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ドイツ旅行

8/2-11DeutschlandPotsdamでのAnnual International Dictyostelium Conference 2014に参加した後、PlönMax Planck Institute for Evolutionary Biologyを訪問し、またBerlinで研究中の知人に会いに行きました。その記録をここに記しておきます。写真はカメラのISOのモードがいつものAUTOでなく途中から高感度モードに変わっていたのに気付かなかったので、途中からノイズが多くなっていますがご了承下さい。

 

8/2

徳島駅よりリムジンバスで関空へ。関空では搭乗機が台風12号の影響による到着遅延で1時間半ほど出発が遅れました。トランジットの広州からは真夜中の出発でしたが、こちらも20分ほどの遅れでした。

 

8/3

到着したオランダのスキポール空港は晴れでした。

 

ここでもティーゲル行きの搭乗機が少し遅れた後、無事ベルリンへ到着。Conferenceが始まるまではまだ間があったので、Potsdamの町中をブラブラと。町中ながらHavel Riverは素敵でした。

 

Potsdamのバロック式Brandenburger TorBerlinのものよりも古く、1770-1771の建築です。補修されているので小綺麗ですね。Luisenplatzでは子供たちのためのお祭りがあって、TOYOTAもブースを出していました。

 

 

会場には16:00に無事チェックイン。日本人の方は今回はあまりおられないようでした。カオスと反応拡散系的ダイナミクスの話は今回も興味深いです。

 

8/4

発生やシグナリングにおけるモデルの構築と実験による検証の相互作用は面白かったです。

 

8/5

起きがけに笹井先生の訃報を知りました。それと関係があるのかどうかは知りませんが、午後のセッションで突然鼻水が大量に出て来たと思ったら鼻血のホットフラッシュだったので、急いで退席してトイレに。一番聞きたかった細胞性粘菌によるノックアウトの新規手法のトークが途中までしか聞けませんでした。ホットフラッシュは生まれて初めてです。

 

8/6

今日はセッションが少なめでSchloss Sanssouciのツアーに。フランス気触れのフリードリヒ2世の居所は世界遺産に指定されています。写真はオランダのHistor. Mühleです。

 

庭園内はこんな感じでした。

 

 

庭木にはBeechも。

 

東アジアからの移入種のMandarinも居ますね。

 

Schloss Sanssouciではイチジクやオレンジなど、南の国の植物を温室のようなテラスで育てていました。フランスのロココ風建築ですね。バチカンを小さくしたような回廊もありました。

 

 

 

Neues Palaisも荘厳でした。

 

 

Wood Mouseも居ました。耳が小さく鼻面が短いですね。

 

8/7

朝一で自分の講演でした。自覚はないのですが新鮮で分かり易くて良かったとのこと。時間がなかったので最後のランチはスキップしてPlönへ。Berlinまではドイツ人のポスドクの方と会話し、北へ向かって19:30には何とかチェックインしました。Plönはボートレースで有名なKielの近くの田舎町なので、日本人はおろか中国人も含めたアジア人もほとんどいない状況でした。周りからは“Japaner!” とか“…japanisch…” とかいう声が聞こえて来るので、かなり注目されている模様でした。ヨーロッパでも国際的な都市なら東アジア系は中国人がファーストチョイスで出て来る筈ですが、田舎町なので東アジア系の旅行者と言えば日本人という印象がまだ強く残っているのでしょう。またドイツ人は半分くらいの人は英語が通じる筈ですが、Plönでは地元の方々には英語が全く通じません。レストランでオーダーするにも一苦労で、辞書で対応しました。英語でなく日本語を喋っていると思われたらしく、周りの人は「あれは英語だぞ。」とかブツブツ言っているし、食事を運ばれた時に“Tor!(馬鹿者!)とか言われて吉本新喜劇のような状態が面白かったです。

 

8/8

MPIを訪問するのは午後からなので、午前中はPlönの町中をブラブラと。カモたちの休息です。エクリプスも居ますね。

 

手前のカモとか種名が不明なのですが、カモは交雑をよく行うのでこういうこともよくあります。

 

Ev. luth. Kirchengemeinde Plönです。

 

Großer Plöner Seeです。

 

Pförtner Haus Schloss Plönです。

 

 

Blackbirdも居ますね。

 

途中、Plönで地理の教師だった日本好きの先生と会話し、日本の文化や科学について話をしました。研究室訪問はプレゼンの話は急に要求されたのでデータを詰め込み過ぎでdirectionalityが今いちだったようですが、研究所自体は雰囲気が良さそうでした。

 

8/9

今日はBerlinで午後から知人と待ち合わせ。ここはユダヤ人地区で、歴史の面影を残しています。ユダヤ人居住者の記や弾痕が大戦時の記憶を物語っています。

 

 

 

 

これはベルリンの自称芸術家たちが共同アトリエとして占拠していた建物。今でもその名残があります。

 

 

Spree Riverからの眺めです。

 

BerlinBrandenburger Tor1791年完成です。

 

Reichtstagsgebäude(国会議事堂)です。1894年に下院議会場として建築されましたが、1933年炎上、1999年に修復され、今はドイツ連邦議会の議場です。

 

ベルリンの壁の残渣が残す記憶。

 

 

Berliner Dom(ベルリン大聖堂)です。1905年建築、大戦で被害を受けましたが1993年に修復されました。

 

途中飲んだWeihenstephanerTradition dunkel(黒ビール)は最高でした。夜は今度の論文についてディスカッション。有意義な一日でした。M君に感謝。

 

8/10からの飛行機の復路便は遅延もなく正常。台風11号も去った後に無事帰国し、8/11の関空から徳島へのリムジンバスのみが渋滞で1時間遅延しました。

 

今回の旅行で植物はScots Pine Pinus sylvestris, White Willow Salix fragilis, Black Poplar Populus nigra, Hazel Corylus avellana, Beech Fagus sylvatica, Sessile Oak Quercus petraea, Turkey Oak Quercus cerris, Red Oak Quercus rubra, Norway Maple Acer platanoides, 鳥類はLittle Bittern Ixobrychus minutus, Mute Swan Cygnusolor, Mallard Anas platyrhynchos,Teal Anas crecca, Mandarin Aix galericulata, Tufted Duck Aythya fuligula, Coot Fulica atra, Black-headed Gull Larus ridibundus, Swift Apus apus, Eye-browed Thrush Turdus obscurus(ここでは珍種!), Blackbird Turdus merula, Barred Warbler Sylvia nisoria, Jackdaw Corvus monedula,Hooded Crow Corvus corone, House Sparrow Passer domesticus、哺乳類はWood Mouse Apodemus sylvaticusを見ました。

 

 

 

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ネイチャー・ストーリーズ

山極壽一先生も京都大学総長に選出されたことですし、今回は山極先生の著書『サルと歩いた屋久島』(山と渓谷社)について過去に紹介した文章をupします。山極先生には屋久島フィールドワーク講座でお世話になりました。山極先生との関係を語る上でニシゴリラでもヒガシゴリラでもなくニホンザルが出て来るのは、一般的ではなくとも自然な流れであることを今から示します。

 

屋久島にはヤクシマザル・ヤクシカと呼ばれるニホンザル・ニホンジカの亜種が生息しています。どちらも本土の物に比べて体が小さいのが特徴です。近縁な生物が低緯度地方に行く程体が小さくなる事はベルクマンの法則と呼ばれています。屋久島は海岸部の亜熱帯照葉樹林移行帯から照葉樹林帯・ヤクスギ林帯を経て山頂部の風衝低木林帯まで植物相の垂直分布が残されていることが世界自然遺産に登録された主な根拠ですが、その連続した植生の中でヤクシマザルは連続分布することが出来ています。餌付けされたサルの群れとは異なり、ヤクシマザルの群れは小さくて群れ間の対立が激しいようです。そして群れの分裂・消滅・乗っ取りも頻繁に起こっています。ニホンザルの群れは母方の家系から構成される母系集団なのですが、群れの分裂・乗っ取りは群れ内オスがメスと交尾を盛んに行った後オスとメスが親和化して交尾が何故か回避されるようになり、メスが群れ外オスと交尾を盛んに行うようになって群れ外オスを惹き付けて起こるようです。交尾が回避されるようになるとオスは群れを出ることが多いのですが、これは近親交配の回避によるものとする説もあるようです。群れサイズの下限は群れ間競合で遊動域が小さくなって栄養不足とストレスで死亡率が高くならないようにすること、群れサイズの上限はあまり群れが大きくなり過ぎて血縁メスが分派行動を採ることで決まるようです。このことは群れ内の争いに依る採食のし難さと関係があるようです。このようにニホンザルの群れの構成はメスに主導される部分が大きいようです。屋久島のニホンザルの群れサイズは他の地域のニホンザルのものよりも小さいのですが、それは良質な食物が高密度で得られる為に上記の群れサイズを決める因子のバランスが異なる為でしょう。屋久島でもニホンザルに依る農作物への被害が大きいのですが、これは伐採により植生が変化してニホンザルの食物の果実・葉・昆虫などが少なくなってニホンザルが人里まで降りて来るようになった結果だと解釈されています。

 

『サルと歩いた屋久島』を読んでいて一番印象に残ったのは次の部分です。

 

西部林道で行われたヤクシマザルの観察会にも、農家の人たちが何人か参加してくれた。いつも自分たちの作物を荒らす、にっくきサルたちが、人間の存在など無視して、自然の食物を自由に食べているさまを間近に見て、人々はびっくりしたようだ。私たちが弁当を広げても、サルたちは見向きもしない。サルと人は、互いに領分を守って共存することもできるのである、それを私たちは、サルのすむ森で実現できた。今度はどうやって人里で実現するかである。それにはたぶん、野生動物に対する考え方を根本から変える必要があるだろう、と私は思った。

 

ヒトとサルがヒトとヒトとの間と同じようにコミュニケーションをとるのは中々難しいものです。ヒトに依る森の伐採がサルを人里まで降ろして来たかも知れないこと、サルに農作物の味を知らせないことはコミュニケーションの難しい二者の「沈黙」を介した、お互いの領分を守った新たなコミュニケーションの形なのだと思います。そう言った新しいコミュニケーションの形を探る為にも、ヒトが自然をよく理解することが大切なのだと思います。

 

最後に山極先生の仰るフィールドワークに必要な五つの能力を挙げておきます。これは「研究」を「自分のしたいこと」に置き換えれば何をする上でも必要な能力だと思うので。

 

一、どんな環境でも、自分の健康と平常心を保つ自己管理の能力

一、自分が研究しようとした対象に語らせる能力

一、五感を用いて得た結果を記録する能力

一、記録や経験をもとに何が面白いのか考える能力

一、それをわかりやすく他人に語る能力

 

 

 

ここで、京都大学霊長類研究所の湯本貴和先生と横浜国立大学の松田裕之先生の共編著『世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学』(文一総合出版社)の紹介もしようと思います。湯本先生にも屋久島フィールドワーク講座でお世話になりました。

 

昔の日本はムラ・ノラ・ヤマ・モリからなる四重同心円構造をしていました。即ちムラが集落、ノラが耕地、ヤマが里山でモリが奥山=カミの地でした。モリはヤマビトが時々入るだけの神聖な地でした。またヤマビトはモリでは普段と異なるマタギことばを使っていました。モリのさらに外側には原生的自然があり、完全なカミの世界で行者や山伏しか足を踏み入れませんでした。このようにヤマやモリが原生的自然に対して緩衝林=バッファーゾーンとして存在していたことは、現在の自然保護の方策にも通ずるものがあります。

 

環境省では生物多様性に関して日本の自然が抱える諸問題は第一の危機「開発や乱獲による生物種の絶滅や脆弱な生態系への悪影響」、第二の危機「農山村での人間活動の縮小と生活スタイルの変化に伴う耕作放棄地の拡大や里山生態系の崩壊」、第三の危機「移入種による在来生態系の変容」があるとしています。第一の危機に対しては保護区の囲い込み、第二の危機に対しては文化の保存、第三の危機に対しては移入種の駆除で対抗するとしています。第二の危機がなぜ危機なのかは分かりにくい方もおられると思います。例えばシカ害で考えればシカの増加によりササ・ウグイス・コルリ・コマドリ・土壌動物・ウラジロモミ・アオダモ・ブナが減ってしまい、タマバエ・カミキリムシ・キクイムシ・キツツキ・リス・モモンガ・シジュウカラ・ゴジュウカラ・地表節足動物がある程度のシカ密度増加までは増えるという大台ケ原での野外実験があります。ところがシカが全く居なくなってしまうとササの増加により樹木の実生が育たなくなり、全くいなくなってしまうことも生物多様性の保護の視点からは問題です。そこでシカの駆除とササの刈り取りのバランスを取れば、多様性が程よく保存されるであろうと予測されています。このように森に人手が入ることで森が逆に豊かになる場合もあり、そういった里山を扱う文化が自然との共生を目指すためにも優れたものであり、文化的価値が高いと考えられます。

 

シカの活動により高山帯では高山植物の減少、森林ではシカの不嗜好植物の増加と森林の後継樹の減少に依る森林の草原化など様々なインパクトが生態系に与えられ、農作物の被害とともにシカ害と考えられています。屋久島でもシカの目撃率の変化の少ないモッチョム農道では植生があまり変化していませんが、目撃率が増加した西部林道や白谷林道では植生に変化が生じています。またシカは過密化すると小型化して採食効率はさらに高まりますが、繁殖力は減らないため個体数のコントロールの面ではとてもやっかいな存在です。日本でシカが近年増加した原因としては、温暖化に依る冬期死亡率の減少、林道・草地切開による行動域の拡大、針葉樹林の造林による食物の増加、狩猟圧の低下などが考えられています。シカには物質的資源、加害獣、霊的精神活動の対象(宮崎駿『もののけ姫』にも出てきました)、生態系の構成要素としての側面があり、シカ害が増えているとされている現代においてヒトが上手く付き合っていかないといけない生物です。シカの個体数は放置しても積雪の影響などにより非定常で予測も不確実なものしか出来ず、シカの駆除と保護をするための合意形成も難しいのが現状です。しかし科学的な証拠が不十分でも実際の自然における問題として放置してはおけない問題であります。こういった類いの問題に対する為にはさらなる研究とシミュレーションに基づいたシカの増加要因の解明と個体数のコントロールも必要ですし、個々人が生態系のことをもっと詳しく知ることも大切です。その為には日本国内で国や企業の援助に依る自然史博物館の充実や、自然探索の文化の普及と優秀なガイドの育成なども必要になってくるでしょう。こういった対策は直には結果の出難いものですが、是非進めて行って欲しいものです。

 

サルと歩いた屋久島 (ネイチャー・ストーリーズ)
山極 寿一
山と溪谷社(2006/03/01)
値段:¥ 1,620


世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学
文一総合出版(2006/03)
値段:¥ 2,592


 

 

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【追記有り】「この国の科学をあるべき、正しい道に導く」

国立大学が研究崩壊の道へと突き進んでいると話題になっていますが、そのベースにあるのが鈴鹿医療科学大学学長の解析です。研究のアウトプットの多さの指標としての論文数や高インパクトの論文数が、大学研究従事者数もしくはそれに高い相関を示す公的大学研究開発資金(人件費)もしくは政府支出研究開発資金の線形モデルで説明可能だということです。政府支出研究開発資金の削減は研究アウトプット数の低下に直結するというのです。この相関関係と因果関係との関係は今後議論を呼ぶでしょう。さて線形モデルは非常に考察しやすいので、昨今の「選択と集中」が何故まずいのかを高校数学で議論してみましょう。

 

本来選択されるべき「優秀な」研究従事者の人件費をL1、そうでない側をL2とします。モデルが線形なので、論文数をMとしてL1に対する比例定数をaL2に対する比例定数をbとすると、M = aL1 + bL2 + Ca > 0, b > 0, Cは定数)で表せます。ここで人件費総額をL1 + L2 = Lとすると、この資料8ページよりdL/dt > 0であることが分かります。この資料9ページからここ10年程はdM/dt = (a- b)dL1/dt + bdL/dt≤ 0となっています。「優秀な」方を優秀にする為にはa > bなので dL1/dt < 0となり、実際のデータからは「優秀な」研究者の人件費が削られ、そうでない研究者の人件費が増えていると解釈できるのです。研究者の能力が落ちて来ていてa, bが下がって来ている可能性も無きにしも非ずですが、その影響が年単位で現れるほど研究者の世代交代は早くないでしょう。研究者間に能力の差異がないa = bの状態だと矛盾が起こるので研究者間の能力には何らかの差異があることは確かです。

 

8年前から行われている「選択と集中」は適切に行われれば人件費を均等に与えるよりも研究のアウトプットは高くなるでしょう。しかし現在の状況は出来ない方の研究者に選択的に投資をしていて、以前のように研究費を比較的均等に与えるよりも却って悪い結果となっているとしか考えられません。研究費の配分者は全く目利きではありませんし、これが「この国の科学をあるべき、正しい道に導く」と述べた文部科学省の政策の成果なのは、何ともブラックユーモアが効いています。

 

モデルが線形なら解析は簡単なので、今からでも遅くはないので文部科学省のようにデータへのアクセスが容易な部署は研究者のコミュニティをいろいろな切り口で割ってみて、どこに投資すれば効果的なのか、それが実証的に分からない限りは「選択と集中」でなく均等に研究費を与えるべきでしょうね。研究の「目利き」がいないのは、対処が難しいと思うので。

 

【追記】a, bを下げる要因として、大学の法人化によって雑務が増えたということも考えられます。この資料の2ページによると確かに私立大学以外の大学の論文数は「選択と集中」後に全体的に減る一方、施設等機関や企業ではもともと減り続けていたことが分かるのですが、独法も「選択と集中」後に減っているのはそれだけでは説明出来ないことを補足しておきます。ちなみに国際化が遅れているという意見は、論文数と国際共著率には0.1程度の相関しかないのでありえないと思われます。

 

 

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種分化と染色体再編

私がイギリスで研究していたことの内容と一部被る論文が、Current Biology誌に掲載されていました。題名は “ChromosomalRearrangements as a Major Mechanism in the Onset of Reproductive Isolation in Saccharomyces cerevisiae.” というものです。内容は、

 

生殖隔離の進化は遺伝的分化や種分化を理解する上で重要で、著者らは出芽酵母S. cerevisaeの種全体の株をモデル生物に現在生まれつつある種を解析した。その結果、染色体の相互転座が生殖隔離を定量的に説明しうることを示した。この結果はこの生物種では染色体再編が生殖隔離を付与する主要因子であることを示唆している。

 

というものでした。ただこの論文が出たところで私の未発表データの価値が揺らぐことはありません。というのも、著者らは “species-wide survey” としているのですが、私が集中的に解析していた肝心の株を含む多くの株が解析されていないのです。この論文では「現在生まれつつある種」の定義についても曲者で、「種」を定義する際、普通は分子系統樹を描いて同じ種は遺伝的距離の非常に近い所に集中し、違う種はそのクラスターとはかけ離れた所に位置するので「種」が区別出来るのです。だから「現在生まれつつある種」の場合、元の種から違う種へ進化が加速し始めた所に位置する株を解析しないといけません。ところがこの論文ではそのような株が全く解析されず、明らかに同種内の株しか解析されていません。生殖隔離はともかく種分化には染色体再編が1つくらいあったところで大して影響しないのではないか、ということが逆に議論出来ます。要するに解析している株の系統が遠すぎることはないのですが今度は近過ぎるのですね。こういうことは昔から言われているので、この案件は著者らが予想するほど単純な問題ではないでしょう。ちなみに「種」の存在自体に疑問を持つ人は、上記のような系統樹の非対称性、形質の不連続性が「種」の存在なしに如何にして理論的に説明出来るのかを明示しなければなりません。

 

そのような訳で、私の未発表データもその報告は現在のところ日本学術振興会にしかしていませんが、研究を続けられる場所が得られれば論文として公表したいと思っています。膨大な量の議論が出来るデータですので。

 

 

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The Riemann Conjecture

The Riemann Conjecture

Mein lieber Herr Riemann
All night I will dream on,
’bout how you deserve a lecture.
But of course I allude
To your famous and shrewd
Outstanding and unsolved conjecture.

Oh, I owe you my life,
My 3 kids and my wife,
For the proof of the Prime Number Theorem.
Your Zeta function trick
Made the proof really slick,
And those primes - no more do I fear ’em.

But I just stop to think,
How I’ve taken to drink,
And evolved this hysterical laugh-
Because still I don’t know
If ζ’s roots will all go
On the line real z is a half!

So I don’t sleep at night,
And I’m losing my sight
In search of this darn thing’s solution.
As my mind starts to go
My calculations grow
In a flood of ‘complex’ confusion.

I bought a computer;
Not any astuter,
It ran for nearly 10 years - no jive!
But still it doesn’t know
If Zeta’s roots all go
On that line real z is .5

Now I sit in my room -
I feel doomed in the gloom -
And entombed by mountains of paper.
Still, I pray that some night
My ‘ol’ lightbulb’ will light
With the clue that could wrap up this paper.

