カウンセリング研究ブログ

カール・ロジャースのパーソン・センタード・アプローチ

今回は、カール・ロジャースのパーソン・センタード・アプローチについて呟きます。クライエント中心療法からパーソンセンタード・アプローチという呼び名に移り変わったわけですが、その内容についてはおそらく皆さんご存知だと思います。けれども、カウンセリングの初学者にとっては知っておく必要があることですから、あえてここで取り上げることにしました。

さて、パーソン・センタード・アプローチの定義ですが、こちらのサイトにコンパクトな定義が掲載されています。The Association for the Development of the Person-Centered Approach の、こちらです。

http://www.adpca.org/node/19

このページの定義をまずそのまま引用しましょう。次いで、私が日本語訳を試みます。

For many practitioners and scholars around the world, the person-centered approach as described by Carl Rogers remains the person-centered approach. In counseling and psychotherapy, this approach may be characterized by:
  • A belief in the client’s “self-actualizing tendency,” that is, an innate motivation to grow and mature and realize its self-interest, especially when provided with a supportive environment. (なによりもサポーティヴな環境が提供されるときに、クライエントの「自己実現傾向」、つまり内的なモチベーションが成長し、成熟し、その利己心が実現するものと信じること)
  • A reliance on the therapeutic relationship, characterized by the core conditions of congruence, empathy and unconditional positive regard, for therapeutic progress (セラピーが一定方向に向かって進んで行くために、一致、共感、無条件の肯定的配慮といった、中核的諸条件によって特徴づけられる、セラピー関係を信頼すること)
  • A continuing focus on the client’s inner experience, hence…(クライエントの内的体験に対して、継続して焦点を合わせること。このためには・・・・)
  • An absence of directive techniques or perspectives introduced by the therapist, such as questions, interpretation, advice, coaching, and the like (except for relatively rare expressions of counselor congruence)(質問や解釈や助言やコーチングといった、セラピストによって持ち込まれる指示的技法やパースペクティヴが、そこにないこと[稀なことだが、例外としては、カウンセラー側の一致・不一致に関わる表出])
  • An avoidance of diagnosis, treatment plans and other therapist-centered methods that reflect the medical model of mental illness (診断であるとか、治療計画であるとか、その他、精神疾患にかかわる医学モデルを反映するような、セラピストが舞台の中心に立つような方法が、意図的に避けられること)
  • A view of the client as a whole person in process of “becoming,” that is, becoming a more fully-functioning person; therefore, counseling focuses not simply on a presenting problem but on more holistic change, so the client can continue to grow and exercise self-direction beyond the therapeutic relationship.(クライエントが、「生成」のプロセスにある、一人の全体的なパーソンとして見なされること。つまり、より十全に機能するパーソンになりつつあるものと見なされること。そのため、カウンセリングは呈している問題に焦点づけられるだけでなく、より全体的な変化に焦点が合わされることになる。だからこそクライエントは成長し続けることができるわけであるし、セラピー関係を超えて自己主導性を働かせることができるのである)

こんな感じでしょうか。なんだか妙な日本語ですね、我ながら。「利己心」も別の表現がよいかもしれません。

私なりに要約してみましょう。

まず、クライエントの実現傾向は何らかの要因によって阻止されています。そのクライエントにとってサポーティヴな環境を提供することが大切のようです。

二つ目は、いわゆる態度条件のことでしょう。あまりにも有名な、カール・ロジャースの論文がありましたね。

三つ目は、とにかくクライエントの内的体験、内的な視点を重視して、全身全霊を込めて傾聴していくということのようです。

四つ目は、クライエントに対して指示的なことはしない、あるいはカウンセラー側の外的な視点を持ち込まないということのようです。

五つ目は、クライエントが舞台の中心ではない、カウンセラーが中心に立つことになるようなことはやらないということです。診断は有害無益かもしれません。見立てとやらも。ランクやフィレンツィが能動的セラピーと表現したものと一致しているかもしれません。また、クライエントを人として関与することも意味しているようです。

最後は、生成しつつある人間観のことでしょう。全体としての人間を尊重する姿勢も大切です。



PCA(パーソン・センタード・アプローチ)の人間観は、このように、古典的な精神分析や、行動主義とは、まったく異なっています。どことなく反精神医学の匂いがしますが、ラディカルなそれとは全く違うようです。見立てや診断を嫌うのは、人間の生成や自己実現(運命ではなく自己決定)を重視しているからでしょうし、そもそも時間・空間に関するとらえ方に特徴があるからなのでしょう。ロジャースは科学哲学にも興味を持っていて、暗黙知の次元で著名なマイケル・ポランニィとも対話しています。おそらく、医学的・科学的な知識形態とは異なる知識形態を重視していたのでしょう。別言すれば、ヴィーコのクリティカとトペカの違いといいましょうか。

ややこやしくなってきたので、この辺にしておきます。

私個人は、ますます人間性心理学の方向を向いてきたような気がします。ロジャースはこれからますます勉強しますが、前回報告したオットー・ランクや、デイヴィッド・シャピロの師であるヘルムート・カイザー、ヴィルヘルム・シュテーケル、など、フロイトを離れて行ったアンファン・テリブルたちに興味をひかれるのです。

ではまた書きます。



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