「大学教員はみな裁量労働制である」という誤解
2003年、専門業務型裁量労働制の対象業種に大学教員が追加され、翌2004年4月の国立大学法人化を契機に多くの国立大学がこれを導入。
その歴史はまだ20年にも満たないのですが、今や「国公私立を問わず、大学教員はみな裁量労働制である」という誤解がずいぶん広まっています(試しにTwitterで「大学教員 裁量労働制」で検索してみてください)。
多岐にわたる大学教員の仕事のなかで、授業や会議といった時間を指定される業務はごく一部であり、その他、特に研究に関わる諸々の活動は労働時間管理など到底できません。それゆえ、多くの大学では始業・終業時間が定められているわけではなく、多くの方がそのように誤解するというのはわからないでもありません。
ところが、第3回 私学教職員の勤務時間管理に関するアンケート調査報告書(2017年6月調査)によれば、私立大学で裁量労働制を導入しているのは、わずか13.4%にとどまります(67頁)。
このアンケートの回答率は38%(268校)と、サンプルが少ないのがやや不安ですが、全私大における率もそれほど変わらないのではないかと思います。付け加えると、裁量労働制を導入していると答えた私大の中でも、一部の学部や一部の職位にしか導入していないというケースも多いので、裁量労働制で働く私大教員は本当にごくわずかということになります。
一方で、国立大学の多くは裁量労働制を導入しているようです。公立大学については情報がありませんが、仮に国立と同等の導入率だとしましょう。だとしても、日本の全大学の約8割を私大が占めていることからすれば、裁量労働制で働く大学教員は、かなり少数派だと言ってよいでしょう。
にもかかわらず、「大学教員はみな裁量労働制である」という誤解がなぜ起こるのか。
また、さらなる誤解として、「裁量労働制なので、残業という概念はない」と、二重に誤解している人も少なくありません。
後者について言えば、2019年の島根大学事件によって認識を改めたという人も多いかもしれません。
「島根大 裁量労働制で是正勧告受け9000万円支払う」
裁量労働制で働く教員に対し、深夜・休日の研究活動に割増賃金を支払っていなかったことは違法であると労基署が認定し、合計約9000万円の未払い賃金が支払われました。
しかし、多くの研究者は常に研究のことを考えており、調査や実験をしたり、論文を書いたりすることだけでなく、読書や思索等々の時間も含めて研究時間ですから、労働時間管理なんてできるはずがありません。なので、未払い賃金の合計額というのもごく一部、エビデンス付きで申告した分だけでしょうね。
さて、この事件について言及している以下のブログに、気になる記述があります。
「【裁量労働制】なのに労働基準法違反は異常!大学教員は研究してはいけないの?そもそも研究は労働なの?」
この方は、裁量労働制には残業という概念がないと勘違いしているようですが、裁量労働制でも前述のように深夜・休日労働に対して、あるいは「みなし労働時間」の設定が法定労働時間を超えた分に対しても、時間外の割増賃金を支払わなくてはなりません。
さらにこの方は、厚労省の示す裁量労働制の対象となる業務一覧に研究者が含まれていることから、「研究者もはいっているじゃないの!」云々と書いています。
言うまでもないことですが、ある業種が裁量労働制の対象であることと、ある事業場に裁量労働制が導入されていることとはまったく別の問題であり、使用者が過半数労組または過半数代表者と労使協定を締結しなければ、裁量労働制を導入することはできません。
そもそも、裁量労働制の適用要件はなかなか厳しく、大学教員なら誰でもOKというわけではありません。
対象19業務のうち、(12)学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)は、わざわざ( )で注記してあるように、主として研究に従事するものに限定されています。より詳しくは、「「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり、具体的には、研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に、その時間が、多くとも、1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること」(強調引用者)ということになります。要するに、ある大学の所定労働時間を法定労働時間(週40時間)と同じだとすれば、研究以外の労働を週20時間以下に抑えなければならないわけです。
授業時間に授業準備や成績評価等を含めれば、実際に授業する時間の数倍はかかります。コマ数の多い私大では、これだけで20時間を優に超えるでしょう。さらに、雑務の量も多いわけですから、この要件を満たすことのできる私大なんてほとんどないのではないか。
とはいえ、厳密な労働時間管理をせず、研究以外の労働時間を過小に見積もり要件を満たしていることにして導入しているケースもあるでしょうから(おそらく国公立でも)、それを含めれば、上記アンケートの13.4%という数値はまあ妥当といったところでしょうか。
さて、上記ブログは他業種の方によるものですが、大学教員自身が誤解している例もたくさんあります。例えば以下のブログ。
「大学教員が裁量労働制で働く理由」
この記事の中に、「大学教員は裁量労働制なので」とありますが、ご自身の勤務先だけの話ではなく、おそらくすべての大学教員がそうであると一般化しているように読めます。
この方の勤務先は私大なので、13.4%に含まれるレアな大学ということになりますが、そういう大学に勤めている方は、世の中にはそうではない大学のほうが多いということを知る機会は少ないかもしれません。
しかし、実際には裁量労働制でない大学に勤務しているのに、自分の大学も含め、すべての大学教員は裁量労働制であると誤解している人が本当に多いのです。ネット上だけでなく、私の周囲でも。