Jonathan J. Dowling



オイラーの定数ガンマ ―γで旅する数学の世界―
Julian Havil
共立出版(2009/05/23)
値段:¥ 3,024

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祖谷物語、地獄変

今日は大阪まで『祖谷物語―おくのひと―』を観に行ってきました。徳島発の各国映画賞受賞作ということで。場所は十三の第七藝術劇場で、客層は小劇場演劇と同じようなもの。サンケイホールブリーゼみたいに小汚い格好の私が紛れ込んでいて済まぬ済まぬと言いたくはならない、落ち着ける雰囲気でした。席が96席の小劇場スタイルも良かったです。作品の方は寓意がふんだんで祖谷の落合集落の風景をよく捉えられていた魅力的なものでした。ただ最後の方でEM臭のするマッドサイエンティスト的なラボが出て来るのは、多くのサイエンティストや科学ファンには受け入れ難いでしょう。ラボの描き方から見て監督さんは科学的研究には疎い方のようで、それ以降のストーリーも蛇足感がしました。希望の残る終わり方ではなく、春菜が力尽きたシーンで救いようの無い終わり方をしても基本的なメッセージには変わりがないと思うので、それでも良かったのでは。3時間も少し長いと思うので、削りようはあったと思います。それまでのファンタジーが混じる脚本は良かったので。映像自体はオープニングの冬の吹雪の山で轟音の中、お爺が尻をつきながら慎重に斜面を下るところなど、山歩きをする人にとってはあるあるのシーンが多かったのは良かったです。里山も映像的に綺麗というのとは少し違うので普通の映画にはあまりには出てこないので、そこをちゃんと描いていたのも良かったです。ただEMがね。。。私は映画や演劇の目指す美と政治的メッセージとは性質が違って、前者は感性に訴えかけるものだが後者はあくまでも論理で考えるものだと思っているので、現実の何かと直結させるような作品はあまり好きではないです。ある程度はファンタジーの世界でないと。

 

バスの中では芥川龍之介の短編を久しぶりに。『薮の中』『羅生門』『蜘蛛の糸』『鼻』は皆さんご存知だと思いますが、今回は『地獄変』『杜子春』が印象に残りました。『地獄変』は『宇治拾遺物語』からインスパイアされた小説のコンセプトからストーリーの起承転結、矛盾無く一貫した解釈を幾つもオルタナティブに提案出来る芥川独特のオープンクエスチョンのテーマ、過不足無くコンパクトに纏まった物語など、小説としてこれほど面白いものは滅多に無い出来です。私は中学か高校でこの話を国語の授業で読んだのですが、これだけ優れたストーリーに思春期に触れさせてくれた先生には感謝です。村上春樹の『風の歌を聴け』も中学か高校で初体験して、友人の間で話題になったものです。村上春樹は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』までの人だとは認識していますが。『杜子春』は仙人になるとはどういうことなのかを教えてくれる、シンプルでオーソドックスながら重厚なテーマへ発展のポテンシャルを秘めた味わい深い作品でした。こちらは原作の方がいいと思いますけどね。『地獄変』でも分かりますけど、エンディングはハッピーでなくても良いのですね。

 

藪の中 (講談社文庫)
芥川 龍之介
講談社(2009/08/12)
値段:¥ 370


 

 

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大腸菌SecAの機能不全は染色体分配の異常と相関する

Microbiology (SGM)誌サイトに2014/5/23付で5/20付で受理された私たちの論文の内容がin pressとして公表されていたので、この場を借りて内容をごく手短にレポートします。論文PDF自体の取得は雑誌社との契約が必要です。

 

題名はSecA defects are accompanied by dysregulation of MukB, DNA gyrase, chromosome partitioning and DNA superhelicity in Escherichia coli” 大腸菌SecAの機能不全はMukBDNAジャイレース、染色体分離とDNA超螺旋の異常と相関する)となっています。SecAというタンパク質は大腸菌の生存に必須のタンパク質で、元々は細胞内膜タンパク質の透過酵素複合体の構成因子としてBeckwithらにより1981年に同定されていました。それが意外なことに大腸菌の染色体の分配にも関わり、しかも分配に必須の役割を果たしているのではないかという仮説を提唱したのがこの論文です。

 

大腸菌の核様体や染色体分配においてゲノムDNAの配向や分配タンパク質の局在が重要なことは、それらの異常と分配の異常が相関することから以前から指摘されていました。しかしその分子機構は不明でした。真核生物のように紡錘体が直鎖状染色体を両極に引っ張るような現象が、原核生物のゲノムDNAでは見られないのです。現段階では2つの根本的な疑問がバクテリアの染色体分配において挙げられています。(I) 複製している姉妹染色体が如何にして異なる空間に配向されるか、(II) 染色体分配を引き起こすエネルギーのソースは何か、ということです。この論文では (I) について言及しています。

 

この論文では細胞質と細胞膜をシャトルする内膜透過酵素複合体の構成因子SecA、細胞内膜の内膜透過酵素複合体の膜貫通タンパク質SecY、アシル基転移酵素AcpPの三者が、染色体の構造形成タンパク質MukB(真核生物SMCホモログ)やDNAトポイソメラーゼと相互作用し、染色体分離の異常を引き起こす証拠を提出しました。さらにSecAの機能不全は染色体複製起点oriCの位置決定、DNAの分離や超螺旋の維持に異常を引き起こし、DNAの異常に関してはSecAMukBDNAトポイソメラーゼに対して反応経路の上流に位置することも分かりました。MukBは染色体分離に、DNAトポイソメラーゼは染色体分離と超螺旋形成の双方に影響しているのですが、MukBDNAトポイソメラーゼ双方の機能不全の場合にのみ重篤なSecAの機能不全と驚くほど同等の異常を示したのです。これらの異常は皆致死的であることから、染色体分配の異常もSecA機能不全の致死性の1つの要因であることが予想されます。

 

MukBDNAジャイレースの協調的作用については2003年に我々が報告しています。またMukBDNAトポイソメラーゼIVについては2010年に報告されています。私は2005年に当時は染色体分配に関わるフィラメントであると思われていて、その後それが否定されたMreBに相互作用するタンパク質の、特に細胞内局在の動態を研究していました。1120日(小惑星探査機はやぶさがイトカワにタッチダウンした日だったのでよく覚えています)にMreBの欠損株でも染色体分配のタンパク質の観測している動態が正常であるらしいことに気付き、MreBがこの動態の中心役者ではないのではないかと考えました。そこでButlandらのタンパク質間相互作用のマップを調べ、MreB近傍で観察している動態に合った生化学的特性を持っているタンパク質をリストアップした結果、SecAが中心の可能性があるという結論を得ました。SecAに関してはMargolinらの2004年の論文で変異株は染色体分離の異常が見られるがその理由は分からないというサブデータが少し報告されている程度でした。私たちがSecA, SecY, AcpPの高温/低温感受性変異株を取り寄せて制限温度下で核様体を観察した結果、全ての株において染色体分配異常が観察されたので、これは調べる価値があると思って解析した結果の前半部分が今回の論文です。

 

観察されている現象は内膜タンパク質が透過されなくなったことの二次的影響ではないかという意見も勿論あるでしょう。しかし (1) SecA4300ほどある大腸菌のタンパク質の中から偶然MukBDNAトポイソメラーゼなど染色体分配の中心的エフェクターと直接相互作用しているとは考えにくい、(2) secA204変異株は内膜タンパク質の透過は正常なのにoriCの位置異常が観察され、少なくともoriCの位置決定能と内膜タンパク質透過能は別の機能であることの二点から、二次的影響である可能性は低いと私たちは見ています。

 

それではSecA/SecY/AcpPは如何にしてMukBDNAトポイソメラーゼの機能を制御しうるのでしょうか。これはこの仕事の後半部分で明らかになるでしょう。(II) 染色体分配を引き起こすエネルギーのソースは何かということですね。そちらの論文も投稿準備中ですので、原核生物の染色体分配の研究の50年の歴史に基づいたその驚くべき続報を期待して下さい。

 

 

 

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プラスミドの分配機構とチューリング

今年の冬、ベネディクト・カンバーバッチ主演のアラン・チューリング(1912-1954、イギリス人)の映画The Imitation Gameが公開されるそうです。チューリングと言えばジョン・フォン・ノイマンやクロード・シャノンとともに「計算機科学の父」とされ、第二次世界大戦でのドイツ海軍の暗号機「エニグマ」の解読に貢献しました。またチューリングテストや晩年の形態形成と数理生物学に関する仕事の「反応拡散系」という概念やチューリング不安定性の提唱に名を残しています。当時イギリスでは違法だった同性愛での告発と自殺の悲劇は、2009年になってイギリス政府の正式な謝罪を呼び起こしました。現在、コンピュータ社会に技術的な貢献をした人物は「チューリング賞」をACMより授与されています。そのチューリングの60年前の業績が、微生物学でも注目されてきているというのが今回の話題です。

 

前述した「反応拡散系」は物質の化学反応と拡散により自己組織化やパターン形成を説明する理論的な概念です。動物の縞模様形成において「チューリング不安定性」により、系の大きさに依存した数の縞が等間隔に定常的に並ぶことが説明出来ることは現・阪大の近藤滋先生により1995年に提唱され(Nature 376: 765-8., 1995)、現在でも研究は続いています。微生物学において注目されているのは定常性のある反応拡散系ではなく、「チューリング不安定性」により等間隔の移動する波が形成される形式の反応拡散系の方です。

 

このタイプの反応拡散系は化学反応において研究が進んでいましたが、生物の世界では例えば細胞性粘菌の集合において、細胞間のコミュニケーション因子であるcAMPと集合する細胞の密度が動く螺旋状の波を形成することから、このメカニズムで説明出来るのではないかと言われていました(Phys Rev Lett 73: 3173-6., 1994など)。私は大学院生だった2004年には大腸菌のプラスミド(細胞内でゲノムDNAとは独立して複製・分配される自律的複製因子のDNA)の分配機構を研究していたのですが、その分配機構が「反応拡散系」で説明出来るのではないかと気付きました。

 

私が研究していたFプラスミドは、SopASopBタンパク質とFプラスミド分配におけるセントロメア(DNA分配のためのタンパク質が結合するDNA上の部位)のsopCローカスがその安定な分配に必要充分であることは分かっていました。私が注目したのは、プラスミドDNASopBの固まりの数が細胞長に依存して増え、等間隔に並んだことです。この発見の後、文献や学会発表などからSopAの局在が細胞の一方の端からもう一方の端へ振動すること、SopA/SopB/sopCの生化学的な反応が「反応拡散系」で説明出来ることに気付きました。その考察やそれに基づくシミュレーションを論文として纏めたのが、J Mol Biol (2006) 356: 850-63.の論文です。この論文は最初は分野の主流派にはあまり快くは受け止められていないようでした。Rプラスミドという別のプラスミドではアクチンフィラメントの仲間のParMというタンパク質とParRparCサイトが複製したプラスミドDNAを細胞の中心から両極に押しやる形で分配することが分かっていたので、SopシステムもSopAフィラメントがDNAを分配しているのだろうと思われていたのです。ParMRCシステムの話は今や教科書にも載るほど有名なものになっています。

 

ところが私がプラスミドの研究をしなくなった後の2008年になって、大腸菌の細胞分裂面の決定システムであるMinシステムが再構成系ではチューリング不安定な「反応拡散系」であることが証明されました(Science 320: 789-92., 2008)。このMinシステムのタンパク質は何とFプラスミドのSopシステムのタンパク質と系統的に近く、また大腸菌以外の一般的な真正細菌に細胞分裂面決定や染色体分配タンパク質として広く保存されている系統であるのです。このことから当然Sopシステムも「反応拡散系」であることが期待されました。この論文が発表される少し前から、NIHの水内清先生もSopの分配の研究を開始されました。水内先生は “diffusion-ratchetモデル” という反応拡散系の派生型のモデルを提唱されていました。論文は幾つか出されたのですが、今年になってから発表されたProc Natl Acad Sci USA 111: 4880-5.,2014では、SopシステムがSopAのフィラメントでなくSopA-DNAのカーペット上でもSopシステムでコートされたビーズを化学的濃度勾配により一方向性に運ぶことが示され、フィラメントでなく「反応拡散系」が実際にSopシステムで働き得ることを示されました。

 

そもそもフィラメントモデルには、二つの致命的な欠陥がありました。SopAの局在の振動パターンが単純なフィラメントモデルでは説明できず、さらにプラスミドが等間隔に並ぶというDNAの分配においてトポロジー的に重要な事象が全く説明不可能なことです。「反応拡散系」モデルはフィラメントモデルを含み、さらにこれらの事象も合わせて上手く説明出来ることにアドバンテージがあったのです。分野で主流派の意見ではなくとも、これらのことは注意深く考察すれば理解出来た筈です。今年のPNASの論文では、研究開始当初は慎重だった水内先生も「チューリング」という名前や「反応拡散系」という言葉をいよいよ前面に押し出すようになられました。今後は細胞サイズの再構成系で上記二件の事象が再現されれば完璧です。半世紀以上前に亡くなった一人の偉人が、生物学のいろいろな分野にその歩みを残して行くことが、今まさに体感されている訳です。

 

 

 

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真の名

命名とは対象を明確にするための行為です。SF作家のアーシュラ・K・ル・グゥインのファンタジー小説『ゲド戦記』では、真の魔法がさぐりだすべきものは真の名、ものの本質ということになっています。JRR・トールキンの『指輪物語』でも、ガンダルフ(共通語)などはアマンでの本名のオローリンの他に、シンダール語のミスランディア、ドワーフ名でのサルクーンなどの名を持ちます。私にも本名の他にも、生まれた当時に人名用漢字になっていたら付けられていた筈の名や、女性だった場合に付けられていた筈の名など、様々な名があるそうです。物の本質を知ることが相手を無力化するという考え方は、世界中の神話で見られるそうです。漫画や小説でもよく出て来るのはこの為ですね。

 

命名法というものは科学でも重要で、化学の世界ではIUPAC命名法があり、これが確固たる地位を築いていることで学問の発展が円滑化するのです。名前は概念を保存し、呼び起こして表現し、伝達して新たな概念を想起させるので、それに厳密性と規則性を持たせる事には絶大な意味があります。名は概念の体系の鏡なのです。

 

ですから、ショウジョウバエの左右性が逆転した変異体にsouther(北斗の拳に由来)と名付けたり、ゼブラフィッシュの鼻がない変異体にkuririn(ドラゴンボールに由来)と名付けるのはあまりいい筋とは思えません。現代ですら一部の人にしか理解されずに普遍性がないのに、数百年後の世界なら何の事だかさっぱり分からなくなるでしょう。生命科学における遺伝子の命名法は元々種ごとに規則が全く異なり、命名法などという物が事実上存在していないも同然なのでこのような状態が起こりうるのです。生命科学がハードサイエンスを目指すのなら、化学におけるような命名法の整備は必須でしょう。

 

何ぶん筋肉脳思考が蔓延しているようなのですが、これとは正反対の「逆筋肉脳思考」の物語として、『指輪物語』などが挙げられます。これらの世界では過去の偉大な一族が時代が下るに従ってどんどん没落していき、敵も味方もどんどん弱くなって行ってやがて人間の世を迎える、ということになっています。トールキンの神話研究の帰結が力を棄てる物語であり、中国で言えば紀昌「不射の射」、真の名人は弓への執着からも離れ、ついには弓そのものを忘れ去るに至るというものでしょう。『指輪物語』ではサウロンはモルゴスの眷属の一人に過ぎず、ガンダルフに匹敵するバルログも昔は群れを成していたといいます。そんな恐ろしい時代は過ぎ去り、力の弱まったもの同士の争いが現代である、と言うのです。自己陶酔的な筋肉脳思考やオレって強い、意識高いという人の体たらくを見ていると、「逆筋肉脳思考」もまた真理ではないかと思う今日この頃です。昔の人からみたら現代人の悩みは大したことないのですね

ゲド戦記(6点6冊セット) (岩波少年文庫)
アーシュラ・K. ル=グウィン
岩波書店(2009/03)
値段:¥ 4,830


ホビットの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)
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岩波書店(2000/08/18)
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ホビットの冒険〈下〉 (岩波少年文庫)
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岩波書店(2000/08/18)
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文庫 新版 指輪物語 全9巻セット
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値段:¥ 6,615

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O氏に関連した理研中間報告

O氏に関連して、最初の1時間しか見ていませんが理研の中間報告も終ったのでそろそろ次のエントリーを出します。前の投稿では捏造問題におけるネットリテラシーを述べましたが、状況が変わったのでそれは白紙撤回しようと思います。参考の為に前エントリーは残しておきます。

 

前エントリーでは「冤罪の可能性を考慮して軽々しく「捏造」という言葉を使うべきではないでしょう。よほど確固たる証拠がない限り疑わしきは罰しないべきで、その証拠も推理小説や探偵ドラマ・漫画での証拠のように現実では何の証拠能力も持たないようなものであってはならないのです。ネット上で極度にナイーブな意見を述べるのは極力控えるべきでしょう。」と述べました。ところが、3/9Nature Article論文で酸処理したSTAP細胞に由来するSTAP幹細胞の多能性を示す組織画像が、博士論文でガラス管を使って多能性を誘導した組織画像と同一のように見受けられることが判明しました(http://stapcells.blogspot.jp/参照)。左リンクではO氏に関する様々な疑惑が報告されていますが、この画像報告で私も状況証拠とは言え捏造を疑わざるを得ない心境になったので、捏造という言葉を使うようになりました。O氏の共著者の若山先生もこの報告が決め手で論文撤回を呼びかけられるようになりました。今までの画像の流用に見受けられるものは同じ系列の実験内でのデータ取り違えとされていたので、イラストレーター上でうっかり取り違えたとか反転させてそのまま忘れていたとか、ほとんどありえないミスとは言え弁解の余地が全くない訳ではありません。ところが今回は状況が違って、最近行われた酸処理と古い時期のガラス管処理という異なる時期の別々の実験の図が混同されていたというのです。Natureの図は間違っていたので新しい図に取り替えたいという主張なので、論文の撤回は当然で再審議されるべきでしょう。またこれらの写真の生データが同一の画面上に並ぶというのはまず考えられないので、不正を疑われても仕方ない状態です。この他にもO氏の早稲田大学の学位論文にバイオ系業者の宣伝の写真が加工された状態で流用されているという報告もあり、こちらは理研ではなく早稲田の問題とはいえ何かの取り違えであることが最早信じられなくなっている状態です。今日の理研の報告はネット上の議論を検証する体のものに見受けられたので、「捏造」という言葉を使ってネット上でスピーディーに議論をすることにも意義が充分あり、前エントリーを撤回するものです。追試の件は別問題なので、少なくとも数ヶ月は結論が出ないと思いますが。これからも検証されていかなければなりません。

 

今回の理研の報告について個別に感想を述べると、

 

Obokata et al., Nature 505:641-647(2014) Article(以下「論文1」と記載):Figure 1f d2およびd3の矢印で示された色付きの細胞部分が不自然に見える点については、この図を作製する過程には改ざんの範疇にある不正行為はなかったと判断される。」

 

これは最初からブロックノイズであることがほぼ明らかであったので、当然の解釈だと思います。

 

Obokata et al., Nature 505:676-680(2014) LetterFigure 1b(右端パネル)の胎盤の蛍光画像とFig. 2g(下パネル)の胎盤の蛍光画像が極めて類似している点については、Fig. 2g 下の画像は、本文及び図の説明の中に言及されておらず、規程に定める「改ざん」の範疇にあるが、論文作成過程で図を削除し忘れたという説明に矛盾等は認められず、悪意があったと認定することはできないことから、研究不正であるとは認められない。」

 

これも供述は不自然でないので、著者とレフェリー・Nature編集部に不注意があったことは明らかですが、然程重大な問題ではないでしょう。

 

以下は調査継続中の項目です。

「論文1:Figure 1iの電気泳動像においてレーン3が挿入されているように見える点。」

 

ここでは電気泳動の画像を異なるゲルの泳動度に合わせて引き延ばす操作が入っていますが、電気泳動の縦軸にはバンドの泳動度の情報が含まれるため、それにアーチファクトの要素を加える可能性のある引き延ばしは普通行いません。これは問題だと思います。

 

論文1:Methodの核型解析に関する記載部分が別の論文からの盗用であるとの疑いがある点。

 

これはどこからコピペしたのか覚えていないという曖昧な供述に留まっており、O氏には著者としての責任が問われます。

 

論文1:Methodの核型解析の記述の一部に実際の実験手順とは異なる記述があった点。」

 

これはO氏が共著者の実験手順をよく理解していなかったということなので、著者陣の責任が問われます。

 

論文1:Figure 2d, 2eSTAP細胞からの分化細胞、及びキメラマウスの免疫染色データにおいて画像の取り違えがあったこと及び調査過程で、これらの画像は小保方氏の学位論文に掲載された画像と酷似することが判明した点。」

 

これは冒頭で述べた通り相当に深刻な問題で、論文撤回に繋がり得ます。

 

 

第三者が納得出来るような法的根拠を提出することは大変に難しいので、今回の理研の報告はそのために慎重さを期したということで一定の評価は出来ます。今後もまだ解けていない疑念を検証することが求められます。

 

ただ、ここに述べたことだけでもO氏が理研のユニットリーダーや博士を勤めるには未熟で杜撰で責任の負えない人物だということは言えてしまうでしょうので、捏造のあるなしに関わらず、理研や早稲田大学には人材の指導や登用・プロモーションのシステムに問題があるのだと思います。組織側にも充分責任が認められるので、再発防止のためには何らかの処置が必要でしょう。データの取り違えがあるかも知れない科学論文など誰も読みません。

 

もう一つ思うのは、問題が大きくなってきたので日本分子生物学会でも調査委員会を立ち上げ、理研側がその調査委員会に説明して質疑応答を行う場を何度か設けた方がいいのではないでしょうか。非専門家に対する記者会見だけでは一般の方に対する説明に終始し、疑念の払拭は不可能でしょう。私も大腸菌と酵母と細胞性粘菌以外のことは知らないので専門的なことは理解出来ず、そのため少数でなく多数の外部の専門家に検証される体制をとった方がいいのではないでしょうか。フィードバックが多ければ議論も深まると思います。

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「捏造」とネットリテラシーについて

最近は「捏造」問題がネットを騒がしているようですが、こういった案件で特定個人に関するものについては、きちんとした調査が行われるまではネットで取り上げるのはあまり宜しくないということで一言。論文の図に疑惑があることはよくあるのですが、それを追究するには昔の人がやっていたように疑問点を陳述した手紙を匿名の封書で関係者に送付するべきでしょう。そうすれば関係者が取り上げ、内部調査を行って疑惑が晴れれば問題無し、疑惑が真実となれば然るべき処置が採られる筈です。ネット上でもフランクに意見を交換するべきだという方もおられますが、それは純粋に科学的な議論の場合で、「捏造」という言葉のように相手の人格を批判して研究者生命を絶つ可能性のある発言はその限りでは無い筈です。ネット上では議論の素地のある資格や権利、そしておそらくは能力も乏しい方が大勢を占めることがあります。というか、専門的な内容に関してネット上での多数意見というのは、専門家でない方の多数意見なのです。こういった場合、極度に単純化されたモデルとしてはInformation Cascadeのセオリーとして、自己の情報を重視するよりも周囲の情報に流される状況では虚偽が大勢を占めることが充分起こりうることとして示されています。仮に捏造が冤罪だった場合、当事者が一方的に多大な不利益を被る反面、冤罪を誘発したのは不特定多数なので誰も責任をとらないという理不尽な結末を迎えます。こうしたことはあってはならないのです。

 

論文で公表されている情報からは疑惑は産まれても、それがどのような意図で行われたかを判断することは不可能です。それを判断するために内部調査が必須になってくるのです。私もいろいろ疑惑を持つことはありますが、結論から言うとこれだけの情報では何らかの取り違いであることを完全に否定出来ないので何も断定的なことは言えない、という立場を採ることが多いです。内部調査の結果の公表で情報が少なすぎる、ということは言えますが、当事者はフィクションの中の登場人物ではなく生身の個々人でそれぞれの研究者人生や生活が掛かっているのですから、冤罪の可能性を考慮して軽々しく「捏造」という言葉を使うべきではないでしょう。よほど確固たる証拠がない限り疑わしきは罰しないべきで、その証拠も推理小説や探偵ドラマ・漫画での証拠のように現実では何の証拠能力も持たないようなものであってはならないのです。ネット上で極度にナイーブな意見を述べるのは極力控えるべきでしょう。

 

追試の件も、生物の実験は条件のコントロールをとるのが大変難しいので、はっきりした結論が出るのに早くて数ヶ月、研究者が多い分野で2-3年、そうでなければ10-20年やそれ以上かかることもあるので、気長に待って下さいとしか言えません。ビジネスの世界のように昨日の今日で結果が出なければクロだ、という問題でもないのです。

 

こうした情報を踏まえて、捏造問題については語っていただければ宜しいのではないでしょうか。特定個人ではなく捏造問題の一般論なら問題はないとは思いますが。

 

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イントレランス

グリフィス監督のサイレント映画『イントレランス』第一次世界大戦中の1916年公開)を観ました。時代の異なる四つの物語を元に、イントレランス(不寛容)をキーワードとしてそれが巻き起こす悲劇とその収斂を描いたものです。現代(1916年当時)の物語は完全にフィクションで、ナザレのイエスの物語は皆が知るところですが、BC53910月にバアル教神官の裏切りによりアケメネス朝のキュロス2世が新バビロニアを滅ぼした話や、1572824日のフランスでのサン・バルテルミの虐殺の話は歴史的事件で物語に顕著な厚みを持たせています。2012年の『クラウドアトラス』は『イントレランス』から全体のコンセプトを拝借したものと思われます。これを観るとLed ZeppelinGallows Pole” を思い出しました。


 


"Gallows Pole"

Hangman, hangman, hold it a little while, 
Think I see my friends coming, Riding a many mile. 
Friends, did you get some silver? 
Did you get a little gold? 
What did you bring me, my dear friends, To keep me from the Gallows Pole? 
What did you bring me to keep me from the Gallows Pole? 

