研究ブログ

2012年10月の記事一覧

本当に「失敗を恐れていない」のか?

ノーベル賞受賞で、山中先生やiPS細胞についてのニュースを見ることが多くなりました。今日は、山中先生が一般向けの講演を行ったそうで、その中で失敗を恐れないことの重要性を話しておられました。少し前に、TEDでKen Ronbinsonも同様のことを言ってました。同様のことはよく言われており、その重要性は明らかなような気もしますが、これだけ頻繁に言われるということは、その意味が本当には理解されていないのかもしれません。

「本当の意味」というと大げさですが、言いたいのは、何かをしない理由として、もっともらしい他の理由が使われているため、「失敗を恐れている」というのは明示的に意識されることがないのではないか、ということです。例えば、学生さんに何かやってもらう時に、ありそうなやらない理由が「効率が悪い」とか「やっても(同様なものがあったりして)無駄になる」とかです。やってもいいけど(失敗するわけではない)、あるいは既存のものと同様なものしかできないと予想できると、なかなかやらないものです。

これは、時間やリソースをつぎこむのなら、それは無駄にしたくない、ということでしょう。やっかいな点は、多くの場合、チャレンジする時点では、新しいものの形は具体的には分かってないため、新しいものにチャレンジする、という意識がなく、そのため「チャレンジを恐れている」「失敗を恐れている」というのが意識されないことです。また、このような理由づけは、自分自身も巧妙にダマすという側面もあり、ますます、「失敗を恐れている」とは意識されないでしょう。しかし「失敗」を無駄なもの、使えないものと見ると、この効率が悪いとか無駄になるという意識は、失敗を恐れているのだと本質的には同じだと思います。

この見方を少し広げると、何かをやる時(例えば起業する時)に「自分に自信がついたら」とか「スキルアップしたら」起業する、などというのも同様の意識を感じます。これは、例えば「3年で100万ためて、その後起業する」などと比べて、非常にあいまいな目標でいつ達成されるか分かりません。これは、起業をした後失敗しないように、あらかじめ想定されることは全部準備したい、という意識があるように見えます。つまり、失敗を恐れているのでは、ということです。

具体的に何が必要かというのは分からないし、常に進歩が必要であろうことを考えると、このような意識ではチャレンジはできなさそうです。研究の分野に限らず、新しいことをする場合は、やはり効率はいったん忘れるのがよいように思います。範囲が決まったものを覚える競技だと、いかに効率よくやるかが重要でしょうけど、新しいことをやるときには効率は(まだ)考えられないはずです。

じゃあ、お前はどうなのか、と言われると、やはり同じような理由づけはけっこうしていると思います。が、時々バカな決断をしたりすることがあって、チャレンジすることの大切さを思い知らされます。自分は計算機センターと大学図書館経由で普通の研究室に所属したため、常識的なキャリアパス的にいうと「無駄が多い」パスを通ったため、常識的なキャリアパス的にいうと「無駄が多い」パスを通ったため、何かが無駄だと考えるよりも、どういまの自分に役立てられるかを考えるようにしています。そういう意味では、人に何かをやってもらう時には、無駄や失敗を許容できる環境を作っておくのが重要でしょうね。

といろいろ書きましたが、もともと縁であったり、出会いであったり、自分では予想できないことが起こりうることは大切にしています。言い方を変えると、「びっくりしたい」のでしょう。つまり、そういう性格なんでしょう。ただ、こう書いてみると、つくづく、効率の悪いやり方だと思いますね。

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中学生の科学実験教室:改良に向けた試作

少し前(8/17)になりますが、今年の中学生の科学実験教室が終りました。今年は昨年より2名増やした8名の定員に対し、8名の申し込みがあったのですが、当日の朝、2名キャンセルがでたので、結局昨年と同じ6人が参加してくれました。去年と違うのは、ほとんど(5/6)が3年生で、そのせいか工作の進み具合がよかったように感じました。また、ドッジボールをしてた長女の友達も(私のテーマではないところに)来ていました。

タイトルが「光のタイミングを駆使して暗号解読装置を作ろう!」と、昨年から少し変わりましたが、基本的なテーマは同じです。また、工作に使うものも同じで、『電子工作探偵団 秘密道具その11:暗号解読装置「ディスクシークレット」』を使いました。

