研究ブログ

2018年12月の記事一覧

いともたやすく行われるえげつない行為

数年前の某学会で、私はA氏が司会を担当するB氏の研究発表を聴いた。
以下の事件描写は、当時の自分の日記に依拠したものである。

発表主題は、○○(過去のある人物)をどう評価すべきかということについてだった。
さほど刺戟はなかったが、深く考えられていない問題について叮嚀に再考しようとする、私にとっては好感の持たれる発表だった。

発表途中、発表者のB氏が
「この時、○○はこう述べました」
と言うと、あろうことか司会のA氏が
「それは違う。
○○がそう言ったのは後年のことだ」
と発言した。
発表者B氏は
「いえ、私は○○が当時そう述べたことをこの目で読んで知っています」
と応じ、司会A氏も一歩も引かず、言った言わないの水掛け論になった。
すると、聴衆として会場にいた研究者C氏が割って入り、
「議論は質疑応答の時間ですればよいでしょう」
と取り成して発表は再開された。

発表が終わると、質疑応答に移る前に司会A氏が
「あまり指導教員みたいなことは言いたくありませんが、発表するんだったらもっとちゃんと整理しておかないと。
勉強不足でしょう」
という暴言を吐いた。
なお、当然ながらと言うべきか、A氏はB氏の指導教員でなかった。

質疑応答では、まずC氏が質問し、B氏が答え、次に別の誰かが質問し、B氏が答えた。
その2人目に応答している時、今度はC氏が割って入り、
「違う!!
○○はそんなことを言ってない。
あなたは○○の文献をすべて読んだのか。
私は専門家だからそんな嘘を言ってもダメだ」
と激昂した。
これにもB氏は、終始紳士らしく
「先生、すみませんがそれは賛成できません」
と言って応じた。
実に立派だった。

ちなみに、このC氏の不規則発言を、司会のA氏は全く仲裁しようとしなかった。
直前に自分も不規則発言していたということを差し引いても、あれは明らかに司会としての怠慢だった。
しかも、司会A氏は質疑応答の途中で
「さっき私はああ言いましたが、もしかしたら○○は当時そう述べていたのかも知れませんね」
と自分の発言を修正したが、発表を妨害したことについては一切謝罪しなかった。

こうして、A氏とC氏の所為で、会場は研究発表の場らしからぬ怒号と殺伐とした空気に包まれた。
ベル掛の学生も恐ろしくなったのであろう、時間切れを告げるベルが鳴らされることもなく、質疑応答は大いに延長された。

発表終了後に、私はB氏に一言
「あなたの毅然とした対応に感銘を受けました」
と伝えたかった。
しかし、発表終了後もずっとC氏がB氏に説教を続けており、終わる気配がなかったのでその場を去った。
後でB氏の姿を探したがついに見付けられなかった。

なおその後、A氏は同学会の会長になった。

この業界はどこかおかしい。

河野有理氏の2つのFB記事について

本項は、河野有理氏が先日公表した2つのfacebookエントリー(記事)と、それらへの過大評価を批判するものである。

以下、引用では原文の改行を適宜省略する。
また、下線はすべて引用者による。

事実経過と執筆動機

まず、事実経過を簡単に整理する。
笹倉秀夫氏は1988年に『丸山真男論ノート』(みすず書房)を刊行し、これを増補改訂して2003年に『丸山真男の思想世界』(みすず書房)を刊行した。
2006年、苅部直氏は『丸山真男――リベラリストの肖像』(岩波書店、岩波新書新赤版1012)を刊行した。
そして今年7月30日付で、笹倉氏は書評「苅部直『丸山真男――リベラリストの肖像』考」(『早稲田法学』93-4)を刊行した(以下、「笹倉書評」と略す。なお、このような紀要は奥付の刊行日と実際のそれが大きく異なることもあるが、同誌同号は8月2日付で早稲田大学中央図書館などに到着し、同8月から早稲田大学リポジトリでも公開され始めていたことが確認できる)。