I couldn't get no silver, I couldn't get no gold, 
You know that we're too damn poor to keep you from the Gallows Pole. 
Hangman, hangman, hold it a little while, 
I think I see my brother coming, riding a many mile. 
Brother, did you get me some silver? 
Did you get a little gold? 
What did you bring me, my brother, to keep me from the Gallows Pole? 

Brother, I brought you some silver, 
I brought a little gold, I brought a little of everything 
To keep you from the Gallows Pole. 
Yes, I brought you to keep you from the Gallows Pole. 

Hangman, hangman, turn your head awhile, 
I think I see my sister coming, riding a many mile, mile, mile. 
Sister, I implore you, take him by the hand, 
Take him to some shady bower, save me from the wrath of this man, 
Please take him, save me from the wrath of this man, man. 

Hangman, hangman, upon your face a smile, 
Pray tell me that I'm free to ride, 
Ride for many mile, mile, mile. 

Oh, yes, you got a fine sister, She warmed my blood from cold, 
Brought my blood to boiling hot To keep you from the Gallows Pole, 
Your brother brought me silver, Your sister warmed my soul, 
But now I laugh and pull so hard And see you swinging on the Gallows Pole 

Swingin' on the gallows pole! 

 

 

 

神官の裏切りは映画中に「楔形文字を表意文字としても使う文化の滅亡」を引き起こした歴史的なものとされています。ただ、エラム楔形文字や楔形文字ルウィ語を除く古代ペルシア楔形文字(これは表音文字)、アッカド語楔形文字は1916年当時既に解読されていました。ヒッタイト語楔形文字(表音文字)は20世紀初頭から解読され始め、1916年当時も解読の途中でした。シュメール語楔形文字も1940年代に解読されています。神官の裏切りは紀元前2500年から続いたメソポタミア文化圏の滅亡に一役かった裏切りであったことは間違いないと思いますが。

 

サン・バルテルミの虐殺はカトリックがユグノーを1~3万人虐殺したとされるもので、ユグノー戦争後の混乱時にギーズ公アンリがユグノーのコリニー提督を暗殺し、暴動が起こったものです。2年後のシャルル9世の死去によりアンリ3世、ギーズ公アンリ、ナバラ王アンリのいわゆる三アンリの戦いが起こり、結果的にはフランス史上最高の名君とされるアンリ4世の即位に繋がるものです。その前夜を描いたものです。

 

世界史にはこうしたドラマチックな事件がたくさんあるので、映画にしろ演劇にしろ漫画にしろアニメにしろ、こういった題材をどんどん取り込んで欲しいですね。

 

 

 

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翁、華厳経(抄)

2014118日は京都観世会館で片山定期能を観てきました。演目は能『翁』、仕舞『老松』(脇能物)、『采女クセ』(鬘物)、『野守』(切能物)、狂言『三人長者』、能『誓願寺』(鬘物)でした。『翁』に加えて五番立のうち修羅物と雑物を除き、鬘物を二つに増やしているところに今年一年に籠められた願いがあるのでしょう。

 

『翁』は、今まで何度か書いてきたように能でも狂言でもない「式三番」で、「翁」と「三番叟」という老体の神が天下泰平・国土安穏を願って舞う、一年の始めに舞われる目出たい演目です。悲劇である能の登場人物である能役者が「翁」を、喜劇である狂言の登場人物である狂言役者が「三番叟」を務めます。「翁」と「三番叟」の面(白式尉と黒式尉)がそのままご神体なのですが、普通の能面とは異なり顎が切り離され紐で結ばれた「切顎」なので、台詞を喋るのと同時に切顎が動き、他の能を見慣れていると能面に神が憑依して生きているかのような錯覚を覚えます。これらの能面は舞台裏の鏡の間で付けられる能面とは異なり、上演中に舞台上で付けられて役者が神格を得たことを表現しています。小鼓が1個でなく3個もあることも他の能の演目と一線を画しています。「翁」の片山伸吾先生の厳かな舞が素晴らしかったです。三番叟の野村又三郎先生も、『三人長者』のシテの役とともにメリハリのある舞が素晴らしかったです。三番叟が右手に鈴、左手に扇を持って舞う『翁』特有の特殊な構成も良いですね。

 

『老松』は能舞台の背景に描かれている松のことで、大宰府に配流された菅原道真を慕って紅梅に続き老松も飛んで行ったという伝説に基づいています。『采女』は奈良の帝を恋した采女が猿沢の池に身投げし、その霊が成仏得脱する話です。霊が出てきても怨みつらみはないことになっています。『野守』ははし鷹の森羅万象を写す野守の鏡の伝説から、野守の鏡を持つ鬼神を出して鬼神に横道なしということを説くものです。右手の扇と左手の鏡の銀扇を持って大きな動きで舞う片山九郎右衛門先生が見事でした。

 

『三人長者』は、長者号を許された三人が一緒に各々の謂れを語り、喜び合うものです。喜劇の性質は薄いですが、年始にはぴったりの目出たい演目です。

 

『誓願寺』は一遍上人が熊野権現の霊夢により『六十萬人決定往生』の御札をひろめるため、誓願寺へとやってきて歌舞の菩薩となった和泉式部の霊と出会う話です。和泉式部の華やかな舞と、側面からは目を細めていながら正面からは目を見開いているように見える能面が素晴らしかったです。この世のものとは思えない情景ですね。

 

 

能楽を理解するにはその成立時の時代背景から、仏教を知っていることが重要です。ところで天台宗には「五時」と言って、釈迦が悟りを得て菩提樹の下など21日間で説いた時の「華厳時」(華厳経)、それが弟子たちにも上手く伝わらなかったので煩悩を解く為に鹿野苑で12年間説いた時の「阿含時」(阿含経、法句経などの小乗仏教)、その後祇園精舎や竹林精舎などで16年間説いた「方等時」(浄土三部経や大日経、金剛明経、維摩経などの大乗仏教)、霊鷲山などで14年間説いた時の「般若時」(金剛般若経、般若心経など)、霊鷲山やクシナガラなど最後の8年間で説いた「法華涅槃時」(法華経、涅槃経)があります。

 

華厳経は一切衆生を救う為の大乗仏教でありながら最初に説かれたものとされ、卑近な事象が説かれている小乗仏教とは異なり多分に抽象的で哲学的です。華厳経では「縁起」という、一切の事物が縁起に依る原因と結果で繋がって絶えず変化していく様が中心教義となっています。「一即一切、一切即一」の相即相入を唱える「法界縁起」のことですね。これは仏が万物にあることから起こるもので、凡人の思慮を越えている不思議な作用ということです。仏像はその表面的な形象を表しているだけのものです。以下のように「法身不思議」であります。

 

如来の法身は不思議なり。無色無相にして倫匹無く、色身を示現して衆生の為にす。十方に化を受けて見たてまつらざるもの無し。

 

キリスト教で言えば「聖霊」の概念に近いですが、キリスト教においては聖霊に依らない縁起もあるのでそこが相違点です。心も仏も衆生も一体であるというのが、仏教風の三位一体の考えです。これが最初はよく理解されなかったということらしいのですが、衆生済度は自利即利他により自分が道を求める心を起こすことで行われます。よって「初発心時便成正覚」にある通り、道を求める心に悟りが含まれているので、絶えず道を求めて励むことが衆生済度に繋がることで、「初心忘るべからず」なのです。私は神も仏も信じている訳ではなく、「華厳経」は原典が高価なのですが、古本屋でいいものが売っていれば買ってみようと思いました。他、密教関連の原典や武徳編年集成も高価なので、いいものを見つけようと思っています。

 

『華厳経』『楞伽経』 (現代語訳大乗仏典)
中村 元
東京書籍(2003/11)
値段:¥ 2,100


 

 

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夜更かしの女たち、愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸【追記】

直人と倉持の会Vol. 1 『夜更かしの女たち』、観てきました!竹中直人さんの千両役者振りは健在で、それが倉持裕さんの込み入った世界が最後に見事に収束していく様とよく合っていました。

 

まず竹中直人さんを生で観たのは初めて!最初の一言目からただならぬ存在感を示しておられました。直人さんは存在感のない役割を演じておられたのですが、存在感のある存在感のない役割という何とも言い難いキャラ立てであられました。他の役者さんも有名人ばかりなので、私が普段観る芝居とはまた違った雰囲気でした。例えば長い間、外へ行っていた人物が田舎に久しぶりに帰ってきて同窓会に出た時の、空気が微妙にずれていて不協和音の聞こえるあの独特の雰囲気が上手く表現されていました。

 

物語は登場人物や舞台をある角度と別の角度から観させる、芝居を観れば誰にでも分かるある単純な手法を使って展開されます。人間関係でも自然科学でもそうですが、一つの角度から観ていると偏った特定の見方に縛られていたものが、別の視線を介することにより全く違う印象が認識され、ドラマチックな解決をみるというものです。これは倉持裕さんの得意とするところなので、それを竹中直人さん初めそうそうたるメンバーで観られたのは感激でした。音響も倉持さんワールド全開でした。早速ファンになってしまったので、このユニットの芝居をまた観たいですね。

 

徳島から大阪への車中では横内謙介さんの戯曲『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』を読みました。こちらは『ラ・マンチャの男』と『裸の王様』をモチーフに、ギリシャ時代から続く悲劇と喜劇の重なり合った重厚なテーマを扱ったものでした。いうなれば『ファウスト』の御伽話風・現代的解釈というものです。私がこの芝居をするのなら、御伽話風の抽象的な話の筋がメインなので、そこに村上春樹さんのように並行する別の現実的ストーリーを絡めて改作したものを上演したいです。『ファウスト』を上演するのは世界観が壮大すぎてどこから手を付けたらいいものやらと思いますが、横内さんの脚本は高校生もよくお世話になっている通り、アマチュアの方でも上演してある程度いいものは出来そうな芝居です。

 

「王様」というのは元来悲劇の主人公なのですね。人類学的にはある民族が災難に見舞われた時は「王殺し」により災厄を追い払おうとする風習がありましたし、人柱や動物の生贄のように厄難を追い払うために大事なものを差し出すというのは、世界のいろいろな場所に見られる風習です。「悲劇 = tragedy」の語源は、ギリシャ語で牡山羊を表すトラゴスであることからも、それは明らかでしょう。漆原友紀さん『蟲師』の今のところの最終章「鈴の雫」でも、似たようなテーマが扱われていますね。


【追記】宮崎駿さんの「トリウマ」も、仲間が死ぬと卵を産むのでこの系統でしょう。生物は元来、環境が悪くなると有性生殖をして組換えを起こし、多様性を担保して次世代に繋ぐ性質を持っています。これは繁殖の成功率も考慮しないといけないのでそう単純なものでもないのですが、環境悪化時の性と次世代へのバトンタッチという本質は現実にもあります。

 


ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)
ゲーテ
岩波書店(1958/03/05)
値段:¥ 903


ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)
ゲーテ
岩波書店(1958/03/25)
値段:¥ 1,008


蟲師 全10巻 完結セット (アフタヌーンKC)
漆原 友紀
講談社(2011/02/28)
値段:¥ 6,077


 


 

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2014初詣

 

 

今年の初詣は、まずは讃岐神社に行きました。竹取物語の翁、讃岐国造の伝説がある神社です。

 

神社参道脇の竹林。

 

 

 

次は小北稲荷神社。地元の方が多く訪れていました。本殿よりも脇の九社の方が面白かったです。

 

それから南郷の環濠集落の山王神社。石造の弥勒菩薩は由来の古いものでした。お見せできないのが残念です。

 

 

最後は伊射奈岐神社。神楽殿を後ろからとれば趣があります。

 

猫並みに可愛い石牛。

 

神社の近くには崇神天皇陵が。

 

神社横の大和天神山古墳は道にぶった切られているのが残念。

 

神社周辺にはアラカシQuercus glaucaとかクロガネモチIlex rotundaとかマガモAnas platyrhynchosとかカルガモAnas poecilorhynchaとか、いつもの仲間も居ました。今年もよろしくお願いします。

 

 

 

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素数に憑かれた人たち

ジョン・ダービーシャー『素数に憑かれた人たち リーマン予想への挑戦』(日経BP社)を読みました。著者の方は大学で数学の単位を数個取った方向けの本だと述べられていますが、それはおそらく欧米の教育システムでの話で、日本の教育なら大学の授業を受けていなくても高校レベルでついていけるくらい、懇切丁寧な解説が為されています。それで無理な部分は数学を専門にしないと細かいところまでのフォローはなかなか難しいでしょうので、高校生が数学や物理にはこんな面白いことがあるんだよ、ということを知るには良い一般向け啓蒙書だと思います。大栗先生の新書と一緒に物理の面白さを知るにもお薦めです。もちろん、大学教養の数学を一度勉強した方にもこの本は面白く読めるでしょう。本文にはこう書かれています。

 

……こんなふうに、初めて習ったときには見えない意味や姿が、他のことも知った中に置かれると見えてくることがある。見たところ抽象的な数学の世界が、具体的な意味をおびて見えてくるのはそういうときである。

 

リーマン予想とは、

 

「ゼータ関数の自明でない零点の実数部は全て1/2である。」というものです。

 

ゼータ関数は

$\zeta(s)=\sum_{n} n^{-s}$

で表される関数で、零点とは関数の値が零となる引数です。ゼータ関数は素数pを見つけるエラトステネスのふるいのような原理で、

$\prod_{p}(1-p^{-s})^{-1}$

と表される、素数と密接な関係のある関数です。もともとは素数定理

 

「充分大きなNに対して、Nまでの素数個数関数

$\pi(N)\sim N/logN\sim\int_{0}^{x} (1/logt)dt」$

となることを証明することに繋がる予想でしたが、素数定理の方は1896年にジャック・アダマールとシャルル・ド・ラ・ヴァレ・プーサンが証明しました。リーマン予想は現在でも未解決の問題となっています。ゼータ関数の応用としては量子力学の半古典的カオス系のモデルとなることがあり、その固有値、即ち零点の虚数部分はその系のエネルギー準位となり、素数の対数は周期的軌道に対応し、それらは時間逆転対称性を持たない不可逆なものになります。素数は量子力学だけでなく、情報通信の暗号の処理にも多大な役割を果たしていることが、リーマン予想の重要性を示しています。π(z)±πiとの関係を見ていると、円環の理も見えてきます(笑)。

 

リーマン自身の人となりを表している部分としては、以下のようなものがありました。

 

学者になったばかりの何年か、講義がリーマンには大きな難問だったことに疑いはない。聡明な知性や先を見通す想像力は、ふだんは表に出てこなかった。むしろ、その論証は大股で、リーマンほど頭が良くない者にとってはたどりづらかった。途中を詳述するよう求められると苛立ち、質問をした側の思考の遅さに合わせることができなかった……自分の進み方が速すぎるかどうかを学生の表情から判断してもみたが、それも悩みの種だった。何せ、自分にはどこから見ても当然だと思える点を証明してやらなければならないと感じさせるような表情を見せるのだ……

 

ベルンハルト•リーマンは純然たる「直観的」な数学者の例だった。この言い方には少々説明が必要である。数学者としての性格には大きく言って二つの成分がある。論理と直観である。一人前の数学者ならどちらもあるが、どちらかが優勢であることも多い。極度に論理的な数学者の例は、ドイツの解析学者、カール•ワイヤーシュトラウス(1815~1897)という、19世紀の後半に大きな業績を上げた人物である。ワイヤーシュトラウスの論文を読むのは、岩登りをする人を見ているようなものだ。一歩一歩、証明という足場をしっかりと固めてから、次の段階へと進む。ポアンカレは、ワイヤーシュトラウスの本には図が入っているものがないと言っている。実は一つだけ例外があるのだが、確かにワイヤーシュトラウスの、次へ進む前に注意深く根拠をつける精密な論理的進行と、幾何学的直観にはまったく訴えないところは、論理的な数学者の代表と言えるだろう。

リーマンはその対極にあった。ワイヤーシュトラウスが岩登りで、崖を少しずつ手順を踏んで進んでいくとしたら、リーマンは空中ぶらんこ芸人で、空中に大胆に身を投げても、空中のどこで目標に達するかには自信があって―見ている側からすると、しばしば危険なほど間違っているように見えるが―本人にはつかむべきものがあるのだ。リーマンには強度に視覚的な想像力があったことは明らかで、本人の頭の中では、ずばっと簡潔に結論に飛び移れて成果も伴っており、そのため、いったん足を止めて証明をしなければとは必ずしも思わなかった。哲学や物理学にも関心があり、そちらの分野について長い間じっくり考えて取ってきた概念五感を通じた感覚の流れ、それらの感覚の形式や概念への編成、導体中の電気の流れ、流体や気体の運動が、表面的には数学という形をとっているものの奥から顔を覗かせている。

 

数学者に限らず、研究者には皆当て嵌まる概念ですね。

 

 

素数の話を読んでいて思うのは、これを生物多様性と生物地理学の中立説を別の角度から見ることに使えそうだ、ということです。私は中立説に関しては同意するとかしないとかではなく、別の角度から解釈することを現在は考えているのですが、そこで見られる種と個体群の構造的違いに素数を用いた代数構造を当て嵌めれば、「種」の意義に関して一つの解釈が生まれるというものです。勿論データがない訳ではありません。

 

「種」の定義に関しては、

 

(I)「種」の客体が存在することが確実なこと

(II) 「種」の生物学的意義が解釈出来ること

 

の二点が生物学的に有用な定義をするのには重要です。「種」に否定的な方は(II)が理解出来ないあまり(I)に懐疑的になってしまう方が多いので、これらは並行して調べる必要があります。その(II)において、代数幾何学、位相幾何学、微分幾何学などが重要になってくるかも知れません。

 

Nine Zulu Queens Ruled China!

 

 

 

素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~
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データに基づいた科学

空間の概念は、19世紀の半ばでは既に確立されたものと思われていました。イマヌエル・カントの『純粋理性批判』により、空間は我々の心に付随して予め存在するものであり、これに沿って感覚印象が組織され、それは必然的にユークリッド空間となると思い込まれていました。ところが1854610日、ベルンハルト・リーマンは教授資格試験の講義で、「幾何学の基礎における仮説について」と題して非ユークリッド幾何学であるリーマン幾何学を提出したのです。非ユークリッド幾何学自体は1830年代にロバチェフスキーが提出したことがあり、ガウスは考案しながらも「頭の悪い連中からとやかく言われるのを恐れて」発表していませんでした。リーマン計量と言われる一般化された距離の概念を用いた多様体の概念を初めて取り入れたリーマン幾何学は、アインシュタインの一般相対性理論に応用され、現在では例えばGPSの基本技術になっていることは記憶に新しいことです。リーマン幾何学では曲率が0の場合に放物のユークリッド幾何学となり、正負の場合は楕円・双曲の幾何学となります。このことから、哲学的な思考のみで自然界の原理を見いだすのは、たとえカントのような人物でも大変難しいことが分かります。哲学的思考には誤謬がつきまとい、それを現実のデータに則して修正していかないといけないのです。

 

自然科学のうち物理学や化学の世界では豊富な実験データにより理論が高度に洗練されていますが、生物学の場合は対象の複雑性からまだまだ理論が荒っぽいままで、現実のデータに基づかない全くの形而上学の理論でも平気でまかり通ることもあります。しかし、それは勿論誤りを含むことが非常に多いのです。化学史を紐解いても、ニュートン化学というニュートン力学に基づく理論がラヴォアジエの定量性を持った精密な化学実験によって否定されていったことにより近代化学が誕生しました。化学の世界は重力ではなく電磁気力が主役なので、そうなったのは当然なのです。

 

「種」に関する混乱した議論を持ち出すまでもなく、私が研究していた大腸菌染色体の分配機構の研究においてもそういうことは起こります。私の師匠の実験データに基づく研究は最初の5年間ほどはいつもほとんど認められないのですが、10-15年のうちに他の研究者が焼き直しをする形でブレイクスルーを起こし、20年以上経てばそれが定説になってきました。理論を唱えるばかりで実験をしなかった人はその間にだんだん顧みられなくなるのです。生物学においても頭の中の恣意的な理論に基づくのではなく、データに基づいた議論が求められていることは今も昔も変わりありません。

 

 

 

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speciation

種の定義の一つとして、生物学的種概念「同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同一の種とみなす。しかし、同地域に分布しても、遺伝子の交流がなされず、子孫を残さない(=生殖的隔離が完了している)ならば、異なる種とされる。」というものがあります。この概念は無性生殖を行う生物には当てはまらず、未だに仮想的な概念だという人がいます。しかし、次の話を聞いたらどうでしょう。

 

「植物でも動物でも、雑種の細胞内の染色体は片親由来のものが選択的にほとんど脱落し、一倍体になるので減数分裂が出来ずに不稔になる。」

 

この話を聞いて、有性生殖を行う生き物では片親由来染色体脱落が生物学的種概念の分子的実体であると思いませんか?雑種である子供は片親の性質しか受け継がず、子孫も出来ないので遺伝子の交流がないのですから。定量的に考えるまでもなく、定性的に分かる筈です。

 

片親由来染色脱落の最初の報告は今から60年以上前、Bains and Howard (1950) Nature 166: 795.でのことです。片親由来染色体脱落機構の中でも特にCENP-A/CENH3というタンパク質が種分化を促すという説が提唱されたのも、Henikoff et al. (2001) Science 293: 1098-102. でのことです。最近ではChan (2011) Proc Natl Acad Sci USA 108: 13361-2.というものもあります。もう10年以上前から上のような説は取沙汰されており、私も1999年の12月にマウス雑種の染色体異常から旅を始め、Henikoffの論文が出た12年前には同じ結論に到達していました。

 

CENP-A/CENH3はヒストンのドメインが高度に保存され、N末が非常に速い進化を遂げていることで、「生物の多様性を担保するための普遍的なメカニズム」に正にぴったりと当てはまる分子なのです。CENP-A/CENH3が結合するセントロメア配列も、ゲノム再編やセントロメアの元となるテロメアやサブテロメア領域の次に進化の速い配列です。「種」とは同じような遺伝子の組み合わせを持つ個体(群)の集まりの訳ですから、機能的には極めて良く保存されていながら進化速度の著しく速いセントロメアやキネトコアに多様性の根拠となる何かが担保されていて当然なのです。他の生物ではどうかとか、輪状種は生物学的種概念が当て嵌まらないという人もいますが、詳細は省いて私はそれらの分子的実体を知っているつもりなので、有性生殖を行う生き物に普遍的な種概念は分かっているつもりです。「種」は社会戦略のアイデンティティの維持のために必要で、環境の安定性や変化に合わせて種分化の速度は変化するのでしょう。

 

それほど難しい話をしているつもりではないのですが、研究者3人に話せば2人からは高い評価を得られますが、未だに1人からは激しい拒絶反応が起こるのが現状です。この10年間に出た数十本の論文はこの説により矛盾なく説明出来るのですが、それでもなかなか一致した見解にならないところが学問の世界の良いところであり、悪いところでもあります。ただ63年間議論の対象となっていたのですから、そろそろ潮時ではないかと思います。私自身は細かいところではHenikoff博士やChan博士と意見が異なるのですが、一言で済ませてしまえば同意出来る訳です。何故こんなことが未だに分からないのか、という意見です。

 

 

 

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The First Nowell

42年前の今日、『ウルトラの星作戦』が敢行されたという情報が流れてきた。ナックル星人とブラックキングは怪獣図鑑を開いたら真っ先に抑えなければならない有名どころ。ブラックキングはレッドキングと兄弟だという訳の分からない設定があったが、あれは一体何だったのか。

 

私は21年前の今日はバルタザールの従者を演じていた。20年前から17年前の今日までは小麦粉を投げ合ってホワイトクリスマスだとか馬鹿なことをしていた。16年前の今日だけは真面目に聖歌を歌っていた。

 

今夜は“The First Noell” を紹介。


The First Noel,the Angels did say
Was to certain poor shepherds in fields as they lay
In fields where they lay keeping their sheep
On a cold winter's night that was so deep.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel!

