錯視 日誌

錯視日誌

視覚と錯視の数理における非線形性

電子情報通信学会誌98巻11号(2015)の特集は『非線形理論とその応用』です。これはNOLTA(Nonlinear Theory and Its Applications)ソサエティの発足を記念して組まれた特集ということです。
NOLTAソサエティ発足、おめでとうございます。
この特集への寄稿を依頼され、執筆した
『視覚と錯視の数理における非線形』
が同誌に掲載されました。
https://researchmap.jp/muvhc3l5q-1779138/#_1779138
にそのpdf版をアップしました。ご覧いただければ幸いです。
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文字列傾斜錯視自動生成ソフトのデモします

 文字列傾斜錯視自動生成ソフト(新井・新井作成)のデモンストレーションをサイエンスアゴラ2015で行います!
 実際にお試しになることもできます。
 期間は 11月14日(土)ー15日(日)、場所は日本科学未来館、『五感で感じる産学連携』の会場内です。 


文字列傾斜錯視自動生成ソフトの画面の一部
好きな文字列と数字を入力する。すると、その文字列を構成する文字から、(もし存在するならば)指定の文字数の文字列傾斜錯視になるような文字の配列を数学的に求めて錯視を表示する。


『五感で感じる産学連携』
は、科学技術振興機構・産学連携事業がサイエンスアゴラ2015で開催する催しです。嗅覚、聴覚、視覚、味覚、触覚という人の感覚に関するさまざまな研究成果の展示・実演・説明が行われます。


 この五感のうちの「視覚」セクションのテーマは

    『数学から生まれる画像処理技術で脳をだます』


というもので、私の研究成果の展示です。数理視覚科学の研究と、それを応用した各種画像処理の新技術のいくつかの展示をします。そして、文字列傾斜錯視自動生成ソフトのデモも行います。

 文字列傾斜錯視自動生成ソフトは、特許第5456931号(発明者:新井仁之、新井しのぶ、特許権者:JST)を使って作成したものです。

 五感で感じる産学連携に関する詳しい情報は

http://www.jst.go.jp/csc/scienceagora/program/booth/aa_016/

をご覧ください。
 

東京大学大学院数理科学研究科 新井仁之

 


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数学領域 CREST と PRESTO で得た成果のまとめ

科学技術振興機構(JST)の PRESTO (さきがけ)では 2007 年9月から、引き続きCRESTでは 2010年9月より研究を行い、今年度でこの研究費は終了します。8年半もお世話になりました。あと半年残ってますが、CRESTの成果報告文を提出しなければならず、これを機に PRESTO / CREST での研究成果をパワポ一枚にまとめてみました。
研究自身はまだまだ発展途上中なので、CREST終了後もこの研究を続行していきたいと思っています。





参考サイト
錯視の科学館:http://www.araiweb.matrix.jp/Exhibition/illusiongallary4.html

東京大学大学院数理科学研究科 新井仁之


キーフレーズ
純粋数学の新しい結果を生み出し、脳内の視覚情報処理の数理モデル研究、アート、各種画像処理の新技術の発明、そして数学イノベーションの創出。

キーワード
数理視覚科学、錯視、視覚、ウェーブレット、かざぐるまフレームレット、数学イノベーション、数学と異分野の融合的研究、数学とアート、画像処理。
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今日の神保町

今日の夕方は空気が澄み、少しひんやりとして散歩日和。ふらっと神保町を散策しました。学士会館の方から、靖国通の一本手前、東京堂が面している通りに出ると、道の端から端までが車両通行止めされ、たくさんの出みせが路上を占領していました。
何だろうと思って、あたりを少し見回すと、神田古本まつりののぼりが。
何の目的も期待もなく散歩していたところ、突然お祭りに出くわしたようです。
路上には出版社ごとに展示販売のスペースが設けられていて、飲食物を売るところもあり、老若男女でごったがえしていました。
一人で殻の中に閉じこもって考えを暖めていたのが、急に思考を中断されてしまいました。その代わり見知らぬ人たちとはいえ、周囲に大勢の人がいることで孤独感が消え、結局、日が暮れても、ライトで照らされた明るい祭りの中を漂っていました。
今日は、そんな一日でした。
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ロボット工学セミナー「数理モデルとロボット」で講演

 日本ロボット学会主催の第95回ロボット工学セミナー「数理モデルとロボット」に招かれ、講演をしてきました。場所は中央大学後楽園キャンパス。講演者は全部で五人おり、私は午後の最初の講演でした。主催者の方のお話では、五名のうち三名をロボット研究者、二名を数理モデル研究者という構成にしたそうです。私はもちろん後者です。脳内の視覚情報処理の数理モデルとその画像処理への応用について話しました。
 セミナーでは、動物や虫をモデルにしたロボット開発、それに使われる数学の話、ロボットの動画など、普段見聞きすることのできない面白いロボットのお話を聴講することができました。
 なおこのセミナーは遠隔配信されて、東京に居られない方も聴講できるシステムになっていました。遠隔同時配信のセミナーを経験するのは初めてでしたが、自分のパソコンのパワポの画面が音声付きで配信されているようでした。パソコンの設定は全部お任せでした。
 関係者の皆様、どうもありがとうございました。


(参考)ロボット工学セミナーのサイト:
http://www.rsj.or.jp/seminar
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ローマ字傾斜錯視

ローマ字傾斜錯視

新井仁之、新井しのぶ


 水平に配列されている文字列が傾いて見える文字列傾斜錯視は、主に日本語で作られてきました。錯視に関する講演をしていると、ときどき「日本語以外でも文字列傾斜錯視はできるのか?」、「文字列傾斜錯視自動生成プログラムで、日本語以外の文字の傾斜錯視もできるのか?」と質問されます。答えは「Yes」です。ローマ字の傾斜錯視もわずかながら知られていますし、数式ですら傾斜錯視があります。それから文字列傾斜錯視自動生成プログラム(新井・新井)では、漢字、ひらがな、カタカナだけでなく、たとえばローマ字、ロシア文字といった文字による文字列傾斜錯視も作ることもできます。
 ローマ字の例をいくつか紹介しましょう。一例として AMaZon という単語を並べ替えて文字列傾斜錯視を作ることができます。




 これは、文字列傾斜錯視自動生成プログラム(新井・新井)を用いて発見したものです。その画面は次のものです。




 ただ、この錯視はやや錯視量が少ないといえるでしょう。もっと錯視量の多いものも文字列傾斜錯視自動生成プログラムを使ってできます。作成例を二つ挙げます。





 ローマ字による文字列傾斜錯視は、日本語の文字(漢字+ひらがな+カタカナ)に比べると、文字数が少なく、その分作りにくいといえるでしょう。
 ところで、ひらがな、カタカナ、漢字の場合は、一つ一つの文字が音節を表しているので、文字列を音読することができ、単語としては意味がなくても、その発音が奇妙で面白いということがあります。これに対してローマ字の場合は、文字列を発音できるとは限りません。作りにくいと言うことに加えて、このことが欧米で文字列傾斜錯視が流行りにくい要因になっているのかもしれません。

 なお文字列傾斜錯視はフォントや字間に依っています。上記のものはMSゴシック 12pt 全角文字を使いました。別のフォントを使うと錯視量が弱くなることもあります。


 文字列傾斜錯視については、錯視の科学館に展示の文字列傾斜錯視作品集もご覧ください。



文字列傾斜錯視自動生成アルゴリズム・プログラム(特許、発明者:新井仁之、新井しのぶ、特許権者:科学技術振興機構)
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書店フェア最終日

8月から開催されていた
『数学者 新井仁之先生の本棚フェア』
書泉グランデ 神田店 (20時閉店)
MARZEN&ジュンク堂 梅田店(22時閉店) 
が今日で終了します。
数学書42冊
その他4冊
自著9冊(単著6冊、分担執筆書3冊)
を選書して、ポップ解説しました。
ご来場いただきました方には心より感謝申し上げます。
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本物の凄さ、印刷では表せない「印象 日の出」 -モネ展-

 昨日ほど本物と印刷との違いを実感したことはありませんでした。絵画の話です。
 仕事を終えてから、日も暮れかかった頃に上野の東京都美術館を訪れました。ここに来るのは半年ぶりです。週末は夜の9時まで開館しているので、業務が終わってから美術館に入ってもゆっくりと絵を鑑賞できます。訪れた展覧会は『モネ展』。マルモッタン・モネ美術館に所蔵のモネの作品を集めたものだそうです。
 今回はこのモネ展の印象記です。

 ー*ー*ー

 人気のある画家の作品展なのでさぞ混でいるだろうと思いましたが、会場が広々としているせいか、それほどの人混みは感じられませんでした。
 入場すると、まず「家族の肖像」というテーマの展示がありました。モネが自分の子どもを描いた作品を中心に、ルノワールによるモネとモネ夫人の肖像画、それに次女のブランシュ・オシュデ=モネの風景画2点などが飾られていました。ブランシュは10代半ばからモネの隣で絵を描き始めたそうです。タッチや色の使い方はモネに似たものですが、モネほどの複雑さはなくやや単純です。しかしそこにはモネに対する敬慕の気持ちが感じられるような気がしました。図録によれば、ブランシュはモネの二番目の妻の連れ子で、後にモネの長男(実子)と結婚し、夫の死後は再びモネの元に戻り、ずっとモネの面倒を見ていたそうです。
 展示されていたブランシュの絵そのものは、モネの死後に書かれたものと製作年不詳の作品です。しかし、その絵を見ているとモネと少女が隣り合って絵を描き、ときどきモネが少女のキャンバスをのぞき込んでいるといった微笑ましい光景が思い浮かんできました。
 そんなのどかな感傷の余韻に浸りながら、「家族の肖像」から次のテーマ「モティーフの狩人」のスペースへと足を向けます。
 このコーナーにある作品の中でひときわ目をひくのが『霞のヴェトゥイユ』でした。白い霞の奧に大まかなぼやけた風景が広がっている絵です。自分が異次元の世界からこの世界を見つめているような感覚に襲われます。この絵の白っぽい薄いグレーの「色」が目から入ってくると、その瞬間に脳の中をこの「色」が埋め尽くし、美術館にいるという自分を取り巻く現実の感覚が消え去ってしまうのです。絵の空間が自分の周りにまで広がり、3次元的に霞と共に膨らんだ絵の世界に入り込んでしまったかのようでした。
 その次のテーマは「収集家としてのモネ」。ドラクロワ、ピサロ、ロダン、ルノワール、シニャックなどの作品で、モネの手元にあったものが展示されています。特にロダンがモネに贈った自作のブロンズ彫刻『洞窟の中の若い母』を前にしばらく足が動かなくなりました。この作品は狭い閉塞的な空間のなかで子どもを抱いている母親の姿を彫ったものですが、ブロンズ色の硬質な素材にもかかわらず、体のぬくもりと愛情がまるで体感できるかのように伝わってきます。なるほど、母親と幼い子どもがいっしょにいるときは、そこだけ母子だけの小さな閉じた空間を形成しているのかもしれません。固いブロンズから、それとは正反対の肉体の暖かさと柔らかさが視覚を介して感じられるのは、人の視覚が他の感覚に繋がっていることを示すものでしょう。そして、その感覚を呼び起こすトリガーを見事に創り出せるロダンの感性と技術には「さすがロダン」と思わせるものがあります。

