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2017年4月の記事一覧

出版差別事件4.12くにたち集会 参加の記録


<許すな!「全国部落調査・復刻版」出版差別事件4.12くにたち集会>参加の記録

2017年3月12日に行われた標題の集会に行ってきました。だいぶ昔に、「部落地名総監事件」というのがあって、出版の自由、あるいは図書館の収集の自由が人権侵害を理由に制限されることの典型例のようになっています。今回同様の書物が復刻版として出版されたこと、またネット上にも様々な情報が載せられたことよってこの裁判が起こっています。


ちなみに、標題の事件の詳細については下記の新聞報道とサイトを参照してください。
新聞報道
「全国部落調査」復刻版 出版差し止め事件裁判

当日の集会では原告の方が、住所や個人情報を公開されるといういわばアウティングによって受けている被害・苦痛について話をされていました。国立市長が挨拶をし、部落差別解消法の命ずる地方自治体の義務として、この集会を支持している旨の発言がありました。集会には国立市長の他にも複数の市議会議員が参加していました。


その会場に、被告である鳥取ループが参加を事前予告していました。しかし、「被害を受けている。怖い。」と言って裁判を起こしている原告のところにわざわざ来るということで、新たな人権侵害を防ごうと実行委員会が参加を食い止めたようです。
当日私がいた会場の中は平穏にプログラムが進行し終了しました。


国立市には、後援していることに関して被告からの抗議もあったようですが、姿勢を一貫した国立市に、他の行政団体も続いてほしいと思います。いうまでもなく民族差別に対する対応も含めて。

現代の差別は複雑な様相を呈しています。高史明の紹介するMcConahayは、古典的と現代的という2つの差別(レイシズム)があるといいます。

「古典的レイシズムは、マイノリティは劣っているという信念に基づくあからさまなものであるが、現代的レイシズムは、(1)偏見や差別は既に存在せず、(2)したがって存在する格差はマイノリティの努力の欠如によるものであり、(3)にもかかわらずマイノリティは差別に抗議し過剰な要求を行い、(4)本来得るべきもの以上の特権を得ているという、4つの信念に基づく、より隠微なものである(McConahay,1986;Sears,1988)」(高 2014:143)。そして高は、日本のレイシズムは、古典的・現代的の混合だと言っています。

これを読むと、ああ、そういう話がネットには溢れているな、と思います。在日特権デマもそうだし、見聞きした限りでの鳥取ループの主張もこのようなものでした。


他方でネットの中では、「物の見方は立場によって変わる」「物の見え方は、視点によって変わる」とか、「私はあなたの意見に反対だが、あなたの意見を言う権利を命をかけて守る」というような相対主義が溢れています。ところがこのような論法を取る人が柔軟に見る立場を変えて、今まで反対だったものを賛成したりするかというと、そうではなくて、この相対主義を自己主張の方便にしているケースのみが目につきます。相対主義をとると、結局物事は、現実の力関係によって決まっていきます。「相対主義はホロコーストを許す」と言われるのはそういうことです。議論を望んでいるように見えて、実は力の論理です。


このような現代的差別と相対主義の中で、どこに視点を定めればいいのか私たちは迷いがちですが、それは「被害の実態」だと思います。「今ここにある人権侵害を許さない。」この「瞬間を切り出す力」が大切だと思っています。


高史明.(2014).日本語Twitterユーザーのコリアンについての言説の計量的分析.人文研究,(183),131-153.