南国雑記帳(全卓樹)

2016年1月の記事一覧

神々の住む球状星団とアナキストの無限宇宙

(1)球状星団の惑星にて

この地方では珍しく明るい日差しの射さないある曇った昼下がり、研究室で啓蒙科学雑誌を繰っていたら「地球外知的生命が”球状星団”に存在しうるこれだけの理由」という題名が目を引いた。ハーバード=スミソニアン研究所のロザンヌ・ディ・ステファノ博士の2016年1月6日の米国天文学会での発表を紹介する記事であった。「球状星団の中にある惑星に、非常に長い歴史をもち、高度に発達した文明が存在する可能性を指摘した」といった魅力的な修辞が並んでいる。少し読むと何かの新発見ではなく推論だけに基づいた空想的な議論のようで、なぜ雑誌が取り上げたのか一瞬不思議におもったのは事実である。米国の由緒ある宇宙研究所でも、時流柄科学広報が欠かせないのだろうと納得して読み進んだ。

銀河の円盤全体を覆う仮想的な球を考えると、球状星団はその内におよそ一様に分布している。我々の銀河には、球状星団は150個ほどあって、どれも銀河自体と同じくらいの古い構造体である。星々がびっしり集まった球状星団の中心付近では、星の密度は我々の太陽近辺と比べて何十万倍にもなる。そのような環境では、他の星からの重力の影響が強すぎて、個々の星が惑星系を維持するのは困難であり、惑星がなければ当然生命もあり得ない。しかし外周部なら星密度は太陽近辺の1万倍程度で、一番近くの隣の星まで距離で言って十分の一光年程になる。これならば、星にごく近い水星のような惑星軌道は十分安定だろう。実際今世紀初頭の2003年、ヘラクレス座にある球状星団M13で、最初の惑星が発見された。これはM13の中のブラックホールからでてくるX線を調べていた天文学者たちが偶然スペクトルの異常に気が付いて、詳細な解析の結果、それは惑星の痕跡と考える以外にないと結論したものなのである。

球状星団の多くの星は年老いて光の弱い赤色矮星がである。これだと水星ほどやもっと内側の惑星軌道が「ハビタブルゾーン」といって生命を許容する環境になっている。赤色矮星の寿命は長く何十億年も生きるので、もしその惑星に生命が生まれたなら、そこで高等知性をもった生物が現れる確率は比較的高いだろうし、その知的生物が長い年月ののちに高度な文明を築くための時間的余裕も十分あるということになる。

そして決定的なのが、隣の星までの距離が短いという、球状星団特有の利点である。たとえば我々人類は、あと何万年科学を発展させ続けても、生身で5光年近くある隣の星を訪れるまでには至りそうもない。しかしもし球状星団内のハビタブルな惑星に生まれていたとしたら、こんなおバカな人類でも、あと数千年あれば、0.1光年の距離の星間旅行を行って、お隣さんの別なハビタブル惑星と行き来できる位には、十分なっていそうではないか。もし球状星団内の惑星に我々と同程度の文明があれば、それは複数の恒星にまたがって広がる、星間文明を築いている可能性が高いだろう。

ロザンヌ・ディ・ステファノ博士の説は概略そのようであった。今のところたった一つ見つかっている球状星団内惑星であるが、見つかりにくさを考え、宇宙全体の膨大な数の球状星団を考えれば、そんな星々を股に掛けた宇宙文明は、世の中にいくつもありそうな気がしてくる。ちょうど我々がカヌーも作れないほど原始的な未開部族でポリネシアのどこかの孤島に放り出されて、隣の島まで行くのはまだ何万年先もあるとすれば、球状星団の「彼ら」は、瀬戸内海に生まれ落ちた幸運な部族で、おそらくは船なしでも泳いで四国から本州渡ってるだろう。こんな比喩を考えれば理解しやすいであろうか。