 モネやモネ所蔵の作品群が感覚に放ってくる静かなエネルギーによって、こちらの感覚が鋭敏になってしまい、それに耐えきれなくなった頃、そこから解放してくれるのが次のテーマ「若き日のモネ」です。ここでは、モネが風景画家を志す前に描いた楽しいカリカチュアの数々が展示されています。解説によれば、モネは学校で授業をほとんど聴かずに、カリカチュアをノートに描いていたそうです。やがてモネのカリカチュアは地元で評判となって、売れるようにまでなり、それに目をとめたブーダンがモネに画家への道を勧たとのことです。
 以上で、ロビーフロアー階の展示は終わり、1階の会場に移ります。

 長いエスカレータで上階まで上がり、少し廊下を歩いていくと、右手に展示会場が開けます。「ジョルジュ・ド・ベリオ・コレクションの傑作」のテーマスペースです。
 そこでまず目に入ってきたのが、光る絵でした。それは透明な材質に描かれ、バックライトで照らし出されているかのようでした。描かれている絵は、画集、テレビなどでお馴染みのあの有名な『印象 日の出』でした。近くに寄るまで、
 「ああ、ここの一画に日の出があって、その宣伝かな」
 と思っていましたが、そうではなく、その絵が日の出そのものだったのです。しかも、もちろんバックライトなどでは照らし出されていません。薄暗い展示の奧の壁に日の出が掛けられていて、それが光を放っていたのです。
 これは決して比喩的な表現ではありません!
 本当に絵から光が放たれているように見えるのです。この光は、これまで私が見た如何なる印刷物からも、映像画面からもわからないものでした。今回、本物を見て初めて知ったことです。
 印象派の名称は、この『印象 日の出』から生れたものであることは有名で、たいていこの方面の本に書かれていることです。しかし、本だけで学んだことは、その事実を単に知識として実感もなしに身につけているに過ぎないものであることを、今回ほど思い知らされたことはありません。実物を見て初めて『印象 日の出』が印象派の誕生を告げるに相応しい、光と色を表す奇跡的な作品であることを理解できました。
 遠くから、近くから、また右から左から、この絵の放つ光の不思議さに心打たれながら、30分以上は、この作品を見入っていました。

 ところで、この『印象 日の出』ですが、宇宙物理学者のドン・オルソンという人が、描かれた情景を気象データを元に物理学的に分析した結果、1872年11月13日、7時25分から35分の間のものであることがわかったそうです。その解説パネルの展示もありました。それを読んでいるとき、側を通りかかった人の一人が連れの人に
 「こんなことを調べてどうしようというのかしら」
 と話していました。さあ、どうにかなるものでもないけど、多分私もこのことを疑問に思ったら、何の役にたつかは度外視して、分析にはまっていたでしょう。世の中にはそういう人種もいるのですよ。そう心の中で答えていました。

 『印象 日の出』を永遠に眺めていたいと思いつつも、しぶしぶ次ののテーマへと移動しました。「モティーフの狩人II(ノルマンディーの風景)」、そして「睡蓮と花 -ジヴェルニーの庭」です。睡蓮の水面には、相変わらず魅力的な滑らかさがありました。
 
 これで1階の展示は終わりです。再びエスカレータに乗って2階へ。最後の会場です。そこは「最晩年の作品」で飾り尽くされていました。このコーナーは絵の前を展示順に移動しながら、かなり近距離で絵の具の重ね方、タッチなどを鑑賞していきました。『バラの小道、ジヴェルニー』の前に来て、
 「あれ、ポロックみたいだ」
 と数年前にポロック展で観た絵が思い出されました。あわてて、後ろに下がり、会場の端まで行き、遠方から絵を見直すと、確かにバラの小道です。近くから見るとポロックを予感させますが、これは抽象画ではなく、ポロックとは根本的に違うものです。
 後で購入した図録を見ると、『しだれ柳』の連作のところでポロックのことが想起されると書かれていましたので、晩年のモネの作品の一部に、ポロックへの発展を感ずることは不自然ではないようです。
 モネの作品展は、そのしだれ柳の連作で最後となります。一番最後の『しだれ柳』は、一見抽象的な絵ですが、それは抽象画とは違うものです。「抽象」ではなく、現実を絵画で表すときの様々な規則を排除し、「印象」のみを抽出した作品です。

 展示スペースを後にすると、引き続き例によってミュージアムショップがありました。そこにはモネの安っぽい印刷の贋作が所狭しと飾られていました。
 それらが目に入ってくると、せっかく脳の中がモネの作品で埋め尽くされているのに、それが台無しになるような気がして、偽物は何も見ないようにしました。

 ー*ー*ー

 それにしても、叶わぬ夢とは思いつつも、いつの日かフランスへ絵画を見る旅に出たいものです。
 次の句がふと頭をよぎります。
「九月三日の朝三時に、私はこっそりとカールスバートを抜け出した。そうでもしなければ、とても旅には出られそうにもなかったので。・・・私は旅嚢と穴熊皮の鞄を用意しただけで、ただひとり郵便馬車に乗り込み・・・」(ゲーテ「イタリア紀行」(相良守峯訳、岩波文庫)より抜粋)


2015/10/3 H.A.

 

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ポインセチアの錯視 -クリスマス浮遊錯視アート

Researchmap 錯視アート展より

クリスマスの浮遊錯視 2015
新井仁之、新井しのぶ

Fuyuu Illusion for Christmas 2015
Hitoshi Arai and Shinobu Arai


 浮遊錯視の新作です。ポインセチアの写真を撮り、それに浮遊錯視生成プログラム(新井・新井)を使って、クリスマスリースをイメージした錯視デザインを作成しました。
 各画像の中央にある赤紫の小さな丸を見ながら、顔を画像に近づけたり遠ざけたりしてください。ポインセチアが円上を浮遊しているように見えます。

[English]  
  "Fuyuu" is a Japanese word which means "floating" or "moving".
 The following two pictures are new illusion arts by ourselves. We made these works from a photo of a poinsettia by using our computer program "Fuyuu illusion maker". Please see our website for details of fuyuu illusions.  
     
  How to view the illusion arts: While looking at the magenta small circle in the center, move your face toward and away from the image. The poinsettias appear to float in a circlular shape !

ポインセチアの浮遊錯視1

ポインセチアの浮遊錯視1 (H. Arai and S. Arai, 2015)



ポインセチアの浮遊錯視2

ポインセチアの浮遊錯視2 (H. Arai and S. Arai, 2015)





ポインセチアの浮遊錯視3

ポインセチアの浮遊錯視3 (H. Arai and S. Arai, 2015)

 前回作成したクリスマス用の浮遊錯視作品も再掲しておきます。


クリスマスリースの浮遊錯視(H. Arai and S. Arai、2011)




 本サイトに掲載の作品の著作権は新井仁之、新井しのぶにあります。無断での転載等はご遠慮ください。
 本作品に関する問い合わせ先:錯視の科学館インフォメーション

 錯視の科学館展示もご覧ください。錯視の科学館にはこの作品をはじめ、数々のオリジナル錯視アートの展示があります。詳しくはこちらをご覧ください。
錯視の科学館 WEB SITE

オリジナル浮遊錯視グッズを作ってみませんか?

ゆらりえ/YURARIE  楽プリ株式会社  詳しくはこちら

楽プリ株式会社の新ビジネス企画「ゆらりえ」には、浮遊錯視生成技術(特許、発明者:新井仁之、新井しのぶ、特許権者:JST)が使われています。ゆらりえは、TV東京 ワールドビジネスサテライトの「トレンドたまご」で取り上げられ放映されました(2015/8/27)詳しくはこちら
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土倉保著「フーリエ解析」 -追悼 土倉保先生-

 今はほとんど書店で見かけることはありませんが、至文堂から「近代数学新書」というシリーズが刊行されていました。このシリーズにはいろいろと良い本が含まれておりましたが、今日、取り上げるのは土倉保著「フーリエ解析」(1964年刊)です。



 本書の特徴をひと言でいえば、応用数学ではなく、純粋数学としてのフーリエ解析の醍醐味を満喫できる本ということになるでしょう。フーリエ解析のかなり専門的な事柄に立ち入った入門書です。こういうタイプの本が今後書かれることは、現在の出版の風潮を考える限り、残念ながらあまり期待できそうにありません。その意味でも本書はフーリエ解析の貴重な和書の一冊です。
 この本が今風のフーリエ解析の教科書と一線を画する点は、取り上げている題材にあります。本書では通常の基礎理論のほかに、総和法、絶対収束、希薄級数、Wienerの理論などにかなりのウェートが置かれています。特に絶対収束に関する部分は、古典的に重要な結果が網羅されていると言えるほど詳しいものです。最終章はWienerの理論ですが、ここでは可換バナッハ環論への発展までが記されています。
 これだけの内容のフーリエ解析の入門書は、最近ではほとんど見ることができません。語り口は、特段着飾ることもなく、淡々としたもので、本書を読んでいると寡黙な案内人に先導されて、一歩一歩非常に濃厚な世界へと踏み込んでいくような気持ちになります。
 本書は、猪狩惺先生の名著「フーリエ級数」(岩波全書、1975年刊)とともに純粋数学としてのフーリエ解析の和書の双璧といえるでしょう。

 土倉先生は東北大学の名誉教授で、日本に於ける実解析学の重鎮のお一人でした。たいへん残念なことに、今年の8月29日に92歳の生涯を閉じられました。晩年は和算のご研究をされておられましたが、「フーリエ解析」はもともとの先生のご専門であります。私が東北大学理学部助手に赴任したときには、土倉先生はすでにご退官されていましたが、先生が東北大学の数学教室に来られたときをはじめ、実解析、マルチンゲールの研究集会などでもお会いする機会がたくさんございました。いつもゆっくりとした調子でおだやかにお話をされておられました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

新井仁之
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トレンドたまごで紹介された「ゆらりえ」錯視デザイン集

 錯視の新しい形態のビジネス「ゆらりえ/YURARIE」(楽プリ株式会社)が、テレビ東京のワールドビジネスサテライト「トレンドたまご」(2015年8月27日)で特集されました。そのときに紹介された楽プリ社による錯視デザイン商品集が同社のHPにアップされています。

http://www.rakupuri.net/product/yurarie.html

のサイトの下の方に
「2015年8月27日(木) テレビ東京のワールドビジネスサテライト「トレンドたまご」で紹介された、「ゆらりえ / YURARIE」デザインを使った商品をご覧いただけます。」
と書かれている部分がありますので、そこをクリックするとご覧になれます。
どうぞご覧ください。
 
 なお「ゆらりえ」の元になっているのは、浮遊錯視生成技術(特許、発明者:新井仁之・新井しのぶ、特許権者:JST)です。これは、脳内の視知覚に関する情報処理の数理モデルにおいて、錯視に関与する神経細胞に相当するものを数理モデル上で制御することにより、コンピュータを用いて錯視画像を作るというもので、錯視を生み出す技術としては「世界初!」の新しいものです。


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キーワード
数学と異分野融合
数学イノベーション
数学と視覚科学、錯視科学、アート、商業の異分野融合の研究&ビジネス。
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書評 関数解析学(リース、ナジー著)

今回取り上げる本は
Frigyes Riesz、Bela Sz.-Nagy 著 Functional Analysis、
関数解析学の古典的名著と謳われている本です。原著は ''Lecons d'analyse fonctionelle'' (1952)、英訳版は Dover からペーパーバックで出版されています。日本語翻訳版のリース・ナジー「関数解析学」(秋月康夫他訳、共立出版)もありましたが、現在は取り扱われていないようです。

Functional Analysis (Dover Books on Mathematics)
Frigyes Riesz, Béla Sz.-Nagy, Mathematics
Dover Publications(1990/06/01)
値段:¥ 3,114


