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ミンストレル

西洋音楽と日本音楽の歴史を徒然に綴ってみようと思います。西洋音楽には古代よりの理論的背景があり、音の高さが明瞭にある楽音から構成されていますが、日本などその他の地域の音楽では噪音という周期性が不規則な音も利用するという違いがあります。能の地謡などは噪音を多用しますね。音楽には元々魔術・呪術的機能、宗教儀式、労働の促進行為、求愛行為としての機能がありましたが、西洋近代になって初めて芸術的機能が付与されました。ここではまず古代ギリシャから話を始めようと思います。

 

古代ギリシャの音楽はムーシケーと呼ばれ、musicの語源となりました。ギリシャ時代の音楽は詩と音楽と舞が一体となった演劇の一部として認識されていました。つまり西洋音楽は最初、インストゥルメンタルという訳ではなかったのです。その後、近代音楽の発展とともに音楽の独立性が担保されていきました。この時代にはピタゴラスが協和音の数理による理論を立て、音楽理論の走りとなりました。ギリシャの音階にはミクソリュディア、リュディア、フリュギア、ドリス、ヒュポリュディア、ヒュポフリュギア、ヒュポドリスの七種類の音階が知られています。民族名が名称に使われているように、民族を代表する音階があったのです。中世ヨーロッパでは音楽はミサにおいて重要で、カロリング朝のピピン3世やシャルルマーニュなどがグレゴリオ聖歌などをローマから取り入れました。音楽が独立して発展するには15-16Cルネサンスを待たねばなりません。ルネサンスでは音楽はギリシャ時代の数理に基づくものから耳で直接聴いた主観に基づくものに変化し、5度、4度の協和音以外に3度や6度の不協和音とされていた和音も協和音として捉え、教会旋法も8から12に増えました。声部も3声からソプラノ・アルト・テノール・バスの4声になります。これらのことで音楽性に幅が出てきました。

 

バロック時代は16C—1750までとされています。この時期の音楽を表現する言葉として躍動感、対照、ドラマティック、情緒性などがあげられます。教会旋法から長調・短調の和声的な世界になってきたのです。オペラが生まれたのもこの頃で、ヴィヴァルディなどの作曲家がいました。声楽によらない器楽が生まれたのもこの頃で、音楽が宗教から独立してきました。ソナタ形式、コンチェルト形式においてはヴィヴァルディの他にヘンデル、J.S.バッハなどが活躍しました。バッハは対位法や声部書法、機械性で有名で、代表作はアルンシュタット/ミューハウゼン時代にトッカータとフーガ(BWV565)、ヴァイマル時代に<<ブランデンブルク協奏曲>>、ケーテン時代は傑作多数、ライプツィヒ時代に<<マタイ受難曲>>などがあげられます。これに対してヘンデルは旋律、和声、人間性において次世代の音楽としての評価が高かったです。1720-80までは前古典派の時代で、その分かりやすさ・単純性、上旋律優位、強弱・クレッシェンド・デクレッシェンドなどの多用、主調から属調、属調から主調への二部ソナタ形式で特徴付けられます。映画『アマデウス』に登場するサリエリなどはこの時代の人ですね。

 

1780年代から1820年代までは古典派の時代です。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどが含まれますが、モーツァルトは前古典派、ベートーヴェンは次のロマン派的な音楽も作曲しています。ハイドンは声楽で有名で、他<<ロシア弦楽四重奏曲>>なども作曲しています。交響曲が成立したのもこの時代で、ハイドンの作品には<<四季>><<天地創造>>などがあります。モーツァルトはピアノ協奏曲で有名で、フリーメーソン劇の<<魔笛>>でも作曲をしています。劇音楽では<<フィガロの結婚>><<ドン・ジョヴァンニ>><<レクイエム>>などが有名です。ベートーヴェンはピアノ、交響曲、オペラの音楽を作曲しています。ピアノ曲<<月光ソナタ>>、劇的・英雄的な交響曲<<エロイカ>>オペラ<<フィデリオ>>、動機的展開を見せる交響曲<<運命>><<田園>>、歌謡的・叙情的なピアノ協奏曲<<皇帝>>などを作曲しています。ベートーヴェンはその後ロマン派音楽と対位法・変奏という相矛盾した傾向を併せ持つ作曲を行うようになります。

 

19Cから1910まではロマン主義の時代でした。18Cまでの音楽は啓蒙主義を司る王室や貴族の特権でしたが、市民革命や産業革命を経てブルジョワたちが理解できる民衆の音楽が望まれるようになったのです。ロマン主義の先駆けはエマヌエル・バッハやモーツァルトに見られます。シュトラウス、ドビュッシー、シューマン、ショパン、シューベルト、ブラームス、メンデルスゾーンなどクラシックで有名な作曲家はこの時代の人が多く、マーラーまで連なります。シェーンベルクやストラヴィンスキーからは20世紀音楽となります。ロマン主義は器楽が中心で抒情的に長く歌うような旋律でした。リズムは変化に乏しく、短調や転調が増え、シャープやフラットが多用されていました。また半音階的傾向も見られます。テーマ性を持った「標題音楽」が顕著で、ベートーヴェンの<<田園>>、ベルリオーズの<<幻想交響曲>>などがあたります。オペラではヴァーグナーが<<トリスタンとイゾルデ>><<ローエングリン>><<ニーベルンクの指輪>>を発表しています。シューベルトはピアノの使い方が上手く、抒情的旋律が特徴で、和声の彩り方にも優れていました。<<魔王>>などが代表作です。シューマンは音楽的なものと文学的なものが混じり合ったところが魅力的です。<<謝肉祭>>などピアノ小品集があります。ショパンはピアニストとして有名で、民族的音楽を取り込み和声に斬新性がありました。リストもピアニストで、曲の構成や和音の手法に特徴があり、<<ファウスト交響曲>>が代表作です。ブラームスは新古典派に属し、中世のフリュギア旋法を用いて全音階主義への復帰を果たしました。ドヴォルザークは<<スラヴ舞曲集>>で有名です。その他にもブルックナー、チャイコフスキー、グリーグ、シベリウス、マーラーなど有名なクラシック作曲家が大勢登場しました。マーラーはソナタ形式の解体と20世紀的表現主義の達成を行い、ロマン主義の時代は終わりを告げます。この頃R.シュトラウスは<<サロメ>><<エレクトラ>><<ばらの騎士>>などのオペラを、ドビュッシーは教会旋法、5音音階、全音音階、付加音の付いた和音、平行和音、平行音程の多用、不協和音の連続的使用、バリエーションあるリズムなど独自の境地を開いていて素晴らしいです。