They looked up and saw a star
Shining in the East beyond them far
And to the earth it gave great light
And so it continued both day and night.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel!

And by the light of that same star
Three Wise men came from country far
To seek for a King was their intent
And to follow the star wherever it went.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel!

This star drew nigh to the northwest
O'er Bethlehem it took its rest
And there it did both Pause and stay
Right o'er the place where Jesus lay.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel!

Then entered in those Wise men three
Full reverently upon their knee
And offered there in His presence
Their gold and myrrh and frankincense.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel! 

Then let us all with one accord
Sing praises to our heavenly Lord
That hath made Heaven and earth of nought
And with his blood mankind has bought.
Noel, Noel, Noel, Noel
Born is the King of Israel!

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大腸菌研究のその後

ハーバードのNancy Kleckner博士の話をしたのでネットサーフをしてみたら、ビブリオバトル発案者が中高のクラブの一つ上の先輩だったことを全く知らないままだったことと同じく、またまた寝ぼけたことをしていたのに気付きました。Nancy Kleckner博士が次のような論文を今年の五月に出していました。

 

Four-Dimensional Imaging of E. coli Nucleoid Organization and Dynamics in Living Cells. Cell (2013) 153: 882-95.

 

この論文では、今まで議論の分かれていた大腸菌ゲノムDNAの物理的性質と染色体分配について、大腸菌細胞の精細な四次元解析によりモデルを立てています。基本的には数式を使わない生物学的モデルですが、筆頭著者のFisherさんは(期間は重なっていませんでしたが)ハーバードで私と同じラボに在籍していたこともあり、物理畑の人なので多分に物理学的な概念でモデルが立てられています。実験技術が出揃えばばこのモデルが数値計算される日も来ることでしょう。

 

大腸菌の染色体DNAは螺旋状構造を取っていることは私たちのグループも六年前には発見していたのですが、それは論文にはならずに昨年別のグループが論文を出していました。Fisherさんたちはその様子を精細に解析した結果、次の三段階のモデルを立てました。

 

(I) Individualization:ゲノムDNAの塊がくっつく中で複製が起こり、塊が親染色体と姉妹染色体とに分画化する。

(II) Minimization of Radial Confinement: ゲノムDNAの構造が‘tether’ により繋ぎ止められることと解放されることを周期的に繰り返す。紐通しで服に紐を通すことを考えて下さい。

(III) Longitudinal Density waves: 細胞の長軸方向に染色体DNAの密な部分と疎の部分が振動する。振動はDNAの運動のグリースの役割を果たす。

 

これらの物理的モデルにより、大腸菌の染色体が二つの娘細胞に分配されることが達成されるとしたのです。驚いたのはIはともかく、II‘tether’ については私たちが八年前から研究していて六年前から投稿を続けるも未だに落とされ続けている論文の扱っているタンパク質がそれを担っていることで非常に上手く説明出来ることです。IIIについても、私も五年前ハーバードに行っていた時に染色体DNAの振動の現象をもう一人のGaladjaさんというポスドクの方と一緒に発見していました。これだけ研究内容が被っていて、‘tether’の概念以外は出そろっていたにも関わらず、一方はCellの論文、もう一方は六年間論文にすらならないという状況は、偏に論文の書き方の良し悪しに尽きるのでしょう。Nancy Klecknerさんの論文は完成までに時間がかかるが非常に精密な議論が分かりやすく記述されていて、大腸菌や酵母の研究者のみならず分子生物学者全員のお手本になることで有名なので、そのスタイルは真似するべきだと思います。私たちの論文はまずい論文の書き方とはどういうものなのかを知る反面教師となるでしょう。

 

また、大腸菌のプラスミド分配についてもNIHの水内清先生が新しい論文を出しておられました。

 

ParA-mediated plasmid partition driven by protein pattern self-organization. EMBO J (2013) 32: 1238-49.

 

こちらは私たちが提唱した反応拡散系モデルのバリアントのモデルを提唱しています。私がSopの振動の実際のタイムコースとアクチンのダイナミクスを元に初めて提案したCore complexの役割もこれだとよく分かります。Core complex自体は私が提案したSopASopBが等モルではなく構成するモル数に違いがあるようですが。またSopB内でのプラスミドの競争的排他作用は私が提唱したようには見られないようですが、これはSopBフォーカス内でのプラスミドコピー数がこちらの論文では二十五個以上だとかin vivoではあり得ない数になっているので、vitrovivoの違いもあるのかも知れません。いずれにせよ、研究が進んでいて嬉しい限りです。

 

懸念中の論文の一つはFisherさんの論文の仮想的分子の物を見つけた内容なので、一旦没データとした顕微鏡のデータと一緒に二つの小さい論文にならないか、Fisherさんの論文をよく読んで考えたいです。

 

 

 

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素数からゼータへ

土曜日は倉持裕さん作・演出のLike Dorothy』(M & O playsプロデュース)を大阪で観劇しました。まるで絵本の背景のような舞台装置で『オズの魔法使い』のドロシーとかかし・ブリキの木こり・ライオンにインスパイアされたキャラクターが現代日本風の軽妙な台詞さばきで織りなすコメディです。今回は初めてバルコニーから観劇しましたが、役者の方々の立体的な動きが平面上の舞台背景から浮き出て見えて趣がありました。倉持裕さんはすっかりメジャーになって、今度は竹中直人さんと『直人と倉持の会』を立ち上げるそうです。ですが大元のペンギンプルペイルパイルズの芝居もまた見てみたいですね。

 

観劇のあとは梅田にある日本最大の本屋である「MARUZEN & ジュンク堂書店梅田店」へ。本を購入するのはAmazonからになることがすっかり多くなってしまった今日この頃ですが、ネットで検索して本を見つけるのはやはり偏りが生じることもあります。本屋では自分が知りにくい分野の本を概観し、時には試し読み出来るので、本屋をぶらぶらするのは未だに魅力的です。私は大都市の機能としては劇場と能楽堂と本屋と古本屋しか利用していないので、大きな本屋があればそれで大満足です。

 

今回購入したのは知らない漫画数冊と、以下の数学の本でした。

 

ジョン・ダービーシャー『素数に憑かれた人たち』(日経BP社)

JH・コンウェイ『素数が香り、形がきこえる』(丸善出版)

小山信也『素数からゼータへ、そしてカオスへ』(日本評論社)

松本耕二『リーマンのゼータ関数』(朝倉書店)

竹内外史『層・圏・トポス』(日本評論社)

 

初めの二冊はエッセイ風で、数学者ではないが大学で数学の授業を少し受けた人がターゲットで、私にぴったりな本です。残りの三冊は発展的な内容の教科書です。素数は有限群の部分群の位数(元の数)や個数などに関わり、群の性質を表す上で重要です。素数はまた整数を構成する素粒子のようなもので、その分布や個数はゼータ関数と関係が深いです。もう少し分かりやすく述べると、『素数からゼータへ、そしてカオスへ』の冒頭にあるように、自然界の記述と数学の記述には次のような対応関係があります。

 

自然界   数学

古典物理学 素数定理の主要項

量子力学  素数定理の精密化

日常的世界 Re(s)>1, Re(s)<0

量子的世界 0<Re(s)<1

統一理論  リーマン予想

物質    ゼータ関数

素粒子   素数

波動的性質 零点のスペクトル的解釈

 

となります。私は数学について研究はおろか勉強もパッパラパーですが、年をとって経験を積めば、素数の性質が自然界の理解に重要であることがだんだんと「見えて」くるのです。それで最近は素数に興味がある次第です。素数の研究が出来る訳ではありませんが、教養として自然界の基本法則を知る上で素数は重要な手がかりとなっています。

 

素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~
John Derbyshire, 松浦 俊輔, ジョン・ダービーシャー
日経BP社(2004/08/26)
値段:¥ 2,730


 


素数からゼータへ、そしてカオスへ
小山 信也
日本評論社(2010/12/07)
値段:¥ 2,625


 
リーマンのゼータ関数 (開かれた数学)
松本 耕二
朝倉書店(2005/11)
値段:¥ 3,990


層・圏・トポス―現代的集合像を求めて
竹内 外史
日本評論社(1978/01/20)
値段:¥ 3,885

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生物学における構造の重要性

ここ一ヶ月のほどの間に染色体の構造に関する論文が立て続けにNatureScienceに掲載されました。

 

1. High-Resolution Mapping of the Spatial Organization of a Bacterial Chromosome. Science 342: 731- 734. (2013)

 

2. Organization of the Mitotic Chromosome.Science 342: 948-953. (2013)

 

3. Accelerated growth in the absence of DNA replication origins. Nature 503: 544-547. (2013)

 

1本目の論文はCaulobacter crescentusという真正細菌のモデル生物を用い、真正細菌の染色体DNAの空間的位置関係を示したものです。ここではHi-Cという、染色体DNAの構造を調べる3C法と次世代シーケンサーを組み合わせて用いた方法でゲノムワイドな解析を行っています。3C法はHarvardNancy Kleckner博士たちが開発した方法ですが、ここに来て様々な発展を遂げています。その結果、染色体のドメイン構造のうちHUはスケールの小さい構造を、SMCはスケールの大きい構造を形成し、それらは染色体の複製に伴って再構築されていることが分かりました。ドメイン構造の境目は発現量の高い遺伝子により形成されていることも示唆されています。

 

2本目の論文はヒト培養細胞で染色体DNAの構造をこれまたHi-C法と5C法で解析し、染色体の空間上の分画化は細胞周期の間期特異的で、分裂期にはDNAがある程度ごちゃ混ぜになり、それが連続的なクロマチンループとして軸上に凝縮された構造になっていることをシミュレーションで示しています。

 

3本目の論文はイギリスで私と研究所の同じ居室にいた人たちが著者なのですが、Haloferax volcaniiという古細菌で4つの染色体複製起点を全て除くと増殖が却って速くなり、DNA組換え依存的に複製が染色体上のありとあらゆる場所から起こりうることを示した、不思議な論文です。このグループでは以前、別の人が出芽酵母で染色体の複製起点を除く実験をしていたのですが、出芽酵母の複製起点は多数あるのでそのような実験のデザインは根本的に無理があると思っていました。古細菌の複製起点は数が少なく、またDNA複製のシステムは真正細菌よりも真核生物に似ているので古細菌のタンパク質ネットワークは真正細菌と真核生物のもののハイブリッドになっています)、モデルとして適切だったのでしょう。複製と組換えの関係は私も全く別の方向から考えていたので、さもありなんという思いです。今後の発展によっては染色体の複製起点という構造の持つ意義が見えて来るのではないかと思います。

 

この3本の論文からは、染色体の構造なりトポロジー(位相)なり層(数学用語)なりで、意外な発見がこれからも次々と出て来ることが伺えます。そもそも生物学においての「構造」の議論は、とても幼稚で稚拙なものが多いので、新しい発見の宝庫なのです。ゲノム上の遺伝子の位置関係や複製起点/複製終点/プロモーター/ターミネーターの種特異的構造、イントロンやリピート配列、ユークロマチンやヘテロクロマチンの特徴について、個々の生物で何故そうなっているのかを説明出来る人は皆無であることから見てもそれは明らかでしょう。個体群はいいとして、「種」が本当にあるのかないのか、という議論がまだ続いていることもあります。「構造生物学」という分野もあるのですが、それはタンパク質レベルの構造を扱っているだけで、細胞内小器官以上の階層では何が何だかさっぱり分からない状況なのです。名前に騙されてはいけません。元来、「構造」は「反応」とともに「物性」を理解するのに必須で、物理化学では量子力学が構造、統計力学は反応を担当しています。これらが別れて研究が進み始めたのがフランスのラヴォアジエの時代です。生物の「物性」を理解するための、「反応」を担当する相互作用の研究は分子生物学でも生態学でも進んでいます。しかし、「構造」に関してはほとんど何も分かっていないと言っていいでしょう。生き物の構造解析をする上で、構造の概念化や位相幾何学・層に基づく理解が進んだ時に、生物学の革命は起こるのだと思います。

 

 

 

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かぐや姫の物語

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観ました。原作に比較的忠実なストーリーを、高畑監督独自の解釈で仏教に対するアンチテーゼとしての性格を前面に押し出していて良い作品でした。まずアニメとは思えないキャラクターの多彩な動きに圧倒され、それを観ているだけでも137分は持ちます。高畑監督は声優が台詞を喋るのを録音した後にアニメを作っているそうですが、だからこそ微妙な表現が可能で観る者を圧倒します。ヤマセミやスズメ、ホオジロなど鳥の描写も味がありましたし、また女童は非常にいいキャラクターでした。

 

『竹取物語』には仏教的な要素があり、天人が登場するのもその一つでしょう。天道は六道の一つでその最上位であり、そのすぐ下位が人道になります。快楽に満ちて苦しみはありませんが、悟りは開いていないので輪廻はまだ起こります。原作では天の羽衣を着て苦しみがなくなったため翁や媼のことを忘れてしまうのは、この天人としての性格からです。このアニメにはないのですが、原作では最後に帝が赫映姫から貰った不死の薬を駿河の山で燃やしてもらい、富士山の名前の由来になった話があります。仏教では天人も不死ではない筈なので混同もあると思うのですが、このラストにより、『竹取物語』には仏教のテーゼとアンチテーゼの両方を示す二重構造が見られるのです。この微妙なロジックは如来と菩薩との関係にもあります。如来は天にあるので、衆生を救う為には菩薩が現世で働かねばなりません。救うという行為は悟りを得た如来よりも一段下にある修行中の身でなければ出来ないという仏教の微妙な論理がここにあります。高畑監督の描く「煩悩」の素晴らしさは、『竹取物語』の煩悩と悟りによる二重性を、まだ煩悩に捉われることもある天人であるかぐや姫によって上手いこと描かれています。客の入りは今一のようでしたが、隣の女の子たちが映画を観て泣いていました。『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』のように外国でうける要素はあると思います。『風立ちぬ』との同時上映の話もありましたが、古代と近代の日本とその舞台は異なりながら、時代を越えた普遍的なテーマと郷愁を描いている点でお互いに通ずるものがあり、これらの二作品を続けて観るのはありだと思いました。

 

竹取物語 (岩波文庫)
阪倉 篤義
岩波書店(1970/01)
値段:¥ 441


 

 

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円環の理

1026日に『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観て来ました。話の途中で結末が読めるような気がしたのも束の間、それもひっくり返る虚淵玄さんの手法もさることながら、映像美術も映画なのでTV作品以上に精密な部分と抽象化された部分が混じり合った秀逸さでした。話も仏教とキリスト教が混じり合った世界観の中できちんと回収して終わらせていたので良かったです。かなりの傑作アニメであることは疑いようもありません。TVシリーズが文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞しているのは当然でした。

 

映画の中のキリスト教的要素を話すとネタバレになるので、ここでは仏教的要素を話した後、キリスト教との相違点と共通点を書きます。『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズの中では「円環の理」という概念が出て来ます。それはまどかの願いによって世界の法則が書き換えられ、力を使い果たした魔法少女が魔女とならずに消滅することとなった世界のことです。これは仏教における輪廻転生からの解脱に似ています。「祈り」と「魔法少女」、「呪い」と「魔女」の関係も仏教の縁起の考えに似ているのですが、「円環の理」も多分に仏教的な解脱の方法と考えられます。消滅の代わりに復活するのが、キリスト教ですね。

 

古典における実際の縁起などの仏教思想の現れには、例えば以下のものがあります。『今昔物語集 巻第二 流離王、釈種を殺せる語 第二十八』では、「縁起」に基づいた諸行無常・諸法無我の考えが非常に大胆に描かれています。キリスト教では天国に行くか地獄に堕ちるかは自己の判断で左右出来る部分が大きいですが、仏教では諸行無常・諸法無我の考えにあるように、縁起という諸法の大きな流れの中で生かされている生きとし生けるものにはどうにもならない流れがあり、それを自覚してなお、生きる道を探すという違いがあります。それが「祝福」であるところは仏教とキリスト教(『ファウスト』など参照)とは共通で、ブッダも『ダンマパダ』や『ウダーナヴァルガ』の中でそう述べています。手塚版ブッダではルリ王子の物語は人災のように描かれており、悟りを開いた後もなお迷い苦しむブッダがいましたが、本来の仏教でのブッダがここにあります。能では似たような思想が底流にある演目に『善知鳥』という、猟師の霊が現れて殺生をした罪で地獄に堕ちていると訴え、我が子に近づこうとするが、子鳥と親鳥と引き離した報いで近づけず、鳥を捕える様子や地獄の苦患を見せ、救いを求めつつ消え失せるものがあります。能には演劇的趣向がありますが、テキストだけで比較すれば『善知鳥』よりも今昔の話の方がずっと深いように思われます。南方熊楠も重宝していた所以でしょう。

 

近年話題になった『ハリー・ポッター』シリーズには、シリーズを最後まで見ればキリスト教的要素があることが分かるでしょう。イギリスには『指輪物語』や『ナルニア国物語』以来のファンタジー小説の伝統がありますが、『ハリー・ポッター』は力をあまり使わず捨てることなど、扱っているテーマが『指輪物語』の後継として現代風に翻案されたものでしょう。学者であるトールキンの『指輪物語』には元々言語学や神話、宗教が積み重ねてきたものが取り込まれていますが、『ハリー・ポッター』にはその入口としての要素があるので、『指輪物語』と同じくキリスト教的要素が見られるのも当然なのです。ハリーとスネイプとの関係などは、物語の核心に触れる重要なものです。小説は1巻しか読んでいませんが、その映画以上の詳細な世界観の広がりは『指輪物語』にクエストやアドベンチャー的要素を強めたものをミックスしたものなので、映画よりもさらに面白いです。『指輪物語』のエンターテインメントとしての『ロード・オブ・ザ・リング』はともかく、『指輪物語』という小説自体は読むのに挫折する人も多いですが、『ハリー・ポッター』なら大人にも勿論読み応えのあるその哲学に多くの人が簡単に触れることが出来るでしょう。ハリーの成長と共に子供たちも歩んで行けると思います。

 


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あだちしゅんという人物の音楽志向性における中立説

あだちしゅんという人物の音楽志向性における中立説

あだちしゅん

住所:阿波水軍

Running Title: あだちしゅんと音楽

キーワード:音楽志向性の中立説

 

概要

あだちしゅんをモデルにヒトの音楽志向性のモデルを考察した結果、あだちしゅんの音楽志向性は中立説に従った二つのモデルで説明可能だった。これはあだちしゅんが阿呆であることを示している。

 

イントロダクション

ヒトの音楽志向性がどのようなメカニズムで生まれるかについてはまだよく分かっていない。本研究では誰でも手軽に行えるMicrosoft Excelを使用した解析により、ヒトの中でも特にあだちしゅんという個体の示す音楽志向性についてのメカニズムを考察する。

 

 

方法

まずあだちしゅんのiTunesの中に20131016日現在含まれる音楽のジャンル分けを利用し、ジャンルごとの曲数を数え上げる。次にMicrosoft Excelの近似曲線のモデルを利用してモデルへの当て嵌まりを計算する。

 

 

結果

 

全ての曲を用いた解析からはメジャーなジャンルとマイナーなジャンルで異なるモデルが適用される

各ジャンルに含まれる曲数はロック908、クラシック502、鳥の鳴き声283インディーズ101、オルタナ91ポップ80サントラ57エレクトロニカ46ニューエイジ36メタル15ホリデイ15R&B 9レゲエ8ジャズ3であった。

iTunesに含まれていた2154曲全てを使い曲数の多い順に並べた計算では、線形・対数・多項式・累乗・指数近似とも特にメジャーなジャンルでのモデルの当て嵌まりが良くなかった。移動平均を用いた場合、2区間のみで計算した場合に当て嵌まりが良くなった(図1)。メジャーなジャンルはロック、クラシック、鳥の鳴き声、インディーズで、その他のジャンルはマイナーなモデルに当て嵌まることが考えられた。

 

 

1

 

メジャー・マイナーなジャンルのモデルは対数近似が良く当て嵌まる

メジャーなモデル・マイナーなモデルとも線形・対数・多項式・累乗・指数近似のうち対数近似が良く当て嵌まった。メジャーなジャンルではR2~1.00、マイナーなジャンルではR2~0.96だった。また曲線の傾きはメジャーなジャンルの方がマイナーなジャンルよりも急だった(図1)。

 

 

考察

全てのジャンルでの解析からはメジャーなジャンルとマイナーなジャンルでは別々のメカニズムであだちしゅんの音楽志向性が生まれると考えられる。メジャー・マイナー個別の解析からは対数近似がよく当て嵌まることから音楽志向性の中立説が適用出来ることが示唆される(図2)。音楽志向性の中立説とはHubbell (2001) の生物多様性と生物地理学の統合的中立説のアナロジーを音楽志向性に当て嵌めた概念である。これは音楽ジャンルごとに個別の志向性をあだちしゅんが持っていなくても、個々のジャンルの既に保持している曲数に応じて次に購入するアルバムのジャンルが決まって来るというものである。重要なのはマルコフ過程に基づく確率論的に購入するアルバムが決まって来るということである。オリジナルの中立説はゼロサムゲームを仮定しているが、これはトータルの曲数が時間に依らずほぼ一定であれば良いので、たとえ曲の収容力に変化があっても対象のレパートリーが曲でほぼ飽和していれば良いことになる。全曲数が2154、アルバム数が160枚でアルバム数は時間ごとに微増しかしないことから、次の購入アルバムをどのジャンルのものにするかは近似的に空いているアルバムスペースを埋めるゼロサムゼームと見ても良い。依って、niをジャンルiの曲数、neuをパラメーター、phiを同じ曲数のジャンル数、ri(k)をジャンルiが曲数kの時の相対的頻度、移動度m=0と見て良い。

 

 

2

 

メジャーなジャンルのモデルとマイナーなジャンルのモデルは異なり、前者の方がモデル曲線の傾きが急なことから、あだちしゅんはロック・クラシック・鳥の鳴き声・インディーズについては同様に興味を持ってアルバムを購入しているが、他のジャンルはそれ程でもないことが伺える。

 

以上のことから、あだちしゅんは二値的でジャンルごとの違いですら大して考慮出来ていないモデルでその音楽志向性を説明出来ることにより、単なる阿呆であることが推察される。またそれが間違っていたとしても、間違ったモデルを提唱するあだちしゅんは阿呆であることが推察される。どちらにせよ、あだちしゅんは阿呆である。

 

 

結論

あだちしゅんは阿呆である。

 

 

謝辞

あだちしゅんのCD・ソフトウェアの購入費についてはAA氏、日本学術振興会、京都大学、情報・システム研究機構並びに徳島大学からの給与にお世話になった。

 

 

参考文献

Hubbell SP (2001) The Unified Neutral Theory of BIODIVERSITY AND BIOGEOGRAPHY.