 もう60年以上も前の本だから古くさいのではないか?
 そういう疑問を持たれる方もおられるかもしれません。確かに本書は、現在刊行されている関数解析学の本の構成とはかなり違ったものになっています。しかし、今となってはそれがまた、本書の大きな魅力の一つになっていると言えるでしょう。今風の本と本書の違いをひと言で言えば、現代の関数解析学の本の多くが、綺麗に完成された建造物の優れたフロアー案内であるのに対して、本書は敷地の土質にまで立ち入った建築の仕様書になっていることです。実際、著者のリースは、関数解析学の基本的な定理の一つであるリースの表現定理をはじめ、リース・フィッシャーの定理などでも知られている関数解析学建設のキーパーソンの一人でした。またナジーも作用素論では黎明期から活躍した著名な数学者です。
 本書の進行構成は、ルベーグ積分、積分方程式、ヒルベルト空間とバナッハ空間、ヒルベルト空間上の完全連続対称作用素、有界作用素、非有界作用素、スペクトル分解、半群論といったものです。このように要約してしまうと、ある意味現代の標準スタイルと変わらないようにも思えますが、それは見かけのことで、実際に中を見ると大きく違うことがわかります。
 抽象解析の本でありながら、前半はほぼ古典解析の話です。このことは、彼らにとって関数解析学がすでに天下り的にあったものではなく、古典解析という土地を自分たちで綺麗に整地し、その上に関数解析という近代的な建物を建築していったという苦労があったことを反映しているのだと思われます。今の案内人は、来客に最上階からの優美な眺めを見せますが、その建物の地下深くに打ち込まれた土台までは見せません。また来客の多くもそこまで見たいとは思わないのでしょう。

 まだ本書をお読みになられたことのない方は、とにかくまずは第1部の「微分と積分の現代的理論」だけでもご覧ください。この本の存在意義がわかると思います。ルベーグ積分の解説ですが、通常のルベーグ積分の教科書とは違う古典解析としてのルベーグ積分、つまりルベーグを筆頭とする人たちによる微分の理論と積分論、そしてその関係が記されています。現代のルベーグ積分の教科書に慣れている私たちにとっては、目から鱗の感動が得られると思います。そしてじつは意外にそれが後々、痒いところに手が届くという効用をもたらします。なお第1部の最後がダニエル積分であるのは、当時の世相を表しているのでしょう。


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『ワールドビジネスサテライト』でゆらりえ・浮遊錯視が紹介されました

27日のワールドビジネスサテライト(TV東京)の「トレたま」で、浮遊錯視の商品化企画『ゆらりえ/YURARIE』が紹介されました。
キャスターの相内優香さんをはじめ、トレたまのスタッフの方々が「JSTフェア2015」の「数理視覚科学からのイノベーション -錯視と画像処理-、新井仁之、楽プリ株式会社、六花亭」コーナーに取材に来られ、同日夜に放映されました。詳しくはこちら:

相内キャスターによる番組予告(WBSのFacebook 内)

録画がこちらでご覧になれます(WBSのサイト)

なお浮遊錯視の展示は28日も引き続きJSTフェアの同コーナーで行われます。
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JSTフェア2015より「数理視覚科学からのイノベーション」

『JSTフェア2015 -科学技術による未来の産業創造展-』(於 東京ビッグサイト)が本日開催されました。この催しでは、JSTやその他の機関からの産業応用技術の紹介が、セミナー、シンポジウム、展示などの形で行われ、大盛況でした。
私はフェア会場で行われた知財セミナーでの30分のレクチャー
『数理視覚科学からのイノベーション - 錯視と画像処理 -』
を午前中に行いました。講演終了後、同じタイトルの展示コーナーに行き、午後はそこで過ごしていました。このコーナーでは、私が発明した特許技術(特許権者:JST)を元に、楽プリ株式会社さんが独自の染色方法を使って作成した製品がたくさん陳列されました。楽プリさんが今年の7月から始めた新しい錯視ビジネス企画『ゆらりえ/YURARIE』の展示です。
なお展示は明日も続きます。



会場の東京ビッグサイト


ビッグサイトを入るとJSTフェア2015の大きな看板がありました。



とりあえず、知財セミナーの会場に。開催前に到着。聴衆が来場するまえに一枚。



講演開始。お陰をもちまして満席でした。


展示会場に。展示は楽プリさんが行いました。ゆらりえ/YURAIEの展示。
六花亭商品も展示されてます。


JSTからの依頼で作成したオリジナル錯視うちわ。JSTフェア、及び
同時開催のイノベーションジャパンで来場者に配付!

追記)
今回の展示『ゆらりえ/YURARIE』がワールドビジネスサテライトの「トレンドたまご」で紹介されています。
録画がご覧になれます(WBSのサイト)。
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神保町-お台場 とりとめのない覚え書き

 今日は神保町の書泉グランデさんを訪ね、私が関係しているフェアを見学しました。
 その後、某出版社の方たちに連れられて「ミロンガ・ヌオーバ」へ。煉瓦作り風のレトロな喫茶店です。「文豪たちの神保町」というサイトがありますが、それによると、昔、ミロンガはランボウという名前で、遠藤周作が足繁く通ったそうです。それにしても神保町は、「ミロンガ」、「さぼうる」、「ラドリオ」等々、昭和の香り漂う喫茶店が多いところです。小一時間ほどミロンガで話をしてから、出版社の人と別れ、いつものように一人書店巡りをしました。
 本屋を梯子して何冊か本を購入し、いきつけの店に寄ってそれを斜め読みしたあと、その店で明後日の『JSTフェア -科学技術による未来の産業創造展-』で行う講演のパワポの準備をしました。会場は東京ビッグサイト。ゆらりえ/YURARIE の展示もあります。 
 先月もゆらりえの関係で、東京ビッグサイトに行ってきましたが、そのときは『販促EXPO』という催しで、広大な会場に大勢の人が集まってきました。JSTフェアは今年が第一回の開催なので、どのくらいの人が集まるのか行ってみなければわかりません。
 ところで、馴染みの神保町から、たまにお台場のような所に行くと、60年代の昭和と21世紀の平成をタイムスリップしているような気になります。
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数学の和書の文庫化は進む。電子書籍化は?

 最近、数学書の文庫化が進んでいるようです。以前、コルモゴロフの『確率論の基礎概念』が文庫化され、驚ろきましたが(*1)、さらに文庫化の流れには拍車がかかり、遂に吉田洋一著『ルベグ積分入門』がちくま学芸文庫から刊行されるに至りました。これまで、一般向けの数学書や歴史的に重要なもの、たとえばコルモゴロフやワイルなどの著書が主に文庫化されていました。文庫化の対象範囲はかなり広がってきたようです。
 吉田洋一氏の本はもともと培風館から出版されていたものです。一昔前は、ルベーグ積分の入門書というと、よく書店で見かけるものは、この本か伊藤清三著『ルベーグ積分入門』(裳華房)くらいでした。レベルをとるなら伊藤先生の本、敷居の低さをとるなら吉田氏の本といった棲み分けがされていたように思います。

 ところで、「海外では着々と進んでいる電子化は?」というと、 日本の数学書の場合、一般書はともかく専門書レベルのものは、極めて遅遅として進んでいません。その理由は私には不明です。
 文庫化と電子化。日本の数学書は、筑摩書房さんが切り開いた前者の路線を歩んでいるといえるでしょう。最もこの路線は筑摩書房さんのほぼ独壇場ですが。


*1: 印象深い確率論の本と伊藤清著「確率論」幻の1953年版



ルベグ積分入門 (ちくま学芸文庫)
吉田 洋一
筑摩書房(2015/08/06)
値段:¥ 1,404

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本棚フェア続報 @ MARZEN & ジュンク堂

MARZEN&ジュンク堂(大阪・梅田店)さんでも
『数学者 新井仁之先生の本棚フェア』
が開催されています。その関連サイトが同書店のホームページにアップされました。
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=9968
手書きポップの一部もご覧いただけます。

書泉グランデ(東京・神保町)さんと東西同時開催です(前回のブログ参照)。期間は両方ともに10月4日までです。
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リーマンと実解析学 in 「リーマン その多様な業績に迫る」

 来年 2016 年は数学者のベルンハルト・リーマンの没後150年にあたります。今月発売予定の雑誌『数理科学』(9月号)の特集は

『リーマン その多様な業績に迫る』

です。この特集ではリーマンの数学に関する多様な業績とその後の影響について、数名の数学者の方が分担して解説を書かれています。私は実解析学の部分を依頼され、

『リーマンと実解析学』

を担当しました。
 拙稿では、はじめにリーマンの積分論や三角級数論に関する研究の意義とその後の発展を解説しました。それから、リーマンが1861年頃に講義中に述べたとされるいわゆるリーマン関数についても触れました。リーマン関数は、微分不可能な点と微分可能な点が混在しており、その状況が完全に解明されたのは、100年以上経った1970年でした。詳しくは拙稿をご覧ください。
 なお今回の解説では、リーマン、ワイエルシュトラスの論文からの引用をしている箇所がありますが、いずれもドイツ語原論文からの拙訳です。

 「特集」では、このほか、複素関数論、アーベル関数論、数論、代数幾何学、微分幾何学などの分野に於けるリーマンの仕事と周辺について、それぞれの専門家の方が解説を書かれています。


 リーマンが講義中に述べたとされるリーマン関数のグラフ(MATLABを使って描画)
リーマン関数



数理科学 2015年 09 月号 [雑誌]
サイエンス社(2015/08/20)
値段:¥ 1,030

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講演&展示のお知らせ:JSTフェア2015 科学技術による未来の産業創造展

 8月27日、28日に開催される『JSTフェア2015 - 科学技術による未来の産業創造展 -』(於 東京ビッグサイト)で、30分講演をします。タイトルは

 「数理視覚科学からのイノベーション - 錯視と画像処理 -」(27日、11:00-11:30)

です。数理視覚科学を用いた錯視研究とその商品化例、脳内の視覚情報処理の筆者による数理モデルを用いた鮮鋭化技術・色の逆問題等々に関する画像処理、ディジタル・フィルタの新しい設計法など、最近までに得た研究成果について講演する予定です。
 また、フェア開催の二日間、数理視覚科学による具体的な製品化例の展示も行われます。
 
詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.jst.go.jp/tt/jstfair/presentation/index.html


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ゆらりえ / YURARIE ー 数学イノベーションです

 数学を使った視覚・錯視研究から生れた新しい企画、ゆらりえ / YURARIE (楽プリ株式会社)のサイトが同社のホームページに作られました。いろいろな面白いサンプルの写真もあります。お時間のあるときにご覧ください。

ゆらりえ/YURARIE のサイト
http://www.rakupuri.net/product/yurarie.html
 
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本棚@書泉グランデ(神保町店)

 8月3日から10月4日までのおよそ二か月間、東京神保町にある書泉グランデさんの4階(数学書売場)で、数学をはじめ、その他のジャンルから、私が選書した本を展示するフェアが開催されています。本の簡単な紹介を書いたポップもあります。企画の名称は『新井仁之先生の本棚フェア』です。

 選書した本につけたポップ・コメントが 書泉グランデさんTwitter で順次公開中。


フェア風景(書泉グランデさん撮影)


MARZEN&ジュンク堂(梅田店)で『数学者 新井仁之先生の本棚フェア』が同時開催しています。こちらの続報があります。詳しくはこちら。
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Information about illusion and image processig

サイエンティフィック・アメリカン誌の編集者でサイエンスライターの G. Musser 氏による
Critical Opalescence - A blog about cutting-edge physics 
の中にある
Living in a World of Illusion 
New visual illusions from Japanese mathematicians Hitoshi and Shinobu Arai
で私の錯視と画像処理に関する研究成果が特集されました。
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新井賞って何だろう