もしも球状星団文明が本当にあったとしたら、その文明の主たちが、彼らの惑星から眺めている夜空を想像してみよう。それはきっと言葉にならないほど美しいものであろう。空中に金星をずっとずっと明るくしたような近隣の星たちが赤く黄色く何十と煌いている。星が密集した球状星団の中心部は、月ほどの大きさ明るさのぼんやりした花火玉のようなオブジェとして星空に固定されている。さらにもし球状星団が十分銀河本体に近ければ、「彼ら」の夜空を支配するのは、空の何分の一かを覆うほどの壮麗な銀河の渦巻きであろう。そんな美々しい万華鏡のような天空のある惑星に生まれて、星々の間を飛翔して生きるすべを学んだ「彼ら」は、我々にはうかがい知れない深遠な宗教と驚くべき科学をもっているに違いなく、もし互いにあいまみえることがあるとするならば、我々の眼に映ずる彼らの姿は、神々そのものに他ならないであろう。 

 Seid umschlungen, Millionen!  /  Diesen Kuß der ganzen Welt! 
 Brüder, über'm Sternenzelt  /   Muß ein lieber Vater wohnen. 

 Ihr stürzt nieder, Millionen?  /   Ahnest du den Schöpfer, Welt? 
 Such' ihn über'm Sternenzelt!  /  Über Sternen muß er wohnen. 

 抱き合おう、もろびとよ!  /  この口づけを全世界に! 
 兄弟よ、この星空の上に  /  愛する父が住みたまう 

 ひざまずくか、もろびとよ?  /  創造主を感じるか 世界よ
 星空の上に彼を求めよ  /  星の彼方に必ずや彼は住みたまう

フリートリヒ・シラーが謳い、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンが仮想的な全人類共和国の愛国歌に仕立て上げたこの不滅の頌歌は、芸術家の直観が天文学者たちに何百年も先んじて、球状星団に住まう「彼ら」の存在を予感して、創り上げたもののようにさえ思えてくる。

我々は宇宙の過疎地でこのように寂しく暮らしていて、幾万光年の到達不能な距離で隔たられてはいても、宇宙のどこかの華やかな都に、そんな神々しい者たちが確かに存在しているに違いない。桂冠詩人や天才作曲家の霊感を欠いた現代の我々であっても、そのように考えると高揚した気分になって、身の回りの愚劣さ卑小さから目を背けて、一刻なりとも幸福でいられるではないか。

(2)無限宇宙の極北

球状星団に住まうかもしれない星間文明人たちの可能性を追って、我々は近代の始まりのフランス革命期の欧州に来てしまった。そこはまさに近代物理学の宇宙観が確固不動のものとなり、今の我々に伝わる市民民主主義と科学技術文明が、全地球を覆い始める分水嶺となった場所である。そしてもちろん球状星団を論じる銀河宇宙論も、このシラーの時代のラプラスの宇宙論にその淵源を求めることができる。

我々の科学的達成の大元にあるラプラスの宇宙観では、宇宙は無限の空間の広がりとして表象され、世界はその空間中の無数の粒子の運動からなっている。その粒子たちの運動は厳格な力学法則に従っていて、その例外を許すことのない法則の峻厳さが、世の中の整然たる秩序を保証している、その秩序の保証こそ神の業で、神は力学法則そのもののうちに宿っている、このようにラプラスは考えていたようである。それを類推して人間社会に当てはめるならば、神の代理たる国王(もしくはそれに代わる独裁執政官)が美しい国家秩序を保証してる、ということになるだろう。勃興しつつある市民社会を、力学法則をモデルにした合理性で組織して、その合理性が全地球を覆い尽くすまで拡張発展させて行こうというのが、それ以来近代的知性の共通の理解となった。

近代的社会思潮と自然科学の発展とは断ち切り難く相関している、ということを最初に明確に論じたのはロシア生まれのフランスの科学史家、アレクサンドル・コイレであった。コイレは、ルネサンスから始まった近代科学の勃興の根本にあったのは「閉じたコスモス」という中世期の世界認識が「無限に開かれたユニバース」という認識に置き換わったことだと考えた。そしてこの認識の転換の背後には、人々の物理的社会的移動性の向上、社会の中の個人の位置付けの変化、といった社会構造の変化があったと論じた。無限宇宙思想に根ざした科学は、近代的市民の楽観的な漸進的発展イデオロギーとして、丁度時代に沿ってうまく機能したというわけである。