この笹倉書評は当初、一部の人々の目に触れただけで、さほど話題になっていなかったらしい。
しかし11月末(殊に12月3日)以降、Twitterで一部の人々の目に触れてやや話題になった。
これを承けて河野有理氏は、facebookで2つの記事(ともに無題)を公表した。
本項で批判する2つの記事とは、これらのことである(以下、それぞれ「第1記事」「第2記事」と略す)。
また、河野氏は15日に第2記事に「追記1」「追記2」を追記し、記事本文を僅かに修正したが、本項の論旨に関わるような修正はない。

河野氏は第1記事で、笹倉書評が話題になっていることについて、「業界の評判に関わることですので簡単に一言します」とした。
そして河野氏の2つの記事を読んで、ある研究者は「さすがプロの仕事」と評し、またある研究者は「なるほど」「よく理解できた」と述べたことを私は確認している。
しかし、河野氏による2つの記事の公表と、それへの他の研究者たちからの高い評価は、「業界の評判」をかえって低下させるものだったと考えられる。
本項の執筆公表に至った所以である。

なお、河野氏の所謂「業界」がどの業界を指すかは明らかでない。
私の専門は日本中世思想史研究であるため、もし狭く丸山真男研究業界などの意味であれば私は非同業者ということになり、もし広く日本思想史研究業界や人文科学業界の意味であれば私は同業者ということになる。
ただし、たとえ前者であっても、近傍業界の者として意見表明する資格はあるだろうと考えている。

怠慢とは何か

河野氏は第1記事の冒頭と末尾で、それぞれ次のように述べていた。

(本エントリーのみ公開仕様にします。拡散していただけますと幸いです)下記のような論文〔笹倉書評…引用者註〕が一部で話題のようです。業界の評判に関わることですので簡単に一言します。結論から言うと、この論文での著者〔笹倉氏…同前〕の主張(苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』と笹倉秀夫『丸山眞男論ノート』は似すぎている)は、ほぼ「言いがかり」だと私は考えます。

最後に、もちろん、苅部直氏は私の兄弟子にあたる人、そうした身びいきを割り引いてみる必要はあるでしょう。疑問を持たれたかたにおかれてはぜひ、笹倉書評だけでなく、実際に苅部本と笹倉本を読み比べてみることをお勧めします。そしてできれば松澤、石田、飯田諸氏の業績と丸山自身の作品にも。そうした作業を一切行う気もない、単に「事おこれかし」の怠惰な野次馬が、笹倉氏すら主張していない「盗用」や「剽窃」という強い言葉を使って本件を炎上させようとしていることについては、本当に残念な人々だなあという気持ちになります。

この第1記事を読んだ時、私は原典を確認して「読み比べてみる」べきだという河野氏の主張に共感しながらも、幾つかの不満を懐いた。
その一つは、笹倉書評について「ほぼ「言いがかり」だ」などの「強い言葉」を用いていながら、そう主張するための根拠が殆んど示されていないことにあった。

すると河野氏は、2日後の第2記事の冒頭で次のように述べた。

この件につき公開エントリーはこれで最後にします。前エントリーでは、早急な初期消火の必要を感じていたため、笹倉氏の書評を真に受ける必要がない旨のみお伝えしました。また、手元には笹倉氏の『丸山眞男論ノート』がありませんでしたので参照できず(『思想世界』の方は所蔵)、判断を留保していた部分があったのですが、今回改めて笹倉氏の書評を検討し併せて新書における先行研究の取り扱い方について論じて、前回の言葉足らずを補いたいと思います。

私はこれを読んだ時、驚愕した。
河野氏は「笹倉書評だけでなく、実際に苅部本と笹倉本を読み比べてみる」などの「作業を一切行う気もない」人々を「怠惰な野次馬」「本当に残念な人々」と酷評していながら、自分がその「笹倉本」を確認していなかったからである(恐らく昔読んだ時の記憶はあったのであろう)。
また、そのことについて河野氏は第2記事で全く反省を示していない。

