関係を構築しているか、私も知りたいです。

 

図書館が使えないなかで

 毎年前期は先行研究の文献要約をやることを課題としているのですが、勢い大学の図書館が使えなくなると、みんなネット情報だけでなんとかまとめようとします。当初、まあそれはしょうがないかなと思っていたのですが、そこで見えてきた、ちょっと大きめな問題点として、以下のことに気が付きました。

 

 もちろん、一概には言えないと思うのですが、ネットの無料情報だけで議論を構築した学生の発表は、共通してどうも議論の水準が古いということが気になったのでした。

 古いというのは、自分が大学に入ってから勉強したこと。90年代後半から2000年代以降に話題になったテーマが全然見えてこないというような意味であります。それ、最近研究あるんじゃないの?みたいなことです。 

 

 私はゼミの初回や第二回めなどで、テキストの要約なので、出てきてわからない単語は調べるようにということは話しておきました。また、無料のコトバンクの辞書の利用についても一通り教えています。

 

 今回、テキストに指定して読んだ本は岩波新書の『日本の近現代史をどう見るか』でした。たまたま1990年代以降の歴史学界で盛んに議論された国民国家論、総力戦体制論を総括するような日本近現代史の入門書だったというのが大きいかもしれませんが、例えば総力戦体制論という単語が出てくると、レジュメにはコトバンクで『世界大百科事典』の「総力戦」の項目の説明が引用されている。でもそれは総力戦の説明であって、総力戦体制論の説明ではないわけです。国民国家論についても似たようなリアクションでした。

 ジャパンナレッジですら「国民国家論」の検索結果はありませんって出ますからね。

 

 ということは、1990年代以降の学界で議論されてきたことがざっくり抜けていることになり、30年分の研究蓄積が全然反映された議論になってこない、ということになります。

 この本に書いている成田龍一氏の区分に従うとすれば、「戦後歴史学―民衆史―現代歴史学」の三区分のうちの、現代歴史学の部分の評価がそのまま消えている、ということでしょう。 学生は学生で、制約のなかで頑張ってくれたとは思っているのですが、そのことを話したうえで、成田氏の『近現代日本史と歴史学』なども読んでほしいと伝えました。

 

 私自身、これは気づいたときちょっと衝撃で、「いや、ネットで調べてるんだから新しい情報は手に入っているだろう」とぼんやり思っていたので、ちょっとぶん殴られたような気持ちになりました。文献と文献、学説と学説、何が新しくて何が古いのか、ネットの検索結果だと情報の関連性だけでフラットに表示されてしまいます。全部比較する努力を学生がしてくれればいいですが、急いでいたら、時間がなかったら、とりあえず上のほうにあるやつで済ませるでしょう。

 もちろん、それだと困るわけです。研究史の場合、関連性じゃなく、時系列でマッピングする能力が、情報を読む側にあらかじめそこそこ備わっていないと、学問的に有意義な議論を組み立てることが、ほとんどできなくなってしまいます。

 

 これは、私が学生だったころは、図書館のOPACもカタかったし、だいたいタイトル順か時系列順に並び替えて表示させるくらいしかできなかったので気にならなかったのですが、むしろデータがリッチになればなるほど、コツとして知ってないと情報に振り回されてしまう。私のときより今の学生のほうがたぶん大変なんです。  

 だからどういうサポートが有効かを考えるしかないのですが、適宜参考図書を教員側が適宜シェアしていくしかないんでしょうか(『戦後歴史学用語辞典』や丸善の『日本思想史辞典』など)。

 https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/?book_no=303592

 

なぜネット上では過去の学説が温存されるのか 

 とっくに学界で否定された説が、なぜかネット上だと都合よく編集されたりしながら息を吹き返して使われていたりする例もあるんではないかと思いますが、何でこういうことが起こるのか、少し考えてみました。

 

 仮に、ネット上の研究水準が30年前だとすると、まず高校までの日本史教科書の内容と親和的なことが予想されます。だからごく普通に高校の日本史選択者に気づかれない。

 明治20年代の北村透谷や『文学界』グループ、30年代の与謝野晶子とかを、とりあえず一括りにして「ロマン主義」と評価して済ませる近代文学や思想史の研究者はもういないと思いますが、2014年に出た山川の『日本史用語集』だと全ての日本史Bの教科書に載っている重要語句になっている。新しい説はよほど決定的なのものでなければ評価として定まっておらず、教科書に入ってこない、というのがあると思います。

 