夕方、神保町界隈を散歩したついでに、三省堂書店に寄りました。芥川賞・直木賞が発表され、書店でも大々的に取り扱われていました。その芥川賞・直木賞の本の隣に、したがって書店の中では多分、比較的良い位置に「新井賞」というポップがあり、その下に受賞作品が平積みになっていました。
新井賞??
これまで、自分と同じ名字の賞があるとは知りませんでした。もともと文学の世界とは縁遠いとはいえ、それにしても聞いたことがない賞です。新井で私が思いつく作家の名前は新井満、新井素子ですが、どちらかのかたに因む賞なのだろうか?などと想像していました。
帰宅後、気になったのでネットで検索。
なるほど、本屋大賞などもあるのだから、こういう賞も面白いかもしれません。新井賞のことをご存じなく、なおかつ興味のある方は
こちら(新井賞を作った方の記事) 
をご覧ください。
(じつは芥川賞、直木賞、三省堂書店が keywords の一部です。)
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ゆらりえ / YURARIE @ 東京ビッグサイト

東京ビッグサイトで開催中の販促EXPOに「ゆらりえ」の展示を見に行ってきました。販促EXPOというのは、「ノベルティグッズ・WEB販促サービス・印刷サービスなどが一堂に出展する販促業界最大の商談専門展」(販促EXPOホームページより引用)です。「ゆらりえ」は、楽プリ株式会社さんが浮遊錯視生成アルゴリズム・プログラム(特許、新井・新井、JST)を使った浮遊錯視の製品、印刷物、染色物などへのデザイン受注をするものです。2015年7月からスタートしました。
数学によるイノベーション創出の一例にもなっていると思われます。
詳しくはこちらをご覧ください。
楽プリさんのHP
ゆらりえ/YURARIE (錯視の科学館内)
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答えのない質問の浮遊錯視

 疑問符をデザインした錯視作品を作成しました。画面を上下にゆっくりスクロールすると、小さな疑問と大きな疑問が浮遊して見えます。顔を画像に対しゆっくりと上下、あるいは左右に動かしても錯視がおこります。また、顔をゆっくりと画像に近づけたり、遠ざけたりすると大きな疑問が伸縮して見えます。
 この錯視作品のタイトル『答えのない質問の浮遊錯視』は、チャールズ・アイヴズが1908年に作曲した5分程度の短い管弦楽曲『答えのない質問』からとりました。このところ、答えのない質問を考えては、悩んでいます。


答えのない質問の浮遊錯視

Fuyuu Illusion of the Unanswered Question(by Hitoshi Arai and Shinobu Arai)



How to see the illusion:  Please see the picture scrolling slowly up and down.  Repeat this action. You feel that a big question and small questions are sliding on the picture. Or you can see the almost same illusion if  you see the picture moving slowly your head from above to below (from left to right) and then from below to above (form right to left). 
This picture has more one illusion: Please bring your head close to the picture, subsequently keep away your head from it, and repeat this action. Then you perceive like a big quesion is beating. 
 The title of this illusion is inspired from the music "The Unansered Question" by C. Ives.
 We made this work by using the ``Fuyuu Illusion Program'' (US & JP Patent, H. Arai and S. Arai, JST).

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A Lecture at Robotics Seminar

第95回ロボット工学セミナーで1時間講演をします(詳しくはこちら)。4月に日本医学放射線学会で特別講演をしましたが、5、6年ほど前から、数学よりもそれ以外の分野からの講演依頼の方が圧倒的に多くなりました。
数学以外の分野の集まりに話しに行くのは、見知らぬ土地へ旅に行くのと同じように思えます。旅の準備は必要ですが、実感として、普段住んでいる所とは違う世界の人や知識に出会えます。


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I will give a one hour lecture at the 95th Robotics Seminar of the Robotics Society of Japan (Oct. 15, 2015). 
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マグリット展で見た不思議な光の立体

 ベルギーの画家ルネ・マグリットの絵は、錯視関係の本ではときどき目にするものです。しかし、なかなか現物を見る機会がなく、特に、錯視の本でおなじみの「白紙委任状」は、まだ本物を一度も見たことがありませんでした。この絵は、森の中を乗馬している婦人が、木と木の隙間の空間によって分断されたように描かれたもので、あり得ない立体的配置と、視覚的な補間効果を狙ったアート作品です。錯視というよりはだまし絵といえるかもしれません。

 数ヶ月前に渋谷駅でこの「白紙委任状」を載せた『マグリット展』のポスターを見かけたとき、これが見られるのであれば、是非行かなければと思いました。とにかく一般的に言って絵の場合、本に印刷されたものと実物の絵とでは、その色があまりにも違い、また見たときの印象はそもそも別物だからです。
 しかし、この数ヶ月というもの、次から次へと仕事が湧き起こり、展覧会に行くことはできませんでした。そしていつの間にかすっかり展覧会があること自体忘れていました。

 先日、ある飲み会で知り合いのベルギーの人と話していたおり、話がマグリット展のことに及び、展覧会が行われていることを思い出しました。調べてみると開催期間は6月まででした。そうなると行くことが可能なのは、土曜か日曜、あるいは夕方に会議のない金曜日だけです。会場の国立新美術館は金曜日のみ夜も開館しています。ちょうど昨日は5時少し前に授業が終わり、そのあと会議の予定もなかったので、美術館に寄り道することにしました。

   ー*ー*ー*ー

 もともとマグリットに特段興味があるわけではなかったので、全く予備知識をもたずに美術館に行くことになりました。しかし、展覧会で彼のいろいろな作品を見ると、じつはそのうちのいくつかはどこかで目にしたことがあるものでした。たとえば「大家族」と「ゴルコンダ」の絵。これらは、ポスターか本かテレビかはわかりませんが、何度か見かけたことがありました。「大家族」は海の上に拡がるどんよりとした曇り空の中に、鳩が羽ばたく形がくりぬかれ、そこに青い空と白い雲の情景が描かれているというものです。「ゴルコンダ」は、くすんだ赤茶の屋根をもつ青みがかった灰色の建物とその上のそら色の空間に、数え切れないほどのコートを着た山高帽の紳士が浮いているという絵です。

 マグリットの絵の多くは、現実世界との乖離の仕方が綿密に考えられ、その思考の結論が絵になっているようなところがあると思います。そのため、その思考をたどれないと、奇妙な絵という印象しか得られません。私のような素人にはマグリットの思考を、絵にある情報だけから導き出すことは難しく、おそらく、できるにしてもかなりの時間がかかってしまうでしょう。ただ、現実にはあり得ない情景を描くときに、ときどき視知覚の機能を逆手にとっているようなものもあり、その部分については、マグリットが表現しようと意図した意味を考えなくとも、錯視、あるいはだまし絵として楽しむことができました。
 しかしマグリットの絵の中にも、思考せずに感覚的に楽しめたものが二つありました。一つは、「光の帝国II」です。空は昼間なのに、その下の林と家、道はすっかり暗くなった夜になっているというものです。それからもう一つは、険しい岩山がいくつも聳えている中で、巨大な岩が浮遊している「ガラスの鍵」です。どちらもとにかく美しい情景に描かれていて、それは、こういう世界にかつて居たことがあり、そしてもう一度そこに行ってみたいと思うようなものでした。

 さて、こういった絵を見ながら、マルグリットについてあれやこれやと考えているうちに、いよいよこの展覧会に来た目的、「白紙委任状」の前に来ました。この絵は最後の方に展示されていました。何度も本で見た絵であるだけに、かなりの緊張がありました。そこには二種類の「白紙委任状」が並んで掛けられていました。まず絵を遠巻きに見て、次に絵に近接しました。美術鑑賞の目というよりは、むしろ錯視効果を出すための細かい構図をよく観察しました。それから気になるのが配色。色についていえば、背景の多様な緑と黄緑の絡み合いのすばらしさは、やはり実物を見なければわかりません。ただ視覚のだまし絵としては際だって面白いものの、むしろ絵としては「光の帝国II」や「ガラスの鍵」の方により強い感銘を受けたというのが正直な感想です。

 ところで今回の展覧会では、思いもよらぬ収穫もありました。それは「イメージの裏切り」を見られたことです。展覧会の最後に展示されていました。これも知覚関係の本に出ているものです。じつは後で調べてわかったことですが、本に出ていたのは1929年の作品「イメージの裏切り」で、今回見たのは、1952年に描かれたものでした。その違いは、1929年のものには、カラーでパイプが描かれていて、その下に

Ceci n'est pas une pipe

 

という文字が書かれています。一方、1952年のものは、墨でパイプが描かれ、下には

Ceci continue DE NE PAS ETRE UNE PIPE


 
と刻まれた銘板の絵が描かれています。Ceci continue の意味は考え始めると、如何にも深みにはまり込んでしまいそうな問題です。今は他に考えるべきことがいくつもあるので、この問題は意識しないようにしました。

これはパイプではない
ベルギーのクッキー缶。「これはパイプではない」で有名な「イメージの裏切り」(1929)
が描かれている(マグリット展で購入)。


  ー*ー*ー*ー

 この展覧会についてもう一つ。これは書くべきかどうか迷ったのですが、やはり書くことにしたいと思います。マグリット展の広い会場の中で、一カ所だけものすごい錯覚を体験できる場所がありました。これはマグリットの絵とは関係がなく、展示物でもありません。会場の照明と、或る絵を納めた額のガラスが偶然にも生み出した効果です。そこではガラス面の光が、まるで絵から離れて会場の中に躍り出たように見えます。思わずその光を手に取れるのではないかと、無駄とはわかりながらも手を伸ばしてみたほどです。それが見ることのできる場所は「生命線」という絵から、やや距離をおいたところにあります。
 ただ、照明の具合、目の位置の高さなどの影響もあるでしょうから、行ってもそれを体験できるかどうかは保証できません。

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二つのトーク

 昨日と今日は二日連続で講演をしました。久しぶりの数学関係の方々の集まりでの講演でした。
 まず6月6日(土)は「数理*セミナー」という可積分系の専門家の方々のセミナーでした。私自身は可積分系の専門家ではありませんが、数理*セミナーはいろいろな分野の勉強会でもあるとのことでした。講演タイトルは
『視覚の情報処理の数理モデル - 錯視、脳、アート、そしてさまざまな画像処理-』
にしました。セミナーのあと、参加された一部の方々と渋谷で懇親会がありました。これまで可積分系の研究者の方と話をする機会はほとんどなかったため、新たな交流ができました。
 翌7日(日)は日本数学協会主催の講演会でした。日本数学協会は同HPによると「数学を楽しみ、数学文化を豊かに育む」ための集まりとのことです。こちらのタイトルは
『視覚と錯視の数学とアート、画像処理』
にしました。とにかく楽しんでいただけるように話を構成しました。
 どちらも東大数理が会場でした。
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日本医学放射線学会で特別講演

本日は,パシフィコ横浜で開催された第74回日本医学放射線学会総会に招かれ,特別講演をしました。先端的な数学を応用した錯視と画像処理に関する新井・新井による研究成果を述べました。講演タイトルは『From Visual Illusions to Image Processing』(視覚の錯覚から画像処理へ)でした。
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絵と建築の融合 ー 千住博美術館

先日、千住博美術館に行ってきました。よく広告看板を見かけていたので、名前だけは知っていましたが、ある切っ掛けから、見学に行くことになりました。千住博氏は、今をときめくアーティストで、滝の絵で有名です。千住博美術館という名前の通り、全館千住氏の作品で構成されています。しかも、その作品を包む美術館そのものは、西沢立衛氏の設計というすばらしいものです。
とにかく、一人のアーティストのための、これ以上贅沢な美術館はこれまで見たことがありません。明るい陽光が取り込まれ、全体的に白っぽい広がりの中、数多くの滝の巨大な絵と、季節柄、桜の絵がすっきりと広大なスペースに配置されています。空間を巧みに使った展示です。鹿も絵の中で重要な役割を果たしています。
この美術館は、いくつかの特別な条件どうしがうまく釣り合って成り立っている特別な存在です。美術館全体で一つの大きな作品と考えたほうが、理解しやすいような気がします。

