雑記帳

『統語意味論』ご恵贈御礼

院生時代にお世話になっていた上山あゆみ先生より『統語意味論』をいただきました。

以下,統語論・意味論に必ずしも(ほとんど)明るくない立場なりに本書の簡単な紹介を。

改訂:2015/12/10 14:00 「知識の表示」について誤解を招きそうなところを少し書き換えました。

目次(出版社ウェブサイトより)
序 章 何をめざすのか
      序.1 「日本語」 とは?
      序.2 統語論とは?
      序.3 統語論の説明対象
      序.4 本書でめざしていること

第1章 統語意味論のあらまし
      1.1 コトバという仕組み
      1.2 Information Database と Lexicon
      1.3 語彙項目から文へ
      1.4 意味表示と意味理解
      1.5 まとめ : 統語意味論の立場

第2章 格助詞
      2.1 項となる意味役割と格助詞
      2.2 付加詞としての格助詞
      2.3 J-Merge : 名詞と格助詞の Merge
      2.4 格助詞ヲと動詞
      2.5 時制要素と 「~が」 の移動
      2.6 音形のない 「代名詞」
      2.7 本書で未解決のまま残している問題

第3章 使役構文と受動構文

      3.1 使役構文1
      3.2 使役構文2
      3.3 受動構文1
      3.4 受動構文2
      3.5 本書で未解決のまま残している問題

第4章 「A (の) B」 構文
      4.1 property 記述表現による修飾構文
      4.2 OBJECT 指示表現による修飾構文
      4.3 Host property 表現
      4.4 ノ : property-no 規則と N 主要部としてのノ
      4.5 本書で未解決のまま残している問題

第5章 「Aは/がB (だ)」 構文
      5.1 property 記述表現の id-slot に対する条件
      5.2 T の特異性
      5.3 「Aは/がB (だ)」 構文
      5.4 property-da 規則
      5.5 英語と日本語の相違点と共通点
      5.6 本書で未解決のまま残している問題

第6章 Predication と Partitioning
      6.1 数量表現
      6.2 OBJECT と LAYER
      6.3 Predication 素性と Partitioning
      6.4 Partitioning 適用後の意味解釈
      6.5 本書で未解決のまま残している問題

第7章 連体修飾

      7.1 連体修飾節
      7.2 連体修飾が複数ある場合
      7.3 連体修飾と語順

第8章 疑問文と不定語
      8.1 「誰」 「何」 「どこ」
      8.2 「どの~」 「何人の~」
      8.3 「どのNの~」
      8.4 さまざまなタイプの疑問文
      8.5 不定語+モ
      8.6 不定語との連動読みと照応記述制約
      8.7 本書で未解決のまま残している問題

第9章 さまざまな連動読み
      9.1 同一指標による連動読みと依存語による連動読み
      9.2 ソコの単数性
      9.3 統語素性 Bind と Merge 規則 Binding
      9.4 2種類の連動読みの違い
      9.5 疑似連動読み

第10章 否定文
      10.1 否定にまつわる問題点
      10.2 非存在を表すナイ
      10.3 動詞否定文のナイ
      10.4 ダレモ~ナイ構文
      10.5 シカ~ナイ構文
      10.6 遊離数量詞構文

終 章 統語意味論のこれから
      終.1 統語意味論の目標
      終.2 内的体系性と 「社会的契約」
      終.3 システムの明示 : 検証のための Web ページ
      終.4 評価尺度の問題 : Hoji (2015) について
      終.5 今後の課題

付録A 解釈不可能素性と統語操作の一覧
      A.1 解釈不可能素性一覧
      A.2 統語操作一覧

付録B Numeration からの派生の全ステップ
      B.1 ビルがジョンにメアリを追いかけさせた
      B.2 ビルがジョンにメアリを追いかけられた
      B.3 3人の男の子が2人の女の子を誘った
      B.4 ジョンが見かけた女の子
      B.5 ジョンがどこが勝ったか知りたがっている
      B.6 どの大学の学生が来ましたか
      B.7 ジョンは、メアリが誰を誘っても、パーティに行く
      B.8 かなりの数の大学がそこを支持していた人にあやまった

この本ができあがった過程について

全295ページ(B5版)とかなりのボリュームです。まず,いかにしてこの本ができあがっていったかについて,「あとがき」より引用します。

本書のベースとなっているのは、2008~2013年ごろに九州大学大学院の授業で行なってきた講義である。毎回、書き下ろした原稿をテキストとして、院生さんたちに内容を聞いてもらい、その反応を見ながら改訂を重ねてきた。