 無料の論文だってあるんだから、それを読めばどうにかなりそうなものではないかとはいえます。ただ研究史の流れが理解できていないとそれも難しいように思います。

 一応、私の担当授業のなかで、史学史の話もすることはあるのですが、勤務先は史学科ではないので、カリキュラム上、その授業を取らなくても私のゼミに参加することは可能です。その場合の専門性って何かということにはなるのですが…そもそもキーワードとして認識できていなければ論文を探すこともできないわけで、結果、総じて研究史全体への目配り発表が散見されました。

 

 こうなると発表者の報告後、私が史学史や研究動向についてまとめたり補足したりしているうちに時間が過ぎてしまい、学生同士が議論し合うのとは何かちょっと遠い雰囲気になってしまいました。

 むろん、授業を仕切る私の力量不足は否めないのですが、もうちょっと根深い背景として、ネット上の人文系の知識が新しくならないということがあるように思いました。

 

 今年出た川崎昌平『大学1年生の君が、はじめてレポートを書くまで』(ミネルヴァ書房)という本のなかでは、インターネットでは今のことがよくわかる反面、弱点として「過去の言葉や思考」があまりカバーされていないという点があげられています(34ページ)。だから図書館で、過去から現代へ、どういう風に議論が発展してきたかを調べることが大事という話につながっていくのですが、いろんなサイトが立ち上げられるなかで、新しい情報なのか古い情報なのか、初見でわかりにくいというも問題もあるのではないかと思います。

 

 また、最近出た浜田久美子『日本史を学ぶための図書館活用術』(吉川弘文館)に、印象的な話があります。それは、2010年からジャパンナレッジで参照可能となった『国史大辞典』より、紙で出ている2009年刊行の『対外関係史辞典』のほうが、記述が新しいものがあるということです・もっとも『国史大辞典』の著者が故人となっている場合、国史チルドレンである『対外関係史辞典』でも、項目をそのまま継承して改訂されていないものがあることにも著者は注意を促していますが。辞書を引く側が、これはいつ頃の記述だろうかと、たえず意識する必要があるということだと思います。

 コトバンク収録の辞典が改訂されているのかどうか、完全に把握できていませんが、『日本大百科全書』や、『世界大百科事典』が、CD-ROM版が出されたときのテキスト化したデータの流用ということであれば、更新されているものがあるとしても、1980年代か新しくても90年代の情報ということになるでしょう。参考文献で新しいものが増えているかどうか。この20年分の研究は、辞書だけだとわからないことになってしまう。もちろんコトバンクには、『知恵蔵』のほか、順次改訂が加えられているコンテンツも入っているようですが。歴史学上の概念などはどうして弱いように思えます。

 

 Wikipediaの記事の改定も含め、個々人で努力している研究者がいることはもちろん承知しておりますし、大学図書館なども努力して所属機関の紀要などを精力的に電子化していることも知っていますが、Wikipediaの項目でもコトバンクのみに依拠した項目がないわけではありません。

 最新の知識が辞書の形で売り物になっている以上(そして図書館で購入されたりする以上)、図書館も使わずにネットだけで仕入れられる知識はどうしても「型落ち」した古いものに寄ってしまうという現実は見据えないといけないように思えてきました。 

 情報はタダではない。情報を検索しているつもりが、いつのまにか検索させられている。ということに注意を促すのには、猪谷さんの『その情報はどこから?』(ちくまプリマ―新書)でも指摘がありましたね。

 

 

 そのことに気づいた日、学生向けにSlackに次のように書きました。

「今日改めて思ったことは、無料のネットの辞典は、便利なんだけど、下手をすると2,30年前の紙の辞書のデータをそのまま使っていて、更新されていないんですね。Wikipediaも、専門家が紙とネット両方を使って書いていればいいけれど、ネットだけで調べて情報を更新していると、むしろ研究史では批判されつつある30年前くらいの学説が温存されてしまう。発表も同じですね。図書館が使えない中でどうやって準備するのがいいのか、難しいなと思いました。本も買ってほしいけど…(中略)ネットで調べた後、その根拠は何か、何年ごろの議論なのかを確認する癖は付けたいですね。」

  

 我々がネット上で色々な資源が検索できるように努力すべきなのはその通りだとして、しかしながら今の大学生の在学中に劇的に改善するということはないと思われます。また、すべてネットで調べられるときに、どのくらい学生の調べることへのモチベーションは高まるのか。図書館が閉まっているなかで考えると、何が正解かよくわからなくなってきたところがあります。Twitterにも書いたのですが、今の偽らざる心境です。

 

 

どうするか?

