日誌

研究ブログ

scansnapの設定

今日は自炊の話です。
講談社などが書籍の電子化を決めましたが、震災後、防災の意味でもたとえば寝室に巨大な本棚があるということは避けようという潮流があるのかもしれません。

私はキンドル派ですがscansnapの設定はこうしています。

スーパーファイン、白黒、両面
文字をくっきり、白紙は削除しない(ページ整合のため)、傾き自動補正、原稿の向き自動補正

白黒にしないと、kindleで読めないことがありました。
スキャン後、しばらくはとっておくということもしましたが、今は、ページを整合した後、適当に数ページをチェックして合っていれば紙を捨てています。

Honesty is the best strategy

Honesty is the best strategy
Hokuriku denryoku analyzed causes of incident in 1999. They concealed the fact for 8 years but decided to report it.
北陸電力が、志賀原子力発電所1号機臨界事故 の問題が何であったかを自己分析しています。1999年に起きた事故を8年間隠蔽していましたが、それを反省し、報告しています。正直と、公開以上の情報戦略はない、と思わせます。
http://www.rikuden.co.jp/shika1rinkai/kongen.html

Hello! Big Brother!!

Hello! Big Brother!!

 

Ministry of Internal Affairs andCommunications requested internet providers’ association and cable TV organizationsto control canards in the Internet.

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html

 

There seems exactly evil canards and lies inthe Internet.  However, concealment bythe government, TEPCO and mass media is a current big issue.  Who doesn’t doubt?

Information strategy of the currentgovernment is very poor.

 

I remind Mac’s famous CM. You shall obey!!

http://www.youtube.com/watch?v=1j3A6ckVois

 

“Information ethics” is a field where theystudy about this kind of issue in western countries.  However, it is very small group.

 

東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する要請

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html

 

確かに悪い流言飛語があるようだが、政府、東電、マスコミによる事実隠蔽が問題となっているこのときに、誰が言論統制を疑わずにおられようか?「情報倫理学」というこの種の問題を扱う学問が欧米にはあるが、日本では未発達。

情報信頼性確認コストの上昇



先に書いたように、政府、マスコミ、専門家が信頼できない状態になった。山岸の信頼論にあるように、情報を集めて信頼できると判断することは、手間、暇、知識、費用などのコストがかかる。これまでは、専門家をまるごと信用することで、その手間を省いてきたが、それができなくなった。これをここでは情報信頼性確認コストの上昇とよぶ。

そして、我々はインターネットからしか事実を知ることができなくなったが、インターネットは、もともと情報信頼性確認コストが高い。従って、全体として非常に情報信頼性確認コストが上昇していることが、社会にダメージを与えている。

これは、二次災害の一種ともいえるだろうが、情報社会論の秩序問題ともいえる。とりあえずそこは信用できるとして、話を進めた前提が崩れてしまった。戦後のように、もう一度そこから作り直さなくてはならない。これは根が深い。
では何故今は一応の秩序があるように見えるのか?自分たちの繰り返した政治的決断の帰結として今があると認識しているからか。それとも正常性バイアスか?

下記に触発されて:
tatuya_matuura 松浦 達也 
はっきり言えることは、政府情報の信頼性がなくなった結果、「何を信じていいかわからない状態」になってしまった人たちが情報を求めて2chに初参戦し、初参戦がために2chの言説すべてを信じて混乱しているといこと。

Japan dumps thousands of tons of radioactive water into sea

Japan dumps thousands of tons of radioactive water into sea
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/04/japan.nuclear.reactors/index.html

Japan, the only country that was the victim of nuclear bombing becomes assailant now.  I am very sorry and deeply shocked.  It will be recorded as Japanese crime to human race and become Japanese trauma for a hundred years.

From sociological view, this incident is going to reveal what Japan is.  The following video stream is press interview of TEPCO when they have decided to dump radioactive water.  Two journalists, they seems to be free journalists, harshly asking necessity of dumping but TEPCO did not show any concrete evidences to journalists. 

From 43:00 minutes, a journalist asked who is in charge of their report as an executive.  TEPCO guys could not tell the name.  This symbolized Japanese society.  I remind Maruyama Masao’s criticism of Japanese behavior in WWW2.  No high class officers took their responsibilities regarding armies’ actions in WWW2. 

This press interview in detail was not broadcasted in TV and newspapers.  I am sad but this is Japanese reality.
http://www.ustream.tv/recorded/13775234

Now we get to know that facts and a question:

1. Japanese government and TEPCO hide the facts.
2. No freedom of speech in TV and newspapers in Japan.

3. The internet is playing huge role incurrent situation.  We can get to knowthe facts only through the internet.

4. How long does the Japanese Internet fee? Or Is Japanese internet really free?

Japanese “post modern” has been ended and we are facing “modern” problems.  Approaches of social science and humanities should be change from now on.

