研究ブログ

2006年11月の記事一覧

国立劇場2006年11月歌舞伎公演『元禄忠臣蔵』第2部

昨日は、12時より国立劇場で「国立劇場11月歌舞伎公演」を鑑賞しました。

出し物は先月に引き続き真山青果の『元禄忠臣蔵』で、今回は第二部が上演されました。

この日の見所は何といっても第二幕と第三幕の「御浜御殿綱豊卿」。綱豊卿を務めたのは中村梅玉です。

声音のすがすがしさと口跡の美しさは梅玉の魅力ですが、今回の綱豊卿はその意味でまさに当を得た人事。しかも、時に「退屈な大名稼業は子や孫には継がせたくないもの」と言い、時に「おれ」と自称する青果の綱豊がもつ一種独特な雰囲気を、卑に傾かず俗に流れずに演じあげたのは見事というほかありません。

一方、坂田藤十郎の大石内蔵助も、「主家再興」と「復讐」の板ばさみになりつつ「うき様」を演じ続けねばならない、という困難な状況を遺憾なく描き上げていました。

特に終幕の「三次浅野家中屋敷門外」では、指の先まで研ぎ澄まされた演技を披露し、単なる和事にとどまらない、藤十郎の懐の深さを示していました。

藤十郎と梅玉という二枚看板以外の演者も役を入念に練り上げていました。

中でも、大石主税と羽倉斎宮を務めた片岡愛之助は、性格も立場も異なる二つの役を違和感なく演じ上げ、久しぶりの東京で能力の確かさを改めて示しました。

技量と内容がともに充実し、観るものを捉えて離さない四幕十場でした。
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NHK交響楽団第1581回定期公演

昨日は、NHKホールでNHK交響楽団の第1581回定期公演を聴きました。


指揮にロージャー・ノリントン、ヴァイオリン独奏に庄司紗矢香を迎え、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とヴォーン=ウィリアムズの交響曲第5番が演奏されました。


ヴォーン=ウィリアムズというと日本ではまだまだなじみの薄い作曲家。ただ、私にとっては1996年に「ヴォーン=ウィリアムズ年」として彼の作品の録音や譜面を集中的に集めた、思い出深い人物で、1997年のBBC交響楽団来日公演で交響曲第2番を聞いたときの感慨は今でも印象深いものとして残っています。


ところで、この日、機関誌「フィルハーモニー」の雑報欄に目を通していたら、6月になくなった岩城宏之さんが「最後にNHKの定期公演に登場したのが1996年」という記事を見ました。


思えばその「空白の期間」は、NHKにとって「失われた十年」でしたが、そうした迷走の時代に定期公演の舞台に立たなかった岩城さんが幸せだったのか、正指揮者陣を定期公演の舞台に立たせなかったから混迷が広がったのか、しばし考えさせられる記事でした。


寸評は以下の通りです。


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NHK交響楽団第1581回定期公演を聞く。


今回は指揮にロージャー・ノリントン、ヴァイオリン独奏に庄司紗矢香を迎え、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とヴォーン=ウィリアムズの交響曲第5番が演奏された。


前半の協奏曲、独奏の庄司は難しい箇所もゆとりをもって演奏し、しつけのよさも示していたが、浅瀬で足を取られる場面も散見され、まだまだ発展の余地のあることをうかがわせた。


また、技術性に音楽性が追いついておらず、概して表面的な演奏に終始したのも残念で、現状では他の「若手」と称される演奏家同様「精神なき専門人」の境域にとどまっているといえよう。


一方の管弦楽は、この曲の前年に作られた交響曲第3番の初演の際、聴衆が「今、ここでやめてくれれば金をやるぞ」と野次を飛ばした故事を思い起こさせる内容。


「楽聖」ベートーヴェンの印象をもつ現代の聴衆には散漫な、また、彼と同時代の「人間」ベートーヴェンを知る聴衆には牧歌的な印象を喚起させる演奏は、ノリントンの手腕によるものか否か。


この日の白眉は後半のヴォーン=ウィリアムズで、今年のNHK響としては会心の演奏といえよう。


物語性の強いウィリアムズの音楽だが、ノリントンの指揮は各声部を丹念に腑分けし、見事に「ウィリアムズの物語」を再構成することに成功していた。


前半はぎこちなく「動いていた」演奏者たちも一種の開放感を伴って音を紡ぎだすあたり、ノリントンが単なる「古楽指揮者」でないところを自ら証明したといえるだろう。

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