研究ブログ

ロシアのウクライナ侵攻と今後のロシア史研究について

 2022年2月24日にロシア=ウクライナ戦争が始まって1週間がたった。暗い気持ちで毎日を送っているのだが、それはひとつには戦争の情景を見ることによるものであり、ひとつには私の知っているロシアが崩れていくことによるものであり、ひとつには研究の展望がどうなるのか分からないことによる。戦争の情景を見るのが辛いことについては、どうしようもない。ウクライナ以外にも戦争はあったという指摘もあるが、自分はロシア・ウクライナに関心が深いのだから、とくに辛いのである。現地の人が悲惨であることはいうまでもない。その上で、自分の感慨として、ここに思ったことを書いておきたい。

 私の知っているロシアが崩れていくこと。ロシアはもう30年以上関心がある世界である。最初はソ連に関心があったのだが、90年代半ばに現地を徐々に知るようになってから、ロシアへの関心が大きくなっていった。いつもロシアのことを考えているので、それが戦争によって暴走し、市民が苦しみ、経済制裁で社会が混乱し、といった姿を目にするのが、悲しいわけである。プーチン政権の暴走であるので、ロシア市民が問題ではないといってしまえば簡単であるのだが、自分はプーチン自身も決して嫌いではなかったし、これまでは彼が何か規格外のことをしても、それがかえってヒントになって世界史認識をあらためることができた。しかし流石に今回は破壊そのものの印象が強力に過ぎる。クリミア併合このかた、ビスマルクのように民族自決を掲げて、ヨーロッパ近代史をもう一度やり直したいのではないかと思っていたのだが、ひとまずそうした距離をおいた省察ができないくらい、今回の事態は先へ進んでしまった(それでもやっぱり見届けるしかないのだが)。ロシア市民については、普段は他愛のない文学話などしている友達が、戦争反対のスローガンを掲げたのを見て、その市民的勇気に自分は深い衝撃を受けた。それでもう今回は、自分でも最低限何かできることはやらねばと色々思っているのである。「泣くな、笑うな、ただ理解せよ」(スピノザ)を研究の基本姿勢としてきたのだが、ロシア人の友達ができると、それが難しくなる。

 研究の展望というのは、戦争や、ロシア市民の苦しみを前に、エゴイスティックな話ではあるのだが、ロシア史研究は自分の体の一部であるのだから、それについて考えないわけにはいかない。ロシアに足を運ぶのは(コロナはおくとしても)当面かなり難しいだろう。色々な立場上、個人として入れてもらえなくなるかもしれない。ただ、ここまでロシアが国際的に孤立してしまうと、どちらにしても通常の史料調査はすぐには無理だろう。この点は、院生・学部生にとって、とくに影響が大きい。アメリカ、フィンランド、日本など、史料調査の場所を考える必要がでてくる。国内で使える史料について精査する必要もある。これらのことについては、自分は院生・学部生をできる限りサポートするつもりである。私のゼミの人たちだけではなく、日本でロシア史を志す人に対しては、できる限り協力しなければいけないと思う。

 しかし、全体として考えれば、今日あたりから、世界が不思議に変わって見えてきたのも確かである。プーチンの行動を距離をおいて見る余裕はまだないのだが、彼の動きを越えて、世界が変わってしまった。いや、やっぱりプーチンが世界を変えたのかもしれない。というのは、この数日間で、1945年パラダイムは終わったからである。2010年代に多極化が本格化して、「本当の21世紀」が始まったと自分は見ていたのだが、コロナの後押しもくわえて、一気にそれが全面展開したのだと思う。ナチス・ドイツに対する勝利をもって自身の主張の正当性を担保するソ連・ロシアの論理は、この数日で説得力を喪失した。正当性や説得力というものは当事者や周りのものが内面でそう思うかどうかが全てなのだが、自分自身の内面に照らしてがらっと変わってしまったことは明らかである。イギリス首相ジョンソン周辺が、国連安保理常任理事国からのロシアの解任について可能性を検討すると言い出したが、そういうことは言い出した時点でもう始まりというよりは終わりなのである。人々の世界を見る見方が変わってしまったのだ。その動力となっているのは、ロシアである。というよりはロシアの自壊である。ウクライナに進軍して破壊を行なえば行なうほど、ロシア自身が崩壊していく。そのような様を私たちはいま目にしているのだ。北方領土(世界史にとっては些事だが)を取り巻くこれまでの文脈もゼロになった。ということは日本を含む戦後史また20世紀史また近現代史なども、すべて見え方が大きく変わってくる可能性が高い。研究のあり方を考える場合、本当に真剣に向き合わねばならないのはこの点である。史料探しはどうにでもなる。案外90年前後のフリーパスのような状況が戻ってこないとも限らないのだ。