それから蛇足ですが、美術館とは別に建っているミュージアムショップもアーティスティックな建造物です。門の側にあるということもあって、こちらを美術館と間違えて入ろうとしてしまいました。美術館は、そこを通り過ぎてさらに奥まったところにあります。

これまでこのブログで取り上げた美術展
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数学の探検、魅力、そして輝き

いよいよ次の講座が刊行開始となります。全部で70巻を超える巻構成です。

共立出版 創立90周年記念出版
編集委員:新井仁之・小林俊行・斎藤毅・吉田朋広
共立講座 数学探検(全18巻) 詳しくはこちら
共立講座 数学の魅力(全14巻+別巻1) 詳しくはこちら
共立講座 数学の輝き(全40巻予定) 詳しくはこちら

「探検」は学部1,2年対象,「魅力」は学部3年以上対象,「輝き」は学部4年・大学院以上が対象です。
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光と色のドラマ・新印象派展とシュブルール

 何年か前から脳内の色知覚に関する情報処理の数理モデルの研究もしてきました。これまでの研究成果は,一部ですが前回のブログで紹介いたしました。
 この研究をしている過程で,19世紀にシュブルールらに始まった色の研究が,新印象派にも影響を及ぼしたことを知り,その辺のことも少しずつ調べておりました。そんなおり,東京都美術館で 『新印象派 - 光と色のドラマ -』 という展覧会が開催されることを知り,ちょうど良い機会なので勉強に行ってきました。じつは2月にも一度行ったので,今回で2回目になります。
 
 シュブルールは化学者なのですが,ある切っ掛けで色の研究を始め,1839年に色の同時対比に関する組織的な研究を発表しました。彼が53歳のときです。それ以降,シュブルールは精力的に色の研究を進めました。そして,彼の研究はシャルル・ブランの著書を介して,スーラやシニャックに影響を与えることになったわけです。シュブルールと色の同時対比については前のブログをご覧ください。
 今回の展覧会では,そのシュブルールの1839年の記念碑的な著作『色彩の同時対比の法則』が展示されていました。もちろんオリジナルを見るのは初めてです。ケースの中に入っていたため、本の中身を見られなかったのは残念ですが,色の見え方を説明するカラー図版は広げて見えるようになっていました。私自身,色知覚に関する論文などの出版の際には,色の印刷にいつも神経を使わなければならないので,当時,カラー印刷の技術が発展し始めたとは言え,シュブルールの苦労が察せられます。

 さて絵画の方ですが,この展覧会では,まず印象派の筆触分割による絵画が展示され,そこからスーラの点描画に至る過程を示す作品が分り易く配列されていました。スーラのグランド・ジャット島の本体はさすがにありませんでしたが,『セーヌ川,クールブヴォワにて』 がありました。セーヌ川の川面の光,それを取り囲む木々や陽光に照らされる家の色の輝き,どれも 「記憶として心に残る色はこのような感じだ」 と思わせるものでした。こういう絵を描けるのですから,画家というのはすごいものです。おそらくここに至るには,色の配列のメカニズムについての気の遠くなるような研究があったものと思われます。そして,それを実践する集中力。それにもちろん重要なのは才能。
 1886年,批評家のフェネオンは次のように書いたそうです。
 『ある画家が「視覚に関する理論を永久に読み続けたとしても,決して《グランド・ジャット島の日曜日の午後》 を描くことはできないだろう」』([1, p.41])
 
 展示はさらに続き,ベルギーの印象派への継承。そして,フォーヴィズムに至ります。
 色の理論に根ざした非常に緻密で繊細な色の構築がされてきたこれまでの新印象派から,色の世界が一転します。フォービズムのコーナーに入ると,その激しい色合いから攻撃を受け,棍棒で打たれたような痛みを感じました。
 なぜこんな色を使うのだろう。これから先,どうなってしまうのだろう。こういった疑問をわき起こさせます。しかし,ここで展示は終わります。

 今回の展覧会は,配列の論旨が明快で,とてもわかりやすいものでした。副題に 『光と色のドラマ』 とありますが,印象派からの誕生,色の科学との繋がり,成長,そしてフォービズムという終幕に流れていく,まさにドラマを見ているようでした。
 それから東京都美術館。展示会場が広々としているため,ゆっくりと時間をかけて,印象と考えをまとめながら見ることができました。


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[1] 光と色のドラマ 新印象派,日本経済新聞社,2014. (図録)


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同じ色なのに違って見える錯視 -数理視覚科学による解析

 同じ色なのに違って見える!
 どうして違う色に見えるの?
 希望した色を見せるには,どのような色を使えば良い?

 こんな色に関する目の錯覚(錯視)の問題に悩んだことはありませんか。
 じつは色に関する錯視といってもいくつかの種類があります。今回のブログでは,同じ色なのに違って見える錯視のうち,色の対比錯視について上に挙げた問題に関する研究成果をお話したいと思います。

1. すべては客のクレームから始まった
 色の対比錯視の研究は,もともとは織物の色に対するお客さんのクレームから始まりました。
  話は今から190年近くも前にさかのぼります。フランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュブルールという人が,国立ゴブラン製作所の染色ディレクターに就任しました。しかし,ディレクターになってみると,いろいろな難題が舞い込んできたそうです。あるとき顧客からゴブラン織の染色に使う染料について苦情が寄せられてきました。要するに希望している色と異なるものになっているというのです。これについてシュブルールは調査・研究し,結局,色の対比という目の錯覚であることが判明しました。
シュブルールについての文献:シュブルール『色彩の調和と配色のすべて』(1883年,佐藤邦夫訳,青娥書房)
 さて,色の対比錯視というのは,どういうものでしょうか。
 これにもいろいろあるのですが,ここではその一例をご覧頂きましょう。

色の対比錯視

 上の画像を真正面から,少しの間,見ていてください。 大きな正方形の中に,小さな正方形がありますが,小さい正方形の色が違うように見えませんか?
 しかし,じつは小さい正方形の色はどちらも同じです。違って見えるのは目の錯覚,いわゆる錯視です。

 さて,ここで問題です
 
なぜ私たちの視覚はこのような錯覚を起こしてしまうのでしょう。
 
 その答えとして良く聞くのが,「脳の中のニューロンが行う情報処理による」 という説明です。
 
でも,どういうこと?』,『どういう情報処理?

 これだけでは,かえってわからなくなってしまいますね。

 そこで先端的な数学を駆使した数理視覚科学の出番です。

 数理視覚科学では,次のようにこの問題を解析します。


2. コンピュータが色の錯視を起こす!?
 まず,新井・新井は脳内の色に関する視覚情報処理の数理モデルを工夫して作りました。
 これにより,色の対比錯視のコンピュータ・シミュレーションを行いました。
 すると,比喩的に言えば,脳内の色知覚の情報処理の数理モデルを実装したコンピュータが「私たち」と同様に色の錯覚を起こしたのです。
 ここで,「私たち」と書いたのは,色知覚には個人差があるからです。新井・新井の数理モデルでは,個人差を表すパラメータがあり,今回は新井・新井の色知覚にパラメータを調節しました。
 その結果は次のものです。

 (正方形の大きさはやや小さ目に表示してあります。)

 上の図では,(2) が本当の色,(1) がピンクの背景に囲まれたときに知覚した色のシミュレーション,(3) がブルーの背景に囲まれたときに知覚した色のシミュレーションです。ただし,このシミュレーション結果に対して,見る人はまたさらに錯視を起こしているので,少し注意が必要です。また,ご覧になっているパソコンの画面の色合いも影響していることがあります。


3. 色知覚の逆問題とは何か?
さて,色の錯視について,次のような産業上の重要な問題があります。

  知覚された色が,希望した色になるようにするためには,もともとどういう色を出しておけば良いのだろうか?
 
つまり言い換えれば,

  『
顧客が求める色を出すには,どのような色を使えば良いだろうか?

 筆者はこの問題を
色知覚の逆問題
 と呼んでいます。


4. 色知覚の逆問題と視知覚の数理モデル
 この逆問題を解くために,脳内の視覚情報処理の数理モデルを使って,逆算を行いました。その結果を一つ示します。

色知覚の逆問題



 上段のひつじは灰色に見えますが,実際にはそれぞれ下段の色です。   
 上段のひつじのような色に見せたいならば,実際には何色を使えばよいかを視知覚の数理モデルを用いて数学的に求めた結果が下段の色です。    
  
 なおこれらの方法は,単なるアドホックな計算による錯覚の研究によるものではありません。新井・新井の視知覚の新しい数理モデルによるもので,これにより,脳の関連領野に関係するさまざまな錯視のシミュレーションも統一的に行うことができます。さらに,知覚心理学のいくつかの問題を数理視覚科学的な方法で研究することも可能になりました。このほか,新しい画像処理技術の開発もできました。
 詳しくはまた別の機会にお話しすることにします。

錯視の科学館館長・東京大学大学院教授 新井仁之


こちらもご覧ください数学から錯視,脳,アート,そして画像処理へ.

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本研究成果については,特許(発明者:新井仁之・新井しのぶ;特許権者:(独)科学技術振興機構)が査定登録されています。 

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グレン・グールドから思うこと

1.共感を呼ぶもの

 聴いていて幸せな気持ちになれる演奏。
 読んでいると安心できる本。
 グレン・グールドはそんな奇跡的なものを残してくれた人です。グレン・グールドは言わずと知れた20世紀のピアニストです。今日は学問を研究する者として,グールドに共感できるところを起点にして,私的な独白を書いてみようと思います。

【自分の空間を構築すること】

 
 グールドの演奏。それは,聴いているのがうれしくなる音楽です。もしまだグールドを聴いたことがないという方がおられましたら,たとえばベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の第一楽章のピアノの出だしの部分だけでも聞いてみてください。この最初のピアノのフレーズを聴いただけで,彼の世界に引き込まれてしまうでしょう。グールドが楽曲やピアノと一体になって,音以外の一切の外界の情報を断ち切り,安定し安心できる自分だけの居場所を作って,その中で音楽だけと向き合い,曲を構築しようとしていることが分かると思います。たとえ大勢の中にいたとしても,一人だけの自分の空間と時間が作れたとき,すばらしい仕事が産み出されることを示すものとなっています。

 グールドの言葉に次のようなものがあります。

芸術の正当性を証明するものは芸術が人びとの心のなかに燃え上がらせる内なる燃焼であって,それを浅薄に露出させておおっぴらに誇示することではない,と信ずるからである。芸術の目的は,神経を興奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく,むしろ,少しずつ,一生をかけて,わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである』(グールド[2])

 学問にも同じことが言えると思います。学者には,外に出て行って研究の成果を他の人にアピールするという行為がつきまとってきます。しかし,その一方,学者自身は,世の中とは隔離された自分だけの安定した世界を構築し,その中で新たな真理に出会ったときの驚きや,未解明の現象を論理的に説明できた瞬間に感じることのできる心地良さを味わえる状態を築いていくという側面もあります。「私の場合」という限定句付きで言うならば,精神的な静けさと隔絶された自分の世界が構築できなければ,自分を取り巻く空間の流れが秩序正しく感じられることもなく,真理は見えるようにはなりません。

