悪のペンギン帝国

2014年6月の記事一覧

親のトラウマは子に遺伝する?

私が小学生の頃、毎月送られてくる「○年の科学」みたいな本があって、ある時の号で進化についてのダーウィンとラマルク、それぞれの説が載せられていました。

「ある時、首が長めのキリンが突然変異で生まれ、そちらの方が生存に有利だったためより多くの子孫を残せた。その中から更に首が長めのキリンが…というのを繰り返すうちに、キリンは今のように首が長くなった」と主張するダーウィン。

「高い木の葉を食べようと頑張って首を伸ばしたキリンからは首長めの子供が生まれ、その子供が更に首を伸ばそうと…というのを続けた結果、キリンの首は長くなったのだ」と主張するラマルク。

…で、『遺伝子は生まれた後の努力や経験では変わらないので、ラマルクの説は間違っていたことが現在では分かっていますよ』とまとめられるのです。


そう、確かに遺伝子自体は、生まれた後にどんな努力や経験をしようとも変わりはしません(免疫細胞などでは例外もありますが)。手塚治虫の漫画では、クローン人間は元となった人間の記憶をもっていたりしますが、遺伝子に記憶が刻みつけられることは無いので、実際にはクローン人間に記憶が引き継がれるなんて起こり得ません。


ところが、最近になって、父マウスにトラウマになるような経験をさせると、子マウスがちょっとおかしい子になってしまうという論文が出されました[1]。

これはいったいどういうことなのか。要約すると

・遺伝子自体はトラウマがあっても変わらないが、どの遺伝子がどれくらい機能するかを制御する"マイクロRNA"というものの量が変わる

・父マウスがトラウマな経験をすると、精子の細胞内マイクロRNA量が変化する

・その結果、子マウスでは生まれる前の受精卵の時点から、マイクロRNAの標的になっている遺伝子の働きが抑えられる

・結果、子マウスは通常とは少し性質の違うマウスになってしまう

…ということです。

では、詳しく解説していきましょう。


まずマイクロRNAとは何か

ヒトを含めたいていの生物のゲノムはDNAという物質でできています(一部のウイルスを除く…ウイルスは厳密には生物ではありませんが)が、ゲノムに含まれる遺伝子が機能する時、まずはDNAからRNAという物質に遺伝子の情報がコピーされ、そのコピーの情報を元にして酵素など様々な機能をもつタンパク質が作られます。そして、それらのタンパク質の機能により生物の体は維持されているのです(どうもタンパク質というと"食べたらマッチョになる栄養素"というイメージが持たれがちなようですが、実際にはタンパク質は種類ごとに多様な機能をもっていて、肺から全身へ酸素を運ぶヘモグロビンもタンパク質、消化酵素もタンパク質、神経に電気シグナルが流れるのに必要なイオンチャネルもタンパク質です)。

DNAでできているゲノムを高級紙でできている禁帯出の設計図だとするなら、RNAはその設計図の使う部分を書き写すためのメモ用紙、タンパク質は書き写された設計図を元にして作られた部品といったところです。

ところで、タンパク質を作るための遺伝子がコピーされたRNAは、RNAの中でもメッセンジャーRNA (messenger RNA略してmRNA) と呼ばれています。一方、今回の話のメインであるマイクロRNA (microRNA略してmiRNA) には、タンパク質を作るための情報は入っていません。それどころか逆に、マイクロRNAがメッセンジャーRNAにくっついてしまうと、RNA-induced silencing complex (略してRISC) というものの働きにより、メッセンジャーRNAの情報を元にタンパク質を作る装置(リボソーム)が妨害されたり、メッセンジャーRNA自体が壊されたりしてしまい、そのメッセンジャーRNAからはタンパク質が作られなくなります[2]。
     ※実は、逆にマイクロRNAがタンパク質を作るのを促進する場合もあることはある[3]のですが、話がややこしくなるので割愛します。

分かりやすくするためにペンギンで表すとこんな感じになります。
マイクロRNAが無い時:リボソームがメッセンジャーRNAに書かれた通りのタンパク質を作る




マイクロRNAがある時:タンパク質を作るのがRISCにより妨げられる




メッセンジャーRNAがメモ用紙にコピーされた設計図なら、マイクロRNAは材質としては同じメモ用紙でも、書かれている内容は「都条例違反」とか「メディア良化法違反」とかへの指定で、RISCがメディア良化委員会のごとく、標的となったメッセンジャーRNAが読まれるのを阻止するのです。
     

ちなみに、マイクロRNAには非常に多くの種類があり(マイクロRNAのデータベースであるmiRBaseに2014年6月現在登録されているヒト細胞のマイクロRNAは1872種類)、マイクロRNAの種類によって、どの遺伝子のメッセンジャーRNAを妨害するかが違っています。

なんでわざわざそんな妨害をするようなものを細胞は自ら作っているのか、と思うかもしれませんが、遺伝子というのは全てを常にフル稼働させていれば良いというわけではなく(例えば、本来であれば胃の細胞が作る消化酵素を、脳細胞がどんどん作ってしまったりしたらえらいことになりますよね)、細胞の種類や状態に応じて、限られた範囲の遺伝子だけが稼働するよう制御しなくてはなりません。その制御システムの一つとして、マイクロRNAや、以前に触れた制御配列などがあるのです。




父マウスが子供時代にトラウマになるような経験をすると、その子マウスの行動パターンもおかしくなる

さて、今回紹介する研究では、まずマウスの子供(♂)にトラウマになるような経験をさせます。
※実際には、母マウスから急に引き離してトラウマを植え付けるようです。

このトラウマ経験をしたマウスは、普通のマウスと比べると、開けた空間にのこのこ出てきたり、明るい所に留まったりする傾向が高くなります(マウスは普通、物陰に潜みたがるものなのです。…開けていて明るい所にいたら、タカなどの天敵に見つかって襲われますからね)。

それに加えて、トラウママウスではプールに入れた時に、泳ぐのを諦めてただぽけーっと浮かんでいる時間も普通のマウスより長くなります。ちなみに、この「プールに入れた時にどのくらいの時間頑張って泳いで、どのくらいの時間はただ浮いているか」は、抗鬱剤の評価にも使われる実験手法で、泳いでいる時間が短い(=ただ浮いているだけの時間が長い)と鬱と判定されます。

さて、重要なのはここからで、このトラウママウスもやがては父親となります。そして生まれてきた第二世代トラウママウスは、なんと親である第一世代トラウママウスと同様に…というよりは、それ以上に、明るい所にとどまったりの異常行動をとる傾向が高くなるのです。



トラウマによって増えたマイクロRNAが子マウスにも影響する

果たしてどのようにして、親のトラウマが子の行動に影響を与えたのか?

ここで出てくるのが、最初に解説したマイクロRNAです。この研究では、第一世代トラウママウスの精子内に含まれるマイクロRNA量と、その子供の第二世代トラウママウスの脳細胞内に含まれるマイクロRNA量を調べています。すると、いくつかの種類のマイクロRNA量が、第一世代の精子・第二世代の脳細胞の両方で増えていました。つまり、それらのマイクロRNAの標的になっている遺伝子の働きは、第二世代トラウママウスが受精卵の段階から抑えられてきたということになります。第二世代トラウママウスでは、母親の胎内で脳が形成されている間、通常であれば働いていたはずの遺伝子が抑えられてきたというわけで、これは第二世代の性質に影響を与えそうです。

とはいえ、これだけでは本当にマイクロRNAが原因なのか、それとも実は他の何かが原因なのか分からないので、この研究をした人達は、第一世代トラウママウスの精子からRNAだけを抽出して、それを普通のマウスの受精卵に注入する、という実験も行っています。この受精卵由来のマウスも開けた・明るい空間に居がちという傾向を示し、トラウマに由来する異常行動がRNAを介して引き継がれているのだということが示されました。



トラウマなんてわざわざ引き継いで何の意味があるの?

ここからはあくまでも私の考えですが、まず、引き継がれているのはあくまでも「開けた・明るい空間に居がちな性質」であって、「トラウマの原因となった記憶」自体が引き継がれているというわけではないでしょう(…いや、なにぶん動物での話なので、「記憶自体は引き継がれていない」ということを証明するのは困難だと思いますが、そんなことが起こり得たらかなりの驚異です)。

で、そんな異常な性質をわざわざ次世代が引き継ぐことにいったい何のメリットがあるのか、という話ですが、普通の行動パターンでいたら、トラウマになるような経験をした…ということは、普通の行動パターンでいるのは危険で、むしろそれまでであれば異常と考えられるような行動パターンをとった方が安全な状況である可能性があります。

例えば、主な天敵が上空から襲ってくるタカである場合、開けていて明るい空間は危険で、暗くて狭い巣穴は安全でしょう。しかしタカがいなくなり、一方で、狭い巣穴にも侵入可能かつ暗闇でも熱探知で獲物を探せるガラガラヘビが大量発生した場合には、敵の接近を察知しやすい開けた空間にいた方が安全かもしれません。いずれにせよ、行動パターンの変化を引き継ぐことが生存に有利だったからこそ、そのようになっているのではないか、と私は思います。


…それはそうと、こういう研究が発表されると、そのうち「うちの子供がニートのひきこもりになったのは、お前のせいで俺がトラウマを抱えることになったからだ!」みたいな訴訟が起きたりしそうですね。



おまけ絵文字:笑顔
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