二十世紀になっても、科学主義的市民主義の哲学者カール・ポパーの「開かれた世界とその敵たち」という書物が出ているのは周知の事実で、これはその題名がまさにコイレ説の傍証となっている。

中世期の閉ざされたコスモスという宇宙観が、近代の啓蒙的知性の説く開かれた無限無給の宇宙観に置き換わって以来、科学がそして社会が、現在も止まることなく進歩を続けているとする考えは、しかしながら今このとき、どれほどの人に共有されているだろうか。

翻って上に挙げたシラーの詩を、そしてベートヴェンの楽曲を思い浮かべてみると、逆にその始まりの地点から、我々がいかに遠くまで来てしまったのかが実感されないだろうか。今仮に公衆の前で、例えば筆者が教壇から学生たちに向けて、音楽の様式化なしに、上の詩句をそのまま口ずさんだとしたらどうだろう。即座に「厨二病」という声が聞こえてくるはずだ。この頌歌の雄渾さは賛美されることなくむしろ微妙な社会的感性の欠如とみなされ、オプティミスティックな肯定の姿勢は素朴な無経験として嘲笑されるだろう。

全体主義の恐怖と世界大戦の悲惨が、一切の尊厳を奪われた億に近い人間の虫けらのような死が、シラーの世界と我々の時代を隔てているのである。

我々は知っている、ラプラスの楽観的秩序は結局は単なる幻想であったことを。もし無限宇宙の世界観突き詰めるならば、そこに見出されるのは虚無の淵である、とニーチェは語る。無限宇宙に有限密度の粒子がいて有限の組み合わせの運動をすると、あらゆる組み合わせを尽くしたのち、すべてが元に戻って繰り返しそれが無限に続く。そのような空虚な繰り返しの宇宙のどこに、善行や博愛や道徳の源泉が見出されるだろうか。無意味な繰り返しの宇宙にあっては、各個人は自分中にうごめいている生命の論理に従う以外はないのではないか。生命の盲目の本能の根幹にある「権力への意志」に従って阿修羅界に生きよ。ニーチェからこのような戦慄すべきメッセージを読み取った人々がいた。それがニーチェの曲解なのかどうかを、筆者は知らない。彼らは世に筆舌に尽くせぬ惨禍をもたらした。しかし彼らは決して近代宇宙観の鬼っ子ではない。ニヒリズムは進歩的近代市民主義の陰画であり、二つは同じコインの裏と表である。20世紀の全体主義は決して我々の外部の異物ではなく、我々の一部である。それは無限宇宙館の論理的帰結の一つ、理性的市民主義の論理的帰結の一つなのだから。

しかしこの話はまだ終わりではない。無限宇宙思想の恐るべき到達点は、ニーチェより数十年前の、フランスのアナキスト政治家、ルイ・オーギュスト・ブランキの著書に見出すことができる。ブランキの生涯の半分は、そのときどきの目の前の政府に対する武装蜂起計画についやされた。生涯の残りの半分を彼は監獄の中で過ごした。死の数年前に監獄の中で「天体による永遠 L'Éternité par les astres」という宇宙論の書物を著した。(岩波文庫から和訳が出ている。白帯の宇宙論!)この奇書の読者はまず、ブランキの当時の先端科学への通暁ぶりに驚かされる。そして読者はこの本の後半で、プラトンによってもニーチェによっても、後世のボルヘスよってさえも語られなかった、「永劫回帰説の究極の形」に出会うのである。