Japan dumps thousands of tons of radioactive water into sea
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/04/japan.nuclear.reactors/index.html
唯一の被爆国であった日本は、核の加害者になった。私は非常に深い悲しみを覚えるし、衝撃を受けている。これは日本の人類に対する犯罪として記録されるだろうし、今後百年日本人のトラウマになるだろう。

社会学的な観点から見れば、今回の事故は日本がどんな社会かを明瞭にしつつある。下記のURLは、汚染した水の放出を決めたときの東電の記者会見ビデオである。2人のジャーナリストが、フリーの方でしょうね、激しく放出の必要性について詰問しているが、東電は、具体的な根拠をあげて説明できない。

43:00 分から、それでは、今回の記者会見内容を判断した責任者は誰かとジャーナリストが問う。東電は答えることができない。これが我々の姿だ。私は丸山真男の戦時中の将校の行動を批判した論文を思い出した。軍隊の行動に対して、高位の将校のだれも責任を認めなかった。

そして、この記者会見の詳細はテレビ、新聞では報道されない。
http://www.ustream.tv/recorded/13775234

我々には次の事実と疑問とが明らかになった:
1. 政府と東電は事実を隠す。
2. 大テレビと大新聞には報道の自由はない。
3. インターネットは大きな役割を果たし、我々はインターネットからしか事実を知り得ない。
4.しかし、インターネットはいつまで自由なのか? あるいは、インターネットは本当に自由なのか?

「終わり無き日常を生きろ」といわれた日本のポストモダンは終わった(津田大介)。我々は「近代的な問題」に直面していることが明瞭である。社会科学、人科学のアプローチは、変わらざるを得ない。

本が出ました

共著が出ましたのでお知らせします。
もうすぐ日本でも買えます。

Japanese Religions on the Internet: Innovation, Representation, and Authority
Erica Baffelli et.al. (eds)
Routledge   2010年12月   ISBN:978-0415886437
contribution:
Takanori Tamura and Daiyu Tamura. Reflexive Self Identification of Internet Users and the Authority of Soka Gakkai: Analysis of Discourse in Japanese BBS, Ni-channeru.

私の章は、
2チャンネル上の創価学会批判を簡単なテキストマイニングで分析したものです。
主な論点は、次のようです。
2チャンネル上の創価学会批判は、教義や被害を受けた体験などが批判の理由ではなく、傲慢や虚栄、独裁性など倫理的な基準が理由になっており、それは、明治以来の新聞・雑誌の新興宗教批判で形成された視点を継承したものである。そしてそれは、宗教を批判することによって自己を合理的な存在としてアイデンティファイする行為だ、というものです。

日本では、インターネットと宗教研究は関心が低く、売れそうにありません。105ドルと高いので、最寄りの図書館に購入依頼をされる際に、ついでに書いていただければ幸いです。

よろしくお願いします。


勝間vsひろゆき

価値観や前提がちがう相手と議論しうることが、重要だと考えています。インターネットによって、より広い範囲の人々と交流する時代になったので、その重要性は増していると思います。Essがいっているようなことです。
でもなかなかうまくいきません。特にネットのうえでは難しいです。裁定する第三者がいないので、お互いに自分が勝った思いこむような議論をよく目にします。前提をすりあわせるだけで疲労したり。
勝間vsひろゆき対談が話題になっていますが、大変わかりやすい教材だと思います。機会があればコミュニケーション論の授業で使いたい。価値観・前提が違って議論が成立しない状況についての諸要素がカバーされていると思います。私たちはこういう議論をしているんだろうなあと、思います。
少しずれますが、2ちゃんねるは、日本人にとって「前提の違う他者」の存在について、丁寧に教えてくれた教育的な存在だったと思います。感触でしかありませんが、最近の2ちゃんねるの書き込みはそういう理解ができて、大人な感じがします。まあ、3-40代中心だそうですからね。しかし、年をとればわかるというものではなく、むしろ逆な場合が多い。

Ess, C. (2006). Ethical pluralism and global information ethics. Ethics and Information Technology, 8(4), 215-226. doi:10.1007/s10676-006-9113-3 http://www.springerlink.com/content/wt3v87172551q211/




電子書籍と著作権

KindleやIPadなど電子書籍リーダーが興隆しています。すごい変化が起きそうです。

まだKindle for PCをインストールしただけですが、気がついたのは、ページがないこと(これはあちこちで既出ですが)と、複写できないことです。二つとも大問題です。

ページがないのは学術論文のときに引用しにくいという問題が一つあります。下記にAPAの見解が出ています。
http://blog.apastyle.org/apastyle/2009/09/how-do-i-cite-a-kindle.html
簡略化して言うと、聖書のように章節で引用するというものです。
同じコンテンツが複数のバージョンで流通する場合には、それしかないと言うことでしょう。

また今は図書館の本も一部は複写できるけれど、それも技術的に不可ということになり、著作権コントロールが過剰になる気がします。環境管理型権力と言うことでしょうか。

追記 2010-05-07
著作権を問題にするときに、送り手の権利が強調されて受け手の権利がとりあげられないのはよろしくないと思っています。

環境管理型権力は下記の意味で使いました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%C4%B6%AD%B4%C9%CD%FD%B7%BF%B8%A2%CE%CF