Researchlog by Noriko Arai

2014年4月の記事一覧

講義資料

数理論理学I(夏学期)を受講しているみなさんへ。
5月13日は出張のため、講義は休講とします。代わりに、自習用プリントを作成しました。
「資料公開」ページのトップにある「数理論理学I 宿題1」をダウンロードし、5月19日までに数学統計学教材準備室に提出してください。(パスワードは授業中にお知らせします。)
数学統計学教材準備室にもハードコピーを置いておきますので、ダウンロードできなかった方は、そちらに取りに行って下さい。

答えは5月20日に配布します。

予定通り、中間試験は5月27日に実施します。
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「ロボットは東大に入れるか」ボツQ&A集

「ロボットは東大に入れるか」に関連して、昨年から数十のメディアからインタビューを受けました。文字の制約等もあり、丸ごとボツになるコメントのほうが圧倒的に多いです。そこで、自分を慰めるためにここにボツQ&A集を公開したいと思います。(徐々に増やす・・・かもしれません)

Q:東大に合格するロボットの開発を目指しているんですよね?
A:いいえ、ちがいます。「センター入試(や東大入試)を解くソフトウェア」を作ったとしても、それ自体が社会に有用だとは思いません。そんなものが売れる気もしませんし。
「ロボットは東大に入れるか」という問いに対して、工学的実現を含めてまじめに取り組む中に、どうしても突破しなければならない本質的な課題がいくつもあるし、今は認識されていない課題もいくつも発見されるでしょう。そのことに、このプロジェクトの最大の意義があると考えています。

Q:2022年までに東大に合格する見込みはどれくらいでしょうか?
A:2022年という具体的なゴールの設定は、このようなタイプのAIチャレンジに対して10人を超える研究者が真面目に考え、しかもその研究者のアイデアをサポートする十分な技術スタッフがいるとき、10年で目途がつかないのであれば、その時点の理論および技術では突破できる見込みがない、ということを意味すると私は思います。理論が不十分なのに、「頑張ればどうにかなる」ということは、あり得ません。ですから、理論が整うまでまた数十年寝かしておかなければならないと考えるのが妥当ではないでしょうか。成功したとしてもそうでなかったとしても、現在のAIの実力を知り、次の30年に進むために誰かがリスクをとってチャレンジすべき課題だと思っています。
ただし、現在は予算の関係上、上述したようなハッピーな研究環境を、参加している研究者に提供できているとは到底言い難く、プロジェクトディレクタとして申し訳なく思っています。

Q:2022年には東大に合格しますか?
A:その質問に今の時点で答えられるとするならば、それは研究ではなく、実装に過ぎないので、本質的なチャレンジではないと思います。

Q:脳科学によって人間が考える仕組みが解明されたとき、人間と同じように考える人工知能は実現されるでしょうか?
A:論理的には、できないと思います。まず、「人間と同じように考える人工知能」の前提として、実際に人間の考えている状態をモニターすることができる観測機があり、その観測結果と、作成した人工知能の出力がほぼ一致する、ということによって「同じように」を初めて主張できるはずだと思いますが、「人間の考えている状態をモニターする」とはなんでしょうか。たとえば、今私が「「緑色をしたさかさ狸とよめなぐさにまつわる100のエピソードに関する妥当性の証明をする計算機」について考えている、とこの記者に言ったらどうなるだろうか、ということ」をぼんやり考えていた場合に、それを何らかの観測装置によって観測し得るということの妥当性を16世紀以降の科学的手法で主張することができる気が私にはしません。きっと、私自身も、そのことをこうして口に出して記号列にするまでは、まさか自分で「「緑色をしたさかさ狸とよめなぐさにまつわる100のエピソードに関する妥当性の証明をする計算機」について考えている、とこの記者に言ったらどうなるだろうか、ということ」を考えているだなんて、思いもしないでしょうし、しかも、私は同時に「お腹が減ったなぁ」とか「この記者は今、なんだか腑に落ちないというような顔をしているなぁ」というようなことも記号にせずに考えているのでしょうから、結局のところ、私が今何を考えているか、は私自身もモニターできないわけです。そこに人間全般に関する一般論が存在し得るのかどうかさえ、検証しようがないように私には思われます。ですから、「人間が考える仕組み」を「解明した」と主張し得るという考えが、そもそも私には理解しがたいです。