というか、私自身も大学教員は裁量労働制が当たり前だと思っていました。なので、自分の勤務先が裁量労働制でないことを知り、きわめて珍しいケースなのだと誤解していました。
実際、「うちは裁量労働制じゃないんだよ」と言うと、(国公立はもちろん)他の私大に勤務する方の多くが驚きます。「え、どうやって運用してるの?」と。
しかし、上記アンケートの13.4%という数値から類推するに、そうやって驚いた方々の勤務先も、たいていは裁量労働制ではないはずです。
誤解している方が多いのかもしれませんが、裁量労働制ではない=時間管理をする、というわけではありません。
上記アンケートでは、出勤確認の方法についても調べていますが(57頁)、タイムカード等、教員の出退勤時間を把握するタイプの出勤確認をしている大学は3割程度です。
要するに、裁量労働制ではないながらも、厳密な時間管理をしている大学は少なく、「裁量労働制的な」運用をしているところが多いのではないかと思われます(ただし、2019年の労働安全衛生法改正にともなう労働時間把握の義務化により、これから徐々に状況は変わっていくでしょう)。
「裁量労働制的な」と書きましたが、より正確には、「裁量労働制のブラックな面のみを模倣した」運用と言えるのでないでしょうか。
というのは、上記アンケートによると、教員との間に36協定を締結している大学は35.5%に過ぎません(70頁)。言うまでもなく、36協定がないと休日・時間外労働を命ずることはできません。つまり、64.5%の私大は、「教員は、いっさい残業をしていない」という体裁を取っているわけです。
でも、そんなわけないですよね。
私大は国公立に比べ授業コマ数が多く、さらにアホくさい種々の雑務が山ほどあって、それだけで一週間があっという間に過ぎてしまいます。研究時間の確保もままならないという大学も多く、平休日・昼夜を問わず、空いた時間を見付けて研究するしかありません(もう研究を捨ててしまったという人もいますが)。
参考までに、文科省による平成30年度 大学等におけるフルタイム換算データに関する調査には、大学教員の職務活動時間割合が示されています(8頁)が、国公私立すべての大学で研究時間は50%を大きく下回り、裁量労働制の適用要件を欠いた状態となっています。特に私立は28.5%まで落ちており、とても研究職とは言えません。
そういう労働環境下にあって、本当に休日・時間外労働をしない教員なんて、まずいないでしょう。
ということは、裁量労働制でない多くの私大は、労働時間管理が杜撰なのをいいことに、残業というものをなかったことにしているとしか考えられません。脱法的運用ですね。
いや、私の勤務先がどうこうという話ではなく、一般論として書いています。
こういう労働環境ならば、労基署に駆け込めば一発アウトでしょう。しかし、そういう話はあまり聞きません。
研究者は、一般に批判精神や権利意識が強いと言われますし、実際そうでしょう。でも、なぜか労働環境については疑問を持つ人が少ないように思います。
なぜなのか?
理由は色々あるでしょうが、例えば慢性的なポストの不足ということも大きいでしょう。任期付きポストを渡り歩いたり、非常勤講師を掛け持ちしたりという劣悪な労働環境で苦労を重ね、やっと専任職に就いたという人にとっては、どんなにコマ数や雑務が多くて倒れそうでも、研究室あり、ボーナスあり、研究費ありの終身雇用という環境は、目眩がするほどありがたいものであり、不満など感じるはずもありません。
また、研究には無限の時間を費やしたいという考えで生きてきたので、それが教育や種々の雑務に置き換わってもとことんやってしまうということもあるかもしれません(逆に、研究したいので他の業務は徹底して手を抜くという人もいますが)。
そういう面もあるでしょうが、圧倒的には多いのは、「どうすればいいのかわからない」というタイプではないでしょうか。
「研究者は社会常識がない」というのはよく言われることで、その通りだと思う反面、「他の業種の人だって、自分の業界周辺のことしか知らないんじゃないか」と反論したくなることもあります。
しかし、「やっぱり研究者は社会常識に欠ける人が多いよね」と思わざるを得ないのは、自分の置かれた労働環境に興味がなく、自分がどんな労働条件で働いているのかということすら知らない、知ろうともしないという人の多さゆえです。
そもそも、裁量労働制でない大学に勤務しているにもかかわらず、自分は裁量労働制で働いていると誤解している人でも、就業規則を読めばすぐにそれが間違いだとわかるはずです。世の中には、就業規則を教職員にすら公開していないという恐ろしい大学もありますが、たいていの大学では誰でも読めるものです。なのに、読んだことないという人が多いんですよね。
研究者として、あるいは教育者として、わからないことはとことん調べるし、学生にもそう指導しているはずの人が、なぜ就業規則すら読もうとしないのか。仕事をしていれば誰でも、その業務がどのように規定されているのか疑問に思うことがあるはずですが。
要するに、自分の興味ないことにはとことん無関心なんですよね。
一般論として、それはそれでけっこうかと思いますが、労働者でありながら労働条件すら気にならないという人は、いざ深刻な労働問題が我が身に降りかかったときにどうなってしまうのでしょうか。潰れる心配のない大学でも、労働環境の悪化ということはいくらでもありえるでしょう。
本記事のテーマである裁量労働制について言うならば、「大学教員は裁量労働制が普通である」「時間管理をしないので自由に研究ができる」という誤解により、裁量労働制のブラック運用(あるいは模倣)に騙されるというケースは多々あると思われます。
大学教員は、浮世離れした特別な職でもなんでもなく、世間一般の労働者です。労働者は労働契約の範囲内で仕事をするのであり、その契約は奴隷契約ではありません。
無知ゆえに労働者としての自分を安売りすることは、研究環境の悪化を招き、ひいては学問の衰退にも繋がります。改めて、「労働としての研究」という問題を真剣に考えていかなければならないと思っています。