研究ブログ

イラン・バム地震10周年とアーカイブプロジェクトの成果

イラン・バムで死者4万人とも言われる大地震が発生したのが2003年12月26日(Wikipedia:バム)。そして今日ちょうど10周年を迎えました。私たちは、地震発生直後からアーカイブ活動イラン・バムの城塞を開始し、あれから10年が経過してアーカイブはようやく部分的な完成を迎えつつあるところです。

その成果の一つとして、バム遺跡を3次元CGモデルで復元したウォークスルービデオを、YouTubeのDigital Silk Roadのチャンネルにいくつかアップロードしました。地震で崩壊する前の雄大な遺跡の姿を想像しながらお楽しみください。これ以外のビデオも3次元CG復元のウォークスルー映像で提供しています。



From Barrack to entrance ramp of Governor's House | Citadel of Bam, Iran  - YouTube

Governor's House and Watch Tower | Citadel of Bam, Iran  - YouTube

From fifth Defensive Wall to Chahar Fasl (Four Season) | Citadel of Bam, Iran  - YouTube

アーカイブ制作は基本的に地道な作業が必要です。地震で崩壊する前の建物を復元するためには、建物の大まかな寸法だけでなく、窓やファサードの細かい装飾などもいい加減には扱えず、どうしても検討と作業に時間がかかります。こういった3次元モデルの構築は、遺跡が現存するならレーザー計測を用いるのが定番なのですが、遺跡が災害で失われた後となってはそうもいかないのです。また、アーカイブは(特に情報学の?)研究としての新規性を訴えづらい面があり、研究プロジェクトの予算獲得にも難しさがあります。とはいえ、こうした問題を周囲の助けもあって乗り越えつつ、3次元モデルの構築を粘り強く進めてきた結果、バム遺跡の主要部分についてはこの秋にようやく3次元モデルを完成させることができました。

これまでのプロジェクトの経過については、今から3年前の時点の情報を2010年12月26日の記事イラン・バム地震7周年で紹介しました。またイラン・バムの城塞:ニュースでは、地震の5日後(2003年の大晦日!)にウェブサイトを立ち上げて以来のいくつかの出来事を記録しています。ちなみに文献としてはPost-Disaster Reconstruction of Cultural Heritage: Citadel of Bam, Iranなどがあります。

10年前、バム地震のニュースを聞いた直後のことを今でも覚えています。かつてバムで働いていたイラン人の大学院生と最初に話したとき、私はその場でアーカイブ構築を提案しました。そこには過去の記憶がありました。まず、1995年の阪神淡路大震災(阪神・淡路大震災から18年を機に、震災年表について考える)の記憶です。地震で何が起こっているかは、誰かが発信し記録していかねばならないことを痛感していました。そしてさらにその奥には1993年の北海道南西沖地震(北海道南西沖地震から18年を迎えた奥尻島)の記憶がありました。町が丸ごと失われた後の喪失感を埋めるためにも、何らかのアーカイブが必要ではないかと考えました。

それから延々とアーカイブ構築を進めてきた中間報告として、3年前の12月26日に書いたのが地震7周年の記事でした。そしてそれから数か月後に、あの東日本大震災(東日本大震災から1年半後~時の流れと記憶の忘却)が発生。その後アーカイブを取り巻く環境は変わったのでしょうか?確かに東日本大震災後には多くのアーカイブプロジェクトが立ち上がりました。記憶を後世に伝えていかねばならない、多くの人がそう主張しました。その後それらのプロジェクトがうまく進んだのかと言えば、なかなか簡単ではないなというのが正直な感想です。

アーカイブの最終的な成功とは何でしょうか。バム遺跡復元プロジェクトの場合、それは遺跡の物理的な復元でした。つまり物理的な復元にも使える精度の3次元モデルを構築することを(遠い)目標にしたのです。とはいえ、バム遺跡はあまりに巨大すぎ、コストの面から物理的な復元は難しいのが実情です。さらに、イラン南東部に位置するバムはアフガニスタンにも近いため、現在は治安の面でも極度に悪化しており、物理的な復元どころではない状況となっています。こんな状況で今後の目標をどこに見出していけばよいか。これは重要な課題であり、イランの人たちともこれから議論していきたいと考えています。