 
【他人が何をしているかは重要ではない】

 『私が信じられないのは,わざわざこういう人がいることです。
  「この曲を弾いてみようと思います。なぜなら X と Y と Z が弾いているからです。ただし私なりの独自性を少々主張するために,ほとんど X の弾き方を踏襲しつつ,Y の弾き方の10パーセントを加味し,もしかしたら Z のテンポを採用するかもしれません。そうすれば三人の誰とも微妙に異なって思えるでしょうから,前にもそうやって弾いた人がいたよ,などと言われずに済みます。」
 基本的に,これは音楽を構造として捉える私の態度とはかなり大きく異なるプロセスです。
』(グールド [1, p.288])

 これは数理科学の分野でもよくあることです。以前,ある人と話していたとき,次のようなことを言ってきました。
 「最近,***に関係ある数学が流行ってきた。我々もああいうことをやらなければ。」
 なぜその人が「我々」と言ったのかは不可解ですが,それはともかく,やはりこれは私のスタイルとは大きく異なります。グールドは「音楽を構造として捉える」と言っていますが,私も理論体系を作ろうとするとき,科学全体の構造の中でものごとを考えます。だから,重要なことは科学,あるいは学問そのものであって,他の研究者が何をやっているか,何が流行っているかではありません。
 もちろん研究スタイルにはいろいろあって然るべきなので,誰かが 「他の人がやっている」 とか 「流行っている」 という動機から研究することを批判するつもりも,否定する気持ちもありません。あえて言うならば,グールド同様,それは私のやり方ではないということです。

【なぜグールドの演奏に共感できるのか】
 グールドの演奏に共感できるのは,彼の演奏からは,既知の楽曲が何となく鳴っているのではなく,彼が考え,音楽を構築していく過程を感じ取れるからです。たとえば,シベリウスのソナチネ第2番にしても,かの伝説的なバッハの「ゴルトベルク変奏曲」にしても,またベートーヴェンの「テンペスト」も,その演奏が始まった瞬間から,彼が構築していくものをわくわくしながら見ることができます。多分,それは他人が考えたことや大多数の意見に反しないように常識の二番煎じをしているのではなく,最初から自分の頭で考えたことを積み上げているからだと思います。彼の演奏は,学者が自分の理論を最初からこつこつと組み立てていくことに似ています。
 ところで,音楽でなくともこういうタイプの仕事からは,やはり同じ種類の共感を得ることができます。たとえば私の場合,カントの『純粋理性批判』がそれにあたります。この本を中学の頃からずっと読み続けているのは,カントが自ら考え抜いた議論を一個一個積み重ねていく過程を体験することにより,胸が苦しくなるほど心を沸き上がらせる感覚が得られ,それがうれしいからとも言えます。



2.隔絶と独創性

【自分の方法でなければ学べない人もいる】


 『諸先生方に最大の敬意を払いつつも,本当に大切な問題 - ここでは純粋に音楽的な問題を指していますが - を解決するには自分自身に頼ることを学ばなければいけないし,物事を自分で決定することを学ばなければいけないのだ』(グールド [1, p.39])

 この発言については共感以上のものを感じます。というのも,私にとってはそうせざるをえないことだからです。
 
 少し個人的なことを書きたいと思います。私はどの分野のことも,自分自身だけを頼りにした独学でないと,うまく準備が進められません。よく人から
  「数学以外の,脳科学や視覚科学,知覚心理学,画像処理,アートに関する部分は,どなたか専門家といっしょにやっているのですか」
と聞かれます。私の場合,専門外の分野でも,自分で本や資料をたくさん集めてきては調べて,一からその分野の話を独自に組み立て直していく作業をします。
 必要なことは頭の中に,多数の分野の建造物を自分に合った形に築くことです。そうすると,一見別々のものが自然に融合していきます。これは隔絶された世界の中でしか(私には)できません。ときどき
 「いろいろな人に自分のアイデアを話して,みんなで研究を進めた方がより大きく発展するから,そうした方が良い」
と言われることがあります。しかし,この段階では自分の世界を作って,その中にアイソレートしなければなりません。
 ところが,最近は孤立して理論体系を一から作り上げようとしている人には,流行に反するためか,「彼には協調性がない」 とか 「彼は変わっている(今風に言えばエキセントリック)」 などのレッテルを負の意味を込めて貼りつけることがあります。これに対する弁明をするならば,独創性は協調性と共存できないこともあるのです。
 人とのコミュニケーションをとるのは,私の場合,頭の中に新しい理論体系を作った後の段階になります。
 
【理論構築には厳しい自己審判能力が必要】
 
 グールドは次のように述べています。

 『お互いの演奏を聴くのをやめなさい。とにかく何よりもまず,特定の楽譜あるいは一揃いの楽譜を決めて,自分がこうしたいと考えているものを達成しようと努力したらいい。(中略)けれども自分の考えがまとまらないうちは決して聴いてはいけないし,信奉するべき解釈上の伝統とおぼしきものに基づいて考えをまとめてもいけない』(グールド [1, p.34])
 
 自分で組み立てた新しい理論の体系を作っておけば,伝統的な理論の何を残し,何を捨てて置き換えるかが判断できます。また,自分の理論を発展させつつ,実用に向けた新技術を産み出すことも自然にできるようになります。
 
 かつてデカルトは方法序説の中で次のように書いています。
 
 『他人の作ったものばかりを利用して,それに細工を加えることによって非常に完成されたものを作り出すのは困難であることがよくわかるだろう』(デカルト[3]))

 ただし,独自に学び,研究を進める方法をとるためには,何でも理解できるようになる必要,つまり多かれ少なかれ renaissance man /woman にならざるをえません。しかもかなり厳しい論理的な自己審判能力が必要です。そうでなければ,単なる非論理的な独断であっても,それに気がつかなくなってしまいます。独創性と独りよがりは危ういことに紙一重の違いです。


引用文献
[1] ジョン・P. L. ロバーツ編(宮澤淳一訳)『グレン・グールド発言集』(みすず書房).
[2] ティム・ペイジ編(野水瑞穂訳)『グレン・グールド 著作集2』(みすず書房).
[3] デカルト(小場瀬卓三訳)『方法序説』(河出書房).


他の書評は『私の名著発掘』へどうぞ

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グレン・グールドから思うこと 2 -隔絶と独創性

>> 本ブログは グレン・グールドから思うこと 1  の続きです。


【自分の方法でなければ学べない人もいる】


 『諸先生方に最大の敬意を払いつつも,本当に大切な問題 - ここでは純粋に音楽的な問題を指していますが - を解決するには自分自身に頼ることを学ばなければいけないし,物事を自分で決定することを学ばなければいけないのだ』(グールド [1, p.39])

 この発言については共感以上のものを感じます。というのも,私にとってはそうせざるをえないことだからです。
 
 少し個人的なことを書きたいと思います。私はどの分野のことも,自分自身だけを頼りにした独学でないと,うまく準備が進められません。よく人から
  「数学以外の,脳科学や視覚科学,知覚心理学,画像処理,アートに関する部分は,どなたか専門家といっしょにやっているのですか」
と聞かれます。私の場合,専門外の分野でも,自分で本や資料をたくさん集めてきては調べて,一からその分野の話を独自に組み立て直していく作業をします。
 必要なことは頭の中に,多数の分野の建造物を自分に合った形に築くことです。そうすると,一見別々のものが自然に融合していきます。これは隔絶された世界の中でしか(私には)できません。 ときどき
 「いろいろな人に自分のアイデアを話して,みんなで研究を進めた方がより大きく発展するから,そうした方が良い」
と言われることがあります。しかし,この段階では自分の世界を作って,その中にアイソレートしなければなりません。
 ところが,最近は孤立して理論体系を一から作り上げようとしている人には,流行に反するためか,「彼には協調性がない」 とか 「彼は変わっている(今風に言えばエキセントリック)」 などのレッテルを負の意味を込めて貼りつけることがあります。これに対する弁明をするならば,独創性は協調性と共存できないこともあるのです。
 人とのコミュニケーションをとるのは,私の場合,頭の中に新しい理論体系を作った後の段階になります。
 
【理論構築には厳しい自己審判能力が必要】
 
 グールドは次のように述べています。

 『お互いの演奏を聴くのをやめなさい。とにかく何よりもまず,特定の楽譜あるいは一揃いの楽譜を決めて,自分がこうしたいと考えているものを達成しようと努力したらいい。(中略)けれども自分の考えがまとまらないうちは決して聴いてはいけないし,信奉するべき解釈上の伝統とおぼしきものに基づいて考えをまとめてもいけない』(グールド [1, p.34])
 
 自分で組み立てた新しい理論の体系を作っておけば,伝統的な理論の何を残し,何を捨てて置き換えるかが判断できます。また,自分の理論を発展させつつ,実用に向けた新技術を産み出すことも自然にできるようになります。
 
 かつてデカルトは方法序説の中で次のように書いています。
 
 『他人の作ったものばかりを利用して,それに細工を加えることによって非常に完成されたものを作り出すのは困難であることがよくわかるだろう』(デカルト[3]))

 ただし,独自に学び,研究を進める方法をとるためには,何でも理解できるようになる必要,つまり多かれ少なかれ renaissance man /woman にならざるをえません。しかもかなり厳しい論理的な自己審判能力が必要です。そうでなければ,単なる非論理的な独断であっても,それに気がつかなくなってしまいます。独創性と独りよがりは危ういことに紙一重の違いです。

新井仁之


引用文献
[1] ジョン・P. L. ロバーツ編(宮澤淳一訳)『グレン・グールド発言集』(みすず書房).
[2] ティム・ペイジ編(野水瑞穂訳)『グレン・グールド 著作集2』(みすず書房).
[3] デカルト(小場瀬卓三訳)『方法序説』(河出書房).

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グレン・グールドから思うこと 1 -なぜ共感できるのか

 聴いていて幸せな気持ちになれる演奏。読んでいると安心できる本。グレン・グールドはそんな奇跡的なものを残してくれた人です。グレン・グールドは言わずと知れた20世紀のピアニストです。今日は学問を研究する者として,グールドに共感できるところを起点にして,私的な独白を書いてみようと思います。

【自分の空間を構築すること】

 
 グールドの演奏。それは,聴いているのがうれしくなる音楽です。もしまだグールドを聴いたことがないという方がおられましたら,たとえばベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の第一楽章のピアノの出だしの部分だけでも聞いてみてください。この最初のピアノのフレーズを聴いただけで,彼の世界に引き込まれてしまうでしょう。グールドが楽曲,そしてピアノと一体になって,音以外の一切の外界の情報を断ち切り,安定し安心できる自分だけの居場所を作って,その中で音楽だけと向き合って,曲を構築しようとしていることが分かると思います。たとえ大勢の中にいたとしても,一人だけの自分の空間と時間が作れたとき,すばらしい仕事が産み出されることを示すものとなっています。

 グールドの言葉に次のようなものがあります。

芸術の正当性を証明するものは芸術が人びとの心のなかに燃え上がらせる内なる燃焼であって,それを浅薄に露出させておおっぴらに誇示することではない,と信ずるからである。芸術の目的は,神経を興奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく,むしろ,少しずつ,一生をかけて,わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである』(グールド[2])

 学問にも同じことが言えると思います。学者には,外に出て行って研究の成果を他の人にアピールするという行為がつきまとってきます。しかし,その一方,学者自身は,世の中とは隔離された自分だけの安定した世界を構築し,その中で新たな真理に出会ったときの驚きや,未解明の現象を論理的に説明できた瞬間に感じることのできる心地良さを味わえる状態を築いていくという側面もあります。「私の場合」という限定句付きで言うならば,精神的な静けさと隔絶された自分の世界が構築できなければ,自分を取り巻く空間の流れが秩序正しく感じられることもなく,真理は見えるようにはなりません。

