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北海道南西沖地震から18年を迎えた奥尻島

北海道南西沖地震から今日で18年を迎えた。この地震は、私の原体験の一つと言えるかもしれない。災害によって町が消えてしまうことの恐ろしさ、それを最初に感じたのがこの地震だったからだ。

北海道南西沖地震が発生したのは1993年7月。その確か2年前の1991年夏(もしかすると1992年だったか?)、私は奥尻島を旅行していた。後に北海道南西沖地震の被災地として有名になった奥尻島であるが、実は当時はこの島のことをあまり聞いたことはなく、旅行に同行した友人がたまたまここを行き先の一つに選んだのだった。江差町からフェリーで渡った奥尻島は、のんびりとした空気が流れる島だった。海岸に行くと浅い海水の中にウニが転がっており、自由に簡単につかまえることができた(北海道側では手づかみできるところにウニはいないだろう)。民宿ではウニ丼が出たし、海産物の食事もおいしかった。食後は同宿の人たちにビールをおごってもらって、いろんなことを話した。

島はレンタサイクルで一周した。そんなに小さな島ではないし、島中央部の峠越えもあるので決して楽な道のりではないが、車もあまり通ってないので自転車でも走りやすいことは確かである。西海岸には温泉があって途中でひと風呂浴びた。峠を越えた下り坂ではスピードを出し過ぎて転倒し、すり傷を負ったことを覚えているが、その後どうなったんだっけ。しばらく痛かったはずだが、あまり記憶がない。

そんな奥尻島旅行で泊まったのが、青苗地区の民宿だった。そこが津波で壊滅したニュースを見た時、信じられなかった。テレビに映し出される映像には、津波に襲われて瓦礫となり、炎上を続ける家々があった。町が津波でまるごと消えてしまった、民宿の人たちはどうなったんだろう、あの場所は二度と見ることができないのか、といろいろな思いがこみ上げてきた。この地震のあと、私は旅行先でやたらと写真を撮っていた時期があったが、そこには「目の前の風景がある日突然失われることがあるのだ」という奥尻島での体験が影響していた。今風に言えば、町のアーカイブをいま記録しておかないと、この風景は永遠に失われてしまうかもしれない、ということである。私が初めて災害義援金を出したのもこの北海道南西沖地震だったし、直接の被災者ではないものの「痛み」のようなものを初めて感じたのがこの災害だったように思う。

あれから18年、北海道南西沖地震の被災者たちは、東北地方太平洋沖地震の津波災害を見て18年前の自らの体験を振り返り、「災害を伝える」ことに新たな使命感を覚えているそうだ。今回の東日本大震災によって、改めて注目がよみがえった奥尻島。あの地震のあと、私は一度も奥尻島を再訪していない。東京からだとなかなか遠い島ではあるが、またいつか行ってみようかと懐かしい気持ちになった。

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