Q:AIは人間の能力を超えますか?
A:それは比較の問題ですから、論理的には、それはAI単体で決まるのではなく、人間が実際のところ、今どんな能力を持っているかに依存します。また、そこでいう「人間の能力」は、個体にもよるし、時代によっても変化します。ですから、一般論は述べたくありません。ただ、このプロジェクトにおいては、開発する機械の能力を2021年における大学受験生と比較することになるでしょう。私は、教育者として、人間の側に勝ってほしいと心から願っていますが、過去に数学基本調査を行って答案の採点をした感触や、昨年代ゼミ模試タスクで出た結果から、あまり楽観していません。

Q:やはり数学は機械にとってやさしいですか?
A:どの科目が機械にとってやさしいか、ということは現段階でわかりません。ただ、数学は、後段の「問題文が形式的命題で記述されたと仮定したとき、それを自動に解き得るか」についての数学的な理論や技術の蓄積が他の分野より厚いため、解ける問題の範囲やその道筋が、比較的はっきりしているとは言えると思います。2013年の代ゼミ模試で解けたのは実閉体の理論に落とし込める問題で、しかもその問題の複雑度がCADというアルゴリズムで実時間で解けるようなもの、に限られています。さらには、自然数の問題に対しては万能なアルゴリズムが存在しないことがわかっていますから、実閉体のようにすっきりとした解法は望みようがない、と見るのがふつうでしょう。
一方で、大学入試では、実閉体の問題を外して作問することが極めて困難でしょうから、毎年何問かは解けるだろうとは思います。そのとき、やはり比較の問題として、他の受験生がどれくらい解けているのか、どれくらいまともな答案を書いているのか、ということで合否は決まると思います。

Q:数学の入試問題をコンピュータに解かせて何かの役に立ちますか?
A:後の社会への影響という意味では、位取り記数法の発見よりは役に立たないでしょうが、フェルマーの定理より役に立っても不思議ではないと思います。

Q:ビッグデータの潮流とはどのような関係がありますか?
A:基本的には、あまり関係ないと思います。なにしろ、過去問は全部合わせても比較的スモールデータですので。

Q:機械翻訳によって、英語の学習は不要になりますか?
A:これは機械翻訳そのものの精度というよりは、インタフェイスの提供の在り方や、人間がそのような環境にいかに適応するかということ、さらにはそのような環境が生まれたときに人間の「言葉の質」そのものがどの程度変化(劣化)するか、ということに依存すると思います。機械翻訳には癖がありますが、それが日常生活に満ちあふれ、その癖に人間側が適応してしまえば、(検索エンジンと同様に)機械翻訳で多くの場面で満足するようになることは有り得ると思います。それで文学作品を翻訳し得るのか、という問題は残りますが、そのことは「英語の学習が学校制度の中で、今と同程度の重要性を保ちうるか」という問題とは、(関係するけれども)別の問題だろうと思います。個人的には、機械のする翻訳も、食べログの★も信用しませんし、Amazonの推薦で本を買ったこともありません。機械は全般的に嫌いで、特に電子レンジとスマホは持ちたくありません。

Q:アノテーションされた問題を使うのは不公平ではありませんか?正々堂々と、問題のキャプチャーから始めるべきではありませんか?
A:重要なのは「価値のある研究を正々堂々と行う」ということであって、入試のルールに対して正々堂々としているかどうか、ではないと思います。必要があれば随時目標設定の修正を行い、投資された研究費の最適化を図るのがプロジェクトディレクタの責務だと考えます。

Q:夢のあるプロジェクトですね!
A:夢があるかどうかは、正直よくわかりません。ただ、21世紀前半の世界において、機械がどのような知的タスクをこなすことができるか、どのような知的労働を代替しうるか、という問題に、人類は直面せざるを得ない。その問題をポジティブに乗り越えるには、まずは現実を直視することからだと、私は思っています。

Q:結局のところ、東大には入れそうですか?
A:まずはこの記事の一行目から読み直して、正しく含意関係認識してください。
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