これについて、河野氏は当時原典を確認する時間がなかっただけで、確認しようとする意志(「行う気」)はあっただろうから問題ない、というような会通を試みる人がいるかも知れない。
しかし、仮に当時時間がなかったとしても、確認していない旨を明記しなかったことは問題である。
「業界の評判に関わることですので」「早急な初期消火の必要を感じていたため」という理由があったとしても、原典を確認せずに笹倉書評は「ほぼ「言いがかり」だ」などと述べ、その記事を「拡散」するように呼び掛けるなどは、研究者として黙認されるべきことでないであろう。

新規性と独創性

河野氏は第2記事で

笹倉氏が提示する「論点」にはいわば専売特許が成立するのでしょうか。これについては、(a)新規性、(b)独創性に分けて考えてみたいと思います。笹倉氏の名誉のために言えば、(a)新規性について、笹倉本はそれを誇る権利があると思います。〔…〕ただ、〔…〕笹倉氏の議論にこの点で「独創性」を認めることは難しいと思います。

と述べた。
また、順序は前後するが、ここで引用した文章の中略箇所では

この点、笹倉氏には新規性と独創性を同一のものと強引にみなして苅部本を論難する姿勢が見られると思います

とも述べた。

「新規性」も「独創性」も、研究成果の意義を評価する時などによく用いられる語である。
しかし、その意味や関係については自明でない。
私の見聞から言えば、「新規性」と「独創性」は殆んど同義として用いられることも多い。
本項執筆のため少し調べてみたところ、「新規性」と「独創性」は違うという見解(例えば、新津善弘・菊間信良「学生,若手研究者向け論文書き方術」[『電子情報通信学会 通信ソサイエティマガジン』2008-4、p.37])は見付けられたが、そこでの「新規性」と「独創性」の解釈は河野氏のそれと同じでなかった。

根拠が示されておらず、しかも「これについては、(a)新規性、(b)独創性に分けて考えてみたいと思います」という書き方であることからして、この分類法は河野氏独自のものだとも考えられる。
仮に私が見付けられなかっただけで河野氏以外もこの分類法を用いていたとしても、根拠が示されていないことと書き方からして、河野氏独自のものだと考えることは不自然でない。

そのため第2記事は、河野氏は「笹倉氏には新規性と独創性を同一のものと強引にみなして苅部本を論難する姿勢が見られると思います」と批判するため、「新規性」と「独創性」は同じでないという自分に都合のよい分類法を強引に考え出した、という印象を読者に与え得るものとなっている。
なお、それ以外にも河野氏の2つの記事には問題が幾つもあると私は考えるが、本項の主題から逸脱する虞があるためここでは論じない。

疑惑は払拭されたか

河野氏は第2記事の末尾で次のように述べた。

これだけ言を尽くしても、本件について、依然として閉鎖的な学界内部の庇い合いだの、岩波書店や東大の権力だのという妄想を抱く人は一定数残り続けるのでしょう。下衆の勘繰りを抱かれるのはご自由ですが、いやしくも本件について評価を下されようという場合には、一方当事者の主張を鵜呑みにしないという原則を守って頂ければと思います。

河野氏によれば、これら2つの記事を読んで「閉鎖的な学界内部の庇い合いだ」と考えることは「妄想」「下衆の勘繰り」だという。

しかし、これまで述べてきたように、河野氏の記事には
  1. 原典を確認することなく、笹倉書評について「ほぼ「言いがかり」だ」などと述べ、記事の拡散を呼び掛けた
  2. 幾つかの主張について根拠を示しておらず、詭弁のように見える
という問題があると考えられる。

これらの問題がある2つの記事を仮にある人が読んで、河野氏は自分の兄弟子に当たる研究者を庇うために結論先行の記事を公表して拡散させた、と考えたとしても、私がそれを「妄想」「下衆の勘繰り」と評することはないかも知れない。
まして河野氏の2つの記事が同じ業界の研究者たちから高く評価されていれば、「閉鎖的な学界内部の庇い合いだ」と考える人も出てくるであろう。

私はそのようなことを憂慮している。