研究ブログ

2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学)

 イタリアのヴェローナ大学のドストエフスキー研究者であるステファノ・アローエ氏は、2023年8月25日に名古屋で行われた国際ドストエフスキー協会シンポジウムの総会で、会長に就任した。前会長のキャロル・アポローニオ氏から引き継いで就任した際のスピーチが、国際ドストエフスキー協会の雑誌であるDostoevsky studiesに掲載されている。ロシア語原文はこちら。

https://dostoevsky-studies.dlls.univr.it/article/view/1486?fbclid=IwAR31xZnU6Cc9pUgXyRjobjonHLC-UD-tOlGRrzTOvX9tdK6PY5fKkYuxQGo

 

アローエ氏のスピーチ動画はこちら(撮影:私)。

 

Yuri Corrigan氏によるその英訳がこちら

https://dostoevsky-studies.dlls.univr.it/article/view/1487

私が日本語訳したものが以下。良いスピーチなので是非読んで頂きたい。

 

2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学)

 

 親愛なる友人の皆様、同僚の皆様!

 国際ドストエフスキー協会の会長に就任できて大変光栄です。この困難で悲劇的な時代に会長に就任することは、名誉でもあり、また重荷でもあります。ドストエフスキーの名前は多くの人が用い、引用されます。しばしば見当違いにですが。しかし、それはほとんど必然的なことです。なぜならドストエフスキーは現代のイコンであり、力強い象徴だからです。私たちの時代の最も力強いシンボルの一つなのです。

 ところで、私たちは世界の文献学者でありドストエフスキー研究者であり、国際ドストエフスキー協会の会員ですが、その私たちの課題は、私たちの作家ドストエフスキーの遺産を学問的に研究し、意見、アイデア、分析方法を交換し合うことです。そして、文化的背景、伝統、アプローチを分かち合うことです。私たちのフョードル・ミハイロヴィチはロシアの作家であり、同時にロシアの作家であるだけではありません。彼は世界的な意義をもつ作家であり思想家なのです。

 残忍な戦争が続いている最中にこのことを考えるのは全く容易ではありません。私たちのうちそれぞれの人が起きていることに対して自分自身の意見を持っており、それぞれの人が感情的に、道徳的に、理性的に、そしてしばしば個人的な生活のレベルでも、できあがってしまったこの状況のせいで悩み、気を病んでいます。4年前、ボストン大会では、パスポートは私たちにとっていかなる意味も持たず、友好的な世界に住んでいました。ところが、今日では私たちが属する国々は必ずしもお互いに友好的ではなくなってしまっています。信じられないことですが、こんなことになってしまったのです。

 私の個人的な立場は多くの人に知られており、それは、戦争が始まった当初から何度も公に表明してきたことであるため、全く秘密ではありません。それは短く次のように要約できます。起きていることについて、私はロシア連邦によるウクライナへの侵略と呼んでおり、この行為は悲劇的な過ちであり、ウクライナの住民だけでなく、ロシアの住民や全世界に恐ろしい災いをもたらすものだと考えています。

 しかしながら、会長の個人的見解が学会の共通の見解ではあり得ないし、そうあるべきでもないことも認識しています。意見には様々なものがあり、多くの人が自由に意見を述べるのを妨げる複雑な要因があります。尊敬すべき、そして互いに尊重し合っている同僚や学者たちのコミュニティとして、特定の立場に賛成したり反対したりするために団結する代わりに、私たちには対話を求める義務があり、対話の力を信頼する義務があります。

 この対話の必要性は、状況を打開するための安っぽい方法と混同されるべきではありません。ここで言っているのは、すべての立場が等しく重みをもつかのような道徳的相対主義のことではありません。誰もが等しく正しいとか、誰もが正しくないとは言わないようにしましょう。しかし、意見を持つ権利は共通のものあり、他者の見解を理解することへの関心は共通しています。これこそがまさにドストエフスキー的なのです!

 ドストエフスキーの教えとは、他者の見解に心から注意を払うことや、ヒューマニズムや相互理解への志向であり、自分の道徳的信念を確かなものにしようとする際に、思考の原則としての疑念を持つことです......。

 私は、素晴らしい会長だったキャロル・アポロニオの例に倣いたいと思います。彼女は、この困難な年月の間、常に対話のための有益な基盤と、異なる見解の間の公正な妥協点を見つけ続けることができましたが、それは容易なことではありませんでした......。思うに、キャロルがこのようなことができたのは、彼女の素晴らしい才能と誠実な心のおかげであるだけではなく、ドストエフスキーの教えと、私たちの協会の歴史と精神への深い認識のおかげです。

 国際ドストエフスキー協会がいつ、どのようにして生まれたのかを忘れてはなりません。 国際ドストエフスキー協会の歴史はその「DNA」です。この構想は1968年にプラハで開催されたスラヴィスト会議で初めて検討され、1971年に、冷戦下で、様々な国の傑出したドストエフスキー研究者たちの協力によって実現しました。国際ドストエフスキー協会の創設者たちは主にロシアからの移民と西側のスラヴィストでした。しかし、創設者たちの偏りにもかかわらず、その歴史において一貫しているのは、つながりを作り、交流と協力を維持し、平和を維持する行動への賢明な、着実な、絶え間ない、忍耐強い志向です。言い換えれば、未来のために、再び平和で友好的に生きることができるようになる時代のために、橋をかけることへの志向なのです。

 冷戦が終結したとき、国際ドストエフスキー協会の創設者たちが正しかったことが判明しました。国際ドストエフスキー協会はすでに西側だけでなく、ソ連のドストエフスキー研究者たちの学会にもなり、お互いに充実させ合うものとなっていました。イデオロギーの立場が違っても、すべての人が参加できる余地がありました。学会は平和の前触れとなっていたのです。私たちの未来も、近いうちにそのようになることを願いましょう。

 ドストエフスキーは誰のものでもないですが、全ての人のものでもあり、それぞれの人のものでもあります。 誰一人として、自分の排他的で一義的なドストエフスキーを他者に押し付ける権利はありません。私たちは皆、この作家についての、この作家の作品や思想についての、自分の論証的な見解や、自分の学問的な分析や、自分の結論を他者に提示する権利があります。一緒に議論し、論争し、成長し、お互いを豊かにするために。

 ドストエフスキーのためにではなく、彼の天才と遺産の助けによって、私たちは皆、私たちの国際ドストエフスキー協会とともに、「〈人間〉の謎を解明する」という偉大な事業を続けていきましょう。

ステファノ・アローエ