カウンセリング研究ブログ

ブリーフの森俊夫先生が逝ってしまった

日本のブリーフセラピーの重鎮といってよいと思いますが、森俊夫先生が逝去されたそうです。森先生とは一度だけお会いして言葉を交わしただけなのですが、とても、とても残念です。

2013年のことでした。ある学会のシンポに森先生をお招きしたことがあります。その時のお話を少し書きたいと思います。

シンポでの発言は、まあよいでしょう。私の思い出となっているのは、夜の懇親会で交わした言葉と、学会会場の喫煙室で交わした言葉です。私も森先生もスモーカーでした。二人で一服しながら何気なくかわした言葉が忘れられません。

森先生は、私にこう言いました。「ブリーフはいいよー。たまらなくて」 先生の、あの笑顔で。

それに対して、私はこんなことを答えたと記憶しています。長期の継続カウンセリングをやってきた自分は、たまってしまったクライエントとかかわるだけで新規の方々を新たに受け入れることが困難となり、それで今はもっぱら短期療法を行っていると。

「ああ、そうなの」

こう応答して、森先生はこの話題をこれ以上続けず、他の話題に移っていったような気がします。

北海道に戻って、数日がたったある日、突然あることがひらめきました。こうです。「たまっている」という言葉には、別の意味があったに違いないと。

森先生がエリクソニアンであることを忘れていたわけではないのですが、「たまる」にはクライエントがたまっていくという意味のほかに、「あんた、たまってんじゃないの」的な意味があったような気がしたのです。

うーむ、確かにたまっている。いろいろなことが。だからいまも、もがいているんだな。

ジワーッと効いて、ある日突然気が付く、そんな浸透力のある言葉を発するのが、もしかしたら森先生なのかもしれないと思った私です。

クレッチマーの性格論を取り入れた見立てもナイスでした。森先生によると、私は循環と粘着のミックスなのだそうです。これ、ドンぴしゃです。セラピーで言えば、ロジャーズ的な流儀も、パールズ的な流儀も、いずれも捨てがたいのです。粘着に関しては、自分の穴をずっと掘り続けてきた点でも納得できるのです。俺流といいますか。循環に関しては、喫煙室での接近戦といいますか、生身の私を肌で感じ取っていただいたご感想なのだと思います。(自分としては、クレッチマーの分類にはない「非定型」というのが一番しっくりきます)

今年度のブリーフサイコセラピー学会は、私の勤務校で開催されます。森先生と再会できることを楽しみにしていたのですが、それはもうかないません。たった一度しかお会いしたことがないのに、なんだかずっと心の中に住みこんでメッセージを発し続ける方といいますか、一度お会いしたら忘れられない方なのです。森先生のお弟子さんたちは、きっと深い悲しみと喪失感の中にいることと思いますが、私もなんだかさみしい感じがしています。一度しか会っていないのに。

森俊夫先生のご冥福をお祈りいたします。