阪神・淡路大震災から18年を機に、震災年表について考える
1995年1月17日の阪神・淡路大震災から今日で18年。震災当日から今に至る時の流れをたどって、震災の記憶を後世に伝えるためには、どんな形で情報をまとめていけばいいだろうか。この記事で考えてみたいのは、そこで重要な役割を果たすのは年表だ、というようなお話である。
2011年6月初旬。東日本大震災後に必死に作っていた東日本大震災アーカイブに関する作業も一段落したタイミングで、たまたま大阪に出張する機会ができた。そこで、出張の仕事の合間に、阪神・淡路大震災に関するミュージアム「人と防災未来センター」を訪問してみようと思い立った。実はここには既に2-3回は来たことがあったのだが、今回は東日本大震災を経て物の見方が変わってしまった後である。そのような目で見れば、何か新しい発見があるかもしれないと思った。
私が考えていたのは、もし東日本大震災に関して同様のミュージアムを作ることがあれば、私は情報学研究者としてどんな貢献ができるだろうか、という問題だった。とはいえ、神戸のミュージアムの目玉は、当時の実写映像や再現映像、被災者へのインタビュー、被災地の生活用品などである。これらは確かに重要な資料ではあるが、そこに情報学研究者が貢献できる部分は、残念ながらあまりなさそうな感じだった。何かヒントはないだろうか。そう考えながら、館内を歩き回った。
ふと目についたのが、展示室の片隅の壁にかかっていた、阪神・淡路大震災の年表だった。そこには震災当日からの重要な出来事が日付とともに横に並んでおり、たしか10年分の年表は横幅数メートルに延びる大きなものだった。それを見て、ふと考えたのである。もし同じような年表を東日本大震災について作るなら、それは一体どんな年表になるだろうか。いや、そもそも、同じような形式でそれを作ることさえ可能なのだろうか、と。
阪神・淡路大震災は比較的狭い地域で発生した震災であり、震災に関して記録すべき出来事も、兵庫県周辺地域で発生したものが中心である。しかし、そのような限られた地域の震災年表であっても、それは数メートルの巨大な年表となった。一方、東日本大震災は、東北から関東にわたる地域を中心として、その影響が日本の広い地域に及んだ巨大災害である。それぞれの地域ごとに、それぞれ重要な出来事を記録した年表を作るなら、それこそ数十メートル×数十メートルという巨大な壁が必要になってしまうかもしれない。そして、その巨大な壁に細かく書き込まれた年表の詳細を見るために、クレーンに乗って上下に動き回るような仕組みを作ることになるかもしれない。そんな大掛かりな仕組みは、それはそれで面白いかもしれないが、全体像を把握するのは難しいだろうから、それが年表としての役割を果たしているのかどうか微妙な感じである。
さらに問題となるのが期間である。阪神・淡路大震災もそうだが、多くの災害では10年を区切りとする。しかし特に福島県においては、東日本大震災の年表は前例のない長さに及ぶ可能性がある。福島県の震災年表には、いつの日か「浜通りの全地域に住民が帰還した」という出来事が書き込まれ、そこで震災年表は終わりを迎えるのかもしれない。しかしそれがいつの日になるのか、誰にも確かなことはわからない。年表には今のところ区切りも見えないのである。
そんな空間的にも時間的にも超巨大な年表は、従来のように単一の時間の流れを切り取ったパネルとしてではなく、ズームインやズームアウト、リクエストに応じた地域選択やテーマ選択が容易な、電子的な年表として実現するべきではないだろうか。神戸でそんなことを考えた後、東日本大震災の年表をどう実現するかという課題は、私にとっては長期的にじっくり考えるテーマの一つになった。
さて、今後の参考のために、阪神・淡路大震災についてどんな年表が存在するのか、いくつか例を見てみよう。
最初の2つの年表は伝統的なスタイルであるが、最後の年表は表現がクリエイティブだし、対象も従来は扱われていないテーマに特化している。年表は別に政治・行政の動きを追うものである必要はない。震災を多角的に捉えるためには色々なテーマに関する年表が必要だし、究極的には自分にとって大事な年表を作っていくことが、震災の振り返りを助けるのに重要な役割を果たすのではないだろうか。私自身に関しても、福島第一原発事故タイムラインを作りながら様々な出来事や観測データをタイムラインに統合したことが、全体像の理解を大いに助けたという経験がある。そんな全体像の理解を助けるような年表はどんなものか。私は一つのシステムを試作してみた。
まず基礎データとして整備したのが東日本大震災ニュース分析である(参考:「東日本大震災ニュース分析」を公開しました)。これは、震災関連ニュースを分析して重要な単語を取り出す機能を備えているが、現在のところはまだ出来事を取り出してその重要度を評価することはできない。もしそれが可能となれば、ニュースから抽出された出来事を地域ごと、テーマごとに組み合わせて並べ、自分が見たい年表を自動的に作成するための基礎データとして使える可能性がある。
続いてこの基礎データを新しい形の年表として見せるのが311メモリーズである(参考:東日本大震災から1年半後~時の流れと記憶の忘却)。日々新しい出来事が加わって延びつつある時間の流れをスクリーンに収めるため、10個の単語に一日の出来事を凝縮し、それを自動的にスクロールしながら見せるインタフェースを提案した。幸いにもこのインタフェースは好評で、今年度の文化庁メディア芸術祭にも入賞することが決まった(参考:北本朝展 准教授らの「東日本大震災メモリーズ 311MEMORIES」が、第16回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品に選ばれました)。
そしてこれがきっかけとなって、毎日新聞にもインタビューをしていただいた(参考:ひと:北本朝展さん 「311メモリーズ」ネット上に公開)。この記事には以下の記述がある。
コンセプトは「静かに動く年表」。神戸で壁一面を埋めつくした阪神大震災の年表を目にし、より大きな被害をもたらした震災の年表のあり方に思いをめぐらしている。
この記事で触れている年表というのが、実は神戸で見た震災年表のことである。そして、そこから出発した着想が「静かに動く年表」というコンセプトに至って、311メモリーズという作品につながった。インタビューではそんなお話をした。
前例のない巨大災害と、その影響を今も記録しつつあるビッグデータ。そこから紡ぎ出す年表のデザインには、多くのやり方が見出せると思う。それぞれの人にとって重要な出来事をつなげた年表が、一つのストーリーにつながって震災後の歴史を語り始めたとき、それはむき出しの事実の集積よりも記憶として残りやすいものになるのではないだろうか。そのような年表、そしてストーリーを、どうやって生み出して社会で共有していくか、それは情報学研究者にとっての一つのチャレンジではないかと考えている。