私が先生の授業に出ていたのがだいたい2006年までなので,ちょうど出なくなってからこの本のベースとなった講義が始まったのですが,それ以前から先生の研究室で何度かモデル(p.8)の初期バージョンについて提示しており,そのときにも例えば以下に述べるような標準的な命題真理に基づく形式意味論ついての懐疑的な見解などを聞いた覚えがあります。しかし,日本語の様々な文法現象についてここまでカバーした形での話はこの本で初めて見ました。

こうやって,授業でひとつのモデルを作り,それに改訂を重ねてひとつのまとまった形にしていくというのは,かなりハードな仕事だというのは想像に難くないでしょう。アメリカのある有名な大学院の言語学講座の授業では,教員がその学期に「○○の理論を一から作りなおす」と言って初回にひな形を作り,それを院生とともに議論を重ねて改訂し,学期が終わる頃にはジャーナルに出せる形にするなんてことがあってたまげたそうです(私も聞いてたまげました)。日本の大学院で同じようなこと(しかもそれを何年にもわたって)やってきたというのは本当にすごいことなんだと思います。ちなみにこれは上山先生ももちろんですが,それについてきて,しっかりと批判的・建設的な意見を述べて議論してきた当時の院生やポスドクたちについても言えることですね。

統語意味論と形式意味論

生成文法の意味論というと真理条件を軸とした形式意味論を指すことが多いと思いますが,それに対する否定的な見解がひとつの大きな特徴だと思います。印象的なところを少し長いのですが,引用します。


従来の形式意味論では,さまざまな補助仮説を加えることによって,(82)(=文の意味とは,その文の真理条件である:松浦補)を保持する形で進んできているが,その前提を取り払うべきであると考えている。
 これまでの形式意味論では,真理条件を軸として,(83a)(=各語彙項目についてLexiconで指定されている「意味」:松浦補)も,そこから逆算する形で規定されてきた。しかし,「逆算」である限り,「語彙項目の知識とその組み合わせ方の知識の総体として言語というものをとらえる」という目的を達成することはできない。結果的に,文の意味を記述することはできても,どうしてその意味になるのか,という説明としては不満が残る場合が多く,また,同じ語彙項目でも,生起する構造的位置が異なると,「逆算」結果が異なるため,少なからぬ「同音異義語」を仮定する必要にせまられる。(pp.33-34)


述語論理学を用いた従来の意味論では,次のような『意味』のとらえ方が標準的であった。
(23) a. Every student came
        b. ∀(P(x) → Q(x))
        c. every (x = student) (x came)
(24) a. Some student came
        b. ∃(P(x) & Q(x))
        c. some (x = student) (x came)
このとらえ方では,every student の「意味」は [...中略...] 直接,その「学生たち」を指示しない。しかし,明らかに私たちはこれらの表現をとおして「複数のモノから成るOBJECT」を認識することができる。
(25) 3人の学生やってきた。そいつらは,騒がしかった。
量化子というものは,その定義上,指示的ではない概念であるため,量化子を用いたとらえ方をしている限り,(25)のようにソ系列指示詞を用いて当該のOBJECTを指示することができるという事実が,深刻な問題となってしまう。(pp.125-126)


では統語意味論では意味についてどう考えているのでしょうか。この本では,知識というものを,モノやデキゴトなどが持っている特性の集合ととらえています。例えば,"松浦年男"というモノは1977年生まれ,東京出身などといった特性(propertyと呼んでいる)を持っています。そのため,これらを知る人にとっての"松浦年男"の知識は次のような形になります。


"松浦年男"に対する知識の形式
<X104, {<Name, 松浦年男>, <Kind, 大学教員>, <生年, 1977>, <出身, 東京>...}


一方,例えば"松浦年男"が東京ではなく長崎生まれだと信じている人(著書のテーマもあり,実際そう思っている人は多い…)にとって,"松浦年男"の知識は次のようになります。


"松浦年男"に対する知識の形式(ただし出身地を勘違い)
<X104, {<Name, 松浦年男>, <Kind, 大学教員>, <生年, 1977>, <出身, 長崎>...}


同様に,"松浦年男"の出身地を知らない人にとって,この部分は空(またはそもそも項目がないか)になります。これはデキゴトについても同じで,"北京オリンピック"や"(誰かが何かを)落としたコト"に対する知識は次のようになります。