 

20Cの音楽は激動の時代で、印象主義から表現主義や原始主義への復帰が行われました。調性や機能和声が崩壊し、モダニズムやフォーヴィズムなどの芸術運動に影響を受けました。ストラヴィンスキーやバルトークなどはこの系統です。ストラヴィンスキーはバレエ<<火の鳥>><<ペトルーシュカ>><<春の祭典>>などで作曲を手がけ、その後の原始主義は1910年からの僅か数年間だけ栄えました。未来派の機械音楽、ダダイズムやシュールレアリズムの影響を受けたサティとコクトー・ピカソ・マシーンの協同作業、フルクサスの一環のアメリカ実験音楽、ロシアのアヴァンギャルド、ストラヴィンスキーの新古典主義<<プルチネッラ>>、小さな音楽、新ロマン主義、スペクトル音楽、ニュー・コンプレキシティ、十二音技法の流行などとてもフォロー仕切れません。これに加えて大衆曲の興隆もあります。市民革命後に音楽が時代を反映してきた結果がこれだとしたら、今後音楽の方向性がより人類普遍的なものに収束することはあるのでしょうか。

 

 

 

一方の日本で「音楽」という概念が確立したのは明治時代に西洋音楽の概念が入ってきてからで、それまでは雅楽や各種伝統芸能の一部としてその存在が別個に認識されていました。古代邦楽の雅楽は平安時代に確立しましたが、原型は聖徳太子の時代に江南地方から伝わった伎楽で、701年の大宝令で雅楽寮が設立され、東アジアの民俗音楽を中心に、のち東南アジアの民俗音楽も扱うようになりました。奈良時代には西域楽や天竺楽が中国の胡楽を経て日本に伝わり、その楽器のうち名品は正倉院に保管されています。万葉集にも当時はメロディーが付いていた筈ですね。

 

中世の邦楽は今様の流行から三味線が現れるまでとされています。このうち代表的な能楽は室町時代に成立した能(詩劇)と狂言(喜劇)を合わせた音楽劇で、明治時代までは猿楽と呼ばれていました。原型は唐から伝来した散楽にあり、密教の呪師の要素も含まれ、狂言的な秀句と祈禱劇の式三番を合わせて大成しました。室町時代の観阿弥・世阿弥父子はご存知だと思います。能楽の流儀にはシテ方・ワキ方・狂言方・囃子方があります。シテ方は端正な観世、質実な宝生、古風な金春、華麗な金剛、武士道精神を現す喜多の各流儀があり、ワキ方は高安・福王・下掛リ宝生、狂言方は大蔵・和泉の流儀があります。囃子は能管・小鼓・大鼓(ともに亡霊を表現する)・太鼓(超自然を表現する)を使用します。能楽についてはこのブログでも何回か紹介してきました。私は特に『山姥』という演目が好きです。

 

能楽への招待

若手能

山姥

能面、シアターアーツ

能とファンタジーに想う

 

三味線が普及する近世の17Cからは、歌舞伎や人形浄瑠璃が発達しました。歌舞伎は南北朝時代の悪霊払いの風流踊りが原型で、江戸時代初期には有名な「出雲の阿国」がややこ踊りを披露します。これがかぶき踊りとなります。風俗上の理由から1629年の女流歌舞伎の禁止、1652年の若衆歌舞伎の禁止を受けて歌舞伎界が生き残りを図って現在の野郎歌舞伎の流れになる訳です。人形浄瑠璃は語りと三味線が一体となり、能楽と同じく散楽の中の傀儡回しが原型です。

 

日本では1850年頃から西洋音楽の伝来により、やっと音楽という芸能が独自のジャンルとして認められるようになります。最初は軍隊や学校で普及しますが、やがて<<四季>><<荒城の月>><<メヌエット>>の滝廉太郎、山田耕筰のような作曲家が登場します。西洋音楽の技術は民謡の採譜にも役立ちました。「音楽」という概念が出来てからその発展は西洋音楽の発展と同時並行で起こり、柴田南雄・一柳慧・武満徹らの活躍は記憶に新しいことです。あと、琉球やアイヌの人々は独自の民俗音楽を持っていることも記しておくべきでしょう。

 

増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで
片桐 功, 楢崎 洋子, 岸 啓子, 三浦 裕子, 茂手木 潔子, 久保田 慶一, 白石 美雪, 塚原 康子, 長野 俊樹, 吉川 文, 高橋 美都
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