 
【他人が何をしているかは重要ではない】

 『私が信じられないのは,わざわざこういう人がいることです。
  「この曲を弾いてみようと思います。なぜなら X と Y と Z が弾いているからです。ただし私なりの独自性を少々主張するために,ほとんど X の弾き方を踏襲しつつ,Y の弾き方の10パーセントを加味し,もしかしたら Z のテンポを採用するかもしれません。そうすれば三人の誰とも微妙に異なって思えるでしょうから,前にもそうやって弾いた人がいたよ,などと言われずに済みます。」
 基本的に,これは音楽を構造として捉える私の態度とはかなり大きく異なるプロセスです。
』(グールド [1, p.288])

 これは数理科学の分野でもよくあることです。以前,ある人と話していたとき,次のようなことを言ってきました。
 「最近,***に関係ある数学が流行ってきた。我々もああいうことをやらなければ。」
 なぜその人が「我々」と言ったのかは不可解ですが,それはともかく,やはりこれは私のスタイルとは大きく異なります。グールドは「音楽を構造として捉える」と言っていますが,私も理論体系を作ろうとするとき,科学全体の構造の中でものごとを考えます。だから,重要なことは科学,あるいは学問そのものであって,他の研究者が何をやっているか,何が流行っているかではありません。
 もちろん研究スタイルにはいろいろあって然るべきなので,誰かが 「他の人がやっている」 とか 「流行っている」 という動機から研究することを批判するつもりも,否定する気持ちもありません。あえて言うならば,グールド同様,それは私のやり方ではないということです。

【なぜグールドの演奏に共感できるのか】
 グールドの演奏に共感できるのは,彼の演奏からは,既知の楽曲が何となく鳴っているのではなく,彼が考え,音楽を構築していく過程を感じ取れるからです。たとえば,シベリウスのソナチネ第2番にしても,かの伝説的なバッハの「ゴルトベルク変奏曲」にしても,またベートーヴェンの「テンペスト」も,その演奏が始まった瞬間から,彼が構築していくものをわくわくしながら見ることができます。多分,それは他人が考えたことや大多数の意見に反しないように常識の二番煎じをしているのではなく,最初から自分の頭で考えたことを積み上げているからだと思います。彼の演奏は,学者が自分の理論を最初からこつこつと組み立てていくことに似ています。
 ところで,音楽でなくともこういうタイプの仕事からは,やはり同じ種類の共感を得ることができます。たとえば私の場合,カントの『純粋理性批判』がそれにあたります。この本を中学の頃からずっと読み続けているのは,カントが自ら考え抜いた議論を一個一個積み重ねていく過程を体験することにより,胸が苦しくなるほど心を沸き上がらせる感覚が得られ,それがうれしいからとも言えます。

 

続きはこちら (二つに分けました) 


 

新井仁之


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引用文献
[1] ジョン・P. L. ロバーツ編(宮澤淳一訳)『グレン・グールド発言集』(みすず書房)
[2] ティム・ペイジ編(野水瑞穂訳)『グレン・グールド 著作集2』(みすず書房)

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数学まなびはじめ

 出版社の方から,『数学まなびはじめ』(第1集,日本評論社)の第2刷が刊行されたという連絡とともに,本が届きました。オレンジ系の表紙のなつかしい本です。
 「数学まなびはじめ」 は,もともと上野健爾先生,志賀浩二先生,砂田利一先生が編集されていた雑誌 『数学のたのしみ』 に連載されていたもので,いろいろな数学者が毎回,ご自身の数学の学び始めについて自伝的な文を書くという企画でした。『数学まなびはじめ』第1集,第2集はそれらを全部集めて,単行本にしたものです。
 じつは,この第1集には拙稿 「解析学の旅」 も収録されております。1998年8月に 『数学のたのしみ』 の第7号に掲載されたものです。この記事の依頼がきたのは,7号の刊行より少し前,まだ私自身,37,8歳くらいの頃でした。今思えば,30代で自伝の執筆依頼を受けるなど,若気の至りとしか言いようがありません。中学のときから,1997年頃までのことが書き綴ってあります。
 
 ところで,この記事を書いたあと,いろいろなことが大きく変わりました。そもそも20世紀が終わり,21世紀が始まりました。私自身も仙台から東京に移り住み,また研究上も大きな転機を迎え,研究方向を大きく変えることになりました。図らずも,「数学まなびはじめ」に書いたところまでが,大げさに言えば人生の一区切りになってしまったと言えます。



数学まなびはじめ〈第1集〉
日本評論社(2006/01)
第2刷(2015/02)
値段:¥ 2,376

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お薦めの関数解析とウェーブレットの本

 
 今回は,解析系の中から,関数解析とウェーブレットに関するお薦めの入門書の紹介です。

 関数解析の本にはいろいろあって,物理的に分厚いものから薄いものまで多種多様です。そのような中で,とりあえず推したいのが

   W. Rudin, Functional Analysis, 2nd edition, McGraw-Hill

です。関数解析というのは,数理科学系以外の方には余りなじみがないかも知れませんが,関数の集団に何らかの代数構造,位相構造を入れ,一つの無限次元空間として調べる分野です。
 この本の特徴の一つは,最近では余り取り上げられなくなった線形位相空間からしっかりと書かれている点でしょう。関数解析の基本的な定理を一通り学んだあと,超関数,フーリエ変換,線形偏微分方程式への応用へと突き進みます。その後,突然,タウバー型理論に話の方向が急速転換。素数定理やリーマン・ゼータ関数が出てきます。そこでリフレッシュしたあと,バナッハ環とスペクトル理論を学び,最後に第二版ではHille-吉田の定理が顔を出します。
 Rudinさんの本全般に言えることですが,この本でも実に手際よく,多くの話題を解説していきます。証明も簡潔明瞭です。まさに名人芸です。

 さて,著者の W. Rudin さんがどういう方かというと,専門は調和解析,複素解析です。特に,多重円板上のハーディ空間,単位球上の多変数複素解析の関数解析的アプローチの先駆者の一人でした。多くの優れた学部レベルの教科書も著し,
 Principles of Mathematical Analysis (微分積分の教科書で,昔,共立から訳書が出ていた),
 Real and Complex Analysis (ルベーグ積分から1変数関数論へと進むユニークな本),
 Functional Analysis
は全部合わせて一つの解析学教程になっています。 Functional Analysis は,この implicit な教程の最終段階にあたるものです。
 Rudinさんのこの3部作は,最近出版されたスタイン先生とシャカルチさんのプリンストン解析教程とは,ある意味で対極をなしています。詳しくは,また別の機会に比較することにしたいと思います。

 ところで,もう24年も前になりますが,Rudin さんは一度東北大学にいらしたことがあり,私も同時期に東北大に勤務していたので,そのときにお目にかかってお話しする機会がありました。とても穏やかな話し方をされる先生でした。Rudin さんの名前を冠する定理はいくつもあります。たとえば de Leew-Rudinの定理。これは単位円周上のHardy空間 H1 の端点を決定したものです。また1次元ルベーグ測度零集合と解析関数の不思議な関係を示す Rudin-Carlesonの定理も印象に残る定理です。
 Rudinさんと親しい方から聞いた話では,彼の家は有名な建築家フランク・ロイド・ライトの設計によるものとか。
 何と Wikipedia に Walter Rudin House という項目がありました! こちら。

 次にウェーブレット関係の本。これは,やはり

  I. ドブシー,ウェーブレット10講 (丸善出版)

でしょう。内容的には少し古いですが,ウェーブレットの最初に読む教科書としてはお薦めできるものです。連続ウェーブレット,サンプリングによるフレーム構成,多重解像度解析,ドブシー・ウェーブレットの構成といった,今日のウェーブレット教育の一つのストーリーを定着させた本といえるでしょう。
 原著はSIAMから1992年に出版されています。この当時は,ウェーブレットのまとまった本と言えば,Y. Meyer の Ondelettes しかなく,これがまた調和解析をマスターしていないと歯が立たないという代物でした。そんななか,ドブシーさんのこの本が出たのです。これも決して易しい本ではありませんが,Meyerの本に比べれば,調和解析を知らなくても読めるという意味で読みやすく,広く受け入れられたのではないでしょうか。
 ウェーブレットについては,何の本を選ぼうか迷いました。さすがに拙著を出すのは厚顔無恥なので論外。いろいろさまよったあげく,結局,ドブシーさんの本に戻った感があります。ただ,少し気になった本もありました。しかし,この方面の本は良いと思っても,読んでみると途中から数学の本でなく,証明なしの技術紹介書のようになってしまうこともままあります。その本についてはもう少し検討してみます。
 ちなみに著者のドブシーさんはコンパクト台をもつ滑らかなウェーブレットの構成など,ウェーブレット理論の立役者で,その伝記の邦訳が掲載されている本もあります。

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数理視覚科学への誘い @ 数学文化

『数理視覚科学への誘い』 という連載を 「数学文化」 に始めて3年が経ちました。数学文化は日本数学協会が編集し,日本評論社が発行している雑誌です。その連載が先日発売された 23号で最終回を迎えました。ひさびさの雑誌連載でした。

数理視覚科学は,先端的な数学を使って脳内の視覚情報処理の数理モデルを作り,視覚や錯覚の研究,ならびにその応用技術を研究する分野です。この分野を作り始めて10年以上になります。今回の連載では,特に錯視と,それから画像処理への応用について,一部ではありますが解説してきました。
連載は次のようなものでした。

 第1回 数学を用いた錯視の研究 (数学文化 18号,2012,72-76)
  この号は表紙にはフラクタル螺旋錯視,裏表紙に歪同心円錯視も掲載。
 第2回 明暗の錯視 (数学文化 19 号,2013,82-86)
 第3回 傾いて見える錯視の解析 (数学文化 20 号,2013,74-80)
 第4回 数学を使った視覚・錯視の研究の応用 (数学文化 21 号,2014,80-86)
 第5回 カフェウォール錯視とポンゾ錯視の歴史 (数学文化 22 号,2014,89-95)
 第6回 文字列傾斜錯視の数学的研究 (数学文化 23 号,2015,83-88)

2015年2月20日 新井仁之
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今年のバレンタインも数学を使って作成した錯視アート・チョコで

今年も六花亭さんからバレンタインデー用の錯視チョコレート 『バレンタイン・ラウンドハート』 が発売されました。数学を使って作成した錯視がチョコレート缶にデザインされています。今年の作品はさらにカラフルなデザインにしました。
六花亭さんのカタログの最後のページに,錯視のチョコレート缶ができた経緯が書かれています。下記のサイトでご覧いただけますので,お時間のあるときにでもご覧いただければと思います。

(六花亭カタログのVTラウンドハートの載っているサイトは終了しましたので,下記をご覧ください.2014/2/10記)
こちらをご覧ください。
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数学から錯視,脳,アート,そして画像処理へ(東大理学部ニュース)

『数学から錯視,脳,アート,そして画像処理へ』 というタイトルの解説が東京大学理学系研究科・理学部ニュースに掲載されました。理学部広報委員会から依頼されて執筆したものです。この機会に,数理視覚科学とその応用について,最近の応用研究の成果を手短に解説しました。内容は
  §1. 視知覚に関する究極の問題
  §2. 数学の有効性
  §3. 応用技術に結晶させる
という構成です。
ウェッブ公開もされていますので,お時間のあるときにでもご覧いただければと思います。下記のサイトにあります。

Web版 (数学から錯視,脳,アート,そして画像処理へ:東京大学理学部サイト内)
(画像は図キャプション下の「拡大画像」をクリックしてご覧ください。)