 


 

 

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ミンストレル

西洋音楽と日本音楽の歴史を徒然に綴ってみようと思います。西洋音楽には古代よりの理論的背景があり、音の高さが明瞭にある楽音から構成されていますが、日本などその他の地域の音楽では噪音という周期性が不規則な音も利用するという違いがあります。能の地謡などは噪音を多用しますね。音楽には元々魔術・呪術的機能、宗教儀式、労働の促進行為、求愛行為としての機能がありましたが、西洋近代になって初めて芸術的機能が付与されました。ここではまず古代ギリシャから話を始めようと思います。

 

古代ギリシャの音楽はムーシケーと呼ばれ、musicの語源となりました。ギリシャ時代の音楽は詩と音楽と舞が一体となった演劇の一部として認識されていました。つまり西洋音楽は最初、インストゥルメンタルという訳ではなかったのです。その後、近代音楽の発展とともに音楽の独立性が担保されていきました。この時代にはピタゴラスが協和音の数理による理論を立て、音楽理論の走りとなりました。ギリシャの音階にはミクソリュディア、リュディア、フリュギア、ドリス、ヒュポリュディア、ヒュポフリュギア、ヒュポドリスの七種類の音階が知られています。民族名が名称に使われているように、民族を代表する音階があったのです。中世ヨーロッパでは音楽はミサにおいて重要で、カロリング朝のピピン3世やシャルルマーニュなどがグレゴリオ聖歌などをローマから取り入れました。音楽が独立して発展するには15-16Cルネサンスを待たねばなりません。ルネサンスでは音楽はギリシャ時代の数理に基づくものから耳で直接聴いた主観に基づくものに変化し、5度、4度の協和音以外に3度や6度の不協和音とされていた和音も協和音として捉え、教会旋法も8から12に増えました。声部も3声からソプラノ・アルト・テノール・バスの4声になります。これらのことで音楽性に幅が出てきました。

 

バロック時代は16C—1750までとされています。この時期の音楽を表現する言葉として躍動感、対照、ドラマティック、情緒性などがあげられます。教会旋法から長調・短調の和声的な世界になってきたのです。オペラが生まれたのもこの頃で、ヴィヴァルディなどの作曲家がいました。声楽によらない器楽が生まれたのもこの頃で、音楽が宗教から独立してきました。ソナタ形式、コンチェルト形式においてはヴィヴァルディの他にヘンデル、J.S.バッハなどが活躍しました。バッハは対位法や声部書法、機械性で有名で、代表作はアルンシュタット/ミューハウゼン時代にトッカータとフーガ(BWV565)、ヴァイマル時代に<<ブランデンブルク協奏曲>>、ケーテン時代は傑作多数、ライプツィヒ時代に<<マタイ受難曲>>などがあげられます。これに対してヘンデルは旋律、和声、人間性において次世代の音楽としての評価が高かったです。1720-80までは前古典派の時代で、その分かりやすさ・単純性、上旋律優位、強弱・クレッシェンド・デクレッシェンドなどの多用、主調から属調、属調から主調への二部ソナタ形式で特徴付けられます。映画『アマデウス』に登場するサリエリなどはこの時代の人ですね。

 

1780年代から1820年代までは古典派の時代です。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどが含まれますが、モーツァルトは前古典派、ベートーヴェンは次のロマン派的な音楽も作曲しています。ハイドンは声楽で有名で、他<<ロシア弦楽四重奏曲>>なども作曲しています。交響曲が成立したのもこの時代で、ハイドンの作品には<<四季>><<天地創造>>などがあります。モーツァルトはピアノ協奏曲で有名で、フリーメーソン劇の<<魔笛>>でも作曲をしています。劇音楽では<<フィガロの結婚>><<ドン・ジョヴァンニ>><<レクイエム>>などが有名です。ベートーヴェンはピアノ、交響曲、オペラの音楽を作曲しています。ピアノ曲<<月光ソナタ>>、劇的・英雄的な交響曲<<エロイカ>>オペラ<<フィデリオ>>、動機的展開を見せる交響曲<<運命>><<田園>>、歌謡的・叙情的なピアノ協奏曲<<皇帝>>などを作曲しています。ベートーヴェンはその後ロマン派音楽と対位法・変奏という相矛盾した傾向を併せ持つ作曲を行うようになります。

 

19Cから1910まではロマン主義の時代でした。18Cまでの音楽は啓蒙主義を司る王室や貴族の特権でしたが、市民革命や産業革命を経てブルジョワたちが理解できる民衆の音楽が望まれるようになったのです。ロマン主義の先駆けはエマヌエル・バッハやモーツァルトに見られます。シュトラウス、ドビュッシー、シューマン、ショパン、シューベルト、ブラームス、メンデルスゾーンなどクラシックで有名な作曲家はこの時代の人が多く、マーラーまで連なります。シェーンベルクやストラヴィンスキーからは20世紀音楽となります。ロマン主義は器楽が中心で抒情的に長く歌うような旋律でした。リズムは変化に乏しく、短調や転調が増え、シャープやフラットが多用されていました。また半音階的傾向も見られます。テーマ性を持った「標題音楽」が顕著で、ベートーヴェンの<<田園>>、ベルリオーズの<<幻想交響曲>>などがあたります。オペラではヴァーグナーが<<トリスタンとイゾルデ>><<ローエングリン>><<ニーベルンクの指輪>>を発表しています。シューベルトはピアノの使い方が上手く、抒情的旋律が特徴で、和声の彩り方にも優れていました。<<魔王>>などが代表作です。シューマンは音楽的なものと文学的なものが混じり合ったところが魅力的です。<<謝肉祭>>などピアノ小品集があります。ショパンはピアニストとして有名で、民族的音楽を取り込み和声に斬新性がありました。リストもピアニストで、曲の構成や和音の手法に特徴があり、<<ファウスト交響曲>>が代表作です。ブラームスは新古典派に属し、中世のフリュギア旋法を用いて全音階主義への復帰を果たしました。ドヴォルザークは<<スラヴ舞曲集>>で有名です。その他にもブルックナー、チャイコフスキー、グリーグ、シベリウス、マーラーなど有名なクラシック作曲家が大勢登場しました。マーラーはソナタ形式の解体と20世紀的表現主義の達成を行い、ロマン主義の時代は終わりを告げます。この頃R.シュトラウスは<<サロメ>><<エレクトラ>><<ばらの騎士>>などのオペラを、ドビュッシーは教会旋法、5音音階、全音音階、付加音の付いた和音、平行和音、平行音程の多用、不協和音の連続的使用、バリエーションあるリズムなど独自の境地を開いていて素晴らしいです。

 

20Cの音楽は激動の時代で、印象主義から表現主義や原始主義への復帰が行われました。調性や機能和声が崩壊し、モダニズムやフォーヴィズムなどの芸術運動に影響を受けました。ストラヴィンスキーやバルトークなどはこの系統です。ストラヴィンスキーはバレエ<<火の鳥>><<ペトルーシュカ>><<春の祭典>>などで作曲を手がけ、その後の原始主義は1910年からの僅か数年間だけ栄えました。未来派の機械音楽、ダダイズムやシュールレアリズムの影響を受けたサティとコクトー・ピカソ・マシーンの協同作業、フルクサスの一環のアメリカ実験音楽、ロシアのアヴァンギャルド、ストラヴィンスキーの新古典主義<<プルチネッラ>>、小さな音楽、新ロマン主義、スペクトル音楽、ニュー・コンプレキシティ、十二音技法の流行などとてもフォロー仕切れません。これに加えて大衆曲の興隆もあります。市民革命後に音楽が時代を反映してきた結果がこれだとしたら、今後音楽の方向性がより人類普遍的なものに収束することはあるのでしょうか。

 

 

 

一方の日本で「音楽」という概念が確立したのは明治時代に西洋音楽の概念が入ってきてからで、それまでは雅楽や各種伝統芸能の一部としてその存在が別個に認識されていました。古代邦楽の雅楽は平安時代に確立しましたが、原型は聖徳太子の時代に江南地方から伝わった伎楽で、701年の大宝令で雅楽寮が設立され、東アジアの民俗音楽を中心に、のち東南アジアの民俗音楽も扱うようになりました。奈良時代には西域楽や天竺楽が中国の胡楽を経て日本に伝わり、その楽器のうち名品は正倉院に保管されています。万葉集にも当時はメロディーが付いていた筈ですね。

 

中世の邦楽は今様の流行から三味線が現れるまでとされています。このうち代表的な能楽は室町時代に成立した能(詩劇)と狂言(喜劇)を合わせた音楽劇で、明治時代までは猿楽と呼ばれていました。原型は唐から伝来した散楽にあり、密教の呪師の要素も含まれ、狂言的な秀句と祈禱劇の式三番を合わせて大成しました。室町時代の観阿弥・世阿弥父子はご存知だと思います。能楽の流儀にはシテ方・ワキ方・狂言方・囃子方があります。シテ方は端正な観世、質実な宝生、古風な金春、華麗な金剛、武士道精神を現す喜多の各流儀があり、ワキ方は高安・福王・下掛リ宝生、狂言方は大蔵・和泉の流儀があります。囃子は能管・小鼓・大鼓(ともに亡霊を表現する)・太鼓(超自然を表現する)を使用します。能楽についてはこのブログでも何回か紹介してきました。私は特に『山姥』という演目が好きです。

 

能楽への招待

若手能

山姥

能面、シアターアーツ

能とファンタジーに想う

 

三味線が普及する近世の17Cからは、歌舞伎や人形浄瑠璃が発達しました。歌舞伎は南北朝時代の悪霊払いの風流踊りが原型で、江戸時代初期には有名な「出雲の阿国」がややこ踊りを披露します。これがかぶき踊りとなります。風俗上の理由から1629年の女流歌舞伎の禁止、1652年の若衆歌舞伎の禁止を受けて歌舞伎界が生き残りを図って現在の野郎歌舞伎の流れになる訳です。人形浄瑠璃は語りと三味線が一体となり、能楽と同じく散楽の中の傀儡回しが原型です。

 

日本では1850年頃から西洋音楽の伝来により、やっと音楽という芸能が独自のジャンルとして認められるようになります。最初は軍隊や学校で普及しますが、やがて<<四季>><<荒城の月>><<メヌエット>>の滝廉太郎、山田耕筰のような作曲家が登場します。西洋音楽の技術は民謡の採譜にも役立ちました。「音楽」という概念が出来てからその発展は西洋音楽の発展と同時並行で起こり、柴田南雄・一柳慧・武満徹らの活躍は記憶に新しいことです。あと、琉球やアイヌの人々は独自の民俗音楽を持っていることも記しておくべきでしょう。

 

増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで
片桐 功, 楢崎 洋子, 岸 啓子, 三浦 裕子, 茂手木 潔子, 久保田 慶一, 白石 美雪, 塚原 康子, 長野 俊樹, 吉川 文, 高橋 美都
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大学入試における人物評価の重視について

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/20131011k0000m040148000c.html

 

大学入試を人物評価重視にした場合、考えられる問題点は4つ。

 

1)面接に関しては誰が見てもコミュニケーション能力のない人を足切りするのには役立つが、これを重視すると口先だけ上手いちゃらんぽらんな人物が幅をきかせるというのが大学入試面接官の現場の声。口先だけの人が口先だけの人を引き立てる、悪循環に陥りやすい。

 

2)2次試験を廃止して複数回受験可能な入学試験と高校在学中の基礎学力試験の2つの試験制度に切り替えるのでは、受験生の受験による負担が大幅に増加するのは必至。

 

3)1点刻みの一発勝負を変えるというが、試験の一時的な出来不出来で当落線上を上下するような学生はたとえ受かってもその後が続かない。大学により差こそあれ、東大京大の二次試験は暗記・記憶中心ではなく公務員試験などよりも遥かに高度な思考力が問われる。米国の入試よりも客観的だとされる二次学力テストを何故廃止するのか理解出来ない。現行の一次試験だけでは平均レベルの学力の差別化は出来るが、高いレベルの学力を持つ学生はほとんど満点になって差別化出来なくなるのは日本でも米国でも同じ。

 

4)以上のことより米国入試のように論文や研究、課外活動を重視することに本腰を入れないと(それでも主観的だが―米国の主観的入試はそもそもユダヤ人差別や公民権運動などが下地になっていて、学力とは関係ない)、選抜システムが崩壊する。新しい選抜システムは負担が大幅に増加するので、人材や費用はどこが負担するのか。

 

参考米国の大学入試:大栗博司のブログhttp://planck.exblog.jp/18878659/

 



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厨二病的勉強

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佐藤 文隆, 小玉 英雄
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。。。寝よう。
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明日なき暴走

『大栗先生の超弦理論』を読んで、数学・情報学・物理学・地質学・化学・数理生物学の演習を一通りやってみる気になりました。目標がはっきりしていると、勉強は進みやすいものです。線型代数学の復習をしていて、Grassmann代数や双対空間・随伴写像などはすんなりと頭に入りました。知恵が無くても、知識が増えると途端に見通しが良くなるので、学部生の頃よりも分かりやすい気がします。『大栗先生の超弦理論』で触れたもので残るのは『集合と位相』の教科書に登場するコンパクト性なのですが、これは超弦理論の余剰次元を説明するのに重要な概念です。このコンパクト性については、学部の線型代数学の授業で聞いたことがあります。本来は2回生くらいで習う線型代数よりもアドバンストな内容なので線型代数学の教科書には載っていないのですが、私達の線型代数学を担当されていたクラス担任の先生は授業の途中に突然脱線して、コンパクト性とは何かについて板書で延々と語り出されました。私達は訳も分からず呆気に取られてあれは『明日なき暴走』だと思っていました。

ブルース・スプリングスティーンは何故か私と誕生日が一緒なので、アメリカンロックのアーティストの中でも印象が残っています。その担任の先生とはいつも授業の合間に廊下で煙草を吸っておられる側をすれ違って軽く会釈するだけの間柄で(当時はまだ分煙が進んでいませんでした)、進路相談等もしたことはなかったのですが、随分とロックな授業をされるものだと思っていました。その先生は今では代数学賞も受賞されて既に退官されておられますが、その時に熱演されたコンパクト性が如何に重要な概念だったか、ここ5年くらいで急に分かって来た次第です。


学部の物理学基礎通論の授業ではおそらく初めて1回生の担当をする教官の方にあたって、前期は一生懸命授業をされておられたのですが、期末試験の成績が皆悪かったためか後期は急にやる気がなくなって、試験も板書の内容がそのまま出ただけになっていました。その先生が実は超弦理論の研究をされていると知ったのもここ5年くらいの間です。こういうことを知ると、学部の時代に超弦理論を研究出来るような大きな流れが実は整っていたことを感じます。

 

私は大学1回生の数学の成績自体は割と良かったですし、どういう計算をされたのか分かりませんが物理学基礎通論の授業も100点でした。しかし試験の成績がどうあれ、自分には数学の才能はないのは分かっていたので、物理学の道には進みませんでした。数学の道がどの分野にも増して厳しい道である事はいろいろ聞いていたので、数学も使って生き残って行くのにはその程度の出来ではだめなことは分かっていたからです。そんな訳で生物学の道を歩んでいる訳ですが、この年になってもやはりきちんとした学問をきちんと勉強したい、1回生の授業での「暴走」には実は明日があったのだ、と思うこの頃です。

 

理系のための線型代数の基礎
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黒澤明『夢』を約20年ぶりに観ました

黒澤明監督の『夢』を約20年ぶりに観ました。最初観た時は小学生か中学生だったので、寺尾聰が着色された放射性物質を服で薙ぎ払っている場面しか記憶に残っていませんでした。あれはどういう映画だったかとふと思ったので、観てみました。内容は自然の本質に横たわる理不尽さと美しさを、8つの夢の話によるオムニバス形式で描いたものです。自然の本質と言ってもそれはクロサワ独特の自然観に基づくもので、芸術的ではあっても自然科学に基づいたものとはなっていません。映像美術や人の視線を意識したカメラワークは素晴らしいものですが、生物多様性に関する研究成果が生かされている訳ではありませんし、原子力エネルギーに関する描写も現実的ではないものになっています。最後の経済的繁栄を捨てたがまだ発展途上のユートピアの村では薪を使って火を起こしていることになっていますが、これでは現実の発展途上国と同じく森が消失して行くことになってしまうのも人類学的に問題があります。それでテーマの妥当性よりも映像芸術を楽しむものだと思いました。

 

ただ、ラストで村に辿り着いて息絶えた旅人の墓所を示す石に誰ともなく花が手向けられるシーンがあり、夢の中の「私」も最後に花を手向けて旅立つのですが、こういう死生観は非常に古典的で共感出来るものでした。ゲーテの『ファウスト』では「祝福された者」を意味するファウストは、どのような状況下でも絶えず前に歩み続ける姿勢自体が「祝福」を現しています。命を失ってもう歩み続けることが出来なくなった者と異なり、生きていればまだ歩み続けることが出来るということが「祝福」なのです。これは物語の終盤で歩みを止めることを決意した瞬間に悪魔に魂を奪われてしまったことにも通じます。『夢』でも、今ではその存在すら忘れ去られようとしている誰かの「祝福」が尽きた地で、祝福されている「私」がそのことに花を手向けてまた歩み続けることが、古典的な意味での死生観に通ずると思うのです。昔の私は『ファウスト』も『シュトヘル』もまだ読んでいなかったので、ファウストなりユルールなりも知らなかったのですが、今改めて『夢』を観て、アジア系アニメに応用されていそうな風景の中にそのような死生観を見出したことにある種の「祝福」を感じました。マーティン・スコセッシ監督が何故か英語を喋るゴッホを演じていたのはご愛嬌でした。

夢 [DVD]
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ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)
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A Comment on: Role of Genetic Reproductive Barriers Questioned

An early publication in PNAS suggests genetic reproductive barriers as long-held assumption about emergence of new species but the assumption is questioned http://bit.ly/17GVAUR.Using data sets from prezygotic and postzygotic isolation of Drosophila, and postzygotic isolation of birds, they show no correlation between the rate of speciation and that of reproductive isolations (RIs). They concluded microevolutionary process such as accumulation of RI factors is different from phylogenetical macroevolution.This is quite confusing interpretation. For simplicity, let me concentrate on postzygotic isolation. Postzygotic isolation can be classified into several different processes: failure in meiotic recombination based on SNPs of population (linear model of RI assumed), chromosomal translocation, and hybrid incompatibility by a few major factors etc. The first two apparently have nothing to do with asymmetry of phylogenetic trees, even though chromosomal translocation is resulted in 50% incompatibility of hybrid offspring. To my knowledge, hybrid incompatibilities more than 90% can have possibility contributing the asymmetry/speciation. The PNAS paper analyzed incompatibility mainly within the range from 0% to 90% incompatibilities, suggesting the data is affected heavily by failure in meiotic recombination, which is not related to speciation. In order to have an insight the authors wanted to show, they should define and distinguish microevolution and macroevolution processes first based on molecular mechanisms lying behind.
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貴婦人と一角獣展

8/14に、大阪の国立国際美術館で催されている『貴婦人と一角獣展』を観てきました。『貴婦人と一角獣』のタピスリーは、1500年頃に北フランスからネーデルラントにかけての地域、若しくはパリでル・ヴィスト家の発注で「アンヌ・ド・ブルターニュのいとも小さき時禱書の画家」により制作されたものと考えられています。中世ヨーロッパ美術の最高傑作に数えられ、「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」という人間の五感の寓意と、「我が唯一の望み」という「愛」「知性」「結婚」など様々な意味が推定されている六つのタピスリーからなる連作です。1973-1974年にニューヨークのメトロポリタン美術館に貸し出された以外は130年間に渡ってクリュニー中世美術館で展示され、それ以前も制作以来フランス国内にずっとあったものと推定されていますが、クリュニー中世美術館の改修にあたり二度目の国外展示として日本に貸し出されたものです。展覧会全体が『貴婦人と一角獣』とそれに関連する種々の作品による統一された構成となっていて、とても分かりやすく興味深かったです。カタログは盛りだくさんで構成に均整がとれていて、是非購入することをお薦めします。同じ中世のタピスリーである『一角獣狩り』については、以前紹介しました

 

「触覚」

 

「味覚」

 

「嗅覚」

 

「聴覚」

 

「視覚」

 

「我が唯一の望み」

 

一角獣:

中世の人々は、一角獣にはキリスト教的な象徴と宮廷恋愛の示唆の意味を感じ取ったと思われます。このタペスリーは道徳的意義と世俗的美意識の両方を兼ね備えていると思われています。一角獣はキリストの象徴、一角獣を大人しくさせる処女は聖母マリアの象徴と考えられていたので、キリストの受胎の象徴として一角獣が捉えられていた訳です。

