研究ブログ

情報って何?(9):リーダーシップは情報伝播(1/3)

さて、この「情報って何?」シリーズも9回目で、今回が最後です。このシリーズを書き始めた
一つのキッカケは、リーダーシップというのが情報の伝播としてモデル化できるのではないかと
思いついたことです。今回は「リーダーシップ=情報伝播」を受け入れると、どんな結論が出て
くるかを書き、次回、私がイメージするリーダーを紹介します。また、このモデルを導くところ
は最後(3回目)に書きたいと思います。

もともと、有名なリーダーは個性的な人が多く、一般的な興味としてリーダーやリーダーシップに
は興味がありましたが、モデル化まで考えるようになったのは、九大の「博士課程教育リーディン
グプログラム
」の一つである「持続可能な社会のための決断科学プログラム」(以下、決断科学)に
関わるようになったからです。

このシリーズでも書いたように、また、科学的な手法がそうであるように、演繹的なアプローチと
帰納的なアプローチの双方を取りますが、まずは、様々なリーダー(のような人)を多く見聞きして、
ある程度直観的に「この人はリーダー」「この人は違う」といった作業を行います。リーダーや
リーダーシップを扱った本では、基本的にここまで、つまり、例に共通する性質を挙げているに
すぎません。また、リーダーは人であり、これに共通する性質ということで人の資質に関する議論
になりがちです。そのため「立派な人」がリーダーになるような感じがして、「自分は違う」とい
う感じしか受けません。これは、取り上げられるリーダーが多くの人に多大な影響を与えた人を
対象にしているからでしょう。

一方で、適切なモデル化のためには、一般にはリーダーとは言えないような人も考慮して、なぜリ
ーダーと呼ばないのか、本当にリーダーではないのかも考えます。また、結果を出した人ばかりで
はなく、出そうとして試行錯誤している人や失敗した人なども考察すべきでしょう。このように
考える過程で、まず、リーダーの要件にフォロワーの人数や影響を与えた人数は含まれないと思え
てきました。小さな範囲でもリーダーということはありえます。実際、地域おこしの視察は、現在
進行形で地域を変えようとしているがまだ成功していない、まだリーダーとは言えない人たちの姿
を見て、このような人もリーダーと扱うべきではないか、という気がしてきました。つまり、『結
果にの大きさよってリーダーかどうかが決まるのではない』わけです。

では、何によって決まるのでしょう。ここで、自分がこだわってきた「情報」と「リーダーシッ
プ」が結びつきました。つまり、人(リーダー)に着目するのではなく、『何か伝えたい思い
(ビジョン)が伝わっていくプロセスがリーダーシップ』ではないか、ということです。この
場合、リーダーは思い(ビジョン)に対して存在するので、ある組織の中で別のビジョンを持つ
複数のリーダーが居てもよいことになります。システム1のイメージは、このシリーズで取り
あげてきたように、システム2で明確に表現することは難しく、ロジカルな説明では伝わりま
せん。その代り、共感や情熱といった類のもので、その思いを伝えていき、同士が増えていき
ます。

ここで、「リーダーシップ=情報伝播」を正しいと仮定します。その上で、どんな結論が導け
るか考え、不都合なことはなく、また、いままでの知見では導けなかったことがこの仮説から
言えれば、この理論は正しそうです。

まず、最初の帰結として、「一人でもリーダー」だし、初期の時には「全てのリーダーは一人
であった」ということが言えます。そういう意味で、この理論が扱うリーダーはemergent leaderと
呼ばれるもので選挙で、選ばれたリーダーや任命されたリーダーとは異なります。いままでのリー
ダー(またはリーダーシップ)論のほとんどは、組織があって、そのリーダーを考えるという立場を
とっていますが、この仮説では、組織はビジョンの実現の手段として存在するものと言えます。
リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)
野田 智義, 金井 壽宏
光文社(2007/02/16)


という本もこの結論と同様のことを言っていますが、「なぜ」一人から始まるのかというメカ
ニズムには答えていないように思います。

システム1と2の間の伝播には一般に時間がかかります。行動変容には時間がかかると言って
もよいかもしれません。そのため、上のモデルの帰結として、リーダーシップを発揮すること
も一般には時間がかかります。この点に関して、各地の地域おこし等の活動を数多く見てきた
法学研究院の出水先生は10年続くと、何らかの「成果」ができ、20年続くと「全国区」
になる』とおっしゃっており、時間がかかることが納得できます。このことは、自分の少ない
経験
にも合致しています。全国区になったところで直接話しを聞いたのは徳島の神山町です
が、ここも20年
たっています。一方で、ある災害からちょうど10年経過した地域に視察にいっ
たところ、ようやく成果が出はじめたたけ
ど、まだ、全国区ではないという感じでした。

また、リーダーの資質として○○型がよいといったような主張もありますが、組織を作る
こと自体が手段であり、どのようなタイプのリーダーがよいかも作った組織や目的として
いるビジョンに応じて変化するでしょう。つまり、いろんなタイプのリーダーがいてよい、
という結論になります。実際、いろんなタイプがいますよね。

最後に、自分にとって意外だった帰結として、『リーダーシップは(伝播であるため)合意
形成ではない』ということがあります。思いを伝えるというのは、ある意味、迷惑なことか
もしれません。その意味で、例えば、よい映画を見たから「面白かったよ」と友だちに伝え
る行動と本質的には同じだと思います。何か新しい取り組みを始めるときに、失敗する典型
的な例はステークホルダーの合意を取りつけてから行動しようするものでしょう。合意はな
くても、その思いを伝えていくことがリーダーシップと言えます。個性的なリーダーを思い
うかべてみれば、自分の思いに忠実であるため、自分勝手に見えるようなリーダーも多いの
は、こういうところから納得できます。また、以下の本では『地域活性化で成果をあげるの
は、一致団結した大集団ではなく、孤独と向き合って覚悟を決めた少人数のグループです。
たとえ一軒の店からでも、その地域に変化を起こすことは出来ます。』とあります。


このように、仮説から導かれる結果は、いまのところ、自分ではよく納得できています。
また、今回は書きませんでしたが、例えば、詐欺師はリーダーかという問題は宿題とします。
私の中では、この理論で納得のいく答えが得られて、非常にスッキリです。類題として、
ヒトラーのような例を考えてもよいでしょう。上述の「リーダーシップの旅」のリーダーの
条件を、ヒトラーはみたしてるそうです、彼らの定義ではリーダーとなります。また、
リーダーに対して高い倫理性(のようなもの)を求める人も多いですが、これは、心情的に
はリーダーと認めたくない(と思われる)ヒトラーをはじくことができず、定義とは別次元
の資質に頼ることになっています。理論を考える立場のものとしては、なんだかなあという
感じです。