 一人ひとり指名して全員にコメントを求めるということもできたかなと反省しています。毎回、発言してくれる学生がいて、それはそれで助かったのですが、特定の人に偏りがちではありました。

 ネット上の著作権を気にしなくていいということなら、自分の過去の論文を順番に批判的に読んでもらうということをするということはできたかもしれません。まあその場合、学生の知識の範囲に偏りが出てしまい、また違う意味で困る可能性があるのですが。

 あとは共通の資料を全員に予習してきてもらい、教員側で資料を画面共有して、学生を順番に指名して正しく読めるか読み上げてもらい、その解釈を問うとか、そういった使い方ならもう少しどうにかなったかもしれないなと思いました。

 そのほか、とにかく学生に新書など一般向けの研究成果の新しいところを少しでも多く読んでもらうようにすることでしょうか。

 

 非常に悩んでおります。

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オンライン授業(オンデマンド型ブログ講義)をやってみた話

個人ブログに書いたものですが、こっちに書いておいた方がよい気もするので転記します。

https://negadaikon.hatenablog.com/entry/2020/07/31/000506

 

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 オンライン授業の実践について、やったことの記録を備忘のために書き残します。この教育効果については、半期だけでどれだけの成果が出たかは議論しにくいとは思うので、その評価は置いておきます。

 

 いわゆるオンライン授業には、①テレビ会議を使った同時双方向型というのと、②授業資料をダウンロードして期限までに課題に取り組むオンデマンド型というのと、2種類があります。

 私は講義系科目は全部オンデマンド方式で実施しました。

 最初は昨年度の授業で使用したプリントとPowerPointのスライドをPDFにして大学のLMSにアップしようかとか、スライドに音声を吹き込んで動画化し、個人で取得したYoutubeアカウントにアップしようかとか、色々と考えたのですが、スマホで受講する学生が通信制限が来たときに、それでも重いのではないか?と考えて、家族と話しているうちに閲覧にパスワードがかけられるブログ形式がよさそうだという結論にいたり、この方式を採用しました。

 URLも検索除けしており、知らない人は閲覧ができないようにしています。

 

 オンデマンド授業は、一応要件がいくつかあって、文科省の説明スライド(PDF)によると

  1. 当該授業を行う教員若しくは指導補助者が当該授業の終了後すみやかに インターネットその他の適切な方法を利用することにより、設問解答、添削指導、質疑応答等による十分な指導を併せ行うことが必要
  2. 当該授業に関する学生の意見交換の機会の確保が必要

となっていました。自宅で受ける学生に課題を投げっぱなしにするなという趣旨だと思います。

 1については、出席をGoogleフォームで取るときに合わせて質問を募集し、集計後可及的速やかに匿名でブログ上に回答を乗せることで解決しました。

 2は、大学のHPに掲示板を作るとか、LMSとかにコメントができるようになっていれば十分なのだそうですが、授業連絡用でLINEオープンチャットを作り意見交換の機会を確保しました(確保しただけであんまり機能しなかったのと、ちょっとそのほかにもデメリットはあったので、後述します)

  こんなブログ授業。学生も、最初は、なんじゃこりゃと思ったみたいなんですが、終盤になると意外に好評だったので、秋学期もオンラインで授業をする方の参考にもしなるのであれば幸いです。

 

画面例 

 

ブログ授業・概要

  • ブログは、使い慣れているのではてなブログを利用しました。
  • 1科目につき1つブログを作成しました。
  • 授業なので広告を入れたくないなと思い、有償版にアップグレードして使いました。
  • そもそもリンクを知らなければブログにたどり着けないのですが、更に、ブログの閲覧にはパスワードを設定しました。このパスワードはLMSを通じて学生に周知しました。念のため学生にも第三者への配布を禁じる指示を出したので、機密性は保持できたかと思っています。
  • オンデマンドの場合、授業資料は授業開始48時間前までに余裕をもって配信するように大学から指示があったので、前々日の午前0時の配信を基本にしました。火曜授業の場合は、日曜になったら見られる状態にしておくということです。
  • ブログは、前年度の授業プリントをベースにして、講義録を文字起こしする形にしました。
  • できるだけ写真や図版、参考となるサイトへのリンクを盛り込みました。出所が確かなものは(著作権法に抵触していないものを確認して)Youtubeの動画も入れました。昨年度作成したPowerPointスライドがある科目は、スライドをJpeg形式で出力し、要点を書きだしたスライドを文章中に図版として挿入することで、授業の実況中継をしつつ板書も再現するような見え方になったみたいでした。
  • 授業プリントはPDF化して、LMSを通じて学生に配信しました。
  • 毎回、出席確認用にGoogleフォームを作成して、記事の末尾にリンクを貼りました。氏名、学籍番号、所属などを入れてもらうほかに、出席を確認するための最低限の小テスト(4択クイズ程度)を付しました。長文を「読む」こと自体を課題としてとらえました。期末課題も出すので、講義中の課題は極力少なくすることを方針にしました。忙しければ読み飛ばす人が出てもやむを得ないが、その人は期末でしんどくなるだろうという考え方です。
     