もし宇宙が無限であって、それが無限時間続くとしてみよう。そのなかで百種にも満たない有限の元素(当時は原子こそが元素だった)が古典力学の法則の下で運動するならば、元素の全体からなる宇宙は、いずれあらゆる可能な配位を尽くした後、すべてが最初に回帰して宇宙では同じことが無限回繰り返すだろう。ここまでは普通のニーチェ的な永劫回帰である。ところがある特定の時間でのスナップショットを考えて見ると、無限な宇宙内のどこか遠くには、必ずや地球と瓜二つの星があって、その地球のコピー星では物事が我々の地球と全く同じに進んでいるだろう。またはるか彼方の別な場所には、きっと別の地球があって、そこでは物事はこことほとんど同じだが、微細に少しだけ違っているだろう。そこでは例えばブランキは牢獄ではなく大統領宮殿にあって、フランス全体に恐怖政治を敷いているかもしれない。他にも考えられる限りの地球のあらゆるバリエーションの星を、無辺な宇宙は含んでいるはずである。そればかりではない。そのバリエーションには我々とまったく同じであるが、時間が少しだけ遅れているもの、ずっと未来にずれてるもの、過去未来あらゆる時間の我々と同じ状態のすべてのものが含まれるだろう。この時間的にも空間的にも繰り返し、すべての変更と変種を含む無限の無限乗の並行世界が、時空を超えて無限に同時進行している!

パリの国事犯の独房の中で目眩く無限世界を幻視したブランキに、我々は近代的な無限宇宙観の極北を見出すのである。現代SFの無冠の帝王グレッグ・イーガンは、間違いなくブランキの愛読者であろう。

(3)閉ざされたコスモスへの回帰

そんな事をあれこれ考えていると、いつの間にか日は暮れて外は夜空になっていた。月影を感じて建物を出てみると、夜空は大方晴れあがっていて、東の地平線からオリオン座が荘厳に昇ってくるのが見えた。工業のさかんでないこの辺境の地では微小な星々までもがよく見える。青や赤の明星たちはさらに一層輝いて見え、またどんな季節であっても、星座たちを潤す銀河の流れを見失うことはない。この地は天体観測家やコメットハンターを輩出することで有名である。ここで虚心に星空を眺めるとき、人はみな近代の苦悩を洗い去って古代人の心持ちに帰ることができる。古のカルデア人から伝わる馴染み深い星座が、いっぱいに貼り付けられた天の半球のさらに向こうに、沈黙の無限空間が無機質に広がっているなどとは、全く信じられないのである。

ブランキの後もニーチェの後も世界は滅びず、人類は数を増やし科学の発展は続いた。二十一世紀に至って我々が周囲を見渡すと、いつの間にか無限宇宙はどこかに蒸発したのか、我々の前に置かれているのは、広大無辺ではあるが全体として有限の質量とエネルギーを持つ宇宙、爆発し膨張し発展はするが、おそらくは無限には続かず、いつの日か終焉を迎える宇宙である。実は無限宇宙はなくなったわけではなく、初めも終わりもある我々の宇宙のようなものは、時間的にも空間的にも無数にあって、それらが生成消滅を繰り返しているという説も有力で、そこまで考えるとブランキ的な永劫回帰が今も繰り返しているのかもしれない。しかし本当の問題は認識可能性、観測可能性、到達可能性という点である。別の宇宙は別の次元にわれわれの宇宙とは無関係にあって、さらに同じ宇宙内であっても、物も物の配置の情報も決して光速を超えて伝わらない以上、そのほとんどの部分が過去未来にわたる人類と一切没交渉であるだろう。

われわれが見ている星々や銀河は、光が到達するのに要した時間だけ過去のものである。われわれには宇宙の果てが見えているが、それは宇宙の果ての太古の姿であって現在のではない。われわれは一般相対性理論に基づいて宇宙全体の姿を推測することはできても、実際に目にすることができるのは、時間的空間的にその一部でしかない。観測可能な宇宙は推測可能な宇宙よりずっと小さい。