デキゴトに対する知識の形式
<X65, {<Name, 北京オリンピック>, <開催年, 2008年>, <場所, 中国・北京>,...}>
<X82, {<Kind, 落とした>, <落下物, x53>, <行為者, x19,>, <落下場所, ...>,...}>


これらの知識はInformational Database(情報データベース)に収められており,語彙の意味(Lexiconでの意味表示)も文の意味も基本的には同じ形をしていると仮定しています。例えば,「ジョン」というモノや「追いかける」というデキゴトを表す語彙項目は次のような表示なっています。

語彙項目の表示例(ジョン・追いかける)
[{N}, <id, {<Name, ジョン>}>,ジョン]>]
[{V}, <id, {<Kind, 追いかける>, <Theme,wo>, <Agent,ga>}>oikake-]>

黒は統語素性,青は意味素性,赤は音韻素性です(ジョンの音韻素性がカタカナで,追いかけるの音韻素性が音素/ローマ字なのは見やすさと正確さの兼ね合いの問題で本質的ではありません。別にジョンはzyoNでもいい)。見て分かるとおり,語彙項目の表示形式は知識の表示形式と基本的に同形です。だからこそ,語彙項目とInformational Databaseはやりとりが容易になります(★の説明は省略します。分かる人に言えば,解釈不可能素性です)。また,言語の計算の上で必要な語彙の知識はNameやKindぐらいなので,これらの情報だけが書かれています。

そして,これらの語彙項目を必要な規則(Merge(これも独自に定義)など)を適用することによって,適正な表示が得られれば出力され,意味表示に変換されます。例えば,「ジョンが女の子を追いかけた」という文では,次のような表示になります(この表示も章が進むにつれて形を変えるのですが,ここでは簡単な表示を書いておきます)。

文の意味表示(ジョンが女の子を追いかけた)
{x4 ,{<Kind, 追いかける>, <Time, perfect>,<Theme, x2>, <Agent, x1>}>,
<x1, {<Name, ジョン>}>,
<x2, {<Kind, 女の子>}>}

このように,知識や語彙項目,文の意味を電話帳のようなデータベース的な表示にすることで,意味表示がInformational Databaseの内容をどう更新していくのか(言語によって知識を変えるのか)が記述でき,引用中の(25)のような文で「3人の学生」をひとかたまりとしてとらえることができることになります。


個人的には,こういった表示は私のような非・意味論者にとって非常に直観的に理解しやすいものだと思います。


この本を開いてすぐに閉じないために

このように,この本は標準的な形式意味論などとは意味の表示が大きく異なります。そのこともあり,この本は「言語の構築システムの追求にあたっては,関連する仮説を全て提示し,入力→操作の適用→出力が明示的に記述できなければならない」(p.218)という方針の下,必要な仮説を余すところなく明示しています[1]。そのため,この本の中には至るところに見慣れない記号や式,樹形図が展開されていて圧倒されるかもしれません。しかし,どこで何を使うかは非常に明示的ですし,基本的に,現象→必要な式の導入→実際の計算という形式なので,最初の用例を(我慢して)手書きで計算していくことによって,その後はグッと読みやすくなります。参考(何のだ?)までに私のノートの写真を。

途中の過程

形式意味論,ロジックなどにあまりなじみのない方は,ぜひ一度手計算でプロセスを書いてみることをお勧めします。実際,これをやることによって,帯にある「意味と構造は同時に決まる!」というのがどういうことなのかが実感できるんじゃないかと思います。ちなみに上山先生のサイトに検証用プログラムが用意されており派生を確かめることもできますが,この理解も最初に手書きを経ることでグッと深まることでしょう。

最後に

このように,『統語意味論』は日本語の観察をもとに,構造によって表示される意味がどのように導き出されるのかを明示的に書き出しています。また,上にも書いたとおり意味論にとって非常に大きな提案をしています。個人的には,この内容が英語でも書かれ,国外でも検討されることを願います。また,みなさんにはぜひ同書を手にとって,自分で計算して,味わってみてほしいと思います。

※タイポ
Mergeする要素間のカンマが抜け落ちているものがありますが,これはいずれもタイポとのことです。実際に先生とやりとりしたときに使った画像ですが,例を1つ(p.21より)。



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[1]こういった方針は私自身,著書(『長崎方言からみた語音調の構造』)にて実践しようとしましたが…