さて、2回目経験したことで、いろいろ改善点も見えてきました。昨年度から問題になってたのですが、やはり工作が難しいということが気になります。そのせいで、例えば、個々の電子部品の役割を説明したり、理解するための予備的な工作をする、などの時間がとれずにいます。また、モジュール化がされていないため、部分ごとに動作を確認するというのができないのも欠点です。また、モジュール化されていれば、お昼休みを挟んで、午前と午後の作業を分けやすくもなるでしょう。

とはいうのもの、もともと電子工作は苦手なので、どうしたもんかなあと思ってたところ、研究室の学生さんがアイデアを出して、あっという間に試作品まで作ってくれました。以下で見せる回路図やプロトタイプは全て池田研D2の谷口くんの作品です。

試作品は大きく二つに分かれていて、3つのLEDを持つディスクの照射部分と、別のLEDとフォトセンサーによってディスクのスリットを感知する部分からなります(下の回路図と試作品の写真を見てください)。真ん中の写真は、フォトセンサーとこれに対応するLEDの間に紙を挟んでいるため、上に見える3つのLEDが光っていない、というものです。紙をはずしたところで、上の照射部のLEDが光っているのが分かります(右の写真)。
試作品の回路図試作品(その1)試作品(その2)

また、このように意味のある塊に分けたことで、それぞれの働きも理解しやすいですし、デバッグも容易になります。また、作ってみた分かったのですが、別々の板にすることで、照射部のLEDがディスクを真上から照せるようになりました。逆に、いままでのだと、スリット感知部分の制約から、どうしてもディスクをうまく照らすことができず、かなり部屋を暗くしないと文字が読みとれないような状態でした(下の写真左)。これに対し、試作品では普通の明るさの部屋でも読めるようになってます!(下の写真右)
試作品(その3)
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才能は性格によって作られる?

神さまからの贈り物という意味で、才能のことをギフトと言われることもあります。岡野さんの陰陽師では源博雅がギフトを持つ人として描かれてます。

で、こういうギフトは与えられたものかもしれないんだけど、このギフトを発揮するのは性格が非常に重要じゃないかと常々思います。少し誇張して言うと、ギフトそのものよりも性格が重要かもと思うこともあります。こんなことを改めて思ったのは、この前の日曜に開催された、小学校の子供会が主催する球技大会(男子ソフト、女子ドッジ)で、うちの地区のドッジチームが優勝したのを見たからです。うちの地区はずっとドッジが強かったのですが、昨年と一昨年は優勝できていませんでした。ただ、今年のチームになって、夏の大会で優勝し校区の代表として区大会に出てました。日曜にあったのは秋の大会(ただし校区内で終り)です。

さて、うちのチームには「大砲」と呼んでよい子がいて、たぶん、うちのチームの試合を見た全ての人に強烈な印象を与えるくらいすごい球を投げます。相手チームは、ずっとうちの地区をライバル視して、練習もしっかりしているようで、パス交換でこちらの態勢をくずしてからアタックにかかるという戦術が徹底していました。これに対し、うちの大砲は(アウトなどの後の)試合開始の時にいきなり狙います。当然、開始ホイッスルが鳴るまで時間があるので、敵は警戒して充分さがっていて、受ける態勢もバッチリです。しかし、この子はその準備万端な相手に当てて、ボールがアウトになって、また次のホイッスルで当てて、という感じで4人ほど連続で当ててしまいました。練習の時に、この子のアタックボールを受けるのは、大人でも恐いですし、回転が効いているので、取ったつもりで落とすこともよくあります。

こういう子は「才能がある」と言ってしまえば、それで終りのような気もしますが、実はその裏では少なくとも4年生の終りごろから、自宅で素振りなど、投げる練習をよくしていたそうです。親に言われたからではなくて、速いボールを投げたいという自分の意思でやっていたそうです。この子以外にも、小学生は急にグンと伸びる時期があるのですが、その伸びが何度もあるような子は、速くなげるにはどうしたらいいか一生懸命考えてたり、独自に練習したりというのがあります。あるいは、アドバイスをしたときの態度もあります。まったく聞かない(聞いても実践しない)という感じの子もいるし、他人にアドバイスをしてたら、自分も聞こうと聞きにくる子もいます。

「天才」になるのはギフトが必要不可欠かもしれません。でも、一流を目指す分には、こんな努力を厭わない、楽しく頑張れる、アドバイスを聞ける、(これと反対のようですが)自分で考えるといった性格のようなものが重要なのでしょう。

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