我々が到達可能な宇宙の領域は、さらにずっと小さい。光ならぬ我々は質量を持つゆえ、宇宙を光速で駆け巡ることはかなわないからである。

宇宙はあるいは無限なのかもしれない。しかし人智で認識できる宇宙は広大とはいえ有限である。人間が直接観測できる宇宙は認識できる有限宇宙の極小部分である。そして人間に到達可能な宇宙はそのまたさらなる極小部分である。コペルニクスが中世の閉ざされたコスモスを打ち壊して以来四世紀、我々の前にある宇宙はこのようなものであり、認知の限界、観測と認識の限界、到達できる限界の三つの限界に区切られた、閉ざされたコスモスなのである。我々が最新の衛星観測技術を用いて認知し、その中に興味深い物語を宿していると目星をつけた天体のほぼ全ては、我々の到達可能性の範囲外にある。3千光年先の球状星団に惑星が見つかり、そこに輝かしい神のごとき人々が住んでる証拠が仮に見つかっても、我々がそこに生身で到達する手立てはない。

しかしどうしても「生身で」なければならないのだろうか。

ここ半世紀の科学的探求は、遺伝子に宿された生命の内奥の秘密を我々に明かした。そして今我々は、人工知能とロボティクスの大発展の開始地点に立っているのかもしれない。遺伝子操作や人工知能で人間とロボットの境界を曖昧にして、我々自身を宇宙進出に適した形に改変する道は、確かに開かれているのである。果たして我々は人間であることをやめてまで、宇宙的到達可能距離を伸ばそうとするだろうか。

そのような試みにあっては、我々自身の魔物への肉体的な改変が必要なばかりではないだろう。それは我々自身の精神的な改変、道徳的な改変、倫理的社会的な改変をを伴わざるをえない。なぜならば何千光年何万光年の星間移動を考えた場合、我々の精神はより禁欲的でより峻厳で、おそらくはより獣的でさえあらねばならぬだろうから。そして我々の社会は、今よりずっと酷薄非情で、残虐でさえあらねばならぬかもしれないから。それは我々が数百年馴染んできた社会道徳、我々が「自由民主主義」や「資本主義」と呼んでいるものとは似ていないだろう。それはニーチェやブランキの虚無的思想がもたらした、我々には極めておぞましく感じられる政治体制や社会道徳に、むしろ近いものなのかもしれない。ニーチェの言った超人Übermenschとは、宇宙規模の生存に適するように自己を改変した人間の予感だったのだろうか。ブランキが夢想した無政府的共和制とは、あるいはそのような超人たちの作るべき星間社会の政体の構想だったのだろうか。

果たして人類はそのような自己改変の道を選ぶだろうか。それとも人類は、与えられた宇宙の片隅にて自足して秩序守ってつつましやかに暮らしていくことを選ぶのだろうか。我々はひょっとすると、そうと気付くことなく歴史の岐路に立っているのかもしれない。しかし筆者が周りを見渡す限りにおいては、この選択の答えは明らかだと思える。それは二番目の道、この地に留まって自足する道である。

我々人類は全体として、これ以上の人口拡張はやめて身辺整理を行い、この地球を唯一の家と見定めて縮小均衡にはいる「新しい中世」を始めつつあるように感じられるのだ。

ジェネティック・エンジニアリングやアーティフィシャル・インテリジェンスは、差し当り人間の宇宙への拡張には使われないだろう。どうやらそれは人々を柔らかく監視し操作する技術として、既存秩序の鉄壁の維持のためにもっぱら使われる勢いである。我々の住む宇宙の過疎地では、近隣は見渡す限り虚空ばかりである。我々の太陽や惑星は、数百万年の間は当面今と同じ心地良さを保ちそうである。ステラー・ホッピングは遥か彼方の球状星団の、神々のような「彼ら」にまかしておけばよいではないか、というのである。

アレクサンドル・コイレの語っていた人類の精神史は、今や逆流の時を迎えたのかもしれない。我々が目撃しているのは「開かれた無限宇宙から閉ざされたコスモスへ」の、人類思潮の漸次的大転換なのではないだろうか。新中世の閉ざされた世界では、おそらくはかつての中世と同様、固定された位階秩序が重んじられ、身分の分化が進んでいくだろう。人々の移動性は下降に向かうだろう。科学的探究を含む人間の知的探求は規模を縮小し、閉ざされた空間で行われ、より秘教的なものになっていくのだろう。実際そのような動きの兆候は、すでに久しく全世界的に観察されるようにも思える。