PDF版(東京大学大学院理学系研究科・理学部ニュース2015年1月号全部)


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年賀状2015 (新井・新井&錯視の科学館より)

あけましておめでとうございます。
今年の年賀状は,色の対比錯視の逆算という新しく発明した技術を用いて作成しました。


錯視の年賀状



年賀状の画像の詳しい解説:
 色の対比錯視は,同じ色なのに背景が異なると違った色に見える錯覚の一つです。この錯視については,ドイツの文豪ゲーテも『色彩論』で先鞭を付けていますが,本格的な研究は,ミシェル=ウジェーヌ・シュブルールというフランスの化学者により始められました。シュブルールは102歳という長寿を全うし,90歳を過ぎても論文を発表していた方です。
 新井・新井は,色の対比錯視に関連して次のような成果を得ました:   

   (A) 人が起こす色の対比錯視を脳内の視知覚の数理モデルを開発して再現した。  
    
  もう一つは(A) の逆です:  
     
   (B) 実際に見せたい色にするには何色を使えばよいかを上記の脳内の視知覚の数理モデルを利用して数学的に求めた。
     
   これらの成果は。シュブルール以来の問題をある意味で解決したものともとらえることができると考えています。
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錯視 (錯視の科学館)

「錯視の科学館」というウェッブ上の科学館を開設・運営して,来年で5年になります。ご覧頂きました方々に厚く御礼申し上げます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

錯視の科学館の簡単な紹介をさせていただきます。
錯視の科学館では,数理視覚科学による錯視の研究について展示しております。数理視覚科学を用いて創作した新しい錯視,数学を用いた錯視研究のほか,錯視の歴史に関する新発見の報告などもあります。楽しい展示から,学術的な成果を分り易く解説した展示まで,皆様に楽しんでいただけるように展示の拡充に日々努めております。
これまでの展示のごく一部ですが,たとえば次のようなものがあります。


☆ 数理視覚科学により初めて可能になった錯視成分と錯視量のコントロール
(文字列傾斜錯視,フラクタル螺旋錯視をはじめさまざまな幾何学的錯視の錯視成分と錯視量を,独自の数学的方法によりコントロール。その解析と実施例の画像など,数理視覚科学により初めて可能になった錯視の新しいタイプの研究をご覧ください。)


☆ 浮遊錯視について - 浮遊錯視作品集 -
(数理視覚科学により,好きな画像を浮遊錯視に。従来の錯視があって,そこから錯視アートを作るのではなく,CMやパッケージのコンセプトに合わせた錯視を創作することが可能になりました。)


☆ スーパーハイブリッド画像
(ハイブリッド画像は Olivaさん, Torralbaさん,Schynsさんが考案した錯視です。ここでは,ハイブリッド画像を数理視覚科学により,さらに進化させたスーパーハイブリッド画像をご覧ください。 )


☆ しずかちゃんの文字列傾斜錯視
(文字列傾斜錯視自動生成プログラムの話です。)


☆ 都市伝説?いえ錯覚です。スカイツリーは傾いているか
(スカイツリーが傾いて見える錯覚を数理視覚科学の手法で徹底分析!)


☆ 色の対比錯視のおはなし
(色の対比錯視とそれに関する新技術,色の対比錯視の逆算に関する展示。)


☆ カフェウォール錯視の発見者は誰か?新事実を発見(pdfファイル)
(カフェウォール錯視の第一発見者は,プルマンドンという人であったという新発見。)
錯視の科学館では,ポンゾ錯視の第一発見者が誰かを明らかにした独自の調査結果の報告書もご覧いただけます。


このほかにも錯視の科学館には面白い展示がいろいろあります。
ぜひご覧ください。

錯視の科学館ロゴ
錯視の科学館ロゴマーク ©Hitoshi Arai, 2012.

錯視の科学館館長 新井仁之


参考図書

◎ 錯視のひみつにせまる本(全3巻),新井仁之監修・著

第1巻 錯視の歴史 (新井仁之監修・こどもくらぶ編)
第2巻 錯視の技 (新井仁之監修・こどもくらぶ編)
第3巻 錯視と科学 (新井仁之著)
ミネルヴァ書房,2013.


◎ 新井仁之,連載 数理視覚科学への誘い
(『数学文化』(日本評論社)第18号より連載中)

数学文化 22
日本評論社(2014/08/05)



◎ 新井仁之,視覚と錯覚の数理科学,「越境する数学」(西浦廉政編著,岩波書店,2013),pp.128-154.

越境する数学
岩波書店(2013/02/28)

表紙/裏表紙デザイン
新井仁之・新井しのぶ作:
数学大航海時代の浮遊錯視
越境する数学の浮遊錯視



 
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Merry Christmas! (from Science Museum of Visual Illusions)


Merry Christmas !


『今日ダビデの町にて汝らの為に救い主うまれ給へり,これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ,馬槽に臥しをる嬰児を見ん,是その徴なり』
忽ちあまたの天の軍勢,御使に加はり,神を賛美して言ふ,
『いと高き処には栄光,神にあれ。地には平和,主の悦び給ふ人にあれ』
(岩波文庫「文語訳 新約聖書」より)

良いクリスマスをお過ごしください。

クリスマスリースの浮遊錯視の見方:画像が真正面にくるようにしてください.そして,画像の中央の丸印を見ながら,画面に顔を近づけたり,遠ざけたりするとリースのリングが回転しているように見えます.

クリスマスリースの錯視

新井仁之・新井しのぶ作
浮遊錯視生成アルゴリズム(特許:新井・新井,JST)使用


提供
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視知覚と錯視の数理 @カフェ・デ・サイエンス

武田計測先端知財団が主催している『カフェ・デ・サイエンス』で,昨年行った講演会の口述記録がウェッブ公開されました。
カフェ・デ・サイエンスでは,いろいろなテーマに焦点をあてて,数回のトークショーがシリーズで行われています。このときは,『生活世界の数学』というテーマの第6回でした。『生活世界の数学』のシリーズは織田孝幸先生がオーガナイザーでした。
私は視知覚の数理モデルと,錯視や画像処理への応用の話をしました。
著者校正が遅くなり,関係の皆様にはご迷惑をおかけいたしました。

口述記録は次のサイトをご覧ください。
http://takeda-foundation.jp/cafe/cafe_201312_rep.html
(カフェ・デ・サイエンスのサイト)

なお錯視画像・画像処理の画像は
錯視の科学館
でも公開中です。


ところで,カフェ・デ・サイエンスに招かれたのは今回が2回目です。前回は,大分前のことですが,「無限」に関するトークをしました。そのときの口述記録は本になっています。この中の第5夜『無限を極める』です。
なぜ! こんなに数学はおもしろいのか ~数学カフェへようこそ (知りたい! サイエンス)
織田 孝幸 編著
技術評論社(2012/07/06)
値段:¥ 1,706

前回のカフェ・デ・サイエンスの口述記録の本。第5夜『無限を極める』(新井仁之)に登場してます。


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早稲田の名曲喫茶あらえびすに音のプロジェクションマッピング!

昨日のブログを書いていて,名曲喫茶『あらえびす』のことが気になりはじめ,インターネットで調べてみました。
やはり無くなっていました。私が通っていたのは,今から30年くらい前でしたから,そうなっていても仕方がないといえば仕方がありません。
細い階段を上っていくと店があり,店内は全体的に薄暗く,静かにクラシック音楽を聴ける雰囲気のところでした。音は低音がやや濁っており,下の方に沈み,全体的に少し薄いもやがかかっていました。一度入ると,かなり長居をしていました。人の声がせず,妙に居心地が良かったのだと思います。
さいわい『あらえびす』の近傍にあった早稲田松竹は健在のようです。早稲田松竹で名画を視て,あらえびすでクラシック音楽を聴いたり,本を読んだり,ブルーブラックのインクの万年筆で書きものをしたりという日々を,つい懐かしんでしまいます。今はなき昭和の早稲田といったところでしょうか。
そういえば,一度,曲のリクエストをしてみたかった・・・。

今なら,リクエストしたいのは,グレン・グールドの演奏です。グールドのレコードがあの喫茶店の音には合うような気がするからです。たとえば,ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番,ストコフスキー指揮のものなど聴いてみたいものです。
いや。同じグールドならば,むしろシェーンベルクの3曲のピアノ小品(作品11)も良かったかもしれません。あの音が,黒っぽい焦げ茶色の内装でできた空間を埋め尽くすと,一個のインスタレーションになっていたでしょう。

あの店で音楽を聴くという受け身の発想ではなく,あの店の空間に投射されたら面白い音を探すという視点,つまりあえて言えば
   音のプロジェクションマッピング
をするための曲探しをするという試みも可能でした。
どのみち,もう無理な話ですが。
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掛谷問題の特別講義@早稲田大学

 今日は,知り合いの先生から依頼されていた早稲田大学教育学部数学科での特別講義をしました。90分の講義です。
 教育学部は早稲田の本部キャンパスの中にあります。書くまでもないことですが,本部キャンパスの周りは大きな学生街になっています。この界隈は,洗練とか,モダンとか,お洒落とか,そういうものとは縁遠いところです・・・とうっかり書きそうになりますが,最近はそうでもありません。エレガントな学生食堂,ではなくてカフェテリア,学生会館変わってモダンな高層建築の大隈記念タワー,瀟洒なリーガロイヤルホテル。それでも,「あっ,この店まだある」という所も結構あり,まだまだ昔の早稲田界隈の雰囲気は残っています。
 そういえば,助手の頃に,夜になるとは入り浸っていた名曲喫茶『あらえびす』はまだあるのかなあ。私語厳禁,だったかどうかはわかりませんが,おしゃべりをしている人はいなかったように思います。店員さんも足音をしのばせて歩き,店の中はかなり暗めで,独特の雰囲気がありました。(ただ,店じまいしたと誰かから聞いたような気もしてきています。) 
 
 さて,肝心の講義ですが,3年生向けの講義で,掛谷問題の歴史と近年の発展の解説,X線変換によるアプローチ,そして掛谷問題に関連して一つの(少し新しい)方向を述べました。
 掛谷問題というのは,数学者である掛谷宗一氏の研究に端を発する問題で,現在,二種類あります。一つは古典的な問題で,掛谷氏自身が大正5年に提起した次のような問題です。

    長さ 1 の線分を一回転させるのに必要な場所の面積は?

これは,ベシコヴィッチというロシアの数学者が1928年に解決しました。ベシコヴィッチの答えは次のような意表を突くものでした。
 『どのように小さくても良いので正の数を考えてください。その数を ε で表します。じつは ε よりも小さい面積をもつ範囲内で、長さ 1 の線分を回転させることができます。』

 もう一つの掛谷問題を述べるために,d 次元掛谷集合(ベシコヴィッチ集合ともいう)の定義を述べておきます。これは, d 次元ユークリッド空間のコンパクト集合 K で,d 次元ルベーグ測度が 0 であり,かつどのような方向についても,その方向をもつ長さ 1 の線分を K のどこかに含んでいるようなものです。もう一つの掛谷問題とは,掛谷氏自身が提起したものではありませんが,

    d 次元掛谷集合のハウスドルフ次元は d か?

というものです。答えは d=2 の場合はOK (Davisの定理,1971年) ですが、d>2 では未解決です。

 この問題へのアプローチはいくつかあり,今回は X 線変換を使ったものを Stein & Shakarchi のReal Analysis から紹介しました。X 線変換は CT スキャナの原理で知られる2次元ラドン変換です。

 最後に,これまでのものとは違ったアプローチの可能性についても述べました。

なお,掛谷問題については,次の解説があります:
掛谷問題ショートコース
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