研究ブログ

ゴールボールを始めたわけ(3):多様性を通した無意識への意識

■はじめに

前回のエントリ(ゴールボールを始めたわけ(2):周波数から視覚と聴覚へ)で、周波数を通した色と音との関係を示す動画まで辿りつきました。色や音は感覚として認知できますが、普段は無意識にできていることです。今回は、気付きにくい無意識への意識の仕方を、もうちょっと掘り下げて考えてみます。

■ 無意識と情報

前回紹介したようなフーリエ変換を小学生にという例だけでなく、模擬授業や一般向けの科学イベントには積極的に参加してました。大学の先生でも、このような活動に積極的な人もいればそうでない人もいるでしょう。自分が積極的だった理由は「自分が無意識で知っていることを、講演や模擬授業向けに意識的にまとめることにより、自分の理解が深まる」という感覚をもともと持っていてため、突き詰めていえば自分のためにやっているという感じです。その極端な例がフーリエ変換で、実際に、微積や三角関数などの道具を取っ払って説明するこで、自分の理解がより深いレベルに到達しました。

子供向けのイベントにも積極的だったため、子供から「情報って何?」と聞かれたらどう答えようと結構真剣に長いこと考えていました。その結果、情報って何?(1):審査の評価軸から考えるで書いたように「情報=心に起きた(起きる)ことを知らせること」と考えるようになりました。つまり、情報化とは無意識を意識できるように変換することです。このような意識があったため、上のような「無意識→意識」といったことを明示的に考えるようになりました。

■ 様々な無意識

こうやってシンプルな「情報=無意識→意識」というモデルができると、自分がこれまでにこだわってきたことの多くも、同じモデルで説明できることに気付きます。前々回のエントリ(ゴールボールを始めたわけ:自分の中のセンサーを鍛えたい)でも書いたように、腰痛持ちであったことに加え、もともと広く浅く様々なスポーツをやってきたため、身体知や体の正しい使い方といったことにも興味がありました。身体知というのは無意識の知識と言えるでしょう。しかし、身体知に落としこむまでは、意識的な動作などが必要になります。このあたりのことは、こちらのエントリ(情報って何?(3):スポーツから考える(2/2))にも書いていますが、「習得への情熱」(ジョッシュ・ウェイツキン)が面白いです。

習得への情熱チェスから武術へ 上達するための、僕の意識的学習法

このエントリにも書いたように、心理学や行動経済学では、我々の認知や思考には二種類があることが知られていて、システム1とシステム2と呼ばれます。システム1は無意識に働くもので、感覚など生来的にできるものもあれば、かけ算の九九のように訓練でほぼ無意識でできるようになるものもあります。この言葉を使えば、身体知はシステム1での理解と考えてよいでしょう。この言葉を使えば、「情報=システム1→システム2」と書けます。

前回のエントリ(ゴールボールを始めたわけ(2):周波数から視覚と聴覚へ)で書いた音や光の認知は感覚(システム1)で、身体知もシステム1で、難しい理論に関する暗黙知もシステム1といえます。自分だけの世界であれば、システム1のまま理解していて良いわけですが、人とその知識を共有したい場合、一般には言葉などを通して伝える必要があり、システム2を通すことになります。もちろん、その体験をしてもらって、システム1で体験してもらうことにより伝えるということもありますが。

■ 多様性:「無意識」に意識を向けさせるもの

簡単に「無意識」と繰り返しましたが、無意識であるために、それを自分で明示的に意識することは非常に難しいことです。フーリエ変換の例で考えると、難しい式での理解(こちらは説明できるのでシステム2での理解)で覆われている、自分でも意識していないような理解を掘り起こす作業になります。この例では「フーリエ変換は様々な分け方の平均で全体を表している」という理解に到達し、平均を用いることで小学生に説明できるようになったわけです。

この理解に到達したのは、はっきりした瞬間があります。ある種の閃きの瞬間です。大学の授業において、フーリエ係数を計算するところで、学生に「これは平均をとっているのと同じだよ」ともともと説明していました。それにもかかわらず、平均を使えばよいというアイデアには到達できませんでした。ただ、授業中にふとある学生が「フーリエ変換って平均だよね」みたいなことを呟いて「それだ!」となったのです。自分では意識するほどのことではなかった平均が、他人が言う言葉を耳で聞いて初めて突破口が開けました。感覚的には、外部刺激によって、脳の中でまったく違うところがつながり、新しい回路ができた感じです!

外部からの入力が重要でした。こう考えると、無意識を意識的に考える方法が見えてきます。例えば、海外旅行のように、普段と違う環境に自分を置けば、普段自分が無意識にやっていた思考や行動に気付きやすくなります。また、他の人から指摘してもらったり、あるいは、人の振り見て我が振り直せというように、他の人の行動を観察してもよいでしょう。

■ 障碍を持つ学生

自分が意識できない無意識に気付く機会は色々ありますが、ある授業で身体に障碍を持つ学生を担当した時もそうでした。障碍を持つ人に対する偏見はないつもりでしたが、具体的にどう対処してよいのか分からず、心理的にかなり動揺したのを覚えています。あらかじめ要望は聞いており、システム2としては、何をすればいいのか理解はしているものの、自分のシステム1(無意識)では拒否反応のようなものがあったのでしょう。こういう拒否反応を消すのは、実際に体験するしかないわけです。実際、授業を通して交流してみれば、他の学生と比較してもよくできる学生で、いろいろな違いもある上で、それでも特に大きな違いはないじゃんと思った記憶があります。

この時期からEテレのバリバラなどを見るようになったのですが、自分の無意識をガツンと変えてくれたのはNHK総合「ココがズレてる健常者 障害者100人がモノ申す」です。これはかなり衝撃でした。番組の最初のころは、見てはいけないようなものというか、拒否感のようなものがあったことを明確に覚えていますが、この番組を見て、かなり自分の無意識でのイメージが変わりました。これも、障碍を持つ人の主張を本などで読むのではなく、実際の行動を見ることができたのが大きかったように思います。