研究ブログ

イラン・バム地震7周年



2004年12月26日に発生した「インド洋大津波」から今日で6年というニュースを見て、そういえば「イラン・バムの地震」から今日でちょうど7年なんだなということを思い出しました。あまり知られていないかもしれませんが、奇しくもインド洋大津波の1年前の2003年12月26日、イラン南東部のバムを襲った地震も死者4万人以上という大きな犠牲者を出した地震です。そしてこの地震により、現在はユネスコの世界危機遺産に指定されているバムの城塞は、その大部分が崩壊して瓦礫と化しました(上記の写真は地震で崩壊する前のバム城塞)。

2003年当時、私が関わっているディジタル・シルクロードプロジェクトでは、偶然にもバム遺跡の修復にかつて従事していたイラン人の大学院生が研究を進めていました。自分自身も修復してきた遺跡が跡形もなくなっただけでなく、遺跡修復に従事していた同僚たちにも人的被害が及ぶなど、地震に大きなショックを受けていた彼女を見て、私は地震国の日本に住む人間として何かできないだろうかと考えました。そして1995年の阪神・淡路大震災のあと、当時はまだ目新しかったウェブサイトが神戸の様子を世界に伝え続けたことを思い出しました。すぐに自分たちでできることと言えば、在りし日のバムの姿を多くの人に伝えることで、バムの災害に関する人々の関心を高めることではないだろうか。私たちは協力してウェブサイトを立ち上げることにしました。

仕事納めの時期ではありましたが、災害には一刻も早く対応することが鉄則です。二人でメールを交わして相談しながら資料集めとウェブサイトの構築を進め、大晦日の12月31日、地震から5日後に、ひとまず公開可能なレベルのウェブサイトが完成しました。それがイラン・バムの城塞です。日・英・ペルシア語の3ヶ国語と格闘しつつ、紅白歌合戦を聞きながらウェブサイトを公開した瞬間を思い出します。

ウェブサイトでは全世界の方々に、観光でバムを訪れたときに撮影した写真を送ってくださいとお願いしました。とにかくバムは地震前の資料が十分ではありませんでしたので、今後の調査と復元を進めるためには、散逸する前にできるだけ多くの資料を集める必要があります。私たちの呼びかけはささやかなものでしたが、それでも世界各地の私も全く知らない方々から、数百枚の写真を集めることができました。中には親切にもビデオを送ってくださった方もいました。バムは一般には知名度の低い遺跡かもしれませんが、その分わざわざ訪れた人には深い思い出があるのでしょう。日干しレンガで作られた世界最大級の構築物として、バム遺跡は知る人ぞ知る遺跡だったのです。

さて、こうして集めた資料をもとに、プロジェクトでは遺跡の3次元復元を目指しました。もちろん実際の遺跡を物理的に復元できればよいのですが、それには時間もお金もかかります。その代わりに目指したのは、いわゆるバーチャルな復元です。CADとCGのソフトウェアを使いながら、人手で丹念に建物の3次元モデルを復元していきました。と言っても実際には大変な作業で多くの試行錯誤を要しましたし、多くの人々の協力を得る必要がありました。最終的には、イスラム建築専門家が全体の作業を指揮しつつ、建築に関する専門知識を元に資料不足を補うことで、重要な建築物に関しては3次元モデルの構築が完了しました。これをCGソフトウェアでレンダリングした結果がバーチャル・リアリティにある画像です。

次に、集めた資料をどう管理するかも課題となります。遺跡の復元といっても、単に3次元モデルを作るだけでは不十分で、3次元モデルがどういうものなのか(いわゆるメタデータ)を記録することも不可欠です。その建物は何なのか、建物のこの部分は何なのか、それはどのような資料に基づくのか、作成には誰が関わったのか、そうした情報間の関係も管理する必要があります。そこでSemantic Webの技術(オントロジーやRDF)に基づく知識管理システムを構築しました。それがBam3DCGです。このサイトの公開日は2008年12月26日。ちょうどバム地震5周年の日でした。

それ以後も、バムの3次元復元プロジェクトはゆっくりと進行中です。最近もBam3DCGに関する論文がBest Paper Awardをいただいたり、標高モデルと観光写真の重ね合わせによる簡便な3次元モデルの構築に関する論文(参照)などを発表しました。ただし、現在も3次元モデルの構築が完了していない部分は、手動でも自動でも構築が困難という厄介な部分で、その構築手法自体がチャレンジングな研究課題です。また地震に関する記憶も風化する中、日本(というか中心は米国ですが)とイランの関係が悪化するという問題も影響し始めています。

7年前の地震の日から突如として始まったバムプロジェクト。全体の目標から見るとまだまだ道半ばというところですが、息の長いプロジェクトとして地道に取り組んでいくことになるのかなと思う、今日この頃です。