 

動物と植物:

植物に関しては古典的な様式化と、12世紀末から13世紀初頭に現れた写実的な自然主義という2つの傾向を融合し、1500年前後に流行した千花模様と呼ばれる背景が採用されています。一方の動物は中世の寓意に従った意味を付与されているものと考えられます。登場する植物の種類はオダマキ、ジギタリス、ニオイアラセイトウ、ヒヤシンス、マーガレット、スズラン、ヒナギク、パンジー、ツルニチニチソウ、クワガタソウ、スミレ、ソラマメ、エンドウ、ジャスミン、ナデシコ、マツ、フユナラ、セイヨウヒイラギ、オレンジなど40種類にも上り、動物もハヤブサ、ヤマウズラ、オウム、ウサギ、イヌ、キツネ、ヒツジ、サル、ライオン、ヒョウ、チーターなど多岐に渡っています。

 

五感:

中世では五感は「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」の順に、物質的世界から精神的世界に移って行くと考えられていました。その頂点に、謎の「我が唯一の望み」がある訳です。「触覚」は細部が他の作品と異なるのでこの作品が先に出来上がったと考えられています。「味覚」はゆったりと調和がとれて身振りが繊細で晴れやかな表情で、完成度が高いです。「嗅覚」は「味覚」よりも稠密で静的です。「聴覚」は狭苦しい構図になっています。「視覚」はピラミッド状の構成軸が鑑賞者の視線を意識して作られています。「我が唯一の望み」では幕屋があるのが他の作品と大きく異なり、より厳粛な雰囲気になっています。幕屋にある“A. MON. SEUL. DESIR. I.” とは、「我が唯一の望み」を注文主アントワーヌ2世ル・ヴィストのAと妻ジャクリーヌのIで挟んだものと思われています。 ‘mon seul désir’ は当時の指輪の銘文としてよく見られ、会場では ‘une sans fin’ (いつまでも一人の女を)という銘文が植物のモチーフとともに刻まれた指輪もありました。『ロード・オブ・ザ・リング』の世界ですね。

 

 

展覧会の図録に『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』まで登場し、イントロがそれで締めくくられているのはお茶目でしたw。以下、抜粋。

 

 『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』の中では、地球連邦の産軍複合体の一画をになう「ビスト財団」の当主がスペース・コロニーの中に設けた広壮な19世紀風の屋敷の中に、<貴婦人と一角獣>タピスリー全6面が飾られている。財団の当主カーディアス・ビストは、リルケの「可能性の獣」を「信じる力によって養われるもの……つまり、希望の象徴」と解釈し、一角獣のように一本の角を持ったモビルスーツ(戦闘用巨大ロボット)である「ユニコーンガンダム」を開発して、謎の「ラプラスの箱」を解放し、アースノイド(地球生まれの人類)とスペースノイド(宇宙生まれの人類)たちの和解を図ろうとする。<我が唯一の望み>に描かれた宝石箱が「ラプラスの箱」に重ね合わされ、また「第六感」がガンダム・サガを通じて登場する「ニュータイプ」(直感力や反射神経が常人よりすぐれた新人類)と関係づけられるなど、タピスリーは小説版で全8話・10巻に及ぶ長大な物語全体の鍵となっている。

 『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』からは、<貴婦人と一角獣>タピスリーの持つ豊かな象徴性、そして神秘的な謎が、リルケを経由して、現代のSFエンターテインメントの物語やアニメーションに、叙事詩的な奥行きを与えていることがわかる。そこには、世代を超えて多くの人々の想像力に訴え、魅了してきたこの作品の力が、端的に現れているように思う。

 

展覧会は2013/10/20まで大阪の国立国際美術館で催されています。

 

機動戦士ガンダムUC 1-10巻セット
福井 晴敏
角川書店(角川グループパブリッシング)(2009)
値段:¥ 6,825


機動戦士ガンダムUC 6 [DVD]
バンダイビジュアル(2013/03/22)
値段:¥ 5,040


 

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大栗先生の超弦理論入門

大栗博司先生の『大栗先生の超弦理論入門』(講談社)を読みました。超弦理論自体はそこら辺の普通の中高生でも名前ぐらいは知っていますし、高校演劇の脚本にも登場することがあります。ただ、その詳細は知らない方が多いと思います。この本では「双対性」や「コンパクト」、「グラスマン数」など、大学教養の数学で出て来た概念も交えながら、超弦理論の本質的な部分を一般の方むけに分かりやすく解説しています。この本を中高生の時に読めていたら、大学の数学や物理の授業もまた違った面白さが味わえたのではないかと思えるほど、素敵な本です。

 

この本の最初の方では、固体・液体・気体という水の三態や水の温度などは、個々の水分子のエネルギー状態に基づく水分子の集合としての性質なので、それらの概念は幻想であると書かれています。この捉え方を適用すれば、空間自体も幻想なのではないか、と考えることも出来ることがゴール地点として、本書の内容は展開していきます。

 

素粒子物理学の標準模型については以前記述しましたが、標準模型には自然界の基礎的な4つの力のうち重力が含まれていないという欠点があります。また宇宙を構成する暗黒物質や宇宙が加速的膨張をすることの原因と考えられる暗黒エネルギーのことも説明出来ません。超弦理論には、それらを説明するより基本的な理論としての役割が期待されているのです。

 

古典的な物理学と超弦理論では、素粒子を零次元の点と考えるか、1次元の弦と考えるかの大きな違いがあります。素粒子を点と考えた場合は、電磁気力などが点電荷などからの距離がゼロの場合に点電荷自身への相互作用の力の大きさが無限大になってしまうという欠点があることは昔から分かっていました。これに相対性理論を適用すると、素粒子のエネルギーや質量が無限大になってしまうという、理論の破綻が起こってしまいます。そうならないために、ファインマン、シュウィンガー、朝永振一郎らは、観測される電子などの質量は電磁場などのエネルギーと電子などの固有の質量(負の値も可能)の和で表されるとするくりこみ理論を開発し、問題の解決を行いました。これが現在の物理学の主流の理論の訳です。この場合でも、事象の地平線よりも内部の様子は分からないので、プランクスケールという観察することが限界を迎える空間の長さの基準があります。

 

これに対し、超弦理論では素粒子は1次元の弦であって大きさがあるので、距離ゼロの問題が起きないとしています。超弦理論では、同じ空間に幾らでも粒子を詰め込めるボゾンの掛け算と、零元以外にもq x q = 0となるようなグラスマン数qの座標を考慮し、同じ空間に粒子を1個だけしか詰め込めないフェルミオンの掛け算(グラスマン数に対応)の両方を考慮しています。そのような空間は超空間と呼ばれています。超弦理論では超空間と量子力学を矛盾させないために回転対称性である超対称性(まだ実証されていない)も考慮しています。

 

超弦理論は9次元空間を考えますが、この次元数は特殊相対性理論において光子の質量がゼロであることに起因します。しかしこれは量子力学と折り合いが悪く、不確定性原理により最低エネルギーがゼロになりません。超弦理論を考えた場合、空間の次元数をDとすれば、弦の振動のモード(振動の節の数)が(1+2+3+…=-1/12:オイラーの公式より)、光子が進行方向への振動がないことから弦の揺れる方向のパターンがグラスマン数の座標も考慮すれば3(D-1)、量子力学よりあるモードに振動が起きる時の振動エネルギーはそのモードの振動エネルギーの倍になるため、2+3x(D-1)x(-1/12)=0が光子の質量がゼロになる条件なので、D=9となります。

 

超弦理論には先端の開いた弦と閉じた弦の両方を考慮するI型と、閉じた弦だけを考慮するII型があります。II型では電子のスピンが進行方向に対して時計回りのものだけに弱い力が働き、反時計回りのものに働かないというパリティ対称性の破れが再現出来ない問題がありました。このうちIIA型は9次元空間でもパリティ対称性は破れず、IIB型は9次元空間では破るがコンパクト化して3次元にすると破れない特徴があります。I型の方でも確率が0から1の間に収まらなくなったり、空間や時間の測り方を変えても法則が変わらないという一般相対性理論と矛盾が生じていました。標準模型ではたまたまクォークにおける弱い力のゲージ対称性のアノマリーとレプトンの量子効果のアノマリーが相殺されるため、矛盾が生じなくなっていました。これはクォークとレプトンが3世代という同一の世代数に落ち着く原因となります。I型ではゲージ対称性において32次元の回転対称性を考慮することにより、アノマリーの問題を解決しました。弦理論にはこの他にヘテロティック弦理論と言って、弦の進行方向に向かって時計回りの方向に9次元+グラスマン数の超空間、反時計回りの方向に25次元の弦理論(次元数は先述した超弦理論の式から3(D-1)(D-1)に変更して計算)を考慮した組合わせでアノマリーを解決する理論もあります。

 

超弦理論ではまた、カラビ―ヤウ空間を用いて9次元をコンパクトにし、6つの余剰次元が3次元空間での理論に繋がることも発見されました。これにより、考慮しているカラビ―ヤウ空間のオイラー数が6なので、クォーク/レプトンの世代数が3であることも必然的に導かれました。ここまでが超弦理論の第一次革命でした。

 

超弦理論の第二次革命では、10次元の超重力理論が登場します。この理論は超対称性で許される最大の次元にあるので、特別な意味を持つと考えられています。ここでは弦は10番目の次元により膜(ブレーン)となり、膜をコンパクトにしたものが弦です。膜の計算には弦が必要なので、弦が重要であることは依然として変わりません。アインシュタイン方程式の解にブラックホール、弦、膜、膜に対応した5次元解が出ることとも関係があります。ブラックホールには温度があり、蒸発することもあるとされていますが、その温度を担う分子は、閉じた弦が事象の地平線に貼付いて開いた弦に見えることで説明できます。さらに、I型、IIA型、IIB型、ヘテロB、ヘテロAの弦理論は超重力理論と様々な極限で結びつき、これらの理論は双対性のネットワークで結びついていました。

 

超重力理論では次元の数を変えるのは力の結合定数で、定数が小さいと次元が減るので空間の次元の数も本質的なものではなくなり幻想となるのです。また、重力を含む9次元のIIB型反ドジッター空間(AdS空間)と重力を含まない3次元の場の量子論(CFT)には対応関係があることが分かり、AdS/CFT対応と呼ばれています。3次元/2次元の対応関係で分かりやすく言うと、重力が働いている3次元空間の部屋の中の事象も部屋の側面の2次元平面に投影して説明することが出来る、ということです。2次元平面では重力が働いていません。この他にも、2次元の膜と5次元解など、その軌跡の次元の合計が3+6=9=10-1次元となれば絡みつくことが出来ることから、高次元の物体があれば低次元では実現が出来なかった絡みつきを実現出来るという話も興味深かったです。

 

空間以外にある重要な次元、「時間」については、幻想かどうかはエントロピー増大の法則など統計力学的な見地から、宇宙の始まりの秩序を研究することで見えてくるのではないかとして、この本は締めくくられています。私の説明だけではオカルトかSFの説明のようにも受けられてしまいますので、興味のある方は大栗先生というこの分野の最先端を研究しておられる方の著した本質的な、かつ分かりやすい説明を、本書を読むことで堪能頂ければ幸いです。

 

大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス 1827)
大栗 博司
講談社(2013/08/21)
値段:¥ 1,029


 

 

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風立ちぬ

宮崎駿監督の『風立ちぬ』、観てきました。感想は。。。ぐうの音も出ない程、打ちのめされました。宮崎監督の作品は私は『天空の城ラピュタ』から見始めたのですが、ラピュタで衝撃を受け、ナウシカで衝撃を受け、もののけ姫で衝撃を受け、千と千尋で衝撃を受け、今また『風立ちぬ』で衝撃を受けました。宮崎監督の最高傑作。。。とまで行くかどうかは分かりませんが、齢72にして新境地を開いた、とても印象的な作品でした。宮崎監督のクリエイティビティも老いてますます盛んのようで、今後も期待される作品です。

 

世の中にはジャンプ脳というものがあり、「友情、努力、勝利」をテーマにしておりましたが、最近は「運、血筋、才能」などの殺伐としたものにシフトしてきたようです。それに対して宮崎監督が今回示したベクトルは、そのどちらでもなく、地震や恐慌や戦争など現実に存在する混沌の中から主人公の行動と挫折を描いたものです。宮崎監督の描く「混沌」には独特のものがあり、ナウシカ(漫画版)から既に存在していましたが、アニメとしてはもののけ姫で垣間みられたあと、千と千尋で一気に開花します。この二作は完全にファンタジー作品でしたが、『風立ちぬ』は現実に起こったことをストーリーの背景に絡めながら、堀越二郎の人生や映像表現としてはファンタジー性を演出しています。夢の中の空軍や関東大震災のオドロオドロしいSE(効果音)などはそれを聴くためだけでも映画館に行く価値がありますし、震災の際の地面の揺れ方など、写実的であることを捨ててファンタジー性を演出した場面は多々あります。風の吹き方や飛行機の飛び方、美しい水田、日本の風景も実写や3Dでは不可能なアニメであることを生かした表現になっています。イタリア映画的な演出も所々で観られます。堀越二郎をエヴァンゲリオンの庵野監督が演じたのも、二郎の自分の奥底の感情をあまり表に出さない人柄と庵野監督のベタッとした台詞回しがよく合っていました。西村雅彦さんの黒川や西島秀俊さんの本庄もいい味を出していました。

 

野村萬斎さん演じるカプローニがオドロオドロしいSEと爆撃機を背景に出現した時は、『ファウスト』のメフィストフェレスか『魔の山』のセテムブリーニみたいな人物が現れたと思ったのですが、パンフレットには宮崎監督は実際にメフィストフェレスを意識していたと書かれていますし、『魔の山』に至ってはカストルプ氏という主人公そのままの名前でストーリー中に登場し、『魔の山』自体も何度か出てくるなど驚きました。三菱重工の重役や海軍士官の描写はコミカルでもありました。ちなみに零戦は最後にちょっと出るだけで、九試単戦を作ることがメインです。三菱の試作機IMF2 “の空中分解も出てきます。

 

宮崎監督はこの映画を戦争を糾弾するものではないとしていますが、主人公の堀越二郎の冒頭の夢の中でドイツ空軍が異形の者と化したオドロオドロしい物体に飛行機を撃ち落とされたり、カストルプ氏の反戦思想(『魔の山』で主人公が第1次世界大戦に参加するため山を下りるのと異なります)や二郎が特高に追われることなど部分部分では反戦のメッセージを読み取ることが出来、全体としては混沌をなしています。堀越二郎は成長してからは飛行機の開発以外は何一つ正しいことをしていません。妻の菜穂子を療養所から下に戻す事を容認したり、菜穂子の側で煙草を吸ったりキスをしたりすることは合理的な行いではありません。最終的には自分の夢で国を滅ぼすことに加担してしまった、とも言われています。ジャンプもののヒーローではない、この二郎こそは実は一般の人にとって自分を投影した姿になるのではないでしょうか。普通の人には「勝利」も「血筋、才能」もないのです。心の奥底ではいろいろ感じていても、自分の夢以外にほとんど構うことのないように見える二郎が破壊の先に行きついた地点こそ、善悪や正義と悪の区別が付きにくい混沌とした世界に住む我々の目指すべき地平ではないかと思われるのです。この映画こそが一般人にとっての『魔の山』の入り口であり、カプローニが最後に美味いワインを呑もうと言ったことに、救いのない無常観を只管噛み締める信念が伺えます。この信念を感じた時、私も映画館の中で迷いの中から魔の山へ至り、叶わないでも夢を追いかける凡人としての道を歩む気力が湧いてきました。そういった意味で、かなり新しいタイプのアニメ映画です。『行きて帰りし物語』も出てきますが、帰って来ても元通りの人物にはならなかった庶民の二郎、遂に帰ってこなかった上流階級の菜穂子も、『ホビットの冒険』の通りでした。

 

ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)
ゲーテ
岩波書店(1958/03/05)
値段:¥ 903


ファウスト〈第二部〉 (岩波文庫)
ゲーテ
岩波書店(1958/03/25)
値段:¥ 1,008


魔の山〈上〉 (岩波文庫)
トーマス マン
岩波書店(1988/10/17)
値段:¥ 1,071


魔の山〈下〉 (岩波文庫)
トーマス・マン
岩波書店(1988/10/17)
値段:¥ 1,050


 

 

ホビットの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)
J.R.R. トールキン
岩波書店(2000/08/18)
値段:¥ 756


ホビットの冒険〈下〉 (岩波少年文庫)
J.R.R. トールキン
岩波書店(2000/08/18)
値段:¥ 714

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ヒトに放射線による遺伝的影響は見られるのか

ヒトにおける放射線の遺伝的影響は見られるのでしょうか。福島原発の事故に限って言えば、それはNoでしょう。しかしその理由は、被曝量が少ないからの1点に尽きます。原爆の被爆者の調査による結果は、まだ分からないことが多いので、ヒトにおける放射線の遺伝的影響がないことの説明にはなりません。以下、詳しく述べます。

 

第一に、被爆二世に放射線の遺伝的影響が見られないという話ですが、これは放射線の遺伝的影響があるにせよないにせよ当たり前の話なので、放射線の遺伝的影響がないことの証明にはなりません。まず、被爆一世から考えてみましょう。

 

ヒトが生存出来る程度の放射線量では各個人が2コピー持っている遺伝子の両方を偶然傷つけることはほぼ確実にありません。つまり、被爆一世は突然変異した遺伝子と正常な遺伝子をヘテロに持つことになります。

 

次に被爆二世を考えると、ここでも配偶相手が自分と同じ遺伝子に変異を持つ可能性がほとんどないことから、突然変異した遺伝子と正常な遺伝子をヘテロに持つことになります。突然変異は大抵劣性で、表現型として現れないので被爆二世に放射線の遺伝的影響が見られないのは当たり前なのです。これでこのことが放射線の遺伝的影響がないことの証明にはならないことはお分かりでしょう。

 

ところがその子孫になると、祖先を共有する近親婚が行われた場合、偶然同じ遺伝子に変異を持つコピーの組合わせが出来る確率が飛躍的に上昇します。その効果は大抵4世代後に現れます。つまり、原爆の被爆者の表現型で遺伝的影響を調べることはまだ無理なのです。

 

それでは、何故「原爆の被爆による放射線の遺伝的影響がない」という意見が出るのでしょう。その理由はおそらく、広島・長崎の被爆者において28種類の酵素の遺伝子を調査し、遺伝的に異常の現れる確率が1/5000であったという報告のことを指しているのでしょう。しかしこれは、現代の生物学的な基準から言って放射線の遺伝的影響がないということの証明にはなりません。

 

その理由は、最近の研究で突然変異の起こりやすさは塩基や遺伝子によって大きく異なり、突然変異率は何桁も変わってくることが分かっているからです。突然変異にはホットスポットとコールドスポットがあるのです。これにヒトの遺伝子数が26000もあることを考慮すると、28種の酵素を調べただけでは何の証拠にもなりません。現在では最新式のDNAシークエンサーで全ゲノムの調査が出来るので、ゲノムコホート研究できちんとした調査が出来るでしょう。その結果を待つ必要があります。

 

また、ヒト以外の生物種で放射線の遺伝的影響は見られるのにヒトでは見られないのは何故か、ということも焦点になってきます。ヒトの場合は変異を起こした精子や卵子が出生に至らないことが多く、遺伝性影響が発生する可能性はそれほど高くないという意見もあるのですが、これはあくまで仮説の段階です。その理由は生殖細胞に突然変異が起こったことが必ず細胞死に繋がるような直接のリンクがある訳ではないからです。細胞側のメカニズムは、突然変異が修復出来なかった場合にアポトーシスを起こす場合と、変異がアポトーシスを起こす前に固定される場合もあります。それが例えばがんになる訳です。ヒトの生殖細胞系列の推移や発生は比較的不安定なものですが、その過程で異常なものが必ず排除されるというメカニズムがあることは知られていません。つまり、ヒトの場合は変異を起こした精子や卵子が出生に至らないことが多く、遺伝性影響が発生する可能性はそれほど高くないという仮説も根拠が弱い訳です。

 

以上のことから、ヒトにおける放射線の遺伝的影響がないことの証明はまだ為されていないことが分かるでしょう。福島原発においては被曝量が少ないということが遺伝的影響の見られないとする確からしい根拠なので、わざわざ議論の分かれることを無理矢理根拠にする必要はないのです。

 

 

 

 

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ヤマトシジミの内部被曝について:続報

以前記述したヤマトシジミの内部被曝について、続報が出ていました。読んだ感想は、以前の論文に関して示された数々の疑義に関して、概ねきちんと答えられているということです。サイエンスの世界では論文に疑義のある場合は論文で反論し、そのまた反論も論文で行うという作法があります。私の師匠も何度もこういったことをしていました。ネット上で必要以上に騒ぐのは、サイエンティストとしてはあまり宜しからぬ態度であります。

 

続報では以下の11のポイントについて説明が為されていました。

 

1. ヤマトシジミが放射線のindicator speciesとして相応しいか

 ->私はチョウの生態や分類に詳しくないので、コメントは控えます。

2. ヤマトシジミの形態異常は緯度に依存したものでないか

 ->福島原発の周辺のみで形態異常の頻度が増加し、それより高緯度でも低緯度でも頻度は低い。

3. ヤマトシジミの成育阻害は福島原発周辺でのみ見られること

4. ヤマトシジミの形態異常は温度の効果に依るものではないか

 ->温度による形態変異と福島原発周辺での形態異常は異なり、福島原発周辺の形態異常は人工的に被曝させた時の異常に酷似している。(Jun T.さんも昨年同様のことを述べておられました。

5. ヤマトシジミの形態異常とされているものは福島原発周辺の地域性のものではないか

 ->今回の形態異常は過去のサンプルの形態とは異なる。

6. 形態異常の頻度は福島原発周辺のカタバミによる内部被曝下の飼育で世代ごとに増加し、遺伝性があると見られること

7. 福島原発周辺、沖縄のヤマトシジミの内部被曝やEMSDNA傷害剤)による実験で同様の遺伝性の形態異常が見られること

8. ヤマトシジミの形態異常は津波や地震に直接影響を受けている訳ではないと考えられること

9. サンプルサイズは最低限のレベルは確保されていると考えられること

10. 飼育条件は問題ないと考えられること

11. 被曝の操作実験の重要性

 

問題となっている被曝量は100 mSvのオーダーなので、突然変異を誘発する損傷乗り越えDNA合成の効果が最も顕著に現れやすい被曝量だと考えられます。突然変異はDNAの傷を乗り越える際に誘導される誤りがちなDNAポリメラーゼが原因で起こるので、被曝量が増えるほど起こりやすくなります(放射線感受性に関する覚書参照)。被曝量があまりにも大きくなると生物は死んでしまいますが、生きるか死ぬかの瀬戸際辺りで突然変異の個体の割合は一番高くなり、被曝量を横軸、突然変異の割合を縦軸にした曲線は上に凸となります。今回の被曝量はそのピークに近いと考えられます。

