研究ブログ

瀬戸内哲学研究会公開セミナー「対立と継承──哲学史研究において影響関係はどのように語られるのか」

本セミナーは、岡山大学文明動態学研究所共同研究プロジェクト「文献に書かれていないことについて何がいえるのか──哲学史における影響関係の推定に関する事例研究」の成果を発信するためのものです。このプロジェクトでは、「哲学史研究はどのような営みなのか(そしてどのような営みであるべきなのか)」という大きな問題に答えるために、

  1. 影響関係の推定という特定の主題に着目したうえで、
  2. 哲学史研究の具体的な事例の検討を、
  3. 哲学史の専門家以外の研究者(とりわけ歴史学の研究者)と共同で行う

というかたちで、試験的なディスカッションを重ねてきました。そのため、本プロジェクトの成果は、まずもって、上記のような形式のセミナーを有意義なものとして開催できたという実績にあります。この実績を踏まえ、今回の公開セミナーは、哲学史に関する研究会の新しい形式を提案することもその狙いのひとつとして開催いたします。本プロジェクトに協力いただいた二名の哲学史研究者の研究報告と哲学史を専門としないコメンテーターを交えた討論の組み合わせによって、担い手の減少と専門性の高まりによって狭い世界に閉じ込められがちな哲学史研究者が専門性を手放さずに専門の垣根を越えていく方途のひとつが示されるはずです。

 

開催日時 2022年3月13日(日)、13:00--17:30

開催形式 オンライン(以下のページからの事前登録が必要です:https://forms.gle/VB9iLKXdWqB7zAJa6

登壇者
発表者 酒井健太朗(環太平洋大学)、辻麻衣子(清泉女子大学)
コメンテーター 井頭昌彦(一橋大学、哲学/社会科学方法論)、稲葉肇(明治大学、科学史)、仲田公輔(岡山大学、西洋史)、田中悠子(ロンドン大学、イスラーム史)
オーガナイザー・司会 植村玄輝(岡山大学)

プログラム
13:00–13:10 植村玄輝 「はじめに(趣旨とセミナー形式の説明)」
13:10–14:40 酒井健太朗「偶然の交錯──アリストテレス『自然学』第2巻第4章におけるデモクリトス思想とその批判」
14:40–15:00 休憩
15:00–16:30 辻麻衣子「両者はカントをどのように読んだのか──トレンデレンブルク−フィッシャー論争に見るカント時空論解釈」
16:30–16:40 休憩
16:40–17:30 全体討論

発表要旨
酒井健太朗「偶然の交錯──アリストテレス『自然学』第2巻第4章におけるデモクリトス思想とその批判」
「偶然」は古代ギリシアにおけるメインテーマの1つであった。悲劇作家たちも、初期ギリシア哲学者たちも、そしてプラトンも、この概念について一定の議論を行っている。しかしこの潮流の中で、偶然概念を哲学的にはじめて定式化したのはアリストテレスであろう。彼は『自然学』第2巻第4章–第6章において、自身の4原因論の枠組みのもとで偶然概念を論じた。しかし、そのうちでも第2巻第4章の議論については取り扱いが難しい。ここでアリストテレスは、通念として取り上げられた初期ギリシア哲学者たちの見解を批判している。おそらくその中でも最大の論敵と見做されているのは、名前こそ挙げられていないもののデモクリトスであろう。ここでは、彼の原子論に基づいた偶然観が批判の対象となっているが、(i)その偶然観の具体的内実は不明瞭であり、(ii)アリストテレスによる批判の妥当性にも検討の余地がある。そこで、本稿ではこの両問題を同時に考察することで、デモクリトス思想の批判がアリストテレスの偶然論のうちで有する意義を明晰化することを目指す。

辻麻衣子「両者はカントをどのように読んだのか──トレンデレンブルク−フィッシャー論争に見るカント時空論解釈」
1860年代半ば、ある論争がドイツの哲学界を騒がせた。F・A・トレンデレンブルクとK・フィッシャーとの間に起きたこの論争は、カント認識論の核心部分をめぐるものだった。カントは『純粋理性批判』超越論的感性論の中で、直観形式としての時間と空間はア・プリオリであり、かつ現象にのみ適用可能な主観的形式であるという議論を展開した。こうしてカントは超越論的観念論という自身の立場を立ち上げるのだが、この言説に対しトレンデレンブルクは『論理学探究』第2版(1862年)でカントがある点を見落としていると指摘する。それは、時間空間がただ主観的形式でしかないのではなく、同時に客観的形式でもある、すなわち物自体にも適用されうる可能性が残されているという点であった。「第三の可能性」「トレンデレンブルクの溝」「無視された選択肢」などと呼ばれるこの指摘に、フィッシャーは『論理学と形而上学の体系』第2版(1865年)でカントの議論はそのような可能性を排除できているとして反論した。こうして長く複雑な論争が始まり、それはトレンデレンブルクの教え子だった若きH・コーヘンが主著『カントの経験の理論』(1871年)のアイディアを彫琢する大きな契機ともなった。本発表では、この論争においてトレンデレンブルクとフィッシャーの両者がカントのテクストをどのように読解し、論陣を張ったかに焦点を当て、この論争をテクスト解釈という観点から考える。