人間を含む地球上の生命体は、スケールだけ考えても宇宙規模の活動には適していない。それはちょうど単細胞生物がスケール的に地球規模の生存に不向きなのと同様である。生物が地球全体に広がるのは、細胞の巨大な集合体としての単一な生物の出現を待たねばならなかった。人類はすで、島々や大陸や大洋を制して拡張する過程で、個人の緊密な集合体としての社会を、いかに最適に構成するかという問いに何度も直面してきた。今我々の見ている宇宙、到達可能性の障壁によって新たに閉ざされた宇宙を前にして、この障壁を乗り越えるための知恵、自らを宇宙規模の文明に改造していく叡知を、我々は持てずにいる。ここ五百年ほどの覚醒期を終えた人類は、コスモスの扉を閉ざし、これから長きにわたる宇宙的昏睡に陥っていくのだろうか。

機が熟して人類が叡知を宿し、再び宇宙の扉を開くのはいつのことだろう。果たしてそのような日が人類に訪れるのだろうか。

(4)蛇足

もちろん筆者は未来を読み違えているのかもしれない。いや、十中八九読み違えているであろう。一介の理論物理学者に人類の行く末についての何が判るというのだろう。もはやテレビはもちろん新聞雑誌もあまり読まず、リアルでもネットでも、自分の気に染まぬ物事はすべて「ミュート」にし、休みの日ごと漁港町に行って、海を見ながら地魚を賞味することだけを愉しみとしている老人に、そもそも未来を語る資格などないだろう。おそらく彼は、自分の見知った古い世界がずっと存続することだけを望んでいて、それを人類の未来に投影しているのだろう。

年老いて物忘れが激しくなるのは、それにしてもなんと辛いことか。大昔大学時代にセミナーで読んだきり、書棚のどこかに置いたコイレの著書が出てこない。この稿を認めるためにコイレについてもう少し調べようとおもったのに、である。筆者にできるのはもはや、ネットを探し各国語のウィキペディアを調べる事のみである。

それによると、大科学史家アレクサンドル・コイレは数学を志してヒルベルトに学んでのち、フッサールの下で博士論文書いたという。フッサールに博士論文を却下され学位をもらえぬままに放逐され、それでパリのベルグソンの下に移って哲学を修めた。ベルグソンといえば、その「生の哲学」からも知れる通り、科学主義合理主義の対極にある思想家であった。アレクサンドル・コイレは、生涯にわたって科学に対して微妙に捻れたスタンスを取り続けた。彼の議論を少し乱暴に要約すると、科学も非科学も本質においてあまり違わない、科学は客観的真実の追求ではなく、世界観の投影のある種の説得的な作法一つである、ということになる。ガリレオの落体実験は実際に行われたのでは無く、単なる思考実験をもっともらしく描写したに過ぎないと、コイレが主張していたことはよく知られている。ガリレオが行ったのは新事実の発見というよりも新たな体系的枠組みの提示とその下での事実の再解釈だというのである。このような話を聞けば誰しも「どこかで聞いた話だな、それって確かパラダイム?」と思うであろう。それもそのはず、パラダイム概念を創ったトーマス・クーンは、コイレの弟子の一人に他ならない。

コイレやクーンの思想を本式に語るには、いうまでもなく専門の科学史家の解説を俟たねばならない。素人でも分かるコイレの主張に、科学理論というのは客観的事実に導かれると云うよりは、むしろ理論の提唱者の個人的境遇を反映する、というのがある。もさもありなんと思える話だが、それがコイレの思想自体に割とぴったり当てはまる分、なおさら留保なしに同意できるのである。

我々の進む方向にあるのは閉ざされた宇宙、内向きの社会なのかもしれない。仮にそうであっても、新規探究者たちが閉ざされた宇宙を再び開く機会を奪わないような、異端思想の危険な冒険を過度に抑圧しないような、創造的個人たちに窒息せず生き残れる境遇を許すような、そんな社会装置の維持に注意を払いたいものである。
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