ブログ授業・良かった点

  • 資料の提示のしやすさ。普段の対面授業で使いにくいウェブコンテンツ、動画へのリンクなどがふんだんに貼れました(通信量の負担はあるので、参考資料として位置づけ、見たい人だけ見ればいいということにしていました)。でも文章の途中に動画があると気分転換になったようです。あと、CiNiiなどでPDFがある論文へのリンクを貼ったりとか、資料を見せるときに国立国会図書館デジタルコレクションへのリンクを貼るとか、対面だとあとで読んでおいてね。としか言えないところをもう少しフォローできる点では魅力を感じました。
  • 普段耳で聞いていると何ていったかわからなくて素通りしてしまう単語が、繰り返し読むことでちょっと意味がわかってきた、という感想が複数ありました。板書が出来ない代わりに、目で見て理解が深まるケースはあったようです。
  • 復習しやすいという声は多数もらいました。
  • はてなブログの場合、はてなキーワードの存在が思いのほか威力を発揮しました。専門用語の解説にはコトバンクなどネット辞書へのリンクも示したのですが、それ以外にも、難しい単語の意味にリンクがあって助かった、みたいな感想が散見され、思いがけずよかったことの一つでした。
  • 自分の好きな時間に早く終わらせて、通常の授業時間にほかの科目の課題に充てられて助かった。などペース配分にも貢献したらしいのは良かったです。そうでなくても課題が多そうなので少しでも負担を減らせればと思っていました。
  • 質問のフィードバックがしやすい。答えるのはそこそこ大変ですが、全質問に回答でき、その答えを返せるというのは、「何聞いてもいいんだ」という雰囲気の醸成には役立ったようでした。対面授業の通常の時間内で回答しているとどうしても全部にこたえきれないので、この方式は良かったと思っています。対面に戻った際にも、授業参考ブログとして使えるんじゃないかなと思いました。
     

ブログ授業・残った課題

  • 対面がいいという要望に最後まで答えられなかったのはしんどかったです。長文を読むのが苦手な学生に力を付けてほしいと思ってしたのですが、耳から聞いたほうがよく理解できる子は一定数はいると思われ、この方式が万全ではないとは思います。留学生も、わからないところは適宜コピーして翻訳にかけてくれればよいのですが、どの程度理解できたか、評価が難しいです。
  • 学生の意見交換の場として、ある程度匿名で会話できるLINEオープンチャットは良さそうに思えたのですが、携帯電話の契約などによって入れないという学生からの問い合わせが相次ぎ、本格運用を断念して、LMSで流している情報とほぼ同じお知らせを流す状態になった点は課題を残しました(全員が参加していればよいのですが、チャットに入れる学生と入れない学生で試験などの情報に偏りが出てはまずいため)。格安の携帯電話を契約している者のなかには留学生が多く、一番細かい連絡が必要な人に届けられない難しさを感じた次第です。
  • 準備しんどい。講義録を書き起こすというと簡単そうなのですが、よく言われるように1分間に喋れる文字数が300字として、それを単純に90分に拡大して文字換算すると普通の論文一本を超えます。そんな字数は毎週書けないし、学生も読めないと思ったので、途中途中に参考文献やサイトへのリンクをはさんで、それぞれ参照してもらうことにして、1回あたり平均8000字前後書くことにしました。多い回には1万字も超えていたと思います。それでも最後に終わったときに1科目10万字近くなっていました。3科目分講義を持ったので、30万字書いたことになります。1科目あたり新書1冊分の少なくとも情報量は出せたかと思いますが、毎週綱渡りでした(ただその話は同時に、一部の学生側にはこの担当教員が授業準備をしっかりしている、という風に伝わったようではあります)。
  • コミュニケーション不足。どうしてもメールなどでのやり取りになるけれど、質問してくれる子はまだ対応ができるのですが、そうでない子にどうしたらいいか?というのは悩ましいです。
  • 出席確認用にGoogleフォームから自動返信の拡張機能を使ったのですがG Suiteの有償版にしないと受講者が多い科目では、全員分カバーできないらしく、結局、今日出席届いていますか?という質問対応に追われることになりました。付けないほうがよかったかもしれません。
  • 講義系科目だからできたわけで、いくつか耳にしましたが、演習(ゼミナール)で活発な議論をするとかも私はできませんでしたし、史学科の古文書学とか、オンラインで成立させるのはかなりむずかしいんじゃないかという気はします。授業の性質で合う合わないが凄くあると思いました。
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