 

ここで注意しなければならないのは、この論文ではヤマトシジミは放射線に弱いindicator speciesとして記載されており、より放射線に強いと考えられるヒトの被曝とは状況が異なることです。ヒトは100 mSvオーダーの被曝では生存率にヤマトシジミほどの顕著な差は出ません。福島の住人の方々の放射性セシウムによる内部被曝は問題のある程高い訳ではなく、放射性ヨウ素に関してはグレーゾーンの方が若干名おられる可能性がある程度で、正確には分からないレベルです。ヒトの個体の中でも単一遺伝子のホモの変異で400倍くらい感受性が高くなる場合があり、その割合は0.25%ほど、片方の遺伝子に変異が入ってリスクの高いヒトの割合は5%ほどもあります。同じ種内でもこうなのですから、ヤマトシジミのような別種で放射線感受性が高くても何ら不思議はありません。ショウジョウバエのデータから考えると感受性が出るのはおかしいという批判もありましたが、ショウジョウバエもヤマトシジミとは異なる種なのでこの批判は同様に当たりません。福島原発の事故で多量の放射性物質が放出されたのは事実なので、放射線に弱い生物に影響が出ても何ら不思議はありません。

 

前回の報告の「ヤマトシジミの形態異常は被曝とは関係のない沖縄のヤマトシジミの外部/内部被曝によっても再現された」というデータには、目立った反論はなかったと続報では書かれています。私もこのデータは捏造だと騒がない限り反論しようがないと書いていたので、リーズナブルな結果だと思います。この仕事の改善点について強いて言えば、以前述べたように沖縄のヤマトシジミの個体群に放射性物質の含まれた福島のカタバミの葉を食べさせた後のF1/F2世代に、今度は放射性物質の含まれない沖縄のカタバミの葉を食べさせ、生存率の低下と形態異常の増加がまだ観られるようなら、F0世代の内部被曝に依る突然変異の影響を観ている可能性がよりいっそう強まったのではないかと思われます。

 

今回のヤマトシジミの続報は、サイエンスの作法に則ったものだと思います。前回も今回もオープンアクセスの論文であるのも配慮があると言えるでしょう。前回の論文はあまり良くデザインされた論文ではないとは言えると思いますが、捏造だとか売名行為だとまで言われる筋合いの論文ではないと思います。サイエンスの議論において、政治的な立場や感情論に基づいた批判を行うことは適切でありません(私も政治的には著者の方とは立場を異にします)。今回の続報への反論もやはり論文の形で行うべきでしょう。

 

 

 

 

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サイバーミュージアム構想

本日転職試験に落ちましたが、その時の自己アピール原案の一部を、ネガティブデータとして公開しておきます。詳細が分からないと何とも言えないと思いますが、こういうアイデアだと落とされる可能性が高いということで。

 

 

 

私が自己アピールの場で自分の経験を生かした目標として提唱したいのは、インターネット上の地理的空間に纏わる情報にGIS用の情報のタグ(場合によっては時間情報も)を付与し、自分の現在地もしくは目的地のGPSに基づきそのキーワードに関連する情報をネット上からサーチし、纏めて表示するシステムを公共インフラとして整えることである。行政情報に比べてアカデミックな情報のGISによる可視化と公開は進んでいないので、両者を統合したデータベースの構築が望まれる。XXのような歴史情報のある地でそのような情報の繋がり、アイデアの源泉を可視化するシステムの端緒を付けることは、ローカリゼーションの一翼として意義深い。また、経済的効果が不明な事業であるため、市場ではなく行政が初期のスタートアップを支援する公共インフラ事業としての性質を持つ。

 

また、現代日本は、政治的にも経済的にも停滞感があり、これを打開する何らかのイノベーションが必要である。これからの世界は知識・文化などに根ざした高度に情報化された時代であると考えられるが、XXから日本、そして世界に発信出来るような新たな文化を提供出来れば国力の活性化と世界へのアピールに繋がる。このようなイノベーションの一環として新規GISシステムの開発の斡旋を行いたい。

 

具体的には携帯電話の3G回線などにより操作端末をインターネットに接続し、標準的なWWWブラウザ、もしくはグラフィックインターフェースなどに関して独自の開発を行った特別のブラウザを用いて情報を表示するシステムを開発する。データベースは一般の方々も編集可能にする一方、信頼性を担保するために専門家のみがアクセス出来るアカウントを用いてアカデミックな情報や専門的情報を提供する。前島密が日本の郵便局のネットワークを作る際、三等郵便局設立の依頼を地方の有力者に頼んで政府は資金を出さなかった。これと同様に、ネットワークの内容は基本的な部分を除き利用者に依存する。基本的システムはネットワーク、データベース、システム管理、情報セキュリティの技術者やGIS学術士と協力し、地域調査士を学芸員と見立てて判断を仰いで組み立てる。箱物でない、ソフトの面での文化・情報施策である。

 

このシステムの意義は次の通りである。

I) 公共施設・厚生・防災・商業・農林水産業だけなく人文科学・社会科学・自然科学に至る情報を纏めて表示することで、古代ギリシャの記憶術に見られたように情報と空間を関連づけ、情報の活用・教育・研究・観光の活性化を行う。

II) 文化・学術情報システムとして一般市民が情報に自由にアクセスし、一般情報については改変も行え速報性が担保される一方、情報の信頼性の保証のためにアカデミック情報も開陳し、市民参加型の文化・学術情報ネットワークを樹立する。

III) 情報技術の開発は民間企業に依頼し、経済的なサポートは産業とアカデミーを網羅的に繋ぐ公共インフラとしてXXが行い、専門情報やアカデミックな情報の登録・編集に関しては専門家や研究機関に依頼し、出来上がったシステムは市民が利用・編集することで、産官学民が連携した新たな情報文化、サイバーミュージアムとしてのXXを達成する。つまり米国のウィリアムズバーグのように、XX全体を博物館と捉える。

IV) GISに関連した写真や動画の時間情報も含めた保存により、インフラの整備情報・町並みの記録媒体として活用する。

梅棹忠夫氏は「都市神殿論」として、都市とは神にお参りするために集まった人々の情報交換・管理の場として発展したとした。ここで挙げるサイバーミュージアムはそのような現実の一都市・地方に対応した情報交換の場として機能することを目指す。このようなヴァーチャル都市・地方が電子空間に誕生すれば、それは新たな情報文化の始まりと言っても過言ではない。

 

さらに踏み込んで言えば、現在のGISシステムを発展させ、小中高の自由研究からフィールドワーク、公共事業の作業時にも活用出来るような時空間情報をシステムに与える。例えば私は現在は徳島大学の助教だが、GIS情報の取得と画像等のデータと合わせた記録は生物地理学や生態学、分類学、土壌学、海洋学、陸水学、それに関する教育においても基礎情報として重要であることは経験から実感している。既にiPhoneを利用した「ここピン!」などのアプリケーションも実用化され、一般市民やアカデミーからのニーズもある。

また一般市民が情報を登録することで公共団体やアカデミーの調査・研究の参考になり、また一般市民も信頼性のある情報を取得することが出来、専門情報に対する理解を深めるとともに自己参加によりデータベース構築を行えるので、教育・生涯学習・専門家に対する理解を深めることが出来る。XX全体を巨大なサイバーミュージアムとして機能させ、新たな情報文化を発信出来れば日本の活力の向上・世界に対するアピールになる。観光情報に関しての類似した取り組みに関しては尾道市の「どこでも博物館」などが既に存在しているが、観光情報だけでなくインフラ情報を含めたあらゆる情報を網羅し、また手入力でなくGPSを利用して自動的に情報にアクセス可能にすることで簡便さを追求する。

 

私は多細胞生物の発生の原理をタンパク質やDNA分子に応用し、一見遠い分野の情報の繋がりが近いところにあったという経験をしている。また、別種の交配不可能性という排他性が別種染色体の細胞内での不和合性という分子レベルでの排他性という観察スケールを越えた繋がりになっていることも体験している。これらのことから情報の意外性のある「繋がり」は創造性のある仕事をする上で非常に重要で、若い世代の方々にも新たな発想が生まれ、XXや日本の活力を産む揺り籠としてここで提案する情報システムを利用して頂ければ幸いである。また、私が目指して来た客観性の担保も、アカデミック情報と一般市民の情報をそれぞれ列挙することで、アカデミックな情報の客観性と市民情報の速報性が相乗効果を産むことが期待出来る。

 

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エリザベス:ゴールデン・エイジ

『ケイト・ブランシェット:ゴールデン・エイジ』という映画を観ました。粗筋は、

 

カトリックだった異母姉メアリー女王のあとに、プロテスタントのイングランド女王として即位したケイト・ブランシェット。だが、腹心ウォルシンガムの弟や、寵愛する侍女べスの従兄弟もカトリックであるなど、カトリック教徒も多い国内はプロテスタントの女王に対する不満もあり、不安定だった。国外のカトリック列強国やバチカンも、ケイト・ブランシェットを私生児と見做して王として認めようとせず、絶えず圧力をかけてきた。特にカトリック大国スペインの国王フェリペ2はイングランド制圧そのものを狙っていた。さらにイングランド王家の血を引くスコットランド女王メアリー・スチュアートはカトリックということもあって、イングランドの王位を巡ってケイト・ブランシェットの周りには様々な思惑が渦巻いていた。

そんな権謀の只中にあるケイト・ブランシェットの前に、新大陸や世界の海を旅してきたウォルター・ローリーという男が現れる。ケイト・ブランシェットはローリーの自由な生活と魂に惹かれていく。しかしケイト・ブランシェットは、王位への陰謀が露見したメアリー・スチュアートの処遇に苦悩し、遂にきたスペインとの情勢不利な戦い(アルマダの海戦)に、果敢に身を投じていくのだった。(Wikipediaより)

 

というものです。フェリペ2世は日本では天正少年使節を歓待したことでも知られていますね。無敵艦隊の敗北はスペインの凋落を象徴付けた、世界史的に重要な事件です。ウォルター・ローリー卿は中学校の英語の授業の英文に何回か登場し、新大陸での出来事やその斬首に至るまでの話を聞き、子供心ながらに憧れていたものです。伝聞のイギリスと実際に体験したイギリスという国は勿論大分異なるのですが、歴史のある国なので伝聞する分には非常に興味深い逸話がたくさんあります。ケイト・ブランシェットとベスとウォルター・ローリー卿が三角関係であったのは史実です。映画ではケイト・ブランシェットの死後のウォルター・ローリー卿の斬首や、ベスがその後ウォルター・ローリー卿の首に防腐処理をして客に見せていたことなどは描かれていませんでしたが。ウォルター・ローリー卿は詩人でもあり、自分を斬首する斧を見て、"This is a sharp Medicine, but it is a Physician for all diseases and miseries." と言い残したのは有名です。

 

ケイト・ブランシェットは現在、ウェストミンスター寺院で姉のブラッディ・メアリーの墓の上に眠っています。メアリー・スチュアートの墓も同寺院にありますが、こちらは『ジョジョの奇妙な冒険』でも有名ですね。

 

エリザベス:ゴールデン・エイジ [DVD]
ジェネオン・ユニバーサル(2012/04/13)
値段:¥ 1,500


 

 

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アレクサンドリア

Twitter始めました。





『アレクサンドリア』という、
4世紀の東西分裂時のローマ時代(テオドシウス1世からアルカディウス、テオドシウス2世の時代)に実在した数学者・天文学者・哲学者ヒュパティアの半分史実で半分ファンタジーの物語を観ました。ギリシャ・ローマ・エジプト・メソポタミアとヘレニズムの文化が詳しく描かれている大作です。初期キリスト教は貧民や奴隷、ローマの中産階級に浸透していましたが、その名残も描かれています。粗筋は、

 

西暦4世紀、キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描く。天動説に疑問を感じ、何らかの地動説を肯定できる理由を模索し続けた彼女は、弟子のオレステスや奴隷のダオスに愛慕を受けるが、それを拒み研究に没頭してゆく。その一方でキリスト教徒は、自らの宗教の絶対性を民衆に訴え、古来の神々を愚弄する。ヒュパティアの父テオンらはこれに憤り、剣を抜いて応戦するも退けられ、クリスチャンである皇帝は異教徒の一方的な罪を宣告する。アレクサンドリアの大図書館は異教の魔窟として破壊され、異教徒には改宗か出国しか道は残されなかった。その中で改宗を拒み、青年たちに学問を教え続けるヒュパティアは、都の人々から魔女とみなされる。(Wikipediaより)

 

となります。科学的態度としては、天体の軌道が完全なる円軌道であるという真理は美しくないといけないという思い込みを、ヒュパティアを含め見せていること、聖タウマシオスが火渡りを行ったことの説明が最後まで科学的になされることはなかったことが当時の状況を反映しています。また、有徳の士とされたヒュパティアも争いごとは奴隷や下層民に限られるという偏見を見せていること、政教分離が為されていないことが悲劇を産んだのは史実に近いものでしょう。

 

ヒュパティアの業績は実際にはよく分かっていないので、地動説を肯定しようとしたりその説明のために慣性の法則を見出したり、さらには天体が楕円軌道を描くことを発見したりするのは想像の産物です。地動説は紀元前3世紀のアリスタルコスの時代からありましたが、ヒュパティアがそれを研究していたかどうかは分かりませんし、慣性の法則は16-17世紀のガリレイが発見したものです。天体の軌道は長らく円軌道と考えられていて、プトレマイオスの天動説も円軌道を幾つか組み合わせることで天体の動きを説明するものでした。地動説を提唱した15-16世紀のコペルニクスも生データを直接みれば楕円軌道となることに気付いていましたが、天体の軌道は完全なる円軌道の筈だと円軌道であることを譲らず、16-17世紀のケプラーが初めて楕円軌道である事を提唱するのです。この描写はヒュパティアの悲劇性を高める演出だったのでしょうが、少しやり過ぎではないかと思います。ヒュパティアが最期の時に天井の円形の吹き抜けを見ていて、それが楕円形でなかったところにキリスト教の科学に対する勝利が演出されていました。尚、史実にあるようなカキの殻で生きたまま肉を骨から剥ぎ落とされて殺害されたことは、石打ちに変えられていました。

 

アレクサンドリアのキュリロスは実在の人物で、エフェソス公会議でネストリウス派を異端としたことに関わった中心人物で、世界史の授業にも関係があります。オレステスはキュリロスにより殺害されています。なお、シュネシオスは史実ではヒュパティアと交流がずっとあり、天体観測儀のアストロラーベや液体比重計のハイドロスコープをヒュパティアが発明したことも互いにやり取りした書簡から分かっています。シュネシオスはヒュパティアの殺害前に亡くなった為、映画のような結末はフィクションです。

 

この映画はフィクションの意味合いが強いので、史実的な物語としてはまだラヴォアジエの物語の方が興味深いです。以下に過去ログをあげておきます。

 

 

フランス革命III

IV

V

VI

VII

 

アレクサンドリア [DVD]
SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)(2011/09/09)
値段:¥ 3,990


 

 

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「自・共が効果的に拡散」とは、党勢を反映しているのか

毎日新聞の記事で、日本の各政党の参議院議員選挙候補者のツイッターでのツイート数とリツイート数をプロットしたところ、自民党と共産党の候補者がツイート数に比べてリツイート数が多く、効果的に拡散しているので党勢があるとされていました。私は、これは解釈に問題があるのではないかと思っています。

 

ツイッターでのツイート数が発信力なのは分かりますが、それがリツイートされるのにはリツイート元の情報に対してポジティブな意見を持っている場合とネガティブな意見を持っている場合の両方が考えられるからです。リツイート数による「拡散力」というのは、その情報が良い意味であれ悪い意味であれ何らかの理由で注目されているということで、党勢を表している訳ではありません。公明党などある一定の党勢を得ている手堅い党が、記事の解釈だと最も党勢が低くなるのもおかしい点です。このビッグデータは研究者の方との共同研究で、研究者の方が党勢のことに触れたのではなく、記事にする過程で誤りが混入したのだと思いますが、もう少し科学的な考え方が浸透して欲しいものです。

 

 

 

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El laberinto del fauno

大分前に、 “El laberinto del fauno” という映画を観ました。粗筋は、

 

1944年のスペイン内戦で父を亡くしたオフェリア。母は冷酷な独裁主義の大尉と再婚する。恐ろしい義父から逃れたいと願う彼女は、屋敷の近くで謎めいた迷宮を見つけ出し、足を踏み入れると、迷宮の守護神 “Faun” が現れる。Faunは「あなたは、捜し続けていた魔法の王国のプリンセスに違いない」と明かし、その真偽を確かめるため、オフェリアに3つの試練を与えるのだった。オフェリアは全く心の準備もないままに、その試練に立ち向かうことに…。

 

というものです。この映画の見所はまずその映像美にあるでしょう。物語冒頭から人物のクローズアップや遠近法の的確な運用、カメラのピントのぼかしやカメラワークの巧さに、ついつい映像に引き込まれて観てしまいます。画面の構図も全てのカットで精巧に考慮されて作られています。演劇では出来ない、映画の長点をふんだんに生かしたそんなカメラワークを尻目に、物語はフランコ独裁体制の現実とFaunがオフェリアに与える試練の世界をリンクさせ、オフェリアが2つの世界を行き来して展開していきます。

 

フランコは1936年に始まったスペインでの左翼勢力と保守勢力の内戦に保守勢力側として戦い1939年に勝利し、1940年にはドイツのヒトラーと友好関係を結びます。1937年にはフランコを支援するナチスによりゲルニカが史上初の都市無差別爆撃を受け、パブロ・ピカソの大作『ゲルニカ』の製作に繋がります。スペインはその後1943年には第二次世界大戦において中立の立場を採るのですが、この物語はノルマンディー上陸作戦が行われた当時のそんなファシズム体制下のスペインでのお話です。

 

仮想世界の第一の試練で出てくる鍵と現実世界のフランコに対するレジスタントの登場、第二の試練で出てくるPale Manとフランコのファシズム体制、レジスタントの敗北などのリンクは分かりやすいです。第二の試練で妖精の指し示す扉ではなく、自分の本能の示す扉を開けたオフェリアの選択は、その後の第三の試練に効いてきます。

 

物語の結末は皮肉なもので、オフェリアはFaunに騙されたような感じで、 “Her Majesty” という言葉がブラックに響きます。神と生贄との関係はアニミズムの時代からあるのですが、ここでもそのような御伽話が展開されます。現実世界のメルセデスとペドロはこの映画のヒロインとヒーローなのですが、それと同時に暴力的な描写もあり、正義の味方という訳でもありません。それに対してオフェリアは純真無垢な少女なのですが、物語の中では生贄的な役割を果たしています。何かを守る為に皮肉にも犠牲になるものの大きさは古今東西変わりません。

 

 

以上の話と多少関係があることとして、『風の谷のナウシカ』(徳間書店)のクライマックスの台詞を挙げます。

 

ヒドラ「あの時代どれほどの憎悪と絶望が世界をみたしていたかを想像したことがあるかな?数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ 有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死 ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害 調停のために神まで造ってしまった とるべき道はいくつもなかったのだよ 時間がなかった 私達はすべてを未来にたくすことにした…… これは旧世界のための墓標であり同時に新しい世界への希望なのだ 清浄な世界が回復した時 汚染に適応した人間を元にもどす技術もここに記されてある 交代はゆるやかに行われるはずだ 永い浄化の時はすぎ去り人類はおだやかな種族として新たな世界の一部となるだろう 私達の知性も技術も役目をおえて人間にもっとも大切なものは音楽と詩になろう」

 

ナウシカ「神というわけだ お前は千年の昔 沢山つくられた神の中のひとつなんだ そして千年の間に肉腫と汚物だらけになってしまった 絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない その人達はなぜ気づかなかったのだろう 清浄と汚濁こそ生命だということに 苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない それは人間の一部だから…… だからこそ苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに あわれなヒドラ お前だっていきものなのに 浄化の神としてつくられたために生きるとは何かを知ることもなく最もみにくい者になってしまった」

 

ヒドラ「お前にはみだらな闇のにおいがする 多少の問題の発生は予測の内にある わたしは暗黒の中の唯一残された光だ 娘よ、お前は再生への努力を放棄して人類を亡びるにまかせるというのか?」

 

ナウシカ「その問はこっけいだ 私達は腐海と共に生きて来たのだ 亡びは 私達のくらしのすでに一部になっている」

 

ヒドラ「種としての人間についていっているのだ 生まれる子はますます少なく石化の業病からも逃れられぬ お前達に未来はない 人類はわたしなしには亡びる お前達はその朝をこえることはできない」

 

ナウシカ「それはこの星がきめること……」

 

ヒドラ「虚無だ!!それは虚無だ!!」

 

ナウシカ「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」

 

ヒドラ「お前は危険な闇だ 生命は光だ!!」

 

ナウシカ「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!!すべては闇から生まれ闇に帰る お前達も闇に帰るが良い!!」

 

ここで「光、清浄」を生命の秩序や普遍性、「闇、汚濁」を生命の混沌や多様性と読み替えてみましょう。生命の自己複製とアイデンティティの維持が行われなければ生命の系譜は散逸して途絶えてしまうので、生命の普遍性が重要なのは分かりやすいと思います。難しいのは生命の多様性の方で、これは環境に変動がある場合に生き残るものがいるというキャパシティーを大きくするためのものだとか、いろいろ説がありますがはっきりしていません。有性生殖において遺伝子の組み換えを起こす生物について考えてみると、これは生命の多様性を増加させることになります。有性生殖はストレスがトリガーになることが一般的なので、多様性と環境の激的変化には関係がありそうです。要するにゲノム情報の空間と環境情報の空間の経時変化の関係がどうなるかで、生命が普遍性を要する割合と多様性を要する割合が決まってくるようです。こう考えると、ナウシカの言う事も分かってくるような気がします。私は生命の普遍性と多様性のどちらが大事なのかということではなく、その関係式とそこから得られる老化と死の役割に興味がある者です。

 

パンズ・ラビリンス DVD-BOX
アミューズソフトエンタテインメント(2008/03/26)
値段:¥ 6,090



 

 

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ユージニア

大分前に、恩田陸さんの『ユージニア』(角川書店)を読みました。ストーリーのあらましは

 

あの夏。青澤家で催された米寿を祝う席で、十七人が毒殺された。ある男の遺書によって、一応の解決をみたはずの事件。町の記憶の底に埋もれた大量殺人事件が、年月を経てさまざまな視点から再構成される。

 

というもので、登場人物一名の主観的コメント、客観的視点からの描写、メモなどが章ごとに分かれて描写されています。

 

話の中心に居るのは「青澤緋沙子」という目の見えない女性。目が見えなく気品に充ち儚い感じのする彼女はいつも皆の注目の的であったのですが、彼女が事件の真犯人ではないかと周りの人の幾人かが疑っているところから話はスタートします。事件の恐ろしさに周りの人は拒絶、出会わなかったふり、怒り、恨み、嘆き悲しみ、呆然など様々な反応をします。事件の非現実感により当事者はまるで現実と虚構が入り交じってしまったかのような感覚を受けてしまいます。

 

そんな当事者の一人、雑賀満喜子は「青澤緋紗子」という存在を追いかけて事件のことを記述した「忘れられた祝祭」という本を彼女へのメッセージとして著します。満喜子自身は「奇」、つまりいびつなもの、気味悪いものを一歩引いて愛でる、そういった感覚で事件を観ているようで、別に真実を白昼の下に晒そうという意味で本を書いた訳ではないようです。そのような「鑑賞者」としての満喜子に対し鑑賞される側の緋紗子は自分の立場、自分の世界に対する「あきらめ」、どこにも逃げられない「絶望」を背負い込んでいて、非の打ち所の無い性格をしているかのように振る舞います。目が見えなくなる代わりに自分たちの知らない世界を手に入れた、目が見えないから見えない人々の存在を希薄に感じるようになった、怖いという陰口を叩かれながら。

 

事件は結局あるきっかけと偶然の連続が噛み合わさって人為的なものを凌駕して恐ろしいことが起きてしまったということになります。この小説の大きなテーマの一つは相手を理解する、ということです。自分たちが惹き付けられて止まないものを理解しようとする心理に対し、理解できないと認めてあきらめることがそれに対する解法の一つとして提示されています。そうならなければこの小説のように理解する側、される側に精神的な歪みがどんどん蓄積していくことになります。理解する側は何か理不尽なことが起きた時、自分たちよりも遥かに優れた存在に説明を求め、責任を転嫁させずにはいられないこともありますし、また奇跡が存在するのならそれを記録に残そうとする傾向があります。また理解される側に理解していると認めて欲しくなります。このような誤魔化し・要望が負の要素として蓄積していきます。理解される側に関しては「この世界が自分たちにとって居心地の悪い場所であると知っている者。取り立てて抵抗したりせずにこの世界に折り合いをつけているものの、どこかに違和感を持っている者。自分の優しさや善良さを信じていない者。この世の表層とは異なる世界があることに気付いている者。」こういった表現が緋紗子には当て嵌まります。緋紗子の願いは「一人になること。この家で一人の時間を迎えること。静かな時を楽しむこと。そして、静かな時の中にこそ満ちている、世界の真実の音楽に耳を傾けること。」という、誰でも時には垣間見せる願望に収束していきます。理解する側とされる側、お互いの負の要素が増強しあった結果が「Eugenia」の事件なのでしょう。現実に即さない、抽象的な表現で誤魔化された全くの出鱈目が常識では考えられないような結末を産むこともあるのです。

 

ユージニア (角川文庫)
恩田 陸
角川グループパブリッシング(2008/08/25)
値段:¥ 660


 

 

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光の帝国、翠星のガルガンティア

恩田陸さんの『光の帝国 常野物語』(集英社文庫)を読みました。「光の帝国」とはルネ・マグリットの絵画シリーズで、昼の空の下の暗い風景、夜の空の下の明るい風景などの対比が描かれています。それからインスパイアされたかどうかは分かりませんが、恩田陸さんの『光の帝国』という登場人物にオーバーラップがある連作短編集は

 

膨大な書物を暗記するちから、遠くの出来事を知るちから、近い将来を見通すちから―

「常野」から来たといわれる彼らには、みなそれぞれ不思議な能力があった。穏やかで知的で、権力への志向を持たず、ふつうの人々の中に埋もれてひっそりと暮らす人々。彼らは何のために存在し、どこへ帰っていこうとしているのか?

不思議な優しさと淡い哀しみに満ちた、常野一族をめぐる連作短編集。

(裏表紙より)

 

とあります。

 

「だからって、学校で平家物語を全文暗誦してみせるってのはやめてよね。あのねぇ、ニッポンはミンシュシュギの国なの。ミンシュシュギということは、つまりぃ、他の人よりも余計なものは持ってちゃいけないってことなの。分かる?」

 

もともと僕らの先祖は他人の気持ちを読んだり、遠隔地まで預言を飛ばしたりするのがなりわいだったらしいね。そのこと自体は、昔はそんなに珍しいことじゃなかったんだが、周りがだんだんそういう能力を失ってくると、異端視されるようになってきた。

 

という言葉に、「平等」の考えのもとにひっそりと暮らさざるを得なくなった常野の人の考えが見出されます。民主主義の時代には貴族は消えて行き、大衆政治か専制政治に落ち着くのでしょうが、そんな時代にかつて穏やかな貴族的存在だった者の末裔がとる物語集が、この『光の帝国』です。「闇の時代の光」「光の時代の影」という天邪鬼的役割を担うのが、常野の者でしょう。『蒲公英草紙』『エンド・ゲーム』という続編もあるそうです。

 

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『翠星のガルガンティア』というアニメを観ているのですが、これが結構面白いです。未来の世界のSFロボアニメ(人類銀河同盟、コンチネンタル・ユニオン)と高度文明が失われた世界の住人との異文化交流アニメとして始まり、そこにヒディアーズ(クジライカ、イボルバー)や人工知能との関わりが絡んでくるところが面白いです。秩序と混沌、家族の意義、効率性とスローライフ、幸福と費用対効果、通貨の意義、知能や技術の意義、生命倫理、機械と人間、宗教の意義、啓蒙の時代、自由主義と専制/社会主義、市場原理、帝国主義、ユートピアなど、現実とは齟齬がある部分も含めていろいろな評価軸が複合されていて面白いです。グローバル化のなかで国民国家が解体してグローバル企業の支配する時代へと移行しつつある現代で、これらの要素を取り混ぜて表現しているアニメということで、お薦め出来ます。

 

光の帝国 常野物語 (常野物語) (集英社文庫)
恩田 陸
集英社(2000/09/20)
値段:¥ 520

翠星のガルガンティア Blu-ray BOX 1
バンダイビジュアル(2013/08/28)
値段:¥ 16,800


翠星のガルガンティア Blu-ray BOX 2
バンダイビジュアル(2013/09/25)
値段:¥ 16,800


翠星のガルガンティア Blu-ray BOX 3
バンダイビジュアル(2013/10/25)
値段:¥ 16,800



 

 

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存在と無、量子力学的な哲学

昨日、幻聴や「内面の声」の話をしましたが、自己の「内」と「外」はどう区別出来るのでしょう。これは哲学的に難しい問題で、サルトルなどはその解釈を与えていますが、私には未だよく理解出来ません。

 

例として、サルトル『存在と無』(ちくま学芸文庫)を挙げてみましょう。サルトルはここで「即自」と「対自」という概念を挙げています。

 

「即自」とは意識にとって存在するところのものの超現象的存在、それ自体においてある存在とされています。これは要するに物理学で言うところの物質やエネルギーであると思われます。

 

「対自」は自己にとって存在する存在、それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるような存在、無を世界に来らしめる存在であるとされています。これは量子力学で言うところの「観測者」だと思われます。「自由」は「対自」の存在そのもので、無を分泌するところのできる存在の可能性であるとされていますが、これは量子力学で観測により状態の重ね合わせが一つの状態に収縮することを表していると思われます。

 

時間は対自により現れるというのですが、これは現在の物理学の時間の概念、熱力学の第二法則や宇宙の膨張に依るとするものの他、量子力学の観測によるものとする概念に該当するものだと思われます。即ち、観測前に状態が重ね合わさっている時が未来の決定していない状態、これが観測により現在が決まり、観測後は状態が収縮して過去になる、というものです。「観測」は「自己」の定義のためにも重要なのですが、その定義ははっきりしていません。ここに自己の「内」と「外」を区別する難しさがあります。

 

これに対し、サルトルの言う「対他」は経験的に存在する「対自」と同じ一つの出現としか読み取れません。量子力学には非局所性の概念があり、宇宙における現象が離れた場所でも相互に絡み合い、影響し合っていることも発見されています。自己の「内」と「外」はかくもあやふやなものなのです。

 

サルトルは自分の概念を直ぐに人間の「意識」にまで拡張していますが、これは人間の意識が論理的思考の組合わせで機能していることを前提に話を進めているようで、あまり説得力はありません。例えば、癲癇の患者で左右の大脳を切断された人が、左視野に「鍵」、右視野に「指輪」という文字を見せられ、その名前を答えてもらうと同時に物を左手で掴んでもらう実験をしたとします。その患者は、名前は「指輪」と答えながら、鍵を左手で掴んでいたそうです。これは各シナプスのレベルにまで落とし込めばサルトルの議論は当て嵌まるのかも知れませんが、人の意識のレベルまで高次になると、一体的な論理性が必ずしも適用出来る訳ではありません。ここまでくれば、「自己」の定義が難しいことがお分かりでしょう。「幻聴」は音波によるものではないのは明らかですが、それが「幻聴」足り得るのは、普通の人には聞こえないという「了解」の下で成り立つのです。

 

存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)
ジャン=ポール サルトル
筑摩書房(2007/11)
値段:¥ 1,890


存在と無―現象学的存在論の試み〈2〉 (ちくま学芸文庫)
ジャン=ポール サルトル
筑摩書房(2007/12/10)
値段:¥ 1,785


存在と無―現象学的存在論の試み〈3〉 (ちくま学芸文庫)
ジャン=ポール サルトル
筑摩書房(2008/01/09)
値段:¥ 1,890


 

 

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サイボーグ009、BLOOD-C


空梅雨の日本にも恵みの雨ですね。渇水が解消されていくことを願っています。

 

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
ジュリアン ジェインズ
紀伊國屋書店(2005/04)
値段:¥ 3,360


ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』(紀伊國屋書店)という本がありました。この本で提唱された仮説は、

 

ジュリアン・ジェインズは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、西洋古典学神話学考古学心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から約3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。

ジェインズは、古代人の心は、神々の声を出していた部分と、現代で言う意識している心とに分かれていたと考えた(ここでいう神々とは、従来宗教が説いているような神ではなく、いわば内心の声とでも言うべきもの)。偶像神託霊媒などの該博な例を駆使して、かつては危機解決の役を果たしていた神の声が徐々に衰退していった様を分析した。現代では統合失調症(精神分裂病)にその痕跡をとどめているに過ぎないと述べる。

二分心時代の人間を描写した代表的な文献は『イーリアス』である。意識時代の現代においては二分心はほぼ消滅しているが、幻聴等の症状の現象が二分心によるものだとされる。

巻末に近い部分では、さらに深くジェインズは踏み込み「真実という概念そのものが、・・大昔の確実性に対して誰もが抱く根深いノスタルジアの一部」なのではないかとも示唆する。(Wikipediaより)

 

この仮説は人類学的には全く支持出来ないものです。というのも、ヒトの大脳化が進展し始めたのは200万年前のHomo habilisの頃で、それから170万年—30万年前のHomo erectusの時代に脳容量が1.5倍になるなど劇的な進展が観られました。3000年前は勿論Homo sapiensの時代で、解剖学的に観るとHomo erectusの頃と劇的な変化が観られる訳ではなく、意識のあるなしなどの劇的な変化が3000年という短いタイムスケールで起こるとは考えられないからです。よってこの本はトンデモ本に類するものです。

 

ただ、幻覚のある人物が王やシャーマンなどの役割を担っていたのではないかという説は、昔からありました。王やシャーマンの意志のみが政局を左右するのは勿論非合理的です。しかし幻覚を「神の声」神の定義が何であれーとすることは昔から神秘体験の一つの潮流であったようです。神山健治監督のアニメ映画『009 RE: CYBORG』でも、それは「彼の声」として現れています。

 

この映画の原作は勿論石ノ森章太郎さんの未完の作品『サイボーグ009』です。私は藤子不二雄(A)さんの『まんが道』の登場人物としてしか石ノ森章太郎さんを認識していないのですが、仮面ライダーシリーズなど、有名な作品はたくさんありますね。

 

映画自体は実写と見紛う程丹念に創り込まれたフル3DCGとセルアニメのミックスが実写なら逆に達成出来ない程の配色の妙と合わさり、アニメの映像美術表現はここまで来たのかと唸らされるものでした。カットのアングルや視線の動き、BGMも映画の手法が取り込まれて観るに飽きないものがありました。「加速装置」の描写も、スローモーションから目にも留まらぬ速さまで、表現にバリエーションがありました。中国出身の006とギルモア博士の間に登録商標を巡るトラブルがあるなど、至って大真面目な本人たちの間にもブラックユーモアが伺えるつくりとなっています。

 

「彼の声」は、『神々の沈黙』とは逆に聞こえなかったものが聞こえるようになったという設定ですが、これは本当の幻聴というよりは、個々の人物の持つ正義感に依る内面の声のメタファーだと考えた方が良いでしょう。作品では原作でも観られた天使のような人物が現れていますが、これも作品世界でのみ実在する虚構の現れでしょう。時間尺の問題でテーマが充分に描ききれているとは思われませんでしたが、映像表現は新時代を感じさせるものでした。神山健治監督は『精霊の守り人』では輪廻や縁と民俗学的ファンタジーの創り込みに舌を巻きましたが、この映画でもこだわりは健在でした。

 

 

BLOOD-C The Last Dark』という『時は乱れて』や『トゥルーマン・ショー』を彷彿させるやおいもののTVアニメシリーズの完結編のアニメ映画も観ましたが、こちらもアニメの映像美術表現は大変優れたものでした。現実が虚構だった部分に、観客を含めて自分の意図していない意図を見出すところがこの作品のテーマですが、こちらの世界ではどんどん数を減らしているという「古きもの」に対し、現実では「古きもの」は認知されていないだけで今でもそこら中にいるようです。今に生きる古典作品は、そのような「古きもの」でしょう。

 

009 RE:CYBORG 通常版 [DVD]
バップ(2013/05/22)
値段:¥ 5,040




劇場版 BLOOD-C The Last Dark(完全生産限定版) [DVD]
アニプレックス(2013/02/27)
値段:¥ 8,190

時は乱れて (サンリオSF文庫)
フィリップ・K. ディック
サンリオ(1978/07/25)
値段:¥ 651


トゥルーマン・ショー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン(2008/06/20)
値段:¥ 2,625



精霊の守り人 Blu-ray BOX [初回限定版]
ジェネオン・ユニバーサル(2012/09/05)
値段:¥ 29,400


上橋菜穂子「守り人」軽装版完結セット(10冊セット)
上橋 菜穂子
偕成社(2009/04/01)
値段:¥ 9,450


 

 

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新しい国へ

安倍晋三さんの『新しい国へ』(文春新書)を読みました。感想は、安倍さんはやや国粋主義の強い保守主義の政治家ながら、道理は理解出来る方だということです。安倍さんは安全保障と社会保障をご自分の政治命題とし、自民党が経済成長と改憲を至上命題としているそうです。安倍さんが精力的にいろいろな政策に取り組んでおられることはニュースでも分かりますし、安倍さんの外交姿勢は評価出来るので北朝鮮や中国に対する対応などはリーズナブルだと思いますし、日本が特に右傾化していないというのは世論調査からも明らかなので一部の政治家やネトウヨの発言に踊らされる必要はないと思いますし、社会保障制度も今からそれ程心配する必要はないというのも同意出来ます。ただ、靖国参拝に関しては日本側の精神論やロジックは私も理解出来ますが、靖国参拝による実利的な効果はデメリットこそあれメリットがなにもないと思うので、日中・日韓関係をこれ以上刺激することはないかと思われます。

 

安倍さんは総じてバランスは取れているとは思うのですが、トクヴィルが主張していたような新しい国づくりへの大きなイデオロギー的な観点からは残念ながらそのメッセージは受け取ることが出来ませんでした。日本の「自主性」を取り戻そうとのことですが、取り戻すものが先日の憲法改正論をみても現状よりも遥かに優れているものとはとても言えないと思います。教育の再生に関してイギリスのサッチャーさんの改革を参考例に挙げておられましたが、私はサッチャーさんの教育改革は全く評価していません。というのも、現在のイギリスの若者は大変荒れていてニートも多く、社会問題化しているからです。サッチャーさんが先日亡くなられた時にもイギリスの若者から国葬に抗議する声が上がりましたが、若者がレスペクトされない状況を作り出したのは紛れもないサッチャーさんでしょう。私は以前イギリスに滞在していた時に、自転車の走行中に歩道の若者に “This is what you did!” と罵られながら突然突き飛ばされたことがあります。また、私が滞在していたノッティンガムはイギリス有数の治安の悪い街だったのですが、夜中には荒れた若者が大勢出歩いていましたし、自転車等も本体だけでなくサドルやホイールにまでロックをかけないと大学構内でも解体されて持って行かれる始末です。イギリスの高齢の方が皆親切で優しいのとは対照的で、市場原理に覆われた社会システムを含めた社会教育制度には明らかに問題があるような気がします。イギリスはこうした不満の解消のために移民への締め付けを強化するというアメリカとは真逆な政策を採っていますが、移民問題よりも自国の教育制度等を見直した方がいいのではないかと思われます。安倍さんはイギリスの若者と実際にコミュニケーションしたことがあまりないのではないでしょうか。

 

 

 

政治にサイエンスと同じような「オリジナリティ」が求められるのかどうかは分かりませんが、安倍さんの語る言葉からは、安倍さんが強調したいであろう日本の「歴史性・民族性」に根ざした思想というものが見えてきません。日本は確かに地方史がとても良く保存された国で、近世以降なら様々な文書が残っており、例えば私の故郷の伊勢原市沼目でも、延喜式で牛の放牧が行われていた沼地だったという記述から、私の本家の菩提寺である泉龍寺に代表されるように建長寺の勢力が伸びていたこと、近世を通じては直接の支配者が目まぐるしく変わり、名主を村八分した歴史もあるなど、様々な資料が残されています。それらの断片的な情報から再構成される地方分権社会、日本史や国文学の研究者からの「新しい日本」像を聞いてみたいと思います。

 

新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)
安倍 晋三
文藝春秋(2013/01/20)
値段:¥ 840


 

 

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本郷村善九郎【追記あり】

【追記】空梅雨の日本でしたが、やっと雨が降ってきました

江戸時代に飛騨国で「大原騒動」(1771-1788)と呼ばれる一揆が起こりました。そのうち安永騒動では、首謀者の一人とされた本郷村善九郎(十八歳)が安永三年(1774年)に獄門になりました。

【追記】本郷村善九郎は幼い頃から神童の名が高く、純粋かつ胆力と正義感に富んだ人物だったと言われています。高原の小天狗との異名を取り、妻のおかよは養子に入った善左衛門の娘で、幼い時から仲良くしていたそうです。


処刑の四日前には、妻のおかよに次のような手紙を書いています。

 

尚なお申上げ候 私のともだちの衆中様へも右の趣
伝え下さるべく候
一つ書きおき申し候こと承り候へば
風便あしく之れ有候へば 私にも
相はて申し候様に相聞 候間
拙者義もかくご致し申候 
其の方にも あきらめ成さる可
此の世にては あひ申さず候 然れども
一度あひ申候へば 残心も
御座なく候 此の上御両親様 

随分 ずいぶん ずいぶん
大切に頼み上げ奉り候 さて
その方にも をふりどのと
仲よく相くらし なさるべく候
扨て又随分 ずいぶん
松乃丞様大事に成され下さるべく候
此の間も鉈見村 
与十郎殿より柿一わ
石神長重郎殿よりは一わ下され候
御礼申さる可く候此上にも
随分 ずいぶんの

仕合能くて ゑんとを
つい方にも相成り候へば
罷帰御目に懸かり申す可候
然しながら 罷り帰る事は志ようふ志ようにて御座候へば
いとまごい一筆入れ
其の上いとまごいのため申し入れ度 
如此に御座候  以上
十二月一日
おかよどの         善九郎  

 

 

また、辞世の句は次のようになっています。近世も半ばになると農民でも和歌や俳句を嗜むものが居たようです。

 

寒紅は無情の風にさそわれて莟みし花の今ぞ散り行く

常磐木と思ふていたに落ち葉かな

 

一次資料には、その資料に触れなければ分からない多くのことが書かれていると思います。私は大原騒動については学習まんが少年少女人物日本の歴史21農民一揆(小学館)で知っていたのですが、今回初めて手紙を原文で読んで心を打たれました。安永騒動の大沼村久左衛門という人物も、飛騨は勿論越中・美濃・尾張にまで名が通った人物だとは知りませんでした。Wikipediaに記載されているトクヴィルアメリカのデモクラシーの項を読んでも、先日記した情報から受ける印象とはかなり異なってくると思います。

 

豊臣秀吉と徳川家康、黒田官兵衛(来年のNHK大河ドラマの人物)との関係などでも、秀吉は

 

秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ

 

と述べています。官兵衛は荒木村重が織田信長に対して謀反を起こした際に村重に幽閉されても翻意はしなかったなど、それまで主君を裏切ったことはなかった筈なのですが、家康は温和な人というのと対照的な表現になっているのも、原文を読まないとなかなか分からないことです。

 

 

 

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同窓会

『巨神兵東京に現わる』という映像作品を観ました。短い作品ながら『風の谷のナウシカ』の前編として面白いものでした。本編の『ヴァンゲリヲン新劇場版:Q』よりも良かったくらいです。

 

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小学校の同窓会に出てきました。21年ぶりに会う人ばかりだったので、感慨も深かったです。ただ、小学生の時は仲良くしていた友達が亡くなったという話を聞き、居たたまれなくなって一次会終了後に退席しました。

 

私は、自分が仕事を出来るか出来ないかなどは管理職が仕事の分担をすることには重要ですが、それで人間の価値が決まってくるのではないと思っています。それよりもかけるべき時にかけるべき言葉を持っている、そういう事の方が大切だと思っています。相手の人生がかけがえのないものであることを論証するのは、造作もない事の筈でした。私は失念していたのですが、少なくとも小学生の頃の自分には、出来た筈のことでした。

 

ところが、今時分の私にはそういう言葉を臆面もなくかけることが出来そうにありません。私は5年ほど前までは実家に住んでいたので、実家の直ぐ近くで身近だった人にそういう話があったことも知りませんでした。私は高校の部活の後輩を水の事故で亡くしましたが、いろいろあって葬式にも出席出来なかったので、親御さんとは手紙のやり取りを続けていますし、事ある度に教会まで墓参りに行っています。ところが今度の事はそれ以上にショックでした。中高と私立の学校に行ったので疎遠になるべきではなかった。

 

頭がいいとか悪いとかそういうことではなく、かけるべき言葉の力を持つべきという、初心を噛み締めることしか出来ませんでした。何事も究極的にはそこに繋がるべきだと考えていたので、昔よりも却って無力になった時自分を思い知らされる出来事でした。人間味は失うものではありません。

 

 

 

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