気象業界とシングルボイス論
この件、ひっそりと成り行きを見守っていたのだが、晴れて新聞沙汰(?)となったようなので、ここにも私の考えをまとめておきたいと思う。私はいちおう気象学会員として毎年会費を払っているので、ちょっとだけ文句を言う権利もあるだろう。
放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員 (asahi.com)
オリジナルの文書は東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージであり、問題になっているのはいわゆる「シングルボイス」論。元の文書にこんな一節がある。
これが気象業界でたびたび話題となる「シングルボイス」論、つまり情報の発信源を一つ(=気象庁やその他の省庁)に絞ることで信頼性を確保するという論のポイントである。例えば気象庁長官も長官記者会見要旨(平成21年10月15日)において、繰り返しシングルボイスの重要性に触れている。この会見で問題となっている「台風18号上陸問題」については、私の主観的な視点からのまとめをデジタル台風:2009年台風18号(メーロー|MELOR)にもかつていろいろ書いた。要するに私の主張は、インターネットの発達によって情報の公開よりも情報の統制の方が問題視される時代において、シングルボイス論はかつての意義を失っているのではないかというものである。
確かにシングルボイスでないがゆえの混乱は起こりうる。しかし今回の大災害でも明らかになったように、ソーシャルメディア時代は誰もが情報の発信者であり、デマもすみやかに拡散して、いずれにしろ混乱するのである。シングルボイスという概念のみで制御できる古き良き時代はもう終わってしまった。だから、このような混乱を複数の信頼できる情報で抑えることの方が、むしろ今は重要なのだと私は考える。それなのに、上記のシングルボイス論はきちんとした検証もされずに、長年にわたって金科玉条のごとく唱えられてきた。果たして現代の国民はシングルボイスを歓迎しているのだろうか。今回の大災害でも、いろんな意見を聞きたいという声が世間にあふれているような気がするのだが。。
さらに、たとえ国内で情報を統制できたとしても、インターネット時代の国民は海外にも目を向けることができる。今回の災害でも、国民は結局ドイツ等の国外機関の放射性物質飛散シミュレーション結果から情報を得ているのである。そんな中で日本の研究機関が独自の情報を出すことをやめたとして、何か実際的な意味があるのだろうか。この状況は、気象庁の台風情報に加えて、米軍台風情報が根強い人気を集めている状況を思い起こさせる。国民の情報ニーズはもはや軽々と国境を越えていくのである。
気象業界は、古くから「天気予報が外れた」と文句を言われ、最近は「地球温暖化陰謀論」などでも苦い経験を重ねており、情報発信に慎重にならざるを得ない事情があることは理解できる。しかし、ソーシャルメディア時代に相も変わらず「シングルボイス」を奉じてきた気象業界の時代遅れ感が、今回の大災害で図らずもあらわになったのではないだろうか。この文書を読めば、国民が最も情報を求めているときに情報を出せない気象学会員は何のために存在しているのか、国民がその存在価値に疑問をもっても不思議ではないだろう。このような緊急時においては、もっと国民への情報発信という意味での貢献を前面に打ち出すべきだと私は考える。
なお今回の問題に関しては、気象学会だけに問題があるというよりは、シングルボイス論の呪縛と、それに名を借りた業界秩序構造の維持という点に根本的な問題があると私は思っている。気象学会が悪い、気象庁が悪い、そうした責任者探しでは問題は解決しない。いったんシングルボイス論を取り払った上で、インターネット時代の新しい情報伝達方法に英知を結集することが重要になるだろう。
とにかく、研究者としては、社会に貢献できる機会を自粛させられるというのは何よりつらい。この問題は研究者の存在意義にもかかわる重要な問題といえる。旧来の秩序にとらわれず、研究者の責任において成果をどんどん出せるようにしてほしいものである。
(以下追記、この問題に関連する記事を追加)
放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員 (asahi.com)
福島第一原発の事故を受け、日本気象学会が会員の研究者らに、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう求める通知を出していたことが分かった。自由な研究活動や、重要な防災情報の発信を妨げる恐れがあり、波紋が広がっている。
オリジナルの文書は東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージであり、問題になっているのはいわゆる「シングルボイス」論。元の文書にこんな一節がある。
防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。
これが気象業界でたびたび話題となる「シングルボイス」論、つまり情報の発信源を一つ(=気象庁やその他の省庁)に絞ることで信頼性を確保するという論のポイントである。例えば気象庁長官も長官記者会見要旨(平成21年10月15日)において、繰り返しシングルボイスの重要性に触れている。この会見で問題となっている「台風18号上陸問題」については、私の主観的な視点からのまとめをデジタル台風:2009年台風18号(メーロー|MELOR)にもかつていろいろ書いた。要するに私の主張は、インターネットの発達によって情報の公開よりも情報の統制の方が問題視される時代において、シングルボイス論はかつての意義を失っているのではないかというものである。
確かにシングルボイスでないがゆえの混乱は起こりうる。しかし今回の大災害でも明らかになったように、ソーシャルメディア時代は誰もが情報の発信者であり、デマもすみやかに拡散して、いずれにしろ混乱するのである。シングルボイスという概念のみで制御できる古き良き時代はもう終わってしまった。だから、このような混乱を複数の信頼できる情報で抑えることの方が、むしろ今は重要なのだと私は考える。それなのに、上記のシングルボイス論はきちんとした検証もされずに、長年にわたって金科玉条のごとく唱えられてきた。果たして現代の国民はシングルボイスを歓迎しているのだろうか。今回の大災害でも、いろんな意見を聞きたいという声が世間にあふれているような気がするのだが。。
さらに、たとえ国内で情報を統制できたとしても、インターネット時代の国民は海外にも目を向けることができる。今回の災害でも、国民は結局ドイツ等の国外機関の放射性物質飛散シミュレーション結果から情報を得ているのである。そんな中で日本の研究機関が独自の情報を出すことをやめたとして、何か実際的な意味があるのだろうか。この状況は、気象庁の台風情報に加えて、米軍台風情報が根強い人気を集めている状況を思い起こさせる。国民の情報ニーズはもはや軽々と国境を越えていくのである。
気象業界は、古くから「天気予報が外れた」と文句を言われ、最近は「地球温暖化陰謀論」などでも苦い経験を重ねており、情報発信に慎重にならざるを得ない事情があることは理解できる。しかし、ソーシャルメディア時代に相も変わらず「シングルボイス」を奉じてきた気象業界の時代遅れ感が、今回の大災害で図らずもあらわになったのではないだろうか。この文書を読めば、国民が最も情報を求めているときに情報を出せない気象学会員は何のために存在しているのか、国民がその存在価値に疑問をもっても不思議ではないだろう。このような緊急時においては、もっと国民への情報発信という意味での貢献を前面に打ち出すべきだと私は考える。
なお今回の問題に関しては、気象学会だけに問題があるというよりは、シングルボイス論の呪縛と、それに名を借りた業界秩序構造の維持という点に根本的な問題があると私は思っている。気象学会が悪い、気象庁が悪い、そうした責任者探しでは問題は解決しない。いったんシングルボイス論を取り払った上で、インターネット時代の新しい情報伝達方法に英知を結集することが重要になるだろう。
とにかく、研究者としては、社会に貢献できる機会を自粛させられるというのは何よりつらい。この問題は研究者の存在意義にもかかわる重要な問題といえる。旧来の秩序にとらわれず、研究者の責任において成果をどんどん出せるようにしてほしいものである。
(以下追記